持ち運び可能で超軽量なアートプロジェクト「The eyes of the wind / 風の目たち Vol.1」がトビリシでスタート 謎に包まれた展示の全容

南青山にあった「FL田SH(フレッシュ)」というギャラリーが、ビルの解体とともに“移転中”となったのが約2年前。運営の中心メンバーだった吉田山はその後、特定の場所を持たず“漂流”しながらアートスペースを展開してきた。その漂流はついに海を越え、ジョージアまでやってきた。

ジョージアの首都トビリシで行われた、吉田山と20人の日本人アーティストによる1日限りの展覧会「The eyes of the wind / 風の目たち Vol.1 A」。同展は、長期にわたるアートプロジェクトのオープニング的な位置づけであり、持ち運び可能で超軽量。

まず、5cm四方の箱に収められた日本人アーティスト20人の作品が、吉田山の旅行カバンに詰められ日本を出発。空港の手荷物検査を経てジョージアに到着したそれらの作品が、路地裏の小さなギャラリーに1日だけ展示される。

さらに、この展覧会は「エクスチェンジプログラム」でもある。一般的にアートの世界におけるエクスチェンジは人の交換が多いが、今回は“モノ”の交換。

ギャラリーにやってきた人は、会場からお気に入りのアート作品を持ち帰ることができる。その条件は2つ。

1.家の窓辺にその作品を飾り、写真を撮って送ること
2. 5cm四方の箱に収まる作品を作り持ってくること

こうしてジョージアで集めた作品が、次は東京で展示され、どこかの家の窓辺に置かれる。そして、それぞれの国で集めた窓辺の写真から1冊の“地球の歩き方”のようなガイドブックが刊行される。

展示名「The eyes of the wind / 風の目たち」の「風の目」とは、窓のこと。

つまりこれは、世界にある家のいくつかの窓辺で、ひっそりと小さな展覧会を開こうとする試みである。そしてこのプロジェクトは、誰かの家の窓辺から最後の作品が撤去される日まで恒久的に続くことになる。

「美術って、社会的にはロジカルではない個人的な思いつきにも現実味を帯びさせることができる技術だと思っていて。僕が勝手につくった事実から、すごく小さいレベルだけど世界の書き換えが行われる。それがほんとおもしろいと思うんですよ」。

このプロジェクトのためにトビリシを訪れていたキュレーターの吉田山は、そう言ってニヤリと笑った。

一体吉田山は、どういう企みで日本から1万km以上離れたジョージアまで漂流してこのような展示を行ったのだろうか。実行に至った経緯や今後の展開を聞いた。

YOSHIDAYAMAR(吉田山)
Art Amplifier(アート・アンプリファイア)
富山県出身アルプス育ち。生活や近所のフィールドワークを基に、そのアウトプットとしてアートスペースの立ち上げや作品制作、展覧会のキュレーション、ディレクション、コンサルティングや執筆等の活動を行う。
Twitter:@yoshidayamar
Instagram:@yoshidayamar

デパートのウィンドウディスプレイから着想した「野に放たれる設計」というテーマ

−−そもそも展覧会の構想は、どこから発芽したのですか?

吉田山:散文的に話しても大丈夫ですか? 僕はもともと東京で合計3年ほど「FL田SH(フレッシュ)」と「TOH」というギャラリーを運営していたんですね。でも、1つの企画や計画を実行して新しい発見を得ると、その種を発展させたくなる衝動的な性格なので、ずっと同じ場所で続けることが難しくなってきてしまって。そんな時にちょうどギャラリーの入っていたビルの取り壊しが決まって、ちょうどいいなと思って1人で漂流し始めたんです。

アートスペースの運営経験から、空間を運営することと催事企画のおもしろさは感じていたので、じゃあ何をやろうかなと。で、街を歩いているとデパートのウィンドウディスプレイってあるじゃないですか。そうした、すでに街中にある余白とも言えるものに介入してディレクションしていくのはおもしろそうだなと思ったんです。

2つ目の話ですが、僕はアーティストのアシスタントからこの業界に入ったんです。本は読んでいましたが、ファインアートの教育は全く受けていないんです。ただ、アートで生きている人達ってどんな人なんだろう? と存在が気になって、とりあえず現場に行ってみようというところから始まりました。僕がアシスタントをしていた作家は、野外に開かれた作品を作る人達だったんです。野外に置かれるということは、美術を知っていようが、いまいが関係なく、そこを通るすべての人に一時的に触れ合うことです。加えて、アシスタントの経験を通してトリエンナーレやビエンナーレによって美術と町おこしが相補的に関係していく様子を現場から間近に見てきたこともあって。自分が企画をする時には、すべてが「野に放たれる設計」にできないか、というのを意識しているんです。

今回の展示はデパートのウィンドウディスプレイと「野に放たれる設計」をコネコネ混ぜたらおもしろそう、というところから始まりました。

−−この展示は今回がVol.1なんですよね。なぜ初回の開催国にジョージアを選んだのですか?

吉田山:僕は富山県の出身なんですが、子どもの頃に富山湾へ行くと遠くにすごくでっかいロシア船が見えたんですね。富山の港からウラジオストックまで距離が近くて。

だから、日本から海外へ活動の幅を広げる時に、僕の中で一番リアリティがあるのが、出生地の富山からロシアへ向かうルートなんです。富山湾からウラジオストックに行き、そこからシベリア鉄道でモスクワに出て、その後東ヨーロッパから西ヨーロッパに抜ける。

昨年「ロシアで何かやりたい」といろいろな人に話していたのですが、そのうちに戦争が始まってしまって、どう考えても今行くのは無理だなと。その時に思い浮かんだのがジョージアでした。僕がTOHで最後にディレクションした展覧会に出品していたアーティストの庄司朝美さんがジョージアで1年間海外研修することが決まっていたので、「行けたら行きます」と話していたんです。

場所を調べるとロシアの隣国であり、歴史的にも深い関係だということを理解して、ニュースで「戦争の影響でジョージアの街が混乱している」というのも知って、大丈夫かな? と思いました。でも、ジョージアで展覧会をすることは、今僕が興味深いと思うことだったので、あらゆるリスクも感じつつ開催を進めることにしました。

−−展示のテーマは一見、戦争のこととはまったく無関係に見えますね。

吉田山:そうですね。「The eyes of the wind / 風の目たち Vol.1」のテーマは、5cm四方の箱に収められる「不便さ」や「不自由さ」、その後に窓辺に置かれる一連の流れであり、「戦争」のような明確な言葉は設定しませんでした。僕と出品作家達はこの展覧会を通して、各々のプロセスでジョージアの窓辺にアプローチしていきました。遠い地の戦争を解像度高く想像するようには努めていましたが、遠い日本からジョージアにやってきた作品やこの展覧会がどう受け取られるのかは、全くの未知でした……。

プログラムの余白に対して前のめりに参加する来場者

−−日本人アーティスト20人の作品は、それぞれ個性的でおもしろかったです。作品はどのように集めたのですか?

吉田山:「5cm四方の箱に入る」「窓辺に展示される」という2つの制約の中で、この人だっだらどうするだろう? と興味を持った人に声をかけていきました。16人はもともと僕が知っていた作家で、4人はリサーチャーの紹介です。ファインアートのアーティストだけではなく、プロダクトデザイナーや振付師、Spotifyに楽曲を上げているミュージシャン等、なるべくジャンルを超えたものにしたかったので意識して声をかけていきました。

−−展覧会に訪れたジョージアの人達の反応はいかがでしたか?

吉田山:ジョージアでは初めての仕事でしたし、知り合いもほとんどいないことを考えると、この1日限りの展覧会にはほぼ誰も来ない可能性もあると思ったのですが、ジョージア滞在中の庄司さんにコーディネートをお願いしたら、人づてにいろいろな方面に声をかけてくれて、展覧会開始の17時ごろから22時くらいまで途切れることなく人が来てくれました。

この展覧会はただ鑑賞するだけではなくて「作品を選び、持ち帰ってもらい窓辺に飾り、今度は自分が5cm四方に収まる作品を作って吉田山に渡す」というややこしい企画なので、一体何人がこの話に乗ってくれるだろう? と思っていたんですが、蓋を開けてみたら、ジョージアのアーティストはとても好意的にこのプログラムに参加してくれました。

そして、参加者がそれぞれ違う解釈で捉えてくれたのもおもしろかったです。作品ではなく箱から選んで「この箱に入っていた作品はどれ?」という人がいたり、選んだ作品を途中で他の人と交換する人もいて。僕が用意したプログラムの余白に対して前のめりに参加してくださって、各々のアーティストが解釈を変えていく様子を見るのが興味深かったです。

今回、出品作家であり庄司さんのパートナーでもある田沼利規さんの提案でギャラリーに日本食のフィンガーフードとワインを用意してもらったのですが、22時ごろまでそこで食べたり飲んだりしていて、全くこの展覧会に興味がなさそうな人が、最後にふらっと中に入ってきて「私、この作品にする」と言った時は驚きました。参加する気があったんだ! みたいな(笑)。

日本で懸念していたイメージとは違い、ほのぼのした雰囲気で、展覧会に来た人は皆さん好意的でしたし、楽しそうでした。今回この展示を受け入れてくれたギャラリーのディレクターも、必要以上に話さないし笑わない人でしたが「いい展示だね」と笑顔で声をかけてくれて、その後固く握手をしました。展覧会を開催してよかったと心底感動しましたね。

やがて1冊の本になる展覧会

−−12月には東京でジョージア人アーティストの作品を展示するそうですが、その展示はどのようなものになりそうですか?

吉田山:原宿の裏路地にある、風の抜け道みたいなギャラリーで展示する予定です。展示プランはいくつかありますが、1つ決まっているのは、ジョージアのアーティストの作品を展示しつつ、最終的に『地球の歩き方』のようなガイドブックにするのが重要なミッションなので、その製作過程も意識するようなプランにしようと考えています。展覧会中に構想や編集について考えようとも思っていますので、有機的な編集室のようなものになるかもしれません。

−−『地球の歩き方』のようなガイドブック……まだイメージできないのですが、どんな本になりそうですか?

吉田山:参加アーティストが送ってくれた窓辺に置かれた作品の写真と、その作品がある場所を示すようなイメージです。場所を特定できる地図は掲出しないですが、もしかしたら、スタンプラリー的に探して回ることもできるようなものになるかもしれません。今年は、ジョージアと日本の国交30周年だそうで、今後ジョージアに旅行した日本人が、この展覧会のことを思い出して一般的な観光地ではない場所に思いを馳せてふらりと繰り出す。そういう変化が生まれたらおもしろいのではないかと思っています。

「個人的な思いつき」が実際の社会に関係していく

−−今後、政府や観光会社とオフィシャルなコラボレーションもできそうな感じですね。

吉田山:今回、乱暴に言えば、僕が構想したことを勝手にやっただけとも言えるんですよね。「こういうことを企画して、実行して」と依頼されたわけではないというのが僕の活動には重要であって。個人的な思考の実践が実際の社会にインストールされて関係していくというのがとてもおもしろいし重要だと思っています。

誰もやったことがないことは、頼まれないですし、そもそも存在しないこと。話を待っていても何も起こらないって、数年前に気付いたんですよね。良い話なんて年1回あるかないかなので。個人的に勝手にやることを主にして前進してきたので、そのノウハウが蓄積されてきたんだと思います(笑)。

−−その気付きも、勝手にやったことが成立しちゃうのもすごいです。

吉田山:アートは、そのロジックやコンテクストを理解していれば、その中では自由です。もちろんこの展覧会のように5cm四方の箱の中のような不自由もありますし、窓辺に置かれる開放もあります。街歩きに例えると、ガイドブックに載ってない道を発見することに近くて、そこに辿り着く筋道を立ててみるんですね。あとは自分で責任を持てばOKです。この感覚が自分に合っているみたいなんです。活動の幅を広げるにつれて、自分が生きやすくなっていく感覚もあります。

世界と瞬間でつながる「同時代性」より、空間でつながる「同路上性」

−−今はSNSで誰もがエキシビジョンをできる時代ですが、実際のリアルな空間で展示をやる醍醐味というのはあるのですか?

吉田山:今はInstagramやTikTokで個人が簡単に自身の作品を紹介できますよね。前提として、デジタルの利点を否定する気はないですが、個人的には高速道路のように最速で目的地に辿り着くような合理的なプロセスがあまり好きじゃないんですよね。散歩のようなスピードで畦道や暗渠のようなところを巡るのが好き。回り道すると、誰もいない道に出会えます。そうすると、周辺に誰もいなくなるので、のびのびと考えることができる。そんなことをデジタルでもやっていこうと思っています。

でも、フィジカルならではの楽しさが好きです。フィジカルな空間は重力もあるし、天井や壁、ライティングも関わってきます。作品を運んだり、設営したり、人に手伝ってもらうこともあります。そうしたフィジカルゆえの複雑でややこしい部分に企画としてどのように介入できるか余地を探して、プログラムしていくのがおもしろいんですよね。

−−以前、インタヴューで「同路上性」という言葉を使われていましたが、それも回り道やフィジカルな空間が好きなことと関係ありますか?

吉田山:そういえば、そんなこと言っていましたね。これは、「同時代性」に相対する意味で作った言葉です。インターネット普及以後、即座に時間や空間のギャップなく世界中に情報が伝わりキャッチできるようになったと思うのですが、僕は、瞬間的につながらなくてもいいと思っていて。

例えば、昔リリースされた音源や作品集に2022年に初めて出会うというような、個人が持つ時空間のギャップや、全員が同時に知ることの限界というのがあると思うんです。そういうのをポジティブに捉えていきたいなと。自分の身体や思考をベースに考えると、どうしても移動があったり遅れたりして限界があるじゃないですか。世界と自分のスピードはズレ続ける。そこに誤解や誤訳、別解釈も加わるだろうし。そんな1人ひとりのズレを尊重したいという意味での言葉です。

−−そう考えると、「同時代」ってちょっと無理のあることかもしれないですね。

吉田山:「知らないの? こんなの常識だよ」って嫌な言葉だなと思います。全知全能のデータベースではない個人が知らないことなんていっぱいある。僕の最先端と世界の最先端のズレに、いちいち悔しがったりするのは面倒なので、不自由を認めて、回り道をして偶然出会ったものに感動していくことがおもしろいと思います。

−−今回の展示も、鑑賞者全員の時間がズレるので共通するものがありそうですね。世界のどこかの窓辺で展示が行われ、それぞれの人がそれぞれのタイミングで見る。

吉田山:「同路上性」は2年ほど放置して廃虚のような言葉になっていたのですが、不意に再会しておもしろいと思いました。自分がやってきたことや趣味嗜好の振り返りができて嬉しいです。

僕の思考や構想を媒体させるのには、今回のような複合的なアートプロジェクトが合っていると思いますし、このウルトラライトなアートプロジェクトをジョージアで行えたことはとても有意義でした。「同路上性」という言葉も再考していきたいと思います。

■「The eyes of the wind / 風の目たち VoL.1 B」in 東京・原宿
会期:2022年12月7〜11日(その後、街の窓辺に恒久設置予定)
会場:BLOCK HOUSE 4F
住所:東京都渋谷区神宮前6-12-9 4F
休日:なし
出品作家:Ana Kezeli, Elene Gabrichidze, Francesca Crotti, Mariam Kalandadze, Nino Sakandelidze, Ninutsa Shatberashvili, Nutsa Esebua, Rebekka Ana Aimée Stuhlemer,
Sandro Sulaberidze, Sopho Kobidze

■「The eyes of the wind / 風の目たち VoL.1 A」in ジョージア・トビリシ(開催済)
出品作家:yang02、水戸部七絵、小松千倫、太田琢人、細井美裕、竹久直樹、敷地理、河野未彩、青柳菜摘、藤生恭平、志賀耕太、前場穂子、新井浩太、柿坪 満実子、立石従寛、時吉あきな、小林絵里佳、星拳五、庄司朝美、田沼利規

Photography Sopho Kobidze、吉田山、田沼利規、笠原名々子

author:

笠原名々子

ライター。独自のストリートカルチャーと旧ソ連時代の建物に魅せられて東欧ジョージアに移住。今後は首都トビリシを拠点に国内や海外を取材予定。Twitter:@nanakopub Instagram:@nanakopub

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