デニム生地からダルマを生み出す元プロスケーター、清水葵の創造力

日本では古くから民芸品として知られ、今では絵本の主人公や受験における縁起物としても人気を集めるダルマ。この日本の伝統とアメリカを象徴するデニムを織り交ぜてアーティスト活動を行う1人の元プロスケートボーダーがいる。清水葵。彼が作る廃棄されるデニム生地を使ったデニムダルマは、「ディオール」とのタッグで世界的に話題を集めたアーティスト、空山基とコラボレーションを果たすなど、注目を浴びている。スケートボーダーが作るダルマとは? その創作の背景に迫る。

スケートボードに一区切りをつけてアーティストに

――もともとはプロスケーターだったと聞きました。

清水葵(以下、清水):14歳の時に、スケートボードにまつわるファッションやカルチャーに憧れがあって乗り始めたのがきっかけです。その後、19歳でブランドと契約することになって、プロスケーターに。プロ時代は、「ニクソン」や「リーボック」「バックチャンネル」「ムラサキスポーツ」といったブランドにスポンサードしてもらいながら、仲間達とビデオを制作したりしてスケートボードに明け暮れました。その後27歳の時に、雑誌『TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN』で表紙を飾ったことと結婚をしたことを機に、現役に一区切りをつけました。

――そうなんですね。ではプロを引退してすぐに現在のアーティスト活動に至ったのですか?

清水:いえ。そう簡単には今の創作スタイルにはだどり着けなくて……。スケーター時代からグラフィティをはじめ、アートをやっている人や作品も身近にあったので、見ることはすごい好きだったんですよ。いずれは自分でもグラフティやイラストを描いてみたかったのですが、僕は絵がとにかく苦手なんです(笑)。だから描いたりするのは無理だって思っていました。でも「何かを創造したい!」という想いだけは強くあって。そこで手当たり次第に、ステンシルやグラフィティを趣味程度にやっていましたが、すでに上手な人はたくさんいるなと漠然と思っていた時に、スケボーで履き古したデニムパンツが目に入ってきたんです。色の落ち方や傷の入り方、破れやほつれ、さらには転んで怪我して付いた血だったりと、1本として同じものがないことにおもしろさを感じました。ただ捨てるだけのデニムなんだし、これを上手く活かしたいと考えた先に、たどり着いたのがデニムクラフトだったんですよね。それからデニムの濃淡を活かした作品をひたすらに追求していく中で、日本の伝統文化を織り交ぜてみようと、人との縁もあってダルマに出会いました。1年後に現在のダルマの原型が完成し、そこからさらに5年を経て、今の形になりました。

――長い時間をかけて今の創作スタイルができあがったんですね。デニムダルマはどのように作っているのですか?

清水:廃棄されるデニムを使って、シンプルにとにかく切って貼っての繰り返しです。まずはデニムを細かいパーツに分解して、頭で思い描いて再構築していきます。決まったルールはないので、完成したダルマはそれぞれ色は変わってくるし、パターンも違う。さまざまな表情が出るのはデニムダルマならではと思います。

――制作で大変な点やこだわりは?

清水:大変なのはダルマが球体というところです。平面ではないので、どうすれば美しくきれいに貼ることができるのか。そして、縫って作っているように見せるために、どうやって切れ目を隠すか。さらに無駄を削ぎ落としています。あとは、ダルマの表情ですかね。ダルマの表情って、作り手によって描き方がそもそも違うし、意味もあるんですよ。ダルマは縁起物のため、鶴や亀、松竹梅、富士山といった験担ぎの要素がてんこ盛りなんです。僕のは地元から近い平塚市で作られている相州だるまをベースに、鶴(眉毛)と亀(髭)と富士山(口)を使ってオリジナルの表情を作りました。

――制作期間はどれくらいかかりますか?

清水:最低1日はかかります。あと、デニム1本で1体しか作れません。

禅の心が宿るデニムダルマ

――現在はどこで買えますか?

清水:僕のインスタのアカウントにDMしていただくか、もしくはACRAFTの工房がある「コンセプトデザイン 湘南スタジオ」か、神奈川県藤沢市にあるショップ「clapp vintage」からのオーダー依頼にしています。というのも、オーダーする方がどのような思いで作りたくて、どこに置きたいのかといった話を聞かせてもらって、その思いをパーツの配置や色味で表現したいからです。そしてできることなら、オーダーする方の思い入れのあるデニムを使って作りたい。そうすれば自分の思い出をまとった世界に1つだけのダルマになりますからね。ちなみにダルマと言えば、願いが成就したら燃やすという風習があるのですが、デニムダルマは持ち主の思い出をまとっているので、ずっと飾っていただきいつまでも忘れないでほしいです。

――清水さん自身は、ダルマにどういった魅力を感じていますか?

清水:禅の心ですかね。すべてを話すととても長くなるので割愛しますが、ダルマというのは、禅宗の祖師である達磨大師が、長年座禅を組み続けたことで現在のダルマのような形になったらしいんです。その逸話を元にしてできた人形が中国から室町時代に日本に伝わり、江戸時代には今のダルマのデザインができあがったそうです。
その達磨大師が願った禅の心というのは、“何もない”ってことでした。求道的な気持ちもない。あるのは自分の心を見つめることだけ。いわば、ダルマを見ているようで、自分を見ている。己が抱えている問題の答えは、自分の中にあるんだぞって言われている気すらしてくる。それがダルマの魅力ですかね。

モノ作りの原点はスケートボード

プロスケーター時代の清水葵

――ダルマ作りにはスケートボードの経験が生かされていますか?

清水:もちろん。スケートボードを通して出会った人とのつながりもそうですし、ストイックに諦めない姿勢は特に生きています。僕はスケートボードのトリックが一度できたら、それをひたすらやり続けてきたんですよね。それこそ簡単にメイクできるようになるまで、体が壊れるかってくらいひたすらやる。自分の限界を超えた先に意味があると思っていて。それが物作りに生きています。ダルマ作りで言えば、作品ができあがったら、それで満足ではなくて、一度壊して、また作り直す。それを繰り返すことで、自分の考えていた以上の作品が生まれてきます。とにかく諦めてはいけないってことですね。

――現在、スケートボードとの向き合い方は?

清水:一区切りつけたと言っても、これまでの人生をスケートボードにかけてきたので、今でも人の滑りはチェックしていますし、自分でも乗ります。スケートボードは自分のライフワークの一部ですかね。

――創作に新型コロナウイルスの影響はありましたか?

清水:周りから心配されたりもしますけど、僕はまったくないんですよね。というのも、デニムダルマを作る「ACRAFT」に取り組み始めたのが、新型コロナウイルスのパンデミックになってからなんです。その状況で急にオーダーが入り出して、空山基さんともコラボレーションさせていただくなどずっと忙しい状況が続いています。影響があったとすれば、これから台湾と香港で個展を行うにあたり、現地に行けなくなったってことですかね。でもコロナ禍によって、僕は家族と向き合う時間が増えたし、ダルマともずっと向き合えているので悪いことばかりではありません。

――その台湾と香港の個展はどういった内容なのですか?

清水:台湾での個展は、空山さんが以前、個展を行ったことがあるギャラリー「Wrong Gallery」に声をかけていただいたのですが、現地の文化や色味などを自分なりに咀嚼してダルマに落とし込みたいと思っています。香港の個展は、日本のブランドを多く取り扱っているアパレルショップ「HIDE & SEEK」で展示するのですが、ショップオーナーの思い入れがあるという「Carhartt」のヴィンテージデニムを使って作ります。

――今後の目標などありますか?

清水:僕が物作りを始めたきっかけはデニムですが、これまでに工場で廃棄されるレザーを使ってダルマを作ったこともあります。なのでデニムに限らず、余剰在庫を使ってダルマだけでなくさまざまな物をリメイクする、リメイク・アートをしていきたい。僕はこの活動を“リ・アート”と呼んでいます。そのためにも今はとにかくこのデニムダルマを作り続けて、テクニックやアイデアを貯めていきたいです。

清水葵
1986年神奈川県寒川町生まれ。アーティスト。プロスケーターとして数々のメディアに取り上げられたのちに引退し、創作活動をスタート。廃棄予定のデニム生地を使い、オリジナルのデニムダルマを作り上げる。これまでに世界的アーティストの空山基とコラボレーションし、台湾、香港での個展も控えるなど、精力的に活動中。
Instagram:@a.craft86

Photography Shinpo Kimura

author:

相沢修一

宮城県生まれ。ストリートカルチャー誌をメインに書籍やカタログなどの編集を経て、2018年にINFAS パブリケーションズに入社。入社後は『STUDIO VOICE』編集部を経て『TOKION』編集部に所属。

この記事を共有