不断かつボーダレスなアートの追究 クリストフ・ブルンケル インタヴュー

1992年に創刊した前衛的なインディペンデント・カルチャー誌「Purple」やフランスで最も伝統ある全国紙「Le Figaro」、ファッションブランド、写真家の作品集等、多方面でアート・ディレクターを務めてきたクリストフ・ブルンケル。自分自身もアーティストとしてコラージュ作品やペインティングの制作を長年続けている。

マルチなアビリティを発揮する中、彼は実にシンプルに、そして純粋に、一貫して「アート」を追究している。例えば雑誌という定型で繰り返される慣習にアートの文法を持ち込んだ「Purple」は、雑誌がアートピースになり得ることを世に示したモニュメントである。また写真やファッションにおいても、特筆すべき感性が表出する瞬間を鋭く連続的に捉えてエネルギーの潮流を作り出す。これは他ならぬ、自身のアーティストの眼をもってして行われる創造行為だ。

今回、彼は30年以上にわたるキャリアの集大成として、コラージュ作品のアートブック『EX PURPLE EX FIGARO』を発表した。フロイト的な深層心理世界を想起させるイメージ群は、サイケデリックな刺激とユーモアを伴い我々の意識に突き刺さる。その制作背景やアートに対する姿勢、アーティストとディレクターに共通する視点等について、来日したクリストフに話を訊いた。

クリストフ・ブルンケル
1969年パリ生まれ。表現活動は、コンテンポラリー・アーティスト、クリエイティブ&アート・ディレクターとして多岐にわたる。今年9月にピカソ美術館 (Musée National Picasso-Paris)で開催されるピカソ没後50周年記念展のアートディレクターに就任。自身のアート作品を「Le Consortium」等多数のギャラリーで毎年発表。ソフィ・カルなどアーティストのアート・ディレクションも手掛ける。

創造行為のプリンシプル。挑戦と不快感から生じる興、直感に対する瞬発力

−−「Purple」のアートディレクションを15年間務められた後、フランスで最も長い歴史を持つ主要新聞「Le Figaro」におけるクリエイティヴ・ディレクションを15年間手掛けられていました。全く背景・環境・読者が異なる2つのメディアにおいて、ご自身の中にどのような基軸を持って取り組んでいらっしゃいましたか。

クリストフ・ブルンケル(以下クリストフ):アヴァンギャルドな「Purple」とクラシックな「FIGARO」には全く異なるユニヴァースがあるので、50:50のバランスで関われたのは自分にとって良いことでした。どちらかといえば保守的な家庭で育ってきた僕自身のバックグラウンドも関係していると思います。

「Purple」はヴィジュアル重視の媒体。グラフィックやレイアウトを自由に決めることができたので、コラージュ的な発想で誌面に活字やイメージを貼り付けていく実験的な手法で制作し、フォーマットも判型も毎回変えて、同じルーティンに留めないようにしていました。
雑誌を印刷する行為は「モダニズムの到達点」だと考えています。紙は、その1枚1枚が特別な価値を有するべきで、特別でなければ印刷するに値しない。「Purple」はそうした思考・姿勢で制作していました。マガジンはアート作品と同じであり、僕はその間に全く線を引いていない。アート作品だからこそ人はそれを集めたくなるし、保管したくなる。そういう気持ちを起こさせるものであるべきです。

一方「Figaro」はライティングを重んじるクラシックな媒体故、「Purple」のようにアートとしての実験ができなかったので、仕事の合間を縫って個人的な作品としてコラージュ制作に取り組んでいたんです。仕事中に絵画を描いたりしたら皆びっくりしちゃうから(笑)。オフィスに届くガーディアン紙や「NYタイムズ」など世界中の主要メディアの新聞を素材に使っていて、これまでにコラージュ作品集を8冊制作、合計約35,000枚の新聞紙を作品に使ったんじゃないかな。

−−大衆紙の既存イメージ群を再構築して制作された、少し悪夢的な中毒性を持ったコラージュ作品を通して、「見せる技術」の定着と予定調和的な傾向が見て取れる近年のメディア、読者へ混沌の一石を投じていらっしゃるかと思います。コラージュを作る時、テーマにしていることはありますか?

クリストフ:「不快感」。これは僕にとって重大な要素です。心地よい状態にいることに居心地の悪さを感じる。いろいろなブランドでクリエイティヴ・ディレクターを務めてきたけど、常にこの感覚を大事にしてきました。椅子に座る時でさえ座面の半分にだけ腰掛けて不快感を味わうようにしていて、自宅にもソファを置いてないんです(笑)。

−−今回のコラージュ作品「EX PURPLE EX FIGARO」はクリストフさんの潜在意識下での表現プロセスの一端を辿ることのできる貴重な機会でもあると思っています。創作活動における視点、姿勢についてお聞かせください。

クリストフ:幼い頃から静かにしていられない、何かしてないと気が済まない性分で、とにかく常に動いていたし、今も変わりません。クリエイティヴ・ディレクターにはムードボードを作り、ゆっくり腰を据えて制作する人もいますが、僕の場合は違う。ドローイングやペインティングは思考の具現化ではないんです。とにかく考えるより先に手を動かす。ダダイズムの手法の1つ、自動筆記の感覚に近い。

アンフォルメルの抽象画家ハンス・アルトゥングは「ドローイングを描く行為は稲妻に取りつかれたようなものだ」と言っていました。創造性は稲妻と同様、激しくエネルギーに満ち溢れたものであるべきです。

創作における直感はすぐに消えてしまうので、とにかくスピードが肝要。アメリカ文学を代表する小説家、フィリップ・ロスは立ったまま執筆していたし、マルグリット・デュラスは1日のうち、まだ言葉を発する前の早朝に執筆活動を始めていた。バスキアやミロは絵画を1日のうちに描き終えるようにしていたそうです。

また、常に孤独に仕事に没頭していたいという思いがあります。「VOGUE」の創始者アーサー・ボールドウィンによれば、より大成したアーティストであればあるほど、孤独に耐える力が強いそうです。『アメリカン・サイコ』の作者ブレット・イーストン・エリスも、僕の個人的見解では友達と週末バーベキューするような人物ではなく、常に孤独に耐えながら仕事をしている人物だと思います(笑)。

−−コラージュ作品以外にも絵画や彫刻など、多くのアート作品を制作され続けていると伺いました。具体的にどのような作品群なのでしょうか。

クリストフ:具象画ではなくモノクロを中心とした抽象画を描いています。ウィリアム・デ・クーニングやハンス・アルトゥング、ジャクソン・ポロック等の抽象画が好きですね。最近は白いキャンバスに赤い丸印を描いたコンセプチュアルアートを作っています。ギャラリーでは“sold”の印として作品の枠外に赤い丸印を付けますが、それを逆に作品にして、「アートを売る」という概念、アートの制度を皮肉ったもの。この作品の展覧会を6月にパリで開催する予定です。

−−クリストフさんがアートを作り続ける原動力は何なのでしょうか。

クリストフ:継続するためのエナジー、それは常に新しい玩具を見つけることと常に心地の悪い実験的な状態であり続けること。僕の敬愛するピカソ曰く「獄中でペンもインクもない状況だろうと、唾で絵が描ける」と。その時々の状況によって何かしら創造を続けることが重要です。

また自分にとって本を作ることは、新しいことに向かうための1つの区切り。制作している最中は集中し、1冊の本を作り終えると、次の新しいチャプターに移るという感覚ですね。

アートは仕立てるものではなく、自由な感性のシナジーによって創られる

−−「Purple」はあらゆるカルチャーを横断し雑誌の可能性を拡張するような存在で、ティルマンスやボズウィック、高橋恭司さんをはじめとした異彩を放つアーティスト達と、駆け出しの頃からコラボレーションしています。どのような観点で彼等を起用したのでしょうか?

クリストフ:「Purple」にせよ「Figaro」にせよ、雑誌を作る時は才能のある写真家と協働することが重要です。アートを作るためにはアーティストと仕事をしなければならない。ティルマンスもボズウィックも高橋恭司さんも写真家でありながら、よりアーティストに近い自由な感覚で写真に向き合っている。「Purple」の時は写真家というよりアーティストとコラボレーションをするつもりで彼等と一緒に仕事をしていました。

−−アート創作とアート・ディレクションにおける感覚の共通点を言語化するとしたら、どのような言葉で表せますか?

クリストフ:高橋恭司さんは写真家であると同時に絵も描いていますけど、彼が自身の絵をグラフィティと呼ぶことに大いに賛同します。グラフィティはエナジーに満ちている。僕はペインターでもありますけど、描いているものはペインティングというよりグラフィティに近い。グラフィティは自意識をこじらせていない、“too much”ではないもの。感覚そのものを映し出す、自然かつ自発的なもので、考える前に描くもの。アートディレクションにおけるレイアウトも同様です。

愛をこめた純粋な行為、その美しさと力強さ

−−日本人フォトグラファーのディレクションも手掛けられていますが、クリストフさんは日本のクリエイティヴシーンをどのように捉えていらっしゃいますか?

クリストフ:日本の写真家は本当に素晴らしいです。荒木経惟が「写真は撮る対象への愛である」と言ったように、撮る対象をどれだけ愛して写真を撮れるか、それがいい写真の条件だと考えています。日本の写真家からは被写体に対する強い愛を感じる。非常に美しいことです。

高橋恭司さんの本を作った時、鳥の写真がありました。その写真から、彼の鳥への愛、被写体への愛が伝わってきて、大変美しいと感じました。被写体への愛を一番持っているのは日本の写真家だと思います。

−−クリストフさんは30年以上、アートディレクターとして特異な存在感を放ち続けていらっしゃいました。今後の長期的なヴィジョンについてお聞かせください。

クリストフ:まず、ブロッコリーをたくさん食べる(笑)。これはジョークではなくて、ブロッコリーは優れた栄養素を含んだ野菜です。良い作品を作るためには健康が第一。村上春樹さんが健康のためにジョギングしているように、僕もシンプルで健康的な生活をしています。飲酒は白ワインを週に1回飲むくらい。朝は糖分を摂らずにチーズとブロッコリーを食べる。夜にチーズを食べるのは体に良くないですよ。

アート活動に関しては、白いキャンバスに赤い印を描く絵画の制作を続けていきたい。また、哲学者の曽祖父フェリシアン・シャレーが日本について書いた著書を複数出版しているのですが、彼の著書『Le Cœur japonais』(Paris, Payot, 1927)と同じタイトルで雑誌を作りたいと考えています。あとは日本でクリエイティヴ・ディレクションの仕事をしたいです。常に複数の仕事に携わることが大切で、どれか1つが不調でも、他に心を委ね、バランスを保つことができますから。

Photography Kyoji Takahashi
Interview Akio Kunisawa
Edit Jun Ashizawa(TOKION)
Translation Shinichiro Sato(TOKION)

author:

Nami Kunisawa

フリーランスで編集・執筆を行う。主に「Whitelies Magazine」(ベルリン)や「Replica Man Magazine」「Port Magazine」(ロンドン)等で、アート、ファッション、音楽、写真、建築等に関する記事に携わる。Instagram:@nami_kunisawa

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