トビリシを拠点にする日本のサイケパンクバンド・ヘヴンフェタミンが海外で見出した新機軸

2018年に東京で結成したヘヴンフェタミンは3人編成だが、ボーカルのHirokiとドラムのSaraは2021年に日本で生きることをやめてしまった。

彼らが新たな拠点として選んだのは、ヨーロッパとアジアの狭間で独自の文化を築いてきたジョージア。海外でのライヴやツアーが多い彼らは、この国を拠点に音楽で生きていく道を切り開こうとしている。

「言葉ってむずかしい。音楽のほうが簡単だよね」と話す彼らは、今までメディアに登場することはほとんどなかった。今はヨーロッパを中心に14ヵ国を巡る怒涛のツアーの最中で、ネットで活動を発信する余裕もない。

そんな彼等が今回、ツアーの束の間の休息時間に、自分たちの音楽キャリアについて、そして現在行っている「NOMプロジェクト」と冠した海外チャリティーツアーについて、初めて明かしてくれた。

海外を拠点にしようと思った理由

−−まずは日本を離れること、海外を拠点にすることを決めたきっかけを教えてください。

Hiroki:このバンドでも、僕がもう1つやっているザッタ(thatta)というバンドでも、今までニュージーランドやイギリス、オーストラリアでツアーをしたことがあるんだけど、海外はお客さんの雰囲気、ハコ(ライヴ会場)のシステムとか、すべて日本と全然違うんです。日本人はシャイだから初めてのバンドをノリノリで聴くというのがないんだけど、海外はちょっとでも自分のストライクゾーンに入るとめっちゃ楽しそうに踊り出す、みたいな。両腕にがっつりタトゥーを入れたおばあちゃんがタンクトップで踊りながら「あんたたち最高よ!」って言ってきたりする。通りがかりに漏れ聞こえてくる音でふらっと来る人もいて、ライヴが日常生活の延長にあるというか、文化として根付いている感覚がある。そういうのに触れていくうちに、もっと海外に行きたいという気持ちが高まってきて。

Sara:海外ツアーも単発だとあまり意味がなくて。せっかく人とのつながりができてもそこで終わってしまう。だから定期的に行って関係をつなげて広げていきたいと思ったんです。

Hiroki:そう。もっと行きたい、なんなら住んでしまいたいとずっと思ってて。

−−移住先にジョージアを選んだのは?

Sara:最初は、オーストラリアのメルボルンに住みたいと思ってて。ツアーの時に仲良くなった人も「来るなら仕事を探すの手伝うよ」と言ってくれていたし。当時わたしがまだワーキングホリデーに行ける年齢で彼もパートナービザを申請すれば少しは長くいられそうだから、これはいいねって。でも申請した直後にコロナの流行が始まって行けなくなってしまった。

他に長期滞在できそうな国はないかなと調べてたらオランダが候補として出てきたんだけど、オランダでラーメン屋さんをしていた知人に聞いたら「2年目から税金とかが結構エグくなる」と言ってて。その人に「海外で音楽やりたいなら、ジョージアはいろんなアーティストが集まっている国だからおもしろい」と教えてもらって、初めてジョージアという国を知りました。えー、ビザなしで1年も滞在していいんですか? とびっくりして。ヨーロッパの他の国にも行きやすいしぴったりだと思いました。

Hiroki:それ以外の事前知識もなく知り合いもいないまま、行けばなんとかなるだろうと、2021年の9月に2人でジョージアの首都トビリシに来ました。

メルボルンの予定がトビリシでサイケパンクをやることに

−−行ってみてどうでしたか?

Hiroki:トビリシにある日本人がやっているバーで運よく長年ジョージアで暮らしていろいろ詳しい方に出会ったのですが、その人に衝撃的なことを言われて。「インディーロックやポストパンク。ジョージアには、ほぼいないですね」と。ないのか……どうしようって思いました。

Sara:日本のようにライヴができる場所がたくさんあるイメージだったのですが、実際は違って。ジョージアではジャズとテクノ、エクスペリメンタルが盛んで、インディーロックをライヴで聴くという文化があまりないんですね。ライヴの場所どうしよう……と。

Hiroki:そしたらその日本人の方が、アクトゥシェティっていう春夏に開催されているアーティストインレジデンスを教えてくれて。「いろいろなアーティストやアートに興味のある人が集まるし、ワークショップやパフォーマンスもあるからおもしろいかもしれないですよ」と。まずはそこに参加して、曲をつくったりしながら過ごしてみました。そこで出会った人が、トビリシでライヴができる場所を紹介してくれて。

首都トビリシのバーで行われたライヴの様子。音楽に操られるように踊るオーディエンスの姿が印象的

−−いわゆる日本のライヴハウスのようなところはないということですよね。どんな会場なんですか?

Hiroki:普段はジャズバンドがやっていそうなバーの一角が多いです。ステージと言っても、これ? たしかに1段上がってるけど……みたいな。ライヴハウスみたいに音響が整ってないから、スピーカーも小さいしドラムも自分で持ち込まないといけない。お客さんは曲を聴きに来たわけではなく飲みに来ていて、聴こえてきた音楽が良かったらチャージを払ってちょっとのぞいていこうか、という感じ。

あと、日本のように持ち場30分で4、5曲くらいやればいいのではなく「今夜は君達に任せたぞ」みたいな感じ。1時間やって30分休憩でまた1時間、みたいなスケジュールで。「できるでしょ?」と言われて、「できないよ。5曲しかないし」みたいな(笑)。

−−どうやって乗り切ったんですか?

Hiroki:最初の頃はカバー曲を歌ったりしましたが、こっちでライヴをやるために必死で新曲を作って覚えました。それでちょっとずつライヴの時間を延ばしていって。ジョージアの人はジャズとテクノに慣れているから、だんだん音や即興でやる部分が増えていって、どんどん1曲1曲が長くなっていきました。日本ではAメロBメロがはっきりあるわかりやすい曲が好まれていて、イントロに3分かけたりなんてとてもできなかったです。

あとジョージアって、実験的だったりむき出しなものを楽しんでくれる気質があると思うんです。例えば、日本では何回もテストして万全な状態で商売を始めるけど、ジョージアは、まだ内装完成してないけど大丈夫? みたいな感じでもお店を始めちゃう。そんな、いい意味でテキトーなところにも影響を受けてます。

Sara:私も、もともと即興やアドリブが苦手で、そうなりそうだったら一目散に退散する感じだったのですが、こっちに来て、まだそんなテクニックに到達してないから……とか余計なことを考えずに、その時に出したい音を出せばいいんだと思えるようになりました。

八方塞がりの状況から見出した「海外で生きていけるかも」という感覚

−−お2人にとって、日本はもういる場所じゃないのでしょうか。同じことをやろうとしても日本では無理だった?

Hiroki:そうですね。日本での活動は八方塞がりというか、このまま続けてもどうにもならない感覚があった。

ザッタが5人体制だった時は一番売れようと頑張ってた時期で、EP出してタワレコ全国流通とか、渋谷の街頭ヴィジョンでミュージックビデオが流れてたこともありました。でも、20代後半で売れようと頑張ってるとバンド内の関係がだんだんうまくいかなくなってくる。ギクシャクして、最後はほとんど会話がない状態でした。まわりのバンドも売れてるように見えても実際は売れてなくて、同じように苦しそうで。

Sara:日本はメディア露出が少ない無名のアーティストに厳しすぎると思う。「まだ、やってるの?」とか「夢追いかけてるんだね」とか。

Hiroki:アートを「夢を追ってる」ということ自体、勘違いだと思うんです。これは、ただの生き方。会社で働くのと一緒ですよ。たまたま営業より歌が得意だったというだけで。

成功すると認められるけど、現実にはものすごい数の中間層がいてグラデーションになっているんですよね。テレビに出られるほどの大衆性はないけど独創性のある人。そんな人達が存在できる余地がもっとあればいいのにと思うんです。

どこの国に行っても、みんな自分の国の政治に不満を持っているし、格差も差別もある。日本と何も変わらないけど、違うのはヨーロッパには遊びの部分が残ってるということ。整備されていない隙間のようなものを守ろうという意識がある。みんながお金儲けだけ考えると世界がどんなに退屈になるか、ちゃんとわかっている人が多い。だからアートが大切にされているんだと思います。

−−日本で感じていた八方塞がりの感覚はなくなりましたか?

Hiroki:ジョージアに来て、14カ国をまわる海外ツアーに出て、いろいろな可能性が見えてきました。自分達のことを知る人も増えてきて、SoundCloudやBandcampの再生回数も、日本で3、4年かけて増やした数の何十倍も増えました。届けようとする対象の分母が大きいから、そのぶん可能性も大きいのかな。続けていくことでパフォーマンス、知名度が上昇している感覚があります。

Sara:生きていけるかもって。今、その方法を学んでる。勉強してるところです。

ウクライナの友人に貯金をほぼ全額寄付し、資本主義に揺らぎをつくるチャリティープロジェクト

−−お2人が5月から始めた海外ツアー「NOMプロジェクト」についても教えてください。

Sara:「NOMプロジェクト」の「NOM」は、「Not only money(お金だけじゃない)」の略です。これはもともと、2月にロシアとウクライナの戦争が始まったあと、Hirokiが「ウクライナの友達に貯金を全額寄付しよう」と言い出したのがきっかけです。

−−貯金を全額?

Sara:そう、Hirokiに「とりあえず最初に100万円寄付しよう」と言われた時、「やだー!」って号泣しました。

−−そりゃそうですよね……。

Hiroki:昨年12月、戦争が始まる直前にウクライナでライヴをしたんです。その時家に泊めてくれたり、意気投合して仲良くなった人達がいて。知ってる街で、知ってる人が戦争に巻き込まれてるという状況になって、初めて戦争が自分ごとになって。そもそも戦争が起きるような社会の構造のおかしさに、もっと前から気付くべきだったんじゃないかと後悔しました。

成長がすべてという資本主義的なシステムにのみ込まれていくと、人より自分のことを考えるのが普通になって、そのままの状態で政治や未来を語ってしまうと戦争のようなおかしなことも平気で起こってしまう。

僕も、戦争が起こって、真っ先に友達に寄付しようと考えたけど、いくら寄付すればいい? と、人の命と自分の生活を天秤にかけて悩んでしまって。それ自体おかしいことなんじゃないか? と。究極、お金があるから戦争がなくならないんじゃないかと思えてきて。

Sara:Hirokiの提案で、最低限の活動費を残したすべての貯金をウクライナの友人に寄付して、さらに海外ツアーに出て、得た利益を渡そうということになりました。それが5月に始まった「NOMプロジェクト」です。トルコ、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、チェコ、ドイツ、オランダ、イギリス、ポーランド、エストニア、ラトビア、セルビア、そしてウクライナをほぼ陸路でバスや電車、時々ヒッチハイクをしてまわっています。経費を極力抑えているので、宿泊場所や食べ物とか、本当にたくさんの友人や知人にサポートしてもらっています。

Hiroki:憐れんでもらうというより、僕等のお金を手放しお金について考える行為そのものを作品として、その対価をいただこうという試みです。

−−100万円を振り込んだ時のまわりの反応はどんな感じでしたか?

Sara:少額だと思ってたみたいで、100万円振り込むよと伝えたらアワアワしてました。

−−でしょうね。お金は何に使われているんですか?

Hiroki:たまに電話で話しているのですが、例えば、爆撃で大けがをしてしまった女の子の治療費や暗視用ゴーグル、ドローンの購入等に使われているそうです。あと、近所で助けを必要としてる人達にちょっとずつ配ったり。必要な時にその都度、少しずつ大切に使ってくれているようです。

−−寄付って何に使われるかわからない、役に立つ実感が湧きにくいというイメージがあるのですが、友人にダイレクトに届くのがいいですね。

Hiroki:ツアーの時、毎回プロジェクトの趣旨説明をして寄付を募るのですが「現地の友達に届けるというのはスピーディーでいいね」と言われたりします。

Sara:本当にたくさんの人から「これを渡してね」と、お金と気持ちをもらってます。もうすぐウクライナでライヴをするので、その時に、友達に直接お金を渡せるように準備したいと思っています。

ツアーで自分達の生きざまを探す

−−「NOMプロジェクト」に寄付してからお金に対する考えは変わりましたか?

Hiroki:貯めることで安心を買っていただけなのかな。なくなってみると、もっと今に集中できる感覚があります。

Sara:このプロジェクトを始める前は、お金とほんと仲良くなれなくて。好きなんだけど、大切にしすぎて自分を見失っちゃう、みたいな。ライヴのギャラの金額とかで一喜一憂しちゃう自分とか、ちょっと気持ち悪かった。でも、お金がなくなって、たくさんの人に助けてもらうようになって、まだお金ってなんなのかはわからないけど、前よりいやらしいものじゃなくなった。お金はその人が本当に必要なものと交換できる。あくまで、気持ちを表す手段の1つなのかなって。

−−最後に、一言お願いします。

Sara:ツアーで大義名分を掲げながら、自分達の生きざまを探している気がします。毎日のようにライヴをして、たくさんの人に会って話して、考えて……。めちゃめちゃ疲れるけど、おもしろい。みんなも見たくないと思うかもしれないけど、もっと自分の心の中を見てほしい。だから私はドラムを叩いてるのかもしれない。

Hiroki:さっきも言ったけど、続けることでどんどん良くなっていく、具体的な方法を考えられるようになっていく感覚があって。だからこのプロジェクトもこれで終わりじゃなく続けていきたいと思っています。例えば今回、いろいろな人に「レコードないの?」と聞かれるから、次回のツアーではレコードもつくって、ファンになってくれた人に買って聴いてもらいたいな、とか。

人助けよりお金。そんな価値観をアップデートしないと、本当に悲惨な未来が待ってると思う。そういう意味では、この活動があたりまえに思ってることの揺らぎになれたらいいなと思います。別に僕等のしていることを応援しなきゃと思わなくてもいいんです。ただ、おもしろい、立ち会ってみたいと思ってくれたら、それだけで成功です。

ヘヴンフェタミン
2018年に東京で結成。ヨーロッパを中心にライヴやツアーを行う。現在のメンバーはヴォーカル・シンセサイザーのHirokiとドラムのSara。サイケデリックロック、ポストパンク、ニューウェーブの土壌に、ジャズとテクノの即興的な気質がかけ合わされて生まれた彼ら独自のスタイルは、ピンクフロイド、ザ・フー、LCDサウンドシステム、井上陽水、CAN等幅広い音楽に例えられる。
公式サイト:https://heavenphetamine.studio.site/
Instagram:@heavenphetamine
Twitter:@heavenphetamine
YouTube: NOM by heavenphetamine

Photography Artur Byzenko、Takumi Yoshida



author:

笠原名々子

ライター。独自のストリートカルチャーと旧ソ連時代の建物に魅せられて東欧ジョージアに移住。今後は首都トビリシを拠点に国内や海外を取材予定。Twitter:@nanakopub Instagram:@nanakopub

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