連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第1回/Migosと「ヴェルサーチ」が起こした“事件”とは

音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では、noteに発表した「2010年代論―トラップミュージック、モードトレンドetc.を手掛かりに」も話題となった気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ちあらわれるイメージを観察していく。第1回は、国内シーンにも大きな影響を与えた、米アトランタのヒップホップ・グループMigosによる「Versace」について。私達を“痙攣”させるもの、その正体に迫る。

本連載では、国内のストリートミュージックの、主にファッションに関するものを拾い上げながらそれが表象することについて論じていきたい。国内のストリートミュージック、中でもとりわけ今その中心にいるラップミュージックは(影響は弱まってきたとはいえ依然として)USラップミュージックに依拠しているところが大きく、まずはこの今の潮流の起点をMigos「Versace」に置いてみる。いわゆるトラップビート×二拍三連フロウの型を確立し、全世界にフォロワーを生み、後のラップミュージックのほとんどを良くも悪くも「Migos的な音」に感染させてしまった始まりが「Versace」で、その事件が起こったのは2013年7月8日のことだった。

2013年といえば若者の間ではA$AP ROCKYが着て話題になった「ジバンシィ」も流行っていたし、「バルマン」のパンツも飛ぶように売れていたので「ジバシ/ジバシ/ジバシ…」でも「バルマ/バルマ/バルマ…」でも良かったのだけれど、「ベサチ」の「チ」の破擦音がこの曲の肝で、妙な軽薄さと下品さに拍車をかけている。そもそもこれほどラッパーに愛されてきたラグジュアリーブランドは他に「グッチ」くらいしか見当たらず、「グッチ」だとこれもまた音数が少ないため、結局のところ「ヴェルサーチ」しかこの曲にはまるブランドはない。「ヴェルサーチ」がこの事件に絡むことになっていたのは、もはや必然のことだった。

Migos「Versace」

つまり、これはMigosはもちろんのこと、「ヴェルサーチ」によるムーブメントでもあった。スニーカー「Chain Reaction」で後に正式なコラボレーションを果たす両者だが、MigosもVersaceも、人々のハートを動かし打ち抜いていくという点ではずば抜けていた。何が素晴らしかったのか。彼ら彼女らのクリエイションは「いかに本能に働きかけるか」を追求したもので、終いには痙攣を起こさせるような代物だったのだ。

ドナテラ・ヴェルサーチェが、コカインに溺れていた失意の2000年代を経て2010年代に復活し評価を集めたのは記憶に新しい。2000年代前半にミニマルなトレンドが主流となる中で市場でのプレゼンスを大きく落とした「ヴェルサーチ」だったが、2010年代半ば以降はラグジュアリーストリートの隆盛と歩幅を合わせる形で、スポーティ、ジェンダーレス、さまざまなドナテラの挑戦が見事にはまり、ミラノコレクションでも大きな人気を集め、売り上げも大幅拡大を果たす。最終的にはそれが「マイケル・コース」による買収という形で実を結んだのは良かったのか悪かったのかわからないが、2010年代の「ヴェルサーチ」はジャンニ・ベルサーチェ時代にあったブランドの求心力を取り戻し、新たな人気を確立したと言って良いだろう。ドナテラの挑戦が色濃く出たこの10年間――レディース・メンズともに、例えば2015-16AWの“「ヴェルサーチ」らしさ”を最小限に留めたクリエイションにおいても――「ヴェルサーチ」はプリントの大胆なセットアップやショルダーを強調したボディコンシャスなシルエット、それらをまとめ上げる安直で(!)ゴージャスな様式美を崩さなかった。

「Versace Women’s Fall/Winter 2015 | Fashion Show」

全力でベタをやること、最高の技術でベタを“やりきる”こと。その時、安易に「ベタじゃん」と言っていたわれわれの怠惰な態度を超えて、作品は力を持ちはじめる。本能に逆らえず、虜になる。まるで、蛇に侵された醜悪な髪の毛から目を背けつつも、その魅力的な眼で見つめられることで虜になってしまう、「ヴェルサーチ」のアイコン=メデューサを見てしまった者のように。Versaceとは“ベタ”に心を奪われてしまう説明しきれない本能の追求であり、人々を痙攣させるものであり、そしてそれはメデューサそのものなのである。

そして、「ベサチ/ベサチ/ベサチ…」と畳みかけるMigosの音楽も、“トラップ=ドラッグ密売所”の語源の通り、TR-808のぞくっとするサウンドとともに快楽をこれ以上分解できない本能の域まで叩き、中毒という液体に浸して漬けたものである。Migos以降に派生したマンブルラップという潮流も、言葉を単に“音”として鳴らしノリに奉仕させるという点で、ひたすら人体を痺れさせ痙攣させるものだろう。

「Versace, Versace/Medusa head on me like I’m ‘Luminati」=「ヴェルサーチ、ヴェルサーチ、まるでイルミナティかのようにメデューサの頭を身につける」と彼らはライムした。「ヴェルサーチ」とMigosが起こした事件とは、ストリートの人々の本能を飼い慣らし、痙攣させるということだったのだ。当然ながら、その秘密結社はUS全土からこの国にも影響を及ぼした。全国津々浦々の病床では、電気実験で痺れた彼ら彼女らが横たわっている。痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション。この国で見られる現況について、次回以降仔細に観察していく。

Illustration AUTO MOAI

author:

つやちゃん

文筆家。音楽誌や文芸誌、ファッション誌などに寄稿多数。著書に『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)など。 X:@shadow0918 note:shadow0918

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