発見する Archives - TOKION https://tokion.jp/verb/browse/ Wed, 28 Feb 2024 08:51:47 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 発見する Archives - TOKION https://tokion.jp/verb/browse/ 32 32 ルース・アサワ——線が彫刻になるとき https://tokion.jp/2024/02/28/ruth-asawa/ Wed, 28 Feb 2024 08:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=221905 昨年からホイットニー美術館にて回顧展が開催されていた日系2世のアメリカ人アーティスト、ルース・アサワ。大きな功績にもかかわらず日本では知名度の低いアーティストの作家性を育んだルーツを探り、複数の次元を横断する彼女の作品を改めて考える。

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Laurence Cuneo, Ruth Asawa holding a paperfold, c. 1970s. Gelatin silver print, 9 13/16 × 7 5/16 in. (24.9 × 18.6 cm). Courtesy of the Department of Special Collections, Stanford University Libraries. Photograph © Laurence Cuneo. Artwork © 2023 Ruth Asawa Lanier, Inc. / Artist Rights Society (ARS), New York. Courtesy David Zwirner

ニューヨークのホイットニー美術館は、開館以来、アメリカ人作家の仕事を紹介することを一つの使命として活動してきた施設である。その意味で、今回のアサワ展は特殊な意義をもつ。アサワはアメリカ国籍と市民権をもつアメリカ人作家であるが、同時に、日本にルーツをもつ日系二世の作家でもあるからだ。同館は、1948年に日本からアメリカに移住した移民一世の画家・国吉康夫の回顧展を開催している。同館が日系人作家の回顧展を開催するのは、(米国在住経験のある草間彌生を除けば)国吉以来のことだろう。

昨年から今年にかけて、ホイットニー美術館で、ルース・アサワの回顧展「Ruth Asawa Through Line」(2023年9月16日〜2024年の1月15日)が開催された。アサワは、日本ではまだ知名度がそれほど高くないものの、近年国際的な再評価が著しい作家である。
アサワといえば、金属のワイヤーを編み込んで制作された球体状の彫刻作品で知られている。しかし、ホイットニー美術館の回顧展は、むしろ代表作となるワイヤー彫刻の出品数を抑え、彼女のドローイングや紙の作品を多く展示することによって、アサワの作品の多様性とさまざまな素材を横断する造形的な実践に焦点が当てられた。

とすれば、国吉の回顧展とアサワの回顧展のあいだには、実に76年の歳月が横たわっていることになる。が、国吉とアサワはある同時代性を共有していた。両者は、ともにアメリカで太平洋戦争の開戦を経験したからだ。アメリカに在住していた日系人たちの人生は、それにより大きく変わった。日系人は、多くがアメリカ市民であるにもかかわらず、突如として敵性外国人として扱われることになった。アサワも例外ではなかった。1942年にアサワ家はそれまで居住していた土地を追われ、日系人キャンプに強制収容された。しかし、この収容施設でアサワはほかの日系人の美術家たちと出会い、彼らから素描などを学ぶことにより、芸術的領域への関心を深め、自らの才能に目覚めていくことになる。

ルースは、1926年に7人きょうだいの4番目の子供としてカルフォルニアに生まれた。アサワ家は、農地をもたない「トラック・ファーマー」として、さまざまな農産物を育て販売して生計を立てていた。当時の法律では、ルースの両親はアメリカ市民になることができず、耕作地をもつことも許されていなかったことによる。一家の生活は豊かではなかった。アサワもまた、6歳になる頃には一家の労働力として農業を手伝っていたという。
だが、彼女は繰り返し農業という仕事が自身の芸術に与えた影響を語った。種を蒔き、植物を育てる過程で目撃した自然の生成力は、彼女の芸術の重要な手がかりになったからだ。自然は、その機能と可能性をその形態のなかに宿している。アサワは、自然の形態を手がかりにすることを通じて、多くの素描や彫刻を残した。

同時代の日系人と同じく、30年代から40年代にかけてのアサワの人生は苦難の連続であったはずである。30年代に、アメリカが大恐慌時代に突入すると、日系人は激しい排外主義の対象となってゆく。また、1941年にアメリカは第二次世界大戦に参戦し、その翌年には、真珠湾攻撃を発端とする太平洋戦争がはじまった。

戦争が終わり、収容所から解放されたのち、アサワは美術教師を目指すが、終戦直後のアメリカ国内の日系人差別は根深く、彼女が置かれていた当時の環境では、アメリカで日系人が美術の教員になることは事実上不可能であった。そのような状況に置かれていたとき、アサワは二人の友人を通じて、ノース・カロライナにある芸術学校の存在を知る。

その芸術学校は「ブラックマウンテン・カレッジ」と言った。アサワは、46年にブラックマウンテン・カレッジの夏期講習に参加し、三年間をカレッジで過ごした。その学校は、1933年に、周囲を山々が囲む小さな町「ブラックマウンテン」の郊外の山のふもとで開校した。開校からしばらく経ったあと、カレッジは「レイク・エデン」と呼ばれる小さな湖に面する場所に、モダニズム様式の建物をつくりキャンパスとした。のちに、この小さな学校こそがアメリカの戦後美術に巨大な足跡を残す、いわば「伝説の芸術学校」として知られることになる。
ブラックマウンテン・カレッジは、サマースクールという夏期講座を設けており、そこを訪れた講師陣には、ジョン・ケージ、マース・カニングハム、バックミンスター・フラーら錚々たる人物たちがいた。領域横断的な実験を許す自由な学内の気風が、同校で学んだロバート・ラウシェンバーグ、サイ・トゥオンブリー、スーザン・ヴェイユ、レイ・ジョンソンといった芸術家のその後の仕事を後押ししたことは疑いえない。

ブラックマウンテン・カレッジの美術分野で主導的な立場を果たしたのが、ドイツの芸術学校「バウハウス」で教鞭を執っていたジョセフ・アルバースである。アルバースは1933年の同校の開校に合わせて妻のアニ・アルバースとともにアメリカに移住し、夫妻はともに同校の芸術教育を担った。アサワは、入学後、アルバースの基礎デザインと色彩コースを受講した。またアサワは、フラーの授業にも参加し、デザイナー、発明家であり思想家として多領域にわたる超人的な活動を行なっていたフラーの思想やデザインに傾倒していく。

 二人の教師の存在が、アサワのその後の人生を決定的なものにした。その影響の大きさは、アサワ自身によって繰り返し語られている。彼女の作品を見れば、アルバースとフラーの実践との連続性がいくつも見出されるだろう。アルバースとフラーとの交流は生涯にわたって続いた。アルバースとフラーの自宅には、アサワの作品が飾られていた。

 彫刻作品で知られるアサワだが、彼女は彫刻を専門的に学んだわけではなく、また「彫刻家」を自認していたわけでもない。むしろ、アサワの仕事の独自性が、アルバースの授業を受講したあとに制作された素描や平面作品にすでに見出される点が重要である。アサワの素描と、後に展開されることになる彫刻は多くのつながりをもつ。

 アルバースの多くの教育実践のなかで、アサワにとってとりわけ重要だったのが、ネガティヴ・スペースの活用可能性である。ネガティヴ・スペースとは、実体的な物に対置される、非実体的な空間のことだ。たとえばアルバースは、指と指のあいだの空間や、椅子の脚の下の空間は、実在する指や椅子と同等に重要であると学生たちに語った。アサワの彫刻では、実際に、ワイヤーでつくられた球体のなかに、別の球体が格納される。それは、球体の内部の、ネガティヴ・スペースを活用するがゆえに可能になったものだ。アサワの素描においても、アルバースの教えを忠実になぞるように、線そのものではなく、線と線の「あいだ」からかたちが生まれることに意識が置かれている。そこで線を引くことは、紙の上に空白からなるかたちを造形することにほかならなかった。

 アサワは自身の彫刻に使われるワイヤーの線を、紙の上に展開された素描の線の延長にあるものみなしていた[1]。ワイヤーという一本の線を編み込み立体化するアサワの彫刻は、空間に展開された素描だった。つまり、アサワの彫刻では、最初に線として開始されたものが、面として広がってゆき、そしてそれが球体となり、形態が閉じるまで展開される。その意味でアサワの作品には、線→面→球体という展開がある。ゆえに、彼女の作品は、このような複数の表現形式の横断性、あるいは線、面、立体という異なる次元の変換と横断という特質をこそ備えていたということだ。

 同じことが、アサワが多く手がけた折り紙の作品にも言える。日系人であるアサワは幼少期から折り紙の文化に触れることができたが、偶然にアルバース自身もまた自身の教育活動において紙をさまざまな手法で立体的に折るプログラムを取り入れていたのだった。アサワはこの二つをルーツとして、ブラックマウンテン・カレッジを卒業後も紙を立体的に展開した作品を持続的に制作し続けた。紙を折ることは、平面を屈折させ、立体として展開することである。そのため折り紙は、平面と立体の区分を横断する。折り紙とは、複数の幾何学的な面の構成体からなる立体である。

 その意味でアサワの芸術は、線描、紙、彫刻といったそれぞれの芸術ジャンルを拘束する次元を可変的なものにするのだ。アサワの芸術が、素描、紙、彫刻という三つのジャンルに等しい重要性を与えながら展開されたことは、この問題と直結している。通常の芸術ジャンルの区分は意味をなさない。そこではすべてが彫刻であり、同時にすべてが素描でもある。それぞれは、一次元から三次元までの複数の次元を越えることで連続する。そのいずれもが、彼女の芸術においてはたがいに連続し、知的に呼応しあう関係にある。

 このような次元の変換(線、面、立体への展開可能性)という観点において彼女の芸術を考えたときに重要なのが、フラーの存在である。フラーは、「ジオデシック・ドーム」をはじめとする構造体をデザインしたことで知られるが、一貫して、三角形を基準として構造設計を行うことを重視していた。その際、重要なのは、フラーが多面体などの幾何学的図形を説明する際に、木棒や糸をつかって構造体のモデルをつくり、学生たちの前で実演したことである。すなわちフラーのドームもまた、アサワと同様に「線」から始まるということだ。

三角形は、面をつくりだす材料としては最も少ない三つの棒でつくりだされる図形だ。三角形は、最もシンプルであるにもかかわらず、幾何学的図形のなかでも強固な構造を可能にする。それは、四本の棒でつくられる四角形よりもはるかに安定しており強度も高い。フラーにとって三角形は、最も少ない材料で最大の効率を実現するかたちだった。フラーは、三角形のユニットを基準として、20枚の正三角形の面で形成した正二十面体を基本骨格とした球体のドームを設計した。とすれば、フラーは、三つの「線」をつなげて三角形という「面」をつくり、さらにそれを連続させることで三次元の「球体」のドームをつくったと言える。そこには、同様に「線、面、立体」の展開可能性が存在する。実際、アサワやフラーにとって、線、面、立体はたがいに隔絶した場所に存在するものではなく、むしろ連続性、発展可能性において捉えられていたと言えるだろう。

 アルバースやフラーの活動を引き継ぐように、生活と制作の拠点としたサンフランシスコにおいてアサワは、アーティストとしてのみならず、芸術教育の活動家として知られていた。彼女は折り紙をもとにした紙を折るワークショップや、フラーの幾何学をもとにした授業を子どもたちに向けて実施した。アサワにとって、アルバースやフラーから受け取ったものを作品として創造することと、それを他者に分け与えることに、いかなる区別もなかったはずである。その活動において、つくること、学ぶこと、それを教えることは、すべて一体である。

[1] Asawa, typed statement for J.J Brooking Gallery, June 5, 1995, Ruth Asawa Papers, box 127, folder 7. 

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学ぶのに遅すぎることなんかないのだ:工藤キキのステディライフ最終回 https://tokion.jp/2024/02/28/kiki-kudos-steady-life-last/ Wed, 28 Feb 2024 07:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225533 工藤キキがコロナ禍で見出した、ニューヨークとコネチカットのデュアルライフ。連載最終回。

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ライター、シェフ、ミュージックプロデューサーとして活動する工藤キキ。パンデミックの最中にニューヨークシティからコネチカットのファームランドへと生活の拠点を移した記録——ステディライフを振り返りながらつづる。

コロナの影響でまだまだ生活が規制されていた2020年の頃、運転免許を取り始めた友人が周りにちらほらいた。ニューヨーク以外は広い郊外であるアメリカでは、16歳から免許が取得できて、赤ちゃんと住所不定者だけ運転免許を持ってないと言われるほど。東京にいた時は運転免許のことを考えたこともなかったが、ほとんどのアメリカ国民が持っているのがあたりまえらしい。

アメリカに引っ越して4年ぐらいの頃、遊びに行った遊園地のコニーアイランドでバンパーカーに乗ろうということになったが、実は基本的な操作がわからずパニックを起こし、私の車はフロアの真ん中で立ち往生してしまったことが。楽しげにぶつかり合う車の上を、セキュリティの人が飛び石を渡るように車を飛び越えて私を救出してくれた……というトラウマもあり正直、自分で車という鉄の塊を運転できる自信が全くなかった。

そして友人達がサラッと運転免許を取っていくなか、最寄りの駅が車で1時間という場所に引っ越した2021年にようやく運転免許を取ろうと誓った。必須科目の交通ルールを学ぶための8時間クラスをコロナの影響でZoomで受けることになり、自宅にいながら授業を受けられたのはラッキーだったが、DMVでの仮免試験を通過するまでの道のりは長かった……。

家から一番近いマーケットが車で10分。私達の住む地域では、タウンごとにトランスファーステーションと呼ばれる廃棄物を細かく分別しているごみ捨て場があり、そこに行くのでさえ車で9分かかる。どこへ行くにもブライアンに運転を頼まなければいけない。彼は喜んで運転してくれるが、やっぱり1人でサクっと買い物に行ったり、寄り道したりできるのがいい。ニューヨークまで運転する日がくるかもしれないと、車を運転できちゃう自分という淡い夢はいつも心にあった。

しかし、この仮免を取るまで紆余曲折あり、結果2年費やしてしまったのだった。緊張の頂点でパニックになった朝、ブライアンの車がパンクしていて試験会場まで行けずテストをキャンセルしたり、テストを受ける前に実は目が悪かったことを知らずに視力検査で落ちてしまい、そこからメガネを作るまで数ヵ月かかったり、テストを予約した前日にコロナになったり……なかなか免許を取らない自分に大家のジムも免許の話になると励ましてはくれるが、不思議そうな表情を浮かべていた(笑)。テストは正解だと思うものを選択する形式で、ようやくテストを受けるも2点足りず落第。ルールはルールなので丸暗記すればいいんだろうけど、質問の英語は普段使わない言い回しだったため、内容を理解しにくく、自分にとっては車の免許というより英語の試験だった。

2023年の10月、友人のアイリスが1週間ほど家にステイしていた時。せっかくだから何かプロジェクトをやろうというので、私は迷わず「運転免許を取るのを手伝ってくれ!」と頼んだ。LA育ちの彼女からすると、「プロジェクトってそれかよ(笑)」という感じだったが、アイリスからの最高のアドバイスは、「キキ、一番安全だと思う答えを選べばいいんだよ」というものだった。それは本当で、標識などは覚えないといけないけど、安全だと思う答えを選んだら、なんと全問正解で通過したのでした。ありがと〜アイリス!

そんなわけで、ようやく助手席に免許を持っている人が乗っていれば運転できるという仮免を取得。車の運転がシミュレーションできる、ハンドル・ブレーキ・アクセルがついたゲームのコントローラーをブライアンにプレゼントしてもらい、本試験に向けてXboxのドライビングゲームで特訓している最中です(笑)。次にお会いする時には車を運転している話ができることを願っています!

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抑圧から自由になるために:Kassa OverallとTomoki Sandersが語る『ANIMALS』、アフリカン・ディアスポラ・ミュージック、日本文化 https://tokion.jp/2024/02/28/kassa-overall-x-tomoki-sanders/ Wed, 28 Feb 2024 05:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225786 ドラマー/プロデューサー/ビートメイカー/MCとして先鋭的な作品作りを続けるKassa Overallとマルチ・インストゥルメンタリストのTomoki Sandersが、新アルバムやアフリカン・ディアスポラ・ミュージック、日本文化、そしてPharaoh Sandersについて語る。

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左:Kassa Overall (カッサ・オーバーオール)、右:Tomoki Sanders(トモキ・サンダース)

左:Kassa Overall (カッサ・オーバーオール)
1982年10月9日生まれ、米・ワシントン州シアトル出身のミュージシャン、MC、シンガー、プロデューサー、ドラマー。前衛的な実験とヒップホップ・プロダクションのテクニックを融合させ、ジャズとラップの結びつきを想像だにしない方向へと進化させた楽曲で評価を高める。前作の『 I THINK I’M GOOD』から3年を経て、名門Warpから自身3作目となるスタジオアルバム『ANIMALS』をリリースした。
https://www.kassaoverall.com

右:Tomoki Sanders(トモキ・サンダース)
1994年ニューヨーク州マンハッタン出身。4歳でピアノとドラム、6歳でクラリネット、10歳で父 Pharaoh Sandersから譲り受けたアルトサックス、14歳からテナーサックスを手にとり演奏を始める。バークリー音楽大学で演奏、現代作曲技術、音楽制作などを学び、2018年に卒業。現在までに、Pharoah Sanders、 Kassa Overall、Ravi Coltrane、OMSB、石若駿をはじめ、日本と米国で様々なミュージシャンとの共演を果たしてきた。現在は主にニューヨークを拠点に活動中。

ジャズ・ドラマーとして活躍する一方、プロデューサー/ビートメイカー/MCとして先鋭的な作品作りを続けるKassa Overall(カッサ・オーバーオール)。前作『I Think I’m Good』(2020年)から3年を経て名門Warpから2023年の5月に発表した最新アルバム『ANIMALS』は、ジャズやヒップホップ、エレクトロの要素を絶妙に融合させた実験的な音楽性と思索的なリリック、そしてDanny Brown(ダニー・ブラウン)やNick Hakim(ニック・ハキーム)をはじめとする豪華なゲスト陣も相まって、大きな話題を集めた。

そんな彼が、サックスやパーカッションをはじめ、様々な楽器を弾きこなすマルチ・インストルメンタリストのTomoki Sanders(トモキ・サンダース)やピアニストのIan Fink(イアン・フィンク)、ドラマー/パーカッショニストのBendji Allonce(ベンジー・アロンス)らを引き連れ、昨年10月に自身2度目となる来日公演を行った。東京と大阪、そして朝霧JAMで圧巻のパフォーマンスを披露した彼らは、各会場で老若男女、そしてジャズファンとヒップホップファンの入りまじるオーディエンスを熱狂の渦に巻き込み、その唯一無二の音楽的価値と実力を改めて示してみせた。

TOKIONでは、彼らの来日公演の折に、Kassa OverallとTomoki Sandersにインタビューを敢行。お互いの音楽的素養やキャリアを尊重しつつ、兄弟や師弟にも似た関係を取り結ぶ2人に、アルバムタイトル『ANIMALS』の背景にある思想や、アフリカン・ディアスポラ・ミュージックを分つ「ジャンルに」対する考え方、「家(home)」への思い、Tomokiの実の父、Pharaoh Sandersとのエピソード、日本文化への興味、そして「バックパッキング・プロデューサー」としての心得など、あらゆることを語ってもらった。

『ANIMALS』と抑圧への抵抗

–3年ぶり2度目の来日公演ですね。どんな気分ですか?

Kassa Overall(Kassa):とても興奮しているよ。前回のツアーの後、ヨーロッパのツアーには8回くらい行ったかな。でも日本に来るのはいつも大きなイベントのように感じる。フライトは長いし、ビザを取るために何度も領事館に行かなければならない。とにかく大変なんだ。時差ボケもひどいし。でもそういうものを経て日本に来れたら、この国の独特のライフスタイルに触れることができる。とてもエキサイティングだよ。

–Tomokiさんは、Kassa Overallのバンドの一員として日本に戻って来たことについて、どう感じましたか?

Tomoki Sanders(Tomoki):とても感謝しているし、素晴らしいバンドの一員になれて光栄に感じています。それに、海外のバンドに参加して日本で演奏するのは初めてなんです。日本の音楽シーンで10年近く演奏してきた僕にとって、これは全く新しい経験で、日本ツアーでの3日間が本当に楽しみです。

Kassa: 帰ってきたぜ、マザーファッカー!みたいな気分なんじゃないの?

Tomoki: まあ確かに(笑)「いつか海外のバンドと日本に凱旋して演奏したい」って、周りの人たちにはずっと言ってきましたからね。今回それが叶って嬉しいです。

–まず『ANIMALS』というアルバムのタイトルについてお聞きしたいと思います。このタイトルには複数の意味が込められていると語っていましたよね。まず、観客の前で演奏をする自分を、ときにサーカスの動物のように感じることがあると。もうひとつは、人はときに他者を「動物だ」と形容して、その他者に対する自分の残忍な行為を正当化させると。これは、一義的にはアフリカ系アメリカ人としての視点からの言葉だと思いますが、ガザの問題のように、いま私たちが目の当たりにする世界の様々な問題にもリンクするように感じます。タイトルに込めたメッセージが、自分の想像していなかった、より広い意味で理解されることについて思うことはありますか?

Kassa: まず自分が音楽に取り組む時、そこには何かしらのインスピレーションがある。それはごく個人的なものかもしれないけれど、そこから生まれる作品は、普遍的で時代を超越するようなものにしたいと思って制作しているよ。作品を発表して数年後に何かが起きたとき、聴き返す価値があるようなものをね。つまり、過去に起こったこと、現在起こっていること、そして未来に起こることを物語りたいと思っているんだ。

先日、家族と話している時に、ヨーロッパ中心主義的な文化や、階級、人種、その他いろいろなことについて激しい議論になった。そして結局、僕は「抑圧」に抵抗しようとしている、という結論に行き着いたんだ。抑圧はさまざまなレベルで存在する。国家同士のようにすごく巨大な力が関わるものから、より小さなレベル、例えば家族の中や、マクドナルドでの店長と従業員の関係性に至るまで。どこにだって独裁者のように振る舞う人はいるからね。

だからこそ、人生に対する別の見方を提示するような作品を作ろうと思っている。それと同時に、聴く人がどんな状況にも当てはめることができるよう、透明性やわかりやすさも大切にしているよ。僕の音楽が、なんであれ大変なことを経験している人に、立ち上がるための力を与えられたらいいなと願いながらね。それから、自分自身が抑圧的に振る舞っていないかを考えることも大切だと思っている。自分から離れた物事に対してあれこれ言うだけじゃなくて、自分のことも省みないとね。誰が誰を抑圧しているのか、見分けるのが難しいケースも多い。まあ、善悪をジャッジするのは僕の仕事ではないから、ただ自分が正しいと思うことをするだけだよ。

–それに関して、Tomokiさんは何か思うところありますか?

Tomoki: 確かに、「動物」という言葉は、誰かが他の人の人間性を奪うような場面で使われていると思いますし、それはパレスチナの問題や、数年前のジョージ・フロイド事件やブリオナ・テイラーへの銃撃事件など見ても明らかだと思います。出来事としては、軍隊や警察官が市民を殺害していることだと言えるけれど、その内実を見てみれば、要は人間が、別の人間の命を奪っているということ。本当は命を奪っている側こそ「野獣」を抱えていると僕は思います。とは言え、人間というものの内側にはそれぞれ「内なる野獣」がいて、それを顕在化させるのか、制御するのかの違いなのかなとも思いますね。

音楽を文脈から解き放つこと

–「抑圧」への抵抗という点で言うと、Tomokiさんは別のインタビューで、アフリカ系アメリカ人にとって、フリージャズやヒップホップは、自分たちを抑圧するものや白人中心の社会が作り上げたものから解放されるための手段だったし、今もそうあり続けていると言っていましたよね。

Tomoki:あくまで個人的な解釈ですけど、僕にとってフリー・ジャズは、ジャズという言葉そのものを解放することでもあります。ジャズという言葉が嫌いだと言う人もいるかもしれないし、良いイメージを持っていない人も多いかもしれない。フリー・ジャズは、でたらめな音、でたらめなタイミング、もしくは思いつきのメロディーを演奏するものだと思っている人もいると思う。でもそれは、フリー・ジャズという言葉を説明する上では全く本質的な部分ではなくて。ぼくにとってのフリー・ジャズは、いろんな意味で自分自身を解放することであり、自分らしさや、アーティストとしての楽観的価値観を受け入れる自由さを身につけることなんです。

–なるほど。Kassaさんはそのようなフリー・ジャズ的なマインドセットを体現していると思いますか?

Tomoki:それは間違いないです。彼はブラック・ミュージックそのものを体現していると思います。ツアー中、彼はアンダーグラウンドヒップホップから、僕が聴いてこなかったジャズの名盤まで、音楽をたくさん教えてくれて、僕の音楽の関心の幅も広がったので感謝しています。

–Kassaさんはそれを聞いてどうですか?

Kassa: そうだね。自由(free)っていうのは、社会を成り立たせている文脈から自分を解き放つことじゃないかなと思う。あくまでこれは僕の個人的な意見だけど、音楽ジャンルっていうのは、アメリカの白人文化や、ヨーロッパの白人文化の文脈の中で作られてきたものだと思う。その文化の中で、「この黒人たちが作った音楽を何と呼ぶか?」っていう思案のもと、ある音楽は「ジャズ」と名付けられ、また別の音楽は「ヒップホップ」と名付けられた。でもそれって、文化に枷(かせ)をつけているようなものじゃないかと思う。つまり文化を時代や、特定のスタイルで縛り付けているだけなんじゃないかって。

–おっしゃる通りだと思います。

Kassa: それに対して、ディアスポラ的な性質を軸にして、これらの異なるジャンルをブラック・ミュージック、あるいはアフリカン・ディアスポラ・ミュージックとして、互いに結びつけることができたら、「Aというジャンルは絶対にAで、他のものにはなりえない」というジャンルの束縛から音楽を解き放つことができるんじゃないかな。これは世代間の断絶にも似ていると思う。つまり、孫、母親、祖父、叔父、叔母、いとこ、これらすべての人々が同じ空間に一緒にいれば、個々のパワーは統合されて、倍増する。でも、もしその人たちが1人ずつ100個の小さな空間に分断されていたとしたら、各々がただの単一な存在に過ぎないということになるよね。

そんなふうに分断された考え方で僕の音楽を聞くと、僕はただのラッパーで、何千と存在する他の要素とのつながりなんて意識せずに、ただドラムを叩いている奴ってことになってしまう。だからこそ、「僕にとっては明白だけど、他の人たちにとってはそうじゃないような音楽的なつながりを、作品を通していかに見せられるか」という問いは、自分が音楽を作る上でのモチベーションの1つでもある。それで最初の話に戻って、「どうすれば文脈から抜け出せるのか?」と考える。「僕は、既存の文脈の中で、自分以外の存在として定義されることなく、ただそれ自体として存在することはできないのか?」と。でも、こうやって話し始めると堂々巡りになってしまうし、話している僕自身も混乱してしまうから、結局は黙々と作品を作って、その作品自体に語らせる、っていうやり方のほうが好きかもしれないね。

–なるほど。ちなみに先ほどツアー中にTomokiさんはKassaさんからアンダーグラウンド・ヒップホップを色々と教えてもらっていたと言っていましたが、どんなアーティストを教えてもらったんでしょうか?

Kassa: さあTomoki、勉強の成果を披露する時だね。アンダーグラウンド・ヒップホップの名盤20選を挙げなさい(笑)

Tomoki: (ビートボックスをしながら)Kassaに教えてもらった曲のこのビートがずっと頭から離れないんですよね。

Kassa: それはSchoolly Dだね!フィラデルフィア出身の元祖ギャングスタ・ラッパーだよ。NWAやIce-Tにも影響を与えた人物。

Tomoki:そうそう。Schoolly DはKassaから教えてもらったラッパーの中でも印象に残っているアーティストです。他にも、主に90年代初期から90年代中期のヒップホップを色々と教えてもらいました。そのあたりを知ることで、改めてヒップホップ文化とは何たるかを深く知ることができた気がします。僕にとってのヒップホップのスタート地点は、Biggieや2Pacで、そこからA Tribe Called QuestやJay-Z、あとはKanye WestやThe NeptunesやTimbalandを聴いていました。僕は、それらの音楽のルーツはどこなのか、源流のようなものを知るのが好きなオタクなんですよね。Kassaは僕とは世代が違うし、子供の頃からヒップホップをたくさん聴いて育ってきた人。彼が聴いてきた音楽は、僕に取っては知識として欠けていた部分だったので、完全に勉強モードで、ヒップホップの源流に近い音楽をたくさん吸収させてもらいました。

Make My Way Back Homeの問い

Kassa Overall – Make My Way Back Home (feat. Nick Hakim & Theo Croker) [Official Video]

–『ANIMALS』に収録されている『Make My Way Back Home』についてお聞きします。最近個人的に、Eric B. & Rakimの『In The Ghetto』という曲を聴き返していて、この中で「It ain’t where you’re from, it’s where ya at(どこから来たかじゃねえ。どこにいるかなんだ)」というパンチラインがあるんです。それと対照的に、Kassaさんの『Make My Way Back Home』は、「別に家に帰ったっていいんだよ」というタイトルにも現れているように、人の弱さや繊細さを受け入れていて、まさに今の時代のヒップホップという感じがしました。それも、先ほどおっしゃっていた「抑圧」に抗うことにつながるのかなと思ったんですが、どうですか?

Kassa:なるほど。考え方がより現代的に進化したんじゃないかってことだよね?確かに、より繊細な物言いにはなっているね。でも、この曲のリリックをよく聞くと、「You could cry to your mama, but she don’t want no drama (母親に泣きついたっていい。でも、母親はドラマを望んではいない)」と言っているよね。確かに繊細な物言いにはなっているんだけど、結局のところErik B.とRakimの曲と同じメッセージを歌っているんだよ。つまり、「自分の世話は自分でするんだ」ってこと。その後の「I’ve been washin’ on my karma, got me working like a farmer(自分のカルマに向き合い、そのために農民のように働いた)」っていうリリックも同じだよ。わかるだろ?家が恋しくなったり、親のいる家に帰りたいと思ったりすることもあるだろうけど、実際のところ、世界は僕のことなんて大して気にもしていない。自分でレベルアップしなければならないってこと。

Erik B.とRakimの「どこから来たかじゃねえ。どこにいるかなんだ」っていうリリックには二重の意味があって、実際の場所というよりは精神性の話をしているよね。つまり、精神的な面において、どこからスタートしたかは重要ではなく、どこまで自分を高められたかが重要だってこと。だからどちらの曲にしても、自分を向上させないと始まらないよね、っていう話をしているんだよ。

–なるほど。ありがとうございます。ちなみにTomokiさんは文字通り日本の家に帰ってきたわけですけど、この曲に特に感じ入る部分はありますか?

Tomoki: 実は家にいる間、この曲をずっと聴いていました。今回のツアーで実家に帰って、1年ぶりに母に会ったんです。僕がKassaのツアーにも参加していることを、母はとても喜んでくれました。今回の来日を通して、母には僕の新しい一面を見せられると思いますし、自立した大人の姿を見せたいとも思っています。そういう意味で、この曲が自分の今のライフステージに共鳴する感覚はあります。日本にいられる期間は短いから「もう少しここにいたいよ」と母に泣き言を言うこともできるけれど、そこから成長する必要があるとも思っています。繰り返される物事や、懐かしく心地よいと感じるようなものを断ち切らないといけないなと。ある程度の年齢になって自立心が芽生えたら、誰かの子供であることに甘んじるのではなくて、自分の世話は自分で見られるようにならなきゃいけないんだと思います。

Kassa: そうそう、この曲にこめたメッセージはまさにそういうことだよ。

Pharaoh Sandersへの思い

–ご家族の話が出たので、もう少しだけTomokiさんにうかがいます。父親であるPharaoh Sanders氏が2022年に亡くなったことは、音楽ファンにとっても悲しい出来事でしたが、Tomokiさんが息子として経験した悲しみは想像を絶するものだと思います。話せる範囲で、お父様との時間について話してもらえますか?

Tomoki:父は、2022年のWe Out Here Festivalで一緒に演奏した数週間に亡くなりました。僕は最期の日まで、父のそばで身の回りの世話をしてきたので、彼を目の前で看取ることができたんです。もちろん亡くなってすぐは現実を受け入れるのがとても辛かった。2022年の後半から2023年の初めにかけて、まるでひどい悪夢を見ているかのようでした。でも時間が経つにつれて、痛みを経て少し強くなった実感もあるし、学びもありました。彼が亡くなったことで、僕の楽観的な考えを失ったり、自分という人間がわからなくなったり、あるいはこの世界で自分がやるべきことを見失ってはいけないし、そうならないための方法を見つけなきゃいけない。僕にとって父の音楽を聴いたり、演奏したりすることは、彼をただ懐かしんで思い出に浸ることではなく、彼がどんな人物であったかを改めて噛みしめる、ある種の癒しのようなものなんです。

–ありがとうございます。Pharaoh氏とのつながりで言うと、Lil BやShabazz Palaces、Francis and the Lightsをフィーチャリングに迎えた『Going Up』は、その楽曲の複雑さや完成度もさることながら、Pharaoh氏がトンネルの中で『Kazuko』を演奏している映像へのオマージュが含まれている感動的なMVも印象的でした。映像を制作したNoah Porter(ノア・ポーター)長年のコラボレーターですが、それぞれの曲のビデオはどのように作っているんですか?

Kassa:一緒に何かを作る上では、信頼関係が重要だと思っている。僕が作品を制作しているとき、一緒に仕事をしている人たちは僕が具体的に何をしているのかわかっていないことが多いんだ。まあ、単に作品作りの進め方が違うだけかもしれないね。だから、コラボレーターから「君がやりたいことってこういうこと?」みたいな感じで確認されることが多いんだ。僕は大抵「そうそう、そんな感じ。」と答えるんだけど。

つまりここで言いたいのは、僕も他の人たちと一緒に仕事をする方法をちゃんと学ばなければならないということ。僕は、Noahのようなコラボレーターと一緒に仕事をしているとき、彼らの持っているビジョンをちゃんと把握していないことが多い。彼らが僕のやっていることを理解していないようにね。とは言え、彼の仕事ぶりは理解しているし、彼が何を見て、どういう能力があるかはわかっている。要は信頼関係の問題なんだ。彼と一緒に仕事をするのはとても勉強になるし、毎回、最終的に出来上がる作品は、自分ひとりでは思いつかないようなものばかりだよ。だから、彼との仕事は大好きなんだ。

Kassa Overall – Going Up (ft. Lil B, Shabazz Palaces, Francis and the Lights)

–ではトンネルでの撮影も彼の提案なんですね?

Kassa:そうだね。曲に参加してるLil BもMVに出てもらいたくて結構長いこと調整したんだけど、結果的に参加できなかったのはちょっと残念だったけどね。

日本文化のレイヤー

–ちなみにPharaoh氏は、初めて触れた日本文化から受けた感銘を表現した美しい楽曲『Japan』を発表していますね。

Tomoki:確か、父はJohn Coltrane(ジョン・コルトレーン)との日本でのギグの後にあの曲を書いたはずです。父にとって最初の海外公演が、Johnが亡くなる1年前に行った彼の最後の日本ツアーで、父はその時26歳でした。父は、初めて乗った0系新幹線の中で、あの曲を書いたと言っていましたね。戦後の高度経済成長で盛り上がる日本で、ニューヨークや彼の故郷であるアーカンソー州リトルロックでは見ることのできない、まったく新しい世界を目の当たりにして、未知のことをたくさん経験したんだと思います。だからこの曲自体が、彼の日本での経験を、写真を撮るような感覚で記憶したものなんだと思います。僕も日本は好きだから、この曲を書いた父の思いは理解できますね。

–Kassaさんは、日本にたくさんのファンを抱えていますよね。

Kassa:そうだね。ファンの数で言ったら、アメリカより日本の方が多いかもしれないね。

–それは日本文化とKassaさんの音楽の相性が良いということなんでしょうか?Kassaさん自身は、日本文化にはどんな印象を持っていますか?

Kassa:実はさっき朝食をとったレストランが、現金払いのみだったんだ。そしたらバンドメンバーの1人が、「日本は未来のテクノロジーの国じゃないのか!なんで現金だけなんだよ!」って嘆いていたよ(笑)。

それで僕が思ったのは、どんな文化だって一枚岩じゃないってこと。そうだろ?東京はまるでスター・ウォーズの世界のように近未来的だけど、日本には、そういったテクノロジーと同じくらい、伝統的で有機的なエネルギーがある気がする。それは、僕の音楽のあり方にも似ている気がしていて、その部分が日本でたくさんの人が僕の音楽を聞いてくれている理由なのかなと思うことがある。僕の音楽はエレクトロニックでグリッチ的で奇妙だけど、すごく有機的でもあって、その両方が一緒になっている。うーん、言いたいことをいちから説明すると、とんでもなく長くなっちゃうな(笑)。今話したのは、ほんの前置きなんだ。

–全部話してくれて大丈夫ですよ(笑)

Kassa:まあ要約して言うと、あらゆる文化は何層にも折り重なった層になっているということ。そして日本文化に関して、僕はまだ、その層の表面に触れただけだと感じている。日本に滞在していて良いなと思うのは、公園の中でも、街中でも、朝食の時でも、とても静かなところだね。それは、僕の好きなレコードの音にも似ていて。僕は、繊細で、収録された時の「空気」が聴こえるようなレコードが好きなんだ。だから、そういう要素を持ち合わせたレコードをディグっているんだよね。

それから、日本で生まれたスピリチュアルな要素にも若い頃からずっと惹かれていた。瞑想とかね。でも、これらはすべて表面的なものに過ぎないということも理解している。だから、日本でこういった事象が起きている理由や、この両極的な要素がどこから生まれてくるのかをもっと深く知りたい。でもTomokiは、この日本の「静けさ」を、僕ほどは好きじゃないんじゃないかもしれないね。Tomokiはいつもアゲアゲだから、「こんな静かな場所は我慢できない」ってなるんじゃないかな(笑)僕はどんな文化も好きだけど、独特な特徴がある日本の文化にはとても興味があるし、もっと深く知りたいと思っているよ。

–なるほど。Kassaさんの音楽の多面的な部分が、日本で多くのファンを惹きつけている理由という分析は面白いですね。

Kassa: 何年か前、まだ今のように多くのファンがいなかった時、「僕は日本では有名なんだぜ!」ってよく冗談で言っていたんだ。SoundCloudとかに曲をアップして、「知らないのか?この曲は日本で売れてるんだぜ?」っていう感じでね(笑)まあ、正確にはわからないけど、僕の音楽は日本と相性のいい多面性を体現しているのかな。それでこうしてツアーに来られているんだから、日本のファンには感謝しているよ。

場所を言い訳にしない方法

–Kassaさんに日本の「静けさ」があんまり好きじゃないんじゃないかと言われていましたが、Tomokiさんは日本とアメリカ、どちらが自分らしくいられると思いますか?

Tomoki:比べるのは難しいけれど、状況によりますね。僕が拠点を置いているニューヨークは、夜中にジャムセッションに出かけたりできるし、そういう自由なライフスタイルを楽しめる場所です。一方で日本にはニューヨークにはない良さがありますね。安全だし、平和で穏やかな環境があるし、人もみんな礼儀正しいし。今回は、1ヶ月日本にいるけれど、母に会ったり、温泉に行ったりして、とても癒されました。そして、僕の地元である水戸市のスタジオにも行って、毎晩レコーディングをしたり、オーナーに70年代のラテン音楽や、アフリカ音楽のコンピレーションCDを聴かせてもらったり。でも同時に、僕は忙しく動き回っていたい人間なので、そういう部分は日本よりもニューヨークが合っているなと感じます。

–それに関連して、Kassaさんは、シアトルやニューヨークを行き来する生活をしていると思いますが、移動が多い生活の中で心地よい時間を過ごすために心がけていることはありますか?

Kassa:2013年から2016年くらいにかけて、Dee Dee Bridgewater(ディー・ディー・ブリッジウォーター)やTheo Croker(セオ・クロッカー)と一緒に、常にツアーをしているような生活を送っていた。その時は、日課や朝のルーティンを持つことに夢中で、どこにいたとしても、場所を言い訳にしない方法を模索していたんだ。だからまずはバッグいっぱいの本を持ち歩く代わりに、小さな電子書籍リーダーを買った。その中には、スピリチュアルな本から、瞑想的な自己啓発本、そしてどこでもできる運動法の解説本など、たくさんの本が入っていた。そんなふうに「何も必要としない」生活パターンを作り始めたんだ。次第に、居心地良く過ごすために必要なことは全てできるようになった。それからは自分がどこにいるかは問題ではなくなり、どのくらい時間があるか、という問題にフォーカスするようになった。それは音楽制作に関しても同じで、自分自身が音楽スタジオを「携帯」できるような方法を模索してきたんだよ。

–以前、自分自身を「バックパック・プロデューサー」と呼んでいましたもんね。

Kassa:そうだね。実は今朝も、ホテルでビートボックスをしていたんだ。そしたらガールフレンドがそのビートを気に入ってくれたから録音した。そのあと、一緒にジョギングに行くことになっていたんだけど、彼女は身支度に時間がかかっていた。だから彼女を急かす代わりに、録音したビートボックスを基にしてビートを作っていたんだ。

ビートボックスをやっていた時に、彼女がHerbie Hancockの『Watermelon Man』の冒頭のフレーズを歌っていたんだ。それが良い感じだったからサンプリングをして、ビートに合うようにスピードを上げ、少し音数を減らした。(録音したビートを流しながら)こんな感じにね。概して言えるのは、アイデアを得るためには様々なテクノロジーが必要で、スタジオに入ってあれこれ作業をしなきゃいけないと思うこともあるけれど、「速さ」が最良のテクノロジーってこと。より良いクオリティを追求するのは重要だけど、すぐに動き出せるってことが何より大切なんだ。おっと、どんどん話が逸れてきちゃったね(笑)

–いえいえ。面白いお話をありがとうございました。最後に日本のファンに何か伝えたいことがあればどうぞ。

Kassa: 僕の音楽を聴いてくれてありがとう。もし僕が作った作品を気に入らなかったとしても、僕は1人の人間で、常に成長し、変化し続ける人間であることを忘れないで。そして、やりたいことがある人は、それがたとえ他の人に認められなかったとしても、自分がいいと思うのならそれを追求してほしい。

Tomoki:じゃあ最後は日本語で話しますね!カッサ兄さんの素晴らしい音楽を聴いてくれているみなさんに感謝しています。これからもカッサ兄さんの音楽を楽しんでください!今後ともよろぴくー!

Kassa: ん?Tomokiはなんて言ったんだ(笑)?

Photography Mayumi Hosokura
Special thanks Miho Harada

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世界的メイクアップアーティストの上田裕美、手探りでつかんだロンドンでの夢 https://tokion.jp/2024/02/23/hiromiueda-interview/ Fri, 23 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224754 「アルマーニ ビューティ」グローバル メイクアップアーティストとしても活躍する上田にインタビュー。

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上田裕美(Hiromi Ueda)/メイクアップアーティス

内面の輝きを際立たせるメイクを得意とするメイクアップアーティスト、上田裕美。2000年代に単身でロンドンに渡り、現在も同都市を拠点に活躍する日本人クリエイターの1人だ。当時は、まだ海外に出て活動する日本人も少なく、80年代、90年代と少しずつ日本人のクリエイターが海外に活躍の場を広げていった。世界各国から若いクリエイターが集まり、誰もが新しいことにチャレンジしていたロンドンには、過去の慣習から解き放たれ、新しいことをつくる自由な環境があったのだ。

時代はちょうどデジタルに移行する直前で、トレンドをけん引していたのはSNSではなく雑誌だった。さまざまな業界の人々に影響を与え、その潮流は世界に飛び火し、ロンドンで認められたクリエイターは、やがて世界のトップクリエイターとして羽ばたいていった。

ロンドンに来た当初は、何をするかわからず模索していた、と当時を思い出しながら語る上田。しかしメイクアップアーティストになると決めてから、さまざまな段階でいつも自分にチャレンジし、まさに文字通り手探りで実力をつけ、トップメイクアップアーティストとして世界を舞台に活躍するように。そんな彼女に海外でチャレンジすることの大切さ、そして現在の自分の仕事と生活、クリエイティビティについて聞く。

将来を模索していた20代

 ――ロンドンに来た時期と理由を教えてください。

上田裕美(以下、上田):初めてロンドンに来たのは、高校3年生の夏休み中です。友達数人と軽い気持ちで2週間ほど遊びに来ました。でもその時に刺激を受け、本格的に留学をしたいと思い、語学勉強をしに大学中に戻ってきました。

 ――メイクアップアーティストになるきっかけは?

 上田:大学在学中に1年間休学してロンドンの語学学校に通ったあと、本格的に移住するために2000年に再度ロンドンに来ました。初めの数年間は自分探しの時間で、将来何がしたいのか模索していましたね。当時はまだ20代前半。偶然知り合いにファッション業界の仕事をしている人やメイクアップの勉強をしている人が数人いて、彼等と交流しているうちに感化されてメイクの勉強を始めました。

その後メイクアップアーティストの仕事がしたいと思うようになってから、学校に通い、アシスタントを経て、少しずつやりたい仕事ができるようになっていきましたね。

――今に至る一番の転機となったのは?

上田:そうですね、人生の転機はいろいろあったと思います。他の都市ではなくロンドンに来たこと、そしていろんな友達に出会って刺激を受けたこと。移住当初のロンドン生活は本当に楽しかったですね。

夢の舞台で見た“新しい景色”

「ジョルジオ アルマーニ プリヴェ」2024年春夏オートクチュール・コレクション。上田のインスタグラム(@hiromi_ueda)アカウントから
「ジョルジオ アルマーニ プリヴェ」2024年春夏オートクチュール・コレクション。上田のインスタグラム(@hiromi_ueda)アカウントから

―― ロンドンでメイクアップアーティストを目指すことになり、大変だったこと、楽しかったことは?

上田:一番大変だったのは、フリーランスになった時。独立してからは、メイクの仕事をもらえるようになるために何から始めて良いかわからなかったです。資格のある職業ではないので、「私はメイクアップアーティストです」と決めたら次の日からでもなれますが、どうやって仕事をもらえるようになるのか見当もつきませんでした。そのため、とにかくアシスタントの仕事やファッション関係のアルバイトなどを率先して探し、少しずつ前進して行った感じですね。

この仕事に就いて良かったと思うのは、毎日違うチームやクライアントなど、違った形の仕事を世界各国の都市でできること。いろんな方とお仕事をご一緒させてもらって日々刺激を受けています。“ビューティ”に関わる仕事が好きなので、メイクしている時間はとっても楽しい。

――現在のエージェントはトップクリエイターが集まるエージェントとして有名ですが、ここに所属することになった理由は? 

上田:独立して最初に所属した事務所に7、8年いましたが、違う環境に入って新しいチャレンジをしてみたくなりました。その時期に知り合いのヘアアーティストから今のエージェントの話を聞き、興味があったので自分から連絡して会ってもらうことに。

――今まで仕事をされてきて、最も素晴らしいと感じたフォトグラファーやスタイリストはいますか?

上田:たくさんいますが、例えばパオロ・ロヴェルシのような大御所のフォトグラファーは、同じスタイルでクリエイションにこだわり続けられるのがすごいと思います。写真を見れば彼の作品だとわかりますから。

一方でデイビッド・シムズは常に新しいファッション・フォトグラフィーを探し続けている。ライトを何個も使ったり、いつも新しい写真を探したりする様子に感心させられます。ユルゲン・テラーもいつも斬新なフレームを探し続けており、本当に大好きな作品がたくさんあります。

――一番思い出に残っている仕事は? 

上田:デイビッド・シムズと『Arena homme plus』 のために撮影した仕事(2018年6月1日発売号「Avalon vs. The Fall」)で、数人のモデルにエアブラシで体全身にメイクをしたファッションストーリーですね。同じような作品は前にも後にも見たことがないです。たくさんのスタッフに手伝ってもらって、1日中モデルの体にスプレーしていました。

――メイクアップアーティストの魅力は?

上田:モデルや女優等がもともと持つ美しさを、メイクすることによってさらにきれいに見せることができたり、雑誌の撮影ではいつもと違うメイクをしたりすることでいろいろなキャラクターを作ることができる。さまざまな現場でいろいろな方と出会うことによって違う世界に出合えることも魅力の1つだと思います。

――仕事で最も気をつけていることは何ですか?

上田:私のメイク椅子に座られた方の良さを最大限に引き出すことです。

――メイクアップアーティストとして最も大切なことは?

上田:健康や体力に気をつけること。華やかに見られる世界ですが、メイクの仕事は体力勝負でもあります。いろんな国で仕事をするので飛行機に乗って移動の時間も多いですし、時差のある都市で早朝の暗い時間から働き始めることもたくさんあります。自分の時間が取れる時にはヨガやマッサージに行き、ゆったりとした時間を持つように心がけています。

――自分のスタイルを一言で表現すると? 

上田:「versatile (多面的)」です。

――あなたにとってクリエイティビティとは?

上田:カラフルなペイントなどで顔全体にする斬新なメイクだけではなく、いかに少量のプロダクトで肌をきれいに見せるかということも大切なクリエイティブです。写真や動画での光の中で、ヘアや洋服といった他の要素と合わせて、どのように見えるかを考えています。それによってメイクを調節して最高の美を全体でつくることも楽しいですね。

――インスピレーションを受ける映画や本などあったら教えてください。

上田:古い映画やいろんな国の映画を見るのが好きなので、そこから影響を受けていると思います。世界中に旅に出てさまざまな文化を持つ人達に出会っていろんなメイクを見るのが大好きです。

海外で感じた日本の美徳

――現在はメイクアップアーティストの仕事の他にデリカフェ「PINCH LA DELI」をオープンしましたね。 

上田:もともとレストラン関連の仕事をしていた主人が始めたデリで、飲食物以外の商品のキュレーションや内装のデザインを私が担当しました。自分の本職のメイクの仕事とは少し違った形でのクリエイションができて楽しいです。

――休日は何をしてリラックスしますか?

上田:リラクゼーションはヨガですね。普段出張が多いので、休日は息子と一緒に時間を過ごすのが楽しみです。

――ご自身の毎日の肌のケアはどのようなことをしていますか? 

上田:ほぼ毎日欠かさずやっているのは塗りマスクやシートマスク。またビタミンやレチノールなどのアクティブ剤を乳液に含めたり、リンパマッサージや顔の筋トレをしたりは、時間がある時にやっています。

――今一緒に仕事をされるチームの間で話題になっているスキンケアやメイクアップ製品は?

上田:サステナブルに力を入れている会社の商品にはみんな関心が高いですね。

――尊敬するメイクアップアーティストはいますか? 

上田:パット・マクグラス、ピーター・フィリップス、ダイアン・ケンダル……彼等は、長年トップの地位でいろいろなクリエイションをしていることや、常時メイクに注いでいる情熱と志の高さを尊敬します。

――海外で働くことの大変さ、そして楽しさは?

上田:長年海外にいるので大変さは忘れましたが、一番の楽しさは自由。周りの人や社会から干渉されることはロンドンで生活するなかで少ないと思います。もちろん、人に迷惑を掛けないことは基本ですが、あとは何をやっていても自分が納得していたらいい。ロンドンの生活ではいろいろな人種の方や違った文化の方と交わることで多くの刺激を受けています。

――自分が日本人だなあ、と一番感じる時は?

上田:いつも日本食を欲する時(笑)。

――実際に海外に出て、日本にいた時にはわからなかった日本の良さに気付いたり、日本人として誇りを感じたりすることはありますか?

上田:日本にいた時は、西洋優越主義的な考えを植え付けられていたのかもしれません。海外に出て日本の良さを痛感しています。そして日本の伝統文化や現代文化など海外の方に高い評価を受けていることを誇りに思います。ファッション界では特に日本のカルチャーに興味を持っている方も多く嬉しいです。素晴らしい文化を築いたご先祖や先輩方に感謝しています。

「アルマーニ ビューティ」グローバル メイクアップアーティストに就任

――今まで15年務めてきたリンダ・カンテロのあとを継いで「アルマーニ ビューティ」のグローバルメイクアップアーティストに新しく就任されましたね。おめでとうございます!

上田:ありがとうございます。グローバルメイクアップアーティストとして「アルマーニ ビューティ」に参加できることを、光栄に思いうれしい半面、責任の重さに身が引き締まる思いです。

――このお話はいつ承ったのですか?

上田:この半年間、「ジョルジオアルマーニ」「エンポリオ アルマーニ」「ジョルジオ アルマーニ プリヴェ」のコレクションのメイクを担当後、昨年の秋のショーが終わった頃にこの役職に就く話が具体化していきました。でも最終的に決定のお知らせをいただいたのは1ヵ月ほど前です。

――「アルマーニ ビューティ」のグローバルメイクアップアーティストとしてこれからの抱負を聞かせてください。

上田:メイクアップアーティストとして、ファッション業界で約20年間の経験を積んできました。その間に培った経験や知識を生かして「アルマーニ ビューティ」のさらなる発展に全力で貢献していきたいと思います。

――これから海外に出ようと考えている人達へのメッセージを。

上田:海外生活が合うか合わないかはわかりません。ですが、思い切って行ってみたら100%良い経験になると思います。行ってみて、やはり日本のほうが合っている、日本で頑張りたいと思えることもあるでしょう。それはそれでプラスの経験になるはず。日本や日本人の素晴らしさに気付けるだけでも良いことです。何事もやってみないとわかりませんよね。

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アーティスト・大竹彩子が語る、制作の原点と現在地 ギャラリーでのヨーロッパ初個展「COLOURIDER」開催に寄せて https://tokion.jp/2024/02/22/colourider-saiko-otake/ Thu, 22 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224905 アーティスト・大竹彩子がヨーロッパでの初個展をロッテルダムのSato Galleryにて開催。展覧会に際しヨーロッパを旅している大竹に、制作活動の原点や今見つめているものなどを尋ねた。

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ペインティング、写真、コラージュなど幅広い作風を持ち、豊かな色彩と大胆な構成で私達を惹きつける大竹彩子。2018年の初個展以降、PARCO MUSEUMやNADiff a/p/a/r/tなどで毎年展覧会を行い、実力とキャリアを積み上げている彼女が、現在、ロッテルダムのSato Galleryにて、個展「COLOURIDER」を開催中だ。これはギャラリーで開催される個展としてはヨーロッパ初開催となる。フェミニン・パワー、サイケデリックな美学、モダン・アートがカラフルにぶつかり合う大竹の作品は、ノスタルジックな雰囲気と現代的なレイアウトを併せ持つ。展覧会に際し、ロッテルダム、ロンドン、パリなどヨーロッパを自身の好奇心の赴くままに周っているという。そんな旅の途中の彼女に制作の原点やインスピレーションの源、そして今見つめているものなど幅広く話を聞いた。

作品に息づく独自の色彩と構図はいかにして培われたのか

――今回のヨーロッパでの初個展おめでとうございます。開催の経緯を教えてください。

大竹彩子(以下、大竹):2019年に仕事でパリを訪れた時にSato Galleryのオーナー、ジュリアンと知り合ってからコロナ禍を経て実現できました。初のヨーロッパでの展示ということもあり悩んでいたところ、彼から「楽しんで描いて!」と言われていたので、今まで日本でやってきたことを進化させたものを発表したいと思いました。外国で展示するという夢が1つ叶いました。

――本個展で発表されたものをはじめ、大竹さんの作品は力強く豊かな色彩が印象的ですが、大竹さんにとって色の役割について教えてください。

大竹:子どもの頃に1960年代頃のサイケデリックアートを知って、蛍光色を使った独特の配色やタイポグラフィー、色のインパクトに惹かれて、その時から色の持つ力というのをすごく感じています。ただ派手なものというわけではなく、配色の妙とでも言いますか、組み合わせた時に持つ力や強い印象に惹かれています。組み合わせや見せ方は無限にあるので、都度その魅力を出せたらと思っています。

――個展のタイトル「COLOURIDER」はぴったりですね。ですが、色だけでなく構図や配置も独特で絶妙だと感じています。

大竹:幼い頃はもともとポスターを作る人になりたいと思っていました。今でも絵画というより模様や色の組み合わせる構図を意識するのはポスターに対する憧れに近いのかもしれません。古いポスターや広告を見るのは好きなので制作に影響していると思います。今回は女性の他に、恐竜とモンスターという実在しないものも描きました。

それはサイケデリックなポスターからの影響があるのかもしれません。つながっているタイポグラフィーのような物で空間を埋めていくようにひたすら描いた作品もあります。

組み合わせることで境界を曖昧にする写真作品/日常のインスピレーションを蒐集する本のシリーズ

――今回はペインティングだけでなく、2枚の写真を組み合わせた作品も展示されています。一見全く関係のないような写真が組み合わさることで別のイメージを生み出しています。どうやって生まれたんですか?

大竹:ロンドンにいた時にテート・モダンで開催された森山大道さんの展示のワークショップに参加したんです。壁にモノクロの写真が貼ってあって番号を選んで自分でレイアウトするというもの。そのワークショップがとても刺激的で、自分が撮ったものをまとめてみようと思い、一見関係のない写真を並べたことがきっかけです。隣同士に合わせることがおもしろかった。2枚の全く別の写真を組み合わせることで、時間や場所、色の境界線を曖昧にするという感覚を持たせた作品なので、レイアウトは色や形のバランスを特に意識しています。今回の展示では海外と日本というテーマで左が外国、右が日本で撮った写真を組み合わせました。

――そこから本のシリーズも生まれたんですか?

大竹:そうですね。以前から余白なしの本を作りたいと思っていたので、セント・マーチンズの卒業制作の1つとして、3冊、2022年までに15冊を自費出版しています。それぞれの写真は日常の風景からインスピレーションを受けた物を蒐集する感覚で撮りためたものです。

――具体的に日常のどういった風景からインスピレーションを受けるんですか?

大竹:古くから残されているものや人の手が加わったものに興味があります。ポスターの一部や剝がれた壁、古いマネキンなどに惹かれます。場所だと博物館や昔からあるような文房具屋さん、ヴィンテージショップ、いろいろなものが置いてあるマーケットとか。あと、外国だったらトイレや看板、落ちているゴミも見逃せません。そうしたものにも日本にはない独特の色彩がありますから。

初めて訪れたオランダの印象、ヨーロッパを巡る旅の過ごし方

――なるほど。次は今回の旅について聞かせてください。オランダには初めて訪れたそうですが、どんな印象を受けましたか?

大竹:窓が大きくて外から家の中が丸見えでびっくりしました。質素倹約を好むプロテスタントの影響があり、かつてはつつましい暮らしの証明という意味合いだったのが現代になって見せびらかせる風習に変わってきているというのを聞いておもしろいと思いました。通りを歩くと家族が食卓を囲んでいたり、人々の生活が垣間見えて、まるで映画のワンシーンを見ているような感覚に陥ります。オランダに長く住んでいる方々からいろいろなお話を聞いてより一層魅力的な街だと感じました。比較的ビザが取りやすかったり、アーティストに対するサポートも手厚かったりするとのことですし、実際旅をしていても人が優しい印象です。

――旅はロンドンから始まり、オランダを経てこの後はパリへと続くそうですね。どのように過ごしているのですか?

大竹:最初にロンドンで(ロナルド・ブルックス・)キタイの展示を見れてテンションが上がり、街並みや匂い、パブの佇まいのすべてを懐かしく感じました。ロッテルダムでは作品がなかなか届かずハラハラしましたが、無事に個展をオープンできてホッとしました。さらにデン・ハーグとアムステルダムにも知人を訪ねに行きました。久々に刺激的なものを吸収できてずっとハッピーな毎日を過ごしています。

この後はオランダのライデンにある日本博物館シーボルトハウスを訪れてみたいです。作家の吉村昭さんが書いた本がおもしろくてシーボルトや彼の周りの人達に興味を持っています。パリでは(フィリップ・)ワイズベッカーの展示とポンピドゥ・センターでのジル・アイヨーの展示、またリヨンの方まで足を伸ばしてオートリーヴにあるシュヴァルの理想宮にも行きます。(フェルディナン・)シュヴァルという郵便配達員だった人が作り上げたお城で、アウトサイダー・アートに分類されるのですが、小さい頃から興味があった場所なのでとても楽しみにしています。

――現代アートからアウトサイダー・アート、さらに歴史まで興味関心の幅が広くて驚かされます。

今回の旅でゴッホやピカソ、マティスなど、本物の絵を間近で見られるのはとても楽しみですが、既に価値を与えられた有名なものだけでなく、そこの境界線を超えていろいろなことに好奇心を持って対峙していきたいです。

――表現者として今までの道のりは?

大竹:幼い頃から色んな物を見るのが好きで、スケッチブックに人の絵を描いたり、雑誌を見て描いたりしていました。でもアーティストになろうとも、食べていけるとも思ってなかったので、単に(アーティストである)父のサポートができたらいいなという気持ちでした。それがやっぱり自分で描きたい、表現したいと思うようになり、色々な機会を与えてもらってここまで来れたという感じです。

――ヨーロッパでの初個展を迎えて、今の気持ちは?

大竹:ひとまずオープンできてほっとしていますし、日本以外での個展第一回目として満足しています。次は色を使ってもっと大きい作品を発表できたらおもしろいかなと思いました。開催は3/3までなので今後のフィードバックが不安でもあり、楽しみでもあります。今、地球全体が大変なことになっていて落ち込むこともあって大変でしたけど、だからこそ色の持つ力を伝えたいという気持ちを今回の展示に込めています。自分自身も色を見て元気になるというのを感じているので。

■SAIKO OTAKE 「COLOURIDER」
会期:2024年1月25日(木)~3月3日(日)
会場:Sato Gallery
住所:Insulindestraat 78, 3038 JB Rotterdam, Netherlands
料金:入場無料
URL:https://www.sato.art/ja/exhibitions/23/overview/

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連載「ものがたりとものづくり」 vol.14:スタイリスト・小山田孝司 https://tokion.jp/2024/02/21/monogatari-and-monodukuri-vol14/ Wed, 21 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223799 作家・ライターの菊池良が、各界のクリエイターをゲストに迎え、小説やエッセイなどからの影響について対話を行う連載企画。第14回のゲストはスタイリストの小山田孝司。

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「ものづくり」の背景には、どのような「ものがたり」があるのだろうか? 本連載では、『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社)、『ニャタレー夫人の恋人』(幻冬舎)の作者である菊池良が、各界のクリエイターをゲストに迎え、そのクリエイションにおける小説やエッセイなど言葉からの影響について、対話から解き明かしていく。第14回はスタイリストの小山田孝司が登場。

小山田さんが挙げたのは次の2作品でした。

・岡本太郎『自分の中に毒を持て』(青春出版社)

・長島有里枝『not six』(スイッチパブリッシング)

さて、この2作品にはどんな”ものづくりとものがたり”があるのでしょうか?

8月に刊行された小山田さんの初の作品集『なにがみてるゆめ』に触れながら、お話を伺います。

言葉や他者についての感覚に共感を覚えた、岡本太郎『自分の中に毒を持て』

──1冊目は岡本太郎さんの『自分の中に毒を持て』です。岡本さんの生き方や芸術論を語った内容です。

小山田孝司(以下、小山田):あまり本を自分で買うことはなくて、人からもらったりしたものを読むことが多いんです。この本も、たぶん友達の引っ越しを手伝った時に、その友達からもらったんじゃないかな。

結構自分の同世代は岡本太郎が好きな人が多かったですね。

──岡本さんは著書も多く、影響を受けた人も多いです。

小山田:ただ、岡本さんの作品は、正直あまり得意じゃなかったんですよね。なんか、自分にはちょっと強すぎて。

だけど、たまたまもらったこの本を読んでみたら、岡本さんの挑発的な言葉が心にダイレクトに迫ってきたんです。なんだろうな、「人生って死と隣り合わせなんだ」という感覚が伝わってくるというか。

岡本さんは戦争を体験していることとも関係していると思うんですけど。

──岡本さんは1911年生まれで、1929年にフランスに渡りますが、戦中はそこで兵役に就いて、戦後は生活をしています。

小山田:この企画のために、十何年ぶりかに読み返したんですけど、今の自分への影響も改めて感じました。

この辺のくだりは、自分が言葉に対して抱いている感覚とつながっている気がします。

あなたは言葉のもどかしさを感じたことがあるだろうか。とかく、どんなことを言っても、それが自分のほんとうに感じているナマナマしいものとズレているように感じる。たとえ人の前でなく、ひとりごとを言ったとしても、何か作りごとのような気がしてしまう。
(岡本太郎『自分の中に毒を持て』青春出版社、97頁)

あとこの部分とか。

多くの他人との出会いによって、人間は”他人”を発見する。”他人”を発見するということは、結局、”自己”の発見なのだ。
(岡本太郎『自分の中に毒を持て』青春出版社、164頁)

この本を最初に読んだのはスタイリストを目指している時。その時は「クリエイターはこうでなきゃいけない」というところに引っ張られていたんですが、だけど、今は岡本さんの繊細な一面が気になりますね。

そういうことを知った上でいろいろと作品を見ると、刺激が強いのは変わらないんですが、愛着が湧いてきますね。

──小山田さんの写真集『なにがみてるゆめ』もある意味、他者との出会いですよね。

小山田:この写真集の撮影では、3着ぐらい僕のストックの服を持っていき、モデルがその日着てきた私服に対して、その中の1着を組み合わせて撮っているんです。

一点混ざった僕の服が、被写体のパーソナリティに別の視点を投げかけるのがおもしろくもあり、自己と他者の境界線が曖昧になる感覚が刺激的でした。

岡本さんの本に書かれている言葉のように、このプロジェクトでは「人に会いながら自分を見ている」みたいな感覚がありましたね。

──他人を撮ることで、自分が見えてくる。

小山田:あと、僕はスタイリングで異なる価値観をもったアイテム同士を組み合わせたいと思っているんです。よく知られているブランドに、無名のブランドを混ぜるというか。異なるアイテムを掛け合わせることで、すでにある両者のイメージが新しいものへと変化するのがおもしろくもあり、自分に新しい発見を与えてくれます。

言葉にできないほど衝撃を受けた、長島有里枝『not six』

──続いては長島有里枝さんの『not six』。こちらは長島さんの当時の配偶者を被写体にした写真集です。

小山田:この写真集は2010年ぐらいに出合ったものです。

最初、見ていて苦しい気持ちにもなったんですが、最終的にとても感動して。初めてこの本を手にした時の言葉にできない感覚を大切にしたくて、あまり頻繁に開けない1冊でもあります。

──『not six』は長島さんの写真のあいまに短文が挟まる構成になっています。

小山田:長島さんは、言葉も響きますよね。

説得力があるというか、冒頭の「彼が私のカルマじゃなかったら、何?」という言葉がこの本の写真のすべてを物語っているように、言葉と写真が両立した写真集だなと感じました。

──写真集のなかの文章では、被写体のプロフィールや関係性は明確に書かれていないんですよね。そこが詩的だなって思いました。

小山田:わかります。一方で、僕の『なにがみてるゆめ』には、言葉を全く入れていないんです。入れるかどうかずっと考えて、最終的には入れなかったんですけど。

言葉って1つの方向に持っていく力が強いと思っていて、ファッションの仕事をやっていて、扱うのが少し難しいなって感じているところがあるんです。

『なにがみてるゆめ』では、人とファッションが同じ存在感というか、同列に存在していることを表現したかったんですけど、そこに言葉があると邪魔になってしまうような気がして。

──『なにがみてるゆめ』を見ていると、「この人は、どんな人なんだろう」って考えるんです。すると、着ているものや部屋の小物からぼんやりとしたものが見えてくる。言葉がないことで、タイトルと共鳴しているように感じました。

Photography Kousuke Matsuki

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連載「ぼくの東京」Vol.11 民藝に新たな感性を吹き込む、染色家・宮入圭太が考える東京 https://tokion.jp/2024/02/20/my-tokyo-vol11/ Tue, 20 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223271 アーティスト等による思い思いの「東京」を紹介する連載。第11回は手仕事の美しさを継承する染色家・宮入圭太が登場。

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ぼく・わたしにとっての「東京」を紹介する本連載。第11回は、宮入圭太が生まれ育った東京の新たな魅力を探しに。

宮入圭太
1974年東京都生まれ。型染を生業とする。古き良き先人の作品に感銘を受けながらも、自身の感じる自由を表現。民藝には生き様が投影される。あたりまえに過ごしてきた東京。知らぬ間に蓄積された感覚は、アートとして注目を浴びている。https://keitamiyairi.jp
Instagram:@keitamiyairi

制約の中に、自由を観る

民藝思想。1926年に柳宗悦等によって提唱されたこの文化は、華美な装飾ばかりを施した当時の工芸界に警鐘を鳴らすものだった。美は生活の中にこそある。そう考えた柳宗悦達が、名も無き職人の手から生まれた日常の道具を「民藝」と名付け、新しい美を提示したのだ。

「いつからか、この思想に惹かれるようになっていました」と、染色家の宮入圭太は言う。しかし、制約された表現のなかで、仕事をすることにそれが正しいとわかっていても、どこかふてくされている自分もいた。

「大衆に受けないと意味がないというか……個性とか趣味とかが悪とされる世界なんです。でも、自分が“好き”と思う感覚を大切にしたい。そんな時、柚木沙弥郎の作品に出会いました。あ、おもしろいぞ、って」。

生まれ育ちは池袋。幼い頃から、あたりまえのように都会の暮らしを楽しんでいた。気の向くままにスケートボードを手に取り、時には絵を描く少年だった。

「池袋の普通の家庭で育ったので、センスとかあまり考えたことがなかったです」。

そんな宮入は、結婚がきっかけで30代前半からは後楽園に転居。居心地のいい地元を離れ、友達もいない場所で黙々と自分の仕事と向き合う。近くの「小石川植物園」は好きな散歩コースで、気付くと一番いる場所になっていた。

直観。大切にしてきたものが繋がる瞬間

「植物園や民藝館にはよく足を運びます。ネタ探しでもあり、刺激を受ける場所。特にコロナの時は、この植物園にめちゃくちゃ行ってました」。

「美術業界に知り合いなんて1人もいなかった」。そう話す宮入の前で、フォトグラファーの濱田が笑う。今では一緒に仕事もするし、遊ぶ仲だ。

「あの展示がなかったら出会ってないかもしれないな」。

宮入圭太という存在を大きくしたのは、世界的なグラフィティアーティストであるバリー・マッギーがきっかけ。彼の来日作品展で、宮入の作品が飾られたのだ。天井から吊り下げられた手ぬぐいに、多くの人がざわついた。

「無名だった私にたくさんの人が興味を持ってくれました。え、なんで!? バリーさん達とたまたま笑うものが一緒だった。あ、でもこの感覚(直観)って、すごく重要なのだと思いました」。

民藝とも通ずる直観。宮入が尊敬する柳宗悦の「素朴なものはいつも愛を受ける」という言葉は意外な場所で形を受けた。

「どこで生まれたとかは関係なくて、直観が共鳴すればすぐに繋がれるんだと感じました。そして、それを直に確かめ合えるのは東京だから、なのかな、とも」。

東京という存在が生んだもの

インターネットを知らない時代を生きてきた彼は、今日もシンプルな気持ちで作品と向き合う。売れることを考えれば必要なSNSも興味がない。ただ、目の前に見えるリアルな風景を楽しんでいる。彼にとっては今日も“好き(直観)”が重要だ。

「幼稚園の頃から染色を教えてきた娘は、もう中学生。明らかに子ども達の方が才能あるんです(笑)。子どもの自由さに勝てる人なんて、きっと1人もいないんだろうな。バリーさんの展示会のきっかけを作ってくれたタイラー君という友達もそういう目を持っている人で、彼とは4年間、毎日連絡をとっています」。

安定を求めて我執を隠して活動するより、自分が感じる正しさを表現したい。そんな彼が多くの出会いを経て感じたこともある。

「僕は東京生まれですが、実は東京出身の我々はダサいんじゃないか? と。作品を通して、東京を目指してきた人に会う機会も増え、その野心や感性に驚くし、知らない東京がまだまだがいっぱいです」。

Photography Shin Hamada
Text Akemi Kan
Edit Kana Mizoguchi (Mo-Green)

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渋谷慶一郎 × galcid × 齋藤久師による “NO COMPUTER”な電子音響セッションがDOMMUNEで開催 https://tokion.jp/2024/02/19/tokyo-no-computer-live-session/ Mon, 19 Feb 2024 07:30:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224848 2月22日にDOMMUNEにて渋谷慶一郎 × galcid × 齋藤久師による「TOKYO “NO COMPUTER” LIVE SESSION」が開催される。

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2月22日にDOMMUNEにて渋谷慶一郎 × galcid × 齋藤久師による初のセッション「TOKYO “NO COMPUTER” LIVE SESSION」が開催される。

掲げられたタイトルの通り、本セッションはコンピュータ非使用でモジュラー・シンセサイザーやアナログ・シンセサイザーなどハード機材のみを用いて展開されることとなる。

モジュラーシンセによる即興演奏を基軸としたスタイルで〈Detroit Underground〉や〈Force Inc.〉などからも作品をリリースしてきたLenaによるソロユニット、galcid。そんなgalcidのプロデュースを務め、Roland製品のプリセット音の制作なども手掛ける日本屈指のシンセサイザー・マエストロの齋藤久師。そして、「TOKION」での連載でも追ってきた通り、近年はMoog OneやProphet-5、Ninaなどのアナログ・シンセサイザーを愛用してきた渋谷慶一郎。

そんな三者が集う「TOKYO “NO COMPUTER” LIVE SESSION」は、計算可能性の埒外から生まれるスリリングで強度に満ちた電子音響を存分に堪能できること必至の一夜となるだろう。ゆめゆめ見逃すことないよう、スケジュールをチェックしておきたい。

■TOKYO “NO COMPUTER” LIVE SESSION
日付:2024年2月22日
会場:SUPER DOMMUNE
住所:東京都渋谷区宇田川町15-1 渋谷パルコ9階
時間:20:00〜21:00
入場料:1,000円(限定50人)
イベントURL:https://peatix.com/event/3851907

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「ネペンテス ニューヨーク」が新進アーティストを紹介するエキシビジョン 米ペインターのジュリアン・カリディによる「Sometimes It’s the Sun」をレポート https://tokion.jp/2024/02/15/nepenthesnewyork/ Thu, 15 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224229 今年最初の展示となる「Sometimes It’s the Sun」が開催

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2010年のオープン以来、アメリカや日本のアーティストによるストア内でのアートエキシビションやポップアップを精力的に開催している「ネペンテス ニューヨーク」。2024年の最初のエキシビジョンとなるのが、ペインターのジュリアン・カリディによる「Sometimes It’s the Sun」だ。

ジュリアンは1994年コロンビア・バランキージャ生まれ、 ニューヨークのトライベッカ育ち。同エキシビジョンでは、彼の最新の作品群が展示されていて、アブストラクトなストロークと色彩で美しく滲むウォーターカラー(水彩絵の具)のペインティングがタペストリーのようにストア内に飾られている。

「最初に、キャンバスとなる工事現場でも使うような防水シートやリネンを染めるところからはじめる。バケツに顔料で染色液を作って、大体1日ファブリックを漬けて、液から取り出した瞬間からその上に描きはじめるんだ。ものすごい速さでね(笑) ほとんどのペインティングは集中して描き込んだり、ただ眺める時間をとったり、時間をかけて作業したりするんだけど、この新しいペインティングはとにかく乾くのが速い。ウォーターカラーのように、とにかく乾く前に作業を終わらせる。この布は裏面だけ防水になっているから、滲み方も独特。布にインクが滲んでいく時、毎秒、違うテクスチャーが生まれていくんだよね。この日本の伝統的な墨汁をよく使うんだけど、これは最高」 。

ジュリアンは昨年、ニューヨーク州のアップステートにあるコールドスプリングからサウスウィリアムズバーグにスタジオを移したばかり。アップステートは自然に囲まれた環境はよかったけれど、ニューヨークシティからスタジオ・ビジットに来てもらうには距離があった。だがブルックリンのスタジオに移ってからはアクセスもよいため、作品を見せる機会も増えたそうだ。「ネペンテス」もスタジオ・ビジットに来てくれたことがきっかけで今回のエキシビジョンに繋がった。アートエキシビジョンに併せて、東京発のブランド「ネイタルデザイン」と久留米産の半纏 「クワノ ホーム」によるポップアップストアも3月27日まで開催中。

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世界が注目する“HARAJUKU CORE”ガールズメタルバンド「花冷え。」インタビュー後編 日本のカルチャーをミックスした「カオス」な音楽 https://tokion.jp/2024/02/08/harajuku-core-hanabie-vol2/ Thu, 08 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223225 2023年1月に発表のシングル曲「お先に失礼します。」で一躍有名になったガールズバンドの「花冷え。」。インタビュー後編では、海外ツアーのエピソードや新曲に込めた想いなどを聞いた。

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花冷え。のメンバー。左からヘッツ(Ba.&Cho.)、マツリ(Gt.&Vo.)、ユキナ(Vo.)、チカ(Dr.)。オフィシャル写真より

花冷え。
2015年結成のガールズメタルバンド。ユキナ(Vo.)、マツリ(Gt.&Vo.)、ヘッツ(Ba.&Cho.)、チカ(Dr.)の4人組。激しいメタルロックのサウンドに、日本のサブカルチャーや価値観を詰め込んだ歌詞やビジュアルで注目を集める。元々は中学・高校の同級生であるユキナ、マツリ、ヘッツを含む4人で活動開始したが、ドラマーのメンバーチェンジにより23年5月にチカが加入。同年7月、ソニーミュージックレーベルズ エピックレコードジャパンからメジャーデビューを果たし、デビューアルバム『来世は偉人!』を発表する。海外ツアーやフェス出演、ワンマンライヴなどを精力的にこなす。24年1月19日には新曲「O・TA・KUラブリー伝説」をリリース。
https://hanabie.jp
X(旧Twitter):@HA_NA_BIE_
Instagram:@ha_na_bie_
Threads:@ha_na_bie_
YouTube:@HANABIE_official

日本から世界に進出したバンドは数あれど、世界でも売れるバンドの共通点は“日本らしさ”をふんだんに盛り込んでいることではないだろうか。今、“HARAJUKU CORE”という新ジャンルを確立し、欧米を中心にメタルキッズ達から熱狂的な支持を得る日本のガールズバンドがいる。ユキナ(Vo.)、マツリ(Gt.&Vo.)、ヘッツ(Ba.&Cho.)、チカ(Dr.)の4人組による「花冷え。」だ。

今や飛ぶ鳥を落とす勢いの花冷え。のユキナとマツリにインタビュー。前編では、バンド結成までの経緯や高校時代に通ったライヴハウスでのエピソード、スタイル確立までの試行錯誤を語ってもらったが、後編では海外ツアー中のエピソードや新曲「O・TA・KUラブリー伝説」に込めた想い、今後の意気込みなどを聞いた。

前編はこちら

“HARAJUKU CORE”の名付け親は海外ファン

——花冷え。はあっという間に海外での活動があたりまえの状況になってきていますけど、海外へ行きたいという気持ちは以前からあったんですか。

ユキナ:いやー、それが頭になかったんですよ。

マツリ:そこまで考えられていなかった、っていうのが近いかもしれないですね。だから今回も、「行けんだ!?」みたいな(笑)。「海外の人にも刺さるんだ!?」って。

ユキナ:歌詞も日本語ばかりなので。今回の海外ツアーでも日本語の歌詞なのにみんな歌ってくれるんですよね。

マツリ:しかもみんな上手いんだよね(笑)。

——「海外に行けるんだ!」ってなったのもここ1年ぐらいの話ですもんね。

ユキナ:そうですね。コロナ禍でだいぶ活動が制限されていた頃、「我甘党」という曲のMVのコメント欄にかなり英語が増えて、「海外に行けたらいいけど、どうやって行くんだろう?」っていう気持ちではずっといたんですけど。

マツリ:海外のチャートに入る機会が増えたのも「我甘党」の頃だったと思います。「この国はどの辺にあるんだ……?」みたいなところまで自分達の曲が広がっているのをその時に実感しました。

——花冷え。の音楽を“HARAJUKU CORE”と名付けたのは海外のファンだそうで。

マツリ:お客さんがコメントで「これは新しいジャンルだ! “HARAJUKU CORE”だ!」って名付けてくれて、「めっちゃぴったりじゃん!」と思っていろいろな場面で拝借してます(笑)。

ユキナ:花冷え。って人に説明するのが難しいバンドだから、そのコメントを見た時に「これだ!」ってなったよね。

マツリ:なったね。海外では全部メタルになってしまうから、“HARAJUKU CORE”っていいワードだなと思いました。

——その頃は自分達の音楽を「メタル」のひと言でくくられることに違和感があったんですか。

マツリ:いや、私達の音楽の場合、メタルだと思って聴くと「あれ!?」ってなると思うんですよ(笑)。だから、新しいことをやっているっていうことだけでも伝われば興味を持ってもらえるだろうし、新しいメタルのスタイルとしてこういうのもあるんだって思ってもらえたら嬉しかったので、メタルでくくられるのが嫌っていうよりもカオスなことをやってるのが伝わってほしいっていう感じでしたね。

——そして、そこから紆余曲折を経てメジャーデビューを果たし、去年初めてワンマンライヴと東名阪ツアーを行いました。

ユキナ:ワンマンはやるタイミングを失い続けて、「やるならバンとやろう!」って思いながら去年まで一度もできなくて。

マツリ:ワンマンは温め過ぎたんだよね。「やるならこのタイミング!」「いや、ここだ!」って先延ばしにしているうちにメジャーデビューが決まって、いいタイミングだからっていうことで結成8周年で初めてやりました。

ライヴ三昧の海外ツアー

——そして、ワンマンやメジャーデビューの感慨に浸る間もなく、いきなり大規模な海外ツアーへ。しかも、想像以上にたくさんのお客さんがやってくるという。

ユキナ:今思うとびっくりだよね。

マツリ:本当に! 「待ってたよ」感が本当にすごかったんですよ。みんな、すごく温かかったし、今思うとライヴ中はすごく不思議な感覚でした。初めて行く国ばっかりな状況でライヴをして、たくさんの人が来てくれて、「すごいことをしてるな」って。

ユキナ:今、日本に帰ってきてから振り返ると、本当にすごい時間だったなってしみじみ思います。行く前はけっこう構えてしまっていたんですよね。英語ができないから英語の勉強もしてて、「どうやって英語で想いを伝えたらいいんだろう……?」とか一生懸命考えてたんですけど、いざ現地でライヴをやってみたら「言葉が通じなくても伝わるものがあるんだな」と思いました。

——ユキナさんは英会話教室に通ってましたよね。

ユキナ:通っていました、泣きながら(笑)。

——通った意味はありました?

ユキナ:……ここは「すごくあった」って言いたいところなんですけど(笑)、言葉以上にパッションが大事だなと思いました。

——結局、現場でのやりとりなんですね。

ユキナ:もちろん、流ちょうに英語が話せるようになったらもっと世界は広がるし、また違ったステージにも上がれると思うんですけど。

マツリ:意外と伝わるんだよね。リハーサルとか普段の会話でも、みんなこっちが伝えたいことをくみ取ってくれたり、どこの国の人も温かいなと思いました。

——でも、リハでの音づくりなんてすごくシビアだろうから、ちゃんと意志の疎通ができないと大変じゃないですか?

マツリ:そうですね。だから、知ってるワードを駆使して、身振り手振りで「ここの音はカットしたい」とか伝えて。意外と伝わったよね?

ユキナ:うん。ヨーロッパはヨーロッパ在住のPAさんにお願いして一緒にツアーを回ってもらったんですけど、すごいノリノリでやってくれました。

マツリ:曲をすごく聴き込んできてくれて、リハでも「この曲のここの部分を調整したいからもう1回やってくれ」とか言ってくれたり本当に熱心で、そのおかげで4公演目くらいにはバンドの音がまとまったんですよ。ヨーロッパはすごくいいPAさんに出会えましたね。

——アメリカツアーはどうでした?

マツリ:アメリカは公演数がヨーロッパよりも多くて。

ユキナ:毎日のスケジュールも、寝る、起きる、リハ、ライヴの繰り返しで。

マツリ:だから、途中から自分がどこにいるのかちゃんと確認しないとわからなくなっちゃって。しかも、バンド史上初めて6日連続でライヴをやったんですよ。

——しかも海外で。

マツリ:その上、どの会場もすごく暑くて、エアコンが効いてるはずなのにライヴが始まるとなぜかサウナみたいになっちゃって。

ユキナ:そのおかげで暑さ耐性ついたよね(笑)。

マツリ:どれだけ暑くてもライヴできる自信がある(笑)。

ユキナ:もう、空気がなさ過ぎて意識が吹っ飛びそうになった。

マツリ:そういう意味では、メンバー全員、ライヴ中に何かアクシデントが起こっても焦らないようにはなったかもしれない。

——そうやって海外で経験を積んだことは曲づくりに影響を与えていますか。

マツリ:とても与えていますね。メジャーデビューアルバム『来世は偉人!』は自分の中ではコンセプトアルバムという感じでピコピコ感とかキラキラ感を全曲多めにしたし、それも花冷え。の軸の1つとして今後も続けるんですけど、そういうしっかりした軸をもう2つとか3つぐらい欲しいなと思っていたんですよ。そんな中で、海外に行ってみて、「こういうジャンルを混ぜてみたらおもしろそうだな」とか、「テンポが速い曲が多過ぎるからもっと落としてみるか」とか、「チューニングを変えてみようかな」とか、次のアルバムに向けたアイデアがポンポン出てきて、そのたびにメモしていました。

ユキナ:メンバーでも話し合ったしね。

マツリ:そう、この間のツアーでは「こういうことをやりたい」っていう私の考えを伝えて、メンバーがやりたいことも聞いて、次のアルバムにどういう曲を入れるかという4人の意見をまとめたので、それに沿ってこれから制作が始まります。

——世界を回る中で新たな武器の素材を集めて、それをもって次の作品へと向かうんですね。

マツリ:ツアー中にホテルでつくった曲もあるので、それもまた違った感じに聞こえるんじゃないかと思います。

ユキナ:対バン相手からの影響もすごくありましたね。アメリカはドロップアウト・キングとフォックス・レイクと一緒に回るターンと、ギャラクティック・エンパイアと回るターンがあったんですが、同じバンドとずっと一緒にツアーを回ることは初めてだったので、めっちゃ楽しかったです。

マツリ:めっちゃ楽しかったよね。

ユキナ:一緒にいるうちにどんどんグルーヴが高まって、最後はすごく寂しくて。

マツリ:めっちゃ寂しかったけど、みんなカッコよくて、「これが最後なわけないじゃん。またすぐ会えるよ」って言ってくれたんですよ。

ユキナ:私はもうボロボロ泣いて(笑)。「この人達がいたから駆け抜けられた」って。

マツリ:バンドと別れたあと、ゴリッゴリのハードコアを聴きながら隣でユキナがめっちゃ泣いてて、「シュールだな」と思いました(笑)。

ユキナ:彼等のライヴを観ることで毎日気合が入っていたんですよ。

マツリ:どのバンドもラストの私達までつなげるためにライヴをしてくれているのがすごく伝わってきたので、最後はけっこうグッと来ましたね。

ユキナ:いつか日本にも呼びたいですね。

マツリ:それは絶対にやろうと思っています。日本のキッズとかバンド好きなお客さんにも絶対刺さると思うから。

ついに堂々と“オタク”を掲げた花冷え。

——今回リリースされる新曲「O・TA・KUラブリー伝説」はツアー中につくった曲ですか?

マツリ:海外へ行く直前につくった曲なんですけど、ピコピコ系の曲はこれで少しの間お休みにしようと思っています。なので、これまでに出したピコピコ系の曲以上にやりたい放題やりました。新しいところでいうと、AIの音声が入っていたりしてちょっと2.5次元を狙った曲になっています。

——英語のナレーションの部分ですか? 全然気付かなかった。

マツリ:そうです。AIの音声に喋らせて、途中からユキナの声をかぶせることで2.5次元ぽくなるっていう、ちょっと最新感がある曲になっています。

ユキナ:私的には、今回のツアーを経て「日本のカルチャーってこんなにウケてるんだ!」と思って。もちろん、情報としては知っていたけど、どこの国に行ってもみんなが「日本のアニメのこれが好き」「ポケモンが好き」って直接言ってくれるのがすごく嬉しくて。それでこのようなテーマの歌詞にしました。

——これまでの曲にもちりばめられていたけど、ついに堂々とオタクを掲げたという。

マツリ:オタクのことしか語られていない歌詞ですね。

——「セーラームーン」的なものも感じました。

マツリ:メンバーみんなそういうアニメが好きだったりするので、キラキラ感は入れました。

ユキナ:これまでとはちょっと違った、花冷え。にしかできない曲になったと思います。

——オタクを掲げられるバンドってなかなかいないですからね。そこも花冷え。の他のバンドとは違う特徴というか。ほかのバンドにも「実はアニメが好きで」という人はいるんでしょうけど、それを自分達の音楽にまでストレートに反映させることってなかなかできないと思うんですよ。だけど、花冷え。はそうじゃなくて、自分達の中にあるもの、生き様をすべて見せていくというパンク魂もある。そういう意味で「O・TA・KUラブリー伝説」はすがすがしいんですよね。

ユキナ:確かにすがすがしいですね(笑)。ストレートにありのままを提示したというか。

マツリ:そうだね。「自分達もオタクだから自信を持ってオタクについて語ってもいいだろう!」と(笑)。

ユキナ:そして、「世界にはこんなにオタクがいるんだ、実際に見てきたぞ!」と(笑)。

マツリ:そういうところがおもしろいんじゃないかと思いますね。オタクの人が聴けば「うん、わかる!」ってなると思うし、オタクじゃない人もこれを聴いて「オタクってなんかいいな」って思ってくれたら嬉しいですね。

——そんな想いが込められていたとは。

マツリ:今やオタクというのはライトなものになっている気がするんです。「電車で隣に座っているきれいなお姉さんもどうせオタクだからな!」っていう世の中になってきているから、今は堂々とオタクだって言っていい世の中なんだよっていうことが伝わったらいいなと思います。

ユキナ:「ラブリー」って英語で「すてき」っていう意味もあるじゃないですか。だから、「オタクってすてきやん」みたいな。

マツリ:「オタクでいるのは全然恥じることじゃないよ」っていうことをオタク本人から言えればなと(笑)。

——では、2024年はどんな1年にしたいですか。

ユキナ:2023年は世界中で吸収するものがたくさんあったので、それを2024年にフル活用して大放出したいですね。それはライヴにせよ、曲にせよ。あと、日本もツアーでしっかり回って、海外でもフェスがあるので、たくさん活動していきたいと思います。

マツリ:楽曲面に関しても、2023年はピコピコ感やキラキラ感を特に意識して制作していましたが、2024年はまた新たな花冷え。の一面を見せたいと思っているので、そういう部分がチラッと出てくるんじゃないかなと。

——最後に1つ聞かせてください。日本のアーティストの海外進出についてこれまでは、バンドなら先にちゃんと国内を回ってから世界へ行くべきだとか、海外のマーケットを狙うなら英詞の曲を出さなきゃいけない、みたいことを長年にわたって言われ続けてきたと思うんですけど、花冷え。はそういった“常識”をすべてぶち壊したと思うんです。皆さんのような立場から、これから世界に出ていきたいバンドにアドバイスというか、今の時代ならではの世界進出のやり方について何か言えることはありますか。

ユキナ:国によって見れる見れないはあるかもしれないですけど、YouTubeやSNSを通じてこんなに自分達の音楽は広がるんだと思ったし、それがあったからこそ日本語にもかかわらず私達の曲を歌ってくれたり、初めて行く国でも熱狂してくれたと思うので、音楽だけじゃなく、視覚に訴えかけるようなSNSの使い方も大事かなと思います。

マツリ:歌詞にあまり英語がない私達が海外へツアーに行った時に、ライヴで散々遊びまくって満足して帰ってくれるお客さんがたくさんいたから、もっと前から海外に行ってみてもよかったのかもって思ったんですよね。今思うと、私達は必要以上にビビってたなって。海外でライヴを組むとなると、交通費とかいろいろ経費がかかったりしてそう簡単にはいかないから無責任なことは言えないですが、少しでもバンド的に行きたい気持ちがあるなら行ってもいいと思いますね。

たとえ海外で知られていなくても、ヨーロッパやアメリカにはフラッとライヴハウスに遊びに行く文化があるし、タクシーでもはやりの曲だけじゃなくて、運転手さんの趣味でマイナーだけど超カッコいい曲が流れていたりして、音楽を日常的に聴いている人がすごく多いと思ったんですよ。だから、自分達から動いて見つけてもらいに行くのもアリだなってすごく思います。

Photography Hamanaka Yoshitake

■花冷え。「O・TA・KUラブリー伝説」配信先

■花冷え。メジャーデビューアルバム『来世は偉人!』特設サイト

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