対談:脚本・根本宗子×監督・山岸聖太 『もっと超越した所へ。』で試みた“映像化不可能”と言われた演劇の映画化

左:山岸聖太(やまぎし・さんた)
1978年生まれ、東京都出身。コエ所属。ミュージックビデオ、CM、TVドラマのディレクションを数多く手がけ脚本も担う。また、星野源の映像作品にも数多く携わっている。ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2015 にて『生きてゆく 完全版』がシネマチックアワードを受賞。その後、映画『あさはんのゆげ』(2016)、『傷だらけの悪魔』(2017)を監督。TV ドラマの監督作品に『忘却のサチコ』(2018/テレビ東京)、『有村架純の撮休』(2020/WOWOW)、『グラップラー刃牙はBLではないかと考え 続けた乙女の記録ッッ』(2021/WOWOW)など。
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右:根本宗子(ねもと・しゅうこ)
1989年生まれ、東京都出身。19歳で劇団、月刊「根本宗子」を旗揚げ。以降劇団公演すべての作・演出を手掛ける他に、さまざまなプロデュース公演の作・演出も担当。2016年から4度にわたり、岸田國士戯曲賞の最終候補作へ選出され、近年では清竜人、チャラン・ポ・ランタンなどさまざまなアーティストとタッグを組み完全オリジナルの音楽劇を積極的に生み出している。常に演劇での新しい仕掛けを考える予測不能な劇作家。2022年初の著書となる小説『今、出来る、精一杯。』(小学館)を刊行。長編映画の脚本を手掛けるのは初となり、9月には2冊目の著書となる本作の小説版を発売。2023年1月には高畑充希とタッグを組む新作演劇『宝飾時計』が控えている。
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原作・脚本を根本宗子が、監督を映像クリエーターの山岸聖太(さんた)が担当した映画『もっと超越した所へ。』が10月14日に全国公開された。同作は2015年に上演され、“映像化不可能”と言われた同名の演劇を映画化したもの。

クズ男を引き寄せてしまう4人の女性と4人のクズ男による恋愛模様と、彼女達の意地と根性が引き起こすミラクルを痛快に描いた本作。キャストには、前田敦子やSexy Zone の菊池風磨、趣里、千葉雄大、伊藤万理華、オカモトレイジ、黒川芽以、三浦貴大といった個性豊かな面々がそろう。

今回、根本と山岸に演劇から映画化するにあたっての難しさから、個性豊かなキャスティング、そして映画ならではのこだわりまで、語ってもらった。

——今回の映画化にあたり、根本さんが山岸さんを監督に指名されたという経緯から伺いたいと思います。お2人のコンビはドラマ『下北沢ダイハード』(テレビ東京)からですよね。

根本宗子(以下、根本):その前から私が山岸さんのファンで、一度トークイベントでお話をさせてもらったことがありました。『下北沢ダイハード』はそのあとだったんですよ。

山岸聖太(以下、山岸):そうでしたね。

根本:『下北沢ダイハード』はたまたまというか、プロデューサーのかたが「合うと思うから」ということで組み合わせてくださったのが聖太さんだったんです。めちゃめちゃ嬉しかった出来事でした。そういう巡り合わせでご一緒したら、やっぱりすごくよかった。それで今回、映画にすることになって、私から……。あの、“指名した”ってよく書かれるんですけど、超偉そうな表現で嫌なんですよ(笑)。

山岸聖太:いやいやいや。

根本:指名したなんて偉そうなことではなく、お願いして(笑)、引き受けてくださったという。特にこの作品は、他の人で映画になるというヴィジョンが湧かなかったので、お願いしたかったんです。

——そして山岸さんはご快諾されて。演劇を映画化するにあたってどんなことを考えましたか。

山岸:僕はもとの舞台版を劇場では見れていなかったので、映像で見させていただきました。密室劇で、4つの部屋での出来事がスズナリの舞台の中で完成していたんですね。あのセット、あの熱量、あのテンションがすごい世界観を作り上げているけれど、これを映像化するにはちょっと違うものも必要だなと思っていて。それをどう落とし込んでいくかを考えました。特に編集のリズム感とテンポ感は大事にしたほうがいいなと思っていたので、そこを突き詰めていく作業としては、本を作る段階から編集が始まっているような感覚でした。それと、この作品は美術もキャストの一部みたいなところがあるので、そこも作る上で重要でした。

——根本さんは映画版の脚本を書くにあたってどんなところに留意しましたか。

根本:脚本も監督と相談しながら作らせていただいたのですが、話をもらったのが2019年の秋だったんですね。その時は世の中がコロナ前で。映画では2020年と過去の時間軸が2つ出てくるんですけど、舞台版は2015年とその1年半前だったんです。そこは今の時代に置き換えた方がいいね、という話はもともと出ていて。当初、2020年は東京オリンピックの年だったので、そのあたりは入れましょうかね、と言っていたところ、コロナ禍になって。じゃあ、そういうところも入れて4組を描き分けることをもう一度やったら面白いんじゃないかと思いました。ウイルスリテラシーの違いみたいなところで人間性がわかるけれど、それが主題ではなく、暮らしの一部として描くというのは大幅に変えたところです。ただ正直、他はあんまり変えてないんですよね。

山岸:そうでしたね。削っただけでした。

根本:もともと倍くらいあったものから残したい台詞を相談して。映画会社とかプロデューサーからしたら、長すぎちゃダメだから短くしたい、というのが課題で。私の書いてる台詞って、全部どうでもいいっちゃどうでもいいんですよ(笑)。なくなっても成立するんだけど、でも、1つ1つのしょうもない言葉とかで人間性がわかるように書いているので、全部必要なんです。そこで監督が、「どれも削っちゃうと根本さんの味がなくなっちゃうから、もうこのままいきましょう」と、尺をどうするか問題に区切りを打ってくださったんです。それはすごく助かりました。

山岸:ただ、あれは舞台だからできることだと最初は思ったんですよね。一線を越える、まさに超越する驚きやカタルシスみたいなものをどう映像化するかというのは一番の肝だったと思います。わざわざ同じ暗い空間に集まってみんなで一緒に見るというのは、演劇と映画も同じじゃないですか。別の形ではあるけれど、舞台版と同じくらいの何かを持って帰ってもらいたいという気持ちはすごくあります。

映画ならではのキャスティング

——根本作品や山岸作品でお馴染みの俳優も出演されていますし、初めての方もいます。キャスティングはどのように決まっていったのでしょうか。

根本:私はいつも当て書きしているので、どうしたって初演のメンツに書いたものなんです。今回、新しく8人にやっていただくことになって、また当て書きをし直したいという気持ちがあったので、自分が新たに台詞を書き足してみたい人というのと、もともとのキャラクターに合う人というところで希望を出していきました。イメージは同じ人が多かったですよね?

山岸:そうですね。プロデューサーの方も交えて相談しながら決めていきました。

——オカモトレイジさんの抜擢は見事でした。

根本:OKAMOTO’Sがやっている「オカモトーク!」というコンテンツが昔から大好きで。その番組をやっているときのレイジさんを見ていて泰造をやってほしいのはこの人しかいないと思いました。(笑)。独特なアクセントの付け方で喋る方だなってのがすごくキャラクター的でいいなと。独自の理論がしっかりあって面白いし、見ると元気になるんです。それで、もしお芝居することを楽しんでやってくださる方だったらいいな、と。お芝居にご興味あるかないかもわからなければ、アーティストの方にもそれぞれのお考えがあるじゃないですか。受けてくださるかわからなかったんですけど、監督が関係あったのもあってお願いできました。

山岸:レイジくんの演技、よかったですよね。それは努力の賜物だと思います。めちゃめちゃ一生懸命練習していて。一番したんじゃないですかね。

根本:レイジさんストレスで肌が荒れてたっておっしゃってましたよね(笑)。

山岸:このカップル(オカモトレイジ・伊藤万理華)は本読みの回数も一番多かったんですけど、それ以外の時も2人で練習したらしいんです。

根本:公園で練習してる写真が送られてきました(笑)。

山岸:その結果がちゃんと形に残ったのはすごく嬉しいです。

——そういった配役を思いつくこと自体すごいし、実際、ハマっていますよね。

根本:それは自分がお芝居を好きだからだと思います。楽しいと思っているから、この人に自分の台詞を喋ってみてほしいなと思う。それは押し付けるものではないんですけど。演技指導をしようという気持ちはないし、相手も別に芝居が上手くなっていきたいとは思ってないと思うんです。求めているのはそこではなくて、役者では出せないものが出る瞬間がどうしたってある。それが面白いなと思います。ただ、レイジさんを自分の舞台で演出するのはたぶん無理だなと思っていたので、自分の演出しないところでお願いしたという(笑)。

山岸:あははは。そうだったんだ。

根本:同じことを毎日繰り返すのがお好きじゃなさそうじゃないですか。きっとご本人も演劇より映画の方が好きそうですし。

山岸:映画をすごく見てますもんね。

——キャストは全員素晴らしく、特に菊池風磨さんのダメ男ぶりは鮮烈でした。

根本:私は風磨さんが一番、聖太さんとの相性がいいのかなと思いました。聖太さんの笑いの感覚と風磨さんの雰囲気が絶妙にハマっていて。

山岸:確かに。風磨くんが演じる怜人をモニターで見ながら、本当にバカだなと(笑)。心からそう思えたのがよかったです。バカだなと思うから愛せるというか、本当にイヤなやつだったら見ていてきついじゃないですか。そうじゃなくて、ダメなんだけどかわいげを出してくれるのが大事だなと思っていたので、それがしっかり出ているのがよかったですよね。

——どのキャラもダメなんだけれど、どこかコミカルで愛せるところがありました。

山岸:そこが一番気をつけたところだからかもしれないですね。ひどいことをするし、最悪な人達なんだけど、どこかでしょうがねえな、と許せてしまうズルさがあるほうが魅力的になるんですよね。人間としてはクズだけど魅力的な人、嫌いになれない人って周りにもいると思うんです。全員がそういう人になればいいなというのは考えていました。お客さんが「こんな男はやめといた方がいい」って完全に思っちゃうとダメですもんね。

根本:自分の本を映像にする時はそこがすごく難しいなと毎度思っていて。前に聖太さんとご一緒した『下北沢ダイハード』も、わりとヤバいやつが主人公なんですけど、映像で見た時にその人がちょっと笑える感じになっているんです。演劇だと、例えば8人の芝居だったら、その8人とお客さんで空気を作っていくので、多少イヤなやつが混じってもカバーできるというか、全体の雰囲気でラストに持っていけると思うんです。

——その場にいる全員にある種の共犯関係がある、という。

根本:でも、映像はそうじゃなくて、1人1人の表情も、着ている服も、食べ方も、よりちゃんと見えるので、1個でも「うわ……」と思うと、こいつはイヤなやつだなと演劇よりも強く感じてしまう気がするんです。そこを大切に作っていただけたのが嬉しかった。ここまで原作の空気を大事にしてもらって、しかも新しく映像にしてもらえることってあまりないと思うんです。私の演劇の初めての映画がこれになって嬉しいですね。今後、もしまた映画化されるようなことがあったら、「もっと原作を大事にしてくれ!」と思ってしまうかもしれない(笑)。

山岸:ははは。やっぱり演劇も、この映画のために新たに作った脚本もすごく面白いんですね。そこに疑いの余地はなくて、背骨としてしっかりしたものがあるので、あんまりガチャガチャいじろうとも思わなかったです。

「こういうのはやめればよかったと思ったんです(笑)」(山岸)

——同じ台詞や同じ行動がきっかけで別のカップルの場面に切り替わる演出がありますが、ああいったシンクロも舞台から着想を得たものなのでしょうか。

根本:手法が違うところもあると思うんですけど、演劇だと4部屋がずっと見えているのでリンクしている演出がかなり多くて、さらにもっと細かく切り替わっていくんですよね。当時は演出がうまくなりたくて、4つの部屋にすることで、演出しなきゃいけない部分を増やしたんです。それでああなっていて。

山岸:僕が拝見したのは引きの定点カメラで、正直、細かい芝居までは追えなかったんですよ。

根本:当時は予算もなかったし、こんなことになるなんて思ってなかったので、記録用の映像しか残っていなくて(笑)。

山岸:でも、こっちでこう言ったらあっちがこう言う、みたいなラップのマイクリレーみたいなことをされていたんですね。お互いは干渉してないし、全く違う出来事なんだけど、なにかのきっかけで繋がる。それが映像ではアクションでの繋ぎみたいなことになっているのかもしれません。

——そのテンポが小気味よくて、見ていて楽しい部分でした。

山岸:ああ、そうですか。それはよかった。正直に言うと、僕は初号試写で見た時に、こういう編集はやめればよかったと思ったんです(笑)。

根本:えー! 本の順番と入れ替えている部分もありますよね。

山岸:そうですね。すべてが部屋の中の出来事なので、このままだと見ていて窮屈に感じたり、空気が止まっちゃうと感じたりすることが多発するなとは思っていて。そこをいかに解消するかを考えていたので、編集しながらあれこれ入れ替えたりした結果がああなんですね。ただ、ああいった映像作品らしいギミックはもっと減らして、この人達に没入できるようにした方が良かったのかな、とは思ったんですよね。

根本:いや、私はあれがあってよかったと思います。しっかり没入できましたし。もとの演劇のほうが飽きさせちゃいけないと思いすぎて、常にお客さんに、見て、見て、見て、っていうことをやっていた時期なんですね。私も当時の自分はやりすぎてるなと思っていたんです。ただ、その要素があるからこその戯曲だとも思うので。

山岸:なるほど。だとしたらよかったです。

——やりすぎているというお話が出ましたが、それが「もっと超越した所へ。」というタイトルにも繋がる気がしました。

根本:でもあれは、演劇ってかなり前からチラシを刷るので、内容も決まってないのに先にタイトルだけ決めるんですね。それが当たり前の文化なので、どんな芝居を書くかわからない時に、演出家、演劇作家としてもっともっと超越したところに行きたくて、このタイトルにしたんです。自分の書く戯曲に演出する力が追いつかないなと思っている時期だったので、やってみた芝居だったんですよね。こんな話になるとは思ってなかった(笑)。

——タイトルだけ先にあって、実際に超越したものになったというのも驚きです。

根本:今でも忘れられないのが、スズナリって、雨が降ると音が劇場の中にも聞こえてくるんですね。あのお芝居は各部屋のコップを置く音とか水を注ぐ音できっかけを取っていたので、大雨の日にきっかけが取れなくなったんですよね。楽屋に戻ったら女優が「聞こえなくて終わったかと思った」って泣いてました(笑)。でも、それでもタイムが数秒しかずれなかったんです。恐ろしいくらい稽古していたので、何があっても同じことができる機械のようになっていて。そこまで詰めてやっていた。大変すぎる思い出が多すぎて、もうやりたくないなと思ってます(笑)。

——(笑)。その話を聞いて、そこまで突き詰めたからこそパッションが溢れ出す映画にもなっているのだなと思いました。

根本:あれだけ笑えてスカッとしていいものを見たなと思えるのは、そこまでの全部がうまくいっているからですよね。だからエモーショナルになるというか。

山岸:僕はこの8人の芝居が本当に素晴らしいと思っていて。最も印象に残る部分はアウトロみたいなもので、曲そのものは前段であって、AメロBメロサビというのはやはり8人の人間模様なんですよね。

根本:私としては品が良かったのは嬉しかったところです。どのシーンもやろうと思えばいくらでも下品にできると思うんですよ。でも、そうはならず、全員の愛おしいところをちゃんと切り取って、全員がこうなってしまっているのをわかった上で最後にいけるんですよね。全体の品がいいというのが本当に良かった。俳優陣も演出も。

山岸:ありがとうございます。

——ちなみにですが、山岸監督ご自身はどのキャラに最も近いと思いますか?

山岸:とみー(千葉雄大演じる星川富)ですね。だから作っていてすごくイヤでしたね(笑)。別れ話の時に、また仲良くお茶でもしようねっていう着地のさせ方をしているでしょう? 僕もそういうことをしたことがあるんですよ。本当に最低ですよね……。

根本:あはは。いい思い出にしようとする人ってイヤですよね〜(笑)。

——誰にでも思い当たるところがあって、どのカップルを見ても何かしら刺さってしまうと思いました。

山岸:そこが根本さんらしさでもありますよね。きっとどの役にもどこかしら思い当たる部分があるという。

——作品の手応えとしてはいかがでしょうか。

根本:一般試写の時の劇場の雰囲気が、演劇をやってカーテンコールで出ていく時と同じ空気になったんです。それがめっちゃよかった。演劇はその場に人がいるから、拍手をしたり、何かしらの熱が出ると思うんですけど、映画は見終わったらいくらでも冷静な気持ちになれるものだと思うんです。でも、最後のシーンを見た熱が持続したままの客席だったので、ああ、うまくいったんだなと思いました。

山岸:面白がっていただけた感覚があって、そこで初めて手応えが得られました。公開を楽しみにしています。

映画『もっと超越した所へ。』

■映画『もっと超越した所へ。』
出演:前田敦子、菊池風磨、伊藤万理華、オカモトレイジ、黒川芽以、三浦貴大、趣里、千葉雄大
監督:山岸聖太
原作:月刊「根本宗子」第10号『もっと超越した所へ。』 
脚本:根本宗子
音楽:王舟 
主題歌:aiko「果てしない二人」(ポニーキャニオン)
https://happinet-phantom.com/mottochouetsu/

Photography Masashi Ura

author:

南波一海

1978年生まれの音楽ライター。レーベル「PENGUIN DISC」主宰。さまざまなメディアで執筆するほか、「ハロー!プロジェクトの全曲から集めちゃいました! Vol.1 アイドル三十六房編」や「JAPAN IDOL FILE」シリーズなど、コンピレーションCDも監修。 Twitter:@kazuminamba

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