AIと即興のテクノロジカルな共創——石若駿 × 松丸契 特別対談・後編

打楽器奏者の石若駿と山口情報芸術センター[YCAM]がコラボレーションしたパフォーマンス・イベント「Echoes for unknown egos―発現しあう響きたち」。

同イベントは、石若とYCAMおよびAI研究者らによる約1年半におよぶ共同研究開発を経て、今年6月4~5日の2日間にわたってYCAMで開催。当日のパフォーマンスでは、石若が自らの演奏データを学習させたAI(人工知能)を含むエージェントと即興でセッションを行い、2日目にはサックス奏者の松丸契も演奏に参加した。

2日目の公演終了後、石若と松丸に対談インタビューを実施。インタビューの前編では、松丸を共演者として迎えた理由から、試験的なライヴを挟んだクリエイションのプロセス、当日の公演で感じたというAIならではの時間感覚や人間の意志のようなもの、さらにソロの即興演奏における石若と松丸それぞれのスタンスまで伺った。

インタビュー後編では、クリエイションを通じた即興演奏の捉え方の変化や、今回制作したシステムを活用するためのアイデア、そして未来の音楽教育のあり方に至るまで語っていただいた。

前編はこちら

公演を通じて変化した即興演奏の考え方

——石若さんは初日のパフォーマンス後のトークで「(今回のクリエイションを通じて)即興演奏に対する考え方が変わった」と仰っていましたよね。具体的にはどのような変化がありましたか?

石若駿(以下、石若):今回、AIを含むテクノロジーを用いた共演者を作るにあたって、自分の即興演奏のやり方を言語化して学習させるという作業を行ったんですね。その時に「言語化したものは果たして本当に即興演奏と呼べるのだろうか」という問いに突き当たったんです。自分以外のプレイヤーが演奏できるということは、本当は作曲なんじゃないか? いや、そうはいってもやっぱり即興だ。いやいや、即興とは違うかもしれない……といったことを毎日考えるようになって。

自分が即興演奏をやる時は、「こういうサウンドを出したい」と考えて演奏することもあれば、特に何も考えずに音を出すこともある。狙って音を出そうとしたら偶然が良い方向に作用して、思いがけないおもしろい展開が生まれることもあります。そういう、いろいろなレイヤーが折り重なる中で即興演奏をしていることにあらためて気付いたというか、今回のクリエイションがそうしたことを細かく考えるきっかけになりました。

即興演奏をする時は、見たことのないものや聴いたことのないものをとても楽しみにしているんですよ。けど、それって一体なんなのか、即興演奏の時に何が起きているのか、どうしたらおもしろいことになるのか、以前はあくまでも感覚的に捉えていただけでした。いわばファンタジーだった。そうしたことを機械の共演者に教える過程で、自分の即興演奏を細分化して言語化するようになって、新しい問いもいろいろと生まれましたけど、とにかく解像度が高くなりましたね。

松丸契(以下、松丸):今回のこの企画に参加させていただいて、即興演奏とはなんなのか、人間が音楽の中で良いと感じる瞬間はなんなのかといったことについて、すごく重要な問いを投げかけてくれたような気はしています。以前、内橋和久さんが「良い即興」と「悪い即興」の違いについて厳しく仰っていたことがあって、その判断に共感するところがあったんですね。つまり「こういう即興は良くない」という漠然とした共通認識みたいなものは存在していると思うんです。

ただ、何が良くて何が悪いのか言語化するのは難しい。けれどその言語化の難しさが手法としての即興演奏の魅力なのかもしれないです。他のスタイルが明確化されている音楽はどちらかというと言語化しやすいですよね。特徴を抽出してアカデミックな世界で他人に教えたり、似たようなスタイルで演奏したりする、ということが比較的容易に可能です。即興演奏だとそれがなかなか難しい。にもかかわらず、その中でも「良い即興」と「悪い即興」があるので、それが一体なんなのか、僕はつねに考えています。

石若:内橋さんは「世の中にありふれているインプロの大半はデタラメだ」と言ってたよね。それは僕も共感できます。でも「良い即興」を誰かに教えるとなると難しい。例えば今回、「僕がこういう演奏をしている時はどのエージェントのどんな演奏が相応しいだろう?」ということについて、とても苦労しました。僕自身、共演相手が静かな演奏をし始めたからといって、必ずしも自分も静かになるわけではないですけど、相手に合わせて静かになることもあって……そういったことをどうしたら機械に教えることができるだろう、と。禅問答みたいですが(笑)、やっぱり演奏が始まったらどんな展開になるのか全くわからない状態を作りたくて。

ジャズのアドリブと自由な即興演奏の違い

——例えばジャズのアドリブも即興演奏ではありますよね。今回のような自由な即興演奏とジャズのアドリブだと、同じ即興演奏でも、やはり「他人に即興演奏のやり方を教える」という点で違いが生まれてくると感じますか?

石若:そうですね。全く違うと思います。学校で教えることができるようなジャズのアドリブは、先人たちが積み上げてきた膨大な量の音楽が背景にあって、「この曲ではこういうふうにソロを取ることができる」という資料がたくさんあるわけですよ。そうしたデータの部分を教えることでアドリブを取れるようになると思うんです。だけど自由な即興演奏に関しては、データをもとに曲に合わせて演奏するのではなくて、その時そのミュージシャンが何らかの音の響きを求めて演奏する音楽なので、データよりも演奏者個人にフォーカスされる。そこに大きな違いがあるのかなと思います。

松丸:演奏者自身が意識していなくても、ジャズは歴史にフォーカスした音楽ではあると思いますね。歴史的に培われてきた語法を使っていたり、曲にしてもコード進行の種類や傾向はある程度決まっています。ジャズのアドリブはそういった歴史の中にある。けれど自由な即興演奏の場合は、別に何かの歴史に捧げようとしているわけでも、歴史にフォーカスしたいわけでもなくて。もちろん場合によってはフリー・インプロヴィゼーションというジャンルをやりたいミュージシャンもいるかもしれないですけど、それはジャンルとしての即興演奏の話であって、自分がやる場合は違うなと。

石若:コンピュータと一緒に音楽を組み上げていく、作っていくということはすごく好きなポイントなので、自由な即興演奏でセッションができるようなデザインをしているという感覚はありました。例えば僕もリズムAIも露骨な8ビートを叩くことはない。厳密にはビートを生み出すこともあるんですけど、特定のビートを共有しながら音楽を作りたいわけではなくて。

松丸:石若さん以外のドラマーだったら、もしかしたら急にロック調のリズムが出てくるような展開があったかもしれないですよね。

石若:自由な即興演奏といっても、最初にある程度やりたい音楽の形を想定しながら作っていったんです。シンプルに「自分と共演したい」というアイデアを発展させていくことがベースにはありました。

「自分と共演したい」という発想

——松丸さんも「自分と共演したい」と感じることはありますか?

松丸:僕はあんまり感じないですね。サックスという楽器の問題かもしれないです。単純に音楽のテクスチャーとして、2本のサックスが同時に鳴っているのがあまり好きじゃないんですよ。それはジャズでもそうですけど、特に即興演奏のセッションだとサックスが2本あるとしつこく感じてしまう。

石若:ドラムだとツインドラムのフリーなセッションとか普通にありますからね。

松丸:そう、ドラムだと聴けるんです。空間に余白があるというか。高い密度でリズムが刻まれていたとしても空間には余白がある。サックスの場合はピッチの高低差があって、一つ一つの音が強く主張しながらずっと鳴り続けていくから、それが2人同時となると……。そういうこともあって僕はあまり「自分と共演したい」という発想にはならないのかもしれないです。

——自分と共演することのおもしろさについて、石若さんは「一つの理由は自分を客観視できるから」と仰っていました。例えば自分の演奏を録音して聴き返すことも「客観視」につながりますが、それとAIに学習させることにはどのような違いを感じますか?

石若:やっぱりリアルタイム性です。今回はそこにこだわってエージェントを作っていました。クリエイションの最初のほうの段階で、ブラックスワン(blkswn welfare centre)で一度演奏したあと、記憶だけを頼りに同じ時間の演奏を行って、それらの録音と映像を重ねてみるということをしたんです。そしたら2つの演奏に共通点のようなものが生じて、自分とのつながりみたいなものを感じた。それを過去ではなくて同時進行でインタラクティヴにやりたかったんですね。つまり僕の演奏を聴いてくれる耳を作りたかったというか。しかも聴いてくれるだけではなくて、僕の演奏を学習した状態でリアルタイムに反応するものにしたくて。

「他のミュージシャンにもシステムを活用してほしい」

——今回制作したAIのシステムについて石若さんは、いずれ別のミュージシャンに活用して欲しいとも仰っていました。

石若:今回はメタエージェント含めて6種類のエージェントを使いましたが、各エージェントに自分の即興演奏を学習させるという作業を他のミュージシャンが行った場合、どんな音になるのだろうということにとても興味があります。今回はこうなりましたけど、他のミュージシャンであればコンピュータで表現したい音も学習のさせ方も変わってくると思うんです。その時に、リズムAIやメロディAIはどんな音を発するのだろう、と。それに「こういう音を出すためにこういう楽器を作ってみたい」と、新しいエージェントのアイデアも出てくるかもしれない。

——先ほど松丸さんは「自分と共演したいとは感じない」と仰っていましたが、今回のシステムを活用してみたいという思いはありますか?

松丸:もちろん興味はあります。例えば自分の演奏したものが違う楽器から違う音で出てくるのであれば、すごくおもしろくなりそうだと思いますね。サックス同士で自分と共演することにはあまり興味がないんですけど、今回のパフォーマンスの最後にホワイエでやったように、僕の演奏データを使ったシンバルが自動演奏して、それと一緒にパフォーマンスをするということはとても刺激的でした。何かの楽器から取得したデータを別の楽器から出力するとなると、その別の楽器で普通はやらないようなことが出てくると思うんですね。そこには新しい可能性があるんじゃないかと。

サックスであれば、サックスを演奏するからこそ出てくるリズムの要素があるはずで、それをデータだけ抽出してドラムから出力すると、通常のドラムとは異質な演奏になるかもしれない。もちろん実際には入力と出力の間にもっと複雑な変換の過程があると思いますが、どっちにしても楽器の新しい可能性を発見するきっかけにはなる気がします。

「自分にできないことがあらためて見えてきた」

——今回のクリエイションは、パフォーマンスの場で石若さんが「自分と共演する」だけでなく、制作プロセスも含めて「自分自身を見つめ直す」機会になったところも大きな成果だったと言えるのではないでしょうか?

石若:それはすごく大きいです。終演後の打ち上げでも話したんですけど、パフォーマンスを終えて真っ先に思ったのは「もっと練習して奏法の幅を増やしたい!」ということでした(笑)。というのも、いろいろなエージェントと共演してみて、「こういう展開になったらこういう音を出したいのに、出す術がない」と感じるシーンがたくさんあったんですよ。AIやテクノロジーと一緒に演奏することで、自分にできないことがあらためて見えてきたというか。

それとリズムAIが出すパーカッシヴな音をずっと聴いていて、これを人間がもっとカッコよく演奏するにはどうすればいいのだろうとか、シンバルのフィードバック音でピッチは変わらずにシンセのフィルターをいじったようにじんわりと音色が変化していて、こういう音の変化を自分が出すにはどういう奏法ができるのだろうとか、そういったことをいろいろ考えましたね。僕ではない他のミュージシャンがやっても絶対に何か発見があるでしょうし、新しいアイデアや見たことのない景色が出てくるはずなんです。

あと、今回身に染みて感じたんですが、テクノロジーが発展していくスピードは想像以上に早い。制作を始めた2年前と今を比べただけでも、すでにできることが大きく変わっています。なのでこうしたテクノロジカルなコラボレーションを何らかの形で継続していくことで、数年後には数年後の新しい試みができるんじゃないかと。ただ、必ずしもテクノロジーにこだわらなくても、どんな音楽であれ、どこかの到達点を目指して終わりではなくて、何か違うものがゲットできないかずっと探していくことそのものがおもしろいんじゃないかとは思っています。それが今回はAIをはじめとしたテクノロジーや即興演奏が大きなトピックになっていたというだけで。

即興演奏から未来の音楽教育のあり方を考える

松丸:今回のように即興演奏について深く考えることは、特定のジャンルとか文脈の話ではなくて、音楽そのものについて深く考えることと同じだと思うんです。特に今回のパフォーマンスに関しては教育的な意味で重要な何かに発展し得るんじゃないかと感じました。音楽教育の現場でやることというのは決まりきったものが多くて、少なくとも僕が経験してきた範囲でいうと、あんまり音楽の核心に触れていないと感じることばかりだったんです。

もともとはいろいろなことに好奇心があった子どもも、そういう授業を受けてしまうと「音楽はこういうものだ」と固定観念が備わってしまって、苦手な音楽や難しいと感じる音楽、反対に聴きやすいと感じる音楽などが生まれてくると思うんです。けれど今回のパフォーマンスのようなものをもとに教育的なツールへと発展させることができたら、そうした固定観念から脱することができるかもしれない。

石若:たしかに。やっぱり今回の作品にはいろいろなレイヤーがあると思います。音楽をどんなふうに捉えているのかということから、即興演奏のやり方、そして音の選び方など、普段は説明しなくてもできてしまっている部分があるんですが、クリエイションの時にそうした複数のレイヤーをそれぞれ細かく説明しないといけない状態になる。そうした説明の仕方が音楽教育にも導入できると、小さな子どもにとっての音楽との関わり方も変わってくるだろうなと思います。それは例えばリコーダーでドレミを吹けるようになるとか、みんなで合唱ができるとか、そういうことの前の段階の話で。

松丸:そうですね。「これは歴史的に重要な曲です」みたいな話も、そうしたことの後の段階で教えられると良いと思います。やっぱり音楽の良いところの一つは想像力を掻き立てたり広げたりできるところだと思うんです。それは音楽だけの想像力ではなくて、他のあらゆるものに対して想像力を働かせることにつながるというか。そこで想像力を抑え込んでしまうような音楽教育があると、あらゆるものごとに関しても、そういう思考の人に育ってしまう可能性がある。

僕が即興演奏をやり始めたのも、ある意味では、子どもの頃に備わってしまった固定観念から抜け出すための一つの手段でした。僕の場合はパプアニューギニアの閉ざされたコミュニティで、だいぶ偏った環境の中で育ったんですけどね。けれどそこで固まってしまっていた思考を別の方向に働かせようとした時期があって、それと同時に即興演奏にも取り組み始めたんです。

石若:こうしたパフォーマンスを発表することで未来の音楽教育のあり方を考えるきっかけになるのだとしたら、やっぱり自分自身で発表する機会を作っていくことも大事だなと思います。僕は小さい頃に森山威男さんのフリージャズに出会って、その後、オーケストラや現代音楽などの勉強もしてきましたが、今でも根本にあるのは自由な音楽なんです。そうした生き方をしてきた以上、これからも自分の音楽をしっかりと発表していかなければならないし、そのための機会を作っていく使命があるなと、あらためて感じています。

石若駿
1992年北海道生まれ。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校打楽器専攻を経て、同大学を卒業。卒業時にアカンサス音楽賞、同声会賞を受賞。 リーダープロジェクトとして、 Answer to Remember、SMTK、Songbook Trioを率いる傍ら、くるり、CRCK/LCKS、Kid Fresino、君島大空、Millennium Paradeなど数多くのライブ、作品に参加。 近年の活動として、山口情報芸術センター[YCAM]にて、音と響きによって記憶を喚起させることをテーマに、細井美裕+石若駿+YCAM新作コンサートピース「Sound Mine」を発表。
オフィシャルサイト:http://www.shun-ishiwaka.com
Twitter:@shunishiwaka

松丸契
サックス奏者・作曲家。1995年生まれ。パプアニューギニアにある標高1500メートルの人口400人程度の村で育ち、そこで高校卒業まで楽器を独学で習得し、2014年に米バークリー音楽大学へ全額奨学金を得て入学、2018年に同大学を首席で卒業。同年日本へ帰国、以来東京近辺を中心に、石橋英子、大友良英、Dos Monos、浦上想起など様々なアーティストと共演を重ねる。バンドSMTK(石若駿・マーティホロベック・細井徳太郎・松丸契)で『SUPER MAGIC TOKYO KARMA』、『SIREN PROPAGANDA』、m°fe(高橋佑成・落合康介・松丸契)で『不_?黎°pyro明//乱 (l°fe / de°th)』、自身名義による1stアルバム『Nothing Unspoken Under the Sun』等の作品をリリース。レコーディングやバンド活動等と並行して90分の即興演奏を通して空間と時間と楽器と身体の関係性を探る「独奏」も定期的に開催している。2022年10月19日に2ndアルバム『The Moon, Its Recollections Abstracted』をリリースする。
オフィシャルサイト:https://www.keimatsumaru.com
Instagram:@kmatsumaru
Twitter:@keimatsumaru

Photography Yasuhiro Tani / Courtesy of Yamaguchi Center for Arts and Media [YCAM]

author:

細田 成嗣

1989年生まれ。ライター、音楽批評。編著に『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(カンパニー社、2021年)、主な論考に「即興音楽の新しい波──触れてみるための、あるいは考えはじめるためのディスク・ガイド」、「来たるべき「非在の音」に向けて──特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から」など。国分寺M'sにて現代の即興音楽をテーマに据えたイベント・シリーズを企画、開催。 Twitter: @HosodaNarushi

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