リアルストアの重要性と写真集の可能性とは 「ダシュウッド・ブックス」須々田美和インタヴュー

NYのソーホーに程近いボンドストリートの一角。1ブロック北には、かつてバスキアが住んでいた家があり、1ブロック南には故ロバート・フランクのスタジオがある。

目まぐるしく変化するNYで、「ダシュウッド・ブックス」は2005年から写真集を専門とする書店として一貫した姿勢で存在してきた。筆者が店を訪れた時は写真家のユルゲン・テラーが来店しており、須々田美和がコンサルティングをしていた。彼が創造したいイメージを理解し、それを拡張するような写真集を提案できるように、知識と経験を駆使した緊張感のある対話が繰り広げられていた。

その後、近所に住む写真家であるニック・セシが店を訪れた。数日前に「ダシュウッド・ブックス」では彼の本のサイン会があり、ピーター・サザーランドやジェイソン・ノシート等、多くのアーティストが出版のお祝いに訪れ、半地下の小さなスペースではさまざまな人々が行き交っていた。

情報技術が発達し、多くの人々が自らの便益をより優先する社会において、実店舗、場所、コミュニティ、対話の重要性とは何か。なぜ、アナログな手法で写真集を出版し続けるのか。

「ダシュウッド・ブックス」設立当初からマネージャーとして関わり、コンサルティングや出版において人の心を動かすことを主軸に置いてきた須々田の話から、身体的な対話を通して本質を的確に捉え、継承することの重要性が見えてくる。

須々田美和
1995年に渡米。ニューヨーク州立大学博物館学修士課程修了。ジャパン・ソサエティー、アジア・ソサエティー、ブルックリン・ミュージアム、クリスティーズにて研修員として勤務。2006年よりダシュウッド・ブックスのマネジャー、セッション・プレスのディレクターを務める。「Visual Study Workshop」等で日本の現代写真についての講演他、『IMA』では海外の写真事情を紹介する等、国内外のさまざまな写真専門雑誌や書籍に寄稿する。2021年より、ニューヨークのPenumbra Foundationでワークショップを開催し、ニューヨークのパーソンズ美術大学写真学部ポートフォリオレヴューのアドバイザー、2022年度の「The Paris Photo – Aperture Foundation Photobook Award」の審査員を務めた。
https://www.dashwoodbooks.com
https://www.sessionpress.com
Instagram: @miwasusuda

写真についての“ハブ”として、書店というアプローチから中心的な役割を担っている存在

−−「ダシュウッド・ブックス」の成り立ちについて教えてください。

須々田美和(以下、須々田):「ダシュウッド・ブックス」はマグナム財団の文化部門の主任であったデヴィッド・ストラトルが2005年9月にNYのノーホー地区に設立した書店です。彼は写真のコンサルティングの仕事に集中したいと考え、マグナム財団を辞めたのですが、お店を設立する前にたまたま東京で「オン・サンデーズ」という書店に立ち寄りました。

もともと、デヴィッドは写真のコンサルティングをするに当たりリアルな場所としてのお店が必要だと考えていて、「オン・サンデーズ」に出合った時に洗練された空間と専門的なセレクションに新しい書店の可能性を感じたようです。

デヴィッドはテナントをいろいろ探していたようですが、イースト・ヴィレッジに住んでいて、友人の紹介等もあって現在のボンド・ストリートでお店を始めることになりました。
近所にはロバート・フランクのスタジオがあったり、メイプルソープやバスキアが住んでいた家もあるので、そういった環境もお店を設立する上で重要だったと思います。

−−「ダシュウッド・ブックス」を設立した頃、写真集を専門とする独立系の書店は他にもありましたか?

須々田:「ダシュウッド・ブックス」を設立するタイミングは、まさに写真がフォーカスされるようになってきた時期であり、NYでは2000年の初頭に写真専門のギャラリーがチェルシーにでき始めたり、写真史の専門家であるアンドリュー・ロスが写真集についての百科事典のような書籍『The Book of 101 books』を出版したり、写真や写真集について徐々に関心が高まっていました。ただし独立系の書店は少なかったので、大手の書店が多かった中で写真に特化したお店を始めたのはすごくユニークだったと思います。

1990年頃特に人気が高かった、「Photographer’s Place (1979 – 2001)」という写真集に特化したお店がソーホーにありましたが、残念ながら「ダシュウッド・ブックス」が設立する前に閉店してしまいました。なので独立系の書店が全くなかったわけではなく、写真家やクリエイターがアートブックを求める土壌は存在していました。

NYには常にヴィジュアルからインスピレーションを得たいと思っている人々が集まっているので、そういうものを共有できる場所も必然的に求められているんです。

−−そういったNYの特性があったので、オン・サンデーズを訪れた時に書店を始めることへの手応えがあったのでしょうか?

須々田:最初はリテールの経験がなく、どのように人と接していけば良いのか知見もなかったため、現在の半分くらいのスペースで恐る恐る始めたようです。デヴィッドはイギリス出身なので、その国民性なのかメジャーなものより、エッジィでユニークなものを好む傾向があるように思います。それは、大多数が正しくて意味があると盲信する姿勢への反骨精神が元にあるのではないかと思います。

そのため当初の目的はアマゾンのように何でも売るのではなく、より専門的に自分が良いと思うものを、理解してくれる人に対して提案することでした。それは現在も変わらないと思います。

かつてPhotographer’s Placeで扱われていたのは、ウォーカー・エバンス、アンドレ・ケルテス、エドワード・ウェストン等、ミュージアムやオークション・ハウスで名前が挙がるような著名な作家や作品が中心でした。それに伴って、周辺のコレクターもクラシックな写真を求める保守的な嗜好を持つ人が大半でした。

一方、デヴィッドが求めていたのは、そういう伝統的なものから少し外れていたとしても、人の心を感動させる、ある意味でショッキングであったとしても記憶に残るような写真でした。もちろん彼もケルテスやエバンスは好きだと思いますが、それ以上に現代的なものに注目したのが彼自身のオリジナリティであり、とても挑戦的なことだったと思います。

−−デヴィッドの一貫した姿勢が「ダシュウッド・ブックス」の個性を形成しているのですね。

須々田:私が「ダシュウッド・ブックス」に参加した時、デヴィッドはテイストメーカーだと思いました。彼は常に自分が良いと思ったものを既成の評価に関係なく自信を持って紹介し、それによって実際に人が動いていたからです。彼の紹介した写真集に影響を受けた写真家が雑誌やキャンペーンで同じような表現をすることもあるので、メジャーな世界の創造性に影響を与えているということを実感します。

また、「ダシュウッド・ブックス」が常に大事にしていることの1つにメジャーになる前のアーティストのための場所になるということがあります。彼等はサブカルチャーやアンダーグランド等とネガティブな意味合いで扱われてしまうことがありますが、私達は積極的に応援してきました。だからこそ、「グッチ」やラグジュアリー・ホテルの「ザ・マーサー」等がデヴィッドのヴィジョンを信頼してコラボレーションをするのだと思います。

このように「ダシュウッド・ブックス」はデヴィッドの一貫した姿勢によって、企業やファッションブランド等も含め、新しいものを求めている人達にとても愛されているのだと思います。

−−デヴィッドが写真のコンサルティングを始めた時、例えばギャラリーではなく写真集や書店を通してやろうと思った理由は何だったのでしょうか?

須々田:書店の方がより民主的な環境を作り出せるからだと思います。「ダシュウッド・ブックス」には本を読むだけの人から数分で100万円を使ってしまう裕福な人まで収入格差に関係なく、創造性のある人々にとって分け隔てのない開かれた場所であると思います。顧客としてはアーティスト、写真家、デザイナー、大学教授、ミュージアムのキュレーター等、多種多様な人々になりますが、時には流行に敏感な若者等も訪れます。

もし、ギャラリーのような形態にしてしまうと学歴や経験等、希少価値がある程度高いコレクターが望むような限られたタイプの作家しか紹介できません。また、本当にお金のある人しか観る機会がなくなってしまうので、良さを伝えるための可能性が狭まってしまいます。本来アートというものは、時にアンチテーゼの精神に溢れていて前衛的であり、社会に認められ難い人が自分を表現するためのものだと思います。そしてそれに触れ合う機会を提供する場所があるべきなのです。そのために一番良い方法が書店だったということです。

−−「ダシュウッド・ブックス」では日本人作家の写真集も扱われていますが、それらはNYではどのように捉えられているのでしょうか?

須々田:海外で日本人作家の写真集を積極的に扱っていて、アメリカやヨーロッパの人達に向けて紹介しているのはNYでは珍しいと思います。

もちろん日本のヴィンテージの写真集を扱っているお店はアメリカやヨーロッパにもありますが、デヴィッドは例えば大竹伸朗さん等、当初NYではあまり知られてなかったアーティストについて、自分が本当に良いと思ったものを紹介しています。オークション・ギャラリーとか、商業目線で日本の写真集を集めている書店では、大竹さんを見つけ出すことはできなかったと思います。

デヴィッドはコロナ以前、年に1回は日本を訪れて書店を巡っていました。彼は写真や写真集を歴史や情報から捉えるのではなく、自分の目で見て理解することを大切にしています。

−−「ダシュウッド・ブックス」はどのような場所だと言えますか?

須々田:NYの書店であることにとどまらず、写真や写真集に魅力を感じる人々が世界中から集まる場所だと感じています。写真についてのハブとして、書店というアプローチからパリフォトやアパチャーのような、ある意味で中心的な役割を担っている存在だと思います。

コロナが勃発した時、多くのメディアでは実店舗の存在意義が問われ、ロックダウン中のNYでは高い家賃を払う意味を見出せず、多くの人がNYを離れることになりました。それでも私は実店舗の存在が必要と考えていたので、お店を開けることができなかった期間はとても不安でしたが、再開するまでじっと耐えていました。そしてコロナが落ち着き、お店を再開した時はNYに残ったクリエイター達がすぐに来店してくれたんです。

「ダシュウッド・ブックス」のお客さんは対話を求める人が多いので、AIやアマゾンではできないコミュニケーションが必要になります。マーケティングの視点だけで本を紹介するのではなく、対話を通して専門性を共有できる場所が実店舗の意義だと思います。会話を通して新たに発見できるものは多々ありますし、マーケティングやAIとは異なる観点から見えてくる写真や写真集は確実に存在します。

創造力というものは1+1が3にも4にもなるもので、何気ない会話や偶然によってもたらされることが多いと思います。実店舗はそのような対話を生み出せる。その点も「ダシュウッド・ブックス」の魅力だと思います。

また、「ダシュウッド・ブックス」ではメキシコ人、フランス人、アメリカ人等、さまざまな国籍やバックグラウンドを持ったスタッフが働いています。小さな会社なのにも関わらず、多様性を持ちながら個人のアイデンティティを生かしているのも人を惹きつける重要な要素であると感じています。

人に寄り添い、世界観を伝える

−−どのような経緯で「ダシュウッド・ブックス」で働き始めたのでしょうか。

須々田:「ダシュウッド・ブックス」で働く前は美術館やオークション・ハウス等で仕事をしていました。その経験から自分がNYのアートの世界で生き残るにはどうすればいいか、整理をすることができました。そこで得たのは、専門性を持つ、自分のバックグラウンドを100%生かせる分野に従事する、その2つをバックアップできる環境に身を置くという3つです。

私は10代の頃からアートの世界で自分のポジションを持ち、仕事を持つという目標を持っていました。写真がベストだと思ったのは、絵画や彫刻と比べて歴史は浅いので自分でも何か新しいことをやれるチャンスがあるのではと考えたことと、日本の写真は海外でもある程度評価されていたのでNYで働く日本人として写真に特化した仕事をするのが一番だと思いました。ただし自分をバックアップしてくれる環境は課題でした。

当時、美術館やギャラリー、オークション・ハウス等において、トップのキュレーターで日本人作家の写真の造詣が深い人を探すことはできませんでした。そんな中、チェルシーにある写真専門のギャラリー「Bruce Silverstein Gallery」でインターンをしていた時に、たまたまディレクターが「ダシュウッド・ブックス」のデヴィッドを紹介してくれました。デヴィッドと仕事する中で、彼の日本の写真へのリスペクトと愛情を理解することができ、「ダシュウッド・ブックス」は自分にとって先ほど述べた3つの条件がそろっている環境だと確信したため、この職場で自分の夢を叶えようと決めました。

−−ブックコンサルティングは「ダシュウッド・ブックス」の特徴の1つだと思います。この役割について教えてください。

須々田:「ダシュウッド・ブックス」では、写真や写真集という人の心を揺さぶる作品を扱っているので、ただ本を売るのではなく、1人ひとりのお客さんと継続して付き合える接客が大事だと考えています。相手が何を求めているのか会話を重ねることで理解し、その人に合った写真集を提案しています。

ブックコンサルティングをしていて気付いた事ですが、自分のバックグラウンドにすごく助けられていると感じています。日本人は行間とか空気を読むのが得意だと思うので、言葉の表面のみで理解するのではなく、その意味を想像しながらコミュニケーションをとる事ができます。論理的な筋道を立てて提案するのではなく、相手に寄り添い、本質を理解して提案できるのは、言葉を超えた力だと思います。

−−「セッション・プレス」という出版社を作り、NYで日本やアジアの写真家の作品を広める活動をされています。出版社を始めた経緯について教えてください。

須々田:NYでも森山大道や細江英公等、日本人作家の写真や写真集についてある程度認知されてますが情報が限られているため、自分が出版を通して紹介することができればと考え、セッション・プレスを始めました。

例えば、沖縄の写真家である石川真生さんは1980年代に素晴らしい写真集を発表していますが、廃版になっているため海外で目にすることは難しい。石川さんの作品の誠実さや強さ、明るさ、ありのままであることの美しさを多くの海外の人に知っていただきたく、彼女の写真集を出版しました。

写真集は展覧会のように物語を伝えることができるため、より多くの人に世界観が伝わるチャンスになると思っています。岡部桃さんや横田大輔さんの写真も本当に素晴らしいと思ったので写真集を作りましたが、彼等の海外での認知度も高めるサポートができたと感じています。

また、自分にとって出版というのは政治的な主張の側面もあります。アメリカにおいては、アジア人がアートだけに限らずその他の分野においてもですが、十分に評価されてない状況を見てきたので、そのような事態を打開できないかと考え、出版を続けています。写真集の出版という分野ではアジアや日本のバックグラウンドでも平等に評価してもらえると感じているので、写真集を継続して発表していくことで、世界にアジア人・日本人としてのプライドやクリエイティヴの高さを示せればと思っています。

リアルストア、コミュニティ、対話の重要性

−−情報化が発達しイメージのやり取りが簡単にオンラインで可能になった社会において、実店舗や写真集を制作することについてどのように考えていますか?

須々田:現在、SNSやインフルエンサーの影響が強くなり、与えられる情報だけをそのまま鵜呑みにして、自分で経験したり考えることが希薄になっているように感じます。また、多くの人が便利で効率的なものだけを求めたり、拝金主義であったり……マーケティング重視のものづくりや進め方はビジネスとしては理解できますが、アートの分野はそれだけではいけない。アーティスト自身や購入者がそういう考え方だとすると、本当に作品の良さは伝わらないと思います。

私は「ダシュウッド・ブックス」でコンサルティングを担当し、セッション・プレスでは写真集も制作していますが、効率だけを求めて仕事に取り組むことをしては、人を感動させるものは作れないと思っています。私は、売れるかどうかよりも人の心を動かすことを重視しているので、たとえ、世の中の基準から外れていても、作品に人の心を打つ強さがあると感じた時、その感動を伝えたいと願い写真集を制作します。それは、人が記憶として心に覚えていることは、どう感じたかが全てであると思うからです。感動というのは、事実の正確さに感動するのではなくて、自分の心がどう動いたかに拠ります。生きた記憶というのは、どれだけ個々人の心に響いたかを指し、それが芸術であることの全てだと思います。

また、現在さまざまな場面でSNSの声や大衆の目に対して過度に敏感になっているように感じます。「清く、正しく、美しく」のような風潮が強くなっていて、それは生き方全般に関わることについて至る所で見受けられます。自分が関わっている写真の分野では、たとえそれが「清く、正しく、美しく」なくても、人の心を揺さぶるようなものであれば、積極的に世の中に出していきたいと思っています。つまり、生身の人間というのは、もっと複雑で不合理で不確かであやうい存在であるのだから、それを封印するのは、アートという本来のあり方の逆のベクトルのことだと思うからです。

−−人に感動を与えるものを扱っているからこそ、リアルな場所やフィジカルなもの、コミュニケーションは本当に大事ですね。

須々田:岡部さんの写真集を作った時はナン・ゴールディンがすごく褒めてくれたり、石川さんの写真集の時はフランク・オーシャンがすごく気に入ってくれました。この反応を直接もらえるのは写真集を制作し、リアルな書店で働いているからこそだと思います。

写真集は作家の世界観を強く表現できるものとして、手触り、紙をめくる音、重量や触感、プリントや紙の匂い等を五感で感じながら、第六感としてのインスピレーションをフルに喚起できるものです。写真家が存在する限り、写真集も存在し続けると感じています。

音楽の場合も、実際にライヴで聴く時の感動はデータで聴くものとは根本的に違うと思います。状況によってはデジタルが良い場合もありますが、本当に理解したい、より感動したい場合はリアルに体験することが大事です。

自分の人生のミッションは、写真集という現場で人と繋がっていくことで、もちろんそれは、一生かけて全うしたいことですが、小さな殻に閉じこもるように自分のことばかり考えて、視野が狭くなることは、人として、さもしい生き方だと思います。自分を大切にすることは当然ですが、人に対する思いやりや気持ちに寄り添うこと、人間として最も重要な精神を決してなくさないようにしたいと思っています。

−−写真集の制作はアナログな手法で、非常に時間をかけたプロセスを経て行われているようですが、なぜこの手法を採用するのでしょうか?

須々田:利己主義に対するアンチテーゼの意味もありますが、人を感動させるためにはアナログな作り方が一番良いと考えているからです。なので、それがどんなに時間と労力がかかったとしても丁寧に行っています。

今製作中のウィン・シャの写真集の場合、2000くらいの写真を共有してもらい、どのイメージを使うか何度も話し合って決めます。写真集のコンセプトが決まると、使用するイメージを絞っていくのですが、まだ500くらいあるイメージをすべて紙に出力し分類していきます。編集作業は床、壁等、部屋全体を使って行います。最近の出版社はモニター画面だけでイメージを選別したりするので、私の制作プロセスとは大きく異なります。

写真集として大体の流れが決まるとモックアップを作って、それが実際にどのように見えるかを検証するフェーズになります。モックアップで初めてわかることが多々あるので、いつも何パターンか作ります。試行錯誤を繰り返すことで制作初期の青写真は進化していき、より良い写真集へと繋がっていきます。

現在「セッション・プレス」では、森山大道とウィン・シャという中国の写真家の写真集を制作しています。ウィン・シャは、1990年代から映画監督のウォン・カーウァイの作品で写真やグラフィックデザインに携わっていました。ウォン・カーウァイの映像だとクリストファー・ドイルが有名ですが、ウィン・シャもロケーション・フォトグラファーとして映画作品に大きく貢献し、素晴らしいスチール写真をたくさん残しています。ウィン・シャはスナップショットも多く撮っているので、彼から見た1990年代の香港というコンセプトで制作を進めています。香港が変わりつつあるので、決してノスタルジックなものを作るわけではないのですが、情勢を応援できるような作品になればいいなと考えています。

−−どういうタイミングで写真集は完成といえるのでしょうか?

須々田:写真集の制作は写真家とデザイナーと私のコラボレーションです。制作する写真集や写真家にふさわしいデザイナーを選び、3人で丁寧に対話を重ねながら進めます。最終的に全員が納得した状態になった時に写真集は完成といえるのではないかと思います。

写真集は、写真だけではなく、印刷、紙、デザイン、テキスト等も含めて制作するので、重要なのは誰かがイニシアチブを取るのではなく、3人がお互いをリスペクトしながらバランスよく進めることが理想です。ですが、写真家の意向を一番大事に考えながら制作は進めています。特にデザインやテキストについて、世界から評価を得るためには、日本やアジアだけではない感覚を入れることが大事です。その意味でも3者による相乗効果を発揮できるような表現をしていきたいと考えています。

−−写真家のニック・セシが設立した出版社から「ダシュウッド・ブックス」のお客さんを撮影した写真で写真集を制作しています(※1)。どのような経緯で出版するに至ったのでしょうか?

須々田:ニックが出版社を始めた時に私のInstagramの写真で写真集を作りたいという依頼がありました。私は写真家ではないので本当に驚きました。

ニックは18歳の頃から「ダシュウッド・ブックス」に通ってくれていて、彼自身が制作したZineを取り扱ったり、ずっと成長を見てきました。彼は「ダシュウッド・ブックス」や私がコミュニティを形成していることに本当に感謝してくれていて、「自分と同じような気持ちを持っている人がたくさんいるはずだから、写真集を作りたい。『ダシュウッド・ブックス』は僕たちにとってファミリーだから」と言ってくれました。それは私達にとって本当にありがたいオファーでした。

改めて完成した写真集を見るとみんな本当に良い笑顔をしていて、それは写りが良いとかではなくて、会話を通じてこの写真集を買ったという記念撮影のようなものだと思います。あの表情は彼等の「ダシュウッド・ブックス」に対する気持ちであり、1つひとつの写真から場所やコミュニティの豊かさについてよりリアルに感じる事ができる、良い写真集ができたと思います。

−−今後、「ダシュウッド・ブックス」をどのようにしていきたいですか?

須々田:今まで通り、お客さんと十分意見を交わすことができる創造的なコミュニティとしての存在をさらに成長させていくと同時に、それにふさわしい写真集をさらに充実させていきたいです 「ダシュウッド・ブックス」は現在のスペースとは別に、イースト・ヴィレッジにギャラリーをオープンする予定です。伝統的な意味でのギャラリーではなく、インスタレーションや実験的な作品等を扱って、ユニークな場所にしたいと考えています。「ダシュウッド・ブックス」の良いところは、これから出てくる新しい作品を積極的に取り入れていくところだと思うので、そういった作家を育てられるようにしていきたいです。

(※1)ニック・セシの出版社DAK0TAから、写真集『Some Of Miwa’s Favorite Dashwood Friends Of The Day』が出版され、Printed Matterが主催する今年の「NY Art Book Fair」でサイン会を行った。
https://www.dashwoodbooks.com/pages/books/24058/nick-sethi-miwa-susuda/some-of-miwa-s-favorite-dashwood-friends-of-the-day

Direction Akio Kunisawa
Photography Ayako Moriyama

author:

Nami Kunisawa

フリーランスで編集・執筆を行う。主に「Whitelies Magazine」(ベルリン)や「Replica Man Magazine」「Port Magazine」(ロンドン)等で、アート、ファッション、音楽、写真、建築等に関する記事に携わる。Instagram:@nami_kunisawa

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