「ジャパンビエント」の傑作はいかにして誕生したか——広瀬豊、インタビュー -後編-アンビエントとも環境音楽とも異なる「自然=畏怖」の響き

1978年にブライアン・イーノが提唱した「アンビエント・ミュージック」は、特定の空間における環境的独自性を際立たせるアンビエンス(雰囲気)としての音楽というコンセプトを当初は打ち出していた。他方で現在、アンビエント・ミュージックと言えばミニマルで穏やかなサウンドの音楽ジャンルを指す名称として、エレクトロニカからBGMや環境音楽まで含む総称として曖昧に流通している。つまりイーノの音楽からコンセプトが抜け落ちて音のイメージだけが継承されているとも言えるが、テン年代を通じたアンビエント再評価の流れがもたらした功罪相半ばする結果の一つは、公共施設や居住空間などの音のデザインを目指して制作された環境音楽を、アンビエント・ミュージックの1種として再解釈し、実用性から離れて音盤上で楽しむことを可能にした点にあるだろう。日本の環境音楽の価値もそのようにして再発見されているところがあるように思う。

このたび完成したサウンド・デザイナーの広瀬豊による36年ぶりのセカンド・アルバム『Nostalghia』も、同様の流れで新たに価値が見出されたのだと言うことはできる。ただしその限りではない。第一に、もともと公共の施設で流すために1987~91年に制作された音源を、制作者である広瀬自身がアルバムとして「音楽化」したということ。この意味で『Nostalghia』はあくまでも現代の音楽として新たにデザインされている。そして第二に、アルバムそれ自体は特定の空間で流すための音ではないにせよ、収録された各楽曲それぞれが1つの空間として提示されていること——それはアンビエント・ミュージックと呼ぶには奥行きが広く、あまりに不穏な響きでもある。

もともとCD7枚分以上もあったという未発表音源から、本盤を監修した不思議音楽館の井上立人、およびアーティストの角田俊也とともに広瀬が選曲し、ミュージシャンの宇波拓がマスタリングを施すことで『Nostalghia』は日の目を見ることとなった。その内容はアンビエント・ミュージックどころか、日本の環境音楽とも異質に聴こえる。前後編に分けてお届けするインタビューの後編では、ブライアン・イーノやサウンド・プロセス・デザインの話から、『Nostalghia』の「怖さ」、さらに「ジャパンビエント」なる造語まで話を訊いた。

前編はこちら

変化するブライアン・イーノのイメージ

——ブライアン・イーノの音楽と出会ったのはどのタイミングでしたか?

広瀬豊(以下、広瀬):イーノのことを知ったのはちょうど中学に入学してすぐの頃でした。当初はロキシー・ミュージック時代や初期のヴォーカル・アルバムを聴いていて、グラム・ロックやプログレッシヴ・ロックのイメージが強かった。むしろそっちのイメージがデフォルトだったので、『Ambient 1: Music for Airports』(1978年)を初めて聴いた時は戸惑いましたね。『Discreet Music』(1975年)の国内盤は1980年代になってから出たので、最初にイーノのアンビエント的な作品を聴いたのは『Music for Airports』だったんですよ。

僕の中でイーノのイメージが覆ったのは『Ambient 4: On Land』(1982年)でした。「これはやられた」と思ったんです。『Music for Airports』と違って『On Land』には音に生命力があるんですね。ジョン・ハッセルをはじめ何人かミュージシャンが客演していて、その中で作り出す音がまるで地球創生期の響きのようにも感じられて、もはや戸惑いを超えて「すごいな」と衝撃を受けました。

——イーノがアンビエント・ミュージックを提唱する以前、そうした穏やかなサウンドの音楽はどのように捉えていましたか?

広瀬:アンビエント・ミュージックという言葉はないにしても、わりと近いサウンドの音楽はありました。例えばテリー・ライリーの『In C』(1968年)やマイク・オールドフィールドの『Tubular Bells』(1973年)、スティーヴ・ライヒの『Drumming / Music For Mallet Instruments, Voices And Organ / Six Pianos』(1974年)など、いわゆるミニマル・ミュージックの作品。ライリーは1960年代からテープループを用いていましたから、イーノが『Discreet Music』を出した時、手法だけを取り出すならそれほど目新しくもなかった。けれどそこにイーノがアンビエント・ミュージックという、それまでとは異なる新しい個性を打ち出していったということですよね。

ただ、僕としてはアンビエント・シリーズよりも〈オブスキュア〉シリーズの方に興味がありました。例えばギャヴィン・ブライアーズの『The Sinking Of The Titanic』(1975年)での弦楽器の使い方や音響的な部分からは非常に大きな影響を受けています。〈オブスキュア〉シリーズにはあくまでも実験音楽を普及させるというコンセプトがあって、イーノはプロデューサーの立場で現代音楽や実験音楽の作曲家を表に出していた。その経験で得たものがアンビエント・シリーズへと変化していったんじゃないかという気もします。

サウンド・プロセス・デザイン周辺での活動

——広瀬さんは1983年、不慮の事故で亡くなる直前の芦川聡さんと知り合い、彼が設立したばかりのサウンド・プロセス・デザインにご自身のテープを持ち込まれました。

広瀬:芦川さんが企画したハロルド・バッドの来日コンサート(1983年)に行ったんです。それがきっかけで芦川さんと知り合うことになりました。ハロルド・バッドの音楽はそれ以前からレコードでは聴いていたんですけど、初めて生で聴いて「ああ、こういう音があるのか」と興味を抱いて、芦川さんのレコードも聴くようになった。その後、芦川さんにお会いする時に何か手土産があったほうがいいだろうと思い、自分のテープを持っていきました。

——広瀬さんにとって芦川さんの音楽の魅力はどのようなところにありましたか?

広瀬:やっぱり点と間で音楽が構成されているところですね。芦川さんの『Still Way』(1982年)はハープやピアノ、ヴィブラフォンなどの器楽的要素を使って点を作っていく。それはイーノのアンビエント・ミュージックとは大きく違うところだとも思います。

——その後、1986年の『Nova』リリースを経て、広瀬さんはサウンド・プロセス・デザインで科学館や博物館など様々な施設の空間で流すための音楽を制作していきます。当時の反響はいかがでしたか?

広瀬:あくまでも館内音として作っていたので、僕に直接返ってくるような反響は全くありませんでした。淡々と仕事としてこなしていましたからね。

——音を空間に提示するというと、1990年代以降はサウンド・アートという言い方も定着していきます。そうした動向はどのように捉えていましたか?

広瀬:1990年代以降は音を制作すること自体をやめてしまっていたので、世の中の流れに乗ってもいなければ聴いてもいませんでした。東京を離れたこともありますけど、情報を遮断していたんです。

『Nostalghia』における「自然=畏怖」の響き

広瀬豊『Nostalghia』
広瀬豊『Nostalghia』
広瀬豊『Nostalghia』トレーラー音源

——サウンド・インスタレーションのように展示するという方法もありますが、今回、なぜ『Nostalghia』をCDとLPというフォーマットで新たにリリースされたのでしょうか?

広瀬:2019年に〈WRWTFWW〉から『Nova』のリイシュー盤を出させていただいて、その後にいろいろな方から「テープが残っているのであればアルバムとしてリリースしませんか?」と言われて。自分の年齢のことも考えると、いつ死ぬかわからないですし、この際20代後半の作品をアルバムとして出してしまおうと思ったんです。もちろん当時のままというわけにはいかないので、ある程度は加工/編集も加えて、今の自分の感覚も入れています。特にマスタリングの時にかなりこだわったことであの音が出来上がりました。

——マスタリングは宇波拓さんですよね。

広瀬:そうです。実は何回かマスタリングを変えていて、もっと過激なものや静かなものもありました。けれどあまり過激にすると金属音が強くてキツいので、宇波さんと角田俊也さんと話し合いながら今回の形に仕上げていきました。

——近年、ニューエイジのリバイバルもありアンビエント・ミュージックに改めて注目が集まるようになりました。その流れの中で日本の環境音楽が海外で再発見され、国内にも逆輸入されています。サウンドスケープのための環境音楽がアンビエントとして再解釈されているとも言えますが、もともと空間のために制作された広瀬さんの音楽がそのように「アンビエント・ミュージックとして聴かれる」ということについてはどう感じていますか?

広瀬:あくまでも僕自身は空間音楽のアルバムとして出しているんです。LPなら9曲を9つの空間として提示している。それに『Nostalghia』はいわゆるアンビエント・ミュージックのような穏やかでゆったりした音楽でもなくて、キツい音もあればイヤな金属音もあり、ドロドロした部分もある。そもそも空間というもの、自然というものには穏やかさや優しさだけではなくて、怖さがあると思うんですよ。むしろ穏やかな部分は少なくて畏怖するようなもので溢れている。このアルバムからもそうした感覚を聴き取っていただけたらいいなと。

——いわば自然の響きというのは鳥の声や水の音といった表面的な自然音ではなく、たとえば『Nostalghia』で言えば不穏なドローンの方にあると?

広瀬:そうです。そこは意識した音作りになっています。『Nova』の頃は僕も試行錯誤の段階で、プロデューサーから自然音を入れて欲しいという指示もあったので、それに応えながら制作していました。けれども『Nostalghia』はそうではない。1曲目の「Seasons」で『Nova』を清算して次の段階に入っていく作品なんです。今改めて思うと、そこにあるのは自然に対する畏怖の念で、例えば神社が自然の怖さを祀って鎮めるようなことを音で表現していこうと考えていたかもしれません。

「ジャパンビエント」というカテゴリーについて

——今回、井上立人さんのライナーノーツでは「ジャパンビエント」という造語が使われています。こうした言葉についてはどう感じていますか?

広瀬:おもしろい言葉だと思っています。ジャパノイズがあるならジャパンビエントがあってもいいし、海外の方にも説明しやすいですよね。いくら僕が空間音楽だと主張したところで聴く人達はアンビエントと受け取るかもしれないし、どうしたってどこかでカテゴライズされてしまいますから。

——海外にはジャパンビエントに日本的なものを求めるリスナーも多いと思います。広瀬さんや芦川さん、吉村弘さんなど、日本の環境音楽、あるいはジャパンビエントに通底するものがあると感じることはありますか?

広瀬:例えば日本の四季に対する考え方、移ろいゆく湿度感や空気感が刷り込まれていて、それを海外の方が聴いた時に日本的な感覚として読み取ることはあるのかもしれないです。西洋の楽器や音楽理論を使っていても音色の微妙な雰囲気に日本的な感覚が表れているというような。とはいえ僕の場合は『Nova』にせよ『Nostalghia』にせよ、日本的なものを意識して制作していたわけではないです。ですが、結果的にいつの間にか日本的なものが滲み出てしまっているということなのかもしれません。

広瀬豊
サウンド・デザイナー。1961年生まれ、山梨県甲府市出身。1986年にミサワホーム総合研究所サウンドデザイン室が企画した「サウンドスケープ」シリーズから、アルバム『Nova』をリリース。同年に、芦川聡が設立した株式会社サウンド・プロセス・デザインに参画し、文化施設や商業施設などで流れるサウンドの制作を手掛ける。2019年にスイスのレーベル〈We Release Whatever The Fuck We Want〉から未発表音源を加えて『Nova』がリイシューされ、世界的に話題を呼んだ。2022年5月に36年ぶりとなるセカンドアルバム『Nostalghia』をリリース。7月1日に〈We Release Whatever The Fuck We Want〉からサードアルバム『Trace: Sound Design Works 1986​-​1989』がリリース決定。

author:

細田 成嗣

1989年生まれ。ライター、音楽批評。編著に『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(カンパニー社、2021年)、主な論考に「即興音楽の新しい波──触れてみるための、あるいは考えはじめるためのディスク・ガイド」、「来たるべき「非在の音」に向けて──特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から」など。国分寺M'sにて現代の即興音楽をテーマに据えたイベント・シリーズを企画、開催。 Twitter: @HosodaNarushi

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