Nami Kunisawa, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/nami-kunisawa/ Tue, 27 Feb 2024 01:48:53 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png Nami Kunisawa, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/nami-kunisawa/ 32 32 誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクス インタヴュー -後編- https://tokion.jp/2024/02/28/interview-stefan-marx-part2/ Wed, 28 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224805 ファインアートからコマーシャルの分野まで多面的に活躍してきたステファン・マルクスへのインタヴュー後編。

The post 誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクス インタヴュー -後編- appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
ステファン・マルクス

ステファン・マルクス
1979年ドイツ生まれ。ハンブルクからベルリンを拠点に移し、活動するアーティスト・イラストレーター。ドローイング、スケートボード、本、スケッチブックなど、彼が「愛するもの」を活動源とし、作品集の出版、アートエキシビション、パブリックアート、レコードジャケットのデザインなど幅広い分野で才能を発揮している。ドローイングや絵を通して彼の世界観、思想、スケートボーダーとしてのインディー精神を表現し、独自の目線で世界を描く。弱冠15歳でインディペンデントT シャツレーベル「Lousy Livin’Company」を立ち上げ、少数生産ながらクオリティー・クリエイティビティの高いT シャツをデザインしている。また、ブランドや企業とのコラボレーションも多数手掛けており、「マゼンタ・スケートボード」や「ファイブ ボロ」等のスケートボードブランドから「イケア」までプロジェクトは多岐にわたる。これまでに「Nieves」や「Dashwood Books」等の出版社から数々の作品集が出版されている。
@stefanmarx

ドイツ・ベルリンを拠点に活動するアーティスト、ステファン・マルクス。彼は少年時代から愛好しているスケートボードや音楽などのカルチャーの影響から、Tシャツやレコードジャケットのデザインといった創作活動を始め、その後ファインアートの分野に進出。インスピレーションが凝縮された浮遊感のあるタイポグラフィは、読み取る各人の想像力を利用し、非限定的なイメージの拡張をもたらすデバイスのような効果を持つ。

また、日常の観察と絶え間ないプラクティスによって生み出されるドローイングは、ストリートグラフィティよりも柔和で愛らしくコミカルな印象で、素直な感性が幅広い層に共感を呼び起こしている。

さらに彼の作品が構築的な空間やアーキテクチャ・プロダクト上に施されることにより、形而下の意味を超えた暗示のようなインパクトが生じ、場所や存在に新たな意味をもたらす。

自身の創造性を発展させつつも、彼のインディペンデントな姿勢は不変で一貫しており、近年では「シュプリーム」や「コム デ ギャルソン」等のファッションブランドとのコラボレーションをする等、アートとコマーシャルの融合についても可能性を広げてきた。

今回来日したステファンにインタビューを実施。後編では彼の代表的作品テーマであるタイポグラフィやパブリックアートについてのスタンス、新作の本の紹介と趣旨、他アーティストとのコラボレーション等についてヒアリング。アートをオープンスペースとして捉え、人々の自由な感性の交流や相乗効果を導く取組みについて伺った。

体験から得たインスピレーションの視覚化、タイポグラフィ

−−先日NYのギャラリー「Ruttkowski;68」にてタイポグラフィ作品中心のエキシビジョンが開催されましたが、そのステートメントに「テキストは歌詞からインスパイアされている」とありました。

ステファン・マルクス(以下、ステファン):確かに初期の頃は歌詞からインスピレーションを受けて作品を制作していましたが、現在は違います。例えば『Sunrise Sunset』は言葉と構図のアイデアが頭の中でイメージ化され、作品として具現化したものです。最近の作品は画面上の上部と下部に言葉が配置され、間にスペースがある構図にフォーカスしています。

また『Listen to the Rain』は日本で着想を得たものです。日本では雨が降ると多くの人がビニール傘を差し、その上に雨粒が落ちると大きな雨音がする。「雨の音が聴ける」という日本ならではの現象が作品のインスピレーションになりました。

このようにタイポグラフィ作品は、さまざまな場所を訪れ、状況や体験から得たインスピレーションがヴィジュアル化されたものと言えます。

−−最近の作品は詩的な雰囲気のものが多いですね。

ステファン:言葉もドローイングも視覚的なイメージとして捉えています。常に言葉とドローイングのことを考えていて、日頃からあらゆる発想を頭に蓄積し、それらがミックスされて作品になっています。

歩いている時、電車に乗っている時、音楽を聴いている時、本を読んでいる時…時にはSNS上のコメントを読んでアイデアを思いついたりもします(笑)。

タイポグラフィ作品では、言葉上の意味だけでなく、そこから派生するイメージを効果的に表現できないか考えています。

『Heaven』という作品はシンプルなワードですが、視覚的な効果の組み合わせによって複雑な意味を擁し、創造の枠を超えることができます。『Moonlightsss』も同じくシンプルな言葉ですが、蛍光色が暗闇で光ります。

『Love Letter』においては、作品の裏面に「〇〇から△△へ」という情報を記し、一点物としてカスタマイズ可能にしました。こうすることで言葉の持つ重みや意味合いが変化するのがおもしろいですね。

−−今回は日本語の作品にも挑戦しました。

ステファン:前回日本を訪れた際、空港やレストランでスタッフが「おまたせしました」という言葉を使うのを何度も耳にし、どんな意味なのか気になっていて、友人に意味を教えてもらいメモしていました。

そして今回、この「おまたせしました」をタイポグラフィの作品にしてディスプレイしようと思い立ちました。TOKYO ART BOOK FAIRのサイン会では列に並んで待ってもらうこと、また本展にはずっと参加してほしいと言われていたこと、二重の意味を込めたかったんです。

今後も日本語の作品に取り組みたいと思っていて、ひらがな、カタカナ、数字などを勉強しています。

誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクス インタヴュー -後編-
誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクス インタヴュー -後編-

地域を反映し、誰もがアクセス可能な民主的所在のパブリックアート

−−タイポグラフィの作品の中には、ある種のビルボードのように、都市空間の中で大きなスケールで設置されているものもありますね。このプロジェクトについて教えてください。

ステファン:ドイツの都市の30ヵ所にパブリックアートを設置するプロジェクトがあり、そのうちの3ヵ所……ボーフム、ドルトムント、エッセンにオファーを頂きました。その後、スイスのバーゼル等、他の都市でもオファーを頂きました。デュッセルドルフではクンストハレという美術館の内部の壁に描いた作品を、外部からも誰でも観ることができるようになっています。

パブリックアートは誰もが無料で鑑賞できるという民主的な点が好きなんです。制作は非常に大変で、作品を描くのにふさわしい大きな壁を見つけてオーナーに許可をもらったり、高所作業が可能か確認してリフトの費用を確保したりと、なかなか一筋縄ではいかないことが多いですが、すごく楽しんでやってます。たくさんの人々に自分の作品を知ってもらうきっかけにもなりました。

−−公共スペースにてスケールが大きな作品を制作する際に気をつけていることはありますか?

ステファン:街中で大きなスケールで制作する場合、基本的に色はモノクロにします。最近ではカラーの作品も制作していますが、白黒の方がシンプルで周囲に溶け込むのではないかと考えています。白と黒という対照的なコントラストで表現を引き立たせるのが好きなんです。

パブリックアートの場合、大きなスケールの作品を多くの人が目にする空間に設置するため、その場所の成り立ちや歴史を調査しながら制作を進めます。

最初に実施した3つの都市はかつて鉱業が盛んな地域だったので、19世紀に労働者の間で親しまれていた歌の歌詞からインスピレーションを受けて言葉を選びました。

また、壁のサイズや形を考慮して、作品がどんな見え方になるか、建築的、空間的に何度も検証しながら作品を制作していきました。

日常世界を観察し多様な形態の作品を描き続けることで、あらゆる人に楽しんでもらいたい

−−今回TOKYO ART BOOK FAIRに初参加されました。新作の本についてご紹介ください。

ステファン:NY Art Book Fairは初期から毎年参加してますが、TOKYO ART BOOK FAIRは今回初めて参加しました。友人のHIMAAさんや、ユトレヒト、twelvebooks等、サポートしてくれる仲間から「いつ来るの?」と毎年言われてたので、実現できたのが嬉しいです。

今回の新作は4冊あります。まず蛇腹折りの本が2冊。公園のある一点に立ち、同じ位置で360°回転しながらパノラマの絵を描くシリーズを書籍化したものです。1冊は2023年の4月に東京を訪れた際、「スタイリスト私物」の山本康一郎さんが駒沢公園を案内してくれた時に作ったもの。もう1冊は代々木公園で描いたものです。2006年以来、来日するたびに毎回代々木公園で絵を描いていて、あるレコードのジャケットにもなっています。

それとNYの「Dashwood Books」と制作した本が1冊、ベルリンの伝統的な出版社「Hatje Cantz」から出版された塗り絵の本が1冊です。後者は、2019年8月にThe NY Timesに毎日連載していた31点の挿絵を塗り絵できるようにしたものです。子ども達が大胆に色を塗り込めるように大きいサイズにして、簡単にめくれるよう、ごく軽量の紙を採用しました。

この本は子ども向けではありますが、同時に大人がアーティストブックとしても楽しめるようにしています。

−−なぜ子ども向けの本を制作することにしたのでしょうか?子ども向けということで特別配慮したことはありますか?

ステファン:本を作る時はいつも、特定の誰かのためにとは考えてなくて、どんな人でも楽しめるものを作りたいと考えています。以前スイスの「Rollo Press」と子ども向けの本を作った時も、子どものプレゼントのために買ってくれる人も多かったのですが、同時に大人も楽しんでくれていました。

基本的に自分の表現をあまりカテゴライズしたくなくて、常にみんなが楽しめるものを目指しています。言語と違って、絵というものは世界中の人が一目見て瞬時に理解できるものです。そういう絵の作用をベースにしてシンプルに表現することが、多くの人々の共感を生むのではないかと思います。

僕のファインアートの作品は高価で誰もが買えるものではないですが、レコードやZineはいろんな人に手に取ってもらうことができます。多様なアウトプットを提供することで、すべての人がアクセスできる民主的な場を作りたい。ファインアートだけでなくコマーシャルの活動も続けています。Tシャツはその最たる存在だと思います。

この姿勢は、自分の日常や周りにあるものをよく観察して、感じたものを描き続けることにも通じていると思います。

創造スペースを分かち合うことでさらなる発展を生み出す、アーティストとのコラボレーション

−−これまでにさまざまなブランドとコラボレーションされていますが、「コム ギャルソン」とのコラボレーションでは、構築的なシェイプのドレスの全面にステファンさんの作品が大胆に施されていました。お互い非常に芸術的な指向が強いと思いますが、コラボレーションはどのように進めていったのでしょうか?

ステファン:始まりは唐突でした。ある日曜日の夜、NY Art Book Fairに行くためのパッキングをしていたら、川久保さんのアシスタントの方から突然メールが来たんです。「コム デ ギャルソン」のコレクションで僕の作品を使いたいという内容でした。彼等が使いたい作品は決まっていて、それがどのようにデザインされるかは「コム デ ギャルソン」に全て委ねるという条件。ショーで発表されるまでは、どんなものになるのか誰にもわからない状況でした。僕は条件を全て理解した上で、受けるか否かの返事をしなければならなかったんです。

「コム デ ギャルソン」のコラボレーションの方法は非常にストレートなものですが、自分もレコードジャケットのデザインの際に同じようなやり方をしているので、どこか共感できるものがありました。即座に「やりましょう」と返事をしました。

実際にコラボレーションの内容はショー当日まで全くわからない状況でした。PRのチームもショーで初めて見たそうです。前衛的なヘアスタイルのモデルが着たドレスはすごく良くて、結果には大変満足しています。

「コム デ ギャルソン」のコラボレーションはとても勉強になりました。お互いにリスペクトがあるからこそ創造的なスペースを分かち合い、自由に取り組むことによって、さらに創造性を発展させることができるんです。

−−これまで何度も来日されていますが、先述の『Listen to the Rain』のように日本でインスピレーションを受けたものや、おもしろいと感じたものはありますか?

ステファン:日本は友達がいるし好きな食べ物もあるので大好きな場所です。思い出深いプロジェクトを複数経験できたこともありがたく思っています。これまでに書店のユトレヒトやギャラリーの「SALT AND PEPPER」で展示をしたり「GASBOOK」とさまざまなプロジェクトを行ったり「ユニクロ」や「ビームス」と仕事もしました。

日本は街中にある何気ないものにまで細やかに配慮が行き届いているところにインスピレーションを受けます。また、都市や街・建築がさまざまなレイヤーでどのように構成されているか観察するのが好きなんですが、東京は他の都市とは全然違う感じがしています。地下鉄のしくみや社会、コミュニティーの様相は、一見複雑に見えますが不思議と機能している。その観点では他のアジアの都市とも東京は違うように感じますね。

−−今後創作を続けて実現したいこと、さらに挑戦したいことについて教えてください。

ステファン:2023年はアートショーや展示で世界中を飛び回っていたので、2024年はアトリエにこもって静かに創作に向き合いながら新しいことにチャレンジしたいと思っています。具体的にはイタリアで石やジュエリーを使って友達と作品制作をするプランがあります。彫像のような3Dのものではなく、プレートのように、フラットに石を用いるドローイングのようなアプローチを考えています。

Photography Masashi Ura
Edit Akio Kunisawa

The post 誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクス インタヴュー -後編- appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクスインタヴュー -前編- https://tokion.jp/2024/02/27/interview-stefan-marx-part1/ Tue, 27 Feb 2024 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224773 ファインアートからコマーシャルの分野まで多面的に活躍してきたステファン・マルクスに、創造の原点について話を聞いた。

The post 誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクスインタヴュー -前編- appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
ステファン・マルクス

ステファン・マルクス
1979年ドイツ生まれ。ハンブルクからベルリンを拠点に移し、活動するアーティスト・イラストレーター。ドローイング、スケートボード、本、スケッチブックなど、彼が「愛するもの」を活動源とし、作品集の出版、アートエキシビション、パブリックアート、レコードジャケットのデザインなど幅広い分野で才能を発揮している。ドローイングや絵を通して彼の世界観、思想、スケートボーダーとしてのインディー精神を表現し、独自の目線で世界を描く。弱冠15歳でインディペンデントT シャツレーベル「Lousy Livin’Company」を立ち上げ、少数生産ながらクオリティー・クリエイティビティの高いT シャツをデザインしている。また、ブランドや企業とのコラボレーションも多数手掛けており、「マゼンタ・スケートボード」や「ファイブ ボロ」等のスケートボードブランドから「イケア」までプロジェクトは多岐にわたる。これまでに「Nieves」や「Dashwood Books」等の出版社から数々の作品集が出版されている。
@stefanmarx

ドイツ・ベルリンを拠点に活動するアーティスト、ステファン・マルクス。彼は少年時代から愛好しているスケートボードや音楽などのカルチャーの影響から、Tシャツやレコードジャケットのデザインといった創作活動を始め、その後ファインアートの分野に進出。インスピレーションが凝縮された浮遊感のあるタイポグラフィは、読み取る各人の想像力を利用し、非限定的なイメージの拡張をもたらすデバイスのような効果を持つ。

また、日常の観察と絶え間ないプラクティスによって生み出されるドローイングは、ストリートグラフィティよりも柔和で愛らしくコミカルな印象で、素直な感性が幅広い層に共感を呼び起こしている。

さらに彼の作品が構築的な空間やアーキテクチャ・プロダクト上に施されることにより、形而下の意味を超えた暗示のようなインパクトが生じ、場所や存在に新たな意味をもたらす。

自身の創造性を発展させつつも、彼のインディペンデントな姿勢は不変で一貫しており、近年では「シュプリーム」や「コム デ ギャルソン」等のファッションブランドとのコラボレーションをする等、アートとコマーシャルの融合についても可能性を広げてきた。

今回来日したステファンにインタビューを実施。前編では彼が創作活動をスタートした背景、ストリートカルチャーへの熱中と溢れ出るアイデアをレーベル活動へと昇華させていった少年時代、グラフィックと音楽のクロスオーバー等、キャリア初期からのアティテュードについて話を聞いた。

多様なカルチャーの人々が交差する地点を目指して

−−アートを志すようになった経緯、バックグラウンドについて教えてください。

ステファン・マルクス(以下、ステファン):ドイツのシュヴァルムシュタットで生まれ、トーゼンハウゼンで育ちました。とても小さな街です。小さい頃からアートやタイポグラフィ、グラフィックアートが好きで、その後スケートボードのカルチャーに興味を持つようになりました。当時はまだインターネットが普及していなかったので、雑誌などが主な情報源でしたが、田舎では洗練された雑誌を見つけることはすごく難しかったですね。

そんな環境下だった15歳の時、スケートボードをする友達のために服を作りたいと思い、「Lousy Livin’ Company」というTシャツのレーベルを始めました。

その後ハンブルクの大学に進学しましたが、学業だけでなく、自分のレーベルのTシャツデザインを継続し「CLEPTOMANICX」というスケートボードの会社にグラフィックを提供する仕事もしていました。

大学卒業後、ハンブルグを拠点に活動するKarin Guentherというキュレーターとの出会いが転機となり、ギャラリーで作品を発表できることになりました。ファインアートの創作活動と並行してコマーシャルワークは続けていて、自分のレーベルのカタログを作ったことをきっかけに、自分自身のドローイング作品をまとめたZineを作るようになりました。スイスの出版社「Nieves」のベンジャミンがそのZineを気に入ってくれて、翌年ベンジャミンと一緒に本を制作しました。そこから毎年、「Nieves」から本を出版し続けています。

−−少年時代の情報が限られていた環境下で、アートやタイポグラフィ等への興味や関心をどのように発展させていったのでしょうか。

ステファン:何か特別なきっかけがあったわけではないですが、幼少期から視覚的な表現に興味があり、「絵を描く」という行為に楽しみを見出して没頭していました。常に何かを描いてましたね。誰しも子どもの頃は絵を描くのが好きだったと思いますが、僕は大人になっても描くのをやめずにずっと続けている感じです。絵を描くことが純粋に好きなんです。

また絵を描くことによって、自分の身の回りにあるものを観察してヴィジュアル的にエッセンスを吸収し、イメージを人と共有することができる。それが大きなモチベーションとなっていて、今でも絵を描き続けているのではないかと思います。

−−15歳という若さで自身のレーベル「Lousy Livin’ Company」を設立されたことについて、当時の具体的な活動内容や目標を教えてください。

ステファン:当時スケーターの友人の間でアメリカのスケートブランドの人気が高かったんですが、ドイツではとても高額で買えなかったので、代わりのものを自分で作ろうと思い、レーベルを始めました。

スケートボードに関心を持った時、それを取り巻くカルチャー全般、ファッションやグラフィック、音楽等にも興味を持ち、それが服作りにも繋がっていきました。既存のデッキやTシャツのデザインについて、「もっとこうしたらおもしろくなる」というアイデアがいっぱいあったんです。

レーベルを始めたばかりの頃は、アイテムの作り方や運営方法など全く知識がなかったので、周りの大人達に聞いて情報を集めました。そしてシルクスクリーンでTシャツにプリントしてくれる会社を見つけたんです。姉に制作費用を借りて一番最初のTシャツを作りました。

レーベルは1人で運営していたので、デザインだけでなく自分でできることは何でもやりました。スケートショップの卸の会社に行って自作のTシャツの営業をしたり、学校の校庭で友達に売ったり(笑)。自分が作ったものを見てもらいたくて、楽しみながらやっていました。すべては友達が喜ぶのを見たい一心でしたね。周りの友人は僕が頑張って服作りしていたことを知っていたので、みんなで僕の服を着て、活動をサポートしてくれました。

レーベルの活動を続けていくうちに、スケーターの友達に着てもらうアイテムを作るだけでなく、スケートボードをしない友達にも理解されたい、もっと広範囲の人々に関心を持ってほしい、という思いが強くなりました。当初はスケートボードのブランドとしてスタートしましたが、結果的に多くの人々が身に着けてくれるブランドに成長しました。さまざまな人々がブランドを通して交差する、そういう場を作りたかったんです。

音楽にグラフィックが視覚的要素を与え、リスナーのイメージを拡張する

−−幼少期から音楽に親しまれ、レコードのジャケットのデザインも数多く手掛けていらっしゃいます。どのようなきっかけで音楽に関わる仕事を始めたのでしょうか。

ステファン:レコードジャケットのデザインは小さい頃からの夢でした。でも僕がデザインのキャリアをスタートした時期は、ちょうどレコードがCDに移行して、CDもMP3に移行するというタイミングだったので、レコードジャケットの仕事はもうできないだろうと思っていました。

それでもインディペンデントの分野ではアナログで作品を発表するアーティストが残っていて、偶然にもIsoléeというミュージシャンの「We Are Monster」のレコードジャケットをデザインする機会を得ました。それが大ヒットになったのがきっかけで、ハンブルクのアンダーグラウンド・テクノ/ハウスのレーベル「Smallville Records」からリリースされるレコードジャケットのデザインをすべて僕が担当することになったんです。

「Smallville Records」のデザインを始めた当初は、レーベルが長続きするとは思っていなかったので、5枚くらいデザインができれば十分という気持ちでやってました。でも予想に反してレコードは結構売れて、レーベルは20年近く継続しています。コロナの期間は業績が良くなかったので、自分とパートナーで会社を作り、「Smallville Records」の権利を全て引き受けました。現在はレーベルの株式の50%を保有して、運営にも携わってます。

「Smallville Records」でのデザイン手法はシンプルで、すべてのレコードジャケットの構成が、表面は僕の絵のみ、裏にミュージシャンの名前やクレジットが表記されるというスタイルです。この方式がジャケットデザインとして斬新だったので功を奏したのだと思っています。

−−レコードジャケットのデザインにおいて大事にしていることをお聞かせください。音楽作品の内容からイメージを広げていくのでしょうか。

ステファン:レコードジャケットのデザインはソニック・ユースの感覚が好きで、同じような効果を出したいと考えています。ソニック・ユースはレイモンド・ペティボンやマイク・ケリー、ゲルハルト・リヒター等、さまざまなアーティストにレコードのジャケットのデザインを依頼していましたが、新規にデザインされたものではなく、既存の作品をソニック・ユースがセレクトして使っていました。おそらく自分達の音楽作品にどこかリンクするイメージを選んでいたのでしょう。

レコードジャケットの存在を通して、リスナーは頭の中で視覚的な要素と接点を持ち、さまざまな解釈をしながら音楽作品を聴くことになる。時には違和感もあると思いますが、リスナーのイメージを拡張するようなデザインが重要だと考えています。ジャケットをデザインするにあたっては、事前に対象の音楽作品を聴くことはせずに、タイトルやトラック名を見てイメージを膨らませます。テキストから想像してタイポグラフィやデザインに落とし込むんです。

僕はデザインに関しては、アーティスト側の要望は一切受けません。いつも2、3のアイデアを出して、その中からアーティストに選んでもらうというやり方です。アーティストがデザインについて要望を出すケースもあるでしょうけど、僕の場合はそれをしていないんです。

レコードとは別に制作していた作品がレコードジャケットになったこともあります。そもそもレコードジャケットのデザインはレコードのためにデザインしているのではなく、自分の他の作品、エディションが付いたアート作品と同じように捉えて制作に取り組んでいます。

Photography Masashi Ura
Interview Akio Kunisawa

The post 誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクスインタヴュー -前編- appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
循環するメモリーと連鎖するイメージ、共鳴するスピリット 写真家アリ・マルコポロス インタヴュー https://tokion.jp/2023/09/27/interview-ari-marcopoulos/ Wed, 27 Sep 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=208308 写真家アリ・マルコポロスが写真集『Zines』を出版。同時期に東京で個展「Against the Current」を開催。作品をめぐる思考や制作背景について語る。

The post 循環するメモリーと連鎖するイメージ、共鳴するスピリット 写真家アリ・マルコポロス インタヴュー appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
写真の表現媒体の1つとして、あるいは自身の中に蓄積されたイメージや思考をマインドマップ的に整理する手段として、また友人達への贈り物として、Zineの制作を長年続けている写真家アリ・マルコポロス。そのうち2015〜2020年にかけてプリントされた紙媒体のZineと、コロナのパンデミック中にPDF形式で制作されたZineを1冊に収録した、体系的な写真集『Zines』を6月に出版。同時期に東京のMAKI Galleryにて個展「Against the Current」を開催した。

彼は日常生活というフロアを踏み締めながら、社会における個人やコミュニティーがなんらかの強いパワーに晒されている状況を俯瞰し、その空気を客観的に写真に映し出すことによって、われわれに社会・政治問題への気付きや考察の契機を与える。また彼自身が符号を見出した複数の異質な要素について、写真でフレーミングすることで新たなコンテクストを付与し、鑑賞者にイメージの連鎖をもたらす。そして疾走感溢れるストリートやスポーツの場において沈思的なマルコポロスの眼が捉えるのは、ストイックに高みを目指すアスリートやスケートボーダー達の精神が発するオーラと躍動する生命のノイズ、共通言語の如きカルチャーシーンのエネルギーだ。

これらを瞬時に焼き付けるマルコポロスの写真は、静的でありながらも映画のようなストーリー性を擁した親密な印象で、人々の心に直感的に共鳴を呼び起こす。今回は『Zines』、「Against the Current」の作品制作背景や、普段から写真を撮る際に込めている想いについて話を伺った。

アリ・マルコポロス
1957年オランダ生まれ。現在アメリカを拠点に活動する写真家・映像作家。1979年にニューヨークに移住し、アンディ・ウォーホルのアシスタントを務め、その後アーヴィング・ペンに師事。スケートボードやヒップホップといった米国のサブカルチャーシーンとファインアートを横断する作家として世界的に知られており、とりわけ写真集やZine、ポスターなどの印刷物を数多く手掛けた功績は大きい。作品は、バークレー美術館、デトロイト美術館、ヴィンタートゥール写真美術館、ニューオーリンズ美術館、サンフランシスコ近代美術館、ホイットニー美術館などのコレクションに所蔵されている。
近年の主な個展に「Upstream」Kunsthalle Sankt Gallen(スイス、ザンクト・ガレン、2022年)、「Time Motion」Archive/Project Space(マサチューセッツ州ピッツフィールド、2021年)などがある。

マルコポロスはこれまでに200冊もの書籍や限定版個人誌を制作しており、その中には『Ari Marcopoulos: Zines』(Aperture、2023年)、『Polaroids 92-95(CA)』『Polaroids 92-95(NY)』(ともにDASHWOOD BOOKS、2020年)、『Epiphany』(IDEA、2016年)、『Rome-Malibu』(Roma、2016年)等がある。

Instagram: @ari_marcopoulos_official

歴史的インシデントにより分断された現実と、自他の内外的変遷が投影された『Zines』

−−写真集、展示、Zine、それぞれの媒体の影響範囲や効果について分析的に使い分けているアリさんが、Zineを1冊の本にまとめたきっかけについて教えてください。

アリ・マルコポロス(以下マルコポロス):『Zines』を作るアイデアはパンデミックの間に出たものです。パンデミック中はコピーショップや本屋が閉まっていたこともあり、ZineをPDFで作っていました。パンデミックがいつ終わるとも知れない状況だったので、プリントできるようになるまで待たずに、PDFのデータのままNYの友人や海外のアーティストの友人に向けて送っていました。

その後少しずつパンデミックが落ち着いてきた頃、われわれが置かれたコロナ禍の状況を時系列で残していくことは、自分の人生を語る上でも、他の人々の人生を語る上でも重要だと考え、PDFのZineを写真集にするアイデアをaperture(出版社)に掛け合ったところ、興味を持って出版へ動いてくれることになり、長年仕事を共にしているデザイナーと方向性を話し合いながら制作していきました。

この本は2つのセクションに分かれています。1つめは2015年から2020年にかけてプリントしたZineをスキャンしたもの。見開きの中央にホチキスで綴じた部分が写っています。もう1つは黒い背景にPDFの写真がプリントされた、写真集のような色合いの強いセクションによって構成されています。

−−PDFのセクションは、パンデミック、Black Lives Matter等、歴史上でも有数の「分断(それ以前、それ以降)」を生んだ社会的な事件や出来事が日常を侵食しているような印象を受けます。どのような視点で写真を撮られていたのでしょうか。

マルコポロス:社会的・政治的な課題には常に関心を持っていますが、私は報道写真家やジャーナリストではないので、問題のコアを追究する写真を撮ることはしません。例えば1980年代に黒人の少年が白人の若者に暴行を受けた事件をきっかけに巻き起こった抗議運動の写真を撮った時のように、正面からその主題を扱うというより、斜め方向から捉えるような、遠回しな方法で核心に触れていくことが自分の手法だと思っています。

また、私は『ニューヨーク・タイムズ』の表紙写真をよく撮りますが、『ニューヨーク・タイムズ』はその時々の重点的な社会問題や、解決が難しい複雑なシチュエーション等を表紙にするので、表紙写真の撮影を通して社会を写している面もあります。

『Zines』の204ページに、19世紀の画家テオドール・ジェリコーの作品「メデューズ号の筏」と、エドワード・キーンホルツのインスタレーション作品写真集『Five Car Stud』を並べて撮った写真があります。(※1)

この写真についてアメリカ人作家マギー・ネルソンが『Zines』の序文で触れ述べているように(※2)、自分としては写真を通して直接社会運動的表現にフォーカスしているわけではないですが、鑑賞者が写真から何かを受け取り、想像を膨らませて解釈し、気付きを得ることはあると思います。仕事上、広告写真の文脈で写真を撮ることももちろんありますが、基本的には人から期待された写真を撮るというより、自分が本当に撮りたいものを撮るスタンスでいます。

−−パンデミック禍中の写真には、歴史上初めての人気のないNYの街、死がすぐ身近にある状況下の人々が写されています。それは報道写真とも異なる、一変してしまった日常をアリさんの目を通してタイムスタンプと共に確認できる写真だと思います。パンデミック以前に制作されていたZineはパーソナルな意味合いが強く、パンデミック以降のZineは全世界に共有された記憶がベースとなっている点から、それぞれの写真が鑑賞者に対して引き起こす作用が異なるのではと思いますが、アリさんはパンデミック前後の写真をどう捉えていますか。

マルコポロス:パンデミックについては、個々人の体験の違いはあれど、世界的に共通の経験をしてきました。

パンデミック以前は、鑑賞者は写真の中に「自分にとっての親密なもの」を見出すのではないかと考えていました。例えばある家族の写真を撮ったとする。鑑賞者はその写真を見て自分の家族のことを思い出す。あるいは自転車で転んだ子どもの写真に写った肘の傷を見て、鑑賞者は我が子のことを思ったり、もしくは自身の子ども時代を思い出したりする。写真とはそのような存在だったと思います。

パンデミック以降、われわれの生活は内部と外部が分断され、自分自身とパートナーを除き、外部との接点が遮断されて非常に内省的な状態になったと思います。パンデミック以前よりも仕事のスピードが遅くなったし、写真を撮ること自体も減ってしまいました。

当時、Black Lives Matter関連の抗議運動が各所で起きましたが、以前のようには現場へ写真を撮りに行かなくなり、むしろ近所を散歩している時に気になったものを写真に撮ったりしていました。近所のバスケットコートではマスクをつけた人が2つのボールを使ってプレーしていて、とてもシュールな光景に見えましたね。

基本的に、写真集や映像はイメージの連なりによって映画的要素を持つものと捉えています。パンデミック以降は、写真集の持つその映画的な時間の流れがゆっくりになっていったように感じました。

ある日、屋外で学校の卒業式が行われているところに遭遇しました。それはパンデミック中に経験した中で初めてのポジティブな出来事で、何枚か写真を撮りました。以前であれば、この出来事を良い体験だと感じたとしても、おそらくそこまで深い意味を見出すことはなかったでしょう。パンデミックがきっかけとなり、その場に立ち止まって写真を撮る行為に至ったのは、自分にとって大きな変化だったと思います。

作品は鑑賞者によって完結し、循環する

−−これまでに数多くのZineを制作されていますが、どのような人に見てもらいたいですか? また、これまでにZineを読んだ人からの反応で一番嬉しかったことは何ですか?

マルコポロス:特定の対象者は想定していませんが、若い世代や、マインドが若くあろうとする人に見てもらいたいですね。今回東京のMAKI Galleryで行った展示には、今までギャラリーという場所を訪れたことがないような若い人達も来てくれたそうです。彼等は本すら買わないかもしれないけど、何かのきっかけで私の名前を知って、友達を誘って来てくれる若い人たちは多いのかもしれません。公に発表した作品が鑑賞者によって完結する、ある種の循環が存在すると感じています。

普段はZineを作るとNYの「ダシュウッド・ブックス」に持ち込んで販売してもらったり、日本やオーストラリア、イギリスなど海外のお店経由で売ってもらったりしていますが、それとは別に個人的な贈り物としてZineを作ることもあります。例えばパートナーと旅行に行った時に、その旅行についてのZineを1〜2部作ったりします。

ある時、近所に住んでいる顔なじみの男性から、「はるばるテネシーから兄弟が誕生日を祝いに来る」という話を聞きました。その後、普段見かけない人達が近所にいたので彼等の写真を撮り、プリントした写真に何人映っているか数えたところ14人だった。その写真を使ったZineを14部作って、顔なじみの男性にプレゼントしました。

1週間後に近所の行きつけの床屋へ行ったら、その顔なじみの男性が「アリが兄弟の写真でZineを作ってくれたんだよ」と自慢して感激していたと聞きました。

このようにZineを作ってプレゼントした相手が喜んでくれたり、意義深いものとして受け取ってくれることが、Zineをめぐる反応の中で一番嬉しいことですね。

−−特定の人に渡すことを想定して作っていたZineを写真集にすることで、鑑賞者がより広がったと思います。それによって写真はどのように変容していると思いますか?

マルコポロス:普段は毎回異なるテーマに沿ってZineを作っていますが、それぞれの主題が一冊の本の中で混ざり合うことによって、アーカイブ的な性質が生まれ、自分にとって重要なアート・プラクティスを網羅的に見せるスタディ、ある種研究のような側面を持つ。

ごく限られた時期に作っていたZineも1冊の本に収めることにより、これまでの自分の実践を体系的に表すことができるので、意味合いは全く変わってくると思います。

コンセントレートされた映像とサウンドが刻む孤高のスピリット

−−展示という視覚媒体では、写真集やZineとは異なる「映像作品」という表現が可能であり、鑑賞者にもたらされるイメージの拡張作用が効果的に発揮されます。現実のすべてを受容する覚悟のもと撮影されたという映像作品「THE PARK」(2019)は、人間が発する生命的なノイズも映し出し、JAZZという音楽と非常にマッチしていました。今年6〜7月に東京のMAKI Galleryで開催された個展でも、スノーボーダーが滑走する様子を捉えた映像作品「Butter」が上映されていました。映像作品において、アリさんが探究されている表現についてお聞かせください。

マルコポロス:「THE PARK」は定点カメラを2つ使って撮った60分間の映像作品です。サウンドについては撮影時のリアルな音を使うという選択肢もありましたが、結果的にピアニストのジェイソン・モランに映像に合わせて即興演奏をしてもらい、レコーディングしたものをサウンドトラックとして使用しました。

今回のスノーボードの映像作品「Butter」は、ハーフパイプを滑っている時の「ザーッ」という音と、エアの瞬間に訪れる沈黙の「緊張と緩和」がポイントになっています。空中にいる時に空気が弛緩し、ふたたび緊張感が訪れる。その30秒間のループがおもしろいと感じていました。

この「Butter」のプロジェクトの実現には6年もの時間を要しました。30秒の映像のために、最適なスケートボーダーや撮影場所について綿密に計画しました。ハーフパイプは基本的にスノーリゾートのような場所にあるため、ホテルなどの建物が映り込むことが多いのですが、ロケーションを入念にリサーチし、結果的にスイスの荘厳な山々が背景に映るサースフェーという場所で撮影することができました。ハーフパイプ自体の造形が彫刻やランドアートのような印象で、ライティングが非常に重要なファクターだったので朝に撮影したことで、光がもたらすオーラのような神秘的な趣を出すことができました。

また私はアスリートの動きを“dance”と呼んでおり、今回は小津監督の映画のようにカメラをほとんど動かさず、定点的にドライな感じの撮影をして、緊張と緩和の中の“dance”をさらに強調しています。

展覧会場では空間へのサウンドの跳ね返りもあって、時に巨大なノイズのように響くこともあれば、静かで無音の時もある。映像というより、ある種のサウンドアートとして捉えられます。

−−過酷な雪山の中で行うスノーボードというスポーツには、人間と自然との存在の対比や、ヴェルナー・ヘルツォークの映画の如く、自然を克服しようとする人間の野心や挑戦心が感じられます。アリさんは写真を撮る瞬間にどんなことを思いましたか?

また、NYの街中でスケートボードやバスケなどをしている人々を撮る時との違いはありましたか?

マルコポロス:私の雪山の作品からヘルツォークの映画を連想することは理解できますし、「Ayumu」という作品については、19世紀ドイツの画家・カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの絵画イメージが自分の頭の中にありました。カスパーは小さく静的な人間を荘厳な自然の中にポツンと存在するような絵画を描いていた。そういう意味でも、今回の雪山の作品はロケーションがとても重要でした。

アスリート達は身体的に極限に迫るチャレンジをして、危険が伴う中で競技を行う。ある意味で自然をも克服しようとする営みが垣間見えることは、スノーボード作品を撮るための大きな動機になりました。

撮影のために山の中に入ると、不思議な感覚が湧き上がります。山にいること自体を楽しみ、山々のスケール感に対して人間がいかに小さい存在か等、強い感情を抱くようになりました。

スケートボードとスノーボードは、ボードに乗ってサイドへスライドするアクションの面でも、彼等の身体と動きにフォーカスするという意味でも、近い存在だと思います。スケートボーダー達の精神性は写真を撮る際に強く惹かれる部分で、スケートボードという共通の関心事があれば、年齢、人種、性別等、社会的なカテゴリーによる区別がなくなります。スケートパークに行くと多種多様なあらゆる人々がいる。写真を撮る上で興味深い点ですね。

スノーボードにしても、ストリートでのスケートボードやバスケにしても、私は被写体として個人を撮るというよりカルチャー全体を撮っています。写真を通して身体や動きの美しさを見せるという側面もありますが、ダイレクトに身体美にフォーカスしているわけではありません。

「何かに情熱を傾け、熱心に事を成し遂げる」様子を写真に撮ることに神経を注ぐため、自分自身も全力で取り組まないといけない。この精神性は彼等と共通する部分だと思います。

−−今回の来日中滞在されていた東京と京都で、写真に収めたいと感じたものはありましたか?

マルコポロス:京都は2度目の滞在で、今回とても楽しい経験ができました。京都は街のつくりも東京とは全く異なっていて、グリッドに沿って通りが構成されていたり、古いものがたくさん残っている。お寺などの歴史的な建造物や新しい建築物、剣道の鍛錬をしている人などを写真に収めました。

また、京都国立近代美術館で開催していた「Re: スタートライン 1963-1970/2023 現代美術の動向展シリーズにみる美術館とアーティストの共感関係」という展覧会で素晴らしい作品を見て感動しました。

あとは樂美術館をもう一度訪れて、樂焼の伝統がどのように引き継がれてきたか、自分の写真を通して発見していけたらおもしろいんじゃないかと考えています。次回は住居を探して2〜3ヶ月くらい京都に滞在したいと思っています。

※1 「メデューズ号の筏」は、1816年に実際に起きたフランス海軍メデューズ号難破事件をジャーナリスティックに主題に据えた絵画作品。難破発生時にフランス軍指揮官や高官達が救命ボートを独占して逃げ出した為、見捨てられた149人の乗員は簡易的に作った筏で漂流することになり、そのほとんどが救出までの13日間で落命、生き残った十数名も極限状態に追い込まれた。ジェリコーは生存者への取材や病院での人体観察を徹底し、事件における飢餓や狂気・絶望に支配された人々の惨状をリアルに描いた。「Five Car Stud」は、夜間に白人女性と談話していた黒人男性が白人の男たちにリンチされる様子を、臨場感のあるジオラマと等身大の人物像や自動車などで構成したインスタレーション作品。

※2 マギー・ネルソンは「表面的には異質な文化的対象が並列されている写真だが、この作品の組み合わせは白人と黒人の身体が苦しみと暴力にさらされる複雑な構造を描いており、白人芸術家としてのジェリコーとキーンホルツの、黒人像・歴史的暴力・人種主義的抗議・奴隷廃止主義政治との関係を想起させる(要約)」と記述している。

Interview Akio Kunisawa
Translation Shinichiro Sato(TOKION)
Cooperation twelvebooks, MAKI Gallery

The post 循環するメモリーと連鎖するイメージ、共鳴するスピリット 写真家アリ・マルコポロス インタヴュー appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
写真家・髙橋恭司が可視化するプシュケーの軌跡 https://tokion.jp/2023/08/23/void-kyoji-takahashi/ Wed, 23 Aug 2023 11:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=204445 写真家、髙橋恭司の個展「Void」開催に際したインタビューと鑑賞レポート。

The post 写真家・髙橋恭司が可視化するプシュケーの軌跡 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>

髙橋恭司
栃木県益子町出身。写真家。作品集に『「The Mad broom of Life』(1994・⽤美社)『ROAD MOVIE』(1995・リトルモア)、『Takahashi Kyoji』(1996・光琳社出版)、『Life goes on』(1997・光琳社出版)、『煙影』『流麗』(とともに2009・リトルモア)、『SHIBUYA』(20166・BANG! BOOKS)『WOrld’s end 写真はいつも世界の終わりを続ける』(2019・Blue sheep)、『Midnight Call』(2021・TISSUE PAPERS)、『Lost Time』(2021・POST-FAKE)など多数。

南青山のギャラリーVOID+で個展「Void」を開催中の写真家、髙橋恭司。彼の作品に対峙することは、写真の技巧や立ち位置という概念以前に、彼の意識の根底に蓄積されている哲学や心理学・美術史・文学の門を潜ることを意味する。曇りのない純粋な感性と好奇心、実験的な姿勢がこれらの知識と融合し、写真という形で表出しているものであり、彼が描く絵画や詩的文章も同様である。エゴを凝視し、人間を取り巻くあらゆる現実をつぶさに洞察する髙橋の眼は、大衆社会の排気によって霞んだ個のイデアを可視化する。本展を訪ねた印象と、髙橋に伺った創造のエッセンスについてレポートする。

写真という媒体を介したサイコロジカルな表現

髙橋の写真作品は「表象」そのものであり、彼が自身の眼とカメラで捉えるものもまた具体的対象(オブジェクト)ではなく、表象としての世界である。カメラで撮るという行為により、眼前に横たわる現実の物質的外殻が融解し、光の粒子となった潜像が姿を表す。写真という極めて視覚的な媒体を用いて、シンボリズムの詩人のように、自己あるいは鑑賞者の内省的ヴィジョンを描き出しているのだ。

「自分の写真の表現は当初からサイコロジカルなものだと思っています。写真を情報としてではなく不可思議なものとして見ている。鑑賞者の中にストーリーが生まれたり、何らかの心理的な作用を引き起こすものです」。

現在、南青山のギャラリー・void +で開催中の個展「Void」は2つの空間から構成されている。入り口で迎えるのは、概念的存在の象徴のような、自宅に飾られている横濱媽祖廟の紙のお札の写真。向かって右側の無垢な脳室を想起させる白い密室には、現実のファントムの如きイメージ群が展示されている。花が落ち、敷かれた紙の上で朽ちてゆくアネモネの写真。生命が終わる刹那の、現世と魂の世界を横断する透明な美しさをたたえている。幽霊船のような、繁栄の気配だけが映し出されたマンションロビーに輝くシャンデリア。赤外線撮影されたモノクロの花と実は、有限の運命から解放され静寂のうちに佇んでいる。

「写真は白昼夢のようなもの。昼でも夜でもない景色のニュアンスに似ていると考えています。ネガだけが存在し、露出の調整によって夜のように暗くすることも、明るくすることもできる」。

無意識のもと象られるエッセンティア

もう一方のサロンスペースには、万物を介した世界への愛着ともいうべき鮮烈な作品群が並ぶ。現実においてミリ秒でも完全に同一性を保っているものは存在せず、すべての瞬間が過去と直結し、喪失する。髙橋は写真という媒体を用いて「ある事象が、ある瞬間、存在していた」痕跡を浮き彫りにする。

優美なまま老いたびろうどの花弁のエッジから、アポトーシスの予感を漂わせる薔薇。黄金の日に溶けて消失してゆく、見慣れたはずの都市。光線と影のコントラストの強さに造形のみが浮かび上がり、行き先が断たれたビルの階段。シャッターを切る瞬間に実存的存在となった、アスファルト上の砕け散ったガラス瓶とジャム。

そして空間内で壁一面を占める最も大きな写真作品《はと》。

ブルーグレーの建物の間を音符のように飛んでゆく4羽の鳩。このスケールで見ることで初めて、写真に鳩のつややかな目が映っているのに気付き、吸い込まれるように見入る。この目は生命そのものだ。喪失を超越する生命の表象。髙橋が無意識のうちにカメラでこの瞬間を捉えたことは、必然と思えてならない。

「写真や文章は網膜の記憶を盗むこと、あるいは夢に似ている。目の前の現実に対し、『視たことがある』という記憶や、夢のイメージが喚起された瞬間に撮る。目の前の現実自体を撮っているのではないことが多いです。スピードが重要で、脳が言語化する前に撮る。写真に限らず絵画も同じですね。

夢には無意識が表れる。占いも一種のアーキタイプだと考えています。無意識は操作できない。言い間違いや癖には少し無意識が存在する。ここにヒントがある。

現実の社会の規制をぬった闘いの中で表現が生まれる。シュルレアリスムで実験されていたように、無意識の領域を表現に持ち込むことで、マンネリ化した表現に可能性が広がるかもしれない。音楽家ジョン・ケージの『チャンス・オペレーション』もおそらく同じような目的ではないでしょうか」。

同展ならびにInstagramで発表された作品を収めた写真集には、1つ1つの作品に対し髙橋の文章が添えられており、彼の内に浮遊する思念と血脈のように流れる文学や哲学・美術史などの膨大な知識が、心地よいリズムと違和感を伴って表れ、写真の深淵にある潜在意識をストロボのように照らしている。

「僕の文章も写真同様、サイコロジカルなものかもしれません。盲目の詩人ボルヘスの描く幻想世界や、アラン・ポーやボードレールが描いた現実よりも暗鬱な世界のような」。

髙橋は同時に絵画作品の創作にも取り組んでおり、本展では彼のドローイングが直接施された1点もののトートバックも販売している。写真と絵画作品の創造性について違いはあるのだろうか。

「写真と絵画は近くて遠い。リヒターやボルタンスキー、ホックニーは写真も絵もうまいし、ウォーホルの核も写真。僕が影響を受けた人はみんな写真を使っていました。絵と写真を往来する人の表現に惹かれます。メイプルソープも彫刻家だった。はっきりした静的な空間を作り、被写体を据える。あれは彫刻家の写真です。

この辺りが僕の原点で、そのあと写真家について知っていった。カルティエ・ブレッソンはまず映画を撮り、そのあと写真を撮り、晩年は絵を描いていた。ロバート・フランクも写真だけでなく映像を撮っている。

絵は難しいですね。ずっと壁に向かって描いているから暗くなるし、精神的にきつい時もある。内面的な問題に向き合うことがほとんどです。

写真も文章も絵画も自分にとっては純粋な行為で、外部要因は何も気にしていません。今発表している作品は氷山の一角で、仕事や依頼がなくても、時間があると何か創っていますね。絶えず生産し、忘れていく」。

■「Void」
会期:8月27日まで
会場:VOID+
住所:東京都港区南青山3-16-14 1F 3-16-14 1F
時間:12:00〜18:00
公式サイト:www.voidplus.jp 

Photography Kyoji Takahashi
Interview Akio Kunisawa

The post 写真家・髙橋恭司が可視化するプシュケーの軌跡 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
テクノロジーと油彩画のハイブリッド エマ・ウェブスターが見る双方の境界線上の風景 https://tokion.jp/2023/07/04/interview-emma-webster/ Tue, 04 Jul 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=195289 テクノロジーと油彩画の融合によるハイブリッドな世界観の風景画家エマ・ウェブスターが、自身の創造性について語る。

The post テクノロジーと油彩画のハイブリッド エマ・ウェブスターが見る双方の境界線上の風景 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
エマ・ウェブスター

エマ・ウェブスター
1989年生まれ。スタンフォード大学とイェール大学を卒業し、2018年に絵画の修士号を取得。2021年に「Green, Painting, & Mourning Reality」という、デジタル化が進む世界での風景やイメージメイキングに関する考察をまとめた『Lonescape』を出版した。

ロサンゼルスを拠点に活動するエマ・ウェブスターは、VRによって構築した独自の風景世界を油彩画の手法で描き出す、ハイブリッドな表現を探求するアーティストである。今年、ペロタン東京で個展「The Dolmens」(支石墓)を開催した。一連の新作ドローイングとペインティングは、支石墓のように閉ざされ、隠れた空間というテーマを視覚的に探求し、ペロタン東京の建築をフレームとしてシンクロさせる内容だった。個展に合わせて来日したエマ・ウェブスターに話を聞いた。

古典とテクノロジーの往来から生じる境界線上の風景

キャンバス上に伝統的な油絵手法で描かれた、巨大な古代生物の骨格を思わせる滑らかなテクスチャーと湾曲したフォルムの植物が無音でそびえ立つ光景。地球上の自然光ではありえない青白い光やスポットライトがランドスケープを照らし、深い闇と共存する。スケール感や照明が作り出す陰影といった観点ではリアリティを纏っているようだが、形状、色彩、空気、そして生命の在り方は現実にリンクしない。我々がイマジネーションの指先を伸ばそうとも決して真実に到達することのない、巧妙なバランスで創り出された超現実世界。何者かの心象風景の中に迷い込んだのか、あるいは夢の中か、人類がいずれ辿り着く未来の果てか。

エマ・ウェブスターは現実世界を考察して得た多彩なインスピレーションをVRの3Dモデリングによって具現化し、油絵という方法でふたたび現実世界に召喚する。彼女のフィルターを通して描き出されたもうひとつの世界は、安寧や郷愁ではなく、不穏と警鐘の気配を感じさせ、我々に向かって言葉なき問いが投げかけられる。

美術史における風景画は、宗教画における理想化された背景、風景を描くことに魅力を見出した画家自身のプラクティスや挑戦、邸宅を飾る役割など、時代ごとに変遷していった。実在する風景は画家の目や筆先を通過し、記憶や想像力・感受性の色を宿し、パラレルな概念と化してキャンバス上に顕れる。

表現手法が無限に近しい現代において、ウェブスターは風景画が持つ意味や可能性をあらためて示唆している。

彼女はスタンフォード大学でアートプラクティスを専攻し、卒業後は舞台美術や背景の仕事に従事していた。

「スタンフォードはコンピューターサイエンスやエンジニアリング分野を専攻する学生が多い環境でしたが、私自身はコンピューターに興味がなく、キャンパスにたくさんあったロダンの彫刻をスケッチしたりして過ごしていましたね」。

その後イェール大学での美術学修士課程に在籍中、クリエイティブ・ディレクターのワイアット・ロイによりVRとの出会いがもたらされ、「Blender」というソフトウェアでのデジタルモデリングスキルを習得していった。

「VRでジオラマを作り絵画にするプロセスは、テクノロジーありきで始めたわけではありません。もともとジオラマをアナログの手作業で制作していたのですが、ある時VRを試行的に取り入れ始めたところ、独自のテクスチャー感や照明効果など、VR表現自体に興味が湧いたんです」。

「スケッチを通して集積したイメージをVR空間に描き出して可視化し、ジオラマ制作を経て徐々にひとつの作品に収束していくプロセスに長い時間を費やします。

Blenderではライティングデザインも行います。映画や舞台では、光によって暗闇に意味を持たせたり、特殊なムードを創り出して物語を展開させることができます。私自身も舞台美術に携わっていたので、照明効果が鑑賞者の感受性にもたらす作用について考察しながら作品制作に活用しています」。

ライティングデザインは現実の展示空間と作品世界の接続にも関与し、絵画がウェブスターによって穿たれた超現実への入口かのように感じられる。彼女は意識的に鑑賞者をイマジネーションの結合体験へと導く。

「各展覧会ごとにその空間でしかできないことをテーマに設定し制作しています。私の作品は具体的な『場所』に根差したものではありませんが、展覧会を通して作品・展示空間双方に意味を与え、『場所』や環境が従来有している文脈とのスピリチュアルなコネクションを目指しています」。

「いずれの作品も特定の風景や感情を描いているのではなく、異質なイメージが絵画という空間の中でどのように繋がっていくのかを探求していて、好奇心に近いですね。鑑賞者が私の表現する世界や空間に入り込み、同じイメージを共有し発展させていけることを念頭において作品を作り上げています」。

現実を跨ぐ多重構造の世界を創造するウェブスターはどこから着想を得ているのだろうか。

「あらゆるものからインスピレーションを受けており、イメージのパッチワークを作るように風景・世界観が形成されていきます。例えば今回の展覧会では、16世紀のデューラーの絵画から強いインスピレーションを得ています。西洋絵画史における最初の風景画家と言われていますが、どちらかというと静物画に近いというか、『モノ』をモチーフとして描いているように感じるんです。この感覚を軸として今回の展覧会、作品を作り上げました」。

「映画からインスピレーションを得ることも多く、特にソフィア・コッポラが好きで、東京に来ると『ロスト・イン・トランスレーション』の世界を追体験している感覚に陥ります(笑)。東京の街を歩いていると、写真だけでなく映像やCG等を駆使した広告が目に留まります。アメリカの説明的な広告と違って多種多様なイメージに溢れていておもしろいですね。目的を持たずに散策していると、平面だけでなく立体的に予想外の世界が広がっていて、ビルの中に秘密の場所を見つけたりします」。

Photography Masashi Ura
Interview Akio Kunisawa
Edit Jun Ashizawa

The post テクノロジーと油彩画のハイブリッド エマ・ウェブスターが見る双方の境界線上の風景 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
不断かつボーダレスなアートの追究 クリストフ・ブルンケル インタヴュー https://tokion.jp/2023/06/07/interview-christophe-brunnquell/ Wed, 07 Jun 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=189616 ファッション誌「Purple」やフランスの伝統ある全国紙「Le Figaro」で長年ディレクターを務めたクリストフ・ブルンケルが、アートブック『EX PURPLE EX FIGARO』を発表。ボーダレスにアートを追究する彼の視点にフォーカスする。

The post 不断かつボーダレスなアートの追究 クリストフ・ブルンケル インタヴュー appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
1992年に創刊した前衛的なインディペンデント・カルチャー誌「Purple」やフランスで最も伝統ある全国紙「Le Figaro」、ファッションブランド、写真家の作品集等、多方面でアート・ディレクターを務めてきたクリストフ・ブルンケル。自分自身もアーティストとしてコラージュ作品やペインティングの制作を長年続けている。

マルチなアビリティを発揮する中、彼は実にシンプルに、そして純粋に、一貫して「アート」を追究している。例えば雑誌という定型で繰り返される慣習にアートの文法を持ち込んだ「Purple」は、雑誌がアートピースになり得ることを世に示したモニュメントである。また写真やファッションにおいても、特筆すべき感性が表出する瞬間を鋭く連続的に捉えてエネルギーの潮流を作り出す。これは他ならぬ、自身のアーティストの眼をもってして行われる創造行為だ。

今回、彼は30年以上にわたるキャリアの集大成として、コラージュ作品のアートブック『EX PURPLE EX FIGARO』を発表した。フロイト的な深層心理世界を想起させるイメージ群は、サイケデリックな刺激とユーモアを伴い我々の意識に突き刺さる。その制作背景やアートに対する姿勢、アーティストとディレクターに共通する視点等について、来日したクリストフに話を訊いた。

クリストフ・ブルンケル
1969年パリ生まれ。表現活動は、コンテンポラリー・アーティスト、クリエイティブ&アート・ディレクターとして多岐にわたる。今年9月にピカソ美術館 (Musée National Picasso-Paris)で開催されるピカソ没後50周年記念展のアートディレクターに就任。自身のアート作品を「Le Consortium」等多数のギャラリーで毎年発表。ソフィ・カルなどアーティストのアート・ディレクションも手掛ける。

創造行為のプリンシプル。挑戦と不快感から生じる興、直感に対する瞬発力

−−「Purple」のアートディレクションを15年間務められた後、フランスで最も長い歴史を持つ主要新聞「Le Figaro」におけるクリエイティヴ・ディレクションを15年間手掛けられていました。全く背景・環境・読者が異なる2つのメディアにおいて、ご自身の中にどのような基軸を持って取り組んでいらっしゃいましたか。

クリストフ・ブルンケル(以下クリストフ):アヴァンギャルドな「Purple」とクラシックな「FIGARO」には全く異なるユニヴァースがあるので、50:50のバランスで関われたのは自分にとって良いことでした。どちらかといえば保守的な家庭で育ってきた僕自身のバックグラウンドも関係していると思います。

「Purple」はヴィジュアル重視の媒体。グラフィックやレイアウトを自由に決めることができたので、コラージュ的な発想で誌面に活字やイメージを貼り付けていく実験的な手法で制作し、フォーマットも判型も毎回変えて、同じルーティンに留めないようにしていました。
雑誌を印刷する行為は「モダニズムの到達点」だと考えています。紙は、その1枚1枚が特別な価値を有するべきで、特別でなければ印刷するに値しない。「Purple」はそうした思考・姿勢で制作していました。マガジンはアート作品と同じであり、僕はその間に全く線を引いていない。アート作品だからこそ人はそれを集めたくなるし、保管したくなる。そういう気持ちを起こさせるものであるべきです。

一方「Figaro」はライティングを重んじるクラシックな媒体故、「Purple」のようにアートとしての実験ができなかったので、仕事の合間を縫って個人的な作品としてコラージュ制作に取り組んでいたんです。仕事中に絵画を描いたりしたら皆びっくりしちゃうから(笑)。オフィスに届くガーディアン紙や「NYタイムズ」など世界中の主要メディアの新聞を素材に使っていて、これまでにコラージュ作品集を8冊制作、合計約35,000枚の新聞紙を作品に使ったんじゃないかな。

−−大衆紙の既存イメージ群を再構築して制作された、少し悪夢的な中毒性を持ったコラージュ作品を通して、「見せる技術」の定着と予定調和的な傾向が見て取れる近年のメディア、読者へ混沌の一石を投じていらっしゃるかと思います。コラージュを作る時、テーマにしていることはありますか?

クリストフ:「不快感」。これは僕にとって重大な要素です。心地よい状態にいることに居心地の悪さを感じる。いろいろなブランドでクリエイティヴ・ディレクターを務めてきたけど、常にこの感覚を大事にしてきました。椅子に座る時でさえ座面の半分にだけ腰掛けて不快感を味わうようにしていて、自宅にもソファを置いてないんです(笑)。

−−今回のコラージュ作品「EX PURPLE EX FIGARO」はクリストフさんの潜在意識下での表現プロセスの一端を辿ることのできる貴重な機会でもあると思っています。創作活動における視点、姿勢についてお聞かせください。

クリストフ:幼い頃から静かにしていられない、何かしてないと気が済まない性分で、とにかく常に動いていたし、今も変わりません。クリエイティヴ・ディレクターにはムードボードを作り、ゆっくり腰を据えて制作する人もいますが、僕の場合は違う。ドローイングやペインティングは思考の具現化ではないんです。とにかく考えるより先に手を動かす。ダダイズムの手法の1つ、自動筆記の感覚に近い。

アンフォルメルの抽象画家ハンス・アルトゥングは「ドローイングを描く行為は稲妻に取りつかれたようなものだ」と言っていました。創造性は稲妻と同様、激しくエネルギーに満ち溢れたものであるべきです。

創作における直感はすぐに消えてしまうので、とにかくスピードが肝要。アメリカ文学を代表する小説家、フィリップ・ロスは立ったまま執筆していたし、マルグリット・デュラスは1日のうち、まだ言葉を発する前の早朝に執筆活動を始めていた。バスキアやミロは絵画を1日のうちに描き終えるようにしていたそうです。

また、常に孤独に仕事に没頭していたいという思いがあります。「VOGUE」の創始者アーサー・ボールドウィンによれば、より大成したアーティストであればあるほど、孤独に耐える力が強いそうです。『アメリカン・サイコ』の作者ブレット・イーストン・エリスも、僕の個人的見解では友達と週末バーベキューするような人物ではなく、常に孤独に耐えながら仕事をしている人物だと思います(笑)。

−−コラージュ作品以外にも絵画や彫刻など、多くのアート作品を制作され続けていると伺いました。具体的にどのような作品群なのでしょうか。

クリストフ:具象画ではなくモノクロを中心とした抽象画を描いています。ウィリアム・デ・クーニングやハンス・アルトゥング、ジャクソン・ポロック等の抽象画が好きですね。最近は白いキャンバスに赤い丸印を描いたコンセプチュアルアートを作っています。ギャラリーでは“sold”の印として作品の枠外に赤い丸印を付けますが、それを逆に作品にして、「アートを売る」という概念、アートの制度を皮肉ったもの。この作品の展覧会を6月にパリで開催する予定です。

−−クリストフさんがアートを作り続ける原動力は何なのでしょうか。

クリストフ:継続するためのエナジー、それは常に新しい玩具を見つけることと常に心地の悪い実験的な状態であり続けること。僕の敬愛するピカソ曰く「獄中でペンもインクもない状況だろうと、唾で絵が描ける」と。その時々の状況によって何かしら創造を続けることが重要です。

また自分にとって本を作ることは、新しいことに向かうための1つの区切り。制作している最中は集中し、1冊の本を作り終えると、次の新しいチャプターに移るという感覚ですね。

アートは仕立てるものではなく、自由な感性のシナジーによって創られる

−−「Purple」はあらゆるカルチャーを横断し雑誌の可能性を拡張するような存在で、ティルマンスやボズウィック、高橋恭司さんをはじめとした異彩を放つアーティスト達と、駆け出しの頃からコラボレーションしています。どのような観点で彼等を起用したのでしょうか?

クリストフ:「Purple」にせよ「Figaro」にせよ、雑誌を作る時は才能のある写真家と協働することが重要です。アートを作るためにはアーティストと仕事をしなければならない。ティルマンスもボズウィックも高橋恭司さんも写真家でありながら、よりアーティストに近い自由な感覚で写真に向き合っている。「Purple」の時は写真家というよりアーティストとコラボレーションをするつもりで彼等と一緒に仕事をしていました。

−−アート創作とアート・ディレクションにおける感覚の共通点を言語化するとしたら、どのような言葉で表せますか?

クリストフ:高橋恭司さんは写真家であると同時に絵も描いていますけど、彼が自身の絵をグラフィティと呼ぶことに大いに賛同します。グラフィティはエナジーに満ちている。僕はペインターでもありますけど、描いているものはペインティングというよりグラフィティに近い。グラフィティは自意識をこじらせていない、“too much”ではないもの。感覚そのものを映し出す、自然かつ自発的なもので、考える前に描くもの。アートディレクションにおけるレイアウトも同様です。

愛をこめた純粋な行為、その美しさと力強さ

−−日本人フォトグラファーのディレクションも手掛けられていますが、クリストフさんは日本のクリエイティヴシーンをどのように捉えていらっしゃいますか?

クリストフ:日本の写真家は本当に素晴らしいです。荒木経惟が「写真は撮る対象への愛である」と言ったように、撮る対象をどれだけ愛して写真を撮れるか、それがいい写真の条件だと考えています。日本の写真家からは被写体に対する強い愛を感じる。非常に美しいことです。

高橋恭司さんの本を作った時、鳥の写真がありました。その写真から、彼の鳥への愛、被写体への愛が伝わってきて、大変美しいと感じました。被写体への愛を一番持っているのは日本の写真家だと思います。

−−クリストフさんは30年以上、アートディレクターとして特異な存在感を放ち続けていらっしゃいました。今後の長期的なヴィジョンについてお聞かせください。

クリストフ:まず、ブロッコリーをたくさん食べる(笑)。これはジョークではなくて、ブロッコリーは優れた栄養素を含んだ野菜です。良い作品を作るためには健康が第一。村上春樹さんが健康のためにジョギングしているように、僕もシンプルで健康的な生活をしています。飲酒は白ワインを週に1回飲むくらい。朝は糖分を摂らずにチーズとブロッコリーを食べる。夜にチーズを食べるのは体に良くないですよ。

アート活動に関しては、白いキャンバスに赤い印を描く絵画の制作を続けていきたい。また、哲学者の曽祖父フェリシアン・シャレーが日本について書いた著書を複数出版しているのですが、彼の著書『Le Cœur japonais』(Paris, Payot, 1927)と同じタイトルで雑誌を作りたいと考えています。あとは日本でクリエイティヴ・ディレクションの仕事をしたいです。常に複数の仕事に携わることが大切で、どれか1つが不調でも、他に心を委ね、バランスを保つことができますから。

Photography Kyoji Takahashi
Interview Akio Kunisawa
Edit Jun Ashizawa(TOKION)
Translation Shinichiro Sato(TOKION)

The post 不断かつボーダレスなアートの追究 クリストフ・ブルンケル インタヴュー appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
「スーパーナチュラルデラックス」が目指すコミュニティの姿 マイク・クベック、フィル・キャッシュマン インタヴュー -後編- https://tokion.jp/2023/06/03/interview-super-natural-deluxe-part2/ Sat, 03 Jun 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=187749 鴨川に拠点を移し、創造的ラボとして再スタートを切った「スーパーナチュラルデラックス」。その基本理念と目指す姿について、代表マイク・クベックと共同代表のフィル・キャッシュマンが語る。

The post 「スーパーナチュラルデラックス」が目指すコミュニティの姿 マイク・クベック、フィル・キャッシュマン インタヴュー -後編- appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
西麻布で毎夜実験的なイベントを繰り広げていた伝説的なライヴ・スペース、「スーパー・デラックス」。灰野敬二、大友良英、山本精一−−日本のアンダーグラウンドシーンを代表するアーティストの拠点となったばかりでなく、ジム・オルークやアルヴィン・ルシエといった国際的な音楽家のライヴも行われる国内有数のカルチャー発信地であったが、入居ビルの建て替えに伴い、2019年に惜しまれつつも17年の歴史に幕を下ろした。

それから3年。2022年、「スーパー・デラックス」は千葉県鴨川市に移転し、音楽・食・自然環境・循環型農業・ローカルコミュニティが渾然一体となったハイブリッドなラボ、「スーパーナチュラルデラックス」として新たなスタートを切った。

パーマカルチャーを基盤とした環境を作り、アーティストも観客も地域住民も参加し、「体験」を共有することで繋がっていく。音楽はその一部なのだ。プリミティヴでありながら創造性に富んだ「スーパーナチュラルデラックス」誕生経緯についてのインタヴューを実施。

後編は、鴨川に拠点を移した「スーパーナチュラルデラックス」の基本理念と目指す姿について、マイク・クベックとフィル・キャッシュマンに話を訊いた。

「スーパーナチュラルデラックス」
アンダーグラウンドシーンを牽引する唯一無二の文化拠点として機能していたスーパー・デラックスはビルの建て替えに伴い惜しまれながらも2019年に閉店。その後、2020年から南房総の鴨川市で密かに準備してきた「新しい実験を出来る場」として、スーパーナチュラルデラックスを2022年9月に初公開した。スーパー・デラックス代表のマイク・クベックとパーマカルチャーAWA代表の本間フィル・キャッシュマンがコラボレーションする長期計画として、鴨川市の中心地に存在する登録有形文化財とその膨大な敷地を表現、教育、体験、研究、観照を提供する場所として蘇らせる。完成は数年先となるワーク・イン・プログレスで、地域や生態系の健康を重視する持続可能な運用・運営を実現するためのプロセスをワークショップなどで公開する予定だ。記念すべき初コンサートは石橋英子とジム・オルークが登場した。

体験をトータルデザインする場所、「スーパーナチュラルデラックス」の設立

−−西麻布のスペースから移転を決めたのは、ビルの建て替え以外にも理由があったのでしょうか。

マイク・クベック(以下、マイク):実はビルの建て替え以前から西麻布と地方という2拠点態勢の運営を構想していたんです。「スーパー・デラックス」を閉じることになったタイミングで、再開するのであれば全く違う場所で方向性の異なるアプローチでやっていきたいと考えていました。収支や調整に追われず、もう少しスローペースで丁寧に企画を進めてイベントができる場所を作りたい。アーティスト側も、ツアーに来てショーをしてすぐに帰るというのではなく、しばらく滞在して、おいしいものを食べながら制作もできる……そんなイメージで、東京ではできないことを地方でやってみたいと思った。それで南房総や福島、山梨、九州などで場所探しを始めたんです。

−−移転先として鴨川を選んだ決め手は何だったのでしょうか?

マイク:昔からの友人フィルが鴨川近辺に住んでいたのが大きかったです。あとはたまたま2019年に鴨川でイベント企画の案件が来たので、鴨川の地域をよく観察したくて移住してみることにしました。結局そのイベントはコロナの影響で中止になってしまったけど、結果的にこの場所を見つけることができました。初めてこの広大な敷地を見た時、やってみたいことが全部できそうだと直感したんです。

所有者を紹介してもらい、2年程かけて何度もアプローチしました。交渉がなかなか進まなくて諦めかけたこともあったけど、フィルのサポートもあって、やっと利用許可をもらえたんです。

今ライヴ等のイベントを行っているスペースはもともと酒蔵でした。天井の高さや土壁の効果で音が濁らず反射して抜けていくので、ほとんど工事せず利用してます。敷地内にある登録有形文化財の建物はアーティストの宿泊施設として活用しています。

−−「スーパーナチュラルデラックス」の基盤であるパーマカルチャー。環境にも人にも配慮し、永続的な農的生活を始めたきっかけについて教えてください。

フィル・キャッシュマン(以下フィル):子どもが誕生したことがきっかけです。それまでは自分がどう生きるかに集中していて、他のことには意識が行き届いていなかった。廃材を集めた家や彫刻を作ったり、地球環境や反戦の運動もしてたけど、その熱意の中心にあるのは自分の感情だった。でも子どもが生まれてからは、この子達に幸せになってほしいという気持ちが一番になりました。この子が80歳まで生きるとして、どうやったら安全で健康で幸せに暮らせるのか。そしたら視点が変わって、来月、来年という短いスパンではなく、数十年先の未来や環境を良くするために何をすべきかを考え始めた。

その頃パーマカルチャーの創始者ビル・モリソンについて知る機会があり、現役で活動していた彼のもとで学ぶためオーストラリアへ渡ることにしたんです。ビルは人柄そのものが素晴らしく、存在感、話の内容や伝え方、すべてに圧倒されました。そして自然システムの構成要素を科学的な観点から理解した上で、体系的に環境デザインを組み立てるパーマカルチャーの内容に深く共鳴していったんです。

日本に戻ってからは葉山でパーマカルチャーの活動を実践していましたが、よりコミュニティを広げて大きな場所で展開したいと思い、鴨川にたどり着きました。この農場はすべてが循環するように環境デザインされています。雨水や生活排水は分解、ろ過をして池に貯まるようになっていて、水をきれいにする植物を池の周辺に植えている。季節ごとにカエルやトンボが集まってきて害虫を食べてくれます。発生するゴミはコンポスト化して土を作り、ケールやパクチー等の野菜を育てています。

あらゆる人が自由に参加し実験を楽しめるユートピアを目指して

−−「スーパーナチュラルデラックス」の未来について、どのような姿を目指していますか?

マイク:「食」や「環境」や「自然」のおもしろい体験をアーティストに提供して、音楽やアートシーンの表現にもたらす影響を探っていきたい。アーティスト同士の相乗効果によってポテンシャルが引き出される即興音楽のように、人と人との出会いから生じる相互作用によって表現が変化することも、パーマカルチャーを体験して新たな表現が生まれることもあると思います。

フィル:パーマカルチャーはパワフルなシステムの1つで、食も要素の1つ。総合的には、ここはある意味ユートピアのような場所を目指しています。ルールや金銭に縛られず、健康や環境のことを真剣に考え、おいしいものを食べる。お互いが個性を尊重し、感性を刺激し合い、自分らしくいられる場所。

マイク:今年はワークショップとしてパーマカルチャーデザインコースを開催しますが、今後は単発のイベントだけではなく、少し中長期的な視点でイベントを企画していく予定です。教育・表現・技術・スピリチュアルな視点など、1年を通していろいろな体験ができる場所にしたいですね。西麻布の頃は、年齢・職業関係なく、あらゆる人達が来てくれました。鴨川でもそうなってほしいです。

フィル:隣のお寺の人達と仲良くなったり、ここに来て1年、じわじわと周辺の人達が受け入れてくれるようになりました。もっとこの地の特性を観察してつかんでいきたい。パーマカルチャーにおいて大切なのは「ニーズ」、何が必要とされているのか観察することです。

今僕達は変化のポイントにいます。世界で起きていること、アートや科学の分野で起きていること、鴨川で、僕らの家庭で起きていること……全方向に目を向けながら、楽しい場所を創っていきたいです。

Photography Masashi Ura
Interview Akio Kunisawa
Edit Jun Ashizawa(TOKION)

The post 「スーパーナチュラルデラックス」が目指すコミュニティの姿 マイク・クベック、フィル・キャッシュマン インタヴュー -後編- appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
新しい実験ができる場「スーパーナチュラルデラックス」 マイク・クベック、フィル・キャッシュマン インタヴュー -前編- https://tokion.jp/2023/06/02/interview-super-natural-deluxe-part1/ Fri, 02 Jun 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=187714 西麻布で毎夜実験的なイベントを繰り広げていた伝説的なライヴ・スペース「スーパー・デラックス」が独自の発展を遂げた背景について、代表マイク・クベックが語る。

The post 新しい実験ができる場「スーパーナチュラルデラックス」 マイク・クベック、フィル・キャッシュマン インタヴュー -前編- appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
西麻布で毎夜実験的なイベントを繰り広げていた伝説的なライヴ・スペース、「スーパー・デラックス」。灰野敬二、大友良英、山本精一−−日本のアンダーグラウンドシーンを代表するアーティストの拠点となったばかりでなく、ジム・オルークやアルヴィン・ルシエといった国際的な音楽家のライヴも行われる国内有数のカルチャー発信地であったが、入居ビルの建て替えに伴い、2019年に惜しまれつつも17年の歴史に幕を下ろした。

それから3年。2022年、「スーパー・デラックス」は千葉県鴨川市に移転し、音楽・食・自然環境・循環型農業・ローカルコミュニティが渾然一体となったハイブリッドなラボ、「スーパーナチュラルデラックス」として新たなスタートを切った。パーマカルチャーを基盤とした環境を作り、アーティストも観客も地域住民も参加し、「体験」を共有することで繋がっていく。音楽はその一部なのだ。プリミティヴでありながら創造性に富んだ「スーパーナチュラルデラックス」誕生の経緯について、代表マイク・クベックと共同代表のフィル・キャッシュマンにインタヴューを実施した。

前編は「スーパー・デラックス」が独自の発展を遂げていった背景についてマイク・クベックに話を訊いた。

「スーパーナチュラルデラックス」
アンダーグラウンドシーンを牽引する唯一無二の文化拠点として機能していた「スーパー・デラックス」はビルの建て替えに伴い惜しまれながらも2019年に閉店。その後、2020年から南房総の鴨川市で密かに準備してきた「新しい実験を出来る場」として、「スーパーナチュラルデラックス」を2022年9月に初公開した。「スーパー・デラックス」代表のマイク・クベックとパーマカルチャーAWA代表の本間フィル・キャッシュマンがコラボレーションする長期計画として、鴨川市の中心地に存在する登録有形文化財とその膨大な敷地を表現、教育、体験、研究、観照を提供する場所として蘇らせる。完成は数年先となるワーク・イン・プログレスで、地域や生態系の健康を重視する持続可能な運用・運営を実現するためのプロセスをワークショップなどで公開する予定だ。記念すべき初コンサートは石橋英子とジム・オルークが登場した。

ジャンルを超えた化学反応を生み出せる場所へ

−−東京のアンダーグラウンド・シーンの音楽が集結したスペース、西麻布の「スーパー・デラックス」の始まりについて伺います。

マイク・クベック(以下、マイク):1990年代前半、東京ではアンダーグラウンド・シーンが盛り上がっていて、法政大学の学生会館や中央線沿線、渋谷の「La. mama」等、各地で面白いイベントが行われていました。僕も毎晩のようにライブに行きました。

僕が大学でいたLAには、1980年代後半〜1990年代前半にかけて素晴らしいHip Hopシーンやクラブシーン、ロラパルーザのようなおもしろいイベントもありましたが、東京にはLAを凌駕するくらい、想像を超える音楽があったんです。ただ当時は単純に音楽が好きだというだけで、自分でライヴハウスをやろうという考えはありませんでした。

転機が訪れたのは1998年。クリエイティブ・ユニット「生意気」やクライン・ダイサム・アーキテクツ等と共に、麻布十番の倉庫を改造したシェアオフィス「デラックス」のスペースでクラフトビール「東京エール」の会社を始めることになり、そこで僕とビールの醸造家がライヴイベントを企画してビールを提供していました。

シェアオフィスは他にもインテリアデザイン会社「Spinoff」やDJ QUIETSTORMが使っていたんですが、全員の仕事が忙しくなり、ライヴのために共有スペースを占有するのが難しくなってきたので、2002年に移転、西麻布「スーパー・デラックス」をオープン。本来、ブルワリーとなるはずでしたが、東京エールのメンバーがその場所に更なる可能性を感じ、これまで観てきた即興音楽のライヴ等ができたら最高だと思った。それで結局ブルワリーではなくイベントスペースとして稼働させることにしたんです。これが「スーパー・デラックス」の始まりです。

−−当初から「スーパー・デラックス」では前衛的なイベントが行われていましたが、年を追うごとに界隈屈指のアーティストが出演するようになり、ますます内容が濃くなっていきました。マイクさんは「スーパー・デラックス」をどのような場にしたいと考えていたのでしょうか。

マイク:当初からぶれずに目指していたのは、音楽だけでなく、ダンス、写真、映像等、多様なジャンルのアーティストが異なる分野の人達と交流して自由な実験ができる場所を作ることですね。僕自身にはいろいろなジャンルのアーティストの友達がいたけど、彼らはお互いにあまり接点がなかった。彼らがジャンルを超えてコラボレーションしたらおもしろいんじゃないかと思ってたんです。そこで化学反応が起こりそうなアーティスト同士を同じプログラムの中に組み込み、自ずとお互いのショーを観れるようにしたりと、彼等が繋がるきっかけが生まれる工夫をしていました。

アーティストも観客も楽しめる、僕らも想像がつかない創造、実験ができる場所。インフラを作って環境を整えれば、未知の出会いが生まれ、新しいものを観れるのではないか。まさにそんな感じでした。

−−イベントのクリエイティヴィティや相互作用を高めるため、企画はどのように進めましたか?

マイク:アーティスト自身が「スーパー・デラックス」で実現したいことをサポートする姿勢が重要で、こちらの一存で企画を進めてもおもしろいものは生まれないと感じています。また、アーティストのことを熟知してから進めるのではなく、直感的に良さそうだと思ったら、まずはアーティストを信用してみる。そして本番で実際に良さを確認する。そうすることで僕にとっても観客にとっても「新しいもの」を見ることができる。ライブで初体験することがぜいたくなんです。

こうした企画の進め方はかなり実験的だと思うし、ディレクターとしても心配が尽きないけど、実験音楽や即興音楽は本来そういう性質のもの。このプロセスを楽しめなければ良いものはできないですね。

一方で、自分もいち観客としての視点を持っていて、どうしても自分が観たいからという理由でイベントを企画する場合もある。

例えば、漫画家の東陽片岡と劇団「鉄割アルバトロスケット」のコラボレーション。僕の主観だけど、彼等は何となく同じ世界観を持っているような気がしたので、「鉄割」のイベントのポスターを東陽氏に描いてもらうことにしたんです。そしたら打ち合わせの場で彼らがすっかり意気投合して、急遽東陽氏も舞台出演することに決まったんです。その後も東陽さんが鉄割のメンバーとして活動していた時期もあったし、ディレクター冥利につきますね。

−−唯一無二のイベントが毎晩のように繰り広げられていましたが、特に印象に残っている企画を教えてください。

マイク:たくさんあるけど、トニー・コンラッドと灰野敬二のデュオは本当に素晴らしかった。あとはウィレム・ブロイカー・コレクティフというオランダのビッグバンドの演奏に東京のダンスカンパニー「珍しいキノコ舞踊団」が出演した企画もコンサートとはまた違う、ダンス、音楽、パフォーマンスが融合したイベントになって思い出深いです。

カールステン・ニコライのライブも衝撃的な体験でした。映像と音のコラボレーションによって彼の世界観が表れていく、そのプロセスを間近で見ることができたんです。

「スーパー・デラックス」を通してさまざまなアーティストとコミュニケーションを取れたこと、表現の全プロセスが見られたことは誇りに思います。

人から人へ広がっていくコミュニティ

−−日本のみならず世界中のインディペンデントなアーティストが「スーパー・デラックス」に集結したのは希有なことだったと思います。どのように実現したのでしょうか。

マイク:それがクチコミなんです(笑)。出演者が「スーパー・デラックス」で良い体験をすると、その人がまた別のアーティストに勧めてくれるんです。

例えば、音楽家のカール・ストーンやフィル・ニブロック、ジム・オルークは素晴らしいアーティストと「スーパー・デラックス」を繋げてくれました。彼等の話を聞いたという有力なアーティストから連絡が来ることもあったし、たとえこちらが知らないアーティストでも、彼らの紹介であれば安心して企画を進められました。こうしてコミュニティがどんどん広がっていったんです。

最終的に西麻布のスペースは17年で営業を終えましたが、自分でも想定してなかった人脈が広がり、比類ないコミュニティが築けたと思います。今後さらに未知のアーティストを見出して、おもしろいショーを企画していきたいですね。

Photography Masashi Ura
Interview Akio Kunisawa
Edit Jun Ashizawa

The post 新しい実験ができる場「スーパーナチュラルデラックス」 マイク・クベック、フィル・キャッシュマン インタヴュー -前編- appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
『戦場のメリークリスマス』に見る「個」のプレゼンス 映画監督・評論家 樋口尚文インタヴュー https://tokion.jp/2023/02/10/interview-naofumi-higuchi/ Fri, 10 Feb 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=167305 国や世代を超えて支持され続ける大島渚監督映画『戦場のメリークリスマス』の制作背景や魅力について、映画監督・評論家の樋口尚文が語る。

The post 『戦場のメリークリスマス』に見る「個」のプレゼンス 映画監督・評論家 樋口尚文インタヴュー appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
2023年、大島渚監督作品の国立機関への収蔵予定に先立ち、全国で『戦場のメリークリスマス』『愛のコリーダ』の4Kデジタル修復版の大規模ロードショーが行われている。

『戦場のメリークリスマス』(1983年公開、以下『戦メリ』)は、作家ローレンス・ヴァン・デル・ポストの短編集『影の獄にて』を原作として製作された。第2次世界大戦中の1942年、ジャワ島の日本軍捕虜収容所を舞台に、戦争の暴力の闇に覆われた中での「個」の有りようや生死の帰属先を正視しながら、現実の状況を超えて揺れ動く人間の魂のかたちを浮き彫りにする作品だ。

「個」を滅却し、是非を問わず「彼らの神=国(全体と秩序)」を守る意識に立脚するヨノイやハラ、日本軍人達。その精神性はハラの「I’m ready to die(=死ぬ覚悟はできている)」という言葉に色濃く映し出されており、戦時下で歪んだ厳正さは捕虜への常軌を逸した仕打ちとなって表れる。

対して、社会的規範や合理性といった現代的価値観に基づき、状況に適応しながら「個」を全うすべく生きるローレンスやヒックスリ、外国人捕虜達。美しく勇敢でカリスマを有するが、その精神は「自身と弟の生に対する欺瞞」という原罪に囚われているセリアズ。ローレンスはハラとの交流を通じ、彼ら日本軍人の根底にあるプリミティヴな祖霊信仰や死生観、個の魂の存在を洞察する。

ローレンスとセリアズの処刑を控えたクリスマスの夜、ハラは酒に酔った体(てい)で戯れながら、非実在の“Father Christmas”という祝祭のシンボルに個としての意思を託すようにして2人を釈放する。ヨノイはハラの行為を叱責するも、人知れずハラに恩賜のたばこを授ける。

セリアズは自身の命と引き換えにヨノイの囚われたる個の魂を解放し、捕虜達を救い、人々の裡に種子を植える。そしてハラは最期に再び、あの夜の「Merry Christmas, Mr. Lawrence」という言葉と輝くような笑みで、涙を浮かべたローレンスと自身の魂を解放する。

原作が緻密にたどる個の生に対する内省や、人から人に受け継がれていく許しと救いの種子について、特に心情面のエッセンスを凝縮し、ドラマティックに描いた『戦メリ』。大島渚研究の第一人者であり映画評論家、そして映画監督でもある樋口尚文に、本作の製作背景や魅力について伺った。

大島渚が『戦メリ』で到達し得た、「ラディカリズムとポピュラリティの共存」

――『戦メリ』は深遠な主題を核としながらも、出演者が放つ個性の輝き、不朽の名曲となったテーマ音楽に彩られ、大島監督作品の中でも特に幅広い層のファンを多数擁しています。本作の特異な点についてお聞かせください。

樋口尚文(以下、樋口):大島渚は世代によって捉えられ方が大きく異なる監督です。1950年代の映画黄金期、大島監督が京都大学法学部卒業後に就職した松竹は最もコンサバな映画会社でしたが、そこで彼は主題と方法において従来の日本映画の定式を打ち破る作品を撮り、1960年代には独立プロ「創造社」を立ち上げました。大島監督の型破りな作品は、当時の安保闘争から学生運動の季節にかけての激動と模索の時代に歓迎され、先鋭的なトップランナーとして当時の若者に支持されていました。この頃からのオールドファンは大島監督を孤高な反権力の闘士として仰いでいたわけですが、本人は「ポピュラーでありながらラディカルな激しい存在でありたい」という欲ばりな考えの持ち主でした。

こうした大衆性にくるんで先鋭的なものを人々に届けたいという意志は、彼が監督時代の初期から一貫して持ち続けていたものです。戦後左翼はポピュラリティを獲得しないまま隘路に入り敗北していった、独りよがりでは意味がない――そんな思いが根底にあったのではないでしょうか。例えば大江健三郎原作の社会派映画『飼育』(1961年)の黒人兵役にスター歌手ハリー・ベラフォンテを起用しようとしたり、『新宿泥棒日記』(1968年)で横尾忠則や唐十郎といった当時のアングラ・アイコンを起用するなど、作品自体は極めて作家的なのにジャーナリスティックな「記号」を盛って話題性を高めようとしました。

それから約20年後、大島監督はこの初志に則って、国際的なマーケットや映画祭を視野に入れた『戦メリ』の製作機会を開拓するに至りました。最初は当時の日本映画大作ブームにあやかって実現を図ろうとしたため、企画書段階ではオーソドックスな文藝大作という触れ込みで、出演候補として国内外の正統な大物俳優の名前が挙がっていました。しかし俳優陣の意向やスケジュールの関係から叶わず、直前になって坂本龍一とビートたけしの出演が決まりました。大島監督は坂本さんをもともと知らなかったようですが、人物のプレゼンスにかけては嗅覚が非常に鋭かった。そしてこのキャスティングが『戦メリ』に特異な作家性だけでなくポピュラリティを与える決定的な要素となりました。

『戦メリ』におけるポピュラリティの獲得は、かねて大島監督が願っていた観客との出会い方の1つの達成点だったかもしれません。それまで大島映画といえば、ミニシアターで厳かに上映されるアート作品というイメージでした。しかし『戦メリ』はセンセーショナルなキャスティングが威力絶大で、その作家的な内容にも関わらず、直前には『E.T.』という超ヒット作を上映していた洋画系の大劇場での公開が決定。オールドファンからは「奇を衒ったウケ狙いのキャスティングだ」といった批評もありましたが、やはり若い世代からは熱狂的な反応があり、特に少女達の高い支持を得たのです。上映初日の舞台挨拶では、少女達の歓声の中、大島監督が山本寛斎さんデザインの「THE OSHIMA GANG」Tシャツにバンダナという出立ちで、アイドルのように舞台に走って登場していました(笑)。

映画評論家は『戦メリ』を「東洋と西洋の文化的対立を描いた映画だ」と評していましたが、大島監督は「そんなものは描いていない」と一蹴。「これは人が人に惹かれていくことを描いた映画だ」と、性急でエッセンシャルな言葉で表現していました。さまざまなしがらみ、背負っているもの、プライド、ある種の巡り合わせなど……数々の困難な状況に束縛され、仮に最終的には成就しないとしても、理屈抜きに人間は人間に惹かれるものであると。

一方で『戦メリ』ファンの少女達は、初めて大島監督の映画に触れたにも拘らず、『戦メリ』を難解な作品としてではなく、このシンプルな本質を捉えていたのです。当時彼女達が大島監督宛に送った手紙には、そのことが一生懸命な言葉で綴られていました。大島監督もまた、「『戦メリ』を本当にわかってくれている」という感慨から、その手紙を大切に保管し、返事も書いていました。うざいオールドファンのように理屈やゴタクを並べることなく、一足飛びに物事の核心に向かう「性急さ」において、なんと大島と「戦メリ少女」達はシンクロしきっていたのです! 事ほどさように『戦メリ』は「ラディカルとポピュラリティの共存」という大島渚の理想が実現を見た作品と言えるでしょう。

大島監督が追求した「本物のプレゼンス」と、予定調和ではないバロック的バランス感覚

――坂本龍一さんやビートたけしさんは俳優経験がなかったからこそ、彼ら自身が『戦メリ』のシナリオや原作から受けた印象をストレートに反映させた、鮮烈な演技となったのでないかと思います。こうした非職業俳優の起用と映画作品としての完成を両立させる、大島監督のバランス感覚についてお聞かせください。

樋口:大島監督は「自分の指示にただ忠実なだけのスタッフはつまらない」という考えを持っており、出演者に対してもテクニカルな演技は望まず、想定外の何かを見せてくれることを期待していました。『戦メリ』撮影にあたって演技経験のないキャスト本人が不安そうな様子を見せても、自分はあなたの技巧ではなく存在感を買っているのだから大丈夫、あなたに任せる、と伝えていた。何も言わず相手に委ねることは、実は相手にとっては責任重大な注文でもあり、監督としても勇気のいる行為です。だからこそ、大島作品の俳優にはスリリングな出たとこ勝負ならではの演技の鮮やかさ、勢いがあります。

映画における演技の本質はテクニックではなく「プレゼンス」であるという持論から、大島監督はキャスティングの優先順位を「1に素人、2に歌うたい、3・4がなくて、5が映画スター」であると語っていました。素人を起用した最高傑作は『少年』(1969年)でしょう。主人公の少年役を探し求めて目黒の孤児院をたずね、実際の孤児を抜擢し、「本物のプレゼンス」を描き出した作品です。

また、大島監督は大体1ショットをわずか1〜2テイクで撮るので既成の俳優達は驚くのですが、これが非職業俳優の生きの良さを上手く捉えるんですね。一方でデヴィッド・ボウイも『戦メリ』ではところどころ彼独自の解釈によるユニークな演技を見せてくれますが、その良い意味での違和感を大島監督は喜んだことでしょう。

作品全体として『戦メリ』の構成はどこか不格好で、ある種バロック的な不均衡というか、精緻なシナリオを勢い任せで撮って、ザクザク繋いだような印象を受けます。例えば、独房に収容されたローレンスとセリアズが壁越しに対話するシーン。ローレンスの回想は短い口述にとどまり、セリアズの回想は詳細に映像で展開される。明らかに絵的にアンバランスです。というのも、本作で唯一女性が登場するローレンスの回想シーンは撮影してあったのにすべてカットされたんです。ここはたとえ作品としての均衡を欠いても、男性だけの映画にしたほうが作品が強くなると、大島監督が独自の感覚や生理を反映させた結果ですね。

この他『戦メリ』はキャスティング、ロケ地、撮影トラブル等、あらゆるアクシデントや変更をむしろ味方につけることで想定外の魅力へ向けて弾けていきました。その製作過程自体が、不器用に人々がぶつかりあい、やがて交感が開花する本作の物語と重なるように感じます。

『戦メリ』の世界観を完成させた音楽と美術

――本作の舞台設定は戦時下のジャワ島でありながらも、坂本龍一さんによる神秘的な楽曲と、美術監督の戸田重昌さんによるコンセプチュアルなセットによって、「世界のどこにも属していない場所」であるかのような印象を受けます。大島監督が本作を通して描きたかったという「一種のユートピア」が、まさに音楽と美術によって完成したように思います。

樋口:映画音楽史上に残る『戦メリ』の楽曲は、当初大島監督がデヴィッド・ボウイに製作を依頼したところ「出演に専念したい」と断られ、後に坂本さんが自発的に「音楽をやりたい」と申し出たことで誕生したものです。大島監督は音楽家に対してもオーダーや方向性を提示せず、作家の創造性との想定外の掛け算を期待していました。黒澤明監督のような、自分自身の中にある完成したイメージをもとに緻密な指示を出す映画監督とは正反対のタイプでした。

美術監督の戸田重昌さんは、あまりにもその美意識が特異に研ぎ澄まされていたために、ついに通俗的に要約されなかった人です。だから同時代の評論家のほとんどがその凄さに気付いてすらいなかった真の鬼才ですね。大島映画に漂う不穏なイメージの魅力は戸田さんの美術による効果が大きい。小林正樹監督の映画『怪談』(1964年)では、戸田さんの強烈なセンスが炸裂したセット造形に巨額の製作費がかかり、最終的に製作プロダクションが潰れてしまった……という逸話もあります。うわさを聞きつけた大島監督がそんな戸田さんにぜひ会ってみたいと思い、一体どんな奇人が来るのかと構えていたら、意外にも物静かで礼儀正しい佇まいの方で、これは本物の映画狂人だと(笑)彼に惚れ込んだようです。そして大島作品は作家性が強いだけに製作費は慎ましいことが多かったわけですが、戸田さんは予算をかけなくとも、その美意識を発揮できる特異な才能もありました。例えば風景の一点に異様なものを置く。さながら華道のように、風景を「生ける」ことで世界観を一変させる。他にこんな美術監督はいないでしょう。

『戦メリ』の映画美術にしても、よく見るとかなり異様な審美性に占められているのに、それが奇を衒った粉飾ではなく、あくまで作品の本質から導き出されたイメージなので驚くほど違和感がない。一番の具体例はあの主舞台となる収容所のセットで、観客は何も抵抗感なく観ているけれども、実際にはあんな収容所はあり得ません。というのも、あの原木とコンクリートと軍幕テントで構成されるセットは、まるでガラス張りの温室のようです。『戦メリ』原作の原題は“The Seed and the Sower (種子と蒔く者)”で、まさにこの収容所は対立する人々の心に和解の種子が蒔かれ、育まれてゆく舞台、すなわち温室なんですね。その本質を踏まえているからこそ、実際の収容所はあのような見た目ではないのに、当時のデヴィッド・ボウイも、坂本さんの付き添いで現地に行ったピーター・バラカンさんも、完成したセットを一見して全く違和感を覚えなかったそうです。

――今回の4K版ロードショーは、新たに現在の若い世代が『戦メリ』に出会うきっかけにもなりますね。

樋口:大島監督が『戦メリ』に込めた「人は人に惹かれるということ」「真の自由さを獲得することの困難さ」というテーマは、本作公開当時よりも「分断と格差の時代」と呼ばれる現在のほうが素直に理解されるのでは、と思っています。特にLGBTQの意識が標準装備されている若い世代は、かつての「戦メリ少女」達のように、この作品の本質をごく直截に、ヴィヴィッドに捉えるのではないでしょうか。初公開から40年を経た今回の公開劇場では、満員の若い観客が実に率直な感動を表明していて、この作品に時代がやっと追いついたと感じています。

■戦場のメリークリスマス 4K修復版
全国順次公開中
©大島渚プロダクション
公式サイト:unpfilm.com/senmeri2023

Direction Akio Kunisawa
Photography Hiroto Nagasawa

The post 『戦場のメリークリスマス』に見る「個」のプレゼンス 映画監督・評論家 樋口尚文インタヴュー appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
リアルストアの重要性と写真集の可能性とは 「ダシュウッド・ブックス」須々田美和インタヴュー https://tokion.jp/2023/01/08/dashwood-books-miwa-susuda/ Sun, 08 Jan 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=163093 NYのノーホー地区で17年間、写真集に特化してきた書店「ダシュウッド・ブックス」。長年マネジャーとして携わってきた須々田美和に場所やコミュニティ、対話の重要性について聞いた。

The post リアルストアの重要性と写真集の可能性とは 「ダシュウッド・ブックス」須々田美和インタヴュー appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
NYのソーホーに程近いボンドストリートの一角。1ブロック北には、かつてバスキアが住んでいた家があり、1ブロック南には故ロバート・フランクのスタジオがある。

目まぐるしく変化するNYで、「ダシュウッド・ブックス」は2005年から写真集を専門とする書店として一貫した姿勢で存在してきた。筆者が店を訪れた時は写真家のユルゲン・テラーが来店しており、須々田美和がコンサルティングをしていた。彼が創造したいイメージを理解し、それを拡張するような写真集を提案できるように、知識と経験を駆使した緊張感のある対話が繰り広げられていた。

その後、近所に住む写真家であるニック・セシが店を訪れた。数日前に「ダシュウッド・ブックス」では彼の本のサイン会があり、ピーター・サザーランドやジェイソン・ノシート等、多くのアーティストが出版のお祝いに訪れ、半地下の小さなスペースではさまざまな人々が行き交っていた。

情報技術が発達し、多くの人々が自らの便益をより優先する社会において、実店舗、場所、コミュニティ、対話の重要性とは何か。なぜ、アナログな手法で写真集を出版し続けるのか。

「ダシュウッド・ブックス」設立当初からマネージャーとして関わり、コンサルティングや出版において人の心を動かすことを主軸に置いてきた須々田の話から、身体的な対話を通して本質を的確に捉え、継承することの重要性が見えてくる。

須々田美和
1995年に渡米。ニューヨーク州立大学博物館学修士課程修了。ジャパン・ソサエティー、アジア・ソサエティー、ブルックリン・ミュージアム、クリスティーズにて研修員として勤務。2006年よりダシュウッド・ブックスのマネジャー、セッション・プレスのディレクターを務める。「Visual Study Workshop」等で日本の現代写真についての講演他、『IMA』では海外の写真事情を紹介する等、国内外のさまざまな写真専門雑誌や書籍に寄稿する。2021年より、ニューヨークのPenumbra Foundationでワークショップを開催し、ニューヨークのパーソンズ美術大学写真学部ポートフォリオレヴューのアドバイザー、2022年度の「The Paris Photo – Aperture Foundation Photobook Award」の審査員を務めた。
https://www.dashwoodbooks.com
https://www.sessionpress.com
Instagram: @miwasusuda

写真についての“ハブ”として、書店というアプローチから中心的な役割を担っている存在

−−「ダシュウッド・ブックス」の成り立ちについて教えてください。

須々田美和(以下、須々田):「ダシュウッド・ブックス」はマグナム財団の文化部門の主任であったデヴィッド・ストラトルが2005年9月にNYのノーホー地区に設立した書店です。彼は写真のコンサルティングの仕事に集中したいと考え、マグナム財団を辞めたのですが、お店を設立する前にたまたま東京で「オン・サンデーズ」という書店に立ち寄りました。

もともと、デヴィッドは写真のコンサルティングをするに当たりリアルな場所としてのお店が必要だと考えていて、「オン・サンデーズ」に出合った時に洗練された空間と専門的なセレクションに新しい書店の可能性を感じたようです。

デヴィッドはテナントをいろいろ探していたようですが、イースト・ヴィレッジに住んでいて、友人の紹介等もあって現在のボンド・ストリートでお店を始めることになりました。
近所にはロバート・フランクのスタジオがあったり、メイプルソープやバスキアが住んでいた家もあるので、そういった環境もお店を設立する上で重要だったと思います。

−−「ダシュウッド・ブックス」を設立した頃、写真集を専門とする独立系の書店は他にもありましたか?

須々田:「ダシュウッド・ブックス」を設立するタイミングは、まさに写真がフォーカスされるようになってきた時期であり、NYでは2000年の初頭に写真専門のギャラリーがチェルシーにでき始めたり、写真史の専門家であるアンドリュー・ロスが写真集についての百科事典のような書籍『The Book of 101 books』を出版したり、写真や写真集について徐々に関心が高まっていました。ただし独立系の書店は少なかったので、大手の書店が多かった中で写真に特化したお店を始めたのはすごくユニークだったと思います。

1990年頃特に人気が高かった、「Photographer’s Place (1979 – 2001)」という写真集に特化したお店がソーホーにありましたが、残念ながら「ダシュウッド・ブックス」が設立する前に閉店してしまいました。なので独立系の書店が全くなかったわけではなく、写真家やクリエイターがアートブックを求める土壌は存在していました。

NYには常にヴィジュアルからインスピレーションを得たいと思っている人々が集まっているので、そういうものを共有できる場所も必然的に求められているんです。

−−そういったNYの特性があったので、オン・サンデーズを訪れた時に書店を始めることへの手応えがあったのでしょうか?

須々田:最初はリテールの経験がなく、どのように人と接していけば良いのか知見もなかったため、現在の半分くらいのスペースで恐る恐る始めたようです。デヴィッドはイギリス出身なので、その国民性なのかメジャーなものより、エッジィでユニークなものを好む傾向があるように思います。それは、大多数が正しくて意味があると盲信する姿勢への反骨精神が元にあるのではないかと思います。

そのため当初の目的はアマゾンのように何でも売るのではなく、より専門的に自分が良いと思うものを、理解してくれる人に対して提案することでした。それは現在も変わらないと思います。

かつてPhotographer’s Placeで扱われていたのは、ウォーカー・エバンス、アンドレ・ケルテス、エドワード・ウェストン等、ミュージアムやオークション・ハウスで名前が挙がるような著名な作家や作品が中心でした。それに伴って、周辺のコレクターもクラシックな写真を求める保守的な嗜好を持つ人が大半でした。

一方、デヴィッドが求めていたのは、そういう伝統的なものから少し外れていたとしても、人の心を感動させる、ある意味でショッキングであったとしても記憶に残るような写真でした。もちろん彼もケルテスやエバンスは好きだと思いますが、それ以上に現代的なものに注目したのが彼自身のオリジナリティであり、とても挑戦的なことだったと思います。

−−デヴィッドの一貫した姿勢が「ダシュウッド・ブックス」の個性を形成しているのですね。

須々田:私が「ダシュウッド・ブックス」に参加した時、デヴィッドはテイストメーカーだと思いました。彼は常に自分が良いと思ったものを既成の評価に関係なく自信を持って紹介し、それによって実際に人が動いていたからです。彼の紹介した写真集に影響を受けた写真家が雑誌やキャンペーンで同じような表現をすることもあるので、メジャーな世界の創造性に影響を与えているということを実感します。

また、「ダシュウッド・ブックス」が常に大事にしていることの1つにメジャーになる前のアーティストのための場所になるということがあります。彼等はサブカルチャーやアンダーグランド等とネガティブな意味合いで扱われてしまうことがありますが、私達は積極的に応援してきました。だからこそ、「グッチ」やラグジュアリー・ホテルの「ザ・マーサー」等がデヴィッドのヴィジョンを信頼してコラボレーションをするのだと思います。

このように「ダシュウッド・ブックス」はデヴィッドの一貫した姿勢によって、企業やファッションブランド等も含め、新しいものを求めている人達にとても愛されているのだと思います。

−−デヴィッドが写真のコンサルティングを始めた時、例えばギャラリーではなく写真集や書店を通してやろうと思った理由は何だったのでしょうか?

須々田:書店の方がより民主的な環境を作り出せるからだと思います。「ダシュウッド・ブックス」には本を読むだけの人から数分で100万円を使ってしまう裕福な人まで収入格差に関係なく、創造性のある人々にとって分け隔てのない開かれた場所であると思います。顧客としてはアーティスト、写真家、デザイナー、大学教授、ミュージアムのキュレーター等、多種多様な人々になりますが、時には流行に敏感な若者等も訪れます。

もし、ギャラリーのような形態にしてしまうと学歴や経験等、希少価値がある程度高いコレクターが望むような限られたタイプの作家しか紹介できません。また、本当にお金のある人しか観る機会がなくなってしまうので、良さを伝えるための可能性が狭まってしまいます。本来アートというものは、時にアンチテーゼの精神に溢れていて前衛的であり、社会に認められ難い人が自分を表現するためのものだと思います。そしてそれに触れ合う機会を提供する場所があるべきなのです。そのために一番良い方法が書店だったということです。

−−「ダシュウッド・ブックス」では日本人作家の写真集も扱われていますが、それらはNYではどのように捉えられているのでしょうか?

須々田:海外で日本人作家の写真集を積極的に扱っていて、アメリカやヨーロッパの人達に向けて紹介しているのはNYでは珍しいと思います。

もちろん日本のヴィンテージの写真集を扱っているお店はアメリカやヨーロッパにもありますが、デヴィッドは例えば大竹伸朗さん等、当初NYではあまり知られてなかったアーティストについて、自分が本当に良いと思ったものを紹介しています。オークション・ギャラリーとか、商業目線で日本の写真集を集めている書店では、大竹さんを見つけ出すことはできなかったと思います。

デヴィッドはコロナ以前、年に1回は日本を訪れて書店を巡っていました。彼は写真や写真集を歴史や情報から捉えるのではなく、自分の目で見て理解することを大切にしています。

−−「ダシュウッド・ブックス」はどのような場所だと言えますか?

須々田:NYの書店であることにとどまらず、写真や写真集に魅力を感じる人々が世界中から集まる場所だと感じています。写真についてのハブとして、書店というアプローチからパリフォトやアパチャーのような、ある意味で中心的な役割を担っている存在だと思います。

コロナが勃発した時、多くのメディアでは実店舗の存在意義が問われ、ロックダウン中のNYでは高い家賃を払う意味を見出せず、多くの人がNYを離れることになりました。それでも私は実店舗の存在が必要と考えていたので、お店を開けることができなかった期間はとても不安でしたが、再開するまでじっと耐えていました。そしてコロナが落ち着き、お店を再開した時はNYに残ったクリエイター達がすぐに来店してくれたんです。

「ダシュウッド・ブックス」のお客さんは対話を求める人が多いので、AIやアマゾンではできないコミュニケーションが必要になります。マーケティングの視点だけで本を紹介するのではなく、対話を通して専門性を共有できる場所が実店舗の意義だと思います。会話を通して新たに発見できるものは多々ありますし、マーケティングやAIとは異なる観点から見えてくる写真や写真集は確実に存在します。

創造力というものは1+1が3にも4にもなるもので、何気ない会話や偶然によってもたらされることが多いと思います。実店舗はそのような対話を生み出せる。その点も「ダシュウッド・ブックス」の魅力だと思います。

また、「ダシュウッド・ブックス」ではメキシコ人、フランス人、アメリカ人等、さまざまな国籍やバックグラウンドを持ったスタッフが働いています。小さな会社なのにも関わらず、多様性を持ちながら個人のアイデンティティを生かしているのも人を惹きつける重要な要素であると感じています。

人に寄り添い、世界観を伝える

−−どのような経緯で「ダシュウッド・ブックス」で働き始めたのでしょうか。

須々田:「ダシュウッド・ブックス」で働く前は美術館やオークション・ハウス等で仕事をしていました。その経験から自分がNYのアートの世界で生き残るにはどうすればいいか、整理をすることができました。そこで得たのは、専門性を持つ、自分のバックグラウンドを100%生かせる分野に従事する、その2つをバックアップできる環境に身を置くという3つです。

私は10代の頃からアートの世界で自分のポジションを持ち、仕事を持つという目標を持っていました。写真がベストだと思ったのは、絵画や彫刻と比べて歴史は浅いので自分でも何か新しいことをやれるチャンスがあるのではと考えたことと、日本の写真は海外でもある程度評価されていたのでNYで働く日本人として写真に特化した仕事をするのが一番だと思いました。ただし自分をバックアップしてくれる環境は課題でした。

当時、美術館やギャラリー、オークション・ハウス等において、トップのキュレーターで日本人作家の写真の造詣が深い人を探すことはできませんでした。そんな中、チェルシーにある写真専門のギャラリー「Bruce Silverstein Gallery」でインターンをしていた時に、たまたまディレクターが「ダシュウッド・ブックス」のデヴィッドを紹介してくれました。デヴィッドと仕事する中で、彼の日本の写真へのリスペクトと愛情を理解することができ、「ダシュウッド・ブックス」は自分にとって先ほど述べた3つの条件がそろっている環境だと確信したため、この職場で自分の夢を叶えようと決めました。

−−ブックコンサルティングは「ダシュウッド・ブックス」の特徴の1つだと思います。この役割について教えてください。

須々田:「ダシュウッド・ブックス」では、写真や写真集という人の心を揺さぶる作品を扱っているので、ただ本を売るのではなく、1人ひとりのお客さんと継続して付き合える接客が大事だと考えています。相手が何を求めているのか会話を重ねることで理解し、その人に合った写真集を提案しています。

ブックコンサルティングをしていて気付いた事ですが、自分のバックグラウンドにすごく助けられていると感じています。日本人は行間とか空気を読むのが得意だと思うので、言葉の表面のみで理解するのではなく、その意味を想像しながらコミュニケーションをとる事ができます。論理的な筋道を立てて提案するのではなく、相手に寄り添い、本質を理解して提案できるのは、言葉を超えた力だと思います。

−−「セッション・プレス」という出版社を作り、NYで日本やアジアの写真家の作品を広める活動をされています。出版社を始めた経緯について教えてください。

須々田:NYでも森山大道や細江英公等、日本人作家の写真や写真集についてある程度認知されてますが情報が限られているため、自分が出版を通して紹介することができればと考え、セッション・プレスを始めました。

例えば、沖縄の写真家である石川真生さんは1980年代に素晴らしい写真集を発表していますが、廃版になっているため海外で目にすることは難しい。石川さんの作品の誠実さや強さ、明るさ、ありのままであることの美しさを多くの海外の人に知っていただきたく、彼女の写真集を出版しました。

写真集は展覧会のように物語を伝えることができるため、より多くの人に世界観が伝わるチャンスになると思っています。岡部桃さんや横田大輔さんの写真も本当に素晴らしいと思ったので写真集を作りましたが、彼等の海外での認知度も高めるサポートができたと感じています。

また、自分にとって出版というのは政治的な主張の側面もあります。アメリカにおいては、アジア人がアートだけに限らずその他の分野においてもですが、十分に評価されてない状況を見てきたので、そのような事態を打開できないかと考え、出版を続けています。写真集の出版という分野ではアジアや日本のバックグラウンドでも平等に評価してもらえると感じているので、写真集を継続して発表していくことで、世界にアジア人・日本人としてのプライドやクリエイティヴの高さを示せればと思っています。

リアルストア、コミュニティ、対話の重要性

−−情報化が発達しイメージのやり取りが簡単にオンラインで可能になった社会において、実店舗や写真集を制作することについてどのように考えていますか?

須々田:現在、SNSやインフルエンサーの影響が強くなり、与えられる情報だけをそのまま鵜呑みにして、自分で経験したり考えることが希薄になっているように感じます。また、多くの人が便利で効率的なものだけを求めたり、拝金主義であったり……マーケティング重視のものづくりや進め方はビジネスとしては理解できますが、アートの分野はそれだけではいけない。アーティスト自身や購入者がそういう考え方だとすると、本当に作品の良さは伝わらないと思います。

私は「ダシュウッド・ブックス」でコンサルティングを担当し、セッション・プレスでは写真集も制作していますが、効率だけを求めて仕事に取り組むことをしては、人を感動させるものは作れないと思っています。私は、売れるかどうかよりも人の心を動かすことを重視しているので、たとえ、世の中の基準から外れていても、作品に人の心を打つ強さがあると感じた時、その感動を伝えたいと願い写真集を制作します。それは、人が記憶として心に覚えていることは、どう感じたかが全てであると思うからです。感動というのは、事実の正確さに感動するのではなくて、自分の心がどう動いたかに拠ります。生きた記憶というのは、どれだけ個々人の心に響いたかを指し、それが芸術であることの全てだと思います。

また、現在さまざまな場面でSNSの声や大衆の目に対して過度に敏感になっているように感じます。「清く、正しく、美しく」のような風潮が強くなっていて、それは生き方全般に関わることについて至る所で見受けられます。自分が関わっている写真の分野では、たとえそれが「清く、正しく、美しく」なくても、人の心を揺さぶるようなものであれば、積極的に世の中に出していきたいと思っています。つまり、生身の人間というのは、もっと複雑で不合理で不確かであやうい存在であるのだから、それを封印するのは、アートという本来のあり方の逆のベクトルのことだと思うからです。

−−人に感動を与えるものを扱っているからこそ、リアルな場所やフィジカルなもの、コミュニケーションは本当に大事ですね。

須々田:岡部さんの写真集を作った時はナン・ゴールディンがすごく褒めてくれたり、石川さんの写真集の時はフランク・オーシャンがすごく気に入ってくれました。この反応を直接もらえるのは写真集を制作し、リアルな書店で働いているからこそだと思います。

写真集は作家の世界観を強く表現できるものとして、手触り、紙をめくる音、重量や触感、プリントや紙の匂い等を五感で感じながら、第六感としてのインスピレーションをフルに喚起できるものです。写真家が存在する限り、写真集も存在し続けると感じています。

音楽の場合も、実際にライヴで聴く時の感動はデータで聴くものとは根本的に違うと思います。状況によってはデジタルが良い場合もありますが、本当に理解したい、より感動したい場合はリアルに体験することが大事です。

自分の人生のミッションは、写真集という現場で人と繋がっていくことで、もちろんそれは、一生かけて全うしたいことですが、小さな殻に閉じこもるように自分のことばかり考えて、視野が狭くなることは、人として、さもしい生き方だと思います。自分を大切にすることは当然ですが、人に対する思いやりや気持ちに寄り添うこと、人間として最も重要な精神を決してなくさないようにしたいと思っています。

−−写真集の制作はアナログな手法で、非常に時間をかけたプロセスを経て行われているようですが、なぜこの手法を採用するのでしょうか?

須々田:利己主義に対するアンチテーゼの意味もありますが、人を感動させるためにはアナログな作り方が一番良いと考えているからです。なので、それがどんなに時間と労力がかかったとしても丁寧に行っています。

今製作中のウィン・シャの写真集の場合、2000くらいの写真を共有してもらい、どのイメージを使うか何度も話し合って決めます。写真集のコンセプトが決まると、使用するイメージを絞っていくのですが、まだ500くらいあるイメージをすべて紙に出力し分類していきます。編集作業は床、壁等、部屋全体を使って行います。最近の出版社はモニター画面だけでイメージを選別したりするので、私の制作プロセスとは大きく異なります。

写真集として大体の流れが決まるとモックアップを作って、それが実際にどのように見えるかを検証するフェーズになります。モックアップで初めてわかることが多々あるので、いつも何パターンか作ります。試行錯誤を繰り返すことで制作初期の青写真は進化していき、より良い写真集へと繋がっていきます。

現在「セッション・プレス」では、森山大道とウィン・シャという中国の写真家の写真集を制作しています。ウィン・シャは、1990年代から映画監督のウォン・カーウァイの作品で写真やグラフィックデザインに携わっていました。ウォン・カーウァイの映像だとクリストファー・ドイルが有名ですが、ウィン・シャもロケーション・フォトグラファーとして映画作品に大きく貢献し、素晴らしいスチール写真をたくさん残しています。ウィン・シャはスナップショットも多く撮っているので、彼から見た1990年代の香港というコンセプトで制作を進めています。香港が変わりつつあるので、決してノスタルジックなものを作るわけではないのですが、情勢を応援できるような作品になればいいなと考えています。

−−どういうタイミングで写真集は完成といえるのでしょうか?

須々田:写真集の制作は写真家とデザイナーと私のコラボレーションです。制作する写真集や写真家にふさわしいデザイナーを選び、3人で丁寧に対話を重ねながら進めます。最終的に全員が納得した状態になった時に写真集は完成といえるのではないかと思います。

写真集は、写真だけではなく、印刷、紙、デザイン、テキスト等も含めて制作するので、重要なのは誰かがイニシアチブを取るのではなく、3人がお互いをリスペクトしながらバランスよく進めることが理想です。ですが、写真家の意向を一番大事に考えながら制作は進めています。特にデザインやテキストについて、世界から評価を得るためには、日本やアジアだけではない感覚を入れることが大事です。その意味でも3者による相乗効果を発揮できるような表現をしていきたいと考えています。

−−写真家のニック・セシが設立した出版社から「ダシュウッド・ブックス」のお客さんを撮影した写真で写真集を制作しています(※1)。どのような経緯で出版するに至ったのでしょうか?

須々田:ニックが出版社を始めた時に私のInstagramの写真で写真集を作りたいという依頼がありました。私は写真家ではないので本当に驚きました。

ニックは18歳の頃から「ダシュウッド・ブックス」に通ってくれていて、彼自身が制作したZineを取り扱ったり、ずっと成長を見てきました。彼は「ダシュウッド・ブックス」や私がコミュニティを形成していることに本当に感謝してくれていて、「自分と同じような気持ちを持っている人がたくさんいるはずだから、写真集を作りたい。『ダシュウッド・ブックス』は僕たちにとってファミリーだから」と言ってくれました。それは私達にとって本当にありがたいオファーでした。

改めて完成した写真集を見るとみんな本当に良い笑顔をしていて、それは写りが良いとかではなくて、会話を通じてこの写真集を買ったという記念撮影のようなものだと思います。あの表情は彼等の「ダシュウッド・ブックス」に対する気持ちであり、1つひとつの写真から場所やコミュニティの豊かさについてよりリアルに感じる事ができる、良い写真集ができたと思います。

−−今後、「ダシュウッド・ブックス」をどのようにしていきたいですか?

須々田:今まで通り、お客さんと十分意見を交わすことができる創造的なコミュニティとしての存在をさらに成長させていくと同時に、それにふさわしい写真集をさらに充実させていきたいです 「ダシュウッド・ブックス」は現在のスペースとは別に、イースト・ヴィレッジにギャラリーをオープンする予定です。伝統的な意味でのギャラリーではなく、インスタレーションや実験的な作品等を扱って、ユニークな場所にしたいと考えています。「ダシュウッド・ブックス」の良いところは、これから出てくる新しい作品を積極的に取り入れていくところだと思うので、そういった作家を育てられるようにしていきたいです。

(※1)ニック・セシの出版社DAK0TAから、写真集『Some Of Miwa’s Favorite Dashwood Friends Of The Day』が出版され、Printed Matterが主催する今年の「NY Art Book Fair」でサイン会を行った。
https://www.dashwoodbooks.com/pages/books/24058/nick-sethi-miwa-susuda/some-of-miwa-s-favorite-dashwood-friends-of-the-day

Direction Akio Kunisawa
Photography Ayako Moriyama

The post リアルストアの重要性と写真集の可能性とは 「ダシュウッド・ブックス」須々田美和インタヴュー appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>