日本のアール・ブリュットの大胆でユニークな見映えとスタイル

近年、ヨーロッパでは「アール・ブリュット」、アメリカでは「アウトサイダー・アート」と呼ばれる、独学でアートを学んだ作家による作品のカテゴリーが日本で知られるようになり、いわゆる“日本のアール・ブリュット”が誕生した。この「アール・ブリュット」というのはどのようなアートで、今日の日本におけるより広範な芸術と文化の世界では、どのような地位を占めているのだろうか?

ヨーロッパでは、このようなアートの最も深いルーツは数世紀前までさかのぼることができるが、研究そして収集の分野としての近代史は、20世紀半ば頃に始まった。フランスの近代の美術家ジャン・デュビュッフェがフランス、スイス、ドイツで先駆的な研究を行い、「アール・ブリュット」という言葉を生み出したのが1940年代のことだった。

フランス語の「アール・ブリュット」とは、「生の芸術」を意味し、主流の文化や社会から外れたところで生きる人たちがつくった作品のことを指す。この作家達は、美術史を学ぶために美術学校に通ったり、作品を作るためにいわゆるプロの作家がよく使うようなテクニックや素材を使用しない。その代わりに、アール・ブリュットの作家の作品制作は完全に独学だ。彼等のような独学者は多くの場合、安価な塗料や道具とともに、古い段ボール、木くず、捨てられた家具や家庭用品を含むあらゆる材料を使って作品を制作する。

デュビュッフェは、「アール・ブリュット」の定義を練る上で、オブジェが、その定義に沿った作品として正確に捉えられるためには、いくつかの基準を満たすべきだと指摘した。第一に、オブジェは美術学校で教育を受けたものが制作したものであってはならない。その結果、一般的には、アール・ブリュットの作家によって作られた作品は、よく知られている主流の美術史のスタイルや批評的考察に関する対話には参加しない。

もちろん、芸術表現のほとんどすべての形態は、特定の場所の文化、歴史、考え方に根差しているが、デュビュッフェが指摘したように、アール・ブリュットの最良の例は、多くの場合、よく見かける文化とはほとんど関係のない、独自の世界から生まれた独特な作品であるように見える。

その結果、アール・ブリュットの極めつきの作品や、そのような作品を制作した作家は、「ビジョナリー」と形容される。彼らが制作する絵画やドローイング、彫刻やオブジェは、既知の世界の多様な状況の解釈や、空想の世界のイメージなど、非常に個人的なビジョンを表現している。(スイスのアール・ブリュットの作家、アドルフ・ヴェルフリのファンタジーあふれる宇宙や、アメリカのアウトサイダー・アーティスト、ヘンリー・ダーガーの大型ドローイングに描かれたモンスターと大勢の少女が住む土地といった作品に見られる)

デュビュッフェは、本物のアール・ブリュットの個々の作品と作家の全作品は、それ自体が独特なものであることを強調した。アール・ブリュットの作品の魅力的かつ分類しにくい性質が、このようなアートのファンの注目を集めている。

日本では、「アール・ブリュット」として知られるアートのルーツは、第二次世界大戦後の時期にさかのぼると言われている。

私は、2018年11月にスイスのローザンヌにあるアール・ブリュット・コレクションで「日本から見たアール・ブリュット、もうひとつの眼差し」展のキュレーションを担当した。※英仏2カ国語による展覧会カタログ『Art Brut du Japon, un autre regard/Art Brut from Japan, Another Look』(アール・ブリュット・コレクション&ファイブ・コンティネンツ、2018年) (ISBN 88-7439-846-1)、日本語版『日本のアール・ブリュット、もうひとつの眼差し』(国書刊行会、2018年)(ISBN 978-4-336-06334-2)

この有名な美術館は、アール・ブリュットを専門とした世界初のしかも一流の機関で、1976年に一般公開が始まった。デュビュッフェの個人コレクション約5000点が、この新しい美術館のコレクションの中核となっており、現在では、絵画やドローイング、彫刻、テキスタイルの作品など約7万点が所蔵されている。

甲南大学准教授の服部正は、美術理論と美術史を教えている。彼は『アウトサイダー・アート、現代美術が忘れた「芸術」』(光文社、2003)という素晴らしい本の著者だ。服部は、日本におけるアール・ブリュットのルーツを振り返り、2018年にスイスで行われた展覧会のカタログに、「日本で最初に障がい者の創作物に対する関心が高まったのは 1940 年前後のことで、1939 年 1 月に大阪朝日会館で、開催された『精神薄弱児童養護展覧会』はその代表的なものである。この展覧会の企画者が目指していたのは、障がい者に対する社会の関心が高まり、当時の日本では極めて不十分だった障がい者支援の法体系の整備が進むことだった」と記述している。

同じカタログの中のエッセイで、服部は、日本のアール・ブリュット現象の最も重要な側面に人々が注目するよう呼びかけている。それは日本のアール・ブリュットが、作品制作のための作業場がある、主に、障がい者福祉施設に関連している点だ。その結果、2000年代初頭以降、日本の一部の社会福祉施設の代表者の努力により、日本のメディアでは「アール・ブリュット」関連の記事やニュースが出てくると、ほとんどの場合、障がい者が制作した作品のことを指すようになってきた。それは、創作物の美的側面ではなく、作品を制作した人達の社会的統合のための試みとして、作品の普及と発表に重点が置かれているからである。

確かに何十年も前、デュビュッフェが独自の研究をしていた時に、精神疾患と診断され、精神科施設と関係のある独学のアーティストの作品を多数発見したことは事実である。しかし、デュビュッフェは、アール・ブリュットの本質的な特徴を説明する際に、真のアール・ブリュットのアーティストが、精神疾患やその他の障がいを持っていると診断された人であるべきだと主張したことはない。

また、同じ2018年の展覧会のカタログの中で、服部は、日本におけるいわゆる日本のアール・ブリュット展の推進者や発表者は、一般的に「セラピストとしてアマチュアだった支援者」であることに言及している。

このような「支援者」が「美術批評家や学芸員といった美術の専門家であることは少ない。結果として日本では、アール・ブリュットの名のもとに、障がい者支援事業所や福祉行政が主導するかたちで、セラピーとアート活動の目的の違いが明確に意識されることなく、すべてを宙吊りにしたまま、それにもかかわらず世界に類を見ないほど旺盛に活動が行われている」と指摘している。

このような背景を踏まえた上で、日本のアール・ブリュットの最近の躍進により、独学で学んだ日本人作家の魅力的で独創的な作品に、国際的な注目が集まるようになったことを思い起こしてみよう。

2000年代初頭、アメリカ人のギャラリー・ディレクター、フィリス・カインドは、日本の現代アール・ブリュットの作家による作品を展示するアメリカ初のアート・ディーラーとなった。その頃、ニューヨークにある彼女のギャラリーと、毎年1月にニューヨークで開催される「アウトサイダー・アートフェア」では、寺尾勝広や湯元光男、新木友行、吉宗和宏といった作家のドローイングや他の作品が展示された。いずれも独学で制作をしていた作家達で、障がい者のためのアート制作の作業場を主な施設とする大阪の社会福祉法人「アトリエインカーブ」に所属している。

フィリス・カインドがこのような日本のアートに興味を持ったことがきっかけで、他のコマーシャルギャラリーや欧米の美術館でも作品が紹介されるようになった。

ニューヨークのキャビン・モリス・ギャラリーでは、30年以上にわたり、ヨーロッパのアール・ブリュットや・アメリカのアウトサイダー・アートなど、質の高い展覧会を開催してきた。数年前から、このギャラリーの創設者であるシェリー・キャビンとランダル・モリスは、日本のアール・ブリュット作品のさまざまな関係者と、個人的な関係を築いてきた。その中には、東京を拠点に活動する作家のモンマ(門間勲、作家名は名字のみ)や京都のギャルリー宮脇も含まれている。代表である宮脇豊は、日本の本物のアール・ブリュットを最も積極的に、かつ見識を持って発表をしている1人だ。彼のギャラリーでは、この分野の展覧会を開催し、注目すべき本を出版している。数年前、彼はキャビンとモリスに、取り扱っている作家の中で最も独創的な作家の1人で、名古屋を拠点に精力的に絵画やドローイングを制作している西村一成の作品を紹介した。それ以来、キャビン・モリス・ギャラリーでは、西村の作品を個展やアウトサイダー・アートフェアで発表してきた。

最近、シェリー・キャビンは、「アメリカでは、私達が最初に、齋藤裕一、富塚純光、舛次崇、柴田鋭一といった日本のアール・ブリュットの作家の作品を展示しました。日本と同様に、欧米の障がい者向けのアートの作業場にも創意工夫を凝らしたプログラムがあります。しかし、日本の作業場では、粘土やテキスタイルを使った独学の作家が、特に独創的な作品を制作していることに気がつきました」と私に語った。

2000年代初頭、日本のアール・ブリュットが欧米に紹介されたことをきっかけに、舛次崇の紙に描かれた大胆で洗練されたパステル調のドローイングや澤田真一の異世界の想像上の生き物を描いた土偶や彫刻、戸來貴規のインクで描かれた小さい抽象的なドローイングをひもで束ねた作品などに、人々は興奮しただけでなく熱狂的に反応した。

2008年には、アール・ブリュット・コレクションで、この3人を含む9人の日本人作家による展覧会「ジャポン」が開催された。後年には、欧州各地の会場の他に、パリのアル・サン・ピエールとナント(フランス北部)のル・リュー・ユニークでも重要な展覧会が開催された。

2012年には、オランダのハールレムにあるドルハウス美術館で「日本のアール・ブリュット」展が開催された。その後、展覧会のタイトルを「創造:日本のアール・ブリュット」と改め、ロンドンの博物館ウェルカム・コレクションで展覧会を開催し、46人の作家による約300点にも及ぶ多彩な作品をイギリスの観客にじっくりと見てもらうことができた。

「創造:日本のアール・ブリュット」展では、滋賀県のやまなみ工房に長年所属している河合由美子の立体的なテキスタイル作品や、女性のセクシュアリティをテーマにした魲万里絵の心理的な緊迫感が感じられる色彩豊かなドローイングなどを紹介した。

私はロンドンでの展覧会を見た後、『ジャパン・タイムズ』に批評記事を寄稿した。その中で以下のように述べた。「本展は、勝部翔太のビニール袋の紐で作ったミニチュアのアクションフィギュアの軍団や、古久保憲満の、時には幅が数メートルの巨大な紙に、色鉛筆とインクで描いた架空の街並みのドローイングなど、多様な制作動機や技法、テーマを持つ異色の組み合わせから成っている」

2017年にイギリスのマンチェスターにジェニファー・ローレン・ギャラリーを設立した若手アート・ディーラーのジェニファー・ギルバートは、ロンドン市内のさまざまな会場と、英国内の他の都市で展覧会を開催している。近年は、イギリスで日本のアール・ブリュットの作家の作品を展示したり、ニューヨークのアウトサイダー・アートフェアに出展をしている。最近のインタビューで、「2013年のウェルカム・コレクションでの展覧会は何千人もの来場者を集め、今でも人々の間で、話題になります」と語っていた。

一体どのようにして、日本のアール・ブリュットは、国内外でよく知られるになったのか? このようなアートの出現は、アール・ブリュットのもっと広範な歴史にどのような影響を与えてきたのか。また、国内外での評価の在り方に影響を及ぼした、アール・ブリュットについての最も差し迫った批評的な議論とは何か? Vol.2では、これらの疑問を検証していく。

Vol.2では、京都のアート・ディーラーである宮脇が、日本の鑑賞者による「このアートをもっと理解して、日本のアール・ブリュットの歴史を見直す必要がある」と語った言葉の意味を探る。宮脇は、日本ではこのようなアートを「どうやって探し、どうやって発見するかを知る目を養い、それを正しく見極めること」が必要だと主張している。

Translation Fumiko Miyamoto

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author:

エドワード・ M・ゴメス

美術評論家、美術ジャーナリスト、キュレーター。ニューヨークと東京、スイスを拠点とし、日本の現代美術やアール・ブリュットに深く関わってきた。最近は、アメリカの美術文化誌『Hyperallergic』に「ヨコハマトリエンナーレ2020」についての記事を寄稿した。

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