ブライアン・イーノ Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/brian-eno/ Sat, 09 Dec 2023 02:08:44 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png ブライアン・イーノ Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/brian-eno/ 32 32 声と音の臨界点に辿り着いた穏やかな凪の地平 ブライアン・イーノ初のオーケストラとの競演レポ https://tokion.jp/2023/12/08/report-brian-eno-the-ship/ Fri, 08 Dec 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=218299 10月24日クリスチャン・ヤルヴィを指揮者に迎えて楽団と共演したブライアン・イーノのコンサートツアー「THE SHIP」のベルリンでの公演を振り返る。

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ブライアン・イーノの50年にわたるソロ活動における初ライヴツアー。オーケストラとの共演は今回が初。高くなった期待値を軽やかに超え、張り詰めた緊張を解きほぐすかのような穏やかで雄弁な時間だった。特別なベルリンフィルでの一夜を振り返る。

そもそも「THE SHIP」とは、2016年にリリースされたブライアン・イーノ自身の歌声や豪華な客演による語りをも「音」のひとつとして駆使したコンセプチュアルなアルバムの名前だ。しかしながら、本年もフレッド・アゲインとのコラボアルバム『Secret Life』のリリースをはじめ、数多くの楽曲をプロデュース・リリースしてきたイーノがなぜ未だに『THE SHIP』の音楽を聴衆の前で披露する必要があったのだろうか。膨大な楽曲群から、そこに拘泥し続けるにはどんな意図があるのだろうか。コンテクストなしにコンサート本編を語るには、彼の意志と機知をあまりにも無視していて、幾分もったいないように思う。そこでアルバム自身と彼の音楽遍歴の一片前段について少しだけ整理してみよう。

“沈没船”や“戦禍”をテーマに据えた作品

「THE SHIP」は、第一次世界大戦の戦禍そのものとタイタニック号にインスピレーションを受けて創作された作品だ。

氷山に衝突し、沈むことを前提に乗客の不安を宥めるかのように楽団が演奏を奏でたという楽団の生き様。そして歴史的背景をもとにアルバムを注意深く聴けば、20分にわたる壮大な表題曲をはじめ、イーノの歌声やさまざまな亡霊のような語り。声や教会の鐘の音、環境音が断片的に、しかしあくまで自然に耳に入ってくる。そしてヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「I’m set free」をモチーフにした「Fickle Sun (iii) I’m Set Free」でアンビエンスやシンフォニックな音像景色から1つのポップソングとしても捉えられるメッセージを主題にしたイーノ自身による歌声で穏やかに大団円を迎える。

「アルバム『The Ship』は、声を駆使しながらも、特に歌という形に頼らないという珍しい作品です。これはある雰囲気の中に、時折声の主が持つキャラクターが顔を見せ、音楽によって生み出される曖昧な空間に、いつの間にかそれらのキャラクターが迷い込むような作品になっています。背景には戦時中の感覚があり、また必然性があります。またオーケストラにぴったりのスケール感、そして多くの人々が協力し合っているような感覚もあります」。

とイーノ自身は語る。そうだ。今作は2005年の『Another day on earth』以来11年振りにヴォーカルをフィーチャーした作品だという点についても、触れておきたい。「歌」ではなく楽器と調和した「音」としての声の重要性を捉え直す試みがなされている。

その意図を証明するかのように、沈みゆく船で演奏していた「楽団」と織りなすサウンドがアルバムと本公演の肝である。今回は、2023年に新たに再録したクリスチャン・ヤルヴィを指揮者に据えたバルト海楽団による演奏がなされている。彼等を起用した理由を以下のように語る。

「私が音楽を演奏するように、演奏することのできるオーケストラを求めていました。楽譜だけでなく心で演奏するオーケストラ、若くてフレッシュで情熱的な演奏者をです。バルト海フィルハーモニー管弦楽団を初めて見た時、彼等がそれらすべてを持っていることを確信しました。そして彼等が海の名前を冠していることに気付いたのです。それが決め手でした!」

北欧10カ国の音楽家で構成されている彼等は、歴史的に分断された地域の結束を象徴し、前ドイツ首相アンゲラ・メルケルから「国際理解を体現し、音楽を国境を越えて理解できる永遠の言語として用いている」と賞賛されたそうだ。

また、バルト海楽団の特徴は記憶だけを頼りに、立ったまま、演奏する独特のアンサンブルが特徴だ。従来のオーケストラとは一線を画している。相互にインタラクションのあるライヴ演奏。クラシックというジャンル的な敷居はなく、「音」を体現することを目的とした公演なのだ。

そうした協奏と自由な精神性はイーノの本質である実験精神と知的好奇心を刺激したに違いない。 

「この公演に参加するすべての人は、隣の人と同じように重要です。誰もが等しく重要であり、交換可能でも使い捨てでもない。オーケストラが演奏を行うのではなく、本当の意味でバンドであり、『演奏そのもの』であることが、ブライアンと私の考えるこのコラボレーションのユニークな点です」。

と本公演前に指揮者であり、創始者のクリスチャン・ヤルヴィは語っていた。昨年京都で行われていた『音と光の展覧会「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」』でも『THE SHIP』がブースになっていた通り、本公演はイーノのキャリアの中で1つの到達点でもある。

こうした背景から察するに「THE SHIP」で描いたテーマは世界情勢に昔から目を向け、常に発信をしてきた彼が現在共有したい大きなトピックそのものであり、同時にそうした思想性やコンテキストとはかけ離れた純粋な音そのものによる喜びの発露なのだろう。

長くなったがこれらを踏まえて、本編を振り返る。

『THE SHIP』すべての楽曲を披露した前半。戦禍と沈没。それから解放を描き切る

イルカの群れが舞い踊る。沈みゆく船を抱き止めるように。人々の営みを愛しむかのように、穏やかに。船からはさまざまな亡霊達の言霊が反響する。『新たな幻想を見つけるために私は自由になる(I’m set free to find a new illusion)』。そのルー・リードの歌詞フレーズとともに、アングルは船底から凪になった波間、そして次の地平を映し出す。そんな感覚をあとから覚えた。

最初に披露されたのは『THE SHIP』の1曲20分を超える大作だ。立ったり、しゃがんだり楽団員も指揮者も動きを加えることで、観客の視線を飽きさせない工夫がなされている。暗い照明のなかではあるが、目を凝らせばイーノを舞台の中央後方に据えて、楽団がその手前全体を囲い込むように座っている。イーノと横並びの立ち位置にいるピーター・セラフィノヴィッチもカメオ出演し、長年のコラボレーターであるギタリストのレオ・エイブラハムズとプログラマー/キーボーディストのピーター・チルヴァースのサポートのように見受けられるが、どうだろう。

続く2曲目はアルバム同様ハープから始まる組曲「Fickle Sun(i)」だ。緊張感の高いこの楽曲はイーノの歌声がより際立って聴こえる。深みのあるバリトンボイスが会場を包むと、深い瞑想状態に入ったようにも感じられた。そして楽曲中盤、楽団の音が一層激しさを増した頃に1つの閾値の音量を弾き出す。柔らかくも力強く会場に音が反響する。

「Fickle Sun(ii)The Hour Is Thin」になると、冒頭のトラックはアルバムのハープからピアノに様変わりしている。そして客演した俳優ピーター・セラフィノウィッツによる朗読が始まる。気付けば楽団員の姿はない。そして大団円となる「Fickle Sun(iii)I’m set free」で手前の楽団員が悠然と歩きながら、(クラシックコンサートで楽団員が動き回るのを見たことがない)交わっていく。指揮者のクリスチャン・ヤルヴィとイーノは目配せをしながら柔らかくも底知れない音像を描き出す。

そして、再びイーノによる歌声で「I’m set free」と言葉を放つ時、アルバムのコンセプト通りに沈没船に乗船し、自身も海の底に沈んでいった感覚から、視点が切り替わり凪になった水面まで底から浮上し、波間から空気を吸い込んだかのような解放感があったのだ。何も解決したわけではないのに、ああ、生きてきてよかったと感じられるようなチャプターの閉幕。そしてまだ何も刻まれていない章へと人生のページを捲る感覚があった。

舞台としても、音楽としてもこれ以上ないくらい研ぎ澄まされていながら、温かみのあるイーノと若々しい楽団の勢いのある音の調和を聴くと、こんな世界も悪くないと思えてしまうのだ、皮肉なことに。一呼吸置いてMCでこのバンドの名前を考えたんだ、と茶目毛を交えて嬉しそうに語る姿から達成感が滲んでいた。

代表曲『Dawn by the Rriver』等を惜しげもなく披露し歌としての魅力を讃えた後半

1977年発売の『Before and After Science』から悲しみと慈しみに満ちた「By this River」。これもまた奇しくも水辺である川を題材にした楽曲だが、ハープとともに少し風邪気味でしゃがれたイーノの生の声で聴くと、ここまで温かみがあったのかと思い知らされる。そしてまた先ほどの「THE SHIP」を踏まえて聴くと、亡くなった人との時世を超えた交流の楽曲にすら聴こえてくるから不思議だ。

続くのは2022年発売のアルバム『FOREVERANDEVERNOMORE』から、1曲目の「Who Gives a Thought」だ。歌詞について読み解けば気候変動と、資本主義社会で蔑ろにされる労働者階級やそれよりさらにもっと小さな存在に対する意識に警鐘を鳴らすような言葉が並ぶ。これがコロナ禍に作られたことを考えると今の世界情勢は、よりひどいものになっているのだが、彼の音楽や言葉はそういう背景をすべて無視できるくらいに残酷なほど音として雄弁で豊かなのも感じられる。説教くさくなく、耳触りがいいのだ。

本編の最後を飾ったのは2005年発売のアルバム『Another Day on Earth』から「And Then So Clear」だ。この頃になると指揮者のクリスチャン・ヤルヴィの好奇心に満ちた動きとボルテージは最高潮に達していて、リズムとともに一緒に跳ねるように指揮をしているのだ。沈み込むような楽曲が並んでいたがここにきて、多幸感に満ちた時間が流れていた。

会場はいわずもがなスタンディングオベーションだった。そして「音楽はとてもいい気分にさせてくれるものだよね?」とクリスチャン・ヤルヴィの言葉に会場は一気に沸いたが、「一応アンビエントのコンサートということで、リスペクトフルに」というイーノの鶴の一声で、いったん高まった熱を落ち着かせることができた。空間を司っているのはやはり、イーノだと思った。

そして、アンコールには『FOREVERANDEVERNOMORE』から「Making Gardens Out of Silence」では、ゲストヴォーカルのピーター・セラフィノウィッツとソプラノ歌手で作曲家のメラニー・パッペンヘイムが再びステージに呼ばれた。楽曲冒頭は自宅の小鳥のさえずりをサンプリングするところからアプローチしたというこぼれ話まで飛び出した。

公演最後の一曲として2005年発売のアルバム『Another Day on Earth』から「There Were Bells」が披露された。歌声が高らかに響き、もはやクラシックでもアンビエントでもない1つの新しいブライアン・イーノだけになし得るコンサートの在り方を示して、幕は閉じた。

未だ現代音楽の境界線にチャレンジし続けるイーノの音楽は、彼が1970年代に長く滞在した、さまざまな音楽史に残る偉業を果たしたこの街、ベルリンで再び更新されたのだ。

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ブライアン・イーノの最新アルバムのインスト・ヴァージョン『FOREVER VOICELESS』がレコード・ストア・デイ限定のクリアヴァイナルで登場 https://tokion.jp/2023/03/13/brian-eno-forever-voiceless/ Mon, 13 Mar 2023 09:30:00 +0000 https://tokion.jp/?p=175131 ブライアン・イーノの最新アルバムのインスト・ヴァージョン『FOREVER VOICELESS』が4月22日にレコード・ストア・デイ限定のクリアヴァイナルで発売

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「ワープレコーズ(Warp Recodes)」がブライアン・イーノの最新アルバム『FOREVERANDEVERNOMORE』のインスト・ヴァージョン『FOREVER VOICELESS』を、4月22日にレコード・ストア・デイ限定のクリアヴァイナルとエコ・パッケージで発売する。

最新のスタジオ・アルバム『FOREVERANDEVERNOMORE』は全体を通して彼のヴォーカルがメインに据えられており、2005年の『Another Day On Earth』以来のヴォーカル・アルバムとして、多くの批評家から賞賛を浴びた。オリジナル・ヴァージョンは、ゆったりとしたコード・チェンジの上に実験的に音色を乗せることで、時に賛美歌的な、時に黙示録的な美しさを内包する作品となっている。

今回発売される『FOREVER VOICELESS』は、『FOREVERANDEVERNOMORE』から自らのヴォーカルを取り除き、焦点を音楽に戻している。同作品はウェスト・ロンドンとノーフォークにあるイーノのスタジオで制作された。現在進行中の気候変動の問題に対するリアクションというアルバムのテーマは、インスト・ヴァージョンのドラマティックで繊細な音の風景の中でより鮮明になる。

「アーティストとして音によってさまざまな雰囲気やムード、世界を創り出してきたが、今回描いたのは人間の存在している風景である」とイーノは語る。歌声を取り除いた新たなトラックは、イーノがこれまでに作り続けてきた私達が旅することのできる音の世界と言える。

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「ジャパンビエント」の傑作はいかにして誕生したか——広瀬豊、インタビュー -後編-アンビエントとも環境音楽とも異なる「自然=畏怖」の響き https://tokion.jp/2022/06/28/interview-yutaka-hirose-vol2/ Tue, 28 Jun 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=128374 日本アンビエント史に燦然と輝く名盤『Nova』から36年ぶりの新作アルバム『Nostalghia』をリリースしたサウンド・デザイナー、広瀬豊にインタビューを実施。後編はブライアン・イーノや新作に横たわる「怖さ」、日本独自のアンビエント観について。

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「ジャパンビエント」の傑作はいかにして誕生したか——広瀬豊、インタビュー -後編-アンビエントとも環境音楽とも異なる「自然=畏怖」の響き

1978年にブライアン・イーノが提唱した「アンビエント・ミュージック」は、特定の空間における環境的独自性を際立たせるアンビエンス(雰囲気)としての音楽というコンセプトを当初は打ち出していた。他方で現在、アンビエント・ミュージックと言えばミニマルで穏やかなサウンドの音楽ジャンルを指す名称として、エレクトロニカからBGMや環境音楽まで含む総称として曖昧に流通している。つまりイーノの音楽からコンセプトが抜け落ちて音のイメージだけが継承されているとも言えるが、テン年代を通じたアンビエント再評価の流れがもたらした功罪相半ばする結果の一つは、公共施設や居住空間などの音のデザインを目指して制作された環境音楽を、アンビエント・ミュージックの1種として再解釈し、実用性から離れて音盤上で楽しむことを可能にした点にあるだろう。日本の環境音楽の価値もそのようにして再発見されているところがあるように思う。

このたび完成したサウンド・デザイナーの広瀬豊による36年ぶりのセカンド・アルバム『Nostalghia』も、同様の流れで新たに価値が見出されたのだと言うことはできる。ただしその限りではない。第一に、もともと公共の施設で流すために1987~91年に制作された音源を、制作者である広瀬自身がアルバムとして「音楽化」したということ。この意味で『Nostalghia』はあくまでも現代の音楽として新たにデザインされている。そして第二に、アルバムそれ自体は特定の空間で流すための音ではないにせよ、収録された各楽曲それぞれが1つの空間として提示されていること——それはアンビエント・ミュージックと呼ぶには奥行きが広く、あまりに不穏な響きでもある。

もともとCD7枚分以上もあったという未発表音源から、本盤を監修した不思議音楽館の井上立人、およびアーティストの角田俊也とともに広瀬が選曲し、ミュージシャンの宇波拓がマスタリングを施すことで『Nostalghia』は日の目を見ることとなった。その内容はアンビエント・ミュージックどころか、日本の環境音楽とも異質に聴こえる。前後編に分けてお届けするインタビューの後編では、ブライアン・イーノやサウンド・プロセス・デザインの話から、『Nostalghia』の「怖さ」、さらに「ジャパンビエント」なる造語まで話を訊いた。

前編はこちら

変化するブライアン・イーノのイメージ

——ブライアン・イーノの音楽と出会ったのはどのタイミングでしたか?

広瀬豊(以下、広瀬):イーノのことを知ったのはちょうど中学に入学してすぐの頃でした。当初はロキシー・ミュージック時代や初期のヴォーカル・アルバムを聴いていて、グラム・ロックやプログレッシヴ・ロックのイメージが強かった。むしろそっちのイメージがデフォルトだったので、『Ambient 1: Music for Airports』(1978年)を初めて聴いた時は戸惑いましたね。『Discreet Music』(1975年)の国内盤は1980年代になってから出たので、最初にイーノのアンビエント的な作品を聴いたのは『Music for Airports』だったんですよ。

僕の中でイーノのイメージが覆ったのは『Ambient 4: On Land』(1982年)でした。「これはやられた」と思ったんです。『Music for Airports』と違って『On Land』には音に生命力があるんですね。ジョン・ハッセルをはじめ何人かミュージシャンが客演していて、その中で作り出す音がまるで地球創生期の響きのようにも感じられて、もはや戸惑いを超えて「すごいな」と衝撃を受けました。

——イーノがアンビエント・ミュージックを提唱する以前、そうした穏やかなサウンドの音楽はどのように捉えていましたか?

広瀬:アンビエント・ミュージックという言葉はないにしても、わりと近いサウンドの音楽はありました。例えばテリー・ライリーの『In C』(1968年)やマイク・オールドフィールドの『Tubular Bells』(1973年)、スティーヴ・ライヒの『Drumming / Music For Mallet Instruments, Voices And Organ / Six Pianos』(1974年)など、いわゆるミニマル・ミュージックの作品。ライリーは1960年代からテープループを用いていましたから、イーノが『Discreet Music』を出した時、手法だけを取り出すならそれほど目新しくもなかった。けれどそこにイーノがアンビエント・ミュージックという、それまでとは異なる新しい個性を打ち出していったということですよね。

ただ、僕としてはアンビエント・シリーズよりも〈オブスキュア〉シリーズの方に興味がありました。例えばギャヴィン・ブライアーズの『The Sinking Of The Titanic』(1975年)での弦楽器の使い方や音響的な部分からは非常に大きな影響を受けています。〈オブスキュア〉シリーズにはあくまでも実験音楽を普及させるというコンセプトがあって、イーノはプロデューサーの立場で現代音楽や実験音楽の作曲家を表に出していた。その経験で得たものがアンビエント・シリーズへと変化していったんじゃないかという気もします。

サウンド・プロセス・デザイン周辺での活動

——広瀬さんは1983年、不慮の事故で亡くなる直前の芦川聡さんと知り合い、彼が設立したばかりのサウンド・プロセス・デザインにご自身のテープを持ち込まれました。

広瀬:芦川さんが企画したハロルド・バッドの来日コンサート(1983年)に行ったんです。それがきっかけで芦川さんと知り合うことになりました。ハロルド・バッドの音楽はそれ以前からレコードでは聴いていたんですけど、初めて生で聴いて「ああ、こういう音があるのか」と興味を抱いて、芦川さんのレコードも聴くようになった。その後、芦川さんにお会いする時に何か手土産があったほうがいいだろうと思い、自分のテープを持っていきました。

——広瀬さんにとって芦川さんの音楽の魅力はどのようなところにありましたか?

広瀬:やっぱり点と間で音楽が構成されているところですね。芦川さんの『Still Way』(1982年)はハープやピアノ、ヴィブラフォンなどの器楽的要素を使って点を作っていく。それはイーノのアンビエント・ミュージックとは大きく違うところだとも思います。

——その後、1986年の『Nova』リリースを経て、広瀬さんはサウンド・プロセス・デザインで科学館や博物館など様々な施設の空間で流すための音楽を制作していきます。当時の反響はいかがでしたか?

広瀬:あくまでも館内音として作っていたので、僕に直接返ってくるような反響は全くありませんでした。淡々と仕事としてこなしていましたからね。

——音を空間に提示するというと、1990年代以降はサウンド・アートという言い方も定着していきます。そうした動向はどのように捉えていましたか?

広瀬:1990年代以降は音を制作すること自体をやめてしまっていたので、世の中の流れに乗ってもいなければ聴いてもいませんでした。東京を離れたこともありますけど、情報を遮断していたんです。

『Nostalghia』における「自然=畏怖」の響き

広瀬豊『Nostalghia』
広瀬豊『Nostalghia』
広瀬豊『Nostalghia』トレーラー音源

——サウンド・インスタレーションのように展示するという方法もありますが、今回、なぜ『Nostalghia』をCDとLPというフォーマットで新たにリリースされたのでしょうか?

広瀬:2019年に〈WRWTFWW〉から『Nova』のリイシュー盤を出させていただいて、その後にいろいろな方から「テープが残っているのであればアルバムとしてリリースしませんか?」と言われて。自分の年齢のことも考えると、いつ死ぬかわからないですし、この際20代後半の作品をアルバムとして出してしまおうと思ったんです。もちろん当時のままというわけにはいかないので、ある程度は加工/編集も加えて、今の自分の感覚も入れています。特にマスタリングの時にかなりこだわったことであの音が出来上がりました。

——マスタリングは宇波拓さんですよね。

広瀬:そうです。実は何回かマスタリングを変えていて、もっと過激なものや静かなものもありました。けれどあまり過激にすると金属音が強くてキツいので、宇波さんと角田俊也さんと話し合いながら今回の形に仕上げていきました。

——近年、ニューエイジのリバイバルもありアンビエント・ミュージックに改めて注目が集まるようになりました。その流れの中で日本の環境音楽が海外で再発見され、国内にも逆輸入されています。サウンドスケープのための環境音楽がアンビエントとして再解釈されているとも言えますが、もともと空間のために制作された広瀬さんの音楽がそのように「アンビエント・ミュージックとして聴かれる」ということについてはどう感じていますか?

広瀬:あくまでも僕自身は空間音楽のアルバムとして出しているんです。LPなら9曲を9つの空間として提示している。それに『Nostalghia』はいわゆるアンビエント・ミュージックのような穏やかでゆったりした音楽でもなくて、キツい音もあればイヤな金属音もあり、ドロドロした部分もある。そもそも空間というもの、自然というものには穏やかさや優しさだけではなくて、怖さがあると思うんですよ。むしろ穏やかな部分は少なくて畏怖するようなもので溢れている。このアルバムからもそうした感覚を聴き取っていただけたらいいなと。

——いわば自然の響きというのは鳥の声や水の音といった表面的な自然音ではなく、たとえば『Nostalghia』で言えば不穏なドローンの方にあると?

広瀬:そうです。そこは意識した音作りになっています。『Nova』の頃は僕も試行錯誤の段階で、プロデューサーから自然音を入れて欲しいという指示もあったので、それに応えながら制作していました。けれども『Nostalghia』はそうではない。1曲目の「Seasons」で『Nova』を清算して次の段階に入っていく作品なんです。今改めて思うと、そこにあるのは自然に対する畏怖の念で、例えば神社が自然の怖さを祀って鎮めるようなことを音で表現していこうと考えていたかもしれません。

「ジャパンビエント」というカテゴリーについて

——今回、井上立人さんのライナーノーツでは「ジャパンビエント」という造語が使われています。こうした言葉についてはどう感じていますか?

広瀬:おもしろい言葉だと思っています。ジャパノイズがあるならジャパンビエントがあってもいいし、海外の方にも説明しやすいですよね。いくら僕が空間音楽だと主張したところで聴く人達はアンビエントと受け取るかもしれないし、どうしたってどこかでカテゴライズされてしまいますから。

——海外にはジャパンビエントに日本的なものを求めるリスナーも多いと思います。広瀬さんや芦川さん、吉村弘さんなど、日本の環境音楽、あるいはジャパンビエントに通底するものがあると感じることはありますか?

広瀬:例えば日本の四季に対する考え方、移ろいゆく湿度感や空気感が刷り込まれていて、それを海外の方が聴いた時に日本的な感覚として読み取ることはあるのかもしれないです。西洋の楽器や音楽理論を使っていても音色の微妙な雰囲気に日本的な感覚が表れているというような。とはいえ僕の場合は『Nova』にせよ『Nostalghia』にせよ、日本的なものを意識して制作していたわけではないです。ですが、結果的にいつの間にか日本的なものが滲み出てしまっているということなのかもしれません。

広瀬豊
サウンド・デザイナー。1961年生まれ、山梨県甲府市出身。1986年にミサワホーム総合研究所サウンドデザイン室が企画した「サウンドスケープ」シリーズから、アルバム『Nova』をリリース。同年に、芦川聡が設立した株式会社サウンド・プロセス・デザインに参画し、文化施設や商業施設などで流れるサウンドの制作を手掛ける。2019年にスイスのレーベル〈We Release Whatever The Fuck We Want〉から未発表音源を加えて『Nova』がリイシューされ、世界的に話題を呼んだ。2022年5月に36年ぶりとなるセカンドアルバム『Nostalghia』をリリース。7月1日に〈We Release Whatever The Fuck We Want〉からサードアルバム『Trace: Sound Design Works 1986​-​1989』がリリース決定。

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ブライアン・イーノによる音と光の展覧会「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」リポート https://tokion.jp/2022/06/14/brian-eno-ambient-kyoto-report/ Tue, 14 Jun 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=123784 ブライアン・イーノによる展覧会「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」が京都中央信用金庫・旧厚生センターで開催中。

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ブライアン・イーノによる展覧会「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」が京都中央信用金庫・旧厚生センターで開催中だ。会期は8月21日まで。同展の開催に合わせて、作品やグッズが買えるブライアン・イーノ公式ストア「ENOSHOP」が京都の他に、東京の代官山 蔦屋書店で7月14日まで期間限定でオープンしている。

イーノはこれまで音楽活動と並行して、「ジェネレーティヴ・ミュージック」の手法をヴィジュアルに採用、音と光がシンクロしながら途絶えることなく変化し続ける空間芸術「ジェネレーティヴ・アート」を提唱し、アートの領域を拡大し続けてきた。ヴェネチア・ビエンナーレをはじめ、シドニー・オペラハウス等、世界中でインスタレーションや展覧会も開催してきた。同展はコロナ禍において世界初の大規模展覧会となる。

展示は築92年の京都中央信用金庫・旧厚生センターを丸ごと活用。1〜3階に作品が展示され、イーノの代表作《77 Million Paintings》《The Ship》《Light Boxes》の3作品に加えて世界初公開の新作《Face to Face》、会場内各所のSonosスピーカーを通じて廊下や階段、化粧室等で流れる作品《The Lighthouse》の計5作品で構成される。

1階には作品やグッズを販売する「ENOSHOP」、会場の廊下や階段には京都の盆栽研究家・川﨑仁美がしつらえた盆栽や水石も展示されていて、会場の入口にはイーノの言葉が以下のように綴られている。

「ありきたりな日常を手放し、別の世界に身を委ねることで、自分の想像力を自由に発揮することができるのです」。

「By allowing ourselves to let go of the world that we have to be part of every day, and to surrender to another kind of world. We’re freeing ourselves to allow our imaginations to be inspired.」

このメッセージこそが同展のコンセプトを示しているのだろう。各展示に沿って構成を紹介する。

1.77 Million Paintings

最も大きな《77 Million Paintings》は途絶えることなく生み出され、変化し続ける音と光がシンクロして生み出されるインスタレーション。「7700万」という数字はシステムが生み出すことのできるヴィジュアルの組み合わせを意味している。2006年にラフォーレミュージアム原宿で世界初公開されて以降、アップデートが繰り返され、世界各国47回の展示を経て16年ぶりの日本で展示される。

室内には数本の木の柱と円錐形の砂山がしつらえられており、震えながら響く音楽に呼応するように中央のスクリーンに映し出された、4種類のイメージが時間の経過とともにゆっくりと絶えず変化を続ける。自動生成される膨大な数のヴィジュアルと音響体験をソファに身を委ね身体全体で感じ取ることができる。

2.The Ship

Brian Eno The Ship

《The Ship》はイーノの音楽とインスタレーションという取り組みを集約した展示だ。空間に流れる音楽は2016年にリリースした「The Ship」。1975年にイーノがプロデューサーを務め、自身のレーベル「Obscure Records」からリリースしたギャヴィン・ブライアーズの「The Sinking Of The Titanic」がある。

「The Ship」は真正面からタイタニック号の沈没と向き合ったわけではなく、タイタニック号の沈没という出来事と第一次世界大戦を結び、傲慢さとパラノイアの間を揺れ動き続ける人間をコンセプトの起点にしている。

暗闇の空間ではオーディオセットが薄く照らされ、さまざまな機種のスピーカーが点在し、囲まれるようにソファが並んでいる。人の声や海の中、教会の鐘、さまざまな音が交錯し、鑑賞者はじっくり聴くことも、歩きながら音の質感の変化を感じることもできる。最奥のオブジェクトの前では一瞬静寂が訪れ、それぞれの動きや立ち位置で多様な音響体験を得られる。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのカヴァー 「I’m Set Free」 でクライマックスを迎える音楽構成も素晴らしい。

3. Face to Face

《The Ship》と同じく3階では世界初公開作品となる《Face to Face》が鑑賞できる。実在する21名のポートレイトを1枚の静止画に収めた写真が制作の起点となった。特殊なソフトウェアを使用し変化と合成が繰り返されるのだが、ある人物の顔が別人の顔へとゆっくりとピクセル単位で変化を続ける中で、ロボットのような質感の実在しない人物が連鎖的に現れる。毎秒30秒人ずつ36,000人以上の新しい顔を誕生させることができるという作品で、イーノ本人の若い頃や最近の顔も見られる。

4. Light Boxes

光を放つ3つのボックスが、絶妙な速度で色彩を変化させていく幻想的な作品《Light Boxes》。LEDの技術を駆使した3つの半透明のボックスから発光した光が時間の経過とともに部分的にゆっくりと変化を続ける。

音楽と同期しながら変化する色彩は、鮮やかでありつつ穏やかに輝く。光の組み合わせが変化するため、たとえ、同じ場所で鑑賞したとしても異なる見方ができ、それぞれの展示の意味を見出せるのではないだろうか。

5. The Lighthouse

日本初公開となるオーディオ作品《The Lighthouse》は《Light Boxes》と《Face to Face》の展示空間と入口から会場内、化粧室に至るまでシームレスに結ばれている。《The Lighthouse》は、イーノが2021年からスタートしているストリーミング・ラジオ・サービス「Sonos Radio HD」でしか聴くことができないアーカイヴ・チャンネルで、現在日本はサービス外。その楽曲をSonosスピーカーを通じて会場内の廊下やトイレなどで流れる音楽作品として表現している。

ブライアン・イーノの空間芸術から垣間見える哲学

代表作から日本初公開の新作までが結集した本展は、作品に対する鑑賞者のあらゆる接し方を受容する空間だ。絶え間なく変化し続ける音と光がシンクロする空間においては、その瞬間にしか感じることができない映像と音響体験ができ、鑑賞者それぞれの想いに共鳴する工夫に溢れていた。鑑賞後に改めて入口のイーノのメッセージを読むと、その一端を理解できたと感じられるかもしれない。2階のラウンジには、イーノへのメッセージを書き込めるノートが用意されているので、この特別な鑑賞体験の想いを綴ってみてはいかがだろうか。

■BRIAN ENO AMBIENT KYOTO
会期:8月21日まで
会場:京都中央信用金庫 旧厚生センター
住所:京都市下京区中居町七条通烏丸西入113
時間:11:00 〜 21:00(入場は閉館の30分前まで)
入場料:平日/一般 ¥2,000、大学生・専門学校生 ¥1,500、中高生 ¥1,000、
土日祝/一般 ¥2,200、 大学生・専門学校生 ¥1,700、中高生 ¥1,200
チケット購入サイト: https://www.e-tix.jp/ambientkyoto/
※当日券は予定枚数が完売している場合があるので、予約優先チケット(日時指定制)を推奨
※混雑状況については公式SNSで最新情報を掲載
公式ホームページ:https://ambientkyoto.com
Twitter:@ambientkyoto
Instagram:@ambientkyoto
Facebook:@ambientkyoto

Photography Mayumi Hosokura

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ブライアン・イーノのキャリアに迫る「別冊ele-king イーノ入門」が発売 アルバム60枚のレビューなどを掲載 https://tokion.jp/2022/05/25/ele-king-brian-eno/ Wed, 25 May 2022 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=119497 アルバムレビューや、他ミュージシャンとの関係性に迫るコラムなどを通して、彼の全音楽活動を俯瞰する。価格は¥2,145。

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Pヴァインは、「別冊ele-king イーノ入門──音楽を変革した非音楽家の頭脳」を5月25日に発売した。価格は¥2,145。

本書は、アンビエント・ミュージックの発案者で、ポップと実験音楽を横断してきた音楽家、ブライアン・イーノのキャリアを俯瞰する1冊。イーノのアルバムなど全60枚のレビュー、彼の活動や他ミュージシャンとの関係性に迫るコラムなどを掲載している。執筆者として、野田努や小林拓音、松村正人、三田格、坂本麻里子、高橋智子、イアン・F・マーティン(Ian F. Martin)、ジェイムズ・ハッドフィールド(James Hadfield)、松山晋也、北中正和、篠原雅武、徳井直生、廣瀬豊、毛利嘉孝らが参加した。

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ブライアン・イーノによる大規模な展覧会が京都で6月から開催 音と光がシンクロする空間芸術を展開 https://tokion.jp/2022/03/03/brian-eno-ambient-kyoto/ Thu, 03 Mar 2022 08:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=100715 イーノにとって、コロナ禍初となる大規模な展覧会。京都の歴史ある建物を舞台に、途絶えることなく変化する音と光を用いたインスタレーションが行われる。

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ブライアン・イーノによるコロナ禍において初となる大規模な展覧会「ブライアン・イーノ・アンビエント・キョウト(BRIAN ENO AMBIENT KYOTO)」が開催する。会期は6月3日~8月21日で、会場は京都中央信用金庫の旧厚生センター。

「ブライアン・イーノ・アンビエント・キョウト」では、築90年の歴史ある旧厚生センターの建物全体を舞台にして、イーノによる音と光のインスタレーションを中心に展開。途絶えることなく変化する音と光がシンクロして生み出す空間芸術作品の『77 Million Paintings』や、照明で演出された空間で、多数のスピーカーから個別の音が鳴ることで場所によって違う音が聴こえ、また部屋の中を移動すると各スピーカーから出る音を自発的にミックスすることもできる『The Ship』といった彼の代表作も体感できる。

■BRIAN ENO AMBIENT KYOTO
会期:6月3日~8月21日
会場:京都中央信用金庫 旧厚生センター
住所:京都市下京区中居町七条通烏丸西入113
時間:11:00~21:00(入場は閉館の30分前まで )
入場料:前売り平日一般 ¥1,800 専門・大学生 ¥1,300/中高生 ¥800
前売り土日祝一般 ¥2,000/専門・大学生 ¥1,500/中高生 ¥1,000
※当日券は各¥200増、小学生以下無料
https://ambientkyoto.com

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マイルス・デイヴィスから、環境音楽へ——ジャズの「帝王」が1980年代の日本の環境音楽に与えた影響を探る https://tokion.jp/2020/09/30/miles-davis-influence-on-japanese-ambient-music/ Wed, 30 Sep 2020 06:00:36 +0000 https://tokion.jp/?p=6887 1970年代にマイルス・デイヴィスが紡いだ音楽の「アンビエント性」を、1980年代の日本の音楽家達はどのように受け止めたのか。その接続線を音楽評論家・原雅明が紐解く。

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言わずと知れたジャズの「帝王」、マイルス・デイヴィスを主題としたドキュメンタリー映画『マイルス・デイヴィス クールの誕生』が日本全国で順次公開中だ。さまざまな音楽的「革命」を成し遂げてきたマイルスの、ジャンルを超えた後続への影響についてはこれまで多くが論じられてきた。しかし、あまり事細かには言及されてこなかったこともある。それは、彼を起点として日本の1980年代の「環境音楽」へと至る接続線だ。
本稿では、著書に『Jazz Thing ジャズという何か』を持つ音楽評論家の原雅明が、1970年代マイルスのアンビエントミュージックとの近接性——ブライアン・イーノ との交錯点——、そして「環境音楽」へと向かっていった1980年代の日本の音楽家達に与えた影響について、紐解いていく。

マイルス・デイヴィスとブライアン・イーノが交わる場所

マイルス・デイヴィスとの初めてのレコーディング・セッションに参加したギタリストのジョン・マクラフリンは、終了するなり、一緒に参加したハービー・ハンコックにこう言った。

「分からない。僕たちがやったのは何か良いことだったんだろうか? 僕たちは何をしたんだろう? 何がどうなっているのか分からないよ」。(※1)

『In A Silent Way』(1969年)のレコーディングでの話だ。今ではアンビエント・ミュージックのプロトタイプとも評される本アルバムは、中心を欠いている音楽を作り出したとも言える。ハンコックやウェイン・ショーター、トニー・ウィリアムスら1960年代のアコースティック期のマイルスを支えた第2期クインテットのメンバーも参加したが、演奏は大きく変化した。

Miles Davis『In A Silent Way』(1969年)

ブライアン・イーノは、『Ambient 4: On Land』(1982年)のセルフ・ライナーノーツで、フェデリコ・フェリーニの映画『アマルコルド』と並んで、マイルスの1970年代前半のレコーディング・セッション集『Get Up With It』(1974年)収録の「He Loved Him Madly」が、このアンビエント・アルバムを作る上で大きなインスピレーションを与えたと記した。イーノはアンビエントを、「場所の感覚(風景や環境)に関連した音楽」と定義した。

イーノが評価したのはマイルスたちの演奏だけではなく、スタジオ空間における音の配置であり、曲構成であり、ミックスなどのプロダクションだった。その実現は録音と編集を担当したプロデューサーのテオ・マセロによるところが大きく、マイルスという絶対的なアイコンが中央に位置しながらも、ワウ・ペダルをかけたトランペットは主ではない。曲が始まって10分以上経過してからようやくドラムはリズムをキープするがまるで扉を隔てて漏れ聞こえてくるかのようであり、他の何れの楽器も中心を成すことはないまま、「He Loved Him Madly」はイーノの言うところの「“ゆったりとした”(spacious)クオリティ」を30分以上も維持した。この楽曲の録音は1974年で、参加ミュージシャンも『In A Silent Way』の頃とは様変わりして、ギタリストのレジー・ルーカスやピート・コージーのようにマイルスの意図をより理解する面々が加わっていた。

Brian Eno『Ambient 4: On Land』(1982年)

コード進行に囚われないモード・ジャズや、ギル・エヴァンスのオーケストレーションで1960年代のマイルスが実践してきたことの行き着いた先が、この中心を欠いた演奏だったことは、至極真っ当な進化だった。この後、マイルスは活動を休止して、1980年代に復活を果たすわけだが、1970年代のマイルスが成したことは、マイルス自身ではなく、イーノのようなジャズ以外のフィールドや、アメリカ以外の国で更に独自の音楽を発展させる契機となった。ここでは、日本での受容と変化に触れたい。

日本での受容と「環境音楽」への接続線

『Kankyo Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』(2019)がグラミー賞にノミネートされて、1980年代の日本の環境音楽に海外から大きな関心が寄せられるようになったが、この時代に日本のジャズ・ミュージシャンの一部は、環境音楽やアンビエントに意識が向かっていた。そして、そこに影響を与えたのは、1970年代のマイルスと、アンビエント以降のイーノだった。

ピアニストの菊地雅章は、ギル・エヴァンスと1970年代から活動をともにし、1970年代後半、表向きには一切演奏活動をしなかったことになっているマイルスの非公式のレコーディング・セッションにラリー・コリエルやアル・フォスターらと共に参加した。筆者は1997年に雑誌の取材で菊地にインタビューする機会があった。1970年代のマイルスの発展形だと評価される『Susto』(1981年)の制作に至る、シンセサイザーやドラム・マシンの導入の経緯を訊くとともに、関心がジャズ・ピアノからシンセサイザーに移行した時期の気持ちを訊ねた。当時の取材メモから少し引用しよう。

「俺は、叙情の世界の音楽をやってきたわけ。で、コンピュータ音楽とか電子音って、ある程度、見限ったところで音楽しなきゃいけない。それに俺は叙情性を持たせようとしたから大変でさ」。

「ブライアン・イーノ! イーノには凝ってて、あのころ全部レコード集めてさ。それで、何とか俺のもやりたいなと思った。でも機材が十全じゃないし、自分で納得いかないし、自分のフィーリングが入らないから、それを何とかしようと思ったんだよね」。

菊地雅章『Susto』(1981年)

菊地は、1976年に指を怪我して満足にピアノを弾くことができない状況になり、それがきっかけでシンセサイザーでの音楽制作を始めた。『Susto』や『One Way Traveller』(1982年)を経て、菊地はさらに1人でアンビエントの制作を進めた。同じ頃、かつて菊地のグループに在籍し、その後はNYで活動していたベーシストの鈴木良雄がシンセサイザーやドラム・マシンを導入して1人で制作した『Morning Picture』(1984年)がリリースされた。環境音楽として依頼されて作られたアルバムだが、鈴木本人は「自分の中にある日本の空間、NYにいると特に強く感じる宇宙空間」を表現したのだと言う。

鈴木良雄『Morning Picture』(1984年)

海外で再評価が著しい清水靖晃や、日野皓正に見出された三宅純のように、ジャズを出自として、1980年代のフュージョンのブームがデビューを後押したミュージシャンたちも、時流のフュージョンとは距離を置いた独自の表現を模索した。そこにも1970年代のマイルスとイーノの影が見え隠れした。マイルスが復活を遂げた1980年代には、菊地が言う「叙情の世界」をもデジタル化するように音楽は制作され始めていた。そこには、かつてのマイルスが作り出し、イーノが惹かれた「“ゆったりとした”クオリティ」が入り込む余地はもはやないかのようだった。しかし、環境音楽やアンビエント、ミニマル・ミュージック、インプロヴァイズド・ミュージック、スモール・アンサンブル、そしてエレクトロニカといった音楽の中には、1970年代のマイルスとイーノの影を今も聴き取ることができる。その道筋を付けたのは、混沌とした1980年代に、環境音楽や個という空間を意識した音楽へと向かった日本の作り手たちだったのではないだろうか。いま改めて、そう感じている。

※1Paul Tingen著『Miles Beyond: “The Electric Explorations of Miles Davis, 1967-1991” 』より

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