観察する Archives - TOKION https://tokion.jp/verb/observe/ Wed, 28 Feb 2024 08:59:50 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 観察する Archives - TOKION https://tokion.jp/verb/observe/ 32 32 連載ショートストーリー:菊池良「きみはユメを見ている」第7夜  https://tokion.jp/2024/02/28/you-are-looking-at-a-dream-7/ Wed, 28 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225584 作家・ライターの菊池良による「ユメ落ち」をテーマとしたショートストーリー。現代版『夢十夜』とでも言うべき掌編の第7夜、時間の合わない時計が並ぶ不思議な時計屋に入った「きみ」を待つものとは。

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連載ショートストーリー:菊池良「きみはユメを見ている」第7夜 

 きみはこんなユメを見た。

 使い古された大きな手提げ袋が通りの端に放置されていた。忘れものにも見えるし、最初からそこへあったかのようにも見える。だれも拾うものはいない。だれも関心を持たなくなってすぐに風景と一体化した。視界に入っても、だれも認識しなくなった。そういうものだ。それは黒い塊で、表面はつやつやとしていて弾力もありそうだった。雨が降ると水滴を弾いて雫が光っていた。それで、たまに放し飼いの猫が鼻を近づけて様子をうかがうだけだった。

 しかし、日に日に黒い塊はすこしずつ大きくなっているようにも思えた。やがて手提げ袋におさまらないほどぱんぱんになっていった。しかし、だれも気に止めなかった。一度風景と同化してしまったら、もう違いを察知することはできない。

 じゃあ、だれがそんなことに気づいたのか? 手提げ袋が置かれた往来のすぐ目のまえに時計屋があった。その店主だ。その時計屋はめったに人が訪れず、店主はひまをもてあそんで、よく目のまえの通りを眺めていた。そうして、言語化できない哲学的思索に耽っていた。

 その時計屋で売っている時計はどれも時間が合っていなかった。そのうえ、時間の合わせ方もわからなかった。時間を合わせる機能がついてなかったのだ。間違った時間を刻んでいる時計はいいほうで、針が止まっているものや逆に動いているもの、針さえないものもあった。そこは時計じゃない時計を売る店だった。壁には「時間がわかるかたは教えてください」という張り紙が貼られていた。

 店主は何ものかが手提げ袋を置いていった瞬間を見た気がしていた。しかし、それが実際の記憶なのか、手提げ袋を眺めているうちに作られた偽の記憶なのかわからない。

 店主はついに手提げ袋を間近に見ようと往来に出た。なにかに引き付けられるように通りへ出た。それは朝だったのか、夜だったのか、それともその境目か。店主がゆっくりと指を伸ばし、震える指のさきで黒いかたまりに触れる。その瞬間、糸が切れたかのように、なにかが弾けた。すると、黒いかたまりは風船のようにゆっくりと浮上していく。やがて、それは空に浮かび、雲のように漂った。

 休暇で訪れた岬の展望台で、きみはカメラを首から下げていた。連れてきていた犬をゲージから出すと、嬉しそうにあたりを走り回っている。とっさにカメラを向けてシャッターを切る。見晴らしのいい景色が背景にくるよう画角を調整しながら。走っている犬を捉えるのは難しいが、くすぐったいような喜びが背中を走り、きみは確信する。ああ、この瞬間が幸せに間違いなく、いつか噛みしめるように思い出すときがくるはずと。それは休暇の終わりが近づいて自宅に戻ったときかもしれないし、20年後かもしれない。

 背景になにやらノイズのようなものが映る。空の一部が塗りつぶされたかのように真っ黒となっている。きみがファインダーから顔を離すと、それが黒いかたまりだということがわかる。

 きみはカメラを向ける。再びファインダーを覗き、黒いかたまりに向けてシャッターを切る。この光景をだれかに伝えなきゃいけないような気がして。

 そのとき、きみはユメから目覚める。最高の朝がやってくる。いままでにない最高の朝が。

Illustration Midori Nakajima

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誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクス インタヴュー -後編- https://tokion.jp/2024/02/28/interview-stefan-marx-part2/ Wed, 28 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224805 ファインアートからコマーシャルの分野まで多面的に活躍してきたステファン・マルクスへのインタヴュー後編。

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ステファン・マルクス

ステファン・マルクス
1979年ドイツ生まれ。ハンブルクからベルリンを拠点に移し、活動するアーティスト・イラストレーター。ドローイング、スケートボード、本、スケッチブックなど、彼が「愛するもの」を活動源とし、作品集の出版、アートエキシビション、パブリックアート、レコードジャケットのデザインなど幅広い分野で才能を発揮している。ドローイングや絵を通して彼の世界観、思想、スケートボーダーとしてのインディー精神を表現し、独自の目線で世界を描く。弱冠15歳でインディペンデントT シャツレーベル「Lousy Livin’Company」を立ち上げ、少数生産ながらクオリティー・クリエイティビティの高いT シャツをデザインしている。また、ブランドや企業とのコラボレーションも多数手掛けており、「マゼンタ・スケートボード」や「ファイブ ボロ」等のスケートボードブランドから「イケア」までプロジェクトは多岐にわたる。これまでに「Nieves」や「Dashwood Books」等の出版社から数々の作品集が出版されている。
@stefanmarx

ドイツ・ベルリンを拠点に活動するアーティスト、ステファン・マルクス。彼は少年時代から愛好しているスケートボードや音楽などのカルチャーの影響から、Tシャツやレコードジャケットのデザインといった創作活動を始め、その後ファインアートの分野に進出。インスピレーションが凝縮された浮遊感のあるタイポグラフィは、読み取る各人の想像力を利用し、非限定的なイメージの拡張をもたらすデバイスのような効果を持つ。

また、日常の観察と絶え間ないプラクティスによって生み出されるドローイングは、ストリートグラフィティよりも柔和で愛らしくコミカルな印象で、素直な感性が幅広い層に共感を呼び起こしている。

さらに彼の作品が構築的な空間やアーキテクチャ・プロダクト上に施されることにより、形而下の意味を超えた暗示のようなインパクトが生じ、場所や存在に新たな意味をもたらす。

自身の創造性を発展させつつも、彼のインディペンデントな姿勢は不変で一貫しており、近年では「シュプリーム」や「コム デ ギャルソン」等のファッションブランドとのコラボレーションをする等、アートとコマーシャルの融合についても可能性を広げてきた。

今回来日したステファンにインタビューを実施。後編では彼の代表的作品テーマであるタイポグラフィやパブリックアートについてのスタンス、新作の本の紹介と趣旨、他アーティストとのコラボレーション等についてヒアリング。アートをオープンスペースとして捉え、人々の自由な感性の交流や相乗効果を導く取組みについて伺った。

体験から得たインスピレーションの視覚化、タイポグラフィ

−−先日NYのギャラリー「Ruttkowski;68」にてタイポグラフィ作品中心のエキシビジョンが開催されましたが、そのステートメントに「テキストは歌詞からインスパイアされている」とありました。

ステファン・マルクス(以下、ステファン):確かに初期の頃は歌詞からインスピレーションを受けて作品を制作していましたが、現在は違います。例えば『Sunrise Sunset』は言葉と構図のアイデアが頭の中でイメージ化され、作品として具現化したものです。最近の作品は画面上の上部と下部に言葉が配置され、間にスペースがある構図にフォーカスしています。

また『Listen to the Rain』は日本で着想を得たものです。日本では雨が降ると多くの人がビニール傘を差し、その上に雨粒が落ちると大きな雨音がする。「雨の音が聴ける」という日本ならではの現象が作品のインスピレーションになりました。

このようにタイポグラフィ作品は、さまざまな場所を訪れ、状況や体験から得たインスピレーションがヴィジュアル化されたものと言えます。

−−最近の作品は詩的な雰囲気のものが多いですね。

ステファン:言葉もドローイングも視覚的なイメージとして捉えています。常に言葉とドローイングのことを考えていて、日頃からあらゆる発想を頭に蓄積し、それらがミックスされて作品になっています。

歩いている時、電車に乗っている時、音楽を聴いている時、本を読んでいる時…時にはSNS上のコメントを読んでアイデアを思いついたりもします(笑)。

タイポグラフィ作品では、言葉上の意味だけでなく、そこから派生するイメージを効果的に表現できないか考えています。

『Heaven』という作品はシンプルなワードですが、視覚的な効果の組み合わせによって複雑な意味を擁し、創造の枠を超えることができます。『Moonlightsss』も同じくシンプルな言葉ですが、蛍光色が暗闇で光ります。

『Love Letter』においては、作品の裏面に「〇〇から△△へ」という情報を記し、一点物としてカスタマイズ可能にしました。こうすることで言葉の持つ重みや意味合いが変化するのがおもしろいですね。

−−今回は日本語の作品にも挑戦しました。

ステファン:前回日本を訪れた際、空港やレストランでスタッフが「おまたせしました」という言葉を使うのを何度も耳にし、どんな意味なのか気になっていて、友人に意味を教えてもらいメモしていました。

そして今回、この「おまたせしました」をタイポグラフィの作品にしてディスプレイしようと思い立ちました。TOKYO ART BOOK FAIRのサイン会では列に並んで待ってもらうこと、また本展にはずっと参加してほしいと言われていたこと、二重の意味を込めたかったんです。

今後も日本語の作品に取り組みたいと思っていて、ひらがな、カタカナ、数字などを勉強しています。

誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクス インタヴュー -後編-
誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクス インタヴュー -後編-

地域を反映し、誰もがアクセス可能な民主的所在のパブリックアート

−−タイポグラフィの作品の中には、ある種のビルボードのように、都市空間の中で大きなスケールで設置されているものもありますね。このプロジェクトについて教えてください。

ステファン:ドイツの都市の30ヵ所にパブリックアートを設置するプロジェクトがあり、そのうちの3ヵ所……ボーフム、ドルトムント、エッセンにオファーを頂きました。その後、スイスのバーゼル等、他の都市でもオファーを頂きました。デュッセルドルフではクンストハレという美術館の内部の壁に描いた作品を、外部からも誰でも観ることができるようになっています。

パブリックアートは誰もが無料で鑑賞できるという民主的な点が好きなんです。制作は非常に大変で、作品を描くのにふさわしい大きな壁を見つけてオーナーに許可をもらったり、高所作業が可能か確認してリフトの費用を確保したりと、なかなか一筋縄ではいかないことが多いですが、すごく楽しんでやってます。たくさんの人々に自分の作品を知ってもらうきっかけにもなりました。

−−公共スペースにてスケールが大きな作品を制作する際に気をつけていることはありますか?

ステファン:街中で大きなスケールで制作する場合、基本的に色はモノクロにします。最近ではカラーの作品も制作していますが、白黒の方がシンプルで周囲に溶け込むのではないかと考えています。白と黒という対照的なコントラストで表現を引き立たせるのが好きなんです。

パブリックアートの場合、大きなスケールの作品を多くの人が目にする空間に設置するため、その場所の成り立ちや歴史を調査しながら制作を進めます。

最初に実施した3つの都市はかつて鉱業が盛んな地域だったので、19世紀に労働者の間で親しまれていた歌の歌詞からインスピレーションを受けて言葉を選びました。

また、壁のサイズや形を考慮して、作品がどんな見え方になるか、建築的、空間的に何度も検証しながら作品を制作していきました。

日常世界を観察し多様な形態の作品を描き続けることで、あらゆる人に楽しんでもらいたい

−−今回TOKYO ART BOOK FAIRに初参加されました。新作の本についてご紹介ください。

ステファン:NY Art Book Fairは初期から毎年参加してますが、TOKYO ART BOOK FAIRは今回初めて参加しました。友人のHIMAAさんや、ユトレヒト、twelvebooks等、サポートしてくれる仲間から「いつ来るの?」と毎年言われてたので、実現できたのが嬉しいです。

今回の新作は4冊あります。まず蛇腹折りの本が2冊。公園のある一点に立ち、同じ位置で360°回転しながらパノラマの絵を描くシリーズを書籍化したものです。1冊は2023年の4月に東京を訪れた際、「スタイリスト私物」の山本康一郎さんが駒沢公園を案内してくれた時に作ったもの。もう1冊は代々木公園で描いたものです。2006年以来、来日するたびに毎回代々木公園で絵を描いていて、あるレコードのジャケットにもなっています。

それとNYの「Dashwood Books」と制作した本が1冊、ベルリンの伝統的な出版社「Hatje Cantz」から出版された塗り絵の本が1冊です。後者は、2019年8月にThe NY Timesに毎日連載していた31点の挿絵を塗り絵できるようにしたものです。子ども達が大胆に色を塗り込めるように大きいサイズにして、簡単にめくれるよう、ごく軽量の紙を採用しました。

この本は子ども向けではありますが、同時に大人がアーティストブックとしても楽しめるようにしています。

−−なぜ子ども向けの本を制作することにしたのでしょうか?子ども向けということで特別配慮したことはありますか?

ステファン:本を作る時はいつも、特定の誰かのためにとは考えてなくて、どんな人でも楽しめるものを作りたいと考えています。以前スイスの「Rollo Press」と子ども向けの本を作った時も、子どものプレゼントのために買ってくれる人も多かったのですが、同時に大人も楽しんでくれていました。

基本的に自分の表現をあまりカテゴライズしたくなくて、常にみんなが楽しめるものを目指しています。言語と違って、絵というものは世界中の人が一目見て瞬時に理解できるものです。そういう絵の作用をベースにしてシンプルに表現することが、多くの人々の共感を生むのではないかと思います。

僕のファインアートの作品は高価で誰もが買えるものではないですが、レコードやZineはいろんな人に手に取ってもらうことができます。多様なアウトプットを提供することで、すべての人がアクセスできる民主的な場を作りたい。ファインアートだけでなくコマーシャルの活動も続けています。Tシャツはその最たる存在だと思います。

この姿勢は、自分の日常や周りにあるものをよく観察して、感じたものを描き続けることにも通じていると思います。

創造スペースを分かち合うことでさらなる発展を生み出す、アーティストとのコラボレーション

−−これまでにさまざまなブランドとコラボレーションされていますが、「コム ギャルソン」とのコラボレーションでは、構築的なシェイプのドレスの全面にステファンさんの作品が大胆に施されていました。お互い非常に芸術的な指向が強いと思いますが、コラボレーションはどのように進めていったのでしょうか?

ステファン:始まりは唐突でした。ある日曜日の夜、NY Art Book Fairに行くためのパッキングをしていたら、川久保さんのアシスタントの方から突然メールが来たんです。「コム デ ギャルソン」のコレクションで僕の作品を使いたいという内容でした。彼等が使いたい作品は決まっていて、それがどのようにデザインされるかは「コム デ ギャルソン」に全て委ねるという条件。ショーで発表されるまでは、どんなものになるのか誰にもわからない状況でした。僕は条件を全て理解した上で、受けるか否かの返事をしなければならなかったんです。

「コム デ ギャルソン」のコラボレーションの方法は非常にストレートなものですが、自分もレコードジャケットのデザインの際に同じようなやり方をしているので、どこか共感できるものがありました。即座に「やりましょう」と返事をしました。

実際にコラボレーションの内容はショー当日まで全くわからない状況でした。PRのチームもショーで初めて見たそうです。前衛的なヘアスタイルのモデルが着たドレスはすごく良くて、結果には大変満足しています。

「コム デ ギャルソン」のコラボレーションはとても勉強になりました。お互いにリスペクトがあるからこそ創造的なスペースを分かち合い、自由に取り組むことによって、さらに創造性を発展させることができるんです。

−−これまで何度も来日されていますが、先述の『Listen to the Rain』のように日本でインスピレーションを受けたものや、おもしろいと感じたものはありますか?

ステファン:日本は友達がいるし好きな食べ物もあるので大好きな場所です。思い出深いプロジェクトを複数経験できたこともありがたく思っています。これまでに書店のユトレヒトやギャラリーの「SALT AND PEPPER」で展示をしたり「GASBOOK」とさまざまなプロジェクトを行ったり「ユニクロ」や「ビームス」と仕事もしました。

日本は街中にある何気ないものにまで細やかに配慮が行き届いているところにインスピレーションを受けます。また、都市や街・建築がさまざまなレイヤーでどのように構成されているか観察するのが好きなんですが、東京は他の都市とは全然違う感じがしています。地下鉄のしくみや社会、コミュニティーの様相は、一見複雑に見えますが不思議と機能している。その観点では他のアジアの都市とも東京は違うように感じますね。

−−今後創作を続けて実現したいこと、さらに挑戦したいことについて教えてください。

ステファン:2023年はアートショーや展示で世界中を飛び回っていたので、2024年はアトリエにこもって静かに創作に向き合いながら新しいことにチャレンジしたいと思っています。具体的にはイタリアで石やジュエリーを使って友達と作品制作をするプランがあります。彫像のような3Dのものではなく、プレートのように、フラットに石を用いるドローイングのようなアプローチを考えています。

Photography Masashi Ura
Edit Akio Kunisawa

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映画『すべての夜を思いだす』で清原惟監督が描く「不在の存在」——「失われてしまったと思うものも存在している」 https://tokion.jp/2024/02/28/interview-yui-kiyohara/ Wed, 28 Feb 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225438 映画『すべての夜を思いだす』の清原惟監督へのインタビュー。本作で描きたかったことについて話を聞いた。

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清原惟
1992年生まれ。映画監督、映像作家。武蔵野美術大学映像学科卒業、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域修了。修了制作『わたしたちの家』がベルリン国際映画祭に正式出品、上海国際映画祭で最優秀新人監督賞を受賞。『すべての夜を思いだす』もベルリン国際映画祭に正式出品され、ほか世界各国の国際映画祭に招待される。昨年秋には北米で劇場公開された。最新作として、愛知芸術文化センターオリジナル映像作品『A Window of Memories』がある。ほかにも土地や人々の記憶についてリサーチを元にした映像作品の制作をしている。
X:@kiyoshikoyui
Instagram:@kiyoharayui

父親を失った少女と記憶を失った女性、2人の物語が一軒の家の中で交錯するデビュー長編作品『わたしたちの家』でPFFアワード2017グランプリ、第68回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に正式出品されたことで話題の映画監督、清原惟。5年ぶりの最新長編作品『すべての夜を思いだす』は、東京の郊外・多摩ニュータウンを舞台に、世代の異なる3人の女性の記憶や変化が小さく呼応する、ある一日の物語。本作も第73回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に正式出品されたほか、世界各国の映画祭に出品された。

彼女の作品は、構造が美しい。独立しつつもお互いが影響し合うような関係で人々が存在し、映像、音など映画を構成するものが優しく、時に不穏に響き合う。また、舞台となる場所も、現存するのにそうは見えない摩訶不思議さがあり、想像を掻き立ててくれる。前作とはまた異なる世界観をつくりあげた清原監督に、幼少期の記憶をたどりながら多摩ニュータウンや本作で描きたかったことについて話を聞いた。

幼少期に過ごした「多摩ニュータウン」の記憶

——前作『わたしたちの家』は家が舞台だったこともあり、内向きな印象がありましたが、本作『すべての夜を思いだす』は他者や社会など外の存在と私が交錯し、前作とはまた違う温かさや余白を感じました。それは、撮影監督・飯岡幸子さんのカメラワークによるところもあると思うのですが、例えば冒頭、カメラが人を追いかけるのではなく左右に振れて、人々の表情を映すようにやり取りをとらえる。そこで画面の外で思わぬことが起きていると気がつき、ハッとさせられました。左端にいらした変なおじさんの映り込み、大好きでした。

清原惟(以下、清原):あのおじさん、よかったですよね。

——撮影を気にせず、ラジオ体操のような、不思議なポーズを取られていましたよね。

清原:あの方はキャストではなく、たまたまそこに居た人で、最初は普通に座っていただけだったんですけど、何度か撮影を重ねていたら、いつの間にかあのポーズになっていました(笑)。

——映画だとスクリーンに映ったことがすべてだと思いがちですが、私達の世界にもスクリーンの外にもいくつもの世界が広がっていて、人間が生きていて、そういう広い視点になれる素晴らしい冒頭でした。

清原:ありがとうございます、嬉しいです。

——「多摩ニュータウン」を舞台に選ばれた理由は?

清原:私が幼稚園くらいのころまで住んでいた街で、いつか映画に撮りたいと思っていました。コロナ禍で、私自身も家の周りをよく散歩していたのですが、そこで外に出たい気持ちが大きくなったのかもしれません。ある時、ふと思い出したように多摩ニュータウンを久しぶりに訪れてみたら、当時の記憶がぶわっと蘇ってきて。長い距離を歩きながら、この街全体を1つの空間のように撮りたいと思ったんです。

——どんな思い出がある街ですか?

清原:公園がたくさんある場所なんですね。団地と団地の間に必ず公園があって、名前の付いていない小さな公園も無数にありました。小さな頃は、いろんな公園を巡って遊んでいたことを懐かしく思い出しました。毎日冒険みたいで楽しかったけれど、一方でなんとなく“寂しかったこと”も覚えていて。ネガティブだけではない感情なのですが、公園の風景と寂しかった記憶は多摩ニュータウンの原風景としてあります。

——寂しさを感じたのは、どうしてでしょうか。

清原:はっきり覚えていないのですが、とてつもなく広い面積に対して人が少ない印象がありました。友達もいたけれど家族以外と頻繁な交流があったわけではなく、その日公園で会った友人と遊ぶ。年代によってはコミュニティが強固だったようですが、次第に解けていって、私自身は決まったところに属せていない感覚がありました。それが、寂しさに結びついたのかもしれません。

「死」が意図的に排除されたような街であえてそれを撮ろうと思った

——公式インタビューにある「多摩ニュータウンは基本的に生活に必要な機能がほぼすべて揃った形で開発されているのですが、実は火葬場やセレモニーホールのような『死』をあつかう場所は都市計画に含まれていない」というコメントが非常に印象的でした。それは、歩きながら気づかれたのですか。

清原:知らないところはないくらい多摩ニュータウンをたくさん歩いたのですが、その時に計画的に開発された区画とそうではない区画にはっきり違いがあることを知りました。本来なら、街と街は地続きに溶け合っているのに、ニュータウンは他と景色が全く違う。明確に境界線が引かれているんです。区画外に出ると急に神社が現れて、その階段をくだるとセレモニーホールが見えたりして「死」が都市計画から排除されていると感じました。そうした場所で、あえて死にまつわることを撮ろうと思ったんです。

——映画の中にも区画外の場所は登場しますか?

清原:多摩ニュータウンは多摩ニュータウン通りと南多摩尾根幹線道路という2つの大きな道に囲われるように建設されています。なので、街を出る時は必ず大きな道路を通らなきゃいけない。夏(見上愛)は隣町の写真屋を訪れるために、南多摩尾根幹線道路を走っていきます。

——登場する女性3人は、それぞれに「死」や「喪失」といった影を落としていますが、対称的なシーンとして「踊る」シーンが素晴らしかったのですが、なぜ入れたのでしょうか。

清原:まさに、踊りは生きていることを実感できる行為の1つだと思っています。「死」に対抗する手段としての踊りというものを、考えたりすることがあります。人工的なあの街で、人間が生きることの生々しさみたいなものを映したいと思った時に、「踊る」行為そのものを映したいと思いました。

——踊りのジャンルもユニークでしたよね。コンテンポラリーダンスのような。

清原:夏が踊っていたのは、ヒップホップをベースにした踊りです。ヒップホップを取り入れたのは、ストリートで始まり人々を魅了してきた踊りだからです。たった1人でも、道で踊ることで誰かの心を動かすことがあるかもしれないし、踊っている人がこの街にいることで風景が明らかに変わって見えるということもあるのではないかと思いました。

音楽が映画の感情みたいなものを増大させる装置にならないように

——早苗(大場みなみ)が遭遇する記憶がおぼつかないおじいさんの足取りが、なんとなく死に向かって歩いていくような寂しさを漂わせていたのですが、そうした時に差し込まれる踊りのエネルギー、同時に音楽にも気持ちが高ぶりました。全編を通して音楽も素晴らしかったです。

清原:ありがとうございます。音楽はジョンのサンとASUNAさんにお願いしていて、私も好きなダンスシーンの音楽はESVさんが作ってくださった曲なんです。

——音楽に関してはどのようなやり取りがあったのでしょうか?

清原:基本的には音楽家の方々に脚本を読んだ上で任せるかたちでつくっていただきました。私が伝えていたのは、音楽が映画の感情みたいなものを増大させる装置にならないでほしい、ということ。

冒頭で登場するジョンのサンが劇伴をつくってくれたのですが、彼等がつくる音楽も1つの登場人物として映したかったので、映画に登場してもらいました。彼等の音楽が、今も街の何処かで鳴り響いているようなイメージで映画が進むといいなと思い、そうしたイメージも伝えました。

——街自体も人が住んでいるとは思えないような静けさがありましたよね。

清原:車が走る道と人が歩く道が分離されているエリアなので、都会ほど人間の生活音が聞こえてこない場所かもしれません。車の音が聞こえない代わりに、虫や風といった自然の音がよく聞こえる場所です。

——そういった静かな音にも集中できるくらい、あまり台詞の多い映画ではなかったと思うのですが「わかりやすさ」みたいなことは、どのくらい意識されて撮っていましたか?

清原:基本的には、一生懸命伝えようとしています。自分の中ではこれくらいなら伝わる、と思って作っているのですが、どうでしょう(笑)。その塩梅は難しいですよね。ただ、伝わらなくてもいいや、とは一切思っていないです。

前作『わたしたちの家』が、意図的だったわけではないのですが結果的にたくさんの謎を生み出してしまいました。それは「わかりやすさ」とは違うベクトルかもしれないのですが……謎があると人は答えを欲するんだと気がついて、その答え合わせのようなことは私自身興味を持てないんです。なので、今作は答えを求められるような謎みたいなものはつくらないように、とは心がけていました。

——伏線回収という言葉があるように、謎を見つけて意味を見出すことを求める流れがありますよね。もちろん、そうした物語のおもしろさもわかりますが、想像する楽しさや豊かさを映画に求めたいという思いもあります。

清原:説明台詞によって額面通りに受け取られてしまうと、それ以外の可能性がすべて消えてしまうような気がしていて、これくらいの台詞になっているのかもしれません。いろんな可能性を秘めながら映画を観たい、という個人的な考えもあると思います。

不在の存在を確かめるように描く

——映画を拝見して、物語において「不在」を意識的に撮られたのではないかと想像しました。ハローワークでぶち当たるアイデンティティの不在、親しい人の不在、ままならない態度の彼を横に見る幼少期のビデオから誰かに愛されていた事実の不在、のようなことを想像したのですがいかが思われますか。

清原:なるほど、そういう視点は新鮮です。私は、どちらかといえば「既に失われてしまったと思うものも存在している」という感覚でこの作品をつくったと思います。不在とも捉えられるのだけれど、見方によっては失われていない。例えばおじいさんがかつて住んでいた家は空き家で、そこにあった思い出も何もかも消えてしまったかのように感じるけれど「記憶」として残り続けていると思うんです。つまり、「不在の存在」のようなことを意識して撮っていました。ビデオテープも、忘れていた過去の記憶が存在しているというイメージでしたが、おっしゃっていただいたような捉え方もあるなと思いました。

——見方によって、全然違うものですね。

清原:私も普段は失ってしまったことに気がついて、落ち込んでしまうことはよくあります。そういう感覚は当然持っているけれど、この映画をつくる時は「失っていないと思いたい」という感覚でした。

——「失っていないと思いたい」と思うようなできごとがあったのでしょうか?

清原:たびたびそう思うのですが、今思い出したのは、私の家の近くに友達が住んでいたことがあって、すごく近かったのでしょっちゅう会っていたんですね。帰り際にちょっとだけ話したり、物を受け渡したり、まるで自分の家の離れのようなふしぎな距離感だったのですが、友達が引っ越してしまって。駅までの道に友達の家があり、がらんどうになった家の前を通るたびに「友達はもういない」と不在を確認していました。それが、最初は寂して、楽しかった思い出がすべてなくなってしまったような感じがしました。

でもあるとき、ふと、友達の家で遊んだ日のことや会話が蘇ってきて「あの時間はなくなったわけじゃなくて、今もここにある」と思えたんですね。家の中に時間が残っているような感覚を覚えて。

——時間が経つと、物事が多面的に見える瞬間がおとずれますよね。

清原:私は時間が決して直線ではないと思っていて、直線だと失うという感覚を持つけれど、時間は複数に点在しているかもしれない。年齢や時計に合わせて、ふだんは自分自身も一直線に進んでいるけれど、ときどき時間の複数性を感じて、見え方がガラリと変わります。

——その感覚はこの映画とつながりますね。3人それぞれの時間が過去・現在・未来と一直線ではなくて複数に点在していて、それぞれの時間や記憶を行ったり来たりしていたのかもしれないと思いました。撮影をしながら、幼い頃に抱いていた街に対する印象は変わっていきましたか?

清原:だいぶ変わったと思います。幼い頃の記憶なので、多摩ニュータウンは思い出の中の一部であり、外部の人間の視点しか持っていませんでした。映画を撮るにあたって、昔から住んでいる方々にインタビューをして、私が知らなかったかつての街の景色を教えていただいたんですね。そうした目線で街を歩き直すと、見え方や印象はずいぶんと変わりました。

——印象的なエピソードはありましたか?

清原:コミュニティが非常に強固だった、というお話ですね。特に1970、80年代は似たような家庭環境の方々が住んでいて、お母さん達は都心に通勤する旦那さんを見送ったあと、近所の子ども達と公園で遊ばせながら母同士でおしゃべりをして、何かあった時に助け合っていたそうです。共同保育のような、みんなで子どもを育てる意識があったと聞きました。

あとは、地域の課題を解決するために女性達で集まって話し合っていたと聞きました。例えば、当時はごみの分別ルールがなく、社会全体でリサイクルが課題になっていたそうです。そうした社会の動きを自分ごとにとらえて、リサイクルのルールを女性達で定めて街に働きかけたそう。街に対して具体的にコミットして、地域を変えていった歴史にはおどろきました。

——登場する3人が決して絶望的ではなく迷いながらも生きていく光のようなものを纏っていて、それは女性達が強く生きた土壌のある“ここ”だから交錯するのだと、今の話を聞いて思いました。

清原:かつての女性達のように、声を上げて具体的なアクションを起こすことも大事ですが、今の時代はそこまでできないこともあるかもしれない。それでも、踊ったり、自分なりにできることが誰かを動かしている可能性もあるのかなと思います。

Photography Mikako Kozai(L MANAGEMENT)

■『すべての夜を思いだす』

■『すべての夜を思いだす』
第26回PFFスカラシップ作品
3月2日からユーロスペースほか全国順次公開 
出演:兵藤公美、大場みなみ、見上愛、内田紅甘、遊屋慎太郎、 奥野匡、能島瑞穂、川隅奈保子、中澤敦子、佐藤駿、滝口悠生、高山玲子、橋本和加子、山田海人、小池波
脚本・監督:清原惟
製作:矢内 廣、堀 義貴、佐藤直樹 
プロデューサー:天野真弓 
ラインプロデューサー:仙田麻子 
撮影:飯岡幸子
照明:秋山恵二郎
音響:黄 永昌
美術:井上心平
編集:山崎梓 
音楽:ジョンのサン&ASUNA 
ダンス音楽:mado&supertotes, ESV 
振付:坂藤加菜
写真:黑田菜月 
メインタイトルロゴデザイン:石塚俊
制作担当:田中佐知彦 半田雅也 
衣裳:田口慧
ヘアメイク:大宅理絵 
助監督:登り山智志
製作:PFF パートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活)/一般社団法人 PFF 
制作プロダクション:エリセカンパニー
配給:一般社団法人 PFF 
©2022 PFF パートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活)/一般社団法人 PFF

■『清原惟監督作品「すべての夜を思いだす」オリジナル・サウンドトラック』

■『清原惟監督作品「すべての夜を思いだす」オリジナル・サウンドトラック』
アーティスト:ジョンのサン、ASUNA、mado & supertotoes、ESV 
企画番号:WEATHER 85 / HEADZ 262
価格(CD):¥2,530
発売日:2024年3月8日 ※3月2日からユーロスペースにて先行発売予定
フォーマット:CD / Digital
http://faderbyheadz.com/release/headz262.html

■映画『すべての夜を思いだす』公開記念コンサート
日程:2024年3月17日
出演:ジョンのサン & ASUNA、ESV
会場:パルテノン多摩オープンスタジオ
https://www.parthenon.or.jp/access/
時間:開場 13:00 / 開演 13:30
料金:予約 ¥2,500 / 当日 ¥2,800
http://faderbyheadz.com/release/headz262.html
https://twitter.com/HEADZ_INFO/status/1760575623926607965

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誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクスインタヴュー -前編- https://tokion.jp/2024/02/27/interview-stefan-marx-part1/ Tue, 27 Feb 2024 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224773 ファインアートからコマーシャルの分野まで多面的に活躍してきたステファン・マルクスに、創造の原点について話を聞いた。

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ステファン・マルクス

ステファン・マルクス
1979年ドイツ生まれ。ハンブルクからベルリンを拠点に移し、活動するアーティスト・イラストレーター。ドローイング、スケートボード、本、スケッチブックなど、彼が「愛するもの」を活動源とし、作品集の出版、アートエキシビション、パブリックアート、レコードジャケットのデザインなど幅広い分野で才能を発揮している。ドローイングや絵を通して彼の世界観、思想、スケートボーダーとしてのインディー精神を表現し、独自の目線で世界を描く。弱冠15歳でインディペンデントT シャツレーベル「Lousy Livin’Company」を立ち上げ、少数生産ながらクオリティー・クリエイティビティの高いT シャツをデザインしている。また、ブランドや企業とのコラボレーションも多数手掛けており、「マゼンタ・スケートボード」や「ファイブ ボロ」等のスケートボードブランドから「イケア」までプロジェクトは多岐にわたる。これまでに「Nieves」や「Dashwood Books」等の出版社から数々の作品集が出版されている。
@stefanmarx

ドイツ・ベルリンを拠点に活動するアーティスト、ステファン・マルクス。彼は少年時代から愛好しているスケートボードや音楽などのカルチャーの影響から、Tシャツやレコードジャケットのデザインといった創作活動を始め、その後ファインアートの分野に進出。インスピレーションが凝縮された浮遊感のあるタイポグラフィは、読み取る各人の想像力を利用し、非限定的なイメージの拡張をもたらすデバイスのような効果を持つ。

また、日常の観察と絶え間ないプラクティスによって生み出されるドローイングは、ストリートグラフィティよりも柔和で愛らしくコミカルな印象で、素直な感性が幅広い層に共感を呼び起こしている。

さらに彼の作品が構築的な空間やアーキテクチャ・プロダクト上に施されることにより、形而下の意味を超えた暗示のようなインパクトが生じ、場所や存在に新たな意味をもたらす。

自身の創造性を発展させつつも、彼のインディペンデントな姿勢は不変で一貫しており、近年では「シュプリーム」や「コム デ ギャルソン」等のファッションブランドとのコラボレーションをする等、アートとコマーシャルの融合についても可能性を広げてきた。

今回来日したステファンにインタビューを実施。前編では彼が創作活動をスタートした背景、ストリートカルチャーへの熱中と溢れ出るアイデアをレーベル活動へと昇華させていった少年時代、グラフィックと音楽のクロスオーバー等、キャリア初期からのアティテュードについて話を聞いた。

多様なカルチャーの人々が交差する地点を目指して

−−アートを志すようになった経緯、バックグラウンドについて教えてください。

ステファン・マルクス(以下、ステファン):ドイツのシュヴァルムシュタットで生まれ、トーゼンハウゼンで育ちました。とても小さな街です。小さい頃からアートやタイポグラフィ、グラフィックアートが好きで、その後スケートボードのカルチャーに興味を持つようになりました。当時はまだインターネットが普及していなかったので、雑誌などが主な情報源でしたが、田舎では洗練された雑誌を見つけることはすごく難しかったですね。

そんな環境下だった15歳の時、スケートボードをする友達のために服を作りたいと思い、「Lousy Livin’ Company」というTシャツのレーベルを始めました。

その後ハンブルクの大学に進学しましたが、学業だけでなく、自分のレーベルのTシャツデザインを継続し「CLEPTOMANICX」というスケートボードの会社にグラフィックを提供する仕事もしていました。

大学卒業後、ハンブルグを拠点に活動するKarin Guentherというキュレーターとの出会いが転機となり、ギャラリーで作品を発表できることになりました。ファインアートの創作活動と並行してコマーシャルワークは続けていて、自分のレーベルのカタログを作ったことをきっかけに、自分自身のドローイング作品をまとめたZineを作るようになりました。スイスの出版社「Nieves」のベンジャミンがそのZineを気に入ってくれて、翌年ベンジャミンと一緒に本を制作しました。そこから毎年、「Nieves」から本を出版し続けています。

−−少年時代の情報が限られていた環境下で、アートやタイポグラフィ等への興味や関心をどのように発展させていったのでしょうか。

ステファン:何か特別なきっかけがあったわけではないですが、幼少期から視覚的な表現に興味があり、「絵を描く」という行為に楽しみを見出して没頭していました。常に何かを描いてましたね。誰しも子どもの頃は絵を描くのが好きだったと思いますが、僕は大人になっても描くのをやめずにずっと続けている感じです。絵を描くことが純粋に好きなんです。

また絵を描くことによって、自分の身の回りにあるものを観察してヴィジュアル的にエッセンスを吸収し、イメージを人と共有することができる。それが大きなモチベーションとなっていて、今でも絵を描き続けているのではないかと思います。

−−15歳という若さで自身のレーベル「Lousy Livin’ Company」を設立されたことについて、当時の具体的な活動内容や目標を教えてください。

ステファン:当時スケーターの友人の間でアメリカのスケートブランドの人気が高かったんですが、ドイツではとても高額で買えなかったので、代わりのものを自分で作ろうと思い、レーベルを始めました。

スケートボードに関心を持った時、それを取り巻くカルチャー全般、ファッションやグラフィック、音楽等にも興味を持ち、それが服作りにも繋がっていきました。既存のデッキやTシャツのデザインについて、「もっとこうしたらおもしろくなる」というアイデアがいっぱいあったんです。

レーベルを始めたばかりの頃は、アイテムの作り方や運営方法など全く知識がなかったので、周りの大人達に聞いて情報を集めました。そしてシルクスクリーンでTシャツにプリントしてくれる会社を見つけたんです。姉に制作費用を借りて一番最初のTシャツを作りました。

レーベルは1人で運営していたので、デザインだけでなく自分でできることは何でもやりました。スケートショップの卸の会社に行って自作のTシャツの営業をしたり、学校の校庭で友達に売ったり(笑)。自分が作ったものを見てもらいたくて、楽しみながらやっていました。すべては友達が喜ぶのを見たい一心でしたね。周りの友人は僕が頑張って服作りしていたことを知っていたので、みんなで僕の服を着て、活動をサポートしてくれました。

レーベルの活動を続けていくうちに、スケーターの友達に着てもらうアイテムを作るだけでなく、スケートボードをしない友達にも理解されたい、もっと広範囲の人々に関心を持ってほしい、という思いが強くなりました。当初はスケートボードのブランドとしてスタートしましたが、結果的に多くの人々が身に着けてくれるブランドに成長しました。さまざまな人々がブランドを通して交差する、そういう場を作りたかったんです。

音楽にグラフィックが視覚的要素を与え、リスナーのイメージを拡張する

−−幼少期から音楽に親しまれ、レコードのジャケットのデザインも数多く手掛けていらっしゃいます。どのようなきっかけで音楽に関わる仕事を始めたのでしょうか。

ステファン:レコードジャケットのデザインは小さい頃からの夢でした。でも僕がデザインのキャリアをスタートした時期は、ちょうどレコードがCDに移行して、CDもMP3に移行するというタイミングだったので、レコードジャケットの仕事はもうできないだろうと思っていました。

それでもインディペンデントの分野ではアナログで作品を発表するアーティストが残っていて、偶然にもIsoléeというミュージシャンの「We Are Monster」のレコードジャケットをデザインする機会を得ました。それが大ヒットになったのがきっかけで、ハンブルクのアンダーグラウンド・テクノ/ハウスのレーベル「Smallville Records」からリリースされるレコードジャケットのデザインをすべて僕が担当することになったんです。

「Smallville Records」のデザインを始めた当初は、レーベルが長続きするとは思っていなかったので、5枚くらいデザインができれば十分という気持ちでやってました。でも予想に反してレコードは結構売れて、レーベルは20年近く継続しています。コロナの期間は業績が良くなかったので、自分とパートナーで会社を作り、「Smallville Records」の権利を全て引き受けました。現在はレーベルの株式の50%を保有して、運営にも携わってます。

「Smallville Records」でのデザイン手法はシンプルで、すべてのレコードジャケットの構成が、表面は僕の絵のみ、裏にミュージシャンの名前やクレジットが表記されるというスタイルです。この方式がジャケットデザインとして斬新だったので功を奏したのだと思っています。

−−レコードジャケットのデザインにおいて大事にしていることをお聞かせください。音楽作品の内容からイメージを広げていくのでしょうか。

ステファン:レコードジャケットのデザインはソニック・ユースの感覚が好きで、同じような効果を出したいと考えています。ソニック・ユースはレイモンド・ペティボンやマイク・ケリー、ゲルハルト・リヒター等、さまざまなアーティストにレコードのジャケットのデザインを依頼していましたが、新規にデザインされたものではなく、既存の作品をソニック・ユースがセレクトして使っていました。おそらく自分達の音楽作品にどこかリンクするイメージを選んでいたのでしょう。

レコードジャケットの存在を通して、リスナーは頭の中で視覚的な要素と接点を持ち、さまざまな解釈をしながら音楽作品を聴くことになる。時には違和感もあると思いますが、リスナーのイメージを拡張するようなデザインが重要だと考えています。ジャケットをデザインするにあたっては、事前に対象の音楽作品を聴くことはせずに、タイトルやトラック名を見てイメージを膨らませます。テキストから想像してタイポグラフィやデザインに落とし込むんです。

僕はデザインに関しては、アーティスト側の要望は一切受けません。いつも2、3のアイデアを出して、その中からアーティストに選んでもらうというやり方です。アーティストがデザインについて要望を出すケースもあるでしょうけど、僕の場合はそれをしていないんです。

レコードとは別に制作していた作品がレコードジャケットになったこともあります。そもそもレコードジャケットのデザインはレコードのためにデザインしているのではなく、自分の他の作品、エディションが付いたアート作品と同じように捉えて制作に取り組んでいます。

Photography Masashi Ura
Interview Akio Kunisawa

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写真家の瀧本幹也の25年に及ぶ広告作品をまとめた仕事集『Mikiya Takimoto Works 1998-2023』が2月末に出版 3月には特装版も発売 https://tokion.jp/2024/02/27/mikiya-takimoto-works/ Tue, 27 Feb 2024 07:30:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225770 日写真家の瀧本幹也の、ャリアのスタートから25年に及ぶクライアントワークをまとめた初めての仕事集。

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青幻舎は、トップランナーの1人として日本の広告写真界をけん引する写真家の瀧本幹也の、キャリアのスタートから25年に及ぶクライアントワークをまとめた初めての仕事集『Mikiya Takimoto Works 1998-2023』を2月末に刊行する。また、3月上旬にはオリジナルプリントが付いた特別仕様の「特装版」を部数限定で発売する。

広告写真をはじめ、コマーシャルフィルム、作品制作活動、映画など幅広い分野の撮影を手がけ、さまざまな表現ジャンルをクロスオーバーさせながら、その独自の表現を深化させ続けている写真家の瀧本幹也。本書はその多岐に渡る活動の中でもクライアントワークにフォーカスし、25年に及ぶ広告の仕事を1冊にまとめた、瀧本にとって初めての仕事集となる。

本書は広告写真とコマーシャルフィルムの2部構成で、前半の広告写真のパートでは、バラエティに富んだ約120作を収録。続くコマーシャルフィルムパートでは、約70のコマーシャルフィルム作品を収録している。

また、スペシャルコンテンツとして、お互いの独立当初から仕事を重ねている盟友ともいえる存在である、アートディレクターの佐野研二郎との対談「写真とデザインの理想的な関係」も収録。掲載作品のセレクトは瀧本自ら行い、これまでに手がけてきた膨大な仕事の中からほんの1割程度に厳選したものの、それでも結果的には総頁数約600ページというボリュームになった。

時代がめまぐるしく変化し、あらゆるデバイスの中で「広告」が氾濫する現在。常に変化を求めながら深化を続ける、唯一無二の「広告芸術」とも呼ぶべき瀧本幹也の世界観を堪能できる1冊だ。

瀧本幹也
写真家。1974年愛知県生まれ。1994年から藤井保に師事。1998年に写真家として独立し、瀧本幹也写真事務所を設立。広告写真やCM映像をはじめ 国内外での作品発表や出版など幅広く活動を続ける。写真と映像で培った豊富な経験と表現者としての視点を評価され、是枝裕和監督から映画撮影を任された『そして父になる』『海街diary』『三度目の殺人』では、 独自の映像世界をつくり出している。代表作に、ドイツの造形学校バウハウスを構成的にとらえた『BAUHAUS DESSAU ∴ MIKIYA TAKIMOTO』(2005)、世界7大陸を巡り観光地の非日常性に集まる人々を撮影した『 SIGHTSEEING』(2007)、『LOUIS VUITTON FOREST』(2011)、地球の原風景「LAND」と文明の象徴としての宇宙開発「SPACE」の相対するシリーズをまとめた『LAND SPACE』(2013)、『Le Corbusier』(2017)、『CROSSOVER』(2018)などがある。

■『Mikiya Takimoto Works 1998-2023』
著者:瀧本幹也
アートディレクション:矢後直規 
出版社:青幻舎
判型:B5変形/上製本
ページ数:596ページ
定価:¥9900
ISBN:978-4-86152-927-6 C0072 

■特装版『Mikiya Takimoto Works 1998-2023』
3月上旬発売
定価:¥ 60500
部数:125部限定(5種×25部)
詳細:特製BOX入、写真集1部、プリント、作品証明書
プリント詳細
サイズ:八つ切り(165×216mm)
エディション:各25(5種)
*マット付 
*プリント裏に手書きでエディションナンバーとサイン入り

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『PERFECT DAYS』が世界に接続した新たな東京像 不完全な街と不完全な人間から生まれる静かな豊かさ——連載「ファッションと社会をめぐるノート」第3回 https://tokion.jp/2024/02/27/notebook-on-fashion-and-society-vol3/ Tue, 27 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225411 巨匠ヴィム・ヴェンダースが役所広司を主演に贈る映画『PERFECT DAYS』。そこに映し出された東京という都市の相貌・現在性を、小石祐介が紐解く。

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東京の都市像の映像化とその成功

 2023年10月の日比谷は夏のような熱気で、街は外国人観光客が溢れていた。そんな中、カンヌ国際映画祭で役所広司が男優賞を受賞したことでも話題を呼んだ映画『PERFECT DAYS』が、東京映画祭のオープニング作品としていち早く上映された。シートに座って館内が暗くなり、役所広司が演じる平山が小さな古いアパートで目覚めるシーンがスクリーンに映った。平山が木造の六畳間で覚醒するのと同時に私は映画の中に引き込まれた。日本を舞台にした日本語の映画だったが、間違いなくヴェンダースの映像だった。エンドロールが流れる前にこの作品は重要な作品になると直感した。特に日本と海外を往来するクリエイター達にとってだ。なぜなら、2020年代の「東京の都市像の映像化」に成功した作品は無かったからだ。視覚化された都市像は我々日本に住む人が、海外の人とコミュニケーションを取る際の共通言語になる。「あの東京」と言えるようになるから。年が明け、数ヵ月経ってもまだ映画の余韻が残っている。

 『PERFECT DAYS』が映し出した東京は「今の東京」を紛れもなく映していた。役所広司が演じる平山はトイレを清掃する清掃員。スカイツリーの見える東京の東側に小さく居を構えている。そして働くエリアは東京の西側、渋谷区の公共トイレ「THE TOKYO TOILET」だ。平日は目覚ましがなくても早朝に誰かが外で箒を掃く音でいつも目が覚める。ひげを剃り、歯を磨き、植木鉢に霧吹きをかけ、清掃員の格好に着替えて時計や小銭を持って外に出る。現金主義、QRコード決済なんて使わない。車は赤帽車としても使われるダイハツ・ハイゼット・カーゴ。労働者の車だ。朝食代わりの缶コーヒーとカセットテープの音楽をともにしながら、平山は東京の東側から西側に向かう。ダウンタウンからアップタウンへと向かう、東京近郊で生活する人々のリズムのリアルさがここでは描かれている。東と西の都市経済の濃淡のリアルを描くこのシーンは、ロードムービーの名手であるヴェンダースだからこそ、程よい湿度感で切り取られていると思う。朝日に照らされる道路の風景はヴェンダースの作品を知っている人にも既視感がある。1989年にヴェンダースが山本耀司を撮った『都市とモードのビデオノート』でも映る道路の風景だ。

TOKYOという幻影を求めて

 東京で海外旅行者を見かけない日は無くなった。2003年は521万人だった入国者数は2023年には2500万人、20年で約5倍に増えた。コロナパンデミックで落ち込んだ空白期を乗り越え、月間外国人入国者数はついに2023年の年末にコロナ前の2019年の数字を超えたのだ。京都あるいはニセコといった観光名所は外国人観光客で埋め尽くされているが、東京も同様だ。銀座、表参道を歩いているうち半分以上が海外からの旅行者ではないかと思う時がある。円安の状況も手伝ってTOKYOの街に引き寄せられる人は増えた。この外国の人たちが求める東京像とはどんなものだろうか。

 過去に東京の映像化を作り出すことに成功した作品で代表的なのはソフィア・コッポラによる『LOST IN TRANSLATION』(2003)だ。未だに海外の人を魅了するこの映画の作中には、当時の海外から見たTOKYOのカルチャーの断片が映し出されていた。テクノロジー、カラオケ、コスプレ、クラブ、フェティッシュカルチャー、ファッション、音楽、テレビ番組、伝統文化など、一見相容れないカルチャーの記号が街の中で撹拌し織り合わされた、エコノミックアニマルが住む得体のしれないTOKYO像。そこには藤原ヒロシや、DUNEの編集長であった林文浩、ロケハンに関わった野村訓市、HIROMIXなどがカメオ出演している。2003年に発表されたこの作品は、特にヨーロッパとアメリカの人々にとって、真新しさとエキゾチックさが共存する都市を求める人々の心を掴んだ。映画の舞台となったPARK HYATT TOKYOではNIGOが選曲した音源をホテルにリクエストすると聞くことができる。映画公開から20年が経過した今も映画の中で描かれた都市の幻影を追いかけて、この街とPARK HYATT TOKYOを訪れる人々が絶えない。この映画で描写された東京の生活は、渋谷、新宿といった東京の西側のシーンが中心だったことも指摘しておきたいと思う。一方、『PERFECT DAYS』で描かれた東京は誰もがアクセスできるという意味でリアルだ。知り合いがいないと入れないような秘密の東京(Best-kept secret Tokyo)ではない。公園、居酒屋、古書店、コインランドリー、木造のアパート、西側のトイレであり、永遠に終わらなそうな都市計画の途上にある東京の町並みと東西を結ぶ路上の風景だ。それは東京に暮らす多くの人々にとっては珍しくない、一度は触れたことがあるような日常の風景だ。

始まりが映画ではなかったからこそ生まれた映画

 『PERFECT DAYS』のプロデュースと共同脚本を務めた高崎卓馬、そして共同プロデューサーであり映画の資金提供者である柳井康治によれば、この作品は数々の偶然から生まれたものだという。映画の舞台となったTHE TOKYO TOILETは渋谷区に設置された公共のトイレだ。トイレと言えば、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で、その陰鬱さにこそおもしろみや独特の美があると評したが、読者はどう思うだろうか。THE TOKYO TOILETはトイレの影の部分をスターアーキテクト、デザイナー達によって照らすプロジェクトだ。坂茂、安藤忠雄、そしてNIGOやMark Newsonといった世界的建築家やデザイナーによって作られた17ヵ所のトイレは、ファーストリテイリングの柳井康治のキュレーションによって誕生した。実は、THE TOKYO TOILETのトイレを大切にきれいに使ってもらうにはどうしたらよいかという話について柳井康治と高崎卓馬の両名でカジュアルなブレストをしたことがきっかけとなって『PERFECT DAYS』が生まれたという。映画誕生の詳細については、『SWITCH』2023年12月号の「PERFECT DAYS特集号」に高崎と柳井の対談が掲載されているのでぜひご覧いただきたい(注1)。  

ハリウッドの対岸から制作された映画

 ヴェンダースは何と言ってもロードムービーの名手だ。『都会のアリス(Alice in den Städten)』(1974)、『まわり道(Falsche Bewegung)』(1975)、『さすらい(Im Lauf Der Zeit)』(1976)の三部作、そして、彼を不動の地位に押し上げた『パリ・テキサス』(1984)もアメリカのテキサス州を舞台としたロードムービーだ。そしてこの『PERFECT DAYS』も東京を東西に走るロードムービーである。ヴェンダースはハリウッド映画に対する反骨精神を持つ監督としても知られる(注2) 。彼のインスピレーション源にはハリウッドの対岸から生まれた小津安二郎の映画がある。小津の映画は「真に国際的でありながら、アメリカ的帝国の一員にはならず、独自の帝国を築き上げた」とヴェンダースは熱く語っている。

「ヴェンダース、小津を語る」 /Wenders Discusses Ozu Short Version

 小津の映画作品から筆者は、芥川龍之介の『文芸的な、余りに文芸的な』(1927)に書かれた芥川と谷崎潤一郎との議論を思い出す。小説は筋のおもしろさ、物語の構造が最も重要であるという谷崎の立場に対し、話らしい話のない小説にも強い価値を見出すのが芥川の立場だ。小津の映画は芥川が良しとする要素から成立している。作品は静的で細部までこだわり抜かれたセット、美しいカメラワークから作り出された空気感がある。奇抜なシーンや派手な筋書きは無く、そこに存在するのはテクスチャーの機微の連続的変化から生まれる豊かさであり、それ自体が作品なのだ。そしてヴェンダースはこの小津に影響を受けて映画を制作してきた。そしてこのはヴェンダースの経験を完全な形で日本映画として投影した作品がこの『PERFECT DAYS』だ。

小津の平山、ヴェンダースと高崎の平山

 高崎卓馬は『PERFECT DAYS』の主人公に「平山」と名付けた。この名は小津映画にもたびたび登場するが、高崎によると意図したものではなく偶然だったらしい(注3)。小津の平山で有名なのは『東京物語』(1953)の主人公である平山周吉(笠智衆)、そして『秋刀魚の味』(1962)の平山周平(笠智衆)だ。映画で描写される小津の平山の日常は、当時の日本人にとって当たり前のものだったかのように錯覚するが実はそうではない。60年代も日本はまだ貧しかった。黒澤明の『どですかでん』(1970)は『秋刀魚の味』よりも後に制作されたものだが、貧しく荒んだ街が舞台だ。大島渚の『愛と希望の街』(1959)は小津の『東京物語』と同じく50年代に生まれた作品だが、舞台はやはり荒んだ東京であり、主人公は貧しい子どもだ。同じ昭和でも小津の描く世界は裕福だ。

『東京物語』の平山の息子は開業医や教師であり、『秋刀魚の味』の主人公の平山は丸の内近隣の大手企業の重役で登場人物の多くがホワイトカラーである(注4) 。

(注1)配給会社のBitters Endの公式アカウントではPERFECT DAYSに関わった関係者のインタビューが公開されている。映画と併せて見ると面白い。

(注2)ハリウッド映画といえば銃撃戦、戦争、英雄譚、ラブストーリー、資本主義のどん底とアメリカン・ドリームといった物語の様式だ。それらの多くは実際にアメリカ社会で起き得るシーンである。アメリカ社会の現実がハリウッド映画にリアリティを与えてきたとも言えるが、世界のどの国でもこのようなリアリティを持つかというとそうではない。

(注3)オンラインメディア「後現代 | POSTGENDAI」での高崎卓馬 (『PERFECT DAYS』共同脚本・プロデュース)のショートインタビューの中でこのエピソードが語られている。https://postgendai.com/blogs/postgendai_dictionary/takuma_takasaki

(注4)『秋刀魚の味』は、平山の娘である平山路子(岩下志麻)の縁談が物語に登場するが、ファッションの視点から見ても平山の生活が豊かなことがわかる。実際、この岩下志麻の衣装を手掛けたのは森英恵だった。平山家の調度品も、料亭もさながら『家庭画報』に登場するようなものたちだ。

『秋刀魚の味』のトレイラー(松竹)

 『PERFECT DAYS』の映画の中で、平山の妹が運転手付きのレクサスで登場する場面で、この平山は元来裕福な家の出身で自らの選択で家族と断絶し、東京の東側でひっそりと暮らしていることを我々は知る。もしかすると『PERFECT DAYS』の平山は、小津映画に登場する平山の親族なのかもしれないと筆者は思った。

 トルストイは『アンナ・カレーニナ』の冒頭で「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」と書いた。小津と同時代に作られた映画の多くが、社会問題が燻る世界を舞台とした。しかし、大戦中に徴兵され激動の人生を歩んだ小津が、ある種、幸福な世界を舞台に選んだのは「どれも似たように描かれうる舞台」だからこそ、自分の美意識が特徴的に際立つと考えていたからかもしれない。

 『PERFECT DAYS』の平山は東京のトイレ清掃員という役割を与えられた。彼が住む東京は、小津や黒澤の時代とは異なり、高度経済成長を経た後の東京である。バブル後の経済成長が失われた20年を経た東京はハリウッド的物語が映える場所ではない。この平山の生活を通して、今の東京の忘れられがちな日々の豊かさに気付かされる。平山が植木鉢に霧吹きをかけ、木漏れ日の写真を撮り(注5)、読書しながら眠りに落ち、夢を見る姿を見ると、彼がその豊かさを知っている人だとわかり、静かに平山に同意したくなる(注6)。

オリエンタリズムのまなざしに対峙

 2023年、日本の国家ブランド指数(NBI)(注7)が初めて世界1位になったそうだ。ランキングといったものは個人的にはそこまで意味はないと思うものの、この日本発信の映画が発表された年に世界1位になったのは奇遇である。

 『PERFECT DAYS』は日本のみならず世界中のオーディエンスを惹きつけている。昨年のカンヌ国際映画祭では平山役の役所広司が主演男優賞を受賞し、今年はアカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた。1月にはイタリアでも興行一位を記録し、つい先日、ロサンゼルスのチャイニーズ・シアターで行われた北米公開前夜のイベントは大盛況だったようだ。

 日本から海外を視野に入れて作品を発表する時には、海外からオリエンタリズムのまなざしが向けられることは不可避で、求められるのは東洋のエッセンスだった。その期待に応えて成功した映画は数多い。前述した黒澤明も、そして裏社会の人間模様を舞台装置として映画を作った北野武もそうかもしれない。日本でニュースになった社会問題を抽出し、海外の人間が解せる形で演出した作品もそうだろう。『PERFECT DAYS』にもそのまなざしが向けられているだろうが、ヴェンダースという外国人監督が撮った東京はそのような過剰な期待を中和することに成功した。

 日本人には舶来主義が染みついている。音楽、文学、映画、ファッションに至るまで、欧米、特にアメリカの文化をオーバードーズ気味に摂取してきたため自然なことではある。その結果、日本のコンテンツの逆輸入による例外を除いて、西洋社会の対岸に住む我々日本人自体が日本生まれのコンテンツを過小評価する奇妙な状況が起こりやすい(注8)。アメリカの音楽や小説を好む平山を見れば、彼も我々と同様、欧米の文化に強く影響を受けてきたことがわかる。制作陣の高崎卓馬や柳井康治という面々もそうだろう。その彼らが、50年近く前から日本の映画に着目してきたヴェンダースと邂逅し、共に今の「東京像」を提示したこと自体、一つの大きな物語だと思う。 

 『PERFECT DAYS』が提示した「東京像」はTOKYOに新たな意味を付与した。我々の知っている東京の風景が世界に流れ、それについて国境を超えて語ることが可能になったことはこの映画の大きな成果だ。ニーナ・シモンの「Feeling Good」が鳴り響く最後のシーンは、平山が運転するワゴン車の車内だ。その車内は東京に限らず世界のどこにでも存在し得る小さな空間だ。その様子は我々を揺さぶる。揺れるのは我々の人生の記憶である。東京を東から西へ走る車のエンジン音を運転席で感じている平山のように、映画館の観客はシート越しに今の東京の振動を静かに感じるのである。

(注5)作中、登場する木漏れ日の映像はドナータ・ヴェンダースによって一部撮影された。またこの映像は 「KOMOREBI DREAMS: supported by THE TOKYO TOILET Art Project / MASTER MIND」の展示で2023年12月22日から2024年1月20日 の間、104 Galleryにて公開された。

(注6)村上春樹は、エッセイ『村上朝日堂』で「小さいけれど確かな幸せ」という意味で「小確幸」という言葉を使う。これは平山の日常に通じる。激しい運動をした後に冷えたビールを飲むことなど、日常の些細な、ただ確実に幸せに感じられることの豊かさを表す。

(注7)対象国の「文化」、「国民性」、「観光」、「輸出」、「統治」、「移住・投資」の6分野で評価するアンホルトGfKローパー国家ブランド指数(Anholt-GfK Nation Brands Index)のこと。2023年に日本が史上初の首位になった。過去のランキングはWikipediaで一覧できる。トランプ政権が誕生する2016年までアメリカがほぼトップを独走していた。https://en.wikipedia.org/wiki/Nation_branding

(注8) 劇中ホームレス役として登場する田中泯の踊りを映像化し編集した『Somebody Comes into the Light』(音楽は三宅純)というショートムービーが公開された。前述の「KOMOREBI DREAMS」展のクロージングイベントにて、田中泯は、古事記に登場する天宇受賣命(アメノウズメ)の踊りについて語った。現代では踊りというと西洋ではバレエに立脚するが、本来はあちこちの少数民族の文化であり、それが植民地支配、時代の流れの結果、滅びてしまった。踊りということに立ち返れば、西洋的枠組みに囚われるのは制約になると彼は言及していた。ヴェンダースのハリウッド映画に対する感覚と通じるものがそこにはある。

『PERFECT DAYS』全国大ヒット上映中
監督: ヴィム・ヴェンダース
脚本: ヴィム・ヴェンダース、 高崎卓馬
製作: 柳井康治
出演: 役所広司、柄本時生、中野有紗、アオイヤマダ、麻生祐未、石川さゆり、田中泯、三浦友和
製作: MASTER MIND 配給: ビターズ・エンド
2023/日本/カラー/DCP/5.1ch/スタンダード/124 分
© 2023 MASTER MIND Ltd.
Webサイト:perfectdays-movie.jp

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ベルリン移住 ダモ鈴木との共演 南ドイツ・首謀者Kyotaro Miulaが語るクラウトロックの実験精神 https://tokion.jp/2024/02/26/interview-kyotaro-miula/ Mon, 26 Feb 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225227 南ドイツの首謀者Kyotaro Miulaにバンドのこれまでの歩みとともに海外を中心にツアーをする彼等の実体とパフォーマンスへの意気込みについて話を訊く。

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南ドイツ。ドイツのNEU!やCANを筆頭としたクラウトロック好きならその存在を知っている人もいるだろう。ただ一方で日本でのパフォーマンスを7年間もしてこなかった彼らの実像を知る人は必ずしも多くないはずだ。コロナ以降に日本人として、現役で海外を中心にライヴパフォーマンスを行う彼の精神性が気になった。

2016年に1stアルバム『Minami Deutch』をUKのサイケデリックレーベル〈Cardinal Fuzz〉から1stプレスを300枚リリースし即ソールドアウトする等、海外からの反響を受けたことを機に、ベルリンを拠点に置いて海外でのフェスやライヴを拠点に活動してきた南ドイツ。2023年は長きにわたる盟友である幾何学模様(現在活動休止中)のメンバーが運営する〈Guruguru Brain〉からレコードをリリースし、3rdアルバムの『Fortune Goodies』を7月にリリースしていた。

2024年も3月にオーストラリア、4月はヨーロッパ、5月はアメリカへのツアーが控えている。そして、2月26日に渋谷WWWで実に7年ぶりとなる日本公演を行うタイミングでインタビューを試みた。日本を離れ、海外を中心にツアーをする彼等の実体とパフォーマンスへの意気込みについて、首謀者のKyotaro Miulaにバンドのこれまでの歩みとともに聞いてみた。肩の力が抜けて、時間軸が揺らぐリラックスした会話の中でも滲み出る、音楽に対するひたむきさが強く印象に残った。

「当時無名バンドのレコードがイギリスからリリースされるまで。海外志向はごく自然の流れだった」

−−主にヨーロッパを拠点に海外で活動する南ドイツですが、そのきっかけは何だったのでしょうか?

Kyotaro Miula(以下、Kyotaro):2013〜2014年くらいから幾何学模様のメンバーと一緒に高田馬場のスタジオでジャムセッションする遊び仲間だったんです。当時自分はバンドを組んでいなかったのだけど。遊び仲間が音楽を出して海外のリスナーからの反応が良いのを見ていたので。自分も活動の拠点を海外にすることに違和感がなかった。日本のサイケシーンとかクラウトロックシーン自体が小さかったから、少しでも需要のありそうなところでやりたいというのがあって。

−−その頃にはすでにクラウトロックのバンドを組みたいという構想があったんですか?

Kyotaro:順番は前後するけれど、10代の頃に初めてCANとかのクラウトロックを聴いた時は正直そこまでピンときてなくて。それよりも実は当時ポストロックやポストパンクが好きで。そうした類いのシュッとしたインディーズバンドをやりたいなと思っていた自分もいた。仲間と週3、4回セッションしていくうちにだんだんサイケとかクラウトとかのよさを再確認していった。

−−聴き方、楽しみ方がわかってきたのですか?

Kyotaro:そうかもしれない。仲間とスタジオに入れない時は、自分でNEU!とかを流して。ミニマルなハンマービート(8つ打ちの規則的なバスドラムサウンド)を流しながらギターソロ弾いてるとだんだん好きになってきた。ある時点でクラウトロックのバンドって自分達で名乗れるバンドを作りたいと思うようになっていった。

−−活動の背景には幾何学模様との交流が大きかったんですね。1stアルバム『Minami Deutch』の「Futsu Ni Ikirenai」なんか特にクラウトロック的ですよね。反復するビートでジリジリとして、後半突如ギターソロでスパークしていく感覚。繰り返される同じコードとビートが後半には気持ちよくてたまらなくなってきているというか。

Kyotaro:あの曲は実はベースレスで。ギターとドラムだけでやっていて。当時のギター担当とドラムの音を自分で後からミックスしていくタイミングで、裏ノリのグルーヴができた。「これならいける」みたいな発見があった。今思い返せば何をするにしてもトライアルの時期だったんだよね。ハンマービートのドラムとベースのパターンとかコードが一緒というコンセプチュアルなアルバムを作ろうと思って。ビートや展開の仕方が一緒という枠組みの中で、明るい曲とか爽やかな曲からサイケな曲まで作れたらおもしろいなと。

例えば、「Sunrise & Sunset」みたいに開けてくイメージの曲もあれば「Futsu Ni Ikirenai」みたいな曲もある。1枚のアルバムの中でいろいろなカラーの楽曲を入れる。具体的に言うと、同じコードやドラムパターンの制限の中で、違うトーンの印象の曲を作り切るのがコンセプトであり、やりたいことだった。

−−それで完成したレコードをUKのレーベルに送ったら、見事レコード版を出そうと声がかかる。まるで夢みたいな話ですが。

Kyotaro:それは本当に嬉しかったね。デジタルでの配信自体にはあまり興味がなかったけれど、自分のレコードを出すのが夢だったから。しかも海外のレーベルから人生初のレコードがプレスされて。それで、これは忘れられないのだけど、仕上がりを見たら、真ん中にあるべきデサインがちょっとだけ上にズレてて。それがショックだったことを何よりも覚えてる(笑)。

−−今となってはマニアとしてはそういう「ズレ」とか、初版のレコード特有のエラーって垂涎ものですけどね。

初となる海外ツアー。そして、ダモ鈴木との共演とベルリン移住。脂の乗り切った2ndアルバム期

−−1stアルバムをリリースした頃はまだ活動の拠点が日本でしたよね? そこから海外ツアー等、精力的に世界に打って出る流れが始まっていくと。

Kyotaro:UKのレーベルからレコードを出せたことがきっかけと、話は少しややこしくなるんだけど、幾何学模様が2014年に〈Guruguru Brain〉を始めたわけで、1stのカセットテープはそこからリリースされた流れがあって。リバプールのサイケフェスが彼等のレーベルをフィーチャーしたいって話があって、それで出演オファーがあった。でもそれだけだと赤字になるから、ツアーを組もうと。アムステルダムとかベルリンとか含めて、ヨーロッパでツアーをやろうと話が膨らんでいって。幾何学模様の人はみんな英語喋れるけど、当時俺らは誰も英語喋れなかったし、うん、色々と無茶苦茶だったんだと思う。

−−そのツアーの反応は良かったですか?

Kyotaro:反応は良かったような気がする。客観的なことはわからないけどね(笑)。

−−クラウトロック発祥のドイツへと移住していく流れがあって、2ndアルバムはバンドとしての移行期が反映されているわけですよね。

Kyotaro:そう。活動を続けていく上で、そっちの方が良さそうだったから。ドイツに行ってみたい気持ちとクラウトロックが生まれた街を本場で体験してみたいから行った。1stはコンセプチュアルなことをやった手前、2ndは広げようと思えば、いくらでも広げられるんだけど、結構他のクラウトロックのバンドが電子音に流れてしまうのが多い中で、エレクトロニカの感じに行ってしまうことが当時はダサいと思ってしたくなかった。だからこそ1stの匂いを残しつつ、ちょうどいい変化を見せられるかを念頭に置いていた。だから『Tunnel』とかはハンマーでやってるんだけれど、最後の曲はディスコっぽいこととかやってたりするんだよね。

−−確かにクラウトロックのバンドを聴いていても、CANの「Future Days」とか聴いてもアンビエント的なアプローチをしていました。意外とクラウトロックって懐が深い側面があるというか。実験的なことをやってたりする印象はありますね。とはいえ、2ndには勝手にDAF感を感じたりもしましたが。

Kyotaro:そうなんだよね。アルバムを作る時に参照したバンド以外にも、普段から意識しないで同時にいろんな音楽を聴いてるから。コンセプトは自分の中にあるけど、それ以外のものが入っちゃう感じはある。それが、勝手にオリジナリティになってくれるから嬉しい。自然とコンセプトを超えて、意図しないものが入ってくる。そんな感じのアルバムだね。

−−しかも2018年には先日亡くなられた元CANのダモ鈴木さんとステージで共演されるという出来事がありました。この経緯は?

Kyotaro:ダモ鈴木さんのヨーロッパのマネジメントと僕らのエージェントオフィスがたまたま近くにあって。共通の知り合いが間にいて。「一緒にできたらいいですね」みたいな話をしてくれていたんだ。ちょうど、オランダにある「Roadburn Festival 2018」というストーナーロック系のフェスからダモさんサイドと南ドイツサイド両方にオファーがあって。「だったら、ちょうどいいから、そこでジャムセッションをステージでやってしまいませんか?」という話しになった。

−−そんな奇跡みたいな流れがあるんですか。クラウトロック系のエージェントが同じビルだったとか。当時を振り返るとどんな思い出がありますか?

Kyotaro:めちゃくちゃ気合いが入っていたと思う。当時はクラウトロックを極めてやるぞ、という意識もあって。脂が乗ってたし「今もう1回同じテンションでやれ」って言われても結構大変なくらい……。でも、そんなチャンスないし、普通に見てきた人だし、「一緒にやれんの?」みたいな。そういえば、ステージ袖でダモさんから僕等に「お吸い物ありませんか?」って声かけてくれて。一緒にそれでグルーヴを調整してやったという感じで。

−−その共演にはどんな印象がありますか?

Kyotaro:その時できることをやりきったって感覚かな。1曲目の途中でダモさん疲れすぎて、やめちゃいそうになったりもしたけれど(笑)。ダモさんはダモさんで、経験豊富だから、ガンガン引っ張ってくれた。そういう振る舞いをステージ上で感じ取ったりして。当時のギターが、「いい旅しましたね」みたいに声をかけて、「そうでしたねぇ。楽しかったですね」みたいな。そのくらい。

コロナ以降のムードを経て、満を持して完成した3rdアルバム。そして日本でのライヴ

−−昨年リリースされた3rdアルバムはジャケットもカラフルでタイトルは『Fortune Goodies』。変化という意味では2ndより開けていく感がある。もうちょっとジャンルにとらわれていない余白がある感じ。肩の力が抜けている感じを受けました。とはいえ1、2曲目は完全インストで、3曲目でようやくポップな歌物という。

Kyotaro:だいぶひねくれちゃってると思う、良くないよね(笑)。でも、それでいいんだ。TikTokとか1分で曲を聴く時代に逆行していて、音楽好きしか受け付けてない。でも逆行してやろうみたいな意識はなくて、曲順を選んでいったらそうなったというか。

1回抑圧させてから、上げていくっていう方がドイツ式かなと思ったり。同時に電子音楽的なアプローチもしたかったから、いろいろなことを試せた。実を言うと当初2枚組にする予定だったから、もっと曲数があったんだけど絞った。

−−それはどうして?

Kyotaro:大体3rdアルバムってロックバンドの円熟期というイメージがあって。そこで南ドイツもかましたかった。1stアルバムの初期衝動も好きだけど、3rdは気合が入ってて好きだから。例えばクラッシュの『London Calling』とか。

でも少し先走っちゃったのかな? 俺も良くないのだけれど。制作プロセスは誰にも見せたくないから、1人でやって完成してようやく〈Guruguru Brain〉にシェアしたら、2枚組にするならうちでは出せないよと言われて。1ヵ月落ち込んで。

−−それは落ち込んでしまう……。

Kyotaro:他のレーベルに持っていってやろうか、と思ったりもしたんだけど。幾何学のメンバーとも馴れ合いでやってるわけじゃないからさ。それで曲を減らした。でもこれが結果として良かったんだと思う。少し編集をしすぎて、人間味の少ないアルバムになったのかもしれないけれど。おこがましいけれど、歴史に残るアルバムを作るんだみたいな野心で取り組んでいたから。それで気合入りすぎて、変な動きをしているという(笑)。

−−いや、楽曲のバリエーション含めて個人的には一番好きなアルバムです。タイトルもジャケットも極彩色サイケで。アルバムのタイトルに込められた意味は?

Kyotaro:そう言ってもらえると嬉しいんだけど。アルバムタイトルはドイツのライヴにきてくれた子が「私、Goodies持ってるよ」って言ってきた時のことを思い出して。「フォーチュンクッキー」ってあるけれど、Goodiesってのはまぁスラングで、スピリチュアルなお菓子って感じにしたかった。ご想像にお任せします(笑)。

−−2曲目の「Still Foggy」なんて、インダストリアルで。でもアシッドフォークのニュアンスもあれば、最後の「The border」のアンビエントで閉じるという。

Kyotaro:2曲目の「Still Foggy」の上物は、全くコピー&ペーストしないで1回1回サンプリングしたものをコラージュしていった。で、格好いいものができたと思ってる。3曲目とか歌詞も今まで以上に真剣に日本語に向き合ってみた。影響を受けたのはバロウズとかブコウスキーみたいなビート文学かな。最後の曲はサーフィンをするために抜けちゃった前のギタリストの最後の作品。不思議なんだけど、後日、オーストラリアのサーフ・ドキュメンタリー映画からその曲を使いたいというオファーが来て。勝手に何か横ノリの人たちに伝わる何かがあるのかなと思ったよ。

−−昨年からライヴはカネコアヤノバンドの照沼さんにbetcover!!の日高理樹等を加えて活動していて。ハンブルグでのパフォーマンスは個人のコンディションを含めて最高でした。今のメンバー間のグルーヴはどうですか?

Kyotaro:結構ライヴと音源は違うから2回作るような形なんだけど、去年一緒に欧州を回ったことで、いい感じにまとまっていると思うな。

−−今年もさらに精力的になりそう。26日東京WWWは貴重なライヴになりそうですね。

Kyotaro:うん。まずは自分達が演奏を楽しめたらいいなと。そしたらいい感じになってくると思うんだ。

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異文化の間で躍動するチベットの作家達 https://tokion.jp/2024/02/24/the-world-of-tibetan-writers/ Sat, 24 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224980 2010年代、世界で急速に広まったチベット文学。2020年に日本で刊行された『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』は発売わずか2ヵ月で重版となった。 その魅力を研究者の星泉とたどる

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星泉

星泉
1967年千葉県生まれ。東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所 教授。専門は、チベット語学、言語学。博士(文学)。1997年に東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所に着任。チベット語研究のかたわら、チベットの文学や映画の紹介活動を行っている。編著書に『チベット牧畜文化辞典(チベット語、日本語)』、訳書に『チベットのむかしばなし しかばねの物語』、ラシャムジャ『路上の陽光』『チベット文学の新世代 雪を待つ』、共訳書に『チベット幻想奇譚』、トンドゥプジャ『チベット現代文学の曙 ここにも激しく躍動する生きた心臓がある』、ペマ・ツェテン『チベット文学の現在 ティメー・クンデンを探して』、タクブンジャ『ハバ犬を育てる話』、ツェラン・トンドゥプ『闘うチベット文学 黒狐の谷』等がある。『チベット文学と映画制作の現在 SERNYA』編集長。

チベットの研究者、翻訳者の星泉はチベットの文学作品には今を生きる人達の心情がよく表れていると話す。ニュースで報道される情報では、人々の生活や何を感じているのかまでを伝えきれないことも多く、チベット人達の日常の姿を知ることは難しい場合が多いという。一方でチベットの文学作品には、今を生きる人達の心情がよく描かれていて、日本人の読者の間では「チベットの物語の中には、宗教や人種を超えて共感できる内容が多く、多忙な現代を生きる日本人が忘れがちな思いやりやユーモア、他者への理解を深めるヒントに溢れている」と話す人も少なくない。

星が現在まで日本語に翻訳したチベット文学には、作家であり亡命チベット人の医師であるツェワン・イシェ・ペンバが遺した長編歴史小説『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』、現代チベット文学を牽引するラシャムジャの日本オリジナル作品集『路上の陽光』『雪を待つ』等がある。『路上の陽光』に収録されている日本を舞台にした短編「遥かなるサクラジマ」では、チベットの地を踏んだことのない、日本に暮らす亡命2世のチベット人女性の、生きる苦悩や葛藤が描かれている。星は同書のあとがきに「チベットでも近年増えている、進学や就職、出稼ぎなどで都会暮らしをする孤独な若者に呼びかけるような、力強いメッセージ性のある作品」と記している。

ラシャムジャの作品は、日本人が今読みたい海外文学として紹介されている。一方で、まだ知られていないチベット人作家は多く、その中には女性の作家や詩人も多い。チベット文学における異文化に触れる時の知的なアプローチは、迫害や抑圧の歴史によって培われた発想が元になり、多様性のある時代を生きる現代人に必須の考えが根付いている。世界的にチベット文学が注目を集めたきっかけと特異性、今注目すべき女性作家から、チベット語と漢語を使い分ける制作の意図までを聞いた。

創作活動の最前線に立つ、豊かな口承伝承の語り手達

ーー2010年代以降、日本を含めた世界各地で同時多発的にチベット文学が翻訳出版されたということですが、どのような経緯だったのでしょうか? 

星泉(以下、星):まず、現代のチベット文学を語る上で重要な作家に、ペマ・ツェテンさんとツェラン・トンドゥプさんがいます。私の推測ですが、この2人が日本、フランスやアメリカ等の研究者や翻訳家達と交流を深めたことがきっかけとなり、各国で同時多発的にチベット文学が翻訳出版されたのではないかと考えています。

ペマさんは作家であり、世界的に評価される映画監督です。2000年後半から本格的な映画界に入った彼は、すぐに実力を認められ、国際舞台で活躍するようになります。私は、2011年に映画祭でお会いした際にて小説を頂いたのですが、とてもおもしろい作品だったので、日本語に翻訳をして多くの人に届けたいと思いました。当初は翻訳をする予定ではなかったのですが、ペマさんから「英語の翻訳が始まって、多分来年には刊行されると思うんだけど、日本語ではどうかな?」と連絡がありました。作家から翻訳を期待されることは今までにない体験でしたし、連絡が気軽に取り合える仲になれたことで相互関係が始まり、翻訳出版に至りました。フランスやアメリカの映画祭でペマさんに本を渡された翻訳者達も同じように彼の作品と人柄に魅了されたのではないでしょうか。ペマさんは関わる人に喜びを与える人格者でした。個人的にもとても大切な人だったため、昨年5月に亡くなった時は本当に悲しかったですね。

ツェラン・トンドゥプさんの小説も、アメリカやフランスで翻訳されています。近著が出ると連絡をくれたり、交流のある各国のチベット研究者や翻訳者と引き合わせてくれて、彼を中心にして輪が広がっていきました。何か相談すると即座に応えてくれる協力的な人で、貴重なチベットの情報を提供してくれます。この2人が、世界の翻訳者達の影で動いてくれたことがとても大きいと思います。なるべくして同時多発的にチベット文学が刊行されたんですね。

加えて、過去のチベット研究の蓄積、翻訳書籍はありますが、2010年代にはチベット語でやりとりのできるネット環境が充実したこと、自分達の活動を広く世に届けやすくなったことも関係していると思います。

ーー近年、日本でもチベット文学が取り上げられる機会が増えているように感じます。どのような特徴がありますか?

星:チベットには「語り」を重視する文化があります。チベット文学は口承が中心で、一般の人達にとって物語とは読むものではなく、聞いて楽しむものでした。そういった背景から、説得力を持った言葉を用いて自分の声で語ることが重要視されます。

私が仲間達と作ったチベット語、日本語辞書『チベット牧畜文化辞典』 の中に「男の備えるべき9つの能力」という単語があります。そこには「力が強く、泳ぎがうまく、動きが素早く、土地の歴史を熟知し、笑い話が得意、議論に強く、物知りで賢く、忍耐強く勇敢で、言語明晰であること」とあります。そのうち5つが語りに関わることなのです。土地の歴史を熟知して語れると一人前として周りに認められることが読み取れます。

チベット文字の成立は1300年ほど前と古く、また仏教に支えられた長い古典文学の伝統もあるのですが、一般の人達がそうした文学を読んだり書いたりする文化はありませんでした。彼らは自分達の経験を語り継いでいくことで記憶に残してきたのです。

激動の時代に学び、物語を書いた希少な女性作家達

ーー日本で紹介されているチベット文学の魅力の1つとして「ことわざ」を巧みに使うことが挙げられます。ことわざはチベットの人々の暮らしの中では欠かせないもので、上手に使えるようになることは大人の証でもあるそうですね。

星:はい。ことわざは、問題が起きたときに闘ったり解決したりするためのプロセスでよく使われます。例えば、物語の中では喧嘩の場面でことわざが頻出するのですが、「威張った犬ほどよく吠える、威張った人間ほどよく喋る」と言って、ここぞという時、相手を打ち負かしたい時に繰り出します。意味合いとしては、古くから積み上げられてきた真実や結果が凝縮された「ことわざ」を根拠に、自分の言ってることが正しいという論理にもっていきます。自分の主張を助けてくれる援軍のようなイメージです。

もう1つ、理解し難い奇想天外な複雑な事柄を整理して納得するためのツールともいえます。理不尽な出来事をよく理解して受け入れられなければ、自分の心が壊れてしまいますよね。そんな時に、昔から語り継がれてきたことわざを引用し、わからない出来事を理解するための手がかりとしても使っている。「長く伝えられてきた言葉だから正しいだろう」「似たような出来事は過去にも起こっている、人間ってしょうがないね」という風にことわざを通して、現実を理解しているのでしょう。

ーー昨年日本で出版された『チベット女性詩集』には、女性達が現代詩を発表してから40年とあり、1960~1980年代生まれのチベットを代表する7人の女性詩人の詩が収められています。星さんは、1960年代生まれの詩人達の作品を重要視されているそうですね。

星:そうですね、1970年代後半に、学齢期だった1960年代生まれの男女は、チベットにおける時代の転換期を経験しています。中国全土で1966年から1976年まで起こった文化大革命を経験した女性達は、男女共に1960年代は学校に行けなかったものの、1976年ぐらいにようやく通学できるようになります。ただ、女性の場合は、親の協力を得られたほんの一握りしか学校に行けなかった世代です。そういった意味でも、この世代の女性達が書いたものは大変貴重です。例えば、女の子は学校にいくことを許されませんでした。なぜなら、当時多くのチベット人が従事していた牧畜、農業においては、家事労働は欠かせない労働であり、家事を親から子にしっかりと継承することが重要視されたからです。牧畜民として生きていく上での重要な家事を、母親が娘にしっかりと仕込んでおかないと、村で生きていけませんから、家事を教える機会が失われないように学校に行かせなかったんですね。

他には、女の子が学校に行くと「ろくなことにならない」とも言われていました。1967年生まれの詩人、デキ・ドルマさんは、学校に行きたいと言ったことが、村中で大騒動になり、学校に行きたいなんて、あの娘には鬼でも取りついたのではないかと噂が立ち、とても悲しい思いをしました。でも、諦められずにいる娘をかわいそうに思った父親が、馬で寮制の学校に連れていったことで、学校に通えた。大変な苦労や辛い思いをしなければ女の子は学校にいけない世代でした。

創作をするという点では、1960年代生まれの作家は男女共に、詩や物語をチベット語で書く先達がいなかったために苦労も多かったと思います。その理由は、根本的にチベット語というものが一般の人々の心情を描くような言葉ではなく、宗教のための言葉だったことも関係しています。

ーーチベット語で書くのが難しい状況下で、漢語で書く場合はどうだったのでしょうか?

星:チベット人女性で、1960〜1970年代に漢語で教育を受け、中学、高校、大学で漢語を習得し、中国や海外の文学を男性と同じように受容した人達は限られた数ですが存在します。

その時代の特徴としては、幹部の子弟は優先的に学校教育を受けられる、つまり庶民ではなく、役人になることを期待されて、男女共に進学することができました。そうすると、北京大学等に進学したチベット人が現れるんですね。その中には物語が好きな女性がいて、大学を卒業して、漢語で文学作品を書いた人達もいます。 中国の大学では、古典の漢文の基礎を教えますから、それが女性達の書きたいという思いを助けたんです。漢語だと大勢の先達の作家がいるので、自分も書けると思えたのではないでしょうか。

異文化の間で躍動するストーリーテラー達

ーーチベット文学は、漢語で書かれた長編小説もたくさんあるそうですね。チベット人作家はどのような理由で、チベット語と漢語の使い分けをしているのでしょうか?

星:まず、ほとんどのチベット人は、チベット語と漢語のバイリンガルです。漢語を使わないと生きていけないということもありますし、学校でもチベット語だけを教えるところはありません。テレビやインターネットが普及して手軽に学べる環境があることも関係していますが、それ以前からバイリンガル化が進んでいました。ただ、読み書きの方はどういう教育ルートを通ったかで異なります。

作家を分類すると、漢語だけで書く作家、チベット語だけで書く作家、そしてバイリンガルで書く作家がいるんですが、漢語だけで書く作家は、小さいうちは親元で育ったとしても中学校からは中国の漢語学校に通います。すると、チベット語を学ぶ環境がほぼないので、親が頑張って教えなければ、チベット語の読み書きは習得せずに大学まで進学します。 でも、自分達のアイデンティティはチベットにあるため、漢語で故郷のチベットの物語や詩を書いています。

あまり多くはないものの、チベット語で書く作家達のほとんどはチベット語で教える各県の民族学校に進学し、チベット語による高等教育を受け、民族大学のチベット語課程で学び、作家になります。バイリンガルで書く作家は、先述したペマ・ツェテンさんとツェラン・トンドゥプさんで、チベット語と漢語の翻訳も自分達でしています。

ーー同じところで生を受けても、教育ルートによって、言語だけでなくインプットされる知識も大きく変わりそうですね。

星:そうですね。漢語教育を受けるか、民族学校でチベット語の教育を受けるかでインプットするものも変わりますし、特に古典作品の受容が全然違いますよね。古典の勉強は、その人の教養の素地を作りますから、同じ場所で育ったとしても、親に与えられた言語教育の中で読み書きを習得していく過程で、全く違う表現を身につけていきます。

先述したペマさんは、民族中学に進学しましたが、最初に書いた作品は漢語です。 その作品が、ラサのチベット自治区で発行されている漢語の文芸誌に発表されて、高く評価されてからは、チベット語で書き始めました。ただ、チベット語だけで映画を撮りはじめてからは、小説は漢語だけで書くことにシフトし、漢語の読者を獲得することに努めていました。

ーー漢語で書くことにこだわった理由は何でしょうか?

星:まずは漢語で書けば読者が増えるからでしょうね。教育環境の影響で漢語でしか読み書きのできないチベット人も大勢いるので、そういう人達にも届けることができます。チベットの人達にとって物語は目で読むものというより、耳を傾けるものという意識が根強いようで、ラジオで文学作品が朗読されることもあるそうです。特にコロナ禍のチベットではロックダウンが長期間続いたのですが、チベットの古典文学から現代文学まで、さまざまな朗読がインターネット上に掲載され、多くの人が耳を傾けたそうです。作家達はいろいろなことを考えてチベット語と漢語を使い分け、受容する方もそれぞれの環境で目で読んだり耳で聴いたり、選択しているのが今のチベットの状況ですね。

声で語ることを大事にする文化という意味では、日本でも漢文の素読であったり、落語があります。日本人が落語を楽しむようなイメージで文学を楽しんでいるチベット人がいるということですね。私もチベット人方式を真似て、日本語に訳した文学作品を朗読で紹介してみよう等と考えています。

ーー英語原作の小説『白い鶴』で、作中に「グリーン・ブレインド」とあり、英語では「環境問題に意識の高い」という意味があるものの、チベット語では「レバ・ジャング(脳+緑色の)」というイディオムをふまえ、思想的に腐っている、遅れたという意味で使われているそうですね。星さんは、混合語や作家が創作した言葉を、チベット語と英語の変換も踏まえながら翻訳をされているんですね。

星:『白い鶴』に限らず、チベット人作家の作品は、括弧で強調したり、注釈なしに「チベット語化した英語」と「チベット語を踏まえた英語」を多用したり、チベット語を英語風に書いてみたりと、複数の言語を自由に使った表現方法に富んでいます。そういった表現を「言語の脱領土化」と言いますが、英語という大言語に完全に乗っ取られるのではなく、大言語の中でチベット語の存在感をしっかりと放つ営みでもあります。

例えば、それを口頭でやっているのがシングリッシュやインド英語で、少言語で大言語を変容させていくような営みです。だから、英語で書かれた本でも、紛れもなくチベット人の作家が書いたものであり、英語しか知らない人には絶対に書けない表現がたくさん散りばめられていると思います。

ーー近日、日本では初となるチベットの女性作家の長編小説が刊行されるそうですね。

星:はい、ツェリン・ヤンキーという女性作家の長編小説『花と夢』 の翻訳が4月中旬に出ます。ラサの小さなアパートで共同生活をしながらナイトクラブで働く4人の娼婦のシスターフッドの物語です。4人共つらい過去があり、彼女達を待ち受ける運命も悲痛なものなのですが、それを温かく見守るようなまなざしで描いた素晴らしい作品です。女性達の会話がとても生き生きとしていて、彼女達がすぐ側にいるような感覚を味わえると思います。刊行は「春秋社」から。新しいシリーズ「アジア文芸ライブラリー」の1冊です。楽しみにしていただけるとうれしいです。

Photography Seiji Kondo

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連載:Soya Itoの「Boylife in EU」Vol.2 デュッセルドルフのクラブ事情 https://tokion.jp/2024/02/23/soya-ito-boylife-in-eu-vol2/ Fri, 23 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223037 DJ、オーガナイザーの Soya Itoが留学先のドイツでの経験を発信するクラブレポート。第2回はベルリン在住のフォトグラファーTaro Logicとの対談を収録。

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第2回はベルリン在住のフォトグラファーTaro Logicとの対談です。昨年末ベルリンで過ごした年越しの様子と初めてのベルリンのテクノクラブ体験を回想して、他にも印象的だった出来事を振り返ります。

年末のベルリンで初めてのクラブ体験

Soya Ito(以下、Soya):じゃ、まず自己紹介から。

Taro Logic(以下、Taro):えー、これどっちで言おうか。一応2つあるじゃん?  Taro Logicと本名で。

Soya:まぁ好きな方で(笑)。

Taro:タカヤマユウゴです。

Soya:それで良いの?

Taro:え、ユウゴ タカヤマ? えーじゃあ Taro Logic にしとくか。

Soya:何してる人ですか?

Taro:普段はフォトグラファー、ベルリンではアーティストとして活動してます。

Soya:ベルリンはいつからいるんだっけ?

Taro:2022年の11月かな。

Soya:一昨年の年末に俺がベルリンに留学して、そのタイミングで東京の友達が結構ベルリンに来てたから、みんなでご飯食べようってなって。その時に集合したみたいな。

Taro:そうだね、東京でもSoyaとは会ってたけど、クラブ以外でちゃんと落ち着いて話したのは初めてだった。

Soya:で、年越しのタイミングで俺とユウゴともう1人の友達でクラブに行ったよね、あれがベルリンで初めてのクラブ体験だった。どこだったっけ?

Taro:OXIじゃない? あんま覚えてないけどOXI主催のニューイヤーみたいな感じだった。

Soya:俺もあんま覚えてない、ユウゴがバーカンでクレカ失くしたとこがピークだった(笑)。音楽はどんな感じだったっけ? 地に足ついてるけど若干トランスっぽい上メロあるみたいな感じだったかも?

Taro:結構トランシーな感じじゃなかった? あとその時、こっちの DJ ってクラシックだって話したよね、客がその時求めてる音とかバイブをしっかり提供するというか。DJ Fuckoff(ベルリンのユースに人気を誇るベルリン在住の DJ)とかは本当そうな気がする。東京にもそういうプロい人達いるけど、レベルが違った感じがした。

Soya:あと空間も良かったね。

Taro:そうそう。広めのラウンジスペースがあって、そこでみんなでゆっくりできる感じの。

Soya:神宮前のボノボの 2 階のノリを感じたね。OXI自体はフロアが3つあって、メインフロアとサブ、それにそのラウンジがあって、そこでもDJがBGMみたいな感じで音楽かけてて、みんなのコミュニケーションの場になってた。

Taro:あと日本との違いで言うとキュー(列)の⻑さってのがあるよね。

Soya:それは本当に違うね、並ぶことができないからキツかった。ベルグハイン(Berghain)も5時間とかザラに並ぶっていうし。その日は大晦日の23時くらいに着いたんだけど、列が⻑すぎてそのままその列の中で年越したね。

Taro:逆に外で年越せて良かったかも? 花火も見れたし。

Soya:OXIってベルリンのクラブの格付け的にはどんなポジションなんだろう? ベルグハインとかトレゾワ(Tresor/ベルグハインに次ぐ、ベルリンの老舗テクノクラブ)とかの名門クラブと、SameheadsとかPunkeとかのローカルアンダーグラウンドの中間って感じがするけど。他と比べると客層とか音はライトってか普通な感じだし、ポジ的には中間テックハウスなのかな。

Taro:東京でいったらContactみたいな感じかな?

アンビエントリスニングバー「Kwia」

Soya:イベントとか規模感的にはそうかも。年始の滞在の時は他に何したっけ? HOR のオフィスに凸ったのは覚えてる。

Taro:あれ、今考えると結構、おかしなムーブだったと思う(笑)。

Soya:HORっていうDJのオンラインストリーミングプラットフォームがあって、⻩緑のバスルームが特徴なんだけど、当時それに出たくて。メールで自分のミックスとか送りつけたりしてたんだけど、一向に返信が来ないからムカついて、そのままオフィスに1人で凸って交渉しに行った。結局そこには配信担当の人しかいなくて、その人にいろいろ説明してメール見るように言ったんだけど、「配信担当だからブッキングはわかんない」とか言われて。相手にしてもらえなかった(笑)。

Taro:なんか凸る前からキレてたし。あたかも「ブッキングされてたのに蹴られた」みたいなスタンスだったから俺びっくりした(笑)。

Soya:結局それは功を奏さなかったけど(笑)。

Taro:そうだね。あとそれでいうとKwiaも行ったじゃん!

Soya:そうそう、Kwiaっていうアンビエントリスニングバーがベルリンにあって。箱とバーの中間みたいなベニューなんだけど、そこではDJが流す音楽に指定があって、例えばテクノ禁止とか、うるさい音楽は流しちゃダメとか。箱自体もおもしろくて、入り口でみんな靴脱いで、フローリングのフロアとかソファとか椅子に座ったりする。ドリンクもお酒以外にめっちゃうまいお茶とか竹ベースのジュースがあって超チルなの。音楽も主にアンビエントとかエクスペリメンタルとかがかかるんだけど、1 月頭に初めて遊びに行った日はSpecial Guest DJがオールナイトでDJしてて。Shyて名前なんだけど、Shyは確かその1週間前くらいまで日本でツアーしてたらしくて、共通の友達も何人かいたと思う。オールナイトで朝までShyが1人で回すって聞いてたから、内心しめしめと思って、その夜自分のUSBも持って遊びに行った(笑)。で、3時間くらい経ったタイミングでShyに話しかけて、東京から来たこととアンビエントのDJしたいっていう気持ちを伝えたら、急遽その場で1時間やらせてくれることになって。だいぶ無作法だし失礼なのもわかってたけど、数ヵ月DJしてなかったから、フラストレーションで飛び入りしちゃった。

Taro:東京いる時からあんだけDJしてて、ドイツ来てから半年くらい1回もDJしてなかったじゃん。純粋に半年ぶりに機材触れて楽しかったでしょ? あと、後々仲良くなった人であの現場にいたのも何人かいて、みんなその時のこと覚えてるよね。

Soya:ん。やっぱ久しぶりにDJできてシンプルに楽しかった。あの時のベルリン滞在はこのくらいかな。

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BUTTERING TRIOの中心人物でイスラエルのビートメイカー、リジョイサーことユヴァル・ハヴキンが新作をリリース https://tokion.jp/2024/02/22/buttering-trio/ Thu, 22 Feb 2024 11:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225161 リジョイサーことユヴァル・ハヴキンがニューアルバム『This Is Reasonable』を4月12日にリリースする。

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リジョイサーとしても知られるユヴァル・ハヴキンが、4月12日にパリ拠点のレーベル〈Circus Company〉からニューアルバム『This Is Reasonable』をリリースする。同作は、ジャズとヒップホップの融合にインスパイアされたダウンテンポ・ミュージックの第1人者であるユヴァルの初期のサウンドを彷彿させつつ、アンビエントに近い穏やかなエレクトロニック・ミュージックで展開する。チルアウトなフィーリングやメロディアスな11曲を通して、アンビエントのような静けさと浮遊感を与える。

同作は、ユヴァルのより個人的で新しい音楽の方向性を示している。エレクトロニックでシーケンサーを多用したスタイルを選び、Prophet6と8のシンセ、Juno 60、Minimoog、Fender Rhodesのキーボードで演奏。特にベース、キーボード、パーカッションのハーモニーを追求しており、「フェラ・クティやトランペット奏者で友人のアヴィシャイ・コーエンからもインスピレーションを受けた」と話す。

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