エドワード・ M・ゴメス, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/edward-m-gomez/ Wed, 15 Jun 2022 12:03:38 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png エドワード・ M・ゴメス, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/edward-m-gomez/ 32 32 アート連載「境界のかたち」Vol.10 現代美術家のサイモン・デニーが語るブロックチェーンがもたらすアート界の未来 https://tokion.jp/2022/06/12/contemporary-artist-simon-denny/ Sun, 12 Jun 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=122037 ポストコロナにおけるアートを識者達の言葉から紐解く本連載。第10回は、デジタル社会における思想や価値観をとらえた作品で知られるサイモン・デニーが登場。

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ビジネスからサイエンスに至るまで、アートの必要性を説くシチュエーションが激増している。コロナ禍で見える世界は変わらないものの、人々の心情が変容していく中で、その心はアートに対してどう反応するのか。ギャラリストやアーティスト、コレクター等が、ポストコロナにおけるアートを対象として、次代に現れるイメージを考察する。

第10回はハンブルグ美術大学でも教壇に立つアーティスト、サイモン・デニーが登場する。彼は技術的な実験をマルチメディアのインタラクティブなインスタレーションに変換させた作品で知られている。今回は「ブロックチェーン」という概念や、アートの役割と未来について話を聞いた。

「2021年に行ったNFTの実験は、歴史や過去についての考え方や過去の作品を技術的、芸術的にどのように現在に生かすか」

−−まずはNFTについて教えていただけますか?

サイモン・デニー(以下、デニー):NFTとは「Non-Fungible Token(非代替性トークン)」のことで、独自の金銭的価値を、公開レジストリ内にあるデジタルファイルに恒久的にリンクさせることができる暗号通貨トークンです。NFTは、どのウォレットアドレスがデジタルオブジェクトを作成、販売、所有するかを記録していて、アーティストはネットワークにアクセスして、デジタルファイルを作品として販売することが可能になりました。このフォーマットの普及により、それ以前には困難だったデジタル作品のための市場が生まれました。

−−NFTアートは、単一のデジタルファイルの形でコレクターの手に渡るのですか? ビデオやgifの他にどのような種類のファイルがあるんでしょうか?

デニー:NFTになるかどうかは、ファイルをどのようにブロックチェーンに接続するかによって異なります。ブロックチェーンやプラットフォームによって、フォーマットは変わります。ですので、NFTは実際のファイルが保存されている場所へのリンクを含む、公開スプレッドシート上にまとめられた情報項目と考えた方がいいかもしれません。ほとんどの場合、ファイルは、ブロックチェーンではない別のプラットフォームにあります。技術的には、リンクが可能なあらゆる種類のファイルが対象になるので、ファイルによっては、現在普及しているプラットフォームの範囲内で閲覧や取引がしやすい作品もあります。「jpg」や「png」、「svg」、「mp4」やシンプルな「html」ファイル等は、既存の一般的なNFTの販売プラットフォームでうまく機能する、一般的で人気も高いファイル形式です。また、ブロックチェーン自体のレジストリシステムの限られたコードスペースの中で動作するNFTもありますが、あまり一般的とは言えませんね。

−−買い手はどのようにNFTの代金を支払うのですか? NFTと暗号通貨の関係についてよく目にしますが、どのような関係なのかを教えてください。最先端の技術に興味がある人達がこの2つを一緒に考えているのでしょうか?

デニー:NFTそのものが暗号通貨の一種ですし、どちらの資産もブロックチェーンをベースにしています。ビットコインやイーサなどの暗号通貨は、「Fungible Token (代替性トークン)」で、レジストリが価値を持っています。しかし「Non-Fungible Tokens」とは異なり、それぞれのトークンの価値は同等です。よく例に挙げられるのは、1ドル札と絵画の比較ですね。どちらも金銭的な価値を持つものですが、あなたと私がそれぞれ手に持った1ドルを交換しても1ドル札の価値自体は変わりません。1ドル札は実質的に他の1ドル紙幣と同じ価値を持っていて代替性があるからです。一方で、あなたがピカソの作品を、私がカーロの作品を持っていて、交換したとするとそれぞれの絵画の金銭的価値も交換されることになります。この場合、作品の資産は「非代替性」と見なされます。唯一存在する作品として、価値が上がったり下がったりするんです。

また、NFTはイーサのような代替性トークンを使って売買されます。これらは同じインフラの一部で、価値が同じブロックチェーンで管理されているため、それらの通貨で売買をすることが簡単なんです。一部のセカンダリープラットフォームでは、ドルなど特定の国の通貨を使ってNFTの売買が可能ですが、このようなプラットフォームのほとんどは、NFTを購入する時にドルを暗号通貨に変換するサービスを提供しているにすぎません。現状では、NFTの最大のブロックチェーンはイーサリアムであり、プラットフォーム内で使用されている代替性トークンあるいは暗号通貨であるイーサで、一番多く売買が行われています。

−−NFTの作品にはどのようなテーマがあり、どのような内容で表現されているんでしょうか? また、NFTは一点ものなので作家と買い手しか見ることができないと推測しますが、それは正しいのでしょうか?

デニー:まず、NFTの作品は作家と買い手しか見ることができないというのは正しくありません。むしろその逆です。NFTは、暗号通貨やそれを保管するウォレットと同様に、インターネットにアクセスできれば、誰もがいつでも閲覧することができます。これは、ブロックチェーンの重要なメリットの1つです。また、誰もがいつでもNFT作品が購入、保有、作成し、その価格も閲覧することができます。興味深いのは、NFT作品の所有権を得るために高額な対価を払う人がいる一方で、NFTを閲覧したり、そしてNFTの画像を複製したりすることが誰でもできることです。例えば、誰もが閲覧できるということは、個人や国家が所有するパブリックアートと大して変わらない側面があります。大規模な公共文化財のために資金提供をした人の名前は、プレートに記されていることが多いですよね。これは、NFT作品の所有権の仕組みに少し似ています。誰でも作品を閲覧できますが、誰が所有しているかもはっきりわかるのです。

私はこれまで、NFTをベースにしたさまざまなプロジェクトを手掛けてきました。さまざまな形態や素材を通して価値が移り変わる様子に着目したり、インターネットの歴史や美学、時間について考察した作品等があります。2021年に行ったNFTの実験の多くは、歴史や過去についての考え方、過去のものを技術的、美学的にどのように現前させるかといったことに取り組んでいました。作品はレジストリに永久的にタイムスタンプされますが、それ自体がイベントとして、プロセスとしての持続性を保っています。ブロックチェーン上の取引とエントリーを承認するには、われわれが主導するコミュニティと自動化されたシステムによる社会的な承認プロセスが必要です。これは複雑ですが詩的な部分もあると思っています。そこで、私はこのメディアの過去を見直そうと思いました。

Dotcom Séance」というプロジェクトでは、媒体としてのインターネットについて熟思しました。インターネットを通じて浮き彫りになったアイデアと、インターネットの使用によって広まった美学の両方を再解釈して、再構築を試みたんです。インターネット上のビジネスアイデアは、時間とともに変化していく技術的、社会的枠組みの中で、しばしば繰り返されます。2001年にうまくいかなかったことが、2010年には別のチームと技術的パラダイムで、うまくいったかもしれない。例えば、「Ecircles.com」(1998~2001年)は、ユーザーが非公開のグループ内で、写真をシェアできる画像共有ソーシャルネットワークでした。当時は、非公開のグループであったことと、携帯電話にカメラが付いてなかったことを除けば、インスタグラムにかなり類似したビジネスモデルでした。私は、「Ecircles」のように、2001年に倒産した企業20社を選び、AI画像メーカー「Cosmographia」の“Clip”を使って、企業に関する説明に基づいて独自にロゴを作成しました。それらのアウトプットを、ERC721(NFT)トークン・プロジェクトとしては、最も早い段階で大規模に成長した「クリプトキティ」を支えたアーティスト、ガイルに渡しました。彼は私が作り直した各企業のロゴをひとつずつ選び、自分のお気に入りのAIアウトプットに基づいて、彼なりのバージョンを制作してくれたんです。中でも「Pets.com」は最も有名な企業で、2001年の“ドットコム・バブル”崩壊の象徴的な存在でした。特にガイルの作品と組み合わせることで、インターネットにまつわる歴史の興味深い合流点が生まれると思ったんです。言ってみれば、ゾンビのように今なお生き長らえている過去のインターネット(Web1.0時代)上のアイデアを、最先端の機械学習画像生成ソフトを駆使して、暗号通貨やブロックチェーンに対応したWeb、つまりはWeb3.0時代のアイコンとして、再構築しているわけですから。

−−NFTアートを美術館や博物館で展示することはありますか? また、どのように一般公開するのでしょうか?

デニー:私は、NFTや暗号通貨の作品を美術館やギャラリーで展示するだけでなく、オンラインでも公開しています。僕が協力したプラットフォームやマーケットプレイスの一部は「Dotcomseance」「folia」「SuperRare」等です。ネットワーク上のデジタルファイルとして、市場の側面も媒体の一部を成しているため、このようなプラットフォームを使うことが、最も理にかなっていますし、NFTに興味を持つ多くの人々が閲覧をするわけです。もちろん、こうしたサイトには、美術館の集客よりもずっと多くの人々が集まりますが、私は美術館やギャラリーで取り組むことにも価値を感じているんです。これらの作品を空間的、物質的な形に変換していくことは、これまでも行ってきました。私が制作したNFTの中には、実物と結びついているものもあります。コレクターがNFTを購入すると、作品の実物が送られてくるシステムです。例えば「Voice」では、私が制作したラグマットとそのイメージのシリーズがありますが、ホワイトハウスのギフトショップで販売しているラグマットをスクリーンショットで撮影し、そのスクリーンショットをジャカード織りのラグマットに仕上げ、再び写真に撮ってNFTとして販売したんです。NFTを購入したコレクターには、現物のラグマットも送りました。また、ローマの美術館とデンマークの美術館のために、前述した「Dotcom Séance」の一部をキャンバスにプリントした作品を制作していて、美術史を連想させるようなプリントの仕方、展示方法を考えています。

また、NFTに取り組む他のアーティストの作品のキュレーションも行っています。2018年にはシンケル・パビリオンで「Proof of Work」という展覧会を開催しましたし、昨年はハンブルクの「クンストフェライン」で、NFTや暗号通貨の特別プロジェクトを含む、資産やテクノロジーに取り組んだ過去40年の芸術作品を集めた展覧会を開催しました。この2つの展覧会は、アートと暗号通貨を、モノとデジタル作品の間で扱うプロジェクトも含まれていたので、物質性が非常に高く、観客の空間体験を重視していました。1つには、文字通り現金を燃やして暗号通貨を発行する作品が展示されていましたし、もう1つは研究者たちにテクノロジーに関連するオブジェクトを選んでもらい、それをトークンの要素を使って販売する市場を提示するものでした。

他にも、美術館でデジタル作品がスクリーンに映し出されることがあります。この場合、私は特注の正方形のスクリーンを使うのが好きです(私のNFTデジタル作品のほとんどが正方形であるため)。このような場合、多少おもしろみに欠けることが多いのは事実ですが、うまく機能することは間違いないですし、ギャラリーや美術館ではスクリーンベースのNFTの展示も増えています。

「コンセプチュアル・アートの歴史をNFTの現在地を説明する基準につなげたい」

−−NFT作品の価格帯はどのくらいですか? ギャラリーが作品の提示価格を設定するのでしょうか?

デニー:僕はこれまで、伝統的な画廊やオークションハウスと協力して高額な作品のオークションから、NFT専用のプラットフォームやウェブサイトでの直接販売等、比較的手に取りやすい価格帯でのコレクションも行ってきました。どの手法にも可能性やメリットがあります。その中でより自然と感じるのは、「Dotcomseance」で用いたモデルです。このモデルでは、数百点のシリーズ作品の初期価格を、数百ドル程度に低く設定しました。これによって予算が少ない新参のコレクターや、アーティストも作品を購入することができますし、プロジェクトの周辺に生まれるネットワークを利用することもできるようになります。そして、プロジェクトを支援する幅広いネットワークが形成されやすくなりますし、プロジェクト全体の物語や他のコレクター、そして個々の作品にも関心を持つ人たちが集まりやすくなります。このシリーズでは、作品が小さなグループにまとめられ、そのグループの一部が、作品に関するアイデアを基にしたプライベートチャンネルや他のプロジェクトを立ち上げるきっかけになりました。こういうことは、オークションを通じて1人のコレクターに作品を売るよりもおもしろいですよね。NFTでしか起き得ないことですし、集合的な作品群とブロックチェーンの取引記録、つまりは関連性によって可能になる、他にはない繋がりあった所有のあり方なんです。

−−NFTは一点ものである限り、他の芸術作品と同様の条件と言えます。とは言ってもNFTはデジタルファイルでもあるため、容易に複製される可能性があります。購入者以外の人に複製され、流通するのを防ぐにはどうしたらよいでしょうか?

デニー:端的に言えば、作品の出自に関わる話ですね。ブロックチェーン上の取引記録は、誰でも閲覧可能なので、どれが芸術的、金銭的価値につながるファイルなのかは簡単にわかります。これらのレジストリに繋がっていないファイルはその価値を持ちません。ただし、誰でも、スクリーンショットやコピーで、作品の芸術性や美的価値を楽しむことはできます。絵画や版画の写真を印刷するのと同じですね。芸術的な『アウラ』は、社会的な価値、ネットワークの中での位置付けによって変化します。ネットワークというメディアのために作られた作品は、ネットワークから削除されると、それはもう作品ではなくて、記念品や土産品のようになってしまいます。

−−将来性は感じますか? それとも、短期的な流行に過ぎないんでしょうか?

デニー:未来を予見することはできないですが、暗号通貨は、NFTを通じて多くの新しい人々をアートに導いています。コンセプチュアルかつネットワークベースのアートは、私達の世界においても今日的な意義を持ち、重要な価値があります。暗号通貨が構築したインフラは、今後も存続する可能性が高いでしょう。また、暗号通貨に価値を置く既存の富は、すでに一般経済にかなり統合されてしまったので、そのまま消えてしまうことはないと思います。つまり、それ自体でNFTの価値がある程度維持されることになるでしょうね。金銭的な価値はデジタルであれなんであれ、アートに関心をもつことへの緩衝装置になると思います。

−−まだ、NFTの歴史は浅いですが、NFTを通じて取り上げられたり、検証されたりしている共通のテーマにはどのようなものがありますか?

デニー:まず、美術史がどこから始まるのか、誰が定義しているのかによって変わってきますよね。コンピューターを使って作られたアートを起点にすれば、少なくとも70年以上の歴史があります。1990年代のインターネットアートは、現在NFTでも活躍している作家のものを含む、素晴らしい作品群が存在していました。私は、コンセプチュアル・アートの歴史を、抽象画や機械に触発された初期モダニズムのアヴァンギャルドと同じように、NFTの現在地を説明する規範につなげたいと考えています。NFTを使ったアートが扱うテーマやアイデアに関しては、その枠組み自体がそれほど役に立つとは思えません。NFTは他のアートと同じように、すべてであると同時に無でもあるんです。

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日本のアール・ブリュットが独特の特徴を持って今も変容し続けていること https://tokion.jp/2021/05/14/japanese-art-brut-2/ Fri, 14 May 2021 06:00:02 +0000 https://tokion.jp/?p=32849 独学で美術を学ぶ日本人アーティストが制作する独特の絵画やドローイング、ミクストメディアの作品が国際的に高く評価されている。

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本物のアール・ブリュットの作家は、作品を作らなければならないから作る

「日本のアール・ブリュット」という言葉は、フランスの近代画家であるジャン・デュブッフェが1940年代に確立した、分類が難しいカテゴリーの作品との歴史的な結びつきを想起させる。現在、このカテゴリーに含まれるいくつかの特徴は、日本における独学の現代作家の作品と密接に関連している。その特徴は、絵の具あるいはインクを使って、紙や粘土、コラージュで作った紙の他、手で編んだ布で作品を制作するなど、素材を独創的かつ巧みに使っていることだ。

日本人作家の作品には、古久保憲満の都市を俯瞰した大型のドローイングのような野心的なテーマや澤田真一の突起物に覆われた素焼きのモンスターのような独特な形のものがある。これらの作品は、感情的にも心理的にも何かに取りつかれたような特性があり、惹きつけられる。2018年に、パリの「アル・サン・ピエール」で開催された展覧会「アール・ブリュット・ジャポネ」では、鉛筆と色鉛筆やマーカー、水彩絵の具の紙の上に描かれた古久保憲満の作品が会場の壁の全面を埋め尽くした。

前編でも述べたように、70年以上も前にデュブッフェは「アール・ブリュット」「生の芸術」の定義を唱えた時、「この言葉は、主流の文化や社会から外れたところで生きる人達が作った作品のことを指す」と説明した。作家達は美術学校に通わず、主流の美術史にとって重要な要素であるスタイルや批評的考察のことをよく知らない。

実際、デュブッフェが作品を収集した作家の大半は、自分達のことをアーティストとは思っていなかった。彼等にとっては、学究的あるいは理知的な概念としてのアートというのは存在せず、日々の生活の中でも関連性がなかった。 私が、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートの歴史についての講義を行う時、独学で学んだ作家と美術学校で訓練を受け、主流のアート市場で作品を売ることを目的に制作をするアーティストの間には大きな違いあると述べている。本物のアール・ブリュット/アウトサイダー・アートの作家は、作品を作りたいのではなく、作品を作らなければならないから作るのである。彼等にとっては呼吸をするのと同じように、生きていくために必要なものであり、作品を作らずにはいられないからだ。日本のアール・ブリュットと位置付けられている作家の優れた作品にはこの傾向が感じられる。

海外コレクターからの需要は高まるばかり

ドローイングでは、構図を作る二次元の広がり、つまり絵画となる空間の1cm四方すべてを埋め尽くすことが多い。阿部恵子はゲルインクのペンを使って画用紙に、連なる花々や人物や色とりどりの格子を描く。作品は生き生きとしていて、阿部は日常的な題材に喜びを見出しているように見える。滋賀県にある障がい者のためのアートスタジオ、やまなみ工房のメンバーで作家の鵜飼結一朗のドローイングは欧米で熱狂的な支持を得ている。

毎年ニューヨークで開催されるアウトサイダー・アート・フェアで、東京に拠点を置くアート・ディーラーの小出由紀子は、外国人コレクターに鵜飼結一朗の作品を紹介し、大きな成功を収めた。鵜飼の作品には、恐竜や歴史的な衣装を身につけた国内外の人物をはじめ巨大な昆虫や古代の帆船、モンスター、ロボットなどがぎっしりと描かれている。

日本のアール・ブリュットの作家達は、たとえ作品が抽象的であってもテーマを解釈することが多い。(結局、抽象芸術の題材は芸術そのものの本質と表現の可能性だ)そのような抽象的な作品の中には、横山明子の黒、白、赤というシンプルかつ力強い色彩のマーカーを使い、紙に描かれたドローイングも含まれる。(私がスイス・ローザンヌのアール・ブリュット・コレクションでキュレーションを務めた展覧会「日本のアール・ブリュット:もうひとつの眼差し」では、横山の大胆なドローイングを数点展示した)横山は、埼玉県・川口市にある障がい者のためのアートワークショップ工房集に所属している。

1996年生まれの中川ももこも、紙の上に色彩豊かで抽象的なドローイングを描く若い女性作家だ。ボールペンやマーカーで細い線から成るダイナミックな網状の形を描く。その構図は、まるで前衛的な建築物の設計図面のようだ。河合由美子もやまなみ工房に所属する作家で綿布と刺繍糸を使い、乳房にも似た未知の有機的な成長物ともいえる神秘的な立体作品を制作している。同じ工房に所属する井村ももかも、不思議な布作品を制作している。柔らかい、明るい色の布を使って丸い塊を作り、プラスチックのボタンで覆う。不思議な物体はとても奇妙であると同時に魅力的だ。

田村拓也は対象をシルエットで表現する手法を編み出した。さまざまな色の太いマーカーを使い、マス目で男性や女性、動物などの形を作る。この手法は規則性があるにも関わらず、豊かな表現力を持つ。

独創性の高いアール・ブリュットの作家として、西岡弘治や大倉史子、鎌江一美の3人の名も挙げたい。西岡は大阪のアトリエコーナスに所属し、音符や横線が書かれた楽譜を歪めて描くことで、リズミカルで抽象的な作品に変容するドローイングを制作している。

大倉は、工房集でミクストメディアのコラージュ作品を手掛けている。女性の顔写真を雑誌から切り抜き、コピーをして、小さな紙に書かれた名前や言葉を透明なテープでつなぎ合わせて不定形のオブジェを制作する。一風変わったオブジェは、二次元の絵画であると同時に三次元の彫刻のようでもある。

やまなみ工房では、陶芸家の鎌江一美が2つ以上の顔を持つ人物の彫刻を制作し、工房の責任者を作品のタイトルにしている。彫刻のざらざらとした質感の表面と波打つような形、曖昧な表情が特徴だ。

このような作品が、日本やヨーロッパのギャラリーや美術館で展示されている他、ニューヨークのアウトサイダー・アート・フェアやアメリカのごく一部のギャラリーで作品が販売されている。海外コレクターからの需要は高まるばかりで、ニューヨークの現代美術ギャラリー、ヴィーナス・オーバー・マンハッタンは、日本のアール・ブリュット作家である澤田真一の陶磁器の彫刻の個展を開催したほどだ。ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された展覧会のレビューでは「小さな角や爪や突起物で覆われた澤田が作った生き物は見る人に『日本の神話や、中世の動物寓意譚』を彷彿させる」と評された。

日本人のアール・ブリュット作品を海外に届けるために必要な既存ギャラリーとの協働

他にも、イギリスのジェニファー・ローレン・ギャラリーやニューヨークのキャビン・モリス・ギャラリーでは、日本のアール・ブリュット作家の作品を定期的に展示している。また、スイスのローザンヌにあるギャルリー・デュ・マルシェでは、小林一緒の作品が販売されている。埼玉県在住の小林は、30年以上も前から、コンビニエンスストアの食品も含む、今まで食べてきたすべての食事を、イラスト入りで詳細にノートに記録してきた。小林の作品は、2018年から2019年にスイスの美術館で開催された展覧会で展示され、大変な人気を博した。

日本のアール・ブリュットやアウトサイダー・アート研究の第一人者で、アート・ディーラーでもある櫛野展正が小林の色彩豊かな画集を紹介してくれた。櫛野は最近まで広島県福山市でギャラリーを運営していたが、現在は静岡県のアーツカウンシルしずおかに所属している。櫛野がアウトサイダー・アートにおける発見について執筆した著書には『ヤンキー人類学 突破者たちの「アート」と表現』(フィルムアート社、2014年)、『アウトサイドで生きている』(タバブックス、2017年)などがある。

日本のアール・ブリュット作家の作品をより多くの海外コレクターに届けるためには、すでに日本人作家の作品を扱っているギャラリーと協働することが必要だ。しかし、日本のビジネスパートナーと効率的にコミュニケーションを取るには言葉の壁がある。また、海外のアート・ディーラーは、日本人作家とその家族や保護者、彼らが所属する社会福祉法人が海外との関係構築には、慎重に時間を重ねたいと考えていることを考慮しなければならない。作家の多くは国際的なアート市場では新参で、海外のアート・ディーラーは日本企業との直接取引をした経験が少ないからだ。

杉本志乃と萩中華世が運営をしている恵比寿のACMギャラリーでは、独学で作品を制作する作家の作品を展示している。その中には、大型の半抽象的な世界地図を描く松本寛庸や大阪在住で鳥の絵を描く若手の女性作家のミルカの作品もある。杉本と萩中は、メールインタビューで「欧米に比べて日本のアート市場は小規模です。アウトサイダー・アートに限らず、どんな分野のアートにしても作品を販売するのは難しい」とコメントした。日本ではほとんどの現代美術コレクターが、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートの歴史に明るくないため、近代美術や現代美術の歴史の中でどのような価値があるのか、作品の投資価値も正確に把握することができない。

杉本と萩中は、美術館がアール・ブリュットやアウトサイダー・アートの分野にもっと目を向ければ、才能ある作家の作品価値がより理解され、鑑賞者も美術館で多様なアートを求めていると考えている。美術館の在り方に関しては「例えば、美術館が社会福祉を推進する場所になれば素晴らしい」とコメントしている。

日本における主体的な関心が国内のアール・ブリュットを飛躍的に成長させた

これまで、滋賀県立近代美術館はアール・ブリュットの重要なコレクションを築いてきた。質の高いアール・ブリュットの展覧会を開催し、日本人作家の、創作の歴史に関する優れた目録も発行している。滋賀県は陶磁器の産地としても有名で、斬新な素焼きの彫刻で知られる澤田信一や鎌江一美ら多くのアール・ブリュットの作家が滋賀県出身である。

滋賀県立近代美術館の学芸課長である池上司はあるインタビューで、「日本の美術館はモダンアートの理論のみでは十分に説明できない」、作品群を説明するため「どのような言葉や見方で語り得るのかを模索している」とコメントしている。また、既存のモダンアートのコレクションとの関連性においては「美術館はそのような課題を達成する努力をしなければならない」とした。また、アール・ブリュットやアウトサイダー・アート作品を見て、理解するために、「基礎的な作品研究や作家研究が欠かせない。アール・ブリュットに関心を持つキュレーターや研究者、作品を収蔵する施設が増えれば増えるほど、基礎研究は充実していく」と述べた。

アール・ブリュット/アウトサイダー・アートの作品収集や研究のカテゴリーが生まれた欧米から見れば、日本における主体的な関心がアール・ブリュットを飛躍的に成長させたといえる。多くの日本人作家の作品に見られる共通の技術的・様式的特徴は、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートの歴史の中で、“日本のアール・ブリュット”という概念を際立たせている。

前編に登場した京都のギャルリー宮脇のディレクター宮脇豊は、長年にわたりヨーロッパに日本の最高峰のアール・ブリュット作品を紹介してきた経験がある。最近のインタビューで「このようなアートと作品を制作する作家の並外れた創造的エネルギーは日本で評価されるべきだ。理解を深めることで、アール・ブリュットの価値を高めることにつながる」と語っていて、アール・ブリュットの「先鋭的な精神」を高く評価している。また、「作家達は決してアウトサイダーではない。彼らの作品は従来の退屈でファッショナブルなアートに対抗している。アール・ブリュットのこのような側面に魅了されるべきだ」と結んでいる。

Translation Fumiko M

TOKION ARTの最新記事

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日本のアール・ブリュットの大胆でユニークな見映えとスタイル https://tokion.jp/2021/03/14/japanese-art-brut/ Sun, 14 Mar 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=23340 独学の作家によって制作されたアール・ブリュットの作品は独創的かつ力強く、国内外で人気を博していると同時に、批評的な議論の対象ともなっている。

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近年、ヨーロッパでは「アール・ブリュット」、アメリカでは「アウトサイダー・アート」と呼ばれる、独学でアートを学んだ作家による作品のカテゴリーが日本で知られるようになり、いわゆる“日本のアール・ブリュット”が誕生した。この「アール・ブリュット」というのはどのようなアートで、今日の日本におけるより広範な芸術と文化の世界では、どのような地位を占めているのだろうか?

ヨーロッパでは、このようなアートの最も深いルーツは数世紀前までさかのぼることができるが、研究そして収集の分野としての近代史は、20世紀半ば頃に始まった。フランスの近代の美術家ジャン・デュビュッフェがフランス、スイス、ドイツで先駆的な研究を行い、「アール・ブリュット」という言葉を生み出したのが1940年代のことだった。

フランス語の「アール・ブリュット」とは、「生の芸術」を意味し、主流の文化や社会から外れたところで生きる人たちがつくった作品のことを指す。この作家達は、美術史を学ぶために美術学校に通ったり、作品を作るためにいわゆるプロの作家がよく使うようなテクニックや素材を使用しない。その代わりに、アール・ブリュットの作家の作品制作は完全に独学だ。彼等のような独学者は多くの場合、安価な塗料や道具とともに、古い段ボール、木くず、捨てられた家具や家庭用品を含むあらゆる材料を使って作品を制作する。

デュビュッフェは、「アール・ブリュット」の定義を練る上で、オブジェが、その定義に沿った作品として正確に捉えられるためには、いくつかの基準を満たすべきだと指摘した。第一に、オブジェは美術学校で教育を受けたものが制作したものであってはならない。その結果、一般的には、アール・ブリュットの作家によって作られた作品は、よく知られている主流の美術史のスタイルや批評的考察に関する対話には参加しない。

もちろん、芸術表現のほとんどすべての形態は、特定の場所の文化、歴史、考え方に根差しているが、デュビュッフェが指摘したように、アール・ブリュットの最良の例は、多くの場合、よく見かける文化とはほとんど関係のない、独自の世界から生まれた独特な作品であるように見える。

その結果、アール・ブリュットの極めつきの作品や、そのような作品を制作した作家は、「ビジョナリー」と形容される。彼らが制作する絵画やドローイング、彫刻やオブジェは、既知の世界の多様な状況の解釈や、空想の世界のイメージなど、非常に個人的なビジョンを表現している。(スイスのアール・ブリュットの作家、アドルフ・ヴェルフリのファンタジーあふれる宇宙や、アメリカのアウトサイダー・アーティスト、ヘンリー・ダーガーの大型ドローイングに描かれたモンスターと大勢の少女が住む土地といった作品に見られる)

デュビュッフェは、本物のアール・ブリュットの個々の作品と作家の全作品は、それ自体が独特なものであることを強調した。アール・ブリュットの作品の魅力的かつ分類しにくい性質が、このようなアートのファンの注目を集めている。

日本では、「アール・ブリュット」として知られるアートのルーツは、第二次世界大戦後の時期にさかのぼると言われている。

私は、2018年11月にスイスのローザンヌにあるアール・ブリュット・コレクションで「日本から見たアール・ブリュット、もうひとつの眼差し」展のキュレーションを担当した。※英仏2カ国語による展覧会カタログ『Art Brut du Japon, un autre regard/Art Brut from Japan, Another Look』(アール・ブリュット・コレクション&ファイブ・コンティネンツ、2018年) (ISBN 88-7439-846-1)、日本語版『日本のアール・ブリュット、もうひとつの眼差し』(国書刊行会、2018年)(ISBN 978-4-336-06334-2)

この有名な美術館は、アール・ブリュットを専門とした世界初のしかも一流の機関で、1976年に一般公開が始まった。デュビュッフェの個人コレクション約5000点が、この新しい美術館のコレクションの中核となっており、現在では、絵画やドローイング、彫刻、テキスタイルの作品など約7万点が所蔵されている。

甲南大学准教授の服部正は、美術理論と美術史を教えている。彼は『アウトサイダー・アート、現代美術が忘れた「芸術」』(光文社、2003)という素晴らしい本の著者だ。服部は、日本におけるアール・ブリュットのルーツを振り返り、2018年にスイスで行われた展覧会のカタログに、「日本で最初に障がい者の創作物に対する関心が高まったのは 1940 年前後のことで、1939 年 1 月に大阪朝日会館で、開催された『精神薄弱児童養護展覧会』はその代表的なものである。この展覧会の企画者が目指していたのは、障がい者に対する社会の関心が高まり、当時の日本では極めて不十分だった障がい者支援の法体系の整備が進むことだった」と記述している。

同じカタログの中のエッセイで、服部は、日本のアール・ブリュット現象の最も重要な側面に人々が注目するよう呼びかけている。それは日本のアール・ブリュットが、作品制作のための作業場がある、主に、障がい者福祉施設に関連している点だ。その結果、2000年代初頭以降、日本の一部の社会福祉施設の代表者の努力により、日本のメディアでは「アール・ブリュット」関連の記事やニュースが出てくると、ほとんどの場合、障がい者が制作した作品のことを指すようになってきた。それは、創作物の美的側面ではなく、作品を制作した人達の社会的統合のための試みとして、作品の普及と発表に重点が置かれているからである。

確かに何十年も前、デュビュッフェが独自の研究をしていた時に、精神疾患と診断され、精神科施設と関係のある独学のアーティストの作品を多数発見したことは事実である。しかし、デュビュッフェは、アール・ブリュットの本質的な特徴を説明する際に、真のアール・ブリュットのアーティストが、精神疾患やその他の障がいを持っていると診断された人であるべきだと主張したことはない。

また、同じ2018年の展覧会のカタログの中で、服部は、日本におけるいわゆる日本のアール・ブリュット展の推進者や発表者は、一般的に「セラピストとしてアマチュアだった支援者」であることに言及している。

このような「支援者」が「美術批評家や学芸員といった美術の専門家であることは少ない。結果として日本では、アール・ブリュットの名のもとに、障がい者支援事業所や福祉行政が主導するかたちで、セラピーとアート活動の目的の違いが明確に意識されることなく、すべてを宙吊りにしたまま、それにもかかわらず世界に類を見ないほど旺盛に活動が行われている」と指摘している。

このような背景を踏まえた上で、日本のアール・ブリュットの最近の躍進により、独学で学んだ日本人作家の魅力的で独創的な作品に、国際的な注目が集まるようになったことを思い起こしてみよう。

2000年代初頭、アメリカ人のギャラリー・ディレクター、フィリス・カインドは、日本の現代アール・ブリュットの作家による作品を展示するアメリカ初のアート・ディーラーとなった。その頃、ニューヨークにある彼女のギャラリーと、毎年1月にニューヨークで開催される「アウトサイダー・アートフェア」では、寺尾勝広や湯元光男、新木友行、吉宗和宏といった作家のドローイングや他の作品が展示された。いずれも独学で制作をしていた作家達で、障がい者のためのアート制作の作業場を主な施設とする大阪の社会福祉法人「アトリエインカーブ」に所属している。

フィリス・カインドがこのような日本のアートに興味を持ったことがきっかけで、他のコマーシャルギャラリーや欧米の美術館でも作品が紹介されるようになった。

ニューヨークのキャビン・モリス・ギャラリーでは、30年以上にわたり、ヨーロッパのアール・ブリュットや・アメリカのアウトサイダー・アートなど、質の高い展覧会を開催してきた。数年前から、このギャラリーの創設者であるシェリー・キャビンとランダル・モリスは、日本のアール・ブリュット作品のさまざまな関係者と、個人的な関係を築いてきた。その中には、東京を拠点に活動する作家のモンマ(門間勲、作家名は名字のみ)や京都のギャルリー宮脇も含まれている。代表である宮脇豊は、日本の本物のアール・ブリュットを最も積極的に、かつ見識を持って発表をしている1人だ。彼のギャラリーでは、この分野の展覧会を開催し、注目すべき本を出版している。数年前、彼はキャビンとモリスに、取り扱っている作家の中で最も独創的な作家の1人で、名古屋を拠点に精力的に絵画やドローイングを制作している西村一成の作品を紹介した。それ以来、キャビン・モリス・ギャラリーでは、西村の作品を個展やアウトサイダー・アートフェアで発表してきた。

最近、シェリー・キャビンは、「アメリカでは、私達が最初に、齋藤裕一、富塚純光、舛次崇、柴田鋭一といった日本のアール・ブリュットの作家の作品を展示しました。日本と同様に、欧米の障がい者向けのアートの作業場にも創意工夫を凝らしたプログラムがあります。しかし、日本の作業場では、粘土やテキスタイルを使った独学の作家が、特に独創的な作品を制作していることに気がつきました」と私に語った。

2000年代初頭、日本のアール・ブリュットが欧米に紹介されたことをきっかけに、舛次崇の紙に描かれた大胆で洗練されたパステル調のドローイングや澤田真一の異世界の想像上の生き物を描いた土偶や彫刻、戸來貴規のインクで描かれた小さい抽象的なドローイングをひもで束ねた作品などに、人々は興奮しただけでなく熱狂的に反応した。

2008年には、アール・ブリュット・コレクションで、この3人を含む9人の日本人作家による展覧会「ジャポン」が開催された。後年には、欧州各地の会場の他に、パリのアル・サン・ピエールとナント(フランス北部)のル・リュー・ユニークでも重要な展覧会が開催された。

2012年には、オランダのハールレムにあるドルハウス美術館で「日本のアール・ブリュット」展が開催された。その後、展覧会のタイトルを「創造:日本のアール・ブリュット」と改め、ロンドンの博物館ウェルカム・コレクションで展覧会を開催し、46人の作家による約300点にも及ぶ多彩な作品をイギリスの観客にじっくりと見てもらうことができた。

「創造:日本のアール・ブリュット」展では、滋賀県のやまなみ工房に長年所属している河合由美子の立体的なテキスタイル作品や、女性のセクシュアリティをテーマにした魲万里絵の心理的な緊迫感が感じられる色彩豊かなドローイングなどを紹介した。

私はロンドンでの展覧会を見た後、『ジャパン・タイムズ』に批評記事を寄稿した。その中で以下のように述べた。「本展は、勝部翔太のビニール袋の紐で作ったミニチュアのアクションフィギュアの軍団や、古久保憲満の、時には幅が数メートルの巨大な紙に、色鉛筆とインクで描いた架空の街並みのドローイングなど、多様な制作動機や技法、テーマを持つ異色の組み合わせから成っている」

2017年にイギリスのマンチェスターにジェニファー・ローレン・ギャラリーを設立した若手アート・ディーラーのジェニファー・ギルバートは、ロンドン市内のさまざまな会場と、英国内の他の都市で展覧会を開催している。近年は、イギリスで日本のアール・ブリュットの作家の作品を展示したり、ニューヨークのアウトサイダー・アートフェアに出展をしている。最近のインタビューで、「2013年のウェルカム・コレクションでの展覧会は何千人もの来場者を集め、今でも人々の間で、話題になります」と語っていた。

一体どのようにして、日本のアール・ブリュットは、国内外でよく知られるになったのか? このようなアートの出現は、アール・ブリュットのもっと広範な歴史にどのような影響を与えてきたのか。また、国内外での評価の在り方に影響を及ぼした、アール・ブリュットについての最も差し迫った批評的な議論とは何か? Vol.2では、これらの疑問を検証していく。

Vol.2では、京都のアート・ディーラーである宮脇が、日本の鑑賞者による「このアートをもっと理解して、日本のアール・ブリュットの歴史を見直す必要がある」と語った言葉の意味を探る。宮脇は、日本ではこのようなアートを「どうやって探し、どうやって発見するかを知る目を養い、それを正しく見極めること」が必要だと主張している。

Translation Fumiko Miyamoto

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アート連載「境界のかたち」Vol.2 アートコレクターであり教育者の宮津大輔が考える、ポストコロナ時代のアートに求められるもの https://tokion.jp/2021/01/17/daisuke-miyatsu-is-thinking-about-art/ Sun, 17 Jan 2021 06:00:02 +0000 https://tokion.jp/?p=16837 ポストコロナにおけるアートを識者達の言葉から紐解く本連載。第2回はアートコレクターであり、横浜美術大学学長、森美術館理事を務める宮津大輔が登場。

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ビジネスからサイエンスに至るまで、アートの必要性を説くシチュエーションが激増している。コロナ禍で見える世界は変わらないものの、人々の心情が変容していく中で、その心はアートに対してどう反応するのか。ギャラリストやアーティスト、コレクターらが、ポストコロナにおけるアートを対象として、次代に現れるイメージを考察する。

第2回は横浜美術大学学長の宮津大輔が登場する。1994年、サラリーマン時代に現代アートの収集を始め、その審美眼がアート業界で注目され、京都造形芸術大学客員教授に就任した。長年にわたり、アートの収集を続け、国内外のアーティストとパーソナルな関係を築いてきた。現在は森美術館の理事でもある。2020年4月、横浜美術大学の学長に就任し、アーティストと社会の関係に焦点を当てた研究を数々の著書にまとめている。同年10月には、『新型コロナはアートをどう変えるか』(光文社新書)を出版。今回は、新型コロナウイルスによるパンデミックが現代アートのさまざまな側面に及ぼす影響について語った。

――美術教育の分野、特に横浜美術大学の学長としての新たな仕事と関心分野について教えてください。

宮津大輔(以下、宮津):以前勤めていたソフトバンクでは人事部に勤務し、社内研修制度の充実やシニア人材の活性化支援などを行っていました。現在は美術大学の学長として、大学運営の傍ら経済や社会と芸術の関係についての研究を行っています。アーティストやデザイナーが、社会の様々な問題解決に携われるようサポートしたいと常に考えています。

現代アートのコレクションをはじめて以来、世界中のアーティストやアート関係者とは密にコミュニケーションをとり続けています。英語が堪能ではなく苦労した経験から、日本語を解さない世界中の人達とどうやって意思疎通を図るかにフォーカスした「実践グローバル・コミュニケーション演習」というオリジナルの授業も受け持っています。学生が自分のアイデアや作品を、現在持っている語彙力を活用することで、世界中で発表するために必要なスキルを習得することを目指しています。

――宮津さんの新著と教育者としての仕事において、アートと社会との関係に興味があります。アートが時代形成にどのように関係するかということに重点を置いている理由を教えてください。

宮津:現代アートは英語の“コンテンポラリーアート”の翻訳です。 “contemporary”は、”現代の”という意味だけではなく”同時代の”という意味も有しています。従っていわゆる同時代性、つまり、今、この時代に表現されるべきコンセプトや問題意識を包含していなければ、真の現代アート作品とは呼べません。

社会に対してどのような問題意識を持っているのかが重要です。アーティストの中には“現代アート”という意味を誤解している方も少なくありません。現代アートとは制作された時代や様式的なものと誤解されがちですが、単なるスタイルではなく、同時代性を伝えるものであることを、優れたアーティストなら理解しているはずです。

――日本の若手アーティストは、アーティストとして社会で果たす役割や、特定の責任を伴うと感じているのでしょうか?

宮津:アーティストによって異なりますね。例えば、米国ではBlack Lives Matter運動や、保守的なドナルド・トランプ前大統領とリベラルなジョー・バイデン大統領による大統領選など人種、ジェンダーから経済政策、外交まで、身近に様々な社会問題が顕在化しています。あるいは民主化運動や国家治安維持法が自らの生命を左右する香港の政治的緊張も同様でしょう。良くも悪くも、そこに住む人々は自らの国や地域の現況について高い関心を寄せています。対照的に、政情や治安がより安定している日本では、若手アーティストが社会構造における問題把握し、作品化しづらいのも事実だと思います。しかし、3.11.以降は従来の”かわいい”アートも大分下火になり、優れたアーティスト達が現在の日本の状況を冷静に捉え作品化していると思います。

今や世界的なアーティストとなった村上隆さんは、日本におけるアニメーションの歴史と、西洋の遠近法とは異なる空間把握の視点「スーパー・フラット」を唱え、そのコンセプトに基づいた絵画・彫刻作品を発表、グローバルに活躍しています。市場評価システムとオリジナティ溢れる創造性を連動させ、世界中で成功を収めた稀有な日本人アーティストの1人と言えます。

ただ、若手アーティストに多くにとって、自身が内包する問題を社会と関連付けて正確に把握することは決して容易ではありません。少なくとも、日本は表面的には平和で安全であり、経済も他国と比べればそれほど深刻な状況に陥っているとは思えません。ですから、やや楽観的に感じるのかもしれません。

しかし、デジタル・ネイティブ世代である幾人かのアーティスト達が、ゲームやシンギュラリティあるいは多様な価値観をテーマにした優れた作品を生み出しており、日本の若者も「なかなかやるなぁ」と感心しています。

――一方でアーティストは自分の作品を展示する機会が必要ですよね。メディアによる芸術と文化についての活発なサポートが必要だとも思います。しかし、日本では、この種の批判的な議論が成立しづらいですし、メディアも積極的ではないように感じます。

宮津:まず、経済的な問題があります。日本のアートマーケット、特に現代アートの市場はその経済規模に比べて非常に小さいといえます。ニューヨークやロンドンなどの大きなマーケットでは、アートや哲学、美術史について十分な教育を受け、知見を持っている人々がギャラリー、オークション・ハウスに就職する傾向にあります。優秀な人材を惹きつける、高額な報酬や好待遇も用意されています。しかし、マーケットが小さい日本では、残念ながらアート業界は、金融業界ほど経済的に魅力的ではありません。また、批評家や批判的な議論が少ないことは、大きな問題でもあります。アート作品が評価され歴史化されてゆくには、言説による評価が必要です。それは、第二次世界大戦後に米国の抽象表現主義が、パリからニューヨークに芸術の覇権をもたらせた陰に、グリーンバーグやローゼンバーグら評論家の力があったことからも明らかです。しかし、日本では美術教育において、哲学や美学、美術史より技術的な側面にフォーカスが強く当たり続けているのが現状です。

また、日本ではほとんどのアーティストが美術大学や美術系の専門学校を卒業していますが、外国のアーティストは、建築や美術以外の分野、例えば人類学、医学、工学、文学、政治学などを学んでいることが少なくありません。これは、日本と欧米諸国との顕著な違いと言えますね。

――新型コロナウイルスのパンデミックが終息した後のアートはどのようになっていると思いますか? また、アーティストはどのような作品を作るべきだと思いますか?

宮津:新型コロナのパンデミックが終息し、通常の生活に戻るのにどれだけの時間を要するかは、誰にもわからないですね。しかし、アーティストだけでなく、私達のライフスタイルや考え方も必ず変わっているはずから、どのような作品が生まれ、それをどのように私達が読み解くのかは興味があります。

新型コロナウイルスのパンデミックは単なるウイルスの蔓延ではなく、私達の考え方をドラスティックに変える”トリガー(引き金)”であると思っています。これからのアーティストは、人間が生活する上で最も重要な問題が何であるかを考えながら作品を制作しなければなりません。例えば、それは海洋のマイクロプラスチック問題や地球温暖化のように、環境や地球の問題かもしれません。

日本では、米国のBlack Lives Matterのような社会運動はまだまだ少ないのですが、パンデミック終息後の未来を見据えて、アーティストは社会問題に対して敏感であるべきでしょうね。LGBTQ+に代表される多様な価値観の是認や新自由主義台頭以降コロナ禍を経て拡大し続ける経済格差など、多くの社会問題が中途半端なまま放置されていますから。

他方、アート市場はますます二極化すると思っています。コロナ禍によって全世界的に富裕層と貧困層の格差が拡大していますので、評価が確立したアーティストの高額な作品の値上がり傾向は続いていくでしょう。

ブルックス・ブラザースやバーニーズの破綻(いずれも米国)に代表されるように、中間層の経済的な落ち込みによって、数万ドルから数十万ドルの作品は厳しい局面を迎えると思います。好調業種の企業に勤めるビジネス・パースンや起業家によって、趣味性の高い廉価な価格帯の作品も好調に推移すると予測しています。

――今、日本の現代アートのトレンドにはどのようなシーンがありますか?

宮津:2011年3月に発生した東日本大震災による原子力発電所の事故以前は、日本の現代アートの多くは表面的なものが多く、海外ではよく”かわいいアート”と揶揄されていました。しかし、痛ましい災害の後には多くのアーティストが“原子力”や”放射能”の功罪を認識、作品化しました。日本人アーティストが、作品の主題に少なからず政治的なアプローチを取り入れ始めたのもこの頃です。

当時、日本人は”核”や”放射能”に対して多くの不安や恐れを抱いていました。一見、新型コロナウイルスの危険性と類似しているように見えますが、不可視という共通点はあるものの、実態は大きく異なります。ウイルスは生物ですから、私達自身の身体の中で生きています。哲学者のティモシー・モートンが言うところの「友達であり、殺人鬼」です。一方で放射能は、私達の寿命を超えて長く消えることはありません。パンデミックの後、アーティストが考えるべき問題意識は、従来の二項対立から脱して、ものごとをレイヤーごとに見極める視点が重要になってくる気がしています。

――個人的なコレクションについて教えてください。アートの収集を始めたのはなぜですか?

宮津:1994年、当時の同僚や同級生達が車やワンルーム・マンション、高級腕時計の購入を考えている時に、私にとって最初のアート作品を購入しました。昔から草間彌生さんの作品の大ファンで、美術館で彼女の『無限の網』を見て一目惚れしたからです。絵の前に立っているだけで、作品の中に自分が吸い込まれるような気がしたんですね。当時彼女の作品を扱っていた東京のフジテレビギャラリーから、1950年代初頭に制作されたドローイング作品を夏・冬ボーナス全額で購入しました。

コレクションが増えるにつれて、アーティストと出会い、友人のような関係を築くことに強く興味を持つようになりました。アーティストとの会話を楽しんだり、食事したり、時には一緒に旅をして、作品創作の源泉に触れる楽しい経験を重ねました。フランスのアーティストであるドミニク・ゴンザレス゠フォルステルとは家族ぐるみで付き合い、今も住んでいる家を設計してもらいました。1990年代は特に、フランスの美術評論家であるニコラ・ブリオーが唱える「関係性の美学」に感銘を受けました。ニコラが語る「アートを創るためのリレーショナル・アプローチは、人間関係や社会的な文脈と切り離せない。」という考え方に共鳴し、アーティストの友人達と自宅やライフスタイルまで一緒に作り上げたことを懐かしく思い出します。

現在は、映像やニュー・メディアを含む400点以上のアート作品をコレクションしています。世界中の美術館からの貸し出し要請に応え、持ち主以上に世界中を旅している作品もあります。しかし私にとってコレクションという行為は、単なる作品収集ではなく、アーティストと直接会い、語らい、食事や旅をして思い出を積み重ねることでもあるのです。社会とアートの関係性とは、実は友人関係のようなものなのだと思いますよ。

――アジアの現代アートマーケットについてのご意見をお聞かせください。

宮津:日本を含めてアジアの現代アート・マーケットは未だ成熟しているとは言えません。しかし中国や産油国が牽引するバイイング・パワーは大きく、上海や香港、台北では重要なアートフェアも開催されています。インドネシアや中国、インドのアートは世界から注目されていますし、それに伴って各国のマーケットも活況を呈しています。現在では新型コロナのパンデミックによって、多くのアートフェアがオンライン開催となっていますが、上海で昨年11月にリアルで開催された2つのフェアは非常に好調であったと聞いています。コロナ禍終息後も、アジアの現代アート・マーケットは発展し続けると思います。注目しておいて、決して損はないと思います。

宮津大輔
1963年東京都生まれ。横浜美術大学学長、森美術館理事。主にアートと経済、社会との関係性を研究しており、世界的な現代アートのコレクターとしても知られる。文化庁「現代美術の海外発信に関する検討会議」の委員や「Asian Art Award 2017」「ART FUTURE PRIZE・亞州新星奬2019」の審査員などを歴任。著書に『現代アートを買おう』(集英社)、『アート×テクノロジーの時代』(光文社)、『現代アート経済学II 脱石油・AI・仮想通貨時代のアート』(ウェイツ)など。NHK総合テレビ「クローズアップ現代+」や「NHKニュース おはよう日本」に出演するなど、メディアでも幅広く活躍している。

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