菅官房長官とDJ NOBUのパイプ役を務めた寺田学衆議院議員に聞く クラブの必要性、コロナ以後の活動、これからの政治に必要なこと

DJ NOBU、スガナミユウ(LIVE HAUS)、篠田ミル、Lark Chillout、Mars89によって発起された、ライヴハウスやクラブをはじめとした文化施設が休業する際の助成金交付を求める署名運動「#SaveOurSpace」。その活動初期に撮られた、菅義偉官房長官に真剣な面持ちで嘆願書を手渡すDJ NOBUとの異例な2ショット写真を見た人は多いだろう。そのパイプ役を務めたのが寺田学衆議院議員である。音楽好きとして知られ、以前はクラブやフェスティバルにも時間と状況が許せば赴いており、イヴェンターの友人も数多くもつ。2020年6月3日の「STUDIOCOAST」(そのクラブイベントがageHa)が始めたクラウドファンディングのシェアに発せられた寺田議員のツイートは、筆者の記憶を一気によみがえらせた。

「『ageHa』で踊った夜。帰りの『すき家』。赤いオクタゴンスピーカーを頭上に抱きながら、好きな音楽と仲間に囲まれた空間は至福の時でした。あの空間を救うために皆さんにもお願いを」

行かない人にとっては危なっかしい場所の代表格の1つに挙げられてしまうクラブやライヴハウスだが、愛好者がもっている思い出は素朴なものが多いはずだ。現地に行く前に友人や恋人と飲んだ酒。人であふれるフロア。目当てのアーティストが登場し興奮した瞬間。スモーク。ライト。レーザー。クラブを出た時に浴びた朝方の爽やかさ。帰り道。おそらくスポーツ観戦をする時と、さほど変わらないフロアの盛り上がりが最高潮に達した瞬間は、逆転ホームランに観客が総立ちで歓声を上げる時のようなものだろう。

そういった、日常からちょっとだけ離れた時間の過ごし方がはばかられるようになって久しい。いったん落ち着きを見せた新型コロナウイルス感染者の数は、東京に限らず、各地で再び増加の一途をたどり、さらに不安を煽ってくる。いつになったら明けるのかもわからないまま時がたつ一方だが、リスナーは待つことができても、現場に関わる人にとって“待つ”ことは死活につながる。

リスナーができる抜本的な解決策はおそらくなく、寄付をする、お気に入りのクラブ・ライヴハウスの配信があれば投げ銭をする、アーティストの曲を聴く、買う、再開されつつあるいくつかのイベントが安全であれば赴く。そのくらいの地道なことしかできない。しかし、それらがどれだけ役に立っているのかは正直、不透明である。あとは国のサポートに頼るしかないというのが正直なところだろう。

寺田議員は、そういった問題の先頭に立って活動をしていた。「#SaveOurSpace」は助成・補償という点では望むべき結果が得られなかったが、多くのアーティストが連帯し、署名をし、政治というこれまで目を逸らしていた領域に踏み込んでいったことは、とても誇らしいと感じた。さらには、アンダーグラウンドで底流している音楽を好きでいてくれる寺田議員がいること、関心をもってくれる政治家が現れたことは多少なりとも安堵につながった。もし誰も手を差し伸べてくれなかったら、いちるの望みもなくなっていたんじゃないだろうか。まだまだ戦いは続くが、この数カ月のこと、好きな音楽、交友関係などについて寺田議員に広く話を聞いた。

感性の集合体こそが議会である

――本当の意味での明るいニュースが、海外からも未だに届かない状況が続いています。頻繁にチェックをしているのですが、どこどこのフェスティバルが延期、中止、どこそこのクラブは閉店、営業形態の変更といったニュースが並びます。プレイヤーを支えるのはリスナーなわけですから、継続を手助けするにはどうすればいいんだろう、という答えが正直見えてこない。国に頼るしかないというところで「#SaveOurSpace」の取り組みがあったと思うのですが、非常に有意義だったと感じた一方で、無関心な人が圧倒的多数であることが明らかになってしまいました。

寺田学(以下、寺田):風営法の改正の時も感じたことですが、無関心というよりもやはり強い偏見があります。本質がわからないまま立法をしたり、行政の指導を決めたりするので、すっきりとしない結果になってしまいました。簡単な言い方をすれば、夜中に人が集まって暗いところで音楽を聴きながらお酒を飲んだら悪いことをするという、固定観念が崩れなかったんですね。“悪いこと”は起こり得るだろうけれども、それはクラブに限ったことではないですし、イベントが行われることによって新たなものが生まれる側面のほうが大きいはずです。

私は政治家として15年活動をしているのですが、2年間落選により政治の世界から離れていたんですね。その前に風営法の改善の立ち上げをある程度やり、動き始めた時に落ちて、戻ってきた時には概要ができてしまい、それ以上、私が触れられない状態になってしまっていた。

――確かに、何の関わりもない人が勝手なイメージで勝手に決めているという印象しかないですね。

寺田:僕が好きなクラブミュージックはヨーロッパにおいてはすでにメジャーになっていて、例えば、2012年に開催されたロンドンオリンピックの開会式ではアンダーワールドが音楽監督をしていました。そのくらい多くの人にとってなじみがあると、法改正においても、行政においても、こういった状況下においてもサポートがしやすくなるのですが。

――おっしゃる通りですね。ただ、どうしてなじみのないものになってしまったのか、というのが判然としないんです。現代の特に東京の文化形成において、電子音楽やフロアでダンスすることは密接だったと考えられます。それにもかかわらず、クラブカルチャーが隅っこに追いやられている。その理由が全くわからないんです。

寺田:大上段に構えて言うことではないかもしれませんが、日本人は喜んだり楽しんだりすることに対する背徳感を持っていると思うんですね。休んだり、楽しんだりすることが申し訳ないという感情を抱く人が、おそらく多い。子ども達も自由に歌えないし、踊れないし、決められたものの形の中でしか行動ができないので、社会のベース自体が楽しんではいけない、喜んではいけない、騒いではいけないという風になっている。ヨーロッパに行くと、おじいちゃん、おばあちゃん世代の人までクラブに行くわけですから、生涯をかけて楽しむ、その1つのシーン、場であるわけです。

日本人もみんなが楽しみたいという欲求をもっているはずなのに、世間体を気にしたり、教科書に書かれている道徳と言われる物事ばかりが求められることにつまらなさがあると思います。それを今回の新型コロナの問題は拍車をかけてしまった。今後、より一層のモラル、行儀の良さが求められるようになってしまう気がしますね。

――共産党の小池晃議員のYouTubeに登場した、「#SaveOurSpace」をフィーチャーした回(https://youtu.be/vMaPHwP5uBI)を拝見しました。そこでも話題となっていましたが、海外からの旅行者が夜遊ぶヴェニューといったらクラブなわけですよね。それを絶やすと、つまらない国だと思われてしまう、と。

寺田:おいしいものを食べて、夜お酒を飲みに行って、日付が変わったくらいでクラブに行って、音楽やそこで遊んでいる人達と触れ合うということは、旅の楽しみの1つのはずです。無事に新型コロナウイルスが収束し、来年、東京オリンピックが開催できたとしても、遊び場がない、さらには行儀の良さばかりを求められ、23時にはホテルに帰ってくださいと、もし言われてしまったら間違いなくつまらない思いをさせてしまいますね。

――そういったことに対して、国会議員の方々は危機感を持たないのでしょうか?

寺田:第一に関心がないんでしょうね。ナイトタイムエコノミーという夜間経済を促進させる取り組みが、東京オリンピックと連動して動いていたのですが、それもコロナでなくなってしまいました。他の国も手探りではあるものの、ヨーロッパに関してはクラブ/音楽シーンに対してとりあえず嵐が過ぎ去るまでは踏ん張って欲しいと、選別せずに思い切って財政援助をしていました。土壌全体に水をやって、どういう木が生えるのかわからないけれども与え続けて保つというのは、やはり本場だなと感じましたね。

――この国を動かす人々の意識こそが一番の問題ということですね。

寺田:国会も地方議会も、何百人と定数を決めて集まっているわけです。私は感性の集合体が議会だと思っているので、全員が関心をもっていることだけを“One of Them”でやっていてもしょうがない。人によって異なる感性がチャネルとなって集まると、社会全体を良くしていける可能性が生まれてくる。

他の人がクラブに行っていたのかどうかは正直わからないのですが、クラブが好きだった人間としてやらなければならない、と。小池議員を含め、クラブミュージック自体はよくわからないけれども、大切だと思ってくれる人が出てきてくれたので、あとはそういった方々の大きな力に任せようと思っていますが。ただ、官房長官にDJを会わせるというのは、なかなかな挑戦だったと思いますね(笑)。

交友関係、好きな音楽とクラブでの思い出

――DJ NOBUさんとはもともと、知り合いだったんですか?

寺田:いや、それまでお会いしたことはなく、リスナーの1人でした。「Rainbow Disco Club(東伊豆で開催されている野外音楽フェスティバル。以下、RDC)」の主宰者が友人なので、NOBUさんのDJはたびたび聴いていて。「#SaveOurSpace」からの陳情があって、ひと肌脱いでくれないかなと思いコンタクトをしてみたら快諾していただけたので、すぐに官房長官に連絡をしましたね。

――音楽好きということは知っているのですが、寺田さんはその現場に関わっている方との交友関係も幅広いですよね。そういったことや寺田さんご自身の音楽に関するバックグラウンドについて教えていただけますか?

寺田:妻も音楽が好きで、2人でよく行っていた「ageHa」の「CLASH」というテクノのパーティがあったんです。2011年、東日本大震災が起きた週末、それが行われる予定だったのですが、SNSに「CLASH」のオーガナイザーの荒木康弘が「海外のアーティストの来日が軒並みキャンセルになってしまうけれども、東京の夜は元気でいなければならないから頑張る」といったことを書いていたのを見て。当時、私は内閣総理大臣補佐官を務めていて、震災の対応をしている最中の息抜きに、職業も明かして彼に「頑張って下さい。イベントによく遊びに行っていたんです」とメールを送ったんです。初めは信じてくれなかったのですが、やりとりをするようになって、同じ年齢だということもわかって仲良くなり、彼を通して交友関係が段々と広がっていきました。「RDC」の主宰者もその1人で、荒木の奥さんが私の事務所の秘書をしていたり、不思議なつながりが生まれていきましたね。

――なるほど、おもしろい繋がりですね。聴きに行くのはテクノが多いですか?

寺田:そうですね。でも、ロックやパンク、ヒップホップも好きですよ。テクノをクラブに聴きに行くようになったのは大人になってからですね。確かによくクラブに行っていますが、仕事はちゃんとしてますよ(笑)。

――(笑)。ダンスミュージックが好きだから軟派というのこそステレオタイプですよね(笑)。お酒を片手に音楽を聴いて踊ることがなぜ、軟派なのか……。

寺田:また海外の話になってしまいますが、病気が治った母がサグラダファミリアを見たいと言ってスペインに連れて行った時、家族とイビサに宿泊し、音楽が中心となっているエリアを体感しに行ったことがあるんです。パーティアイランドって呼ばれたりしますし、スペインの中でも偏見が多少はある場所ですけれども、私が見る限りは、ただ老若男女が夕日をバックに音楽を聴きながら踊っている、幸せな光景が広がっているだけでした。

――そこに暮らしている人からすれば、お祭りの1つなわけですよね。

寺田:音楽は大きな観光収入にもなるし、その土地のブランドイメージにもつながります。「RDC」が行われている東伊豆の町役場の方と仲良くさせていただいているのですが、その方は一生懸命「RDC」を手伝っていて、徹夜で現場の面倒を見たりしています。誤解さえ解ければ、地域に貢献できるものだと思うんですよね。

――思い出深いアクトとかパーティはありますか?

寺田:うーん……自分が好きなものを選んで行っているので、すべて好きですけどね。アクトの間って無我夢中だから、記憶としてよみがえるのは、こぼれたお酒とかで床がベタベタになって自分の靴の裏が真っ黒になっていたこととか(笑)、「WOMB」だったら冷たいコンクリートが皆の息で湿っている感じとか、そういった音楽とは関係のないことだったりします。

――大した記憶ではないかもしれない思い出深いことが、何のリスクもなしに味わえなくなってきているというのは多くの人が抱えていることかもしれませんね。

寺田:音楽を聴いて身体を動かしたり、声を出したりすることは人間の本能としてあります。今回の新型コロナウイルスは間接的にそれを奪っていきますからね。人と触れ合うことを避けさせることは、生まれるはずだった何かをどんどん潰すことにもなる。

どんなことでも言ってほしい

――寺田さんが取り組まれている性風俗分野のサポートは現状、どのようになっているのでしょうか?

寺田:4、5月に休業補償が発表されましたが、そこで明文的に性風俗業で働く人が除外されたんです。それはおかしいと、菅官房長官と話をして政府の方針を再考させました。われわれのような永田町で仕事をしている人間は、性風俗で働いている人達がどういった家庭環境や経済状況で、どういった理由でそこで働いていて、今仕事がなくなってしまったら、どういった影響が出るのかということを、クラブミュージックの話と同様に想像しにくいわけです。風俗で働いている人=道を外れた人、くらいにしか考えていない。性風俗で働いている人に関しては、できる限り改善ができ、フリーランスで働いている方は持続化給付金がもらえるようになったので、多少なりともお役に立ったかなとは思っています。

アダルトグッズを販売している企業から相談を受けたこともありましたね。彼らが販売しているものは、お茶の間で見られるものでは当然ないけれども、みんなで会社を作って、社員の生活を支えているから何とか助けてほしい、と。性風俗業界に対して金融機関は貸し付けをしないことが多く、本当にお手上げの状態でした。連絡をくれた方はアダルトグッズの卸をやっていて、直接販売をしていないから法律上は借り入れが可能なはずなのだけれども、性風俗の一種ということで、コロナ支援を受けられなかった。ダメ元でいろいろな人に連絡していたうちの1人が私で、それから都議会の仲間にも相談して、何とか支援が受けられるように汗をかきました。

新型コロナウイルスの問題によって浮き彫りになったのは、そういった差別です。音楽業界の人達もあえて政治家や行政とは付き合わないというところがあったと思うので、助けを求めたい、いざという時にアプローチがしにくい、躊躇してしまうというのも明るみに出たと思います。

――そこのコミュニケーションを図ることができれば、後々はもっと良くなるのでしょうか? 簡単に言ってしまいますが。

寺田:みんなに政治に関心を持ってほしいと行儀良く思うわけではないけれども、この国で生活をしている以上、思っていることや困ったことがあったら、政治家に意見をしたり、助けを求める権利は当然あります。そこを躊躇なくやれる間柄を作ることができれば良いし、その間に立てる人がもっと多くいれば良いのかもしれない。私がどのくらいの役割を果たせているのかは分かりませんが、さまざまな経験を持っている人達が政治の中に入ってきてくれれば視点が増え、いろいろ動き出す可能性が高くなっていきます。

私自身が言いたいのは、どんなことでも言ってね、ということなんです。こちらはどんなことでも聞くから、というのが総意です。

――まだ声が届ききっていない感じはありますか?

寺田:どうせ助けてくれないんだろうという思いは強いのだと感じます。ただ、「#SaveOurSpace」の件でも根本的なところでは助けられなかったし、愛すべき「WOMB」も無期限休業を発表してしまったし……。どういう助け方があったのか、今でも正解を導き出すことが難しい。

当時、クラブやDJを助けてくださいと政府に言った時に、レストランなどの飲食店はどうするんだ、と言われたんです。しかし、せめて自粛要請を名指ししているところに関しては、補償をするべきだと未だに思っています。首を絞めておいて助けないというのはナシでしょう、と。

――そうですね。答えがわからなくてもそこに留まっているわけにもいかないでしょうから、何か困っていることがあったら、まず寺田さんに連絡・相談を、ということで良いでしょうか?

寺田:もちろん。助けられるのであれば助けたいですから。音楽が好きで、その中に身を浸していた人間なので、ある程度、言語や価値観が通じる部分はあると思っています。

寺田学
1976年、秋田県横手市生まれ。横手高校、中央大学経済学部卒業後、三菱商事に入社。2003年、秋田1区から衆議院議員に初当選。内閣総理大臣補佐官在任時には、震災対応や雇用対策、待機児童対策、行政改革や社会保障の充実などに尽力。国会では、在外公館や海外進出企業の環境改善などの外交力強化、秋田産品の海外展開や秋田の魅力発信などの地域力強化、議員立法による多様な教育機会の確保などの人口減少や少子化対策に取り組む。秋田においては、秋田港の日本海側拠点港湾指定や日本海沿岸東北自動車道の開通、卸売市場や太平低温農業倉庫の整備などに尽力。イージス・アショアの新屋配備計画の問題について、国会質問や地域住民との協同を通じて反対の立場から取り組む。内閣総理大臣補佐官、衆議院外務・総務・内閣・財務金融・決算行政監視委員会筆頭理事等を歴任。現在、衆議院安全保障委員会委員、政治倫理審査会筆頭幹事、超党派フリースクール等議員連盟事務局長。5期目(無所属)。http://www.manabu.jp/

Photography Teppei Hori

author:

大隅祐輔

福島県福島市生まれ。編集者・ライター。武蔵野美術大学 芸術文化学科を卒業した後、いくつかのメディアを経て、2016年にフリーに。ライフワークとしてテクノとアンビエントを作っており、現在、アルバム制作中。好きな画家はセザンヌとモネ。

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