三宅唱&岸井ゆきのインタビュー 人はなぜ生きるのか、なぜボクシングをするのか――映画『ケイコ 目を澄ませて』に込めた想い

12月16日から映画監督・三宅唱の約3年ぶりとなる長編監督作品『ケイコ 目を澄ませて』が全国公開開始となった。同作は、聴覚障害と向き合いながら実際にリングに立った元・プロボクサーの小笠原恵子の生き方に惹かれた三宅監督が、彼女の自伝に着想を得て新たに生み出した1時間39分の物語。そこには、いわゆるボクシング映画と聞いて想像するのとは異なる物語と時間があり、1ショットごと、画面の隅々までエネルギーが満ち溢れ、脈動する。そして、ケイコを演じる岸井ゆきのの目に誰もが釘付けになることだろう。この稀有な作品がどのようにして生み出されたのか、三宅監督と岸井に、ボクシングのトレーニングから撮影を通してたどり着いた確信を聞いた。

信頼関係を築いたクランクイン前のトレーニング

『ケイコ 目を澄ませて』予告編映像

――三宅監督と岸井さんは今回が初めてのお仕事だったと思いますが、お互いの第一印象を教えてください

三宅唱(以下、三宅):かなり以前に、信頼している友人のキャスティングディレクターの方からその存在を聞いていて、ずっとお仕事ぶりは追っていました。でも、今回なるべく先入観をもたないでお会いして、ゼロから関係を構築していきました。

岸井ゆきの(以下、岸井):私は……、

三宅:「みやけとなえる」って検索したんでしょ?

岸井:そう、(「唱」が「しょう」ではすぐ変換しないから)「みやけとなえる」ってGoogleで検索して、あ、顔コワイなって(笑)。見た目はともかく、今回は、始まる前からプロデューサーの皆さんのこの作品にかける思いが強くて、ちょっと恐怖心すら覚えるくらいに気合いが入ってたんです。そんな中で、まだ脚本もなくて監督が決まったばかりの頃に皆さんと会って、状況的にかなりナーバスになっていた部分もありました。でも事前に『きみの鳥はうたえる』(2018年)を観ていたので、あ、この人が、あの繊細な作品を監督された方なんだって。

三宅:僕もビビらせるような図体しちゃってますけど、人見知りだし、ビビってるんですよ。

岸井:でも、実際の現場の空気は一緒にやらないと本当にわからないし、何よりこの作品に向かうことへの恐怖心が最初はありましたね。

――それが解けていったきっかけは何でしたか?

岸井:撮影前に3ヵ月くらい一緒にボクシングのトレーニングをしたんですけど、その練習の中で、好きな映画だったりとか、どういう作品を観てきたかとか、そういうパーソナルな部分の会話をしたり、あとは縄跳びの跳び方とか、どうしたらストレートがうまく打てるかとか、主に練習の話をよくしました。脚本の話とかはあまりしなくて、現場に入ってからも具体的な演出というのもほとんどなかったですけど、そこで私がどうしたら良いかわかったのは、多分3ヵ月を過ごしてきた中で共通言語みたいなものができていたからだと思います。

三宅:恐怖心でいうと、やっぱり、いざパンチが当たる距離に立った瞬間はものすごく怖いです。殴られる怖さも当然あるけど、パンチを打つこともまた怖いと思いました。でもお互い身体を向き合って、その距離で「打っていいよね」「受けていいよね」ということを確かめていくことが信頼関係を生んでいったんだなと。つまり、ボクシングというスポーツ自体が、もともと恐怖心を突破させてくれる力を持っていたなということに、身をもって気付きました。

岸井:最初は、なんか遠慮してるなって思った。

三宅:遠慮しますよ、そりゃ(笑)。この身長差と体重差ですから、打てるわけないでしょ。でも、あるとき岸井さんが「打ってくれ」って伝えてくれましたね。

岸井:リングに立ってる時に遠慮されるのがすごく嫌だったんです。

三宅:わかる。だからより重要だったのは、いろんなおしゃべりをしたことよりも、練習が終わった後に、「あれが嫌だった」とか「ボクシングは打たないほうが尊敬を欠くことになるよね」っていうことを言葉で確認することでした。それが必然、この映画の中で描くテーマにもつながっていったのかなと思います。

ボクシングは「なぜ人は生きるのか?」という問いに通じる

――ボクシングを題材にした映画には、誰もがある程度のイメージをもっていると思いますが、この作品ではそれが見事に裏切られるというか、いわゆるジャンルとしてのボクシング映画とは違いますよね。普通ならクライマックスになる試合のシーンもこれまでにない描き方をされています。企画の立ち上がりとしては、ケイコのモデルとなった小笠原恵子さんの著作『負けないで!』(創出版)があったそうですが、三宅さんはこの本から何を抽出して描こうと思われたのでしょうか。

三宅:まずモデルである小笠原恵子さんの生き方に惹かれたというのが大きいです。あと、僕にとって最大の謎だったのは、「なぜ人はボクシングをするのか」ということなんですよ。たぶん答えは、ボクサーにとっても、観る人にとってもそれぞれ違うと思いますが、なぜわざわざ痛め合うことをするのかについて考えることは、話は飛躍するようですが、「われわれ全員がいずれ死ぬにも関わらず、なぜ生きるのか?」っていうこととつながり得るんじゃないかと思ったんです。

――確かに、ボクシングに取り組むケイコの眼差しにはそれ以上のものを訴える力があります。

三宅:ボクシング映画のジャンル的な興奮はいろいろあると思いますけど、ボクシングというスポーツ、あるいはボクシング映画というジャンルには、「なんでわざわざ生きるのか?」ということが内包されている。それこそ小笠原さんは、様々な社会的なハンデがあるのに、なぜ続けるのか。彼女はプロボクサーをやめた後も、柔術などいろいろと続けられているんですけど、そのエネルギーはどこからくるのか。答えはわからないけれど、そういうエネルギーに触れることで、僕自身すごく元気をもらいましたし、もしかしたらこれを映画にすることによって、そのエネルギーが観る人に伝わるんだったらハッピーだなと。そういう核を最初につかまえられたのが大きいかもしれないですね。

――岸井さんはボクシングのどんなところに魅力を感じましたか?

岸井:何でしょう。とにかく最初は何に向かって殴り込めばいいのかわからなくて。

三宅:最初の頃、(俳優兼トレーナーの)松浦さんが、「殴られるから殴らなきゃいけないんだよ」って言った時、「いや、私は殴られてもいいんです」って言ってましたよね。

岸井:もともと勝負事が本当に苦手で、勝ち負けがつくんだったら、負けを選びたいっていうか。だから、「殴らなきゃいけない」と言われても、そこにエネルギーを向けられない期間が少しありました。でも、負けを選んでるんだけど、そこに居座るタイプではあって(笑)、だから「負け続けていること」自体に拳を向けるようにしたんです。そうすると、相手はあるものの、結局はやっぱり自分自身との闘いをしてるんだということに、言葉ではなく「これだ!」って腑に落ちた瞬間があったんですね。そこからは迷いなくサンドバッグを殴り続けることができました。

――ではケイコは何でボクシングをやってるんだと思いますか?

岸井:それが言葉にならないから続けてるんじゃないでしょうか。分からない、ほとんどケイコは私になってしまったので……。何でしょう、人生も生活もままならないというか、思い通りにはいかないじゃないですか。でも、その中でボクシングの稽古をしている時は、「そうだ、できる」という瞬間があるんですよ。自分で舵を取れる瞬間というんでしょうか。生活や人生に直接は作用しないかもしれないけど、その「今」は続いている。その継続で、気付いたら時が経っているのかな。そしてその感覚は、撮影から1年半経った私の中で今でも続いているような感じがします。

映画=新しい世界のあり方を立ち上げること

――ケイコは耳が聞こえないという役柄で、そこに対しては監督もいろんな取材や勉強をされたと思いますが、観ていて気づいたのは、ケイコが話す、例えば一緒に暮らす弟、ジムの会長、ホテル清掃の同僚、職務質問する警官、コンビニの店員といった、相手によって対応が異なるところを見せていることです。それは当たり前のことなんですけど、グラデーションが異なるいろんなタイプの人とのやりとりを見ることで、自分だったらどう接しているか、意識しているいないも含めて、考えさせられるなと思いました。

三宅:聴者である僕が監督することを躊躇もしましたが、誤解を恐れずにいえば、今回この映画の準備を通していろいろ勉強していく中で、何が差別語にあたるのかなどの知識が増えることだけでなく、自分がこれまで見ていたものとは全然違う世界が立ち上がっていくということが、まずはシンプルに楽しいことなんだと感じました。つまり、今まで見えていなかったことが見えてきたり、想像が及んでいなかったことが想像できたりするようになる。そのことが、率直に言えばおもしろいことでした。それによって自分が具体的に何か社会にアクションできるかというとそれはまた別の問題だと思いますが、とにかく感じ方が変わったぞっていうことは、確かにあったんですね。

なので今おっしゃったように、誰と会うかどんな場所で会うかによって、それぞれ局面が変わることも新鮮でした。聴者の中でもすでに身近にろうの方がいて知っている方もいるかもしれませんが、知らない人だったら、僕がそれを感じたように、「あ、こうなのか」って――それは「わかる」とは違うんですけど――聴者の立場として見える世界を変えていくことはできると思うので、そういう時間になればいいかなと。そもそも映画を観に行くことは、別の世界や新しい世界のあり方を知るために行くという側面もあると思うし、そこが映画というもののおもしろさにも結びついているかなと思います。

――岸井さんは、耳が聞こえないという役を演じたことで、役者として得たことは何かありますか?

岸井:実際、ケイコの言葉(音声言語)としての台詞は「はい」しかないんですけど、話さなくても伝わるものですよね。でもスポーツは、ボクシングにも言葉はないじゃないですか。サッカーだってそうだし、他の国の人が戦っていても心を打つ。ケイコは手話も持っているし、ボクシングにかける思いだってありますし、思っていれば伝わるんじゃないかなって。もともと私、台詞がそんなに多くない映画が好きなんです。だから台詞の重要度に関しては、特に難しいと思わなかったですね。

三宅:たぶん「台詞がないと難しいよね」っていうのは、これはあえて強く言えば、いわゆる無意識の偏見というやつで。でも、岸井さん自身がそもそもそういうものを持っておらず、どんな手段でも人と人はコミュニケーションをとれるというフラットな考えというか、天性の器の大きさがあったからこそ、この映画をのびのびと撮ることができたかなと思います。

――ケイコ自身は聞こえないですけど、映画の中で音はすごく重要な要素になっていますよね。あと、ケイコは基本いつもひとりで行動していて、引いた視点からのロングショットも印象的です。東京のコロナ禍での撮影というのもあったと思いますが、町と人の関係みたいなことをある種ドキュメント的に捉えるところも、「無言日記」(※)を撮られていた三宅さんらしいと思いました。

※三宅唱監督が2014年からiPhoneの動画撮影機能を使用し、撮影・編集している映像日記。元はWEBマガジン「boidマガジン」で継続的に発表された1~2ケ月分の動画を、1年ごとにまとめて再編集した2014、2015、2016年版がある

一瞬で世界は変わらないということの重み

――ちょっと強引な質問かもしれませんが、練習や撮影を通して、ボクシングと監督や俳優という仕事に何か共通点はありましたか?

三宅:ボクサーは、トレーナーだったり対戦相手だったりまわりの人たちとの本当に強い信頼関係の中でリングに立っています。たぶん役者という人たちもそれぞれ孤独で、でも人と共に作ることにも開かれている。信頼しあいながら身ひとつで闘えるという点で、連帯と孤独の間にいるという点で、とっても似てるんじゃないかなと思います。

岸井:そうですよね、ケイコにもジムがあって会長がいてトレーナーがいて、私にも事務所があってマネージャーがいて。でも身をもって体現するのは自分の身ひとつというところは同じですね。

三宅:それから、僕自身はすごい面倒くさがり屋でして、しんどい仕事する時に、明日起きた時に出来上がってないかな、とか思っていつも生きてきたんです(笑)。でもボクサーって、ほんとに1日1日、何ミリ何グラム単位で、身体やスピードを仕上げていく。その時間のかけ方というか継続性を見ていると、そうだよな、一瞬で世界は変わらないよなって。突然自分がスーパーマンになることはないっていうことに、ようやく諦めがつきました。1個1個、マジで丁寧に、「はい、カット1」「はい、カット2」って朝から積み重ねていかないと映画なんかできないし、突然スペシャルなショットが撮れるわけではない。そのことの重みをやっと味わえたというか、それが楽しいことに変わったのは、僕がボクシング映画を作ってよかったことだなと単純に思いましたね。それは岸井さんの役の準備の仕方、ボクサーの生き方、小笠原さんの生き方から自分が学ばせてもらった本当に大きなことです。

――でも、それはどんな職業についても言えることかもしれませんね。

三宅:のような気がするんですけどね。思えば、『THE COCKPIT』(2014年)ではそれをOMSBがやっていたし、ミュージシャンが皆やっていたことなんです。岸井さんはじめとした役者さんやいろんなアーティストもそうだし、きっと子育てされている友人たちの日々もそうなんだろうな。僕はそういう姿にいつも惹かれるし、そういう人を見ると、自分も明日また新しいものづくりをやっていこうと思える。だから、この映画も、観てくれた人にとってそういう作品になってくれれば嬉しいですね。

『ケイコ 目を澄ませて』 12/16より全国順次公開
■『ケイコ 目を澄ませて』 12/16より全国順次公開
監督:三宅唱
原案;小笠原恵子「負けないで!」(創出版)
脚本:三宅唱 酒井雅秋
出演:岸井ゆきの 三浦誠己 松浦慎一郎 佐藤緋美 中原ナナ 足立智充 清水優 丈太郎 安光隆太郎 渡辺真起子 中村優子 中島ひろ子 仙道敦子 三浦友和
オフィシャルサイト:https://happinet-phantom.com/keiko-movie/

Photography Kazuo Yoshida
Styling Setsuko Morigami

author:

小林英治

1974年生まれ。編集者・ライター。雑誌や各種Web媒体で様々なインタビュー取材を行なう他、下北沢の書店B&Bのトークイベント企画も手がける。リトルプレス『なnD』編集人のひとり。Twitter:@e_covi

この記事を共有