新しい実験ができる場「スーパーナチュラルデラックス」 マイク・クベック、フィル・キャッシュマン インタヴュー -前編-

西麻布で毎夜実験的なイベントを繰り広げていた伝説的なライヴ・スペース、「スーパー・デラックス」。灰野敬二、大友良英、山本精一−−日本のアンダーグラウンドシーンを代表するアーティストの拠点となったばかりでなく、ジム・オルークやアルヴィン・ルシエといった国際的な音楽家のライヴも行われる国内有数のカルチャー発信地であったが、入居ビルの建て替えに伴い、2019年に惜しまれつつも17年の歴史に幕を下ろした。

それから3年。2022年、「スーパー・デラックス」は千葉県鴨川市に移転し、音楽・食・自然環境・循環型農業・ローカルコミュニティが渾然一体となったハイブリッドなラボ、「スーパーナチュラルデラックス」として新たなスタートを切った。パーマカルチャーを基盤とした環境を作り、アーティストも観客も地域住民も参加し、「体験」を共有することで繋がっていく。音楽はその一部なのだ。プリミティヴでありながら創造性に富んだ「スーパーナチュラルデラックス」誕生の経緯について、代表マイク・クベックと共同代表のフィル・キャッシュマンにインタヴューを実施した。

前編は「スーパー・デラックス」が独自の発展を遂げていった背景についてマイク・クベックに話を訊いた。

「スーパーナチュラルデラックス」
アンダーグラウンドシーンを牽引する唯一無二の文化拠点として機能していた「スーパー・デラックス」はビルの建て替えに伴い惜しまれながらも2019年に閉店。その後、2020年から南房総の鴨川市で密かに準備してきた「新しい実験を出来る場」として、「スーパーナチュラルデラックス」を2022年9月に初公開した。「スーパー・デラックス」代表のマイク・クベックとパーマカルチャーAWA代表の本間フィル・キャッシュマンがコラボレーションする長期計画として、鴨川市の中心地に存在する登録有形文化財とその膨大な敷地を表現、教育、体験、研究、観照を提供する場所として蘇らせる。完成は数年先となるワーク・イン・プログレスで、地域や生態系の健康を重視する持続可能な運用・運営を実現するためのプロセスをワークショップなどで公開する予定だ。記念すべき初コンサートは石橋英子とジム・オルークが登場した。

ジャンルを超えた化学反応を生み出せる場所へ

−−東京のアンダーグラウンド・シーンの音楽が集結したスペース、西麻布の「スーパー・デラックス」の始まりについて伺います。

マイク・クベック(以下、マイク):1990年代前半、東京ではアンダーグラウンド・シーンが盛り上がっていて、法政大学の学生会館や中央線沿線、渋谷の「La. mama」等、各地で面白いイベントが行われていました。僕も毎晩のようにライブに行きました。

僕が大学でいたLAには、1980年代後半〜1990年代前半にかけて素晴らしいHip Hopシーンやクラブシーン、ロラパルーザのようなおもしろいイベントもありましたが、東京にはLAを凌駕するくらい、想像を超える音楽があったんです。ただ当時は単純に音楽が好きだというだけで、自分でライヴハウスをやろうという考えはありませんでした。

転機が訪れたのは1998年。クリエイティブ・ユニット「生意気」やクライン・ダイサム・アーキテクツ等と共に、麻布十番の倉庫を改造したシェアオフィス「デラックス」のスペースでクラフトビール「東京エール」の会社を始めることになり、そこで僕とビールの醸造家がライヴイベントを企画してビールを提供していました。

シェアオフィスは他にもインテリアデザイン会社「Spinoff」やDJ QUIETSTORMが使っていたんですが、全員の仕事が忙しくなり、ライヴのために共有スペースを占有するのが難しくなってきたので、2002年に移転、西麻布「スーパー・デラックス」をオープン。本来、ブルワリーとなるはずでしたが、東京エールのメンバーがその場所に更なる可能性を感じ、これまで観てきた即興音楽のライヴ等ができたら最高だと思った。それで結局ブルワリーではなくイベントスペースとして稼働させることにしたんです。これが「スーパー・デラックス」の始まりです。

−−当初から「スーパー・デラックス」では前衛的なイベントが行われていましたが、年を追うごとに界隈屈指のアーティストが出演するようになり、ますます内容が濃くなっていきました。マイクさんは「スーパー・デラックス」をどのような場にしたいと考えていたのでしょうか。

マイク:当初からぶれずに目指していたのは、音楽だけでなく、ダンス、写真、映像等、多様なジャンルのアーティストが異なる分野の人達と交流して自由な実験ができる場所を作ることですね。僕自身にはいろいろなジャンルのアーティストの友達がいたけど、彼らはお互いにあまり接点がなかった。彼らがジャンルを超えてコラボレーションしたらおもしろいんじゃないかと思ってたんです。そこで化学反応が起こりそうなアーティスト同士を同じプログラムの中に組み込み、自ずとお互いのショーを観れるようにしたりと、彼等が繋がるきっかけが生まれる工夫をしていました。

アーティストも観客も楽しめる、僕らも想像がつかない創造、実験ができる場所。インフラを作って環境を整えれば、未知の出会いが生まれ、新しいものを観れるのではないか。まさにそんな感じでした。

−−イベントのクリエイティヴィティや相互作用を高めるため、企画はどのように進めましたか?

マイク:アーティスト自身が「スーパー・デラックス」で実現したいことをサポートする姿勢が重要で、こちらの一存で企画を進めてもおもしろいものは生まれないと感じています。また、アーティストのことを熟知してから進めるのではなく、直感的に良さそうだと思ったら、まずはアーティストを信用してみる。そして本番で実際に良さを確認する。そうすることで僕にとっても観客にとっても「新しいもの」を見ることができる。ライブで初体験することがぜいたくなんです。

こうした企画の進め方はかなり実験的だと思うし、ディレクターとしても心配が尽きないけど、実験音楽や即興音楽は本来そういう性質のもの。このプロセスを楽しめなければ良いものはできないですね。

一方で、自分もいち観客としての視点を持っていて、どうしても自分が観たいからという理由でイベントを企画する場合もある。

例えば、漫画家の東陽片岡と劇団「鉄割アルバトロスケット」のコラボレーション。僕の主観だけど、彼等は何となく同じ世界観を持っているような気がしたので、「鉄割」のイベントのポスターを東陽氏に描いてもらうことにしたんです。そしたら打ち合わせの場で彼らがすっかり意気投合して、急遽東陽氏も舞台出演することに決まったんです。その後も東陽さんが鉄割のメンバーとして活動していた時期もあったし、ディレクター冥利につきますね。

−−唯一無二のイベントが毎晩のように繰り広げられていましたが、特に印象に残っている企画を教えてください。

マイク:たくさんあるけど、トニー・コンラッドと灰野敬二のデュオは本当に素晴らしかった。あとはウィレム・ブロイカー・コレクティフというオランダのビッグバンドの演奏に東京のダンスカンパニー「珍しいキノコ舞踊団」が出演した企画もコンサートとはまた違う、ダンス、音楽、パフォーマンスが融合したイベントになって思い出深いです。

カールステン・ニコライのライブも衝撃的な体験でした。映像と音のコラボレーションによって彼の世界観が表れていく、そのプロセスを間近で見ることができたんです。

「スーパー・デラックス」を通してさまざまなアーティストとコミュニケーションを取れたこと、表現の全プロセスが見られたことは誇りに思います。

人から人へ広がっていくコミュニティ

−−日本のみならず世界中のインディペンデントなアーティストが「スーパー・デラックス」に集結したのは希有なことだったと思います。どのように実現したのでしょうか。

マイク:それがクチコミなんです(笑)。出演者が「スーパー・デラックス」で良い体験をすると、その人がまた別のアーティストに勧めてくれるんです。

例えば、音楽家のカール・ストーンやフィル・ニブロック、ジム・オルークは素晴らしいアーティストと「スーパー・デラックス」を繋げてくれました。彼等の話を聞いたという有力なアーティストから連絡が来ることもあったし、たとえこちらが知らないアーティストでも、彼らの紹介であれば安心して企画を進められました。こうしてコミュニティがどんどん広がっていったんです。

最終的に西麻布のスペースは17年で営業を終えましたが、自分でも想定してなかった人脈が広がり、比類ないコミュニティが築けたと思います。今後さらに未知のアーティストを見出して、おもしろいショーを企画していきたいですね。

Photography Masashi Ura
Interview Akio Kunisawa
Edit Jun Ashizawa

author:

Nami Kunisawa

フリーランスで編集・執筆を行う。主に「Whitelies Magazine」(ベルリン)や「Replica Man Magazine」「Port Magazine」(ロンドン)等で、アート、ファッション、音楽、写真、建築等に関する記事に携わる。Instagram:@nami_kunisawa

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