細田 成嗣, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/narushi-hosoda/ Thu, 15 Feb 2024 08:28:57 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 細田 成嗣, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/narushi-hosoda/ 32 32 「10年後はないかもしれない」大友良英、60代半ばで到達したギター&ターンテーブルの自在境 -後編- https://tokion.jp/2023/12/27/interview-yoshihide-otomo-part2/ Wed, 27 Dec 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=218624 35年以上にわたって唯一無二のキャリアを築いてきた音楽家・大友良英インタヴュー後編。ほぼ前人未踏だったと言っていい実験的ターンテーブル奏者としての活動を中心に話を訊く。

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大友良英
1959年生まれ。常に同時進行かつインディペンデントに即興演奏やノイズ的な作品からポップスに至るまで多種多様な音楽を作り続け、世界中で活動する。映画音楽家としても100作品以上の音楽を手掛ける。震災後は故郷の福島でプロジェクトFUKUSHIMA!を立ち上げ、現在に至るまで様々な活動を継続している。福島を代表する夏祭り「わらじまつり」改革のディレクターも務める。
https://otomoyoshihide.com

ギターもターンテーブルも今まさに最高のプレイができる——前編のインタビューで大友良英はそのような手応えを語っていた。『Solo Works 1 Guitar and Turntable』(2023年)には、そうしたいわば自在境に到達した彼のインプロヴァイザーとしての姿がありありと収められている。リリース元は昨年スペシャルビッグバンドの『Stone Stone Stone』を出した新レーベルLittle Stone Recordsだ。同レーベルからは今後も大友のソロ・ワークスがリリースされる予定で、『Solo Works 2』はライヴ盤を、『Solo Works 3』ではクリスチャン・マークレーをテーマに構想中だという。

前後編に分けたインタビューの後編では、ほとんど前人未踏だったと言っていい実験的ターンテーブル奏者としての活動を中心に話を訊いた。即興でのコラージュを出発点としつつ、カンフー映画を手本に(!)スピードを追い求め、さらにレコードを使わないエクストリームなターンテーブル演奏からインスタレーションへと繋がっていくなど、その足跡は実にユニークだ。そして多くのリスナーがおそらく意外に感じるかもしれないが、大友は自身について「フリー・インプロヴィゼーションの文脈の人間ではないかもしれない」とも語る——。

クリスチャン・マークレーという衝撃

——後編ではターンテーブルを中心にお伺いできればと思います。ターンテーブル奏者としてのキャリアが本格的にスタートしたのは、高柳昌行さんのもとを離れてからですよね?

大友良英(以下、大友):そうですね。でも実際は高柳さんのところにいた頃から演奏自体はしていました。ライヴは禁止されていたから、人前では数えるぐらいしかやっていなくて、ほとんどは宅録だけれども。だから本格的に演奏活動を始めたという意味では、高柳さんのところを飛び出した後ですね。

——ターンテーブルではないものの、子どもの頃からテープレコーダーを用いた音楽制作はされていたとか。

大友:中学、高校の頃かな、テープレコーダーでコラージュを作ってました。ターンテーブルも最初はコラージュとしてやりたくて、ヒップホップとは全く別の文脈で始めたんです。

——コラージュというのは、いわゆる具体音楽(ミュジーク・コンクレート)のようなものですか?

大友:そう、ピエール・シェフェール的な具体音楽を即興でやりたいと思ってた。でもターンテーブルだけを使うようになったのは、やっぱりクリスチャン・マークレーと出会ってからです。それまではカセットテープやオープンリールテープをターンテーブルと一緒に使っていたけど、クリスチャンを見て「ターンテーブルだけの方がカッコいいな」と思った。それも音楽を聴く前、最初はクリスチャンの写真だけを見たんですよね。

——あの有名な、ターンテーブルをギターのように肩から下げて弾いている「フォノギター」の写真ですか?

大友:いや、それじゃなくて、ターンテーブルを4台並べて演奏してる写真でした。それを見て純粋にカッコいいなと思った。だから想像上のクリスチャン・マークレーみたいなものが僕にとってターンテーブル演奏の1つの出発点になってるんです。音を初めて聴いたのは副島輝人さんのドキュメンタリー映画でした。「メールス・ジャズ・フェスティバル1984」を撮影した8ミリフィルムの映像。その後、ジョン・ゾーンのレコードでもクリスチャンの音を聴いて、やっぱりカッコいいなと魅了されていった。1984、85年頃。その頃はもう完全にターンテーブルだけで演奏するようになっていたかな。

——1986年にクリスチャン・マークレーが初来日した際も観に行かれていますよね?

大友:もちろん。東京公演全部観てる。というか、来日時クリスチャンのアシスタントをやっていましたから。副島輝人さんの企画だったけど、前の年に副島さんから「デヴィッド・モスを日本に呼ぼうと思っていて、もう1人呼ぶ予算があるんだけど、誰がいい?」って相談を受けて。それで「絶対にクリスチャン・マークレーにしてください! オレ、手伝いますから!」って懇願した(笑)。だから僕、手伝いで毎日ずっとくっついて回っていたんだよ。で、やっぱり実際にクリスチャンを観たらかなわないと思いましたね。とにかくカッコよかった。スピード感といい音源のチョイスといい、もうひれ伏すしかないぐらいすごかった。

「即興でコラージュすることが圧倒的に新しかった」

——ターンテーブル演奏には、やはりギター演奏とは異なるおもしろさがありましたか?

大友:そもそも全く別の技術が必要ですからね。ターンテーブル演奏は当時、作曲でコラージュするのとは違って即興でコラージュができるというのが、僕にとっては圧倒的に新しかったかな。録音された素材をその場でどんどんコラージュしていく。当時はまだちゃんとしたサンプラーもなかったから、即興でのコラージュはとにかく新しく見えた。可能性も感じた。その前にやっていたカセットテープのコラージュの先に行ける気がしたというか。

当時、高柳昌行さんがカセットテープのコラージュに取り組んでいて、実はあの機材は僕が作っていたんです。だからそういう種類のコラージュはずっとやっていたけど、スピード感という点で、カセットはどうしても作曲作品みたいになるんですよね。それよりもターンテーブルの方が即興的でカッコよくて。その意味でも人生で最も打ちのめされたのは、やっぱりクリスチャン・マークレーのライヴを観た瞬間かな。

今だから言うけど、高柳さんのところを辞めた大きなきっかけも、クリスチャン・マークレーと出会ったことだと思う。もう、すぐにでもライヴをやりたくて、でも高柳さんのところにいるとライヴをやらせてもらえない。それまでも隠れてやっていたけど、クリスチャンと出会ってからは、もうライヴをやりたいってしかならなくて、それが雑誌に載ってバレちゃって、大喧嘩になったんです。それで高柳さんのもとを飛び出したから、今考えるとクリスチャンがきっかけだよ。

——1980年代にジャズ寄りの現場で実験的ターンテーブル演奏のライヴをすることはとても珍しかったですよね。というより大友さんしかいなかったと思うのですが、周囲のミュージシャンからはどう受け止められていたのでしょうか?

大友:いやー、孤独だったよ。いわゆるジャズの人達の大半は僕のことなんか認めてくれなかったし。ただ、その時におもしろがってくれた人達もいて、それがたとえば広瀬淳二さんや黒田京子さん、加藤英樹や植村昌弘、勝井祐二や菊地成孔だった。広瀬さんや黒田さんは少しだけ先輩で多少は知られていたけど、加藤、植村、勝井、菊地あたりはまだ無名の青年だった。1987年に黒田さんのバンドに参加してからジャズ・ミュージシャン達との付き合いも生まれたけど、当時はジャズがやりたかったわけではないからね。たまたまジャズの現場が最初だっただけで、その後はホッピー神山やレックとやるようになってロックの現場にも行き出して、そしたらロックの方が遥かにオープンだと当時は感じました。とにかくおもしろい音を出したら何でもオッケーみたいな。そうそう、今思い出したけど、ホッピー神山とかレックとロックをやるときはギターも弾いてたな。

だから、やっぱり高柳さんなんですよね。「ロックは高柳さんとは関係ない」という言い訳が僕の中にあったんだと思う。ロックの現場ではノイズ・ギターもやっていたけど、普通にギターを刻むこともあった。ホッピー神山とかレックのバンドだと気楽なんですよ。高柳さんが関係ないから。ジャズの現場に行く時だよね、ギターを持って行けなかったのは。ターンテーブルでライヴをやっていたのも、僕の中では「ギターじゃないからライヴやってもいいでしょ」という言い訳があった(笑)。そのくらい高柳さんの存在が大きくのしかかっていたんだと思います。でも確かに当時ターンテーブルは珍しかったです。ヒップホップ以外ではそもそもターンテーブルを持ち込む人なんかいないし、僕の場合はテクニクスじゃなくて自作のターンテーブルを使ってましたからね。そんな人は日本では誰もいなかった。

カンフー映画で培ったターンテーブルの速度

——本来ターンテーブルは音楽を聴くための装置で、演奏するために作られた楽器ではないですよね。セッションの際にギターのように即座に反応することは難しいと思うのですが。

大友:これは自慢みたいになってしまうけど、ターンテーブルでも割と即座に反応できたんです。だからいろいろなところに呼んでもらえたのだと思う。1年間ぐらいヒカシューのゲスト・メンバーになったこともありました。あれは1990年だったかな。

——ターンテーブルの演奏技術に関しては、ヒップホップを参照することもありましたか?

大友:いや、ヒップホップの影響は全く受けなかった。スクラッチもやらないし。そうではなくて、コラージュをひたすら速くやる感じかな。だから全くの独学ですね。もちろんクリスチャン・マークレーの影響はあるけど、その前からやっているので。ピエール・シェフェールみたいなことをライヴでやりたい、というのが出発点で、その後クリスチャンを知って「これだ!」と思った。

最初はテープレコーダーとかを使っていたけど、ライヴでテープを使う人は、高柳さんもそうだし、ボブ・オスタータグとか、そういう人達の音楽ももちろんチェックしてました。でも当時はテープだと作曲っぽくなる感じがしたのと、ゆっくり変化する感じのものが多くて、やっぱりカットアップみたいに速くしたかったんです。そこにはジョン・ゾーンの音楽の影響も大きかったし、ハイナー・ゲッベルスとアルフレート・ハルトの「Peking-Oper」みたいなコラージュと生演奏のカットアップを自分でやるのには、ターンテーブルはぴったりの楽器だと思ったんです。瞬間的にカットアップできるし、速いビートに合わせて変化させられる。で、独学だったけど、当時はとにかく速くやりたかったので、香港のカンフー映画に合わせてターンテーブル演奏の練習をしてました(笑)。

——速度を求めていたと。

大友:そう。スピード。誰よりも速くなりたかった……なんか阿部薫みたいな言い方になってるけど(笑)。もしかしたら、どこかで高校生の頃に憧れた阿部薫の影響もあるのかもしれません。とにかくスピードを追い求めていました。とにかくクリスチャンの演奏が物凄すぎて、とてもかなわないって思ったんで、どうにか自分流の方法でなんとかしなくちゃって、それで当時は香港のカンフー映画を参考にしてたんです。サモ・ハン・キンポーとかユン・ピョウが出演している映画のVHSビデオを繰り返し観ながら、彼等の動きとぴったり合うようにターンテーブルから音を出す。バカっぽいですよね。いや〜バカだったんです。でも1990年代中頃まではずっとそのやり方で演奏してましたね。今考えるとそういうターンテーブルの使い方が、ギターをU字金具で演奏する技術にも繋がっているのかなと思います。どちらもスピードと強いアクセントを出すためでしたから。

サンプリング・ウイルス計画〜幻のアルバム『Dear Derek』

——1990年代の大友さんは「サンプリング・ウイルス計画」を提唱されていて、1993年に『The Night before the Death of the Sampling Virus(サンプリング・ウイルス死滅前夜)』というアルバムもリリースされています。この計画はターンテーブルによるコラージュの延長線上にある試みだったのでしょうか?

大友:そのアルバムについてはターンテーブル演奏ではなくて、それこそピエール・シェフェールのように、主にテープの切り貼りで作りました。ターンテーブルも使いはしたけど、あくまでも作曲作品。あとはCDのマスタリングの時にデジタルの音声素材を繋げたぐらいで。

「サンプリング・ウイルス計画」をやり始めたのは、「サンプリング」という考え方が当時新しく出てきたというのが大きい。それまでコラージュとしか言えなかったものが「サンプリング」という言い方も出てきたことでコラージュとは異なる音源再利用の可能性を感じたんです。一方で「コンピュータ・ウイルス」なるものも出てきて、著作権の問題も含め、この辺のことをアイデンティティのはっきりしない「ウイルス」をキーワードにして一緒くたにして考えていこうと思ったんです。ただ、コンピュータ・ウイルスといっても、当時はまだ素朴なコンピュータしかないし、今みたいにインターネットで即座に世界中と接続できるようなネットワークもない時代だから、そうした環境下で頭の中だけで考えてやっていたところが大きいかな。

——とはいえ、「サンプリング・ウイルスの種が自分の手を離れて増殖/変化しながら広がっていく」という、他者との関係性の中で音楽を捉える考え方それ自体は、その後のオーケストラの作り方やアジアン・ミーティング・フェスティバルにおける交流の在り方、またはインスタレーションで装置同士が相互に反応し合う状態などに引き継がれていると思います。「サンプリング・ウイルス計画」が「アンサンブルズ」などに名前を変えながら、大友さんの思想としては一貫していると言いますか。

大友:確かに、それは一貫しているのかもしれません。ただ単に個人の創作だけで何かが成立しているのではないという考え方が背景にはあるんだと思います。もっとさまざまな外的な要素が個人の意図とは別に絡み合っているというのを前提にする考え方です。ただ、1990年代は今みたいにネットワーク環境が整備されていたわけではないから、やっぱり脳内ネットワークだったとは思う。

——1990年代にはアナログレコードではなくCDを操作するCDJも登場しましたが、CDJに乗り換えずターンテーブルの演奏を今も続けているのはなぜですか?

大友:最初はすごいハマったんですよ。一時期はCDJだけで作品も作っていて、結局リリースしなかったんだけど、『Dear Derek』というデレク・ベイリーに捧げたアルバムも作ってた。ベイリーの演奏をサンプリングした音素材をCDJでコラージュしたもので、ベイリー本人から許可も取っていたんだけど、出す直前になってやっぱりつまらないと感じて、リリースをやめました。

でもCDJはすぐ飽きてしまったかなあ。CDJだけでなくサンプラーもです。多分サンプリングに飽きたのだと思う。コンピュータやサンプラーがどんどん進歩して、そうするとCDJはすごく不自由なサンプラーでしかないと感じるようになっていった。デジタル・データのサンプリングはどんどん発展して、この先もっと簡単に大容量でできるようになっていくはず……そう考えたらなんでだか興味を失ってしまいました。やっぱりターンテーブルの方が不完全で、かつ自由に演奏しやすいって感じちゃったんです。パッと手に取って針を落としてギャーッと音を出せないと嫌で。デジタルは遅いし、同じ音しか出ないって。ラップトップも少しやったけど、やっぱり遅くて続きませんでした。もちろんその後、そうした機材で、素晴らしいことをやる人達がたくさん出てきたのを見て、自分は完全にオールド・ジェネレーションでアナログ人間なんだなって思いましたが(笑)。

レコードを使わないターンテーブル演奏から展示作品へ

——ギターとの共通点を考えると、大友さんはターンテーブルでもフィードバック・ノイズを発生させるアプローチを取っていますよね。そうした手法は1990年代からすでに試みていたのでしょうか?

大友:やってました。1990年代中頃にはもうフィードバックを使っていたかな。ターンテーブルのフィードバックは、ギターと比べると、よりコントロールができない。そこが逆におもしろかったです。もちろん、続けているとある程度コントロールできるようになってしまうのだけど、だからどんどんINCAPACITANTSのようなノイズ・ミュージックに近づいていったと言える気がする。

——大友さんのターンテーブル演奏には2つの側面があると思います。1つは既存の音楽をサンプリング/コラージュする側面。もう1つは必ずしもレコードを使わずに、ターンテーブルそれ自体の即物的なノイズを発生させる側面です。特に後者のような、レコードを使わないというある種エクストリームなターンテーブル演奏に乗り出したのはなぜですか?

大友:やっぱりマルタン・テトロのライヴを観たのが大きかったかなあ。1997年、ちょうどGround-Zeroで『Consume Red』を作っていて、そろそろカットアップは止めようかなと思っていた時期でした。それ以前からマルタンのことはクリスチャン・マークレーを介して知っていて、アルバムも聴いていたんだけど、彼はもともと美術畑出身で、コラージュをやるターンテーブル奏者だったんですよね。けれど1997年にイタリア・ボローニャのアンジェリカ・フェスティバルで観た時は、サンプラー奏者のディアン・ラブロッスとデュオで、ほとんどレコードを使っていなくて。ターンテーブルのノイズがメインだった。ステージにいるのにほぼ演奏していなくて、ひたすらギュ〜とかノイズを出してるの(笑)。でもそれがカッコよかった。潔さに衝撃を受けたかな。あの時はGround-Zeroのメンバーと観ていたけど、おもしろがっていたのは僕とSachiko Mだけでした。

——翌1998年にはSachiko MさんとのFilamentで最初のアルバムをリリースしています。

大友:そうだね。だから、1回すべてご破算にしてそっちの方向性に行こうと思ったのがあの時期でした。もうコラージュではないな、と。それはマルタンの影響も大きかったと思う。その後すぐにマルタンとはデュオをやるようになったから、ステージ上でお互いにレコードを使わない、コラージュではないターンテーブルの演奏が増えていって、どんどんお互いにいろんな手数を習得していった。すごく相互影響はあったと思う。

——ターンテーブルは自動式の音響装置としても使えますよね。大友さんの最初のインスタレーション作品《without records》(2005年)もポータブル・レコードプレーヤーを使用したものでしたが、それはターンテーブル演奏の延長線上にある試みだったのでしょうか?

大友:そう、最初の《without records》に関してはハッキリとそうでした。レコードを使わないターンテーブルの扱い方というのがそのまま展示に移行していった。だけど重要なのは、その後の『ENSEMBLES』展(2008年)の時に、いろんな人が自作したターンテーブルとも一緒にやるようになっていったことで、個人の創作ではないものがどんどん入ってきた。そこが個人のターンテーブル演奏との大きな違いかな。

「勝手に動くモーターを相手にするか、それとも固定した振動する弦を相手にするか」

——1990年代終わりにコラージュではない方向性へと転換しましたが、その後、再びコラージュ的なアプローチもするようになって、今回の『Solo Works 1 Guitar and Turntable』にもそうしたターンテーブル演奏が収録されています。サンプリング/コラージュに再び取り組むようになったのはなぜでしたか?

大友:率直に、そこまでストイックにならなくても、時々ならいいかなと思いました。それと、昔はコラージュをメインにしていたけど、今はメインでフォーカスしているわけではなくて、レコードに入ってる音を使っているというぐらいなんです。1990年代はコラージュの音が何の意味を持っていて、それがどうカットアップされるか、ということが重要なテーマだったけど、今はレコードに録音された音の質感として扱っている程度。少しだけ意味合いがあるとしたら、実は阿部薫のレコードを使っていることかな。それはギターで「Lonely Woman」を弾くことと似ているのかもしれない。

——今ではギターもターンテーブルも使用されていますが、どちらの方が使いやすいですか?

大友:いや、どっちもどっちだよ。両方とも自分のメイン楽器ですからね。どっちがより使いやすいとかはない。ただ、この音楽だったらギターの方が合うだろうとか、この相手だったらターンテーブルだろうとか、自分で思うことはあるけれど。 例えば坂本龍一さんのピアノと一緒に演奏する時はギターがいいかなとか。実現しなかったけど、最後の頃、坂本さんがギターを弾いて、僕がピアノを弾くのもアリだなと思ったこともありました。

——そういえば、大友さんはピアノ演奏のライヴ盤『Piano Solo』(2013年)もリリースしていますね。

大友:ピアノは自分の中ではギターの延長線上なんです。弦がたくさんあるギターだと思ってる。だからピアノ演奏という感覚ではないんですよね。極端な多弦ギターを扱っているというのが近い。

——大友さんにとってターンテーブルを演奏することのおもしろさは、どのようなところにあると感じていますか?

大友:ターンテーブルは演奏者の意志とは別のものとして、しかも不完全な、いろいろと隙だらけの装置としてあるから、そこがおもしろい。デジタルの装置だと隙がないんですよね。例えばCDだとCDで音を出す以外の使い方がほとんどない。もちろん刀根康尚さんのようにCDに粘着テープを貼って誤作動を起こすということはできるけど、ターンテーブルだといくらでも違う使い方ができる。要するにモーターとマイク(カートリッジ)だからね。

ギターは弦とマイクだけど、ターンテーブルはモーターとマイク。どっちもアンプから増幅された音が出てくるところは共通していて、マイクとアンプである以上はフィードバックも引き起こすことができる。勝手に動くモーターを相手にするか、それとも固定した振動する弦を相手にするかの違いだけとも言える。でも重要なのは、どっちもマイクがあって、アンプから音が出るってことかな。そこが共通しているから、ギターにしてもターンテーブルにしても、やっていると音が似てきちゃうんですよ。

「フリー・インプロヴィゼーションよりもノイズ・ミュージックの文脈に近いかもしれない」

——『Solo Works 1 Guitar and Turntable』は、ライヴ盤ではなくスタジオ盤ということもあり、短いトラックが多数収録されているところが1つの特徴になっています。各トラックには番号が振ってありますが、これはテイク数でしょうか?

大友:そうです。番号をつけてトラックを選ぶやり方は、実はデレク・ベイリーの『Solo Guitar』(1971年)に倣いました。今回、僕の中で唯一意識した他の人のアルバムが『Solo Guitar』かな。あれのA面みたいな感じにしたいと、どこかで思っていたような気がする。そんなに長尺じゃなくて、いろんな即興演奏が収録されているけど、曲ごとにコンセプトが違うわけでもない、みたいな。

——『Solo Guitar』は初めて聴いた人に大きな衝撃をもたらすアルバムだと思うのですが、大友さんとしては、今聴き返しても新鮮に感じることはありますか?

大友:正直に言えば、何十年経っても同じような新鮮さで聴けるわけではないけど、ただ、いつ聴いてもすごいなとは思うんですよね。よくこんなところに行ったな、と。やっぱりズバ抜けている。もちろんデレク・ベイリーは『Solo Guitar』以降も素晴らしいアルバムをたくさん出しているけど、最初のソロ作でいきなりあれを出したわけですから。

——デレク・ベイリーに限らず、フリー・インプロヴィゼーションの録音作品を、例えば1960〜70年代に出すことと、2020年代の今出すことでは、意味も受け取られ方も大きく違うと思うんです。その辺りは大友さんはどのように考えているのでしょうか?

大友:そりゃ、全然違うと思う。だって今フリー・インプロヴィゼーションをやることは、それだけでは冒険でも挑戦でもないからね。どこにでも転がっているありふれたアプローチでしかない。だから今回の『Solo Works 1 Guitar and Turntable』も、そういったどこにでも転がっているものの1つとして作ったところはあります。

——とはいえ、フリー・インプロヴィゼーションというスタイルを録音したかった、というわけでもないですよね?

大友:はい、違います。即興といってもフリー・インプロヴィゼーション以外にもいろいろあって、そういうふうにいろいろあるという大前提の上で作りましたからね。ひょっとしたら僕がやっている音楽はフリー・インプロヴィゼーションの文脈よりも、どちらかというとノイズ・ミュージックの文脈の方に近いかもしれないとも思う時もあります。ヨーロッパのフリー・インプロヴァイザー達と一緒に演奏すると、自分は違う文脈で演奏してるなってよく思います。影響はものすごく受けたし、一緒に演奏するのは本当に楽しいけど、でも、何か違う言語を話しているのかもって。

——フリー・インプロヴィゼーションかノイズ・ミュージックか、そこの文脈の違いというのは、具体的にはどういうことでしょうか?

大友:大きくは前後の音楽史の捉え方の違いなんじゃないかな。うまくは言えないけど、フリー・インプロヴィゼーションの場合は、初期は「即興でなければならない」という考え方があった上で今がある。けれどノイズは「ノイズでなければならない」という思想ではないと思うんです。もうノイズをやった時点でどん詰まりだから、何をやってもいい、としかならない、そんなふうに感じてます。少し抽象的な話になってしまうけど、その上で僕は即興演奏をやっているところがあります。その意味ではとてもパーソナルな音楽なんじゃないかな。10代の頃に阿部薫のライヴやデレク・ベイリーのフリー・インプロヴィゼーションを聴いて衝撃を受け、その後、高柳さんとの出会いがあり、クリスチャン・マークレーやジョン・ゾーンに衝撃を受け、同時にノイズや即興演奏をやる同世代の人達とたくさん出会い、さらには音遊びの会なんかとの活動を経て、半世紀経った人間が作っている極めて個人的な音楽なんだなと思うんです。

■『Otomo Yoshihide Solo Works 1 Guitar and Turntable』
リリース:8月16日
価格:(CD)¥2,000
トラックリスト
1.turntable with a record 8
2.guitar 2
3.guitar 6
4.turntable with a record 1
5.turntable without a record 1
6.guitar 4
7.turntable with a record 10
8.guitar 5
9.guitar 1
10.turntable without a record 4
11.turntable without a record 6
12.turntable with a record 2
13.guitar 7
14.turntable without a record 3
15.turntable with a record 5
16.turntable with a record 9
17.turntable without a record 5
18.guitar 8
19.turntable with a record 3
20.guitar 3
https://otomoyoshihide.bandcamp.com/album/otomo-yoshihide-solo-works-1-guitar-and-turntable-3

■大友良英 PITINN 年末4デイズ8連続公演
会期:12月26〜29日
会場:新宿PIT INN
住所:東京都新宿区新宿2-12-4 アコード新宿 B1
時間:昼の部 14:30(オープン)/ 15:00(スタート)、夜の部 19:00(オープン) / 19:30(スタート)
12月26日(火)昼の部「The Night Before Pandemic in Fukushima!」
大友良英(G)、岩見継吾(B)、林頼我(Ds)
12月26日(火)夜の部「Small Stone Baritone Ensemble」
大友良英(G, Per, 指揮)、江川良子、東涼太、本藤美咲、吉田隆一(Bs, 指揮)、木村仁哉、高岡大祐(Tuba, 指揮)、かわいしのぶ(B, 指揮)、イトケン、小林武文(Ds, Per, 指揮)
12月27日(水)昼の部「Daytime Special」
大友良英(G)、松丸契(Sax)、石若駿(Ds)、小暮香帆(Dance)
12月27日(水)夜の部「The World Without Him (Peter Brötzmann Tribute)」
大友良英(G)、永武幹子(P)、須川崇志(B)、落合康介(B)、本田珠也(Ds)、山崎比呂志(Ds)
12月28日(木)昼の部「細井徳太郎 キュレートセット」
久場雄太(俳優)、荒悠平(ダンス)、細井徳太郎(G, Vo, キュレーション)、君島大空(G, Vo)、高橋佑成(P, Synth)、大友良英(G)
12月28日(木)夜の部「大友良英 ニュージャズアンサンブル」
大友良英(G)、松丸契(Sax)、高橋佑成(P)、上原なな江(Marimba)、水谷浩章(B)、芳垣安洋(Ds)
12月29日(金)昼の部、夜の部「大友良英 スペシャルビッグバンド」
大友良英(G)、江藤直子(P)、近藤達郎(Key)、齋藤寛(Fl)、井上梨江(Cl)、江川良子(Sax)、東涼太(Sax)、佐藤秀徳(Tp)、今込治(Tb)、大口俊輔(Acc)、かわいしのぶ(B)、小林武文(Ds)、イトケン(Ds)、上原なな江(Marimba)、相川瞳(Per)、Sachiko M(Sinewaves)
http://pit-inn.com/newarrivals/0tomo4days/

■ONJQ : Otomo Yoshihide’s New Jazz Quintet EUROPE TOUR 2024
会期:2024年1月26日〜2月11日
1月26日 Sons D’hiver, Paris [FR]
1月27日 Pannonica, Nantes [FR]
1月28日 Autres Mesures, Rennes [FR]
1月30日 AB Club, Bruxelles [BE]
1月31日 Radar, Aarhus [DK]
2月1日 Jazz Club Loco, København [DK]
2月2日 Nasjonal Jazzscene, Oslo [NO]
2月4日 Pardon, To Tu, Warszawa [PL]
2月5日 Pardon, To Tu, Warszawa [PL]
2月6日 NOSPR, Katowice [PL]
2月7日 Divadlo29, Pardubice [CZ]
2月8日 In Situ Art Society, Bonn [DE]
2月9日 Handelsbeurs, Gent [BE]
2月10日 Centro D’Arte, Padova [IT]
2月11日 Area Sismica, Forlì [IT]

Photography Masashi Ura

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「10年後はないかもしれない」大友良英、60代半ばで到達したギター&ターンテーブルの自在境 -前編- https://tokion.jp/2023/12/26/interview-yoshihide-otomo-part1/ Tue, 26 Dec 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=218597 35年以上にわたって唯一無二のキャリアを築いてきた音楽家・大友良英インタヴュー前編。ギタリストとしての活動を中心に話を訊く。

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大友良英
1959年生まれ。常に同時進行かつインディペンデントに即興演奏やノイズ的な作品からポップスに至るまで多種多様な音楽を作り続け、世界中で活動する。映画音楽家としても100作品以上の音楽を手掛ける。震災後は故郷の福島でプロジェクトFUKUSHIMA!を立ち上げ、現在に至るまで様々な活動を継続している。福島を代表する夏祭り「わらじまつり」改革のディレクターも務める。
https://otomoyoshihide.com

1980年代後半からライヴ活動を本格化させ、35年以上にわたって唯一無二のキャリアを築いてきた音楽家・大友良英。インディペンデントなノイズ/インプロヴィゼーションのシーンにおける活躍から数多くの映画音楽やテレビドラマの劇伴、あるいは市民参加型のプロジェクトを手掛け、さらにインスタレーションの制作や芸術祭のディレクターを務めるなど、これまで多方面で膨大な数の仕事に取り組んできたことからは意外にも初となる、ギタリスト兼ターンテーブル奏者として録音した全編即興のスタジオ盤『Solo Works 1 Guitar and Turntable』が2023年8月に世に放たれた。

ギタリストとしてもターンテーブル奏者としても大友良英ほどオリジナルなプレイを聴かせるミュージシャンはそういないだろう。全20トラックの小品を収録した『Solo Works 1』は、そのような彼の現在地を克明に記録したアルバムに仕上がっている。そこで今回、大友のプレイヤーとしての側面にフォーカスしたインタビューを実施し、前編ではギタリストとしての活動を中心に話を伺った。かつてギター演奏を「封印」していた時期もある彼は、なぜ再びギタリストとして活動を開始し、そしてどのように独自のスタイルを確立するに至ったのか——。

再びギターを弾き始めた理由

——大友さんが最初にギターを手にしたのは中学時代ですが、その後、20代で高柳昌行さんの門を叩き、あるいはノイズしか出ないギターを自作するなど、ギターとの付き合い方はさまざまに変遷してきたと思います。大友さんとしては、ご自身のギタリストとしてのキャリアはどのように捉えていますか?

大友良英(以下、大友):高柳さんのもとにいた1980〜86年頃は、まだ本格的に世に出てないですし、演奏家としては修行中の身でした。飛び出した後は挫折した以上、もうギタリストとしてはやってけないって覚悟でいました。それで1980年代終わり〜90年代はターンテーブルを使おうと決めてたかな。ただ、やっぱりギターの要素は残したかったので、あえて自作したギターも使ってました。チューニングもできないようにしたノイズ発生装置としてギターを使うことで「ギタリストではない」ってアリバイを作りたかったのもある。

それが転換したのは2000年頃からです。菊地成孔や芳垣安洋が「大友、お前ギター弾け」と散々言ってたのもあるけど、やっぱり率直にギターを弾きたいという思いが強かった。ずっと我慢してきたからね。誰かみたいに弾こうと思わなければいいやって感じで弾き出したのが1990年代終わり〜2000年代頭くらい。だからギタリストとしての自分のキャリアはそれからだと思ってます。

——ギターを使うにしても、例えばキース・ロウみたいにテーブルトップにして、それこそノイズ発生装置を貫くというやり方もあったと思いますが、そこであえていわゆる通常のギター演奏に向かったのは、なぜでしたか?

大友:ノイズ発生装置は別にギターじゃなくても十分にできたからかな。ターンテーブルでもできるし、当時いろんな自作のガジェットも使っていたので。やっぱりチューニングされたスタンダードなギターを演奏したいという気持ちが強かった。もともと高柳さんの教室に入ったのもいわゆるギタリストとして活動したいと思っていたからなわけで、教室を飛び出した後、高柳さんとの関係にある程度とらわれなくなりつつあった時期に、ノイズ発生装置ではない形でギターを弾こうと改めて思ったんです。

——その頃、どんなギタリストを聴いていましたか? 特に印象に残っているアルバム等はありますか?

大友:ギタリストのアルバムを聴き込んで研究したのは、やっぱり高柳さんのところにいた時期。とにかくいろんなものをたくさん聴いてました。もう1回ギターを弾き始めた時は、いちから練習し直さなきゃいけなかったから、結構オーソドックスなアルバムを聴き返していました。ジム・ホールとかね。もちろん、オーソドックスなギターを演奏したかったわけではないので、ジム・ホールのスタイルを取り入れようとしたわけではなくて、ハーモニーの付け方を少し参考にしたぐらい。あくまでも自分独自のやり方で弾けるようになればいいとは思ってました。

2005年のソロ作『Guitar Solo』について

——ギタリストという意味では、やはり2005年のソロ作『Guitar Solo』が1つの節目になるアルバムだったと思います。doubtmusicのレーベル第1弾でもありましたが、大友さんとしては当時、録音作品としてギター・アルバムをどのように作りたいというモチベーションがあったのでしょうか?

大友:1つはやっぱり、昔からの知り合いの沼田順がディスクユニオンを辞めてレーベルを作るというから、餞に音源をプレゼントしたいという思いがありました。あまりお金をかけるわけにもいかなくて、だからスタジオに入らず新宿ピットインのライヴでレコーディングをして(註:録音は2004年10月12日)。プレゼントする以上、他にも参加ミュージシャンがいるとややこしくなるので、ソロにしようと。で、ちょうどその少し前からソロ・ライヴをやっていたし、映画音楽でもギターを弾いていた——実は90年代も映画音楽ではギターをちょこちょこ弾いてたんです——ので、そろそろギターのソロ・アルバムを作りたいと思っていた。ただ、普通のギタリストのような技術があるわけではないから、できる範囲で自分なりのソロ・ギターをやろうという挑戦ではあったかもしれない。

——2002年にデレク・ベイリーがジョン・ゾーンのTzadikレーベルから『Ballads』というソロ・アルバムを出したじゃないですか。内容は大きく異なりますが、それと大友さんの『Guitar Solo』が重なって見えるんです。つまり、どちらも完全即興ではなくあくまでも楽曲を取り上げていて、けれどいわゆる楽曲通りに演奏しているわけでもなくて。もともとインプロヴィゼーションやノイズに取り組んできたミュージシャンがあえて楽曲の演奏に挑んだ結果生まれた奇妙なアルバムになっていると言いますか。

大友:確かに、『Ballads』が出た時はすごく衝撃を受けて、「このやり方もアリなんだ」と思ったのは事実です。何回も聴いたなあ。もちろん、この世界で音楽をやろうと思った時からデレク・ベイリーはずっと大好きだったけど、そのベイリーが『Ballads』を出したのは、実は僕にとって大きかったのかもしれない。例えば『Ballads』は冒頭に「Laura」が収録されているけど、ジャズであれば、「Laura」のコード進行と小節をキープしながら展開していくじゃない? でもデレク・ベイリーの演奏を聴くとそうではないんですよね。テーマから始まるけど、その後は好きなところに行って、また「Laura」に戻ってくる。でもそれで全然成り立っている。それはすごく自由でいいなと思った。

ただ、そのやり方そのものはニュー・ジャズ・クインテットですでに試していたんです。最初にテーマがあって、でもテーマと全く違うアドリブを展開させたり、全然違うところに行ったりしてから最後にテーマに戻るという。それまでのジャズのフォーマットではないやり方は試していて、けれどソロ・ギターでそれをやってもいいんだと気づかせてくれたのは、確かに『Ballads』だったのだと思う。もちろんデレク・ベイリーみたいには弾けないので、僕は自分なりのやり方でやろうとは思っていたけれども。

——楽曲ではなく、完全にノイズ/インプロヴィゼーションだけでソロ・ギターのアルバムを作る、ということは選択肢にありましたか?

大友:その時は選択肢にはなかったです。ノイズや即興だけで録音するのは、もう今更やらなくていいんじゃないかとさえ思っていて。ライヴでは散々やってたけど。で、実はCD-Rで『Guitar Solo Live 1』(1999年)というギター即興の作品を出したことはあるんですよ。だけどあまりおもしろいと思わなくて、即興はその場で消えてしまえばいいやと考えていた。アルバムとしてリリースするなら、ある程度曲の形になっているものを残したかった。当時はその方が新鮮だったんだと思う。

ソロの即興って実は難しくて、本当の意味での即興ではないんですよね。デュオやトリオの場合はその場で考えていることが多いんだけど、ソロだと、純粋にその場で考えているのか自分に問いかけると、そうでもないなと思っていて。それまでのいろいろな経験に強く縛られていて、そこから抜け出すのはとても大変。それにソロ・インプロヴィゼーションのアルバムって、デレク・ベイリーをはじめ先達の素晴らしい作品がたくさんある。オレはああいうふうに即興を切り拓いてきたタイプではない。だからあの時点では、即興やノイズだけでソロ・ギターのアルバムを作ろうという気持ちにはなりませんでした。

「Lonely Woman」は高柳昌行が遺した「宿題」

——仮に即興と楽曲を両端に置くとするなら、大友さんのギター演奏において中間にあるものが「Lonely Woman」のような気がするんです。もともとはオーネット・コールマンの曲ですが、大友さんが完全即興でライヴをやる際も、自然と「Lonely Woman」が浮かび上がってくる時があるじゃないですか。

大友:ある。そう、ギターで即興演奏をやる時に何も参考にしていないかというと、本当はそうではなくて、やっぱり高柳さんのソロ・ギター・アルバム『ロンリー・ウーマン』(1982年)はとても大きかった。影響を受けちゃうからギターを再び手にした時は、聴かないようにしていたけれど。自分の記憶の奥底に秘めておこうと思っていたけど、どうしても頭をよぎってしまう。だったら毎回「Lonely Woman」を演奏してもいいや、と決めたのが2000年代だった。どういう形で演奏してもいいやって。即興演奏の中で突然出てきてもいいし、最初から「Lonely Woman」を弾いて崩していきつつリズムを出すのでもいいし、とにかく演奏しようと決めてた。それはオーネット・コールマンというより、やっぱり高柳さんの存在が、ギターを弾く時に僕にとってあまりにも大きかったということなんだと思う。

もちろんオーネット・コールマンも大きいですよ。彼の作品の中でも最初にハーモロディック的になったのが「Lonely Woman」だと僕は思っているので。あくまでも自分なりの解釈ね。だからそれはどこかでジャズ史と繋がっていたいという思いもあるのかもしれない。とはいえ、オーネットの曲は「Lonely Woman」以外はほぼやっていないから、やっぱり、あくまでも高柳さんを通したジャズ史をどこかで意識してしまっているんですよね。

——高柳さんにとっても「Lonely Woman」はやはり特別な曲だったのでしょうか?

大友:そこは謎なんですよね。知る限り高柳さんはソロでしか「Lonely Woman」を演奏していなくて。ライヴもほぼ全部観ていたけど、アングリー・ウェーヴスのようなグループだと「Lonely Woman」はやらない。ソロの時だけなんですよ。しかも当時の高柳さんは特にオーネット・コールマンについて何も言っていなくて、いつも聞いていたのはアルバート・アイラーの話。なのになぜ「Lonely Woman」だったのか……正直、よくわからない。

ただ、高柳さんが最後に「Lonely Woman」を演奏したのは、おそらく1984年。副島輝人さんと一緒に北海道をツアーしたんだけど、最初のコンサートで「Lonely Woman」を演奏して、他は全てノイズだった。それ以降はもう「Lonely Woman」はやらなくなって、東京に戻ってからも演奏していなかったんです。ガーッてノイズをひたすら出す「アクション・ダイレクト」に移行していったからね。それを傍で観ながら、オレとしては「アクション・ダイレクトの中で『Lonely Woman』を弾いてもいいんじゃないか」とずっと思っていて、高柳さんにも言ったんだけど、その度に「大友、お前わかってない」と言われて。「あれは一緒にできない。違うもんなんだ」って。

そうだよなと思いつつ、でも一緒にやりたくなる欲望にも駆られる。だから僕は「Lonely Woman」を、ノイズの中から突然出てきたり、あのテーマから始まるけど全然違うところに行ったり、そういうものとして演奏してきたのだと思う。「Lonely Woman」は僕にとっては高柳さんが遺した「宿題」みたいなものなんです。高柳さん自身も次のアクション・ダイレクトに行ってしまって、ただ楽曲だけがポンと残されたというか。

大友良英のギター・スタイルの確立プロセス

——『Guitar Solo』のリリースからすでに20年近く経過していて、ギタリストとしての大友さんの活動は、実はそれ以降の方が長いですよね。あえてこういう言い方をするなら、大友さんには独自のギター・スタイルがあるとも思うんです。ご自身としては、いつ頃からそうしたスタイルが確立してきたと思いますか?

大友:2000年代を通じてかなあ。部分的には20代前半からすでにやっていたけれど。2000年代に特にこだわっていたことの1つは、フィードバックをどう扱うかでした。高柳さんもフィードバックは扱っていたけど、「Lonely Woman」の中ではほぼ出てこないんですよね。だからその中にフィードバックを入れたいというか、それを骨格にできないかと思っていて。高柳さんには「フィード・バック」という曲の録音もあって、富樫雅彦さん達と一緒にやった1969年のアルバム『ウィ・ナウ・クリエイト』に収録されている演奏。あれと「Lonely Woman」を混ぜたような、どちらにでも行けるようなものはできないかな、と。

それでフィードバックを飼い慣らしながら、コントロールできる部分/できない部分と付き合いつつ、メロディーや和声にいつでも移行できる、みたいなギター・アプローチを身につけていきました。それは2000年代に入ってから10年ぐらいかけて取り組んでいたかな。それまではフィードバックと言ってもいわゆるノイズ・ギターだったんですよ。ギャーってやるだけ。良くも悪くもだけど、それはコントロールできるものではなかった。そういうアンコントローラブルなノイズ・ギターから、ある程度コントロールしつつ、でもやっぱりコントロールできない部分も残しつつ演奏を進める、みたいな方向に向かっていきました。

——ギターのフィードバックという意味では、大友さんはしばしばジミ・ヘンドリックスからの影響も語られています。

大友:ジミヘンの大部分の演奏は、あくまでもブルースの中でフィードバックを使っているんだけど、1969年のウッドストックでアメリカ国歌を演奏したライヴは、途中から完全にフィードバックになる。あれは今聴いてもカッコいいし、やっぱりすごい。だから、高柳さんの教室に入った最初の頃から、ああいうふうにフリージャズをやりたいとは思ってた。全く似ていないんだけどね、でもそこはジミヘンからの影響だとオレは思ってる。

——フリー系のギタリストと言えば、例えばアッティラ・ゾラーやラリー・コリエル、もしくはソニー・シャーロック等々もいますが、ジミヘンのようにフリージャズをやりたかった、と。

大友:もちろん、ソニー・シャーロックもラリー・コリエルもフィードバックを使うし、ものすごい好きだけど、メロディーラインとフィードバックを行き来するコントロールの仕方としては、オレは圧倒的にジミヘンのやり方が好き。もう20代前半の頃からそうでした。でもそれが実現できたのは2000年代も後半になってからかな。やっぱりライヴの現場でギターを飼い慣らしながら自分のものを作っていったんだと思う。

ドラムに対してギターがどうサウンドするか

——2000年代に大友さんのギター・スタイルを確立するにあたって、特に影響を受けたセッション相手はいらっしゃいましたか?

大友:やっぱり芳垣安洋かな。芳垣のドラムとやった時に、どうサウンドするかということが大きかった。セッションでもバンドでもそうですね。あのドラムに対してギターがどうしたら納得いく感じで鳴るか。特に2000年代は芳垣と一緒に作っていた感じがします。山下洋輔さんが森山威男さんとあのスタイルを作ったように。リズムとかアクセントの作り方とかも含めて、芳垣のドラムに対応できるように自分のギター・スタイルを作ったような気がする。

芳垣に限らず、いろんなドラマーともやるわけで、それぞれで合わせ方があるんだけど、どちらにせよさまざまなドラマーと合わせながら自分の演奏を作っていたんだと思います。まずはそこから始まりました。その上で、サックスやピアノは少し後になってから対応できるようになっていきました。フリー・インプロヴィゼーションを考えるにあたっても、ジャズを考えるにあたっても、ポップスでもそうだけど、まずはドラムとその上でベースに対してどうサウンドするかを考える癖がある気がします。その次がサックスかな。フィードバック音とサックスをどうサウンドさせるかは、すごくおもしろいテーマだった。

ハーモニーとかコードのことを一切考えずにドラムとやる場合は、音色とリズムだけで押し切れるというのもある。そこにベースが入っても、単音同士であれば、ハーモニーはどうにでも可変できるし。なので、ピアノとやる時はどうしても最初のうちはハーモニーを気にしすぎて、できないと思ってたんです。でも、ここ10年ぐらいは変わってきて、むしろおもしろくなっていった。それこそ坂本龍一さんとやり出したのも大きかった。ドラムとやる時とはまた別のアプローチができるんですよね。ピアノのハーモニーに対して、ギターの弦で出す音色なり音程なり、ハーモニーがどう溶けるかというようなアプローチ。それが 2010年代初頭あたりからできるようになりました。今ではピアノとやるのはすごく楽しくて、坂本さんはもちろん、藤井郷子さんや佐藤允彦さんとセッションするのもとてもおもしろいです。

——2011年1月1日に放送されたラジオで坂本さんと初めて一緒にデュオ・セッションをされましたが、その時も「Lonely Woman」を演奏していました。

大友:そうそう。あれ、実は坂本さんから「『Lonely Woman』をモチーフにしましょう」と提案されたんですよ。で、「Lonely Woman」はキーがDマイナーなんだけど、あの時はDマイナーに対して何の音を出しているのか探りながら演奏してた。そういうアプローチをしてもおもしろいものができるという気づきが坂本さんとのセッションから得られて、それまではハーモニー的なアプローチがあまりできないと思ってたからね。だから、最初はやっぱりドラムとの関係で、音色とスピード、あとグルーヴだけで探っていたけど、坂本さんとのデュオあたりからハーモニーも探るとおもしろいなと思えるようになっていきました。

即興演奏の捉え方の変化

——坂本さんとのラジオのトークで大友さんは音遊びの会の話をされていて、「自由」について改めて考えることになったと仰っていました。大友さんと音遊びの会との出会いは2005年ですが、その時期に即興演奏に対する捉え方の変化もありましたか?

大友:あった。すごくありました。それまでは、変な言い方だけど、即興演奏は即興演奏のようにやらなければならないと思ってた。つまり従来のメロディーやハーモニー、リズムが出てしまうのはもってのほかで、要はデレク・ベイリー的な発想でやらなければならないと。けれど音遊びの会と一緒にやるようになってから、そういったことがどうでもよくなってしまったんです。かつては即興演奏といった時に、そこに即興演奏とは別のベクトルのいろんなヒストリーをどう入れていくかを考えながらやってましたが、ちょっと待てよ、と。即興演奏を中心に据える考え方がとても偏っていたと気付いたのがその時期でした。音遊びの会の子ども達と対峙する時に、そんな自分のヒストリーをメインに持ってきても始まらないですから。まずは目の前の一緒に音を出す人のことを考えようと。

坂本さんは坂本さんで、かつてやっていた即興演奏を再評価するようになっていった時期で、それとも重なって、互いに影響を受け合ったような気がします。もちろん即興演奏を即興演奏のようにやるのはおもしろいところもあるけど、それだけでどうこうという時代ではもはやないなと思うようになって、そしてそれは僕がギターを再び演奏し始めた時期ともクロスしているんです。だからギターを必ずしもノイズのように弾かなくてもいいって素直に思えたのかもしれない。チューニングしてもいいし、しなくてもいい。それは自分の中ではすごく大きな変化だったと思います。

——別の言い方をすると、即興演奏を通じて美学的に新しいことを目指すというよりは、あくまでも方法論として人と人がコミュニケーションすることを重視するようになった、ということでしょうか?

大友:そうだと思います。即興演奏って会話みたいなものだから、そこから新しいことが生まれることもあるかもしれないけど、別にそれだけが目的ではない。それに、あまりにも即興演奏に強い価値を置きすぎてしまうのはどうかとも思うようになりました。

まあ、会話と言っても、別に相手が「ポンポン」って音を出したから「カンカン」って返事をする、みたいなことでは全然ないんだけどね。構成をつけてもいいしつけなくてもいいし、共演する相手と自由にやり取りをする状態。それはターンテーブルよりもギターの方が自由にできるなと思ってました。ターンテーブルだとやっぱり応答の仕方が限られてしまうし、何よりセッティングも含め不自由だけど、ギターはもう少し身軽な感じがしました。

もちろん、どこまで行っても自分のギターでしかないから、そういう不自由さは感じてました。ただ、以前であればフリージャズ的なものをやる際にいろいろ考えたり、それこそ高柳さんのこと抜きでは演奏できなかったけど、2010年代以降はそういうこともあまり考えず、自分のやれることをやるという方向に向かったかな。その中でいろいろ自由にできるようになっていったので。

「今の状態は10年後にはないかもしれない」

——今、大友さんにとって、ギターを演奏することの楽しさはどのようなところにあると感じていますか?

大友:これは良いことなのか悪いことなのかわからないし、この言い方が正しいのかどうかもわからないけど、自分の演奏がどんどん上達している感じがしてます。それがおもしろいです。このスピード感で前は演奏できなかったものができるようになった、とか、フィードバックの中で前はできなかったことが今ならできる、とか、そういうことが年々増えている。それが音楽的に良いことなのか悪いことなのか自分では全然わからないけど、そのおもしろさの欲望には勝てない。

もう自分の身体が動くうちは徹底的にそうしたこと、スピードを上げたり、アプローチを増やしていったりってことをやろうと思っている。もちろん、きっと身体的な限界があるから、どこかまでしか行かないんだけど、とにかく今はどんどん行ける感じがする。だからこの『Solo Works 1 Guitar and Turntable』というアルバムを録ることにしたんです。コロナ禍で人前で演奏する機会が激減していたことも録音のモチベーションにはなったけど、でもやっぱり、今のこの状態が10年後にはないかもしれないし、それどころか、もしかしたら今だけのことかもしれない、という切迫感も大きかった。自分と同世代や少し上の先輩達が相次いで亡くなっているからね、ここ数年は特に。

坂本龍一さんも、高橋幸宏さんも、プロジェクトFUKUSHIMA!を一緒に立ち上げた遠藤ミチロウさんも、遠藤賢司さんも、皆、70歳前後で亡くなられているんですよ。で、自分が今64歳ということを考えると、もしかしたら本当に10年後はないかもしれない。そう思うと余計に、今まであまり出してこなかったソロの即興アルバムを出したいと強く思うようになりました。それはギターだけじゃなくて、ターンテーブルもほぼ一緒です。技術的にはギターとターンテーブルは全然違うんだけど、ターンテーブルの演奏も前より遥かに自由にできているので、その両方を今の状態のまま録っておきたいな、と。

■『Otomo Yoshihide Solo Works 1 Guitar and Turntable』
リリース日:2023年8月16日
価格:(CD)¥2,000
トラックリスト
1.turntable with a record 8
2.guitar 2
3.guitar 6
4.turntable with a record 1
5.turntable without a record 1
6.guitar 4
7.turntable with a record 10
8.guitar 5
9.guitar 1
10.turntable without a record 4
11.turntable without a record 6
12.turntable with a record 2
13.guitar 7
14.turntable without a record 3
15.turntable with a record 5
16.turntable with a record 9
17.turntable without a record 5
18.guitar 8
19.turntable with a record 3
20.guitar 3
https://otomoyoshihide.bandcamp.com/album/otomo-yoshihide-solo-works-1-guitar-and-turntable-3

■大友良英 PITINN 年末4デイズ8連続公演
会期:12月26〜29日
会場:新宿PIT INN
住所:東京都新宿区新宿2-12-4 アコード新宿 B1
時間:昼の部 14:30(オープン)/ 15:00(スタート)、夜の部 19:00(オープン) / 19:30(スタート)
12月26日(火)昼の部「The Night Before Pandemic in Fukushima!」
大友良英(G)、岩見継吾(B)、林頼我(Ds)
12月26日(火)夜の部「Small Stone Baritone Ensemble」
大友良英(G, Per, 指揮)、江川良子、東涼太、本藤美咲、吉田隆一(Bs, 指揮)、木村仁哉、高岡大祐(Tuba, 指揮)、かわいしのぶ(B, 指揮)、イトケン、小林武文(Ds, Per, 指揮)
12月27日(水)昼の部「Daytime Special」
大友良英(G)、松丸契(Sax)、石若駿(Ds)、小暮香帆(Dance)
12月27日(水)夜の部「The World Without Him (Peter Brötzmann Tribute)」
大友良英(G)、永武幹子(P)、須川崇志(B)、落合康介(B)、本田珠也(Ds)、山崎比呂志(Ds)
12月28日(木)昼の部「細井徳太郎 キュレートセット」
久場雄太(俳優)、荒悠平(ダンス)、細井徳太郎(G, Vo, キュレーション)、君島大空(G, Vo)、高橋佑成(P, Synth)、大友良英(G)
12月28日(木)夜の部「大友良英 ニュージャズアンサンブル」
大友良英(G)、松丸契(Sax)、高橋佑成(P)、上原なな江(Marimba)、水谷浩章(B)、芳垣安洋(Ds)
12月29日(金)昼の部、夜の部「大友良英 スペシャルビッグバンド」
大友良英(G)、江藤直子(P)、近藤達郎(Key)、齋藤寛(Fl)、井上梨江(Cl)、江川良子(Sax)、東涼太(Sax)、佐藤秀徳(Tp)、今込治(Tb)、大口俊輔(Acc)、かわいしのぶ(B)、小林武文(Ds)、イトケン(Ds)、上原なな江(Marimba)、相川瞳(Per)、Sachiko M(Sinewaves)
http://pit-inn.com/newarrivals/0tomo4days/

■ONJQ : Otomo Yoshihide’s New Jazz Quintet EUROPE TOUR 2024
会期:2024年1月26日〜2月11日
1月26日 Sons D’hiver, Paris [FR]
1月27日 Pannonica, Nantes [FR]
1月28日 Autres Mesures, Rennes [FR]
1月30日 AB Club, Bruxelles [BE]
1月31日 Radar, Aarhus [DK]
2月1日 Jazz Club Loco, København [DK]
2月2日 Nasjonal Jazzscene, Oslo [NO]
2月4日 Pardon, To Tu, Warszawa [PL]
2月5日 Pardon, To Tu, Warszawa [PL]
2月6日 NOSPR, Katowice [PL]
2月7日 Divadlo29, Pardubice [CZ]
2月8日 In Situ Art Society, Bonn [DE]
2月9日 Handelsbeurs, Gent [BE]
2月10日 Centro D’Arte, Padova [IT]
2月11日 Area Sismica, Forlì [IT]

Photography Masashi Ura

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UKの新鋭ギタリスト/シンガーソングライター、オスカー・ジェロームが明かすユニークな音楽性の背景 「WONKには共感できることが多い」 https://tokion.jp/2023/06/22/interview-oscar-jerome/ Thu, 22 Jun 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=192035 初の来日公演を行ったギタリスト/シンガーソングライターのオスカー・ジェロームへのインタビュー。その音楽性について。

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オスカー・ジェローム

オスカー・ジェローム(Oscar Jerome)
イギリス東部、ノーフォーク出身で現在はサウスロンドンを拠点とするギタリスト兼シンガーソングライター。ジャズの他に、ファンク、ソウル、ヒップホップを愛する。トム・ミッシュも学んだトリニティ音楽カレッジを卒業。2019年には、カマシ・ワシントンのUKツアーのサポートアクトを務め、SXSWにも出演した。「ステラ・マッカートニー」のキャンペーンモデルにも起用され、ファッション界からも注目を浴びている。
Twitter:@oscjerome
Instagram:@Oscar Jerome
YouTube:@OscarJerome

イギリス・サウスロンドンを拠点に活動するギタリスト/シンガーソングライター、オスカー・ジェローム(Oscar Jerome)が初の来日公演を行った。5月26日に渋谷duo MUSIC EXCHANGEで単独ライヴを行った後、翌27日に野外フェス「GREENROOM FESTIVAL’23」に出演。とりわけ後者は、来日がアナウンスされながらもコロナ禍で中止となった2020年以来、実に3年越しとなる公演の実現だったこともあり、彼のパフォーマンスに立ち会う日を待ち望んでいたリスナーも数多くいたことだろう。

かつてはアフロビート・バンド、ココロコ(Kokoroko)のメンバーでもあったオスカー・ジェローム。現在進行形のUKジャズを集めたコンピ盤『We Out Here』(2018)の収録曲「Abusey Junction」や、ココロコによる初のEP『Kokoroko』(2019)などでその才能の片鱗を示していた。一方、ソロ活動では2020年にファースト・アルバム『Breathe Deep』をリリース。2021年には日本のバンドWONKの楽曲「Sweeter, More Bitter」のリミックスを手掛け、翌2022年にはセカンド・アルバム『The Spoon』を発表した他、ブルーノート・レコードの名曲を再解釈したコンピ盤『Blue Note Re:imagined II』にグラント・グリーンの楽曲「Green With Envy」のカヴァーを寄せている。ジャズのバックボーンを感じさせながらも、ポストロック、ファンク、R&B、レゲエ&ダブ、アフロビート、ヒップホップ等々を取り込んだオリジナルな音楽性は新鮮だ。アルバムでのサウンド・プロダクションにはエクスペリメンタルな色彩もちらつかせている。

今回のインタビューでは、初来日公演を終えた直後のオスカー・ジェロームに、ライヴでの印象をはじめ、影響を受けたギタリストや大学時代に学んだこと、ココロコでの活動、さらにコラボしてみたい日本のアーティストまで聞いた。彼のユニークな音楽性の背景には、いったい何が潜んでいるのだろうか——。

ギタリストとして影響を受けたもの

——初の来日公演はいかがでしたか?

オスカー・ジェローム(以下、オスカー):最高だった! 日本のオーディエンスの前で演奏するのはすごく楽しかったよ。というのも、リスナーが一生懸命静かに聴いてくれるので、とにかく音楽が好きなんだなってのが伝わってくる。でも、楽しんでいるということもちゃんと示してくれるんだ。だから弾いていてとても気持ちよかった。

——イギリスをはじめ、日本以外の国でライヴをやる時との違いは感じましたか?

オスカー:やっぱり静かなところが違うかな。日本のオーディエンスは音を立てずにちゃんと聴いてくれる。他の国だと、演奏中でも一緒に来た友達と喋ったり、お酒を飲んでわいわい騒ぎながら観たりすることがよくあるんだ。でも、日本のリスナーは音楽を聴く時にたくさんお酒を飲んでいる印象はなかった。それよりもライヴを観た後に飲みにいく感じがあるというか。演奏する側としてはその方がありがたくて、一生懸命に音楽を聴いてくれているのが伝わるし、僕としても、より音楽に集中できる。ちゃんと聴いてくれていると思うと、より良いパフォーマンスをしなきゃってなるからね。頑張って作った音楽を心を込めて演奏しているので、それに対してちゃんとリスペクトしてもらえるのは嬉しい。

——ライヴでは素晴らしいギター・ソロも披露されましたね。オスカー・ジェロームさんはどんなギタリストが好きなのでしょうか?

オスカー:ジョージ・ベンソン、ジョン・スコフィールド、ジミ・ヘンドリックス、ジョン・リー・フッカー、アリ・ファルカ・トゥーレ……うーん、他にもめちゃくちゃたくさんいる(笑)。もちろん、ウェス・モンゴメリーやケニー・バレルも大好きだよ。

——アルバムを聴くと実験的なサウンド・プロダクションを感じさせる箇所もあります。例えばローレイン・マザケイン・コナーズやジム・オルークなど、いわゆるエクスペリメンタル系のギタリストで好きな人物はいますか?

オスカー:もちろんその2人は好きだけど、そこまで影響されたわけではない。エフェクター、特にディレイの使い方は、むしろダブやレゲエの影響が大きいんだ。あとはいろいろな音の加工の仕方とかは、エクスペリメンタル系よりもプロデュースされたポップス、例えばヒップホップのようにビートをもとに作られた音楽からより多くインスピレーションを得ているかな。自分の頭の中でそういった音楽のサウンドをイメージして、それに寄せようとして作っている。あと、ギタリストで音の加工の仕方が面白いという意味では、トム・モレロからとても影響を受けているね。

——ブルーノート・レコードの名曲を再解釈したコンピ盤『Blue Note Re:imagined II』(2022)ではグラント・グリーンの「Green With Envy」をカヴァーしていました。ラッパーのOscar #Worldpeaceとのコラボでヒップホップ風にアレンジしていましたが、選曲はオスカー・ジェロームさん自身が行ったのでしょうか?

オスカー:そうだね、あの曲は自分で選んだ。グラント・グリーンからもすごく影響を受けている。あの曲はタイトルが「Green With Envy(=ひどくねたむ)」という、嫉妬の気持ちがテーマの曲のはずなのに、原曲はハッピーな曲調で。だからそれを「嫉妬の気持ち」というテーマに沿う形で、もっとダークな感じにしたかった。メロディーはそのままなんだけど、コードを変えて、歌詞にフォーカスしながら曲のイメージを変えてみたかったんだ。

トリニティ音楽カレッジで学んだこと

——オスカー・ジェロームさんはトリニティ音楽カレッジを卒業されています。大学時代はどういったことを勉強されていましたか?

オスカー:専攻はジャズ・ギターだった。授業の内容としては、ギターの先生に1対1で教えてもらうのと、グループでの授業があった。1対1の授業では、デイヴ・クリフ(Dave Cliff)とフィル・ロブソン(Phil Robson)、ハネス・リプラー(Hannes Riepler)という3人のギタリストが僕の先生だった。グループ授業では、和声を勉強したり、ギター・ソロを聴き取る訓練をしたり、ジャズの歴史を学んだりしたね。あとはグループの中でどう演奏するか、即興をどういうふうにやるかという勉強もした。それと、授業だけじゃなくて練習の時間が設けられていて、大学の構内に練習できるスペースがあったから、そこでとにかく練習をしていたよ。

——先ほど好きなギタリストの一部を挙げていただきましたが、大学時代に特に研究/分析したミュージシャンはいましたか?

オスカー:ジョージ・ベンソンとグラント・グリーン。でもギタリストだけではなくて、ソニー・ロリンズとかジョー・ヘンダーソンとか、そういったサックス・プレーヤーも大好きだから、すごく研究していたかな。

——2010年代はアフロビート・バンド、ココロコのメンバーとしても活動されていました。なぜバンドを脱退することになったのでしょうか?

オスカー:だんだん自分自身の活動が忙しくなってきて、ココロコのライヴで他のミュージシャンに代わってもらうことが増えてしまっていたんだ。両方を掛け持ちすると、どうしても中途半端になってしまう。僕としては自分の音楽を優先していきたい、だからもうソロ活動に専念しようと思って、それで脱退することにした。2014年の結成当初から5年ぐらいいたから、ココロコのメンバーだったのは2019年までかな。正式に脱退したのはコロナ前だったと記憶している。

もちろん、他の人が書いた楽曲をメンバーと一緒に演奏することもすごく好きだよ。でも、自分の才能を一番輝かせられるのは曲作りの部分だと僕は思っているので、自分がやりたい音楽を自由に追求したかった。とはいえ、メンバーとは今でも仲が良くて、例えばドラマーのアヨ・サラウは、いつも僕がライヴをやる時にサポートしてもらっている。今回の日本公演には来ていないけど、そんなふうにココロコのメンバーとは今でも繋がりがあるんだ。

——ココロコはアフロビートやハイライフなどを取り入れた独自の音楽性が特徴でしたが、そこで活動した経験は、現在のソロ活動にどのような影響を与えていますか?

オスカー:1つは、アフリカの音楽、特に西アフリカの音楽を学ぶことができたのは大きな糧になった。エボ・テイラー、パット・トーマス、フェラ・クティなど、素晴らしいアーティストの曲をたくさん演奏したし、本当に深く掘り下げることができた。もう1つは、メンバーは何回か変わったけど、素晴らしいミュージシャン達と一緒に演奏できたことだね。それに途中からココロコ自体が人気が出て、大きなステージで演奏する機会も増えたので、僕が今ソロで「グリーンルーム」のような野外フェスに出ても、経験値があるから、多くの観客の前でも自信をもって演奏できる(笑)。

WONKとのコラボは素晴らしい体験だった

——2021年には日本のバンドWONKとコラボを果たし、楽曲「Sweeter, More Bitter」のリミックスを手掛けました。オスカー・ジェロームさんにとっては他の人の楽曲をリミックスすること自体が初めてだったそうですが、実際にやってみて手応えはいかがでしたか?

オスカー:素晴らしい経験になった! ちょうどその時はベルリンにいて、ロックダウン中の冬で、誰とも会わずに1人でスタジオでひたすら音楽を作っていた。特にサウンド・プロダクション面でいろいろと自分のスキルを伸ばしていた時期でもあったので、実際にその楽曲のリミックスを手掛けることができたのは、僕としてもいろいろなことを試すことができて、経験値に繋がったのがとてもよかったね。もちろん曲もすごく好きだった。なので、ただ普通にリミックスをするだけではなくて、もっと自分らしいものを加えたいと思ったんだ。それで歌詞を書いて歌をつけることにした。そうやってできたリミックス曲を、今回あらためて日本で聴くことができたのは、とても感動的でもあった。

——WONKというバンドの魅力はどのようなところに感じますか?

オスカー:どのメンバーもそれぞれミュージシャンとして素晴らしいし、今の時代ならではのモダンなサウンド・プロダクションと、楽器で演奏する部分を上手く融合させるというところは、僕もそうなので、すごく共感できることが多い。今まで聴いてきた音楽や、影響を受けているものには多少違いがあるかもしれないけど、もしかしたら、やろうとしていることは同じ方向を向いているのかもしれないなと思ったよ。

——今後コラボレーションしてみたいと思う日本のミュージシャンやバンドはいますか?

オスカー:今回「グリーンルーム・フェスティバル」でSIRUPと会うことができたので、ぜひ何か一緒にできたら嬉しい。あと実はSOIL & “PIMP” SESSIONSがすごく好きで、子どもの頃からずっと聴いていたんだけど、「グリーンルーム」では彼等のライヴも生で観ることができて、しかも会った時に「君の音楽のファンだよ」って言ってもらえて、めちゃくちゃ嬉しかった(笑)。だから将来、もし彼等とも一緒に何かができるなら最高だね。

——ちなみにSOIL & “PIMP” SESSIONSのように、以前から好きで聴いていた日本の音楽というのは他にありますか?

オスカー:ある、けど、名前をど忘れしてしまった……うーん……シティポップ系のアーティストで……。

——大瀧詠一とか?

オスカー:そう! あと、ジャズ・ピアニストの福居良のアルバムもたくさん聴いたな。彼の音楽も大好きだ。それと竹内まりや。彼女はレジェンドだね。

——最後に、日本の印象について教えてください。近年、シャバカ・ハッチングスが尺八を吹くようになりましたが、かつてクライヴ・ベルは日本に一時的に住んで尺八の腕を磨いたこともありました。今回の来日公演を経て、「いつか日本に住みたい」と感じたことなどはありましたか?

オスカー:僕は美味しいものを食べるのが大好きだから、そういう意味では日本はパラダイスだね。だからガールフレンドと「え、日本に住んじゃう?」みたいな話をすることはあったけど(笑)、具体的に予定を立てているわけじゃない。でも、大好きな人もたくさんいるし、日本に住んだらそれはそれで面白いかもしれないね。

Photography Yuri Manabe

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君島大空、サウンドの実験とジャズを語る-後編- 合奏形態とジャズ・ミュージシャンについて https://tokion.jp/2023/04/17/interview-ohzora-kimishima-vol2/ Mon, 17 Apr 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=179859 1stアルバム『映帶する煙』をリリースした君島大空インタビュー。後編では、君島大空とジャズの関係について聞いた。

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君島大空

君島大空(きみしま・おおぞら)
ソングライター / ギタリスト。1995年東京都青梅市生まれ。ギタリスト/サウンドプロデュースとして、吉澤嘉代子、中村佳穂、細井徳太郎、坂口喜咲、RYUTist、adieu(上白石萌歌) 、高井息吹、UA、荒谷翔太(yonawo)などさまざまな音楽家の制作、録音、ライブに参加。2019年EP『午後の反射光』を発表後から本格的にソロ活動を開始。2020年にEP『縫層』、2021年にEP『袖の汀』、2023年1月に1stフルアルバム『映帶する煙』をリリースした。
Twitter:@ohzr_kshm
Instagram:@ohzora_kimishima
YouTube:@ohzorakimishima7243
https://ohzorafeedback.wixsite.com/hainosokomade

音楽家・君島大空によるファースト・アルバム『映帶する煙』は、彼が「合奏形態」と呼ぶバンド編成での、初の一発録音が収録された作品でもある。メンバーは敏腕ミュージシャンばかり。ドラマーの石若駿は日本の現在進行形のジャズ・シーンを牽引する人物であるとともに、ポップスから実験音楽まで幅広いフィールドでも活躍。ベーシストの新井和輝はロック・バンドKing Gnuの一員として知られているが、ジャズ・コントラバス奏者としても第一線でその才能を発揮している。ギタリストの西田修大は数多くのサポート・ワークで今や欠かせない存在となっており、ジャズ・ミュージシャンとのジャンルを超えた共同作業もこなす稀有な音楽家だ。そう、君島大空の合奏形態は、ジャズを抜きにしては語れないメンバーから成る特異なバンドなのである。

それだけでなく、君島大空の周囲には多くのジャズ・ミュージシャンの姿を確認することができる。ならば『映帶する煙』も、いわゆるジャズではないにせよ、ジャズを抜きにしては語れない音楽だと言ってもいいだろう。では、君島大空とジャズにはどのような関係があるのだろうか。

前編はこちら

「合奏形態」について

——『映帶する煙』に収録された音楽は録音を前提とした表現だと言えますが、一方で歌もありますよね。いわゆる歌モノについては、ライヴで演奏することも想定して作曲されているのでしょうか? それとも制作時はそうしたことは特に考えず、あくまでも録音作品として面白いものを追求していましたか?

君島大空(以下、君島):どちらかと言うと後者です。レコーディングの時点ではライヴでやることは想定していなくて、バンド・メンバーにはライヴで挑戦してほしいという気持ちもあって曲を書いています。ライヴでは元の音源を別の音で置換するというより、元の音源と同じような印象をもたらすために、全く違う材料を持ってくるようなアプローチを取っていて。そうしたことが合奏形態のメンバーなら可能だと思うんです。だから同期音源を一緒に流すということは今のところ考えていなくて、この前のワンマン・ツアー「映帶」でも4人で合奏をしつつ、元の音源と同じような印象をお客さんの中に残すというようなアプローチをしました。

——ちなみに、「バンド」や「アンサンブル」ではなくて「合奏」と漢字で表記しているのはなぜでしょうか?

君島:今のメンバーで最初にやったライヴが、下北沢THREEで開催した『午後の反射光』のリリース記念イベントだったんです。その時に一番楽器が達者な友達を招集しようと思って、石若(駿)さんと(新井)和輝さん、西田(修大)を誘ったら、想像以上に良い演奏になって。それでもう1回やりたいと思い、「君島大空」が漢字4文字なので、もう4文字あると漢字8文字が連なってインパクトがあるんじゃないか? ということで「合奏形態」と名づけてライヴをして。その日限りのバンドのつもりだったんですが、ライヴが終わるとやっぱりもう1回やりたいと思い、もう1回やり終えるとさらにまたやりたくなって……というのが続いていまだに残っているという感じです。なので、最近はバンド名を考えたほうがいいのかなと週に2回ぐらいは思うんですよね(笑)。

でも、「合奏形態」という名前をつけた時、合奏という行為が僕はすごく好きだなと改めて思いましたね。1人でやるよりも誰かと一緒にやるほうが自分が生きてくるし、その時の人と人との関係性はとても大切なものなので。合奏することが自分の人生でどれだけ大事なのか、特に合奏形態でライヴをやり始めた時期はよく考えていました。やっぱり1人でやる時とは全く違うのが感覚的にもわかるし、ライヴ中に誰かと交感するものがあれば幸せなことだなと。それは音楽を始めた頃からずっと感じていたことでもあって、今でもそうですね。

君島大空とジャズとの関わり

——今回、合奏形態で初の一発録音の音源が『映帶する煙』には収録されています。メンバーの石若駿さんと新井和輝さんはジャズ・ミュージシャンでもありますよね。西田修大さんもジャズと隣接した領域で活動しています。そこでこの機会にぜひ君島さんとジャズの関わりについてもお聞きしたいのですが、君島さん自身はいつ頃からジャズを聴くようになったのでしょうか?

君島:いわゆるジャズを最初に聴いたのは、先ほど(前編で)お話しした〈Blue Note〉のジャズ・ギターのコンピレーション盤でした。中学1年の時、カセットテープに入れて通学中に聴いていました。チャーリー・クリスチャンからアル・ディ・メオラまで入っていて、ジャズ・スタンダードを弾いていたり、他のミュージシャンのリーダー作で演奏している録音も含まれていたんですが、ジャズらしいジャズを聴きだしたのはそれからですね。なので、ジャズの王道から聴いていったというよりは、ジャズ・ギターから入って、いろいろなジャズ・ギタリストを調べて聴いたりしていました。

——最初にハマったギタリストは誰でしたか?

君島:最初はテクニカルなものにハマって、それこそ〈Blue Note〉のコンピを聴きながら「ジャズ・ギタリストってめちゃくちゃ上手いな!」と思っていました。そのあとフュージョンも聴くようになって、メタルも好きだったので、しばらくはそういういわゆるテクいギタリストを追いかけていましたね。けど、それが1周回った時に落ち着いたのがビル・フリゼールでした。めちゃくちゃハマりました。特にソロ。テレキャス1本でライヴをしている音源があるんですが、それが好きで何回も繰り返し聴いたり。あと親父がトム・ウェイツを聴いていた影響で、マーク・リボーにもハマりました。ライヴ演奏を探して真似したりしていましたね。ビル・フリゼールとマーク・リボーの2人は自分の中ですごく大きな存在です。

——ビル・フリゼールもマーク・リボーも、もちろん上手いんですが、いわゆる超絶技巧とはベクトルが違いますよね。フュージョンやメタルなどのバカテク系から、そうではないギタリストに興味が移っていったのはなぜだったのでしょうか?

君島:バカテク系は今でも好きではあるんですけど、あくまでもエンタテインメントなんですよね。最高のショーを見せてくれる、思わず笑顔になってしまうような面白さ。けれど、マーク・リボーからは楽器との生々しい距離感が見えてくるというか。自分自身が音楽をやるうえでも身体性はとても重視していて、楽器との距離が近ければ近いほど魅力的な奏者だと思っているんです。親父がよくトム・ウェイツの『Rain Dogs』(1985)を流していたので、子供の頃からマーク・リボーのギター・プレイ自体は耳にしていました。当時は「めちゃくちゃ変な音のギターだなあ」ぐらいに思っていたのが、年齢を重ねてから、ある時、「ギター・プレイから人柄が見えるぞ」と感じたことがあって。そうした楽器との距離から滲み出る人間らしさに惹かれたところはあります。それはビルフリについても同じで。それと、彼らはジャズ・ギタリストの中でもかなり特異な立ち位置にいますよね。王道の系譜からは外れた場所にいるというか、そうしたところにもシンパシーを感じて好きになったんだと思います。

——世間的にはジャズといえばアコースティックなライヴのイメージが強いですが、録音ならではの表現という観点で、君島さんが特に好きなジャズ・アルバムはありますか?

君島:すごく好きなのはマーク・リボーの『Requiem For What’s-His-Name』(1992)です。あのアルバムには僕がやりたい音楽の理想形のようなものが詰まっていて。あんまりギターが前面に出てこなくて、めちゃくちゃポップな作品なんですよ。ポップなのに、それこそブラダー・フラスクや実験音楽におけるテープコラージュのような質感もあって、おそらくオーバー・ダブをしまくっていて、かなり意欲的に編集作業を施したアルバムになっている。主軸となるのは楽器演奏で、即興のアドリブ・ソロも続くんですけど、突如としてライヴ音源が出現するところもある、みたいな。デコボコな部分もありますけど、自分が音楽活動を行ううえでの心のリファレンスとしても、今でもずっと聴いている好きな作品ですね。

あと、ここ数年ハマっているのがビル・エヴァンスの多重録音作品です。特に『New Conversations』(1978)。1曲目が奥さんに捧げた「Song for Helen」という曲なんですけど、1人で演奏したピアノとフェンダー・ローズを重ね合わせていて、どっちが先に録ったのかわからないようなソロの掛け合いが始まっていく。1970年代にああいうオーバー・ダブをやっていたこと自体も驚きですが、これはエヴァンスがリアルタイムで2人いないと説明がつかないんじゃないかというレベルの奇跡の名演にもなっていて。今はポスト・プロダクションでソロを切り貼りしたり、弾き損じたらその部分だけ録り直すということが当たり前のようにできる時代ですけど、それらが困難な当時の録音、編集技術で今でも新鮮な輝きを放っているのはやっぱりすごいなと。それに、ビル・エヴァンス自身がときめきながら制作していたんだろうなということも見えてくる音なんですよね。新しいテクノロジーに興奮している状態のタイムレスな良さというか。なので、音像というだけでなく、作品の中で起きている状態そのものとしてすごく好きなアルバムです。

ジャズ・ミュージシャンからの刺激

——なるほど。ところで合奏形態のメンバーのほか、君島さんの周りには細井徳太郎さんや瀬尾高志さん、松丸契さん、梅井美咲さん等々、広い意味でのいわゆるジャズ・ミュージシャンがたくさんいらっしゃいますよね。君島さん自身、新宿ピットインや東池袋KAKULULUのようなジャズの現場でライヴをされることもありますが、ジャズ・ミュージシャンとの交流というのは、君島さんの音楽にどのようにフィードバックしていると感じますか?

君島:そうした交流がなかったら今の自分が存在すらしていないような気がします。そこにはとても自覚的ですね。時々、周りにいる人がジャズをやっているということを忘れてしまうことがあるんですよ。特に一緒に演奏している時はすっかり忘れていて、ジャズ・ミュージシャンばかりだと意識し始めると急に緊張したりもするんです(笑)。でもやっぱり、音楽に対して分け隔てない人達だなとは感じますね。彼らと知り合う前は、いちリスナーとしても、ジャズに対して何か壁があるような気がしていました。それは日本だからなのかもしれないですけど、ジャズは難しい音楽だ、みたいな空気感ってあるじゃないですか。

でも実際にジャズを演奏している人達に会ってみると、こんなに実直で自由奔放な人達はいないんですよね。『午後の反射光』を作るまでは周りにジャズ・ミュージシャンが全くいなかったんです。いわゆるロック・バンドが出るようなライヴハウスでポエトリー・リーディングと即興ギターのライヴをするぐらいで。それが、まずは石若さんとの出会いが大きくて、そこからいろいろと繋がりができていきました。そうした繋がりは感謝という言葉では足りないぐらい、周りにいてくれてありがたいと思っています。

もちろん音楽的な意味でも刺激を受けることは多々あります。やっぱりみんな作品を出すスピード感がものすごくて、僕は1年かけて5分の曲を作るぐらいのペースでやっていましたけど、石若さんとか(細井)徳ちゃんなんかは「これ録ってみたから来月出そうかな」とか言ってくることがあって。どんどん自分の中の空気を入れ替えていくスピード感には圧倒されますね。あと、普段は言わないですけど、身の回りでジャズをやっている友人達は、自分の表現をしっかりと言語化できる力がある。当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、石若さんからは特にそうした姿勢を感じます。尋常じゃない気迫を感じることもあります。例えば(松丸)契ちゃんは、付き合いが長いわりに一度しか演奏したことがないのですが、出す音の機微や音価に対して僕の知らない次元でとても繊細なコントロールをしているなと思います。自分の表現にものすごくプライドを持っていることが一緒に音を出すだけでも伝わってくるんです。

それと傍から見ていて面白いなと思ったのが、例えば新宿ピットインで30代のミュージシャンがライヴをやる時に、ピアニストが20代、ドラマーは80代、みたいな状態が当たり前に存在しているじゃないですか。それってよくよく考えたらヤバいなと。普通にライヴしているけど、ポップスとか他の音楽からしたら、そういう世代間の交流ってなかなか見られない。あるとしたらその交流自体に大きなスポットを当てたイベントになりますよね。そんなことがピットインだと連日のように普通に行われている。「今日こういうライヴだったよ」って写真を見せられると、ああ、こういう場所は僕にはなかったなと思ったり。そういう風に年齢も分け隔てなく一緒に演奏して、そこから何かを抽出して糧にしている徳ちゃんとか梅井ちゃんの話を聞くと、もうそれだけでとても刺激的ですね。

今しかできないことをやる

——君島さん自身は、ジャズではないにしても、例えばインプロやノイズのインストゥルメンタル作品を作りたいと思ったことはありますか?

君島:あります。ずっと作りたいという気持ちはありますけど、まずは今しかできないことをやろうと思っているんです。今回の『映帶する煙』に関しても、今自分がこの国に住んでいて、この年齢で、この性別でできる音楽はこれだなというのがあったので、優先して作ることにしました。やっぱり古い曲が多いので、(前編の)最初に言ったようなリミットも感じていて。今回のアルバムは、時間が止まった場所から歌が聴こえてくるような空間を作ることがコンセプトとしてありました。なので、アルバム全体にそうしたフィルターをかけているんですが、これまで出してきたEPと比べても、かなりそうした靄のようなものはサウンド・プロダクションの段階で意識的にかけていて。ともあれ、インプロヴィゼーションやノイズ、エクスペリメンタルな音楽はずっと好きなので、1人で作ってためてはこっそり聴いたりしています。だから、なにか起爆剤のようなものがあれば作品としてまとめたいとは思いますね。

——最後にお聞きしたいのですが、もし今回のアルバムをジャズのリスナーに紹介するとしたら、君島さんとしてはどのあたりをポイントに聴いてほしいと思いますか?

君島:やっぱり合奏形態の一発録りのトラックです。「19℃」と「都合」、「光暈」がそうで、この3曲のテクスチャーは僕の中ではジャズと近いところにあるなと思っています。単にジャズ・ミュージシャンが参加しているからというより、そうした音像のテクスチャーに着目して聴いてもらえたら、ジャズが好きなリスナーにも届くんじゃないかと。特に「光暈」という曲は意識的にジャズの一発録りの質感を狙ってレコーディングしました。僕は〈ECM〉もすごく好きなので、静謐でドラムが隅々まで聴こえていて、音場がどのぐらい広いか一聴してわかる、というような録音を意識したミックスにしています。

——個人的には最後の「No heavenly」もある種のジャズ的な面白さがあるなと思いました。特にギターがノイジーで、大友良英さんを彷彿させると言いますか。

君島:バレてしまった(笑)。実は「No heavenly」のギターは西田がU字金具を使っていて、まさに大友さんの技なんですよね(笑)。このトラックは一発録りではないですが、合奏形態のメンバーで遠隔で制作していて。ドラムだけスタジオで石若さんと録音して、和輝さんにはベースの音源を送ってもらって、その後、西田の家に行ってギターを録音して、それらの素材をミックスして作りました。あえて通常のギター・ソロではない音にしたいと思ったんですね。立てかけてあるギターが倒れて弦が切れた時に鳴るような具体音が欲しくて、西田に「具体音のソロを弾いてください」ってお願いしたんです。彼はエフェクト・プロセッシングのプロなので、どうしたら面白い具体音が出るのかいろいろ試したんですけど、なかなか「これだ」というのが見つからなくて。

そしたら西田が「意外と最近のギタリストがやっていないのはこういうアプローチなんじゃない?」って、U字金具を取り出してきて。「封印を解く」みたいに言いながら、U字金具で出したギター・ノイズをワーミーで上げたり下げたりしたら、めっちゃかっこよくて、それであの音になりました。なので、確かにそのあたりもジャズ的な視点からも聴いてほしいですね。

Photography Mayumi Hosokura

■君島大空『映帶する煙』(えいたいするけむり)
発売日:2023年1月18日
価格:¥3,000
収録曲
「映帶する煙」
「扉の夏」
「装置」
「世界はここで回るよ」
「19℃」
「都合」
「ぬい」
「回転扉の内側は春?」
「エルド」
「光暈」
「遺構」
「No heavenly」

<ライヴ・インフォメーション>
■君島大空独奏遠征春編「箱の歩き方」
2023年4月22日(土)愛知県文化フォーラム春日井・ギャラリー
2023年4月23日(日)静岡県鴨江アートセンター301号室
■4月15日(土)横須賀飯島飯店「夜と朝のあいだに」独奏
■4月19日(水)渋谷LOFT HEAVEN 穂ノ佳プレゼンツ 独奏
■ビルボードライブ公演 「外は春の形vol.2」w/石若駿
2023年5月3日(水・祝)ビルボードライブ横浜、5月5日(金・祝)ビルボードライブ大阪
1stステージ OPEN 15:30 / START 16:30 2ndステージ OPEN 18:30 / START 19:30
◼5月6日(日)J-WAVE & Roppongi Hills present TOKYO M.A.P.S Chris Peppler EDITION 六本木ヒルズアリーナ 独奏
■5月21日(日)福岡 CIRCLE`23 海の中道海浜公園野外劇場 独奏
■7月28日(金)FUJI ROCK FESTIVAL’23 合奏形態
https://www.fujipacific.co.jp/artists/artists/post_23.html

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君島大空、サウンドの実験とジャズを語る-前編- 1stアルバム『映帶する煙』とノイズ/アヴァンギャルド https://tokion.jp/2023/04/14/interview-ohzora-kimishima-vol1/ Fri, 14 Apr 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=179781 1stアルバム『映帶する煙』をリリースした君島大空インタビュー。前編では、初のフル・アルバムの制作背景からエクスペリメンタルな色彩を帯びたサウンドについてまでを語ってもらった。

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君島大空

君島大空(きみしま・おおぞら)
ソングライター / ギタリスト。1995年東京都青梅市生まれ。ギタリスト/サウンドプロデュースとして、吉澤嘉代子、中村佳穂、細井徳太郎、坂口喜咲、RYUTist、adieu(上白石萌歌) 、高井息吹、UA、荒谷翔太(yonawo)などさまざまな音楽家の制作、録音、ライブに参加。2019年EP『午後の反射光』を発表後から本格的にソロ活動を開始。2020年にEP『縫層』、2021年にEP『袖の汀』、2023年1月に1stフルアルバム『映帶する煙』をリリースした。
Twitter:@ohzr_kshm
Instagram:@ohzora_kimishima
YouTube:@ohzorakimishima7243
https://ohzorafeedback.wixsite.com/hainosokomade

音楽家の君島大空が初のフル・アルバム『映帶する煙』を完成させた。2019年に最初のEP『午後の反射光』をリリースしてから4年。この間、さらに2枚のEPを発表したほか、フェスやツアー、アーティストへの楽曲提供など、精力的に活動してきたこともあり、フル・アルバムは多くのリスナーが待ち望んでいた作品だったに違いない。全12曲、約52分の長さにまとめられた本盤は、1つひとつの楽曲に物語があり、情景があり、あたかも複数の短編映画が連なるかのようでもある。だが同時に、決してオムニバス風というわけではなく、全体が1つのトーンで覆われてもいる。それはサンプリング・コラージュを駆使したテクスチュアルで触覚的な音響、および中性的な固有の歌声がアルバムを通底しているからでもあるだろう。

これまでEPを3枚リリースしてきた君島大空は、なぜ今回フル・アルバムの制作に踏み切ったのか。また、エクスペリメンタルな色彩を帯びたサウンドの背景にあるものとは何か。前後編に分けてお届けするインタビューの前編では、アルバム制作経緯や実験音楽との出会いなどを伺った。

なぜこのタイミングでのリリースだったのか

——これまで君島さんは『午後の反射光』(2019)、『縫層』(2020)、『袖の汀』(2021)と、いずれもEPというフォーマットで作品を発表してきました。今回EPではなく、初めてフル・アルバムとして『映帶する煙』をリリースするに至ったのはなぜだったのでしょうか?

君島大空(以下、君島):最初のEPを出した段階では、自分がソロで活動していくとまでは考えていませんでした。1枚出せたらいいな、ぐらいの気持ちで、名刺代わりになる作品として『午後の反射光』を出したんです。でも出してから聴き返していたら悔しくなってきた。「ソロでやっていくぞ」という気持ちがなかったわりには、もう少しやりたいことを実現したい、自分の音楽をもっとコントロールしたい、そしたらこれ以上のことができるんじゃないかと思うようになって。それで『縫層』を出して、その次の『袖の汀』ではもともと自分がやっていたスタイルに戻っていきました。

そうしたEP作りを通して、自分1人で立っているという自覚が芽生えてきたんですね。いまだに「ソロでやっていくぞ」という気持ちは希薄ではありますけど、3枚のEPを制作することで音楽を作ること自体が楽しくなっていきました。特に最初の『午後の反射光』は苦しみの中で出したファーストでもあったので、その頃に比べると気持ちが変化してきたんです。まだやっていないことがたくさんありますし、作っておいて発表していない曲もたくさんあって。

それらを振り返った時に、ちゃんと整理し直して出しておくタイミングは今しかないなと。古い曲も多いので、自分の中でのリミットが迫っていると感じていました。今それらを編じて出しておかないと、おそらく一生出さないことになってしまうのではないか。そう思ったのが1年半ぐらい前で、清算するような気持ちもあって、まとまりのあるものを作ろうとしてフル・アルバムを出すに至りました。

——「1枚出せたら」という思いで『午後の反射光』をリリースしたとのことですが、その時点でフル・アルバムではなくてEPという30分弱のコンパクトなフォーマットを選んだのはなぜだったのでしょうか?

君島:それは聴いてほしい曲が2曲だけだったからです。「遠視のコントラルト」と「午後の反射光」、とにかくその2曲を聴いてほしくてEPを作り始めて、それらを固めるものとして他の曲を揃えていきました。だから自分の中ではシングルにも近いところがあります。景色を説明するためにインタールードとして短い曲を前後に配置したんです。EPというサイズはそうした作品を作るうえでとても自分に合っているなと思いました。

——なるほど。それで『縫層』と『袖の汀』も、フル・アルバムではなくてEPというフォーマットでリリースしてきたと。

君島:あと、制作スタイルにも理由があると思っています。レコーディングからミックスまですべて自分でやってきたので、1つの録音作品を作るのにものすごく時間がかかってしまう。だから、聴いてほしい中心的な曲を自分の中でピックアップして、その周りに小曲を配置するというような作品だと、サイズ的にEPが限界だなというのがありました。逆に言うと、このサイズであれば1人で作ることができる。インタールード込みで7~8曲ぐらいなら1つの循環、1つの景色を見せることができるんです。

でもEPはEPで、ある意味では音楽を聴くうえでちょうどいいサイズだとも思うんですよ。人によっては、例えば出勤の時に家から会社に着くまでの時間、電車に乗っている間に聴き終えてしまうこともできる。生活する中で聴きやすいサイズ感ですよね。ただ、物理的な時間は短くても、体感時間としては長いものを目指しています。あえてコンパクトなサイズの中に体感時間の長い音楽を入れる。そういう体感時間の長さが個人的に好きなんです。それは『袖の汀』を作っている時に意識するようになりましたね。

「1曲1曲をすべてシングルカットしたいぐらいの気持ちで作りました」

——今回、初めてフル・アルバムというフォーマットで作るうえで、工夫したことや大変だったことはありましたか?

君島:『映帶する煙』はこれまでと違って、全曲が「聴いてほしい曲」なんですね。1曲1曲をすべてシングルカットしたいぐらいの気持ちで作りました。最初にたくさん曲を作って、そこから選んでいったんです。もう1枚アルバムを作れるぐらい曲を用意しました。だから、あんまりアルバムらしい作り方はしていないかもしれないです。それぞれ1曲だけ取り出しても独り立ちできるような曲なので、それらを繋いでいくこと、最後に空気感を揃えることが大変でした。これまでのEPと比べて曲数が倍近くなっているので、アルバムとしてどうまとまりを持たせるのか。全体の空気を揃えるためのテクニカルなサウンド・プロダクションには力を入れましたね。

——とてもテクスチャーが印象的なアルバムだと感じました。冒頭の表題曲「映帶する煙」はミュージック・コンクレートのようですが、その後の歌モノでもサウンド・コラージュを散りばめています。サウンド・プロダクションの面では、今回どのようなテーマがありましたか?

君島:もともと僕はギタリストになりたくて、特にフリー・フォークやフリー・ジャズのギタリストが好きだったんです。そこからミュージック・コンクレートや実験音楽も聴くようになっていきました。10代の頃にそうした音楽に親しんでいたこともあって、テクスチュアルな音像にはとても興味があるんです。それで音それ自体に意味があるものというか、聴いただけで場所性を強く感じさせるような音を作りたいとは思っていて。それと歌はどうしたら共存できるだろう、というのが今回のアルバムでは一貫したテーマの1つではありました。

そのためにあえて曲同士を共存させないようにもしています。曲と曲を繋げないことで逆に一貫性が出てくるような並びというか。さっきまで声が遠くにあったのに、急に近くに現れる、というようなギミックに近いところもありますけど、そういうような調整です。分断されているけど繋がっているものをどう配置したらよいのかはいろいろと工夫しましたね。曲と曲の間もそうですし、1曲の中でもそうしたアプローチは取っています。できるだけ人為的に作られた感じは出さないようにしたいとも思いました。もちろん結果的には作られた音ではあるんですが、そうではない偶発性みたいなものを面白がりながら編集していきました。

——偶発性といえば、曲によっては冒頭に一瞬だけノイズが紛れ込むこともありますよね。ああした音も偶発性を面白がるというような発想からあえて入れたのでしょうか?

君島:そうです、普通はミックスの時に絶対カットする音なんですよね。でも、「ぬい」や「遺構」、「No heavenly」の冒頭で一瞬だけ鳴っているノイズはカットせずに残していて。あれはレコーディングする時に偶然入ってしまった音なんです。けれどそれが良かったので、そのまま残しました。楽器が出す具体音が大好きなんですよ。立てかけておいたギターが倒れて「ダーンッ」って鳴る音とかが聴こえると「ああ、いいな」と思ってしまう。レコーディングの時に偶然にもそういう音が録れたので、意図的に編集もしつつ、そしたら曲同士が偶然にも繋がっているような状態になって。実はすごく気に入っている部分でもあります。

——さりげなく耳を引く響きで、私も良いなあと感じました(笑)。ところで、アルバムでは具体音をはじめ無数のサンプル音源を切り貼りしていますが、それらの素材はどのように用意しましたか?

君島:Spliceというサンプル音源のサブスクリプションサービスがあって、そこから引っ張ってきたサンプルが3割。残りの7割は自分で作った素材ですね。自分で作ったというか、いろいろな場所でフィールド・レコーディングをすることがよくあるんです。1年間いつでもレコーダーを回し続けていて。例えば海に行った時に録音した海鳴りとか、自分の声とか、あとはなんとなくレコーダーを回しながら録った即興演奏の音源とか。それらをギターのエフェクターに通して加工したり。

音が面白いからだけではなくて、思い入れのある場所の音をレコーディングすることもあります。例えば、ある曲の着想を得た場所の響きを記録したり。そうやって録った音源がメモのようにたくさんストックしてあって、忘れた頃にファイルを開くと自分のサンプル音源のアーカイヴみたいなものができているんです。そこから引っ張ってきて、さらにエフェクターで加工したりして、記名性が高くなる音にしていくという作り方をしていました。

——もともと音楽制作で使うためにフィールド・レコーディングをして録り溜めていたのでしょうか? それとも特に目的はなく録音自体を楽しんでいましたか?

君島:録音すること自体が昔から好きでした。ボイスメモを録っておいて後から聴き返すのが大好きで。ちょっとした盗聴のようなスリリングさもあるかもしれないです。例えば友達と遊んでいる時にレコーダーを回して、みんなが帰ってから1人で聴くとか。今思い出したんですけど、中学1年の時にカセットテープレコーダーを親父に買ってもらったんですね。それに〈Blue Note〉のジャズ・ギターのコンピを入れて通学途中に聴いていたんですが、ある日、「これ録音機能があるぞ!」と気づいて、空のカセットテープを買ってきたんです。それで授業中にずっと録音していて、帰ってから聴き返していると、なんかとてつもなく悪いことをしている感じがして面白かった(笑)。

——それは別に授業の内容を復習するために録音したわけではないんですよね?

君島:そうです、単純に音を聴くために録音してました(笑)。その場所で起きている何かを聴くことが楽しかったというか。遠くで誰かが立ち上がる物音がしたり、誰かの声が聞こえてきたり。それを聴き返すという一人遊びをして「なんて楽しいんだ!」と喜んでましたね(笑)。もしかしたら今の音楽制作もその延長線上にあるのかもしれないです。

制作中に聴いていたエクスペリメンタル音楽

——なるほど(笑)。ところで、フィールド・レコーディングやミュージック・コンクレートを音楽作品として発表しているアーティストもいますよね。いわゆるエクスペリメンタルな音楽と呼ばれる領域になりますが、そうした実験的なアーティストや作品で、特にハマったものなどはありましたか?

君島:10代の頃にアラン・リクトの『サウンドアート 音楽の向こう側、耳と目の間』という本を親父に買ってもらって。当時はアラン・リクトもサウンドアートもよく知らなかったんですけど、もともとジム・オルークが好きで、オルークが序文を書いているということで興味が湧いて。それを読んでいろいろ調べて、YouTubeで検索して聴いたりして「う~ん、わかんねえなあ」とか思いながら年末を過ごしていたことがあります(笑)。その中でラ・モンテ・ヤングにまずハマったんですよね。あの人、奥さんのマリアン・ザジーラと一緒に「ドリームハウス」というインスタレーションのプロジェクトをやっているじゃないですか。それにすごくときめいたり、ラーガの作品を聴いたり。ラ・モンテ・ヤングはめっちゃ好きで、当時ケータイのアドレス名にもしていました(笑)。

なんでそんなに好きだったのかはよくわからないですけど、「音楽でこんな行為をしている人がいるんだ」ということは衝撃的で。それで聴いたり調べたりし始めたのだと思います。それから、そもそも著者のアラン・リクトって誰だろうということで彼のソロ・アルバムを聴いてみたり。アラン・リクトの作品は今でも聴いていますね。やっぱりギターのインプロヴィゼーションはとても好きなんです。あとはオヴァルのマーカス・ポップかなあ。彼の作品集もいろいろ好きで、マーカス・ポップと日本人アーティストの豊田恵里子さんが一緒にやっている「So(ソー)」というユニットのアルバムもよく聴きました。

あとセレスト・ブルシエ=ムジュノというフランスのアーティストがいて、寝かせたエレキギターの上で小鳥を遊ばせる「From Here to Ear」というサウンド・インスタレーションのプロジェクトがあります。あまりにコンセプトが強すぎて、最初は「いや、出オチでしょ」と思ったんですけど、音を聴いてみたらめちゃくちゃかっこよくて(笑)。小鳥があんな音を奏でるなんて……とびっくりしました。やっぱり、ギターで何かをしている人を自然に探してしまうところはあるのかもしれないです。

それと、テープコラージュだとブラダー・フラスク(Bladder Flask)がすごく好きです。たぶん日本での知名度はゼロに近いレベルで、音源もアルバムは1枚しかリリースしていなくて(註:1981年リリースの『One Day I Was So Sad That The Corners Of My Mouth Met & Everybody Thought I Was Whistling』。オリジナル盤は500部限定だったが、2023年、フランスのレーベル〈Sonoris〉からCD/LPが再発された)。ものすごい高速テープコラージュなんですが、現代の制作環境で最新のテクノロジーを用いてもなかなかキツいなということを、当時テープでやっていて。それはずっと聴いていましたね。

——『映帶する煙』の制作中に特に聴いていたエクスペリメンタルな音楽というのはありましたか?

君島:1曲目の「映帶する煙」はカセットテープで作っているんですよ。カセットに入れた音をエフェクターに通して、ループさせたものを加工してカセットのMTRに突っ込んで、それを1回パソコンに入れてまたエフェクターを通して……ということを延々とやって作ったんですが、その着想を得たのは実はローレン・コナーズのソロ作品なんです。彼、ボイスメモで録音した音源もリリースしているんですけど、ギターを演奏している後ろで、例えば奥さんが部屋に入ってくるドアの音とかが紛れ込んでいたりするんですね。その質感がすごく良いなと思って。

「映帶する煙」はザ・ケアテイカーからも着想を得ています。そもそもザ・ケアテイカーの音像を作りたいということがテーマとしてあったんです。どんどん情報が劣化していく、いわばデジタル・ローファイとでもいうような音像。ローファイといっても、デジタルなローファイとアナログなローファイがあると思うんですよね。アナログなローファイが古いテープの温かみに向ける眼差しだとしたら、デジタルなローファイは1990~2000年代へのローファイ的な視座というか。それらは自分の中では分別して聴いていて。それで、ザ・ケアテイカーのようなデジタル・ローファイの音をエフェクター・ペダルで作ろうと実験しながらアルバムを制作していました。

あとはノルウェーの〈Hubro〉というレーベルから多数の作品を出しているギタリストのキム・ミール。インプロヴァイザーであり作曲家であり、ジャズもやる人なんですが、彼のギターの使い方もすごく好きで。ネットでキム・ミールのエフェクター・ボードの写真を探して、同じものを全部揃えたぐらい好きです。いや、本当は全部じゃなくて、ファズはまだ買えていないんですが(笑)、でも彼が使っているエフェクターを揃えてキム・ミールの音がするよう足元を揃えたり。

アメリカの〈Recital〉というレーベルを運営しているショーン・マッキャンも大好きで聴いていました。彼は音楽家としても活動していて、〈Recital〉から自分の作品も出しています。その中でもマシュー・サリバンとコラボレートした『Vanity Fair』(2012)というアルバムが特に好きで。室内楽のようなものをベースに劣化させまくった音像で、非常にノイジーなんです。このアルバムも『映帶する煙』を作るうえでめちゃくちゃインスピレーション源になりましたね。

他にもBandcampでいろいろなエクスペリメンタル系のアルバムを聴いていました。Bandcampをチェックしていると、毎日のようにオススメに新しい作品が上がってくるじゃないですか。エクスペリメンタルやアンビエント、ノイズ等々のタグがついている作品で気になったのがあれば、全然知らないミュージシャンでもウィッシュリストに入れておいて、あとでまとめて買ったりしていました。ここですべて列挙することはできないですけど、そうやって偶然出会ったいろいろな作品からも少なからず影響を受けていると思います。

後編へ続く

Photography Mayumi Hosokura

■君島大空『映帶する煙』(えいたいするけむり)
発売日:2023年1月18日
価格:¥3,000
収録曲
「映帶する煙」
「扉の夏」
「装置」
「世界はここで回るよ」
「19℃」
「都合」
「ぬい」
「回転扉の内側は春?」
「エルド」
「光暈」
「遺構」
「No heavenly」

<ライヴ・インフォメーション>
■君島大空独奏遠征春編「箱の歩き方」
2023年4月22日(土)愛知県文化フォーラム春日井・ギャラリー
2023年4月23日(日)静岡県鴨江アートセンター301号室
■4月15日(土)横須賀飯島飯店「夜と朝のあいだに」独奏
■4月19日(水)渋谷LOFT HEAVEN 穂ノ佳プレゼンツ 独奏
■ビルボードライブ公演 「外は春の形vol.2」w/石若駿
2023年5月3日(水・祝)ビルボードライブ横浜、5月5日(金・祝)ビルボードライブ大阪
1stステージ OPEN 15:30 / START 16:30 2ndステージ OPEN 18:30 / START 19:30
◼5月6日(日)J-WAVE & Roppongi Hills present TOKYO M.A.P.S Chris Peppler EDITION 六本木ヒルズアリーナ 独奏
■5月21日(日)福岡 CIRCLE`23 海の中道海浜公園野外劇場 独奏
■7月28日(金)FUJI ROCK FESTIVAL’23 合奏形態
https://www.fujipacific.co.jp/artists/artists/post_23.html

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マヒトゥ・ザ・ピーポーが語る、GEZAN新作『あのち』とオルタナティヴな音楽の可能性-後編- 反戦平和への希望、またはアイヌの「歌」と多元的な時間 https://tokion.jp/2023/03/14/interview-gezan-mahito-the-people-vol2/ Tue, 14 Mar 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=174100 『あのち』をリリースしたGEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーのインタビュー。後編では「No War 0305」やアルバム『あのち』、全感覚祭について。

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マヒトゥ・ザ・ピーポー

GEZAN
マヒトゥ・ザ・ピーポー(vo. / gt.)、イーグル・タカ(gt.)、ヤクモア(ba.)、石原ロスカル(dr.)の4人組オルタナティブロックバンド。2009年に大阪で結成。2012年、拠点を東京に移し全国各地で独自の視点をもとに活動を行う。国内外の多彩な才能をおくりだすレーベル・十三月を主催。『面白さの価値は自分で決めてほしい』というコンセプトから、入場フリーの投げ銭制の十三月主催野外フェス「全感覚祭」を2014年から開催。2020年1月に5枚目となるフルアルバム『狂 -KLUE-』を発表。2021年5月に新しいベーシスト・ヤクモアが加入し、「FUJI ROCK FESTIVAL 2021」から新体制にて始動する。Million Wish Collectiveと共に制作された3年ぶりのフルアルバム『あのち』を2023年2月1日にリリース。
http://gezan.net
Twitter:@gezan_official
http://mahitothepeople.com
Twitter:@1__gezan__3
Instagram:@mahitothepeople___gezan

2023年2月24日、ロシア軍によるウクライナへの侵攻から1年が経過した。なぜ戦争という極めて悲惨な出来事へと人間は歩を進めてしまうのか。そしてどうすればこの最悪の状況を打開することができるのだろうと悩みつつ、どうすることもできない無力感に打ちひしがれながら生きてきた人々も少なくなかったはずだ。そうした中、GEZANのニューアルバム『あのち』が届けられた。

戦争を直接的に停止する力を持つわけではないにせよ、昨年3月にGEZANの自主レーベル〈十三月〉が主催した反戦集会「No War 0305」には大きな意義があった。もちろん各所で反戦デモは行われていた。だが大半は「ウクライナと共に」もしくは「反プーチン」を掲げたものだった。それはそれで正しい、が、そこにある敵/味方の論理には戦争と近しい危うさが潜んでいる。「No War 0305」が掲げたのは「反戦」というただ一点。それはいわゆる音楽の力が人々の身も心も一致団結へと向かわせるものであるのに対し、むしろバラバラに分かれ、多様な意見が多様なままに共存する場としての連帯の可能性を音楽を通じて垣間見させるものだった。

『あのち』にもやはり、多様で複雑な音そして声がひしめいている。新たな時代のレベル・ミュージックだと言ってもいい。それは一見すると戦争を受けた反戦アルバムのようにも聴こえるが、「プロテスト・ソングではない」とすらマヒトゥ・ザ・ピーポーは語る。では一体、『あのち』とは何なのだろうか。

怒りの叫びと希望の祈り

——ヴォイス・アンサンブルのMillion Wish Collectiveと作り上げた今作『あのち』は「声」が大きなテーマになっています。ただ、同じ「声」でもアルバム前半は怒りの叫びの要素が強く、それに対して祈りのような後半はどこか希望さえ感じさせます。前半がストリートから発されるリアルな声だとしたら、後半はそれを俯瞰する未来的な視点を提供する、ある意味でSF的な構成と言えばいいでしょうか。こうした2面的な構成はどのような構想のもとに制作していったのでしょうか?

マヒトゥ・ザ・ピーポー(以下、マヒト):コロナにしても戦争にしても、さっき(前編で)仰っていたようないろいろな事象って、それらが起きる前の時代の人に話したら、全く現実感が湧かないと思うんです。むしろすげえSF的じゃん、って思うんじゃないかな。安倍晋三が銃殺されるなんて2010年代には誰も予想しなかった。つまり現実がそもそもSF的なことになっている。だから自分としては普通に音楽をやっていても、SF的な響きに向かっていかざるを得ないということはある。

映画でも例えば『E.T.』(1982)のような昔のSFって、あくまでも地球人に軸を置いていて、地球人が宇宙人に出会うというストーリーだったけど、今は『ブレードランナー 2049』(2017)のようにレプリカント側からの視点を描く。要は「向こう側」と言われていた方に軸を置いて、人間が見るのではなくて、人間を見ているわけですよ。少なくともSFは「向こう側」を垣間見るというようなジャンルからは解放されていて、それぐらい混乱した未知のゾーンに入っているから、自分としては自然なプロセスだった。

気候変動の問題だって同じですよね。もう後戻りできないポイントまで来ているけど、何が起きているのかといえば、人間が個体としては到底捉えられないような、とてつもなく長い時間の尺度で測らなければわからない問題が起きている。でもそのことに向き合わなければいけない。それはある意味でSF的な視点を持つことだと思います。地球という星の期限もそう。戦争で核兵器を使い始めたら普通に壊れてしまうけど、それが今、めちゃくちゃ遠いファンタジーの世界とも思えないようなリアルさを持っているじゃないですか。だから、それこそストリートの感覚のレベルで考えないと、SF的な現実に向き合うことは難しいんじゃないかって。

ただ、アルバムの後半で希望的な響きに寄っているのは、それは『狂(KLUE)』を作った時よりも明らかに世界が混乱していて、自分も追い込まれているということでもあるんです。閉塞感が漂う中で、そのことを写実的にスケッチしたくなかった。ちゃんと嘘をつきたかったというか。『あのち』に含まれている希望の割合は、自分の見ている世界がどれだけ歪んでいるかということでもあるかな。希望があるということをちゃんと言い切る必要があって、それを追いかけて走っている時の方が自分自身も調子が良くなりますからね。

「No War 0305」に込めた想い

——『あのち』には反戦の要素も多いですが、いわゆる反戦アルバムとも少し違っています。イデオロギーをそのまま掲げるのではなく、そもそもなぜ反戦平和が必要なのか、人間が生きていることと深いレベルで向き合った結果生まれたレベル・ミュージックと言いますか。そのあたりの距離感もお伺いしたいのですが、今作を作る上で、ロシアによるウクライナ侵攻や新宿南口で開催した「No War 0305」はどのように流れ込んでいるのでしょうか?

マヒト:今は何かを明言するにはあまりにも複雑な時代だから、記号みたいなもので人を判断したくないとつねづね思っているんです。生きている背景も見ている景色もみんな違うから、あちら側が敵でこちら側が味方、と言い切れるほどシンプルではない。わかりやすく議論を進めるために記号で括って語ることはあるけど、そんなことでは裁けないですよね。「私」という記号すら無理があると思っていて、自分の中にも菌類含めて数多くの他人がうごめいているし、表に出てくる言葉や感情は1つでも、その裏にはいろんな気持ちがある。天使も悪魔もいるけれど、そこで小さな民主主義みたいなことを通して、一応「私」という1人称がそれらを引き受ける役割を果たしている。それぐらい、そもそも誰もが混乱していて、誰かをカテゴライズすることはできるわけがない。

だから、カテゴリーで切り分けて分断を認めることは難しいと思いつつ、そうは言っても「戦争反対」ということに関しては議論の余地もないだろうと。「No War 0305」のステートメントにも書きましたが、ウクライナがすべて正しくてロシアがすべて間違っているというナショナリズムの話をするつもりはなくて、いろんな意見があるけど、少なくとも人が人を殺していい正当な理由なんかないでしょ?という、まずは一旦そのことだけで集まる価値があるし、この感覚はもっとフランクに使われるべきだなと思いました。「No War」という記号は政治的なワードとして使われているけど、「Love」とか「Peace」とかと同じレベルで使われていい言葉、というか同義語だとすら思うし、いかに暮らしと密接で誰一人例外なく全員が当事者なんだと考えると、ジャンルの話ですらない。だから主義主張を明言して切り分けるよりも、せめて感覚だけはもっと解放したい、というね。

そうしたことはこのアルバムでもやっています。だから反戦アルバムとは全然思っていなくて。まあ、全曲でそれに近いことに触れているとは言えますけど、今言ったように、別にそれはラヴ・ソングだって触れることができる。それは生きることを肯定することと何も変わらないですから。

——「Fight War Not Wars」と叫びつつも、ある意味ではプロテスト・ソングではないと。

マヒト:うん。そういうジャンルに置き換える必要すらないと思うんですよね。「No War 0305」の時も、例えばカネコアヤノや(原田)郁子さんはMCで何かを主張したわけではないし、ただステージの上にいていつも歌っている歌を歌って帰っていったんですけど、むしろそれがとても重要だなと。普通のことが普通にできなくてどうすんのって。なんで戦争になったら「いやいや、それぞれに立場というものがあって……」とか言い出して、身動きが取れなくなってしまうんだろう。立場とかの話じゃなくて、プリミティヴな感覚の話として、議論の余地なく戦争はクソでしょ。だからこのアルバムもプロテスト・ソングという気持ちは全くないですね。『狂(KLUE)』よりもないかもしれない。

——「No War 0305」でとても印象的だったのが、それこそカネコアヤノさんは反戦歌を歌ったわけではないにもかかわらず、例えば「爛漫」という曲の「わかってたまるか 涙が溢れる」というフレーズが非常に切実な言葉として響いたことでした。そうした場面がたくさんあった。だから『あのち』がプロテスト・ソングではないということも、むしろそのことによって、イデオロギーとは異なる政治性に深いところで繋がっていくのではないかと思いました。

マヒト:そうなんですよね。ちょうど「No War 0305」をやる直前に、あるミュージシャンと居酒屋で出くわして、その人が「自分はラヴ・ソングしか歌えないからデモは無理だなあ」とか言ってきたことがあって。いやいや、そのラヴ・ソングを歌う気持ちだったり恋をするということだったりが、いかにして成り立っているのか、それは平和というものが担保された上でようやくできあがるものじゃないのか、って思っちゃって。そういう、一見すると無関係に思える数多くのことが「No War」に繋がっている。というか、戦争がない時間の中で許されていた営みがいっぱいあるんですよ。

だからプロテストしているかどうかじゃなくて、例えば家で猫と一緒に過ごす、コーヒーを飲む、あるいは好きな人と散歩をするとか、そんなことだってすべて「No War」の範疇にありますよね。そういうことの立体感を見せることが「No War 0305」の1個の目的でもあったし、実際にそれぐらいの広がりを言葉自体がもっと内包していくべきだと思っています。でも、そういうことに自覚的な人も増えているんじゃないかな。折坂悠太が年明けに「あけましておめでとうございます。本年もよろしくどうぞ。戦争反対」ってツイートしていて、ああいうふうにフランクに使われていいはずだよなって。

音楽に反映される時代性

——今回の『あのち』から、例えば七尾旅人さんの『911FANTASIA』を連想したリスナーもいたようですが、マヒトさん自身が影響を受けたり好きで聴いたりしてきたレベル・ミュージックにはどのような作品がありますか?

マヒト:全然違うかもしれないけど、ニーナ・シモンを聴いているとリアリティを感じることはありますね。浅川マキさんがニーナ・シモンに触れて「ジャズは黒人の体温だ」みたいなことを言っていて、私にとってはああいう息づかいとか、そこに存在していること自体がレベル・ミュージックに聴こえた。それは今聴いても同じように感じる。やっぱり、もっと人間の息づかいみたいなものに目を向けるべきだと思うんです。今は記号的なものが加速していく人ばかりじゃないですか。AIに絵を描かせるのが流行ってますけど、私からしたら全然笑えない。そのままいけばもう数年後にはイラストレーターの仕事がなくなるだろうし、同じことは音楽でも起きていて。遠からずAIが作る曲も人間が作るのと遜色なくなっていって、それどころか学習量で言えば人間を遥かに凌駕するようになる。言い方を変えると、そうした記号的な操作ではできないことをちゃんと美しいと呼ぶ準備をカルチャーと言われるものが責任を持ってやっていかないと、人間が人間である意味を見出せなくなってしまいますよね。だから、AIブームは全然笑えない。

例えばオノ・ヨーコさんの《青い部屋のイヴェント》というインスタレーションで、1本の線が引いてあって、その下に「この線はとても大きな円の一部です」と書いてある作品がありますよね。人間って真っ直ぐの線を引けなくて、直線のつもりでも左と右が微妙にズレていて、それを引き延ばしていくと最後は円になってしまう、という。そういう、真っ直ぐの線を引けないというところに人間の強さがあるのだと思う。そういう強みとか、曖昧さや不完全さに可能性があると言い切らなきゃいけないんじゃないかな。

——ニーナ・シモンと言えば、「時代を反映させることはアーティストの責務である」という名言でも知られています。それに対して「ミュージシャンはただ音楽を作ればいい」と意見する人もいますが、マヒトさんとしては、やはりニーナ・シモンのスタンスに共感するところが大きいですか?

マヒト:もちろん共感するし、そもそも、どうやって時代と無関係に音を出せるのかわからないね。言葉があろうとなかろうと、この時代を生きていて、同じ雨に打たれているし、ウイルスという見えないものにも同じように怯えただろうし、同じ閉塞感も感じたはずだし、どうやって無関係でいられるのかがわからない。ずっと家の中に閉じこもって、外でミサイルが飛んでようが雨が降ってようが、遮光カーテンを閉め切って制作するみたいなやり方で無関係でいることもできるのかもしれないけど、ちょっと私には想像もできないですね。

ただ淡々と音楽を作ればいいって言うけど、ただ淡々と作るものにも時代性が反映されてしまうことになぜ気づけないのかなとも思う。そのことに反発して時代性を無視するということもすごく時代を反映した表現だと思うし。手を取り合って時代と向き合うという方法だけじゃなくて、そことは距離をとったりズレていったりすることもやっぱり関係の範疇だと思っていて。それはさっき言ったようなカネコアヤノが歌う歌が「No War」になる、ということと同じで。みんなで同じ方向を向くとか、一緒に歩みを進める、というわかりやすいハモり方だけじゃない、複雑な関わり方が許されていると思うし、そういう意味で考えれば無関係でいられる人なんていない。

淡々と音楽を作ればいいって、視野が狭いんじゃないかって思うよね。それを少し掛け違えたら「ていねいな暮らし」みたいなところに行き着く。それはもう貴族的な人にしか許されない感覚で、でもそんな人ですらコロナも戦争も無関係ではいられなかっただろうし。『あのち』にも当然、時代が反映されている。ただ、私としては時代と向き合おうとしたわけではなくて、あくまでも自分の中のストラグルを見つけて希望みたいなものと対峙しただけではあるけれど。

アイヌとの関わりから得た経験

——『あのち』の制作でマヒトさんが対峙したものの中には、GEZANが出演したウタサ祭りやアイヌとの関わりも大きなものとしてあったのでしょうか?

マヒト:うん、でかいね。

——そもそもアイヌとの関わりはいつから始まりましたか?

マヒト:3年前、2020年に開催された1回目のウタサ祭りに行ったのが最初。やっぱり歌との距離が近いことが衝撃的でした。私はミュージシャンだからステージの上で歌っていて、それを聴く観客がいる、という構造があるんだけど、アイヌのウポポ(註:アイヌの伝統的な集団歌唱の1つ)には歌い手か否かと言う境界線はなくて、打ち上げなんかが顕著だけど、全員が歌って輪踊りを踊るみたいな状況。そこにはプロもアマもないし、オンとオフもなくて。その歌との距離が衝撃的で、とても面白かった。しかもサイケデリックな輪唱だし、単純に音楽的に惹かれるところもある。そうしたアイヌの歌との付き合い方は新鮮で。

盆踊りも似ているかもしれないですよね。職業柄どうしても「自分は個性的でいなきゃいけない」みたいなアイデンティティの問いかけが常に追いかけてくるところがあったんですけど、ああやってみんなが円になって回っていると、そういうものから解放される気分になる。別に自分が前に出て目立たなくてよくて、輪の中の1つになればいいっていうか。それはアニミズム的な、大きな自然と一体化する感覚にも近くて、気持ちよかったんですね。それでアイヌの歌に惹かれたというか、恋をした。

——アイヌとの関わりから得た経験は、『あのち』ではどのように流れていますか?

マヒト:もちろん自分はヴォーカルで、ストーリーテラーとして言葉を発するんだけど、それとはまた違うストーリーがコーラスの輪唱でずっと続いていく。でもそういった立体感って、本当は現実の世界にもたくさんあるんですよね。例えば時計が刻む秒単位の時間がある。けれど外の季節には春に向かってゆっくりとグラデーションしていく時間が流れている。それに自分の中には体内時計的な時間も働いているし、寿命という時間もある。あと、一昨日(2月5日)見たウタサ祭りの記憶がだんだん思い出になっていく速度もあって、そういう複数の時間が同時進行で共存する中で私達は生きている。

1つの機械的なクロノス時間しか動いていないなんていうのは絶対に嘘なわけで、本当は誰もが複数の時間を生きるという器用なことをやってのけている。そういうことが1枚のアルバムの中、1つの曲の中でも起きているだろうし、特に『あのち』では複数の時間の軸が回っていく立体感を意識していましたね。そういう関わり方については、やっぱりウタサ祭りでアイヌの人達と一緒に紡いできた時間があったからこそ考えたことでした。

——ところで、タイトルの「あのち」は、聴き慣れない言葉ですが、何かアイヌと関係があるのでしょうか?

マヒト:いや、全然関係ないです(笑)。

——どういう由来があるのでしょう?

マヒト:1個の生命体みたいなものが生まれた感覚というか。例えば神社やお寺にいる狛犬って、「あ」って口を開けているのと「ん」って閉じているので、阿吽で対になっていますよね。そこには生まれてから死ぬまでという意味もあって、だから始まりの音として「あ」がある。それで「あ」をつけたかったかな。

全感覚祭に向けて出会い直す

——なるほど、わかりました。最後に全感覚祭についてお聞きしたいです。2023年に開催する予定はありますか?

マヒト:今年中にやると言い切りたいです。まだ何も進んでいないけど、必ずやる予定。やっぱりコロナで失ったもので言うと、全感覚祭のクルーがバラけていってしまったのも大きかった。あれは仕事としてお金の契約で繋がっていたわけではないから、環境が変わったことでどうしてもチーム内が砕けていってしまったんです。だからそのあたりはちゃんと出会い直さないと再スタートは切れない。今これを読んでいるあなたにもしも気概があったら、私達と出会ってほしいと思うね。力を貸して欲しいというよりは、雷を落としたような感覚を必要としているというか。

『あのち』に収録した「JUST LOVE」という曲は、すごく青い歌詞ですけど、「こんな夜をわたしずっと待っていた/だからわたし/歌うことが好きなんだ」と歌っていて。それは全感覚祭で歌うことをイメージしながら書いた歌詞なんですね。歌が好きでやってきたから、またこの景色、この夜が戻ってきたというか、また始まることができた。だからある意味で「JUST LOVE」は全感覚祭で歌わないと完結しないと思っていて、その意味でもやりたいですね。

——それは人間にとって祭りが必要だということでもあるのでしょうか?

マヒト:本当にそうだと思う。祭りっていわゆるフェスとは違って、もっと日常に溶け出していくものだし、前後の暮らしにエフェクトがかかっていくんですよ。そういう時間が作れたらいいなと。正しさではなくて、細胞が沸き立つような出来事を体感として提示したい。やっぱり自分が好きなライヴもそういうものだし、それは暮らしのレベルにある、音楽という範疇では届かないところにもたくさんあって。ご飯を食べるということもそうです。そうしたことが立体的に目指せるという意味でも、今、全感覚祭でしかできないことが自分の中にすごくある気がしていて。それは『あのち』の1つ先の話になるんじゃないかなって。

Photography Yuki Aizawa

■『あのち』
リリース日 : 2023年2月1日
フォーマット : CD/デジタル
価格:(CD)¥3,300
TRACKLIST
1. (い)のちの一つ前のはなし
2. 誅犬
3. Fight War Not Wars
4. もう俺らは我慢できない
5. We All Fall
6. TOKYO DUB STORY
7. 萃点
8. そらたぴ わたしたぴ(鳥話)
9. We Were The World
10. Third Summer of Love
11. 終曲の前奏で赤と目があったあのち
12. JUST LOVE
13. リンダリリンダ
https://gezan.lnk.to/ANOCHI

■あのち release BODY LANGUAGE TOUR 2023
2023年1月27日 東京・渋谷 WWW X
2023年2月1日 北海道・札幌 Sound lab mole
2023年2月25日 静岡・浜松 FORCE
2023年3月2日 愛知・名古屋 CLUB UPSET
2023年3月4日 大阪・梅田 UMEDA CLUB QUATTRO
2023年3月18日 福岡 LIVEHOUSE CB
2023年3月19日 広島 4.14
2023年3月21日 岡山 YEBISU YA PRO / WITH Age Factory
2023年3月31日 神奈川・横浜 F.A.D YOKOHAMA / WITH 崎山蒼志
2023年4月2日 埼玉HEAVEN’S ROCK 埼玉新都心VJ-3 / WITH 君島大空トリオ
2023年4月18日 東京・中野 サンプラザホール
https://gezan.net/live/

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マヒトゥ・ザ・ピーポーが語る、GEZAN新作『あのち』とオルタナティヴな音楽の可能性-前編- コロナ禍での別れと出会い、または身体性の回復に向けて https://tokion.jp/2023/03/13/interview-gezan-mahito-the-people-vol1/ Mon, 13 Mar 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=174095 3年ぶり6枚目となるフルアルバム『あのち』をリリースしたGEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーのインタビュー。前編ではコロナ禍でのバンド活動や激動の時代におけるオルタナティヴな音楽の可能性、そして新作アルバムで「声」をテーマとした理由について聞いた。

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マヒトゥ・ザ・ピーポー

GEZAN
マヒトゥ・ザ・ピーポー(vo. / gt.)、イーグル・タカ(gt.)、ヤクモア(ba.)、石原ロスカル(dr.)の4人組オルタナティブロックバンド。2009年に大阪で結成。2012年、拠点を東京に移し全国各地で独自の視点をもとに活動を行う。国内外の多彩な才能をおくりだすレーベル・十三月を主催。『面白さの価値は自分で決めてほしい』というコンセプトから、入場フリーの投げ銭制の十三月主催野外フェス「全感覚祭」を2014年から開催。2020年1月に5枚目となるフルアルバム『狂 -KLUE-』を発表。2021年5月に新しいベーシスト・ヤクモアが加入し、「FUJI ROCK FESTIVAL 2021」から新体制にて始動する。Million Wish Collectiveと共に制作された3年ぶりのフルアルバム『あのち』を2023年2月1日にリリース。
http://gezan.net
Twitter:@gezan_official
http://mahitothepeople.com
Twitter:@1__gezan__3
Instagram:@mahitothepeople___gezan

マヒトゥ・ザ・ピーポーが率いるロック・バンド、GEZANが3年ぶり6枚目となるフルアルバム『あのち』をリリースした。ほぼ全曲をBPM100に統一し踊りと身体性に革新をもたらした前作『狂(KLUE)』に対し、今作では総勢17名からなるヴォイス・アンサンブルMillion Wish Collectiveを引き入れ、無数の「声」が飛び交う未曾有の作品へと結実した。

前作発表後の最大のトピックはやはり、新型コロナウイルス禍の到来だろう。リリースツアーが中止となるなど、以前のようにライヴができないという大きな制約ももたらされた。さらにブラック・ライヴズ・マター(BLM)運動の世界的な広がり、ロシア軍によるウクライナへの侵攻、安倍晋三元首相の銃殺と、世界は目まぐるしく変貌し続けている。GEZANからはベーシストのカルロス尾崎が脱退。だがコロナ禍の中では「全感覚菜」を試みるなど新たな挑戦もあった。何より後任のベーシストとしてヤクモアが加入した。Million Wish Collectiveとの出会いもしかり。そのように動き続ける世界の中で『あのち』は生み落とされた。

コロナ禍はバンド活動にどのような影響を及ぼしたのか。激動の時代におけるオルタナティヴな音楽の可能性とは何か。そして新作アルバムで「声」をテーマとした理由とは。GEZANの中心人物、マヒトゥ・ザ・ピーポーに話を訊いた。

コロナ禍での身体性の喪失

——前作『狂(KLUE)』をリリースしたのが2020年1月、ちょうどその直後にコロナ禍が猛威を振るい始めました。パンデミックはGEZANの活動にも少なくない影響を及ぼしたと思いますが、実際、どのような変化がありましたか?

マヒトゥ・ザ・ピーポー(以下、マヒト):やっぱり一番大きかったのは身体性が奪われたことでしたね。コロナが来たらライヴができなくなってしまった。ライヴは経済的な収益を得るだけのためにやっていたわけじゃなくて、いわば同じ水を共有するようなコミュニケーションの場だったんですよ。同じ空間の中で自分達もお客さんも唾液や汗を飛ばし合って、飛沫を吸ったり吐いたりしながら水を分かち合う。それはバンドにとってすごく重要なことでした。

コロナになった直後はオンライン・ライヴが流行ったじゃないですか。あれは視覚的/聴覚的な情報としてはライヴと似たようなものを届けることができるけど、ライヴの本質的な部分にある温度の交換や衝突は奪われてしまう。そういった身体性に救われてきたから、だいぶバランスを崩したんですよね。バンドメンバーもそう。カルロスが脱退したのも日常のペースが崩れたことにも原因があったので、そういう意味でコロナには大きな影響を受けました。

でも同時に、失われたものがあったことで何が自分達にとって大切だったのか、問い直す機会にはなった。自分達でもいくつか配信ライヴを試みたり、オンラインでインタビューを受けたりもしました。言葉って文字にすると「ありがとう」も「さようなら」も5文字になってしまうけど、対面で振動を共有しながら話すと同じ5文字でも全く意味が変わってきますよね。5文字でも質量が全然違う。やっぱりそこが重要だったから、自分が何に依存してきたのか気づけた部分はありました。

——2020年5月に「全感覚祭」ではなく「全感覚菜」を開催しましたよね。私自身、何かにすがるような思いもあって見ていたのですが、あそこで石原ロスカルさんが30時間のドラムマラソンという、極限まで身体を追い込むようなことにも挑戦されていました。それはある種の身体性やライヴ感をインターネットを通じて届ける試みでもあったと思うのですが、実際にやられてみて、手応えはいかがでしたか?

マヒト:あの時期はとにかく「ステイホーム」が叫ばれていて、まるで生きている世界は部屋の中がすべてだ、とでも言わんばかりの状況になっていました。もちろん部屋から出ざるを得ない人もいましたけど、どうしても情報に向き合う時間が大きくなっていった。スマホやテレビで見る感染者数だったり、ワクチンができたかどうかとか、そういう情報が神様みたいになってしまって、そこに祈るしかないような状況。それに疲れちゃったんです。

人に何かを伝えるというよりも、たとえ世の中で何が動いていようが気にせずただひたすらバスドラとスネアとハイハットの動きとロスカルの体力だけに向き合う時間が欲しかった。だからその30時間はすごく心地よかったんです。で、配信でも温度みたいなものを伝えることはできるんじゃないかとは思ってトライしていて、できなかったとも思っていないですけど、ああいうふうに苦労してやるべきなのかどうか、ちょっと今はわからないですね。死ぬほど大変だったから(笑)。それに終わった直後にBLM運動が拡大する動きもあって、情報を遮断して救われた気になっていたけど、そうした中でも時代は動いて走り続けているという現実も突きつけられて。逃げても逃げ切れないみたいな、そういう両面があったかな。

——ミュージシャンによっては、「ステイホーム」で逆に録音制作に注ぐ時間が確保できたり、バンドであれば結束力が高まったという人もいましたが、コロナ禍がGEZANにもたらしたポジティブな側面というのはありましたか?

マヒト:うーん、自分達に関しては基本的にブレまくっていましたね。より結束力が高まったということは全くない。アルバムを作ってライヴをするというのは、何かを歌って何かがメッセージになるということが半分で、もう半分は言葉にできない衝動みたいなものを言葉にできないまま叫んだり掻き鳴らしたりする中で、自分の中にいる怪物みたいなものと対峙していたようなところがあって。この2つが共存していた。メッセージは音源制作でも、それこそSNSでも発信できるんだけど、ライヴがなくなったことで自分の中にある狂気や衝動との向き合い方がわからなくなってしまった。だからブレたんです。

でもそれがポジティブな面でもあるというか、さっき言ったように、そのことがいかに大事か、改めて自覚することができた。だから映画(『i ai』)を作ろうと思ったところもあります。映画は時代の設定さえ変えてしまえば嘘がつけるから、「10年前の設定ですよ」と言ってしまえばライヴもモッシュもできる。「全感覚祭」ができない中で、噓をつけるというファンタジーのあり方に救われたんですよね。コロナが来て最初の頃は本当に、このままライヴは二度とできない世界になっていくんじゃないかという怖さもあったので、ちゃんとその時の記憶を記録しておく必要はあるなと。だから映画を製作することができたのは良かった面の1つなのかもしれないです。

——確かにフィクションの世界であればライヴができますよね。そもそもなぜ人が集まれなかったのかと言えば、もちろん感染拡大を防ぐためであり、ライヴハウスが閉鎖していたからではありますけど、それと同じくらい大きかったのが「不安の感染」(西田亮介)とでも言うべきものでした。つまり、たとえ感染のリスクがゼロであろうと、集まること自体に批判が集まってしまっていた。

マヒト:ギター背負って電車に乗るだけで舌打ちとかされましたから(笑)。やっぱり学校のイジメの構造と一緒で、何か攻撃対象を設定してそこに負のエネルギーを向けてしまう。それはイジメられる子が何かをやったからではなくて、特に何もやっていなくても、そういう構造自体を求めてしまうところがあるというか。大人達が暮らす人間社会そのものにイジメと同じ構造がある気がします。それであの時期にはライヴハウスが槍玉に挙げられた。でも、そうしたライヴハウスでのコミュニケーションがやっぱり自分を生かしてきたし、そのことをより自覚できるようになったから、意地でも取り返そうとは思っていました。

それとコロナになってからは、バンドメンバーが脱退していなくなったり、身近な人が亡くなってしまったり、そういうことがたくさん起きたんです。コロナだけが原因ではないですけど、そういった喪失とどう付き合っていけばいいんだろうと思うきっかけにはなりました。あのコロナ禍の静寂が。今は幸いにも自分は何かを残すことができる仕事にいるから、音楽に限らずいろんな手段を使って残していかなければいけないよなと。

「まずは現実と同じだけ歪む」

——振り返ると2020年代の幕開けというのは、実はコロナではなくて米軍によるイランの国民的英雄ソレイマニ司令官の爆殺から始まりましたよね。当時は第3次世界大戦の危惧も囁かれました。それからパンデミックになり、BLMが世界的に広がり、汚職まみれの東京五輪、さらにウクライナとロシアの戦争、安倍晋三元首相の銃殺等々、目まぐるしいほどに現実が変わっていっています。いわゆるオルタナティヴな音楽というのは、そうした現実における常識や足場がいつでも崩れ去ってしまうもろいものだ、ということと向き合い続けてきた音楽とも言えますが、実際に常識が通用しない世界に突入していった時、その現実はどのように受け止めましたか?

マヒト:一緒に混乱するしかない、まずはチューニングを合わせるために同じだけ歪まなきゃいけないとは思っています。もともと「純粋」という言葉は美徳とされてきましたけど、もう今は私はそんなの綺麗な言葉とは思わなくて。例えば「純日本人」と言った途端、「純粋」は差別の世界でも使われる言葉になりますよね。潔白で何の染みもなく、一点の曇りもない、みたいなことは綺麗でもなんでもなくて、本当はいろんなレイヤーが絡まって編み込まれている。そういう複雑なものと対峙する時に、やっぱりこちら側も混乱していないとチューニングが合わないなと。真っ直ぐな表現が正解だとは全く思っていなくて。

抽象的な言い方になってしまうけど、「まずは現実と同じだけ歪む」ということは、この時代に表現することの絶対条件だと思う。頭の中で記号的にいろんなものを組み合わせて自分の世界を作る、ということを多くの人はやっていると思うんですけど、そうじゃないなと。どうにかして現実と対峙しなければいけない。少なくとも言えるのは、何か1つの強い光で1色に染め上げるみたいなことは今やとても暴力的ですよね。「一点突破するのが男だ」みたいなことが美徳とされていた時代もあったわけじゃない? もうそういう力の時代じゃないんですよ。

私、馬が好きなんです。それで馬についていろいろ勉強することもあるんですけど、馬って群れになると必ずリーダーを作るんですよ。でも馬の群れでは、体が大きくて力があるヤツがリーダーになるんじゃなくて、一番足が速いヤツがリーダーになる。要は肉食動物に襲われたり何か危険が迫ったりした時に、一番初めに逃げ出せるヤツをリーダーにするんです。だからドナルド・トランプみたいなものとは真逆(笑)。さっき仰っていたように今は本当にいろんなことが立て続けに起きていて、ぐちゃぐちゃな世の中で、ある意味で有事とも言えますけど、そういう時に一番初めにちゃんと怯えて、ちゃんと混乱できて、逃げ出せるヤツをリーダーにするというのは、男らしい一点突破の力の美学とは真逆ですよね。そういう感覚はすごい重要だと思います。

——『狂(KLUE)』のリリース後にそうした混乱したいくつもの現実に直面していくことになりましたが、次のアルバムを出そうというのはどういう経緯で始まっていったのでしょうか?

マヒト:カルロスが抜けた次の日にはもう、Million Wish Collectiveの原型でスタジオに入り始めていました。何かが手放されて消えていく時は、その空いた手でまた次の何かをつかむように入れ替わる時だとも思っているんですね。もちろん感情的にはすごく悲しかった。けれど同時に、一歩前に出て動くと必ず出会いが待っていると考えていて、とりあえずこれを機にメンバー全員で新しい楽器をやろうぜ、みたいな。それでタカはバグパイプを見つけて、私はトランペットを手にし、ロスカルは自転車を(笑)叩いたりし始めた。カルロスが抜けると決まって発表した次の日にはもう練習を始めていたんです。

出会いと別れというのは同じ数になるように設定されていると思うんですよ。というか実際に、出会ってきたものはすべて、最後は自分がいなくなることで必ずお別れになる。この数はどっちの方が多いということはなくて、必ず決まっているから、大きなものが離れていった時は必ずまた大きなものに出会う。それは今までの経験からしてもそうなんです。だから悲しい気持ちはありつつ、出会いの準備はもうスタートしようと。その意味ではカルロスが抜けた瞬間にもう次のアルバムを作ろうとは思っていたかな。

——新しい楽器を始めると言っても、バグパイプを吹き始めるのは珍しいですよね。

マヒト:最初に会った時からそうだけど、タカも腹の中に変な怪物を飼っているから、とにかく汗をかきたいという物理的な理由もあったんだと思います。でもバグパイプってよく聴くとすごく政治的な音がしますよね。祝祭みたいな時にも鳴らされるし、軍歌でも鳴らされるし。すごい楽器を引いたなと私は思ってる。必然的だなとも。

完璧になり切れない不完全さの記録

——新たな出会いとしてヴォイス・アンサンブルのMillion Wish Collectiveと組み、2021年のフジロックフェスティバルで初披露されました。なぜ「声」をテーマにしていったのでしょうか?

マヒト:コロナ以降、一番良くないものとされていたのが、大人数で集まることと声を出すことだったじゃないですか。フジロックのレッドマーキーが初ライヴだったんですが、ステージ上がその禁止されている2つで満たされた状態になったんですよね(笑)。でも、声って本当に多様だと思います。学生時代、「変な声だね」とか言われることもあったけど、良い声も悪い声も全然ないなと思っていて。世の中的に便利な声とか、都合のいい声、心地いいとされている声というのはあるかもしれないけど。だとしても、私はもうずっとこの声で生きてきたわけだし、何かを誰かに伝える時も全部この声が背負ってきたわけで、そういうものを肯定できないと嘘だなと。

最近は特に、歌をレコーディングするとピッチを修正したりノイズを除去したりして、とにかく綺麗に仕上げますよね。確かに自分の声も歪んでいるところもありますけど、それはその声自体が持っている複雑さなのであって、それを生産性があるかどうかみたいな基準で削ってしまうことはおかしいんじゃないかなって。写真もレタッチされたものばかり。芸能人がホクロを消したり残したりしているのを見ると、なんかすごい世界だなと。もう自分達が見ているものが写真なのか合成画像なのかわからないですよね。Instagramにもアプリで綺麗に加工した写真が溢れてる。

問題なのは、綺麗なモデルの写真というか合成画像を見た子達が、鏡で自分の姿を見て「私はなんて醜いんだろう」と思ってしまうこと。そうやってコンプレックスをあおることで、もっと化粧品を買おう、整形にお金をかけようと、資本主義に繋げて加速させる動きがいろんなところに仕込まれている。それは歌の世界にも同じようなことがあると思うんです。楽器の音でもそう。バンドと銘打っているけど打ち込みと変わらないみたいなね。例えばドラムであれば、揺らぎや衝突、そこで叩いていたという痕跡や息づかいがあるわけで、正確な位置にスネアやバスドラがくればいいわけじゃないですから。なのに、そつのないギターとベースがきて、機械でも歌えるような歌がきてしまう。

でも本当は歪んだ声の方にその人の痕跡があるわけですよ。だから自分は一旦そういう声をちゃんと肯定したい、と思ったことがMillion Wish Collectiveに繋がっていったかな。そもそもMillion Wishのメンバーは声が良いから選んだわけではないですから。実際に声を出してみて「あ、意外と歌えるのか!」と驚くこともあった(笑)。

——前作のように、ヴォイスの録音をいくつも重ねてループさせることで合唱を作るやり方もありますし、今作でもそうしたコラージュ的な面白さを聴かせる楽曲もありますが、それよりもまず、多様な声というものがあったと。

マヒト:そうですね。霊性と言われるようなものだと思います。写真とかを見ていてもそうですが、撮影当時の時代の匂いが焼きついていて、ちゃんと過去になる作品が好きなんですよね。多くの表現は永遠を目指していて、何かしらそのことを意識しながら制作していますけど、私はちゃんと古くなることを大事にしたいなって。歌もバンドも、レコーディングでは追い込んで完璧を目指すんだけど、完璧になり切れない不完全さみたいなところが重要だし、好きな部分なので。というか、そもそも他者と関わるってそういうことだと思うんです。もちろんアルバムを作る時は音楽だから取捨選択はしますけど、そういう「気配」みたいなものをどうしたらパッケージに残せるのか。しかもただのドキュメントという形じゃなくて、ファンタジーの切り口の中にどうしたら残せるか、というのはテーマでしたね。

だから『あのち』は、5年後、10年後に聴き返した時に「ああ、懐かしい」って思うはずですよ。声もそうだし、その時に関わっていたことも含めて。古くなるということは過去になっていくことですけど、同時に、そういうちゃんと古くなったものが未来的な輝きを放つこともあって、時間は一方向に流れていくだけじゃないんですよね。特に今、ネット上にアーカイヴとして残る時代はなおさらそうなんじゃないかな。時間が双方向に開かれている、ということがどんどん明るみになっている感じはすごく楽しい。逆に言うと、誰もやったことがない未来的なことは全然求めていないんですよね、自分は。

後編へ続く

Photography Yuki Aizawa

■『あのち』
リリース日 : 2023年2月1日
フォーマット : CD/デジタル
価格:(CD)¥3,300
TRACKLIST
1. (い)のちの一つ前のはなし
2. 誅犬
3. Fight War Not Wars
4. もう俺らは我慢できない
5. We All Fall
6. TOKYO DUB STORY
7. 萃点
8. そらたぴ わたしたぴ(鳥話)
9. We Were The World
10. Third Summer of Love
11. 終曲の前奏で赤と目があったあのち
12. JUST LOVE
13. リンダリリンダ
https://gezan.lnk.to/ANOCHI

■あのち release BODY LANGUAGE TOUR 2023
2023年1月27日 東京・渋谷 WWW X
2023年2月1日 北海道・札幌 Sound lab mole
2023年2月25日 静岡・浜松 FORCE
2023年3月2日 愛知・名古屋 CLUB UPSET
2023年3月4日 大阪・梅田 UMEDA CLUB QUATTRO
2023年3月18日 福岡 LIVEHOUSE CB
2023年3月19日 広島 4.14
2023年3月21日 岡山 YEBISU YA PRO / WITH Age Factory
2023年3月31日 神奈川・横浜 F.A.D YOKOHAMA / WITH 崎山蒼志
2023年4月2日 埼玉HEAVEN’S ROCK 埼玉新都心VJ-3 / WITH 君島大空トリオ
2023年4月18日 東京・中野 サンプラザホール
https://gezan.net/live/

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毛利悠子が語る、コロナ禍を経たサウンド/アートの現在 -後編- 東アジアへの眼差しと「現場」と向き合うこと https://tokion.jp/2022/11/30/interview-yuko-mohri-part2/ Wed, 30 Nov 2022 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=158186 美術家・毛利悠子の活動に迫るインタビューを実施。後編は彼女の活動におけるキーワードや音楽への憧れ、パンク精神、パフォーマーとしての側面、今後の展望を伺った。

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Akio Nagasawa Galleryで「モレモレ東京」展(12月24日まで)、Yutaka Kikutake Galleryで「Neue Fruchtige Tanzmusik」展(12月3日まで)と、約2年ぶりとなる都内での個展がスタートした美術家・毛利悠子。これまで音あるいは音楽と関連するインスタレーションを数多く制作してきた毛利だが、多種類のフルーツに電極を挿して常に変化するサウンドを生み出す《Decomposition》シリーズの最新作を展示した「Neue Fruchtige Tanzmusik」展では、自身初となるレコード作品『Neue Fruchtige Tanzmusik (vinyl)』も発表した。

そこで今回、音/音楽を切り口に毛利の活動に迫るインタビューを実施。前編ではコロナ禍を経た近況から《Decomposition》の解説、可聴域に限定されない「動き」への着目、さらにアートにおける政治性の捉え方まで語っていただいた。後編では、彼女の活動におけるキーワードである「エラー」「インプロヴィゼーション」「フィードバック」をはじめ、音楽への憧れやパンク精神、パフォーマーとしての側面、そして今後の展望を伺った。

毛利悠子
美術家。コンポジション(構築)へのアプローチではなく、世界中で見つけた日用品やジャンクをオブジェとして再構成し光や温度といった環境の諸条件によって変化してゆく「事象」にフォーカスするインスタレーションやスカルプチャーを制作。近年の個展に「Parade(a Drip, a Drop, the End of the Tale)」(ジャパンハウス、サンパウロ、2021)、「Voluta」(カムデン・アーツ・センター、ロンドン、2018)、「毛利悠子:ただし抵抗はあるものとする」(十和田市現代美術館、2018)の他、第14回リヨン・ビエンナーレ(2017)、第34回サンパウロ・ビエンナーレ(2021)、第23回シドニー・ビエンナーレ(2022)など国内外の展覧会に参加。2017年に第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した。12月3日までYutaka Kikutake Galleryで「Neue Fruchtige Tanzmusik」、12月24日までAkio Nagasawa Galleryで「モレモレ東京」をそれぞれ開催中。
https://mohrizm.net/ja/

「大きな意味では音響も彫刻に含まれる」

——海外で多数の展覧会に参加するにあたって、初めて会う人にご自身の活動について説明する場面も多かったと思います。以前は「サウンド・アーティスト」で通していると仰っていましたが、今はどのような言葉でご自身の活動を説明しているのでしょうか?

毛利悠子(以下、毛利):海外ではさしあたって「スカルプター(彫刻家)」と説明するようにしています。彫刻といっても木材や石を素材にした造形作品だけではなくて、「キネティック・スカルプチャー(動く彫刻)」という言い方があるように、大きな意味では音響も彫刻に含まれると考えているんです。なので、音響やレディメイド、キネティックな要素などを総合的に捉えて作品制作を行っていると説明しています。反対に「サウンド・アート」「サウンド・アーティスト」という言葉を使ってしまうと、音だけを素材にしていると誤解されてしまうし。

——日本と海外ではご自身の活動を説明した際のリアクションに違いを感じますか?

毛利:海外の方が「スカルプチャー(彫刻)」という言葉がもっと自然にマルチな素材を意味している感覚はあります。例えば「サウンド・スカルプチャー(音響彫刻)」と言うと、日本ではサウンド・アートの一種と捉えられることが多いですが、海外だといろいろな素材のスカルプチャーとオーバーラップして繋がっている。特定の素材に特化せず、サウンドも映像も粘土も使って動きのある作品を制作するような人が、ここ10年ぐらいでものすごく増えていて、「スカルプチャー」という言葉で表される領域は日本における「彫刻」よりも広い気がします。

——なるほど。確かに毛利さんの作品は音以外のさまざまな素材を用いていますが、一方で、音や音楽と何かしら関連する作品であるというところも非常に重要な側面だとは思います。

毛利:自分の作品について深く説明していくと、音/音楽という要素からとても大きなインスピレーションを受けているということは確実に言えます。けれど最初の説明ではあまりそこだけを見てもらわない方がいいのかなと。それは昔、「メディア・アート」という括られ方で苦労したからかもしれない。私が学生の頃にはメディア・アートという呼称が氾濫していたんです。「メディア(例えばコンピュータ)を使ってメディア(コンピュータのオブジェクト性)を問う」──意味わかりますか?──みたいなことが当時は先鋭的なテーマだったようなのですが、みんなそんな上手にフィードバックできませんから、結果的に、コンピュータを使っていたらどんな表現でもメディア・アートという分野に入れられてしまうほど大ざっぱな括りになりました。もちろん作品としては未熟でしたが、自分としてはもっと大きな意味でアートな作品をつくっているつもりなんだけどな……と思って、ゼミの先生だった三上晴子さんと議論したり。内容ではなく媒体によってそのジャンルに押し込められる経験に苦しんだトラウマがあるのかもしれません。

エラー、インプロヴィゼーション、フィードバック

——毛利さんは以前、ご自身の活動について「エラー」「インプロヴィゼーション」「フィードバック」の3つをキーワードとして挙げていました。どれも「動き」と結びつく要素でもありますが、コロナ禍を経て、これらのキーワードの捉え方に変化はありましたか?

毛利:今はもう少しワイドに捉えている気がします。コロナ禍以降しばらく、琵琶湖北部にある山小屋で毎日焚き火をするような原始的な暮らしをしていたんです。それで、展覧会だけのために作品を作り続けるのは本末転倒ではないか、湖のまわりを歩いていて心を動かされる場所があったらそこで作品を作ってもいいよな、なんて思ったことがあって。誰かが10年後とかにその場所を訪れて「ああ、こんな作品があったのか」と発見するのもオツじゃないですか。「エラー」「インプロヴィゼーション」「フィードバック」のキーワードでテンポラリーな作品を作ったとしても、観る人はもっと自由に、いつでも観られるということも考えたいなと。

——例えばエリック・ドルフィーは「音楽は聴き終えると空中に消えてしまう。それは二度と捕まえることができない」という名言を残しましたが、「動き」もまたその場で体験しないと変化し消え去ってしまいます。10年後に発見されるためには作品を何かしらの形で固定する必要が出てきますよね。毛利さんとしては、作品を変化するがままに任せることと、変化を止めることである種の普遍的なものとして残すことだと、どちらへの思いが強いのでしょうか?

毛利:壊れてなくなってしまってもいいと思う作品もあれば、残したいものもあるんです。今回レコード作品を作ることにしたのも、《モレモレ東京》を写真で展示することにしたのも、そうした「残したい」という考えがあったからかもしれません。でもレコードは実際には永久に普遍的なわけではなくて、盤が摩滅することで音もだんだん変化していく。だからこそ残す手段としておもしろいと思ったところもあります。どちらにしても、作品を残したいという気持ちは最近になって強くなった気がします。昔は、その場で動いたら壊れてしまってもいいし、電池が切れたらお終いだなんて考えていましたけど、今は美術としてのレスポンシビリティを長いスパンで考えたいな、と。そう考えるとレコードだってまだまだ歴史が浅くて、100年は残ったとしても、1000年後に残っているかどうかはまったくわからない。この間、来年開催される光州ビエンナーレの視察で韓国に行った際、博物館で8世紀前半(日本でいう奈良時代)の土器を見たんです。あたかも昨日埋めたばかりのようなたたずまいで、「きれいだねえ」って感激したんですけど、ああいうふうに一度忘れ去られたものが時代を経て突然再出現するのもいいですよね。私も石やセラミックでレコードを作った方がいいかな(笑)。

毛利悠子が考える「即興性」、あるいは音楽への憧れ

——先ほどのキーワードのうち「インプロヴィゼーション」についてもう少しお伺いしたいのですが、コロナ禍を経て、計画性や事前の準備、管理などがより一層重視される風潮も顕在化してきました。そうした中、作品を制作する上で即興的な要素について今はどのように捉えていますか?

毛利:もしかするとご質問の答えにはなっていないかもしれませんが、最近改めて即興性について考えた時に思ったのが、勢いに任せて表現することより、その場で感じたことと率直に向き合うということでした。

光州に視察に行って、占領時に日本がした最低な歴史から目をそらさずにしっかりとこの目で見ようと思い、向こうの大学の先生との対話もセッティングしてもらいました。で、ビエンナーレで私が作品を展示する会場は通常のパヴィリオンではなく、日本占領時から残る建物でやるという、非常にチャレンジングな展開になったんです。会場を視察する中で改めて感じたのは、日本が朝鮮半島やアジア諸国を侵略した歴史と、私が今この場所で何かを作る時に見えているものとは二重写しに見ることができるし、それを自分なりに解釈して作品化することに誠実でいたい、ということでした。光州という街は、日本の占領だけでなく、民主化運動の盛り上がりとその弾圧というまた別の悲劇的な過去を持っています。そういった重層的な歴史と、会場を訪問した際に音や光に心を動かされたということとが矛盾せず、自分がその場所で感じていることに対しての正直さを生っぽいまま組み立てて作品にしたいと思ったんです。

——例えばクリスチャン・マークレーは、即興する上で最も大事にしていることは「他人とのコラボレーション」だと仰っていましたが、今のお話を伺っていると、毛利さんにとっては「現地と向き合うこと」が鍵になるのかと思いました。

毛利:現地というか、現場性は重視しています。あとはモノです。マークレーはミュージシャンでもあるので即興を演奏の延長上で捉えているから、人間と人間の関係性を考えるのだと思います。もちろんそれも即興で生まれる関係性の大きな要素ですが、私はマークレーとは異なる捉え方をしていて、楽器や会場、空気感、前後の状況なども含めた中で即興を捉えるのがおもしろいと思っているんです。例えば、ごはんを食べてからライヴ会場に行くのか空腹のまま行くのか、その日のコンディションによって音楽の聴こえ方が大きく変わることはあるし、狭い会場と広い会場ではアプローチが即興的に変わっていく。人間だけではないさまざまなモノが現場で関わり合っていて、その間合いをどう取るのかが即興ということなのかもしれない。極端な言い方をすると、私は即興というのを手ぶらで現場に行って何かすることだと考えているフシがあります(笑)。

——現場性への興味はなぜ芽生えたのでしょうか?

毛利:あらかじめ作っておいた作品を展示するだけではなくて、現場でどんどん表現していく、そうした現場性への興味は音楽の速さへの憧れから来ているところがあるかな。美術に較べて音楽はものすごく回転スピードが速くて、フレッシュなものをサッと固めて時代性やたったいま自分が感じていることを取り込んでいける表現だと感じていて。デモテープがそのままレコード作品として発表されたりするノリで、ラフでもいいから美術の世界でもそんな表現をしていきたいと思っているんです。

オフサイトとフルクサスの「パンク精神」

——「人間だけではないさまざまなモノが現場で関わり合っている」とのことですが、音楽を演奏内容だけでなく演奏される空間との関わりも含めて捉えるという意味では、代々木オフサイト(2000~2005)における「弱音系即興」や、Sachiko Mさんの展示「I’m here」なども、まさに空間ありきの音の表現だったと思います。そうした試みとの出会いも毛利さんの活動に影響を及ぼしていますか?

毛利:大きな影響を受けたと思います。オフサイトという現場はアートの文脈から見てもとても新鮮に感じました。今でこそコンテンポラリー・アートが日本にも定着した感がありますが、それはごく最近の話で、私が制作を始めたばかりの頃はまだ浸透していなくて。なんというか、少し土臭いイメージすらありました。強いて言えば村上隆さんが1人で気を吐いていた感じだったけど、それも個人的にはあまりピンと来なかった。美術館よりもライヴハウスに行く方がおもしろかったんです。音楽の現場で行われているよくわからないものの方がアートフォームとして非常に刺激的だったというか。そうした時代に伊東篤宏さんと藤本ゆかりさんが代々木にオフサイトを立ち上げて。あと、当時は大竹伸朗さんの存在が大きかったです。1999年に発表された自動演奏・遠隔操作バンドの《ダブ平&ニューシャネル》を世田谷美術館で観た時の記憶は今も鮮明で。大竹さんは1980年前後にJUKE/19.というバンドをやったり、内橋和久さんとのライヴ・アルバムをリリースしたりと、音楽との関わり方にも共感をおぼえました。

オフサイトでのいろいろな試みもそうですけど、「これだったら私にもできるかも」みたいな、そういう親近感が湧く感じもありましたね(笑)。オフサイトでは発表したことはなかったけど、そういえば昔、大友良英さんが開いていたGRID605というスタジオ兼イベントスペースでI.S.O.と対バンさせていただいたことがあります。敷居が低いのが何より重要でした。古くさい銀座の貸し画廊をわざわざ借りて作品を発表するのとか、お金も無駄だし、表現ももっさりすると思ってた(笑)。それよりも音楽の現場のスピード感が性に合っていたのだと思います。

——実際に誰でもできるかどうかはともかく、「できるかも」と思わせるという意味では、パンクにも近い気がします。

毛利:そうそう。あと、フルクサスも完全にそうで、芸術を後生大事にするのではなく、日常生活も表現として捉えていましたよね。アート・ヒストリーの中でフルクサスほど多くの表現者を輩出した運動体もなかなかないですし、白人男性中心の世界だったアメリカのアート界においてアジア人や女性といったマイノリティが活躍できる場を創出したということはとても重要で。やっぱりチャレンジ精神、パンク精神、実験精神は今でも大好きですね。

——『音楽と美術のあいだ』に収録された大友良英さんとの対談で、水戸芸術館での「アンサンブルズ2010―共振」展について、毛利さんは「これはもしかしたらフルクサスくらいのムーヴメントになるんじゃないか」とも仰っていましたよね。

毛利:そんな生意気なこと言ってました?(笑)でも、確かに3.11の震災前までは、もっと「サウンド・アートをやるぞ!」みたいな意気込みはありましたね。それが震災でごっそり持っていかれた感じはあります。だからそんなに簡単じゃないんだなと。今はもう、とにかく自分の制作を続けて、100年後になんらかのムーヴメントがあったように見えるならそれでいいかなと思っています。

パフォーマーとしての毛利悠子

——パンクといえば、毛利さんは大学時代にSisforsoundというハードコア・バンドでヴォーカルを担当していました。

毛利:ははは(笑)。あれ、最近になってDATで録音していた音源を全部デジタル化したんです。いつか発表できればとは思ってメンバーと連絡を取り合っています。

——あ、そうなんですね。Sisforsoundでは言葉にならない叫び声のようなヴォーカルを披露していましたが、なぜミュージシャンではなくあくまでも美術家として活動するようになったのでしょうか?

毛利:単純に、あのヴォーカルはお酒が入ってないとできない酔っ払い芸だからです(笑)。いや、真面目な話なんですが、誰にでも何かを表現したい欲望ってあるじゃないですか。特に若い頃はハンパないエネルギー量があって、でも言葉にはできなくて、それを酔っ払った勢いに任せて表出していた。それだけなんです。だから冷静になって振り返った時に恥ずかしいと感じたり、毎回酔っ払うのは大変だと思ったりして(笑)。アートだとそういった欲望をアジャストすることができるので、そっちの方が自分のテンポに合っているなと。

——Sisforsound時代の音楽活動は今の毛利さんの活動と繋がっているのでしょうか? それともそこには切断がありますか?

毛利:やっぱり繋がっていると思います。誰もやっていないことをやりたいというモチベーションは昔も今も変わらないのですが、最初はまだ赤ん坊みたいで、それこそ言語も方法も持ち合わせていないから、とにかく酔っ払って自分のエネルギーをそのまま表出しているだけでした。それがだんだんいろいろな方法を身に付けていって、欲望やエネルギー量をある程度コントロールしながら作品へと落とし込むことができるようになったのかなと。

——バンド活動ではないですが、例えば梅田哲也さんや堀尾寛太さんは展示だけでなくパフォーマンスも積極的に行っています。毛利さんはなぜパフォーマンスをあまり行わないのでしょうか?

毛利:パフォーマンスだと自分を出さなきゃいけなくて、それがすごく苦手なんです(笑)。展示会場でさえ、その場に自分がいると違和感があるんです。私、声が大きいから、作品が出す音とバッティングしちゃう(笑)。

だからなるべく人前に出ない方がいいなとは思っていたんですけど、2年前に銀座ソニーパークで「SP. by yuko mohri」という展覧会をした時に、コロナ禍だし新しいことにチャレンジしようと思って、鈴木昭男さんとパフォーマンスをやりました。でも、シラフで演奏のようなことをするとテンパってしまうから、私はガンマイクを持って、パフォーマンスをする昭男さんに付いてレコーディングするということを試みたんです。具体的には、昭男さんが鳴らした物音のピッチをガンマイクで拾って解析し、その音階がほぼ同時に自動ピアノでライヴ演奏されるというパフォーマンスです。それはホーダウンという友達の映像会社に撮影してもらって『Parking for Quarantine』という映像作品としてまとまって、まだ地方で少し上映しただけなんですが、かなり納得いくものになりました。昨年5月にも、中島吏英さんとアムステルダムの音楽祭で同じ仕組みのパフォーマンスをしたりしてます。

——では、パフォーマンスは封印しているわけではなくて、機会があれば今後もやる可能性があるのでしょうか?

毛利:そうですね。自分なりにいろいろな表現に取り組んでいこうとは思っています。フルーツを使った《Decomposition》でも、短いタームで表現がダイナミックに変わる様子も見せたくて、パフォーマンス作品ができないかと試行錯誤しているところです。

「東アジアについてもっと考えたい」

——最後に、今後の目標や展望について教えていただけますか。

毛利:東アジアについてもっと知りたいし、考えたいと思っています。今、台北在住のアメリカ人キュレーターから、公園をフィールドにしたサウンド・アートの展覧会の話をいただいていて。川口貴大くんとかヤン・ジュンとか、日本や中国、台湾、アメリカのサウンド・アーティストに声をかけているみたいです。台北のとある国立公園にある石灯籠にスピーカーが設置されていて、それを使った展覧会をしたいと。日本による占領時、そのスピーカーからラジオ・プログラムを流して、台湾の人々に日本語や日本の文化を“教育”していたという背景があって、植民地時代からポスト植民地時代までを、4ヵ国のアーティストそれぞれがそれぞれの国の歴史的立場から、サウンド作品として提出するという企画です。

それでどういう作品を制作するか考えているところなのですが、先に述べたように、サウンド作品といっても私が作曲することはなるべく避けたい。植民地時代の台湾について、占領していた国の立場から音をどうやって紡ぐかを考えていて、東京藝大のアーカイヴは使えるかもしれないな、と。当時の東京音楽学校は、東アジアで唯一の帝国主義国だった日本において──ということは東アジアにおいて──“西洋人から正統な西洋近代音楽を学べる”唯一の学校でした。そこには日本の学生だけでなく、支配下にあった東アジアの国々の音楽家の卵もたくさん留学してきていたわけです。この教育機関には、東アジア諸国だけでなく欧米の帝国主義も含んださまざまな視線の交錯と倒錯の歴史が今も眠っています。

東アジアの国々に対する日本のふるまいは消えることのない歴史です。台北の展示と、あと来年は光州ビエンナーレにも参加する予定なので、この機会にもっと調べたいなと。日本人として、東アジアをどう考えるのかということは非常に重要だと思うんです。

——東アジアに目を向けるということには、欧米中心主義的なアートの世界を崩したいという思いもありますか?

毛利:いや、そんな思いは持っていません。ただ、ステートメントくらいは出しておいたほうがいいな、と。なんだかんだ言ってみんな、信じられないくらい東アジアのことを知らないですからね。アメリカやヨーロッパで展示する時もイチから説明しないといけないことだらけで、唖然とすることもあります。だけど野暮を承知でいろいろと説明していかなければいけない。例えば、2021年に岩波書店の『図書』に発表した「アキバ」というエッセイは、秋葉原で漁ったジャンクで電子工作することから始まった私の表現の出自を、戦後東アジアの地政学に位置づけなおす作業でした。

私が「東アジア」について考えたいのは、「西洋と東洋」といった枠組みともまた違う視点です。歴史を遡れば日本も大陸文化の派生であることは明らかなわけで、分断しているのはつい最近の話。といってももちろん、東アジアが全部同じカルチャーだというのではなく、むしろそこにある差異=動きについて考えてみたい。「光州よ、永遠に!」という交響詩を作った作曲家の尹伊桑(ユン・イサン)と武満徹さんとの対談を読んで、思いを新たにしたところです。私も、いつかは東アジアの美術家として見られる存在になれればと望んでいます。

■Neue Fruchtige Tanzmusik
会期:12月3日まで
会場:Yutaka Kikutake Gallery
住所:東京都港区六本木6-6-9 2F
時間:12:00〜19:00
休日:日〜月曜、祝日
入場料:無料
公式サイト:www.yutakakikutakegallery.com

■モレモレ東京
会期:12月24日まで
会場:AKIO NAGASAWA GALLERY GINZA
住所:東京都中央区銀座4-9-5 銀昭ビル6F
時間: 11:00〜19:00(土曜のみ13:00〜14:00はクローズ)
休日:日〜月曜、祝日
入場料:無料
Webサイト:https://www.akionagasawa.com/jp/exhibition/more-more-tokyo/

Photography Hiroto Nagasawa
Edit Jun Ashizawa(TOKION)

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毛利悠子が語る、コロナ禍を経たサウンド/アートの現在 -前編- 音の背後に蠢く非鼓膜的な「動き」への着目 https://tokion.jp/2022/10/25/interview-yuko-mohri-part1/ Tue, 25 Oct 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=152245 日用品やジャンクからときには楽器まで組み合わせ、音と関連するインスタレーションを多数手がけてきた美術家・毛利悠子へのインタヴュー前編。

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日用品やジャンクから時には楽器まで組み合わせ、音と関連するインスタレーションを多数手掛けてきた美術家・毛利悠子が、コロナ禍以降、尋常ではないペースで作品を発表し続けている。とりわけ2021年は主な展覧会だけでも20以上と、例年の2倍を超える展覧会に参加。2022年に入ってからも神奈川の無人島・猿島を舞台とした芸術祭「Sense Island -感覚の島- 暗闇の美術島 2021」や第23回シドニー・ビエンナーレをはじめ、半年ですでに二桁近くもの展示を行っている。

コロナ禍を経て毛利の活動にはどのような変化があったのか。反対に、変わることのない制作上の関心とは何か。あるいは、音に対してどのようなスタンスで向き合っているのか。10月28日〜12月24日にかけてAkio Nagasawa Galleryで「モレモレ東京」展、さらに11月2日~12月3日にはYutaka Kikutake Galleryで「Neue Fruchtige Tanzmusik」展と、都内では約2年ぶりとなる個展も控えた彼女に、話を訊いた。

毛利悠子
美術家。コンポジション(構築)へのアプローチではなく、世界中で見つけた日用品やジャンクをオブジェとして再構成し光や温度といった環境の諸条件によって変化してゆく「事象」にフォーカスするインスタレーションやスカルプチャーを制作。近年の個展に「Parade(a Drip, a Drop, the End of the Tale)」(ジャパンハウス、サンパウロ、2021)、「Voluta」(カムデン・アーツ・センター、ロンドン、2018)、「毛利悠子:ただし抵抗はあるものとする」(十和田市現代美術館、2018)の他、第14回リヨン・ビエンナーレ(2017)、第34回サンパウロ・ビエンナーレ(2021)、第23回シドニー・ビエンナーレ(2022)など国内外の展覧会に参加。2017年に第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した。10月28日からAkio Nagasawa Galleryで「モレモレ東京」、11月2日からYutaka Kikutake Galleryで「Neue Fruchtige Tanzmusik」をそれぞれ開催する。
https://mohrizm.net/ja/

コロナ禍での怒涛の遠隔展示を経て

——毛利さんは昨年、例年の倍以上もの展覧会に参加され、今年に入ってからも香港、猿島、シドニーで展示を行うなど、きわめて精力的に活動を続けられています。まずは近況をお聞かせいただけますか。

毛利悠子(以下、毛利):コロナ禍以降の2年間は私にとって明らかにターニングポイントでした。それ以前はいろいろな場所を旅して作品を作るということをしていたんですけど、この2年間はずっと取手(東京藝術大学取手キャンパス)のスタジオで作品を作っていて。コロナ禍に見舞われてから自動演奏ピアノやスピーカーなども購入してスタジオで研究・制作していたら、いつの間にか大量の作品を作っていた(笑)。もちろんご多分に漏れず企画がいくつも流れてしまいましたが、幸いにも発表する機会もたくさんありました。でも、ほとんどリモートでお仕事をしていたんです。台北やサンパウロ、オスロなど海外で個展をやる時も、まずは会場と同じぐらいの広さのスペースを日本で借りて、そこで一度作品を作り上げる。それをバラバラに分解して、組み立て方を書いて全部箱詰めして現地に送り、説明のビデオを見ながら組み立ててもらう、という「IKEA」みたいなやり方です。そういうことをひたすら繰り返していました。もともと空間ありきで作品を構想してきたんですけど、実際の空間には行かずにずっとリモートで設営作業をしていたので、作品が展示されてもすごく遠い話に感じるというか、現地のキュレーターに「展示が出来上がりました!」と言われても全然しっくりこない(笑)。

——リモートの作業だと、展示が始まってからも現地に行くことはないのでしょうか?

毛利:そうなんです。だから、展示の数自体はすごく多かったんですけど、自分が作品を展示したという実感はあまり沸かなくて。それってどうなんだろうと思っていた時に猿島の芸術祭(「Sense Island -感覚の島- 暗闇の美術島 2021」)に参加することになったんです。だから猿島は久しぶりの現場でした。しかも展示場所が煉瓦造りの長いトンネルの中だったので、歩いているとひんやりとした気温や湿度、音の残響など、フィジカルな生っぽさをビシビシと感じて。自分でも予想していなかったぐらいめちゃくちゃ盛り上がって、やっぱりこうやって作品を作りたいなと強く感じました。

猿島で展示した《I Can’t Hear You》は、タイトルにもなっている鈴木大拙の言葉を100メートルぐらい離れた2ヵ所のスピーカーから一瞬だけずらして流すというシンプルな仕組みの作品ですが、他の仕事の都合上、私だけ前乗りして展示を完成させなければならず、でも丸2日間ずっと現場で音を聴いてひたすら微調整して、かなり納得がいくものになったんです。で、いざ展覧会がオープンして訪れてみると、隣の作品のモーター音が結構鳴っていて「音のある作品だなんて、聞いてないよ!」と焦ってしまって(笑)。ま、それぐらい現場で起こっていることってたくさんあるんだなと。やっぱり写真や映像だけでは伝わらない何かを作りたいと改めて思うようになりましたね。

徐々に腐敗するフルーツの「生っぽさ」

——他にコロナ禍以降に生まれた作品はありますか?

毛利:いくつも新作ができたのですが、そのなかのひとつに《Decomposition》という、フルーツを使った作品があります。アートワークを担当した大友良英さんのアルバム(『Stone Stone Stone』)のジャケットにも写っている作品です。いろいろなフルーツに電極を挿してスピーカーからシンセサイザーの音を鳴らすんですが、抵抗値の変化で音が変わっていくようになっていて。

——なぜフルーツを使ったのでしょうか?

毛利:去年の春、香港のグループ展に参加することになって、最初は現地に行く予定だったんです。けれどもコロナ禍で行くことができず、結局リモートで作業するしかなかった。やっぱり自分が興味があるのは流動的にエネルギーが変化する様子とか、空間によって音や光が変わっていくことなので、リモートでもそういう生っぽさを作れないだろうか……と考えた時に思いついたのがフルーツでした。自分が行けない代わりに現場の生っぽさをフルーツで出そうと思ったんです。フルーツなら世界中どこでも手に入るだろうし、地域によって採れる種類が違うからおもしろくなりそうだなと。

ただ、現地に行けなかったので、台湾と香港で展示した時はどんな作品なのか実際のところはわかっていませんでした。もちろん自分でも何回もテストしているんですけど、あくまでもテストなので、数週間~数ヵ月も展示し続けるとどう変化するのかまではわからない。そうしたなか、今年の春から夏にかけてヨーロッパに滞在していた時期に、長谷川祐子さんの芸大の退任記念展「新しいエコロジーとアート」に《Decomposition》を出品したんです。せっかく日本で展示するタイミングだったのに、私が海外にいたのでこの展示のインストールもリモートになってしまった(笑)。それで帰国してから展示終盤の会場を見に行ったら、夏のむわっとした暑さや湿気と、フルーツの腐敗臭、それに音のサイケデリックな感じが相まって、わけのわからない空間になっていて。「これこれ! こういう作品をやりたかったんだ!」と思いました。猿島で作品を微調整し続けたこともそうですけど、現場で改めて感じたものを自分のナラティヴに組み込んでいくことに今は興味があるのかなと。

もう1つ、フルーツを使った理由に、もともと西洋絵画の伝統的モチーフだったという美術的な文脈もあるにはあります。

——使用するフルーツの種類は決まっているのでしょうか?

毛利:いや、決めていないです。静物画が描かれた美術史上の作品を参照してフルーツの種類を指定するのは簡単ですが、そういう発想はよく見かけるし、《Decomposition》はオープンエンドな彫刻と捉えているので、作家の私がすべて決めるわけではなく、キュレーターや他の作家がフルーツを選んでもいいというルールにしています。台湾の時は、やっぱりフルーツ大国で、全く知らない種類がたくさんあるので、自分の想像を超えたヴィジュアルのフルーツ盛りが出来上がっていておもしろかったです(笑)。音も予想しないものが出てくるんですよね。匂いについては最初はあまり気にしていませんでしたが、「新しいエコロジーとアート」展で実際に見てからは超重要なエレメントだと改めて気付きました。

初のレコード作品リリースに向けて

——リモートでの制作を経て、いわゆるサイトスペシフィックなものの価値をあらためて見出したと。

毛利:そうですね。コロナ禍で忘れかけていたものを思い出したというか、しっかりとした実感を得られたから、そこをもう少し拡げたくて。《Decomposition》は今度は「ボザーク」の大きめのヴィンテージ・スピーカーから音を出すつもりなんです。これまでは、校内放送とかで使われるようなホーンスピーカーを使っていたんですけど、そうすると少し人間の声っぽい感じの音になるんですね。もともとアナウンス用に作られた形状のスピーカーなので中音域が得意で、どんな音でもノスタルジックでヒューマンな感じになるというか。それを現場で聴いた時に、違う種類のスピーカーならどう聴こえるのだろうと思って。出力する音はRaspberry Pi(ラズベリーパイ)というマイコンを使って作っているので、オーディオ信号としては結構いい音なんです。それで試しにボザークのスピーカーから再生してみたら、もう、ものすごい音域が出ていて、全く違う作品になっていた。

——そもそも、ボザークのスピーカーはなぜ購入したのでしょうか?

毛利:これも新作なんですが、去年、湯浅学さん、タブレット純さんと一緒に《タブレットとマーブルの東京うためぐり》というプロジェクト作品を作ったんですね。2人のトークとご当地ソングをラジオ番組のように流しながら都内をバスで巡回するという作品です。やってみたらすごくおもしろくって、今、金沢バージョンも作っているんですが、それもあって湯浅さんといろいろやりとりしていて。そしたらある日、湯浅さんに「ちょっともーちゃんさあ、ヤフオク!で『ボザーク』って調べてみて」って言われて、検索したらこのヴィンテージ・スピーカーがずらっと出てきた。「俺、これで音楽が聴きたい」って湯浅さんが言うんだけど、湯浅さんの自宅はすでに巨大なスピーカーだらけで置くところがないので、じゃあ私が買っちゃおうと(笑)。ひとまずスピーカーが2つ到着したので湯浅さんと一緒にレコードを聴いてみたら、感動的なまでに素晴らしかった。このところずっとBluetoothスピーカーで音楽を聴いていたからか、音に対する欲望もすごく強くなっていて、気付いたらどんどんボザークのスピーカーが増えていきました(笑)。

今の時代は大きなコーンを1個か2個だけつけて高域から低域までをガンッと出す一発入魂みたいなスピーカーがほとんどですが、ボザークには11対のコーンがあって、それぞれのユニットに電気を送って繊細な音を出す仕組みで。もともとオーケストラ向けと言われただけあっていろいろな楽器のいろいろな音域が細かく出せるんです。これで山下達郎の『SOFTLY』を聴いてみたら、1曲目「フェニックス」冒頭から小さい達郎さんの顔がめっちゃたくさん出てくる感覚に陥りました(笑)。達郎さんって自分の声で多重録音するじゃないですか。それが一気に細かく見えるようになる。だったらこのスピーカーでフルーツの作品をやったらおもしろいんじゃないか、と。今まではシンセサイザーで音を出してたけど、いろいろな声にボコーダーをかけたりした音源とかどうかなと夢想しています。この作品を今度Yutaka Kikutake Galleryで展示する予定です。

——「Neue Fruchtige Tanzmusik」というタイトルの個展ですよね?

毛利:そうです。タイトルはドイツ語で直訳すると「新しいフルーティーなダンス・ミュージック」という意味ですけど、頭文字を取るとNFTになる(笑)。このダジャレのためだけにドイツ語を選んだのですが、どことなく電子音楽っぽい雰囲気も出たかな、と。この個展ではレコード作品も出す予定で、マスタリングはzAkさんに依頼しました。レコードを出すのは初めてなんです。でも普通にリリースするのではなくて、ダブ・プレートのようにオーダーメイドで直接カッティングして、かなり少なめのエディションを考えています。展示ではフルーツがリアルタイムに鳴っていますが、レコードには事前にレコーディングした音源を3パターンぐらい収録しようかなと。だんだんフルーツが腐っていくと音も変化するので、その違いもわかるようにレコーディングする予定です。アナログ回帰じゃないですけど、やっぱりレコードやオーディオはおもしろいですね。ターンテーブルによっても音が変わるし、ケーブルを変えるだけでも別物になる。フィジカルに現場でどんどん変えられる、マニピュレーションできる感じがめちゃくちゃおもしろくて。

音の作家性、あるいは「作曲しないこと」

——《Decomposition》を音の方面から捉えるなら、やはり、フルーツから取得したデータをどのような音に変換するかということが要点になってくると思います。そこに毛利さんの音に対する作家性も表れるのではないでしょうか?

毛利:それはおっしゃるとおりです。そもそもなぜフルーツから音に変換しようと思ったかというと、少し遡りますけど、15年ぐらい前に梅田哲也くん達と大阪・日本橋の電気街で展覧会をやったんです(「テクノポリタンミュージアム 電キシビション」2006年)。その時に、デジットという電子部品専門のジャンク屋にいろいろな抵抗器が売っていて、そこにナスやキュウリが置いてあったらおもしろいかなと考えたんですね。野菜には水分が含まれているから抵抗器と同じように抵抗値が取れる。なので野菜の水分量を測って抵抗値をカラーテープで貼って、電子パーツ屋で野菜を売るという作品を展示することにして。ナスもキュウリも静物だから、抵抗値も止まってると思うじゃないですか。けれど電極をグサグサ挿して測ってみたら、水分量が意外なほど揺らいでいて数値が動くんです。見た目は動かないけど中に含まれる水分は動いている、ということにすごく感動してしまいました。その経験を思い出しつつ、フルーツの抵抗値を音に変換すれば、つねに音が変化していく作品ができるんじゃないかと。

コーディングの人と相談して、どうしたら実現できるだろうと試行錯誤した結果、Raspberry PiにSonic Pi(ソニックパイ)という音のプログラミングソフトがあるので、それだったらできるかもしれないということになりました。フルーツから抵抗値を定期的に取得して、任意のシンセサイザーの音程を変えていくという方法です。音色はいろいろあるので、一番最初に作った時はカシオトーンの中にあるようなエフェクト音を使いました。でもやっぱり、ありもののシンセサイザーなので、「いかにもカシオトーンという商品を使って音を出しています」って感じになってしまった。その音色の部分をもっと考えたいと思っていて、自分の声や物音などをサンプリングできるかどうかとか、まさに今、いろいろと試している段階です。

——そこには「植物の声を聴く」というような連想もありますか?

毛利:あるかもしれない。でも決めてから作るよりも作りながら考えていくタイプなので、最終的にどういうコンセプトにまとめるかは思案中です。「decomposition」というタイトルも作品を制作する途中で思いついたんです。コロナ禍で一時期東京から離れて田舎暮らしをしていて、そのときにコンポスト(堆肥づくり)をやっていて頭に浮かびました。「decomposition」は分解・腐敗といった意味ですが、「composition(作曲・構成)」というワードも含んでいて、否定を表す接頭辞「de-」がついているから作曲の否定とも解釈できる。実際に作曲というよりフルーツの内部に含まれる水分量に応じて勝手に音程が変化する作品なので、それなら「decomposition」がピッタリだろうと思ってこのタイトルにしました。

このタイトルは「私は作曲しない」というステートメントでもあるんです。フルーツが勝手に音をデザインしてくれる。それは作曲家としては怠惰な態度に見えるかもしれないですけど、むしろその怠惰なところもコンセプトにできるなと。かつてピエール・ブーレーズがジョン・ケージの音楽を「怠惰による偶然性(chance by inadvertence)」と批判したことがあって、でも私は怠惰であることを肯定的に考えているんです。その意味で「私は作曲しない」というステートメントは、作者が音を選ばないこと、ケージっぽく言えば音をあるがままにさせることとも言い換えられます。なんたって《Decomposition》の発想の根っこにあるのはライヴ・エレクトロニクスですから。でも私の場合は完全な放任主義なわけではなくて、こだわるところはこだわっていて、バランスを見ながら考えているところもあるんです。それは永遠の問いかもしれない。自分の音楽をやりたいわけではなくて、ある状況の音が流れてくるのがベストだとすると、その音をどこまで自分で作るべきなのか。

非鼓膜的、あるいは流動的に変化する「動き」

——毛利さんの音に対するスタンスとしては、大まかに「聴覚現象に介入するもの」「動きが偶発的な音を発生させるもの」「音楽をモチーフとしたもの」の3種類があると思います。ご自身の表現で音を使う際に、このように分けて捉えることはありますか?

毛利:いや、分けてはいないですね。ずっと一番興味があるのは「動き」なんです。流動的に街の風景とか社会が変わっていくことに興味があって、その中で自分が何を見ているか、何を切り取って作品化できるかみたいなことを考えていて。だからそれは音というよりも「動き」「運動」なのかなと。来年以降に大きな展覧会がある予定なんですけど 、そのテーマも「動き」「運動」にするつもりです。もちろん、おっしゃるように運動するところには音が生まれます。ただ、その運動は必ずしも作品側だけというわけではなくて、鑑賞者側が動くことで変化することもある。猿島の《I Can’t Hear You》もお客さんがトンネルの中を歩くことで聴こえ方が変化する作品でしたが、次の展覧会でも、環境はほぼ変わらずに鑑賞者が立つ場所、そこでの運動によって体験が変わっていくという……抽象的な言い方になってしまいますけど、いわば「立って海原を眺める」みたいな展覧会にしたいな、と(笑)。

——『ただし抵抗はあるものとする』展の公式図録で、畠中実さんはおそらくデュシャンの「非網膜的絵画」を念頭に「可聴域に限定された『鼓膜的』な音響的な事象にとどまらない思考を促される」と毛利さんの作品を評していました。音を運動の一部として捉えることはまさにこうした試みだと言えそうです。

毛利:音を聴くときの自分の感覚としては、なんというか、電気を見ている感じがするんですよ。例えばオーディオにこだわることは、ものすごくざっくり言えば、汚い電気をどれだけきれいでピュアな電気にしてあげるかという作業だと言い換えることもできます。ケーブルを変えたり電源を変えたりすることで、いかに電気をきれいな状態にして音を乗せられるか。だからボザークのスピーカーで音楽を聴いているときも、どういう電気が動いているんだろうと考えてしまう。《Decomposition》も、音はもちろん好きですけど、その奥にある電気の揺らぎみたいなものの方が制作中は気になっています。立体彫刻《モレモレ》で水を使う時もメインは水の動きなんですね。作品には水を導くためのオブジェがたくさんありますが、やっぱり水の動きに興味があって。水は重力も関係してくるしポンプの水圧も厄介で、なかなかコントロールするのが難しい素材なんです。だから、水の動きをコントロールしようとしたら思いもよらない形になってしまった、みたいなことがあの彫刻の醍醐味で。

Akio Nagasawa Galleryで行う展示では、これまで撮影してきた《モレモレ東京》の写真から22点を選んで、大きくプリントする予定です。なぜそういう写真展をやろうと思ったかというと、東京オリンピックが終わったあと、改めて東京の街中を観察してみたんです。久しぶりに練り歩いたら、水漏れの対処がもう圧倒的につまらなくなっていて。たった10年前にはもっと駅員さん個々人の創意工夫があっていろいろなオブジェを使っていたのに、最近はパラシュート状の透明ビニールに漏斗とホースをつなげるというモノがプロダクト化されてしまっていて、こなれた感じの対処が増えてつまらないと感じてしまったんです。それで「1つの時代が終わったな」と思い、写真展としてまとめることにしました。水漏れの対処に限らず、10年前は当たり前だったことも今ではいろいろと変わっていて、音楽もいつの間にかBluetoothが主流になってきているじゃないですか。だから、その辺の世の中の大きな変化をどう考えるのか、ということにやっぱり興味がありますね。

——今の《モレモレ東京》のお話は、まるでインプロヴィゼーションがマンネリ化したみたいですね。

毛利:そうそう!(笑) ホントにそうなんですよ。即興音楽でも毎回こなれた芸を同じように見せられるようになると「これはもういいかな……」と思ってしまうことがあるじゃないですか。まあ、スムースに雨漏りに対処できるのは悪いことではないので、あくまでも端的に「かつて存在した時代が終わった」ということではあるんですけど、そこに区切りをつける意味でも展覧会を開くにはいい機会だと思いました。

アートと政治、あるいは無数の小さな振動と抵抗

——《モレモレ東京》はそうした即興音楽にも似たおもしろさがあると同時に、そこにはインフラ整備で場当たり的に対処するような国のいい加減な態度を暗示するという政治性も重なっていました。毛利さんとしてはアートと政治の関係についてはどのように考えているのでしょうか?

毛利:やっぱり海外のいろいろな場所に行くと政治的な場面には頻繁に出くわします。例えば今の香港はセンサーシップが激しくなっていて、《Decomposition》でさえ「このフルーツにはポリティカルな意味がありますか?」とか聞かれてしまうんです。中国でもこの前、デイヴィッド・ホーヴィッツさんというアメリカ人作家とのコラボレーション展示をしたのですが、デイヴィッドの作品に映っている場所が実はトランプ前大統領がよく使用しているゴルフ場で。私の作品は千葉県の外房から夜明けの太平洋を映した映像だったから、見方によっては日本側からアメリカに対するなんらかのメッセージのように見えるかもしれない(笑)。

それと私が5年前から働いている東京藝大のグローバルアートプラクティス専攻という学科が少し変わったところで、学生の半分以上が外国の方なんです。欧米だけでなく中近東やアフリカもいるし、アジア圏も多くて、授業も英語でやっています。彼等彼女等と一緒にいると、すぐそこに危機がずっとあるというリアルな話を当たり前のように聞くんです。例えば最近、ロシアが奨学金制度提携国から外されるかもしれないんです。これはイデオロギー的な判断によるものであって、もちろん個々の学生には何の非もありません。とても複雑で、多層な要素からできている個々人を、敵と味方にバッサリと選り分けて待遇を変える──こんな貧しい発想がまかり通ってしまうのが今の世の中です。ものごとはとても複雑であり、1つの意見を主張する時、片方しか見えていないままだともう片方の悲惨さを覆い隠してしまう。

特に日本にいると言語的にも鎖国状態だから、一面的にしか見えてこないことがとても多いと思っています。問題は多面的であるはずなのに、二極化したうえでどっちに付くかというかたちで拙速に答えを出そうとする風潮に違和感があって。もちろんポリティカルなアートにも素晴らしい作品はたくさんありますが、私はそういった多面性をどうしても考えてしまって、イシューを1つに絞り込んだような表現はなかなかできないんですね。

だから、「ただし抵抗はあるものとする」展でも試みたように、小さな抵抗を細かくたくさん作っていくことが、私の政治的なステートメントになるのではないかと思うんです。まさに「動き」「運動」あるいは「ヴァイブレーション」もそうなんですけど、小さな振動をたくさん作って細かく抵抗していくことで、世の中のものごとを見ていきたい。ただ、抽象的な表現だから、それがいつ、どんな人に伝わるのかまではわからない。

例えばロシア・アヴァンギャルドの時のペインティングとか、ウラジーミル・タトリンのスカルプチャーとかを100年後の今あらためて見てみると、細かく抵抗している感じが伝わってくるんです。100年前にこんなふうに抵抗していた人達がいたのかと。たとえ抽象表現だったとしても、そこから何かを感じ取ることができるのがアートや音楽のおもしろいところですよね。もし私の作品を何らかの形で未来に残すことができたら、ささやかな抵抗のありようから「このときはこういう時代だったのか」という時代性のようなものが見えてほしいな、と思っています。それは100年後に振り返ることで意味が見出されるのかもしれないし、《モレモレ東京》のように、たった10年でも作品の見え方や意味合いが大きく変わってしまうかもしれないですからね。

■モレモレ東京
会期:10月28日〜12月24日
会場:AKIO NAGASAWA GALLERY GINZA
住所:東京都中央区銀座4-9-5 銀昭ビル6F
時間: 11:00〜19:00(土曜のみ13:00〜14:00はクローズ)
休日:日〜月曜、祝日
入場料:無料
Webサイト:https://www.akionagasawa.com/jp/exhibition/more-more-tokyo/

■Neue Fruchtige Tanzmusik
会期:11月2日〜12月3日
会場:Yutaka Kikutake Gallery
住所:東京都港区六本木6-6-9 2F
時間:12:00〜19:00
休日:日〜月曜、祝日
入場料:無料
公式サイト:www.yutakakikutakegallery.com

■金沢21世紀美術館アートバス市内循環ツアー「タブレットとマーブルの金沢うためぐり」「コレクション作家 毛利悠子 特別展示」

日付:11月3日
会場:金沢21世紀美術館
住所:石川県金沢市広坂1-2-1
時間:10:00~、13:30~(約2時間15分 程度)
入場料:プログラムにより異なる(金沢市民、富山市民は当館主催展覧会の観覧が無料/運転免許証などの在住証明書要)
定員:各回20名程度(事前申込優先)
ディスクジョッキー:タブレット純(ムード歌謡歌手・芸人)、湯浅学(音楽評論家)
公式サイト:https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=69&d=1991

Photography Hiroto Nagasawa
Edit Jun Ashizawa(TOKION)

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AIと即興のテクノロジカルな共創——石若駿 × 松丸契 特別対談・後編 https://tokion.jp/2022/10/21/shun-ishiwaka-x-kei-matsumaru-vol2/ Fri, 21 Oct 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=149213 AIは即興・パフォーマンスにどのような可能性をもたらすのか。去る6月、山口情報芸術センター[YCAM]で自身の演奏を学習させたAIとのセッションを繰り広げた打楽器奏者・石若駿とサックス奏者・松丸契が語り合う対談企画・後編。

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打楽器奏者の石若駿と山口情報芸術センター[YCAM]がコラボレーションしたパフォーマンス・イベント「Echoes for unknown egos―発現しあう響きたち」。

同イベントは、石若とYCAMおよびAI研究者らによる約1年半におよぶ共同研究開発を経て、今年6月4~5日の2日間にわたってYCAMで開催。当日のパフォーマンスでは、石若が自らの演奏データを学習させたAI(人工知能)を含むエージェントと即興でセッションを行い、2日目にはサックス奏者の松丸契も演奏に参加した。

2日目の公演終了後、石若と松丸に対談インタビューを実施。インタビューの前編では、松丸を共演者として迎えた理由から、試験的なライヴを挟んだクリエイションのプロセス、当日の公演で感じたというAIならではの時間感覚や人間の意志のようなもの、さらにソロの即興演奏における石若と松丸それぞれのスタンスまで伺った。

インタビュー後編では、クリエイションを通じた即興演奏の捉え方の変化や、今回制作したシステムを活用するためのアイデア、そして未来の音楽教育のあり方に至るまで語っていただいた。

前編はこちら

公演を通じて変化した即興演奏の考え方

——石若さんは初日のパフォーマンス後のトークで「(今回のクリエイションを通じて)即興演奏に対する考え方が変わった」と仰っていましたよね。具体的にはどのような変化がありましたか?

石若駿(以下、石若):今回、AIを含むテクノロジーを用いた共演者を作るにあたって、自分の即興演奏のやり方を言語化して学習させるという作業を行ったんですね。その時に「言語化したものは果たして本当に即興演奏と呼べるのだろうか」という問いに突き当たったんです。自分以外のプレイヤーが演奏できるということは、本当は作曲なんじゃないか? いや、そうはいってもやっぱり即興だ。いやいや、即興とは違うかもしれない……といったことを毎日考えるようになって。

自分が即興演奏をやる時は、「こういうサウンドを出したい」と考えて演奏することもあれば、特に何も考えずに音を出すこともある。狙って音を出そうとしたら偶然が良い方向に作用して、思いがけないおもしろい展開が生まれることもあります。そういう、いろいろなレイヤーが折り重なる中で即興演奏をしていることにあらためて気付いたというか、今回のクリエイションがそうしたことを細かく考えるきっかけになりました。

即興演奏をする時は、見たことのないものや聴いたことのないものをとても楽しみにしているんですよ。けど、それって一体なんなのか、即興演奏の時に何が起きているのか、どうしたらおもしろいことになるのか、以前はあくまでも感覚的に捉えていただけでした。いわばファンタジーだった。そうしたことを機械の共演者に教える過程で、自分の即興演奏を細分化して言語化するようになって、新しい問いもいろいろと生まれましたけど、とにかく解像度が高くなりましたね。

松丸契(以下、松丸):今回のこの企画に参加させていただいて、即興演奏とはなんなのか、人間が音楽の中で良いと感じる瞬間はなんなのかといったことについて、すごく重要な問いを投げかけてくれたような気はしています。以前、内橋和久さんが「良い即興」と「悪い即興」の違いについて厳しく仰っていたことがあって、その判断に共感するところがあったんですね。つまり「こういう即興は良くない」という漠然とした共通認識みたいなものは存在していると思うんです。

ただ、何が良くて何が悪いのか言語化するのは難しい。けれどその言語化の難しさが手法としての即興演奏の魅力なのかもしれないです。他のスタイルが明確化されている音楽はどちらかというと言語化しやすいですよね。特徴を抽出してアカデミックな世界で他人に教えたり、似たようなスタイルで演奏したりする、ということが比較的容易に可能です。即興演奏だとそれがなかなか難しい。にもかかわらず、その中でも「良い即興」と「悪い即興」があるので、それが一体なんなのか、僕はつねに考えています。

石若:内橋さんは「世の中にありふれているインプロの大半はデタラメだ」と言ってたよね。それは僕も共感できます。でも「良い即興」を誰かに教えるとなると難しい。例えば今回、「僕がこういう演奏をしている時はどのエージェントのどんな演奏が相応しいだろう?」ということについて、とても苦労しました。僕自身、共演相手が静かな演奏をし始めたからといって、必ずしも自分も静かになるわけではないですけど、相手に合わせて静かになることもあって……そういったことをどうしたら機械に教えることができるだろう、と。禅問答みたいですが(笑)、やっぱり演奏が始まったらどんな展開になるのか全くわからない状態を作りたくて。

ジャズのアドリブと自由な即興演奏の違い

——例えばジャズのアドリブも即興演奏ではありますよね。今回のような自由な即興演奏とジャズのアドリブだと、同じ即興演奏でも、やはり「他人に即興演奏のやり方を教える」という点で違いが生まれてくると感じますか?

石若:そうですね。全く違うと思います。学校で教えることができるようなジャズのアドリブは、先人たちが積み上げてきた膨大な量の音楽が背景にあって、「この曲ではこういうふうにソロを取ることができる」という資料がたくさんあるわけですよ。そうしたデータの部分を教えることでアドリブを取れるようになると思うんです。だけど自由な即興演奏に関しては、データをもとに曲に合わせて演奏するのではなくて、その時そのミュージシャンが何らかの音の響きを求めて演奏する音楽なので、データよりも演奏者個人にフォーカスされる。そこに大きな違いがあるのかなと思います。

松丸:演奏者自身が意識していなくても、ジャズは歴史にフォーカスした音楽ではあると思いますね。歴史的に培われてきた語法を使っていたり、曲にしてもコード進行の種類や傾向はある程度決まっています。ジャズのアドリブはそういった歴史の中にある。けれど自由な即興演奏の場合は、別に何かの歴史に捧げようとしているわけでも、歴史にフォーカスしたいわけでもなくて。もちろん場合によってはフリー・インプロヴィゼーションというジャンルをやりたいミュージシャンもいるかもしれないですけど、それはジャンルとしての即興演奏の話であって、自分がやる場合は違うなと。

石若:コンピュータと一緒に音楽を組み上げていく、作っていくということはすごく好きなポイントなので、自由な即興演奏でセッションができるようなデザインをしているという感覚はありました。例えば僕もリズムAIも露骨な8ビートを叩くことはない。厳密にはビートを生み出すこともあるんですけど、特定のビートを共有しながら音楽を作りたいわけではなくて。

松丸:石若さん以外のドラマーだったら、もしかしたら急にロック調のリズムが出てくるような展開があったかもしれないですよね。

石若:自由な即興演奏といっても、最初にある程度やりたい音楽の形を想定しながら作っていったんです。シンプルに「自分と共演したい」というアイデアを発展させていくことがベースにはありました。

「自分と共演したい」という発想

——松丸さんも「自分と共演したい」と感じることはありますか?

松丸:僕はあんまり感じないですね。サックスという楽器の問題かもしれないです。単純に音楽のテクスチャーとして、2本のサックスが同時に鳴っているのがあまり好きじゃないんですよ。それはジャズでもそうですけど、特に即興演奏のセッションだとサックスが2本あるとしつこく感じてしまう。

石若:ドラムだとツインドラムのフリーなセッションとか普通にありますからね。

松丸:そう、ドラムだと聴けるんです。空間に余白があるというか。高い密度でリズムが刻まれていたとしても空間には余白がある。サックスの場合はピッチの高低差があって、一つ一つの音が強く主張しながらずっと鳴り続けていくから、それが2人同時となると……。そういうこともあって僕はあまり「自分と共演したい」という発想にはならないのかもしれないです。

——自分と共演することのおもしろさについて、石若さんは「一つの理由は自分を客観視できるから」と仰っていました。例えば自分の演奏を録音して聴き返すことも「客観視」につながりますが、それとAIに学習させることにはどのような違いを感じますか?

石若:やっぱりリアルタイム性です。今回はそこにこだわってエージェントを作っていました。クリエイションの最初のほうの段階で、ブラックスワン(blkswn welfare centre)で一度演奏したあと、記憶だけを頼りに同じ時間の演奏を行って、それらの録音と映像を重ねてみるということをしたんです。そしたら2つの演奏に共通点のようなものが生じて、自分とのつながりみたいなものを感じた。それを過去ではなくて同時進行でインタラクティヴにやりたかったんですね。つまり僕の演奏を聴いてくれる耳を作りたかったというか。しかも聴いてくれるだけではなくて、僕の演奏を学習した状態でリアルタイムに反応するものにしたくて。

「他のミュージシャンにもシステムを活用してほしい」

——今回制作したAIのシステムについて石若さんは、いずれ別のミュージシャンに活用して欲しいとも仰っていました。

石若:今回はメタエージェント含めて6種類のエージェントを使いましたが、各エージェントに自分の即興演奏を学習させるという作業を他のミュージシャンが行った場合、どんな音になるのだろうということにとても興味があります。今回はこうなりましたけど、他のミュージシャンであればコンピュータで表現したい音も学習のさせ方も変わってくると思うんです。その時に、リズムAIやメロディAIはどんな音を発するのだろう、と。それに「こういう音を出すためにこういう楽器を作ってみたい」と、新しいエージェントのアイデアも出てくるかもしれない。

——先ほど松丸さんは「自分と共演したいとは感じない」と仰っていましたが、今回のシステムを活用してみたいという思いはありますか?

松丸:もちろん興味はあります。例えば自分の演奏したものが違う楽器から違う音で出てくるのであれば、すごくおもしろくなりそうだと思いますね。サックス同士で自分と共演することにはあまり興味がないんですけど、今回のパフォーマンスの最後にホワイエでやったように、僕の演奏データを使ったシンバルが自動演奏して、それと一緒にパフォーマンスをするということはとても刺激的でした。何かの楽器から取得したデータを別の楽器から出力するとなると、その別の楽器で普通はやらないようなことが出てくると思うんですね。そこには新しい可能性があるんじゃないかと。

サックスであれば、サックスを演奏するからこそ出てくるリズムの要素があるはずで、それをデータだけ抽出してドラムから出力すると、通常のドラムとは異質な演奏になるかもしれない。もちろん実際には入力と出力の間にもっと複雑な変換の過程があると思いますが、どっちにしても楽器の新しい可能性を発見するきっかけにはなる気がします。

「自分にできないことがあらためて見えてきた」

——今回のクリエイションは、パフォーマンスの場で石若さんが「自分と共演する」だけでなく、制作プロセスも含めて「自分自身を見つめ直す」機会になったところも大きな成果だったと言えるのではないでしょうか?

石若:それはすごく大きいです。終演後の打ち上げでも話したんですけど、パフォーマンスを終えて真っ先に思ったのは「もっと練習して奏法の幅を増やしたい!」ということでした(笑)。というのも、いろいろなエージェントと共演してみて、「こういう展開になったらこういう音を出したいのに、出す術がない」と感じるシーンがたくさんあったんですよ。AIやテクノロジーと一緒に演奏することで、自分にできないことがあらためて見えてきたというか。

それとリズムAIが出すパーカッシヴな音をずっと聴いていて、これを人間がもっとカッコよく演奏するにはどうすればいいのだろうとか、シンバルのフィードバック音でピッチは変わらずにシンセのフィルターをいじったようにじんわりと音色が変化していて、こういう音の変化を自分が出すにはどういう奏法ができるのだろうとか、そういったことをいろいろ考えましたね。僕ではない他のミュージシャンがやっても絶対に何か発見があるでしょうし、新しいアイデアや見たことのない景色が出てくるはずなんです。

あと、今回身に染みて感じたんですが、テクノロジーが発展していくスピードは想像以上に早い。制作を始めた2年前と今を比べただけでも、すでにできることが大きく変わっています。なのでこうしたテクノロジカルなコラボレーションを何らかの形で継続していくことで、数年後には数年後の新しい試みができるんじゃないかと。ただ、必ずしもテクノロジーにこだわらなくても、どんな音楽であれ、どこかの到達点を目指して終わりではなくて、何か違うものがゲットできないかずっと探していくことそのものがおもしろいんじゃないかとは思っています。それが今回はAIをはじめとしたテクノロジーや即興演奏が大きなトピックになっていたというだけで。

即興演奏から未来の音楽教育のあり方を考える

松丸:今回のように即興演奏について深く考えることは、特定のジャンルとか文脈の話ではなくて、音楽そのものについて深く考えることと同じだと思うんです。特に今回のパフォーマンスに関しては教育的な意味で重要な何かに発展し得るんじゃないかと感じました。音楽教育の現場でやることというのは決まりきったものが多くて、少なくとも僕が経験してきた範囲でいうと、あんまり音楽の核心に触れていないと感じることばかりだったんです。

もともとはいろいろなことに好奇心があった子どもも、そういう授業を受けてしまうと「音楽はこういうものだ」と固定観念が備わってしまって、苦手な音楽や難しいと感じる音楽、反対に聴きやすいと感じる音楽などが生まれてくると思うんです。けれど今回のパフォーマンスのようなものをもとに教育的なツールへと発展させることができたら、そうした固定観念から脱することができるかもしれない。

石若:たしかに。やっぱり今回の作品にはいろいろなレイヤーがあると思います。音楽をどんなふうに捉えているのかということから、即興演奏のやり方、そして音の選び方など、普段は説明しなくてもできてしまっている部分があるんですが、クリエイションの時にそうした複数のレイヤーをそれぞれ細かく説明しないといけない状態になる。そうした説明の仕方が音楽教育にも導入できると、小さな子どもにとっての音楽との関わり方も変わってくるだろうなと思います。それは例えばリコーダーでドレミを吹けるようになるとか、みんなで合唱ができるとか、そういうことの前の段階の話で。

松丸:そうですね。「これは歴史的に重要な曲です」みたいな話も、そうしたことの後の段階で教えられると良いと思います。やっぱり音楽の良いところの一つは想像力を掻き立てたり広げたりできるところだと思うんです。それは音楽だけの想像力ではなくて、他のあらゆるものに対して想像力を働かせることにつながるというか。そこで想像力を抑え込んでしまうような音楽教育があると、あらゆるものごとに関しても、そういう思考の人に育ってしまう可能性がある。

僕が即興演奏をやり始めたのも、ある意味では、子どもの頃に備わってしまった固定観念から抜け出すための一つの手段でした。僕の場合はパプアニューギニアの閉ざされたコミュニティで、だいぶ偏った環境の中で育ったんですけどね。けれどそこで固まってしまっていた思考を別の方向に働かせようとした時期があって、それと同時に即興演奏にも取り組み始めたんです。

石若:こうしたパフォーマンスを発表することで未来の音楽教育のあり方を考えるきっかけになるのだとしたら、やっぱり自分自身で発表する機会を作っていくことも大事だなと思います。僕は小さい頃に森山威男さんのフリージャズに出会って、その後、オーケストラや現代音楽などの勉強もしてきましたが、今でも根本にあるのは自由な音楽なんです。そうした生き方をしてきた以上、これからも自分の音楽をしっかりと発表していかなければならないし、そのための機会を作っていく使命があるなと、あらためて感じています。

石若駿
1992年北海道生まれ。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校打楽器専攻を経て、同大学を卒業。卒業時にアカンサス音楽賞、同声会賞を受賞。 リーダープロジェクトとして、 Answer to Remember、SMTK、Songbook Trioを率いる傍ら、くるり、CRCK/LCKS、Kid Fresino、君島大空、Millennium Paradeなど数多くのライブ、作品に参加。 近年の活動として、山口情報芸術センター[YCAM]にて、音と響きによって記憶を喚起させることをテーマに、細井美裕+石若駿+YCAM新作コンサートピース「Sound Mine」を発表。
オフィシャルサイト:http://www.shun-ishiwaka.com
Twitter:@shunishiwaka

松丸契
サックス奏者・作曲家。1995年生まれ。パプアニューギニアにある標高1500メートルの人口400人程度の村で育ち、そこで高校卒業まで楽器を独学で習得し、2014年に米バークリー音楽大学へ全額奨学金を得て入学、2018年に同大学を首席で卒業。同年日本へ帰国、以来東京近辺を中心に、石橋英子、大友良英、Dos Monos、浦上想起など様々なアーティストと共演を重ねる。バンドSMTK(石若駿・マーティホロベック・細井徳太郎・松丸契)で『SUPER MAGIC TOKYO KARMA』、『SIREN PROPAGANDA』、m°fe(高橋佑成・落合康介・松丸契)で『不_?黎°pyro明//乱 (l°fe / de°th)』、自身名義による1stアルバム『Nothing Unspoken Under the Sun』等の作品をリリース。レコーディングやバンド活動等と並行して90分の即興演奏を通して空間と時間と楽器と身体の関係性を探る「独奏」も定期的に開催している。2022年10月19日に2ndアルバム『The Moon, Its Recollections Abstracted』をリリースする。
オフィシャルサイト:https://www.keimatsumaru.com
Instagram:@kmatsumaru
Twitter:@keimatsumaru

Photography Yasuhiro Tani / Courtesy of Yamaguchi Center for Arts and Media [YCAM]

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