小林沙友里, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/sayuri-kobayashi/ Thu, 07 Dec 2023 07:01:00 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 小林沙友里, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/sayuri-kobayashi/ 32 32 これから訪れたい、2024年春にかけての全国の芸術祭 https://tokion.jp/2023/12/07/art-festival-from-2023-winter-to-2024-spring/ Thu, 07 Dec 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=218491 芸術祭といえば夏や秋に多いイメージがあるかもしれないが、今年は冬から春にかけても充実している。北は北海道から南は沖縄まで、特に注目すべきものを芸術祭ウォッチャーの著者が紹介。

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「瀬戸内国際芸術祭」や「大地の芸術祭」等が行われた昨年に比べると大規模なものは少ないが、「東京ビエンナーレ」や「奥能登国際芸術祭」が行われ、まだまだ楽しみなものが目白押しの今年の芸術祭シーン。これから2024年春にかけて行われる国内の芸術祭を会期終了日の早い順に紹介する。

さいたま国際芸術祭2023

さいたま市で3年に1度開催される、さいたま国際芸術祭。3回目となる今回は現代アートチームの目 [mé] がディレクターを務めるということで注目が集まる。テーマは「わたしたち」。気候変動、社会格差、分断など、さまざまな問題を抱える世界を新たな目線でもう一度「みる」ことを目指している。美術家だけでなく、研究者、編集者、演出家、盆栽師なども参加し、さまざまな作品、公演を展開。

会期:12月10日まで
会場:旧市民会館おおみや他(埼玉県)
公式サイト:https://artsaitama.jp/

ATAMI ART GRANT 2023

アトリエの提供・制作費の支援を行う「ATAMI ART RESIDENCE」と、若手アーティストの制作活動を支援する「ATAMI ART GRANT」を両輪とする「PROJECT ATAMI」が主催。3年目となる今年は「巡 - Voyage ATAMI」をテーマに参加作家を公募。そこで選ばれた副産物産店(矢津吉隆 + 山田毅)や百瀬文等、公募アーティスト20組に加え、∈Y∋やトモトシ&TOMO都市美術館らレジデンスアーティスト34組の作品が展示される。

会期:12月17日まで
会場:ACAO FOREST ほか熱海市内(静岡県)
公式サイト:https://atamiartgrant.com/

FUJI TEXTILE WEEK 2023

1000年以上続く織物の産地である山梨県の富士吉田市で2021年にスタートした、テキスタイルと芸術が融合する布の芸術祭。3年目となる今年は「Back to Thread / 糸への回帰」をテーマに、テキスタイルの原材料である糸に注目。使用されなくなった町中の店舗や工場の廃屋等を会場に、顧剣亨、津野青嵐、ユ・ソラといった注目の若手も参加。デザイン展では100年以上前に作られていた幻の織物「甲斐絹」を期間限定で公開する。

会期:12月17日まで
会場:富士吉田市下吉田本町通り周辺地域(山梨県)
公式サイト:https://fujitextileweek.com/

札幌国際芸術祭2024(SIAF2024)

2014年から3年に1度開催されていたが、3回目となる予定だった2020年はコロナ禍の影響で中止となり、6年半ぶりとなる。ディレクターはアルスエレクトロニカ・フューチャーラボ共同代表でアーティストの小川秀明。冬の開催は初めてで、テーマは「LAST SNOW」。札幌市内6会場を中心に、国内外約80組のアーティストの作品を展示する他、「さっぽろ雪まつり」も会場の1つとなり、北国の冬ならではの芸術祭を目指す。

会期:2024年1月20日〜2月25日(札幌芸術の森美術館は2023年12月16日〜2024年3月3日、さっぽろ雪まつり大通2丁目会場は2024年2月4日〜2月11日)
会場:札幌芸術の森他(北海道)
公式サイト:https://2024.siaf.jp/

やんばるアートフェスティバル 2023-2024

沖縄本島北部、世界自然遺産に認定されたやんばる(山原)地域で開催。その自然や文化に触発された現代美術作品や、やちむん(焼き物)等の工芸作品を展示。7年目となる今回のテーマは「嘉例ヌ源(カリーヌムトゥ)」。嘉例は縁起が良いこと、ヌは7を意味し、沖縄島の始まりの地であり、水源地でもあるやんばる地域が新しいアートの源になることを目指す。浅田政志、山内祥太、吉田山+八木幣二郎、Leggy_、大小島真木等が参加。

会期:2024年1月20日~2月25日
会場:大宜味村立旧塩屋小学校 他(沖縄県)
公式サイト:https://yambaru-artfes.jp/

百年後芸術祭 〜環境と欲望〜 内房総アートフェス

千葉県誕生150周年を記念し、内房総5市を舞台に初開催。総合プロデューサーは会場の1つであるクルックフィールズ(木更津市)の代表で音楽家の小林武史、アートディレクターは北川フラム。国内外のアーティスト等による現代アート作品の展⽰の他、名和晃平も参画するクリエイター集団「Butterfly Studio」による500台のドローンを使ったライヴ・アート・パフォーマンス、音楽や食の企画も行われる。

会期:2024年5⽉26⽇まで(イベント・パフォーマンス)、2024年3⽉23⽇〜5⽉26⽇(アート作品展⽰)
会場:市原市、木更津市、君津市、袖ケ浦市、富津市各地(千葉県)
公式サイト:https://100nengo-art-fes.jp/

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ウィズコロナ時代の在り方を模索した2021年から“芸術祭イヤー”の2022年へ 今年行くべき日本の地域芸術祭 https://tokion.jp/2022/04/11/the-year-of-the-arts-festival-from-2021-to-2022/ Mon, 11 Apr 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=106623 コロナ禍の影響で大型芸術祭が集中することになった2022年。2021年の芸術祭を振り返り、今年のアートの旅に備える。

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近年盛り上がりを見せていた日本の地域芸術祭は、密ではない場所で開催されることが多い一方、人々が集まり、交流することが醍醐味となっている部分もあり、コロナ禍1年目の2020年は中止や延期となったものもあった。そして2021年、対策を練り、満を持して開催となったものが散見された。

ここでは芸術祭をよく取材している筆者が2021年8月から2022年3月までの2021年度に特に印象に残った11の芸術祭を時系列に並べ、その概要と一部の作品をレポート。全体としては、地域性に加えて、コロナ禍やそこで露呈した問題に関係する時代性や社会性の高い作品が多く見られ、また鑑賞する側の感受性も高まっていると考えられ、危機の時代にこそこうした芸術の体験が重要であるということを再認識させられた。最後に2022年の主要な芸術祭もピックアップする。

Reborn-Art Festival 2021-22(前期)

東日本大震災で最も大きな被害を受けた地域のひとつである宮城県の石巻市で2017年に始まり、3回目を数える「アート」「音楽」「食」の総合芸術祭。震災から10年を経た今回はコロナ禍を受けて前期と後期に分け、前期は2021年8月11日~9月26日に開催。石巻市街地と牡鹿半島の他、初めて隣町の女川駅周辺にも作品が展示された。

実行委員長の小林武史が掲げたテーマは「利他と流動性」。窪田研二をキュレーターに迎え、他者への、未来のあり得べき世界への想像力を共有する場となることを目指した。MES、HouxoQue、会田誠、オノ・ヨーコ、加藤翼、志賀理江子+栗原裕介+佐藤貴宏+菊池聡太朗等、23組の作家達が地域性や時代性を反映した作品を展開した。筆者は2017年に衝撃を受けて以来関わっているが、ひいき目を差し引いても、2021年のベスト。

MESは、「復興五輪」と謳われた東京オリンピック・パラリンピックと石巻が歩んできた「復興」の過程を参照。震災後も人々のよりどころとなってきた銭湯に仕切り壁を越える足場が組まれ、さまざまなため息がこだました。

HouxoQueの作品がインストールされた場所は、震災後にコミュニティースペースとして親しまれた旧千人風呂。汚れないとされる水が光るモニターから流れ落ち、観る者の姿を映し出し、忘れられた廃屋のがれきをすり抜け、地球を巡る水のように循環した。

2019年から食猟師・小野寺望と関わり続ける志賀理江子は、栗原裕介、佐藤貴宏、菊池聡太朗とともに、ランドアートともいえるインスタレーションを繰り広げた。湿地化した土地に空気を送るため溝を掘り、掘削土を畑に利用。女川原発の存在も意識させられた。

北アルプス国際芸術祭 2020-2021

アート会期を2021年10月2日~11月21日として長野県大町市で開催。2017年に1回目が開催され、2020年に予定されていた2回目がコロナ禍で延期となった。総合ディレクターの北川フラムが「水・木・土・空 ~土地は気配であり、透明度であり、重さなのだ~」というコンセプトを掲げ、36組のアーティストが参加した。

長野在住の持田敦子による本作では2軒の旧教員住宅が切断され、重なり合う。日本列島を東西に分断するフォッサマグナの西の縁に位置し、地殻変動を繰り返して隆起し、削り取られてできたこの地で、家という不動であるはずのものを動かし、変化させた。

サウジアラビアのマナル・アルドワイヤンは、天照大御神が祀られた須沼神明社の舞台で、神が歩く光の道を表現。神社を取り囲む木々に見立てたという圧倒的物量のしめ縄は、天岩戸神話で語られるしめ縄に通じ、暗闇に対する抵抗を感じさせる。

奥能登国際芸術祭2020+

2021年9月4日〜11月5日、石川県能登半島の珠洲市内各所で開催。2017年に始まり、2回目として2020年秋の開催が予定されていたが、コロナ禍により2021年秋に延期された。53組のアーティストが地域の歴史や特徴を表現し、“さいはて” の地の潜在力を掘り起こした。総合ディレクターは北川フラム。作家53組のうち47組が新作を展示した。

珪藻土工場の事務所だった空き家に無数の穴を開けた中島伽耶子の《あかるい家 Bright house》は、日中は太陽光を取り込み、夜間は照明の光を漏らす。盛衰を繰り返してきたさいはての地で、光が象徴する希望や豊かさ、そして人間の欲望について考えさせられる。

旧小学校の体育館を改修したスズ・シアター・ミュージアムは、地域の家々に眠っていた生活民具を集めて展示し、数十分に1度、音楽や映像を交えた上演が行われる劇場型民俗博物館。南条嘉毅、三宅砂織、久野彩子といったアーティスト達がそれぞれの作品のなかで生活用具に新たな命を吹き込んだ。

六甲ミーツ・アート芸術散歩2021

明治維新で開港した神戸を望み、豊かな自然を擁する六甲山は、居留外国人によってレジャーの山として開発され、新旧の文化が出合う地だった。そんな六甲山を舞台に毎年秋に開催され12回目を数える今回は、2021年9月11日~11月23日、六甲山エリアの12会場とサテライト会場の有馬温泉エリアに計34組の作品が設置された。総合ディレクター/キュレーターは高見澤清隆(六甲山観光 シニアディレクター)。

安藤忠雄が設計を手掛けた風の教会では、束芋が教会の中で体感した感覚を可視化したアニメーションを天井に映し出した。打放しコンクリートの天井に内部空間が鏡写しのようになったり、脳や植物、雲のようなイメージが現れたりする。天井画は空間を延長する役割をもつが、まさにそのような効果が生じていた。

80年前にゴルフ場のクラブハウスとして建設された小屋では、淺井裕介、高山夏希、松井えり菜、村山悟郎の4人からなる「パルナソスの池」が、“廃墟の女王”とも称される摩耶山の旧摩耶観光ホテルで滞在制作した作品を展示。雨漏りの水でにじませた絵や、写真にのせたドローイング等によって、人の手による開発の盛衰が感じられた。

ALTERNATIVE KYOTO─もうひとつの京都─想像力という〈資本〉

2021年9月24日〜11月7日、京都府の京丹後、宮津・天橋立、与謝野、福知山、南丹、八幡で開催。ディレクターは京都府文化スポーツ部文化芸術課の八巻真哉。「想像力を持つアートが新たな資本として、来るべき社会を変えて行く可能性」をテーマとした。

参加作家はSIDE CORE、石下健太、BIEN、ヤノベケンジ、池田亮司、ANOTHER FARM、山中suplex、荒木悠、石川竜一、島袋道浩の他、計25組。それぞれが各エリアの歴史や風土、文化財、名勝、自然などを題材に、地域文化と先端技術を組み合わせたデジタルアートによる空間演出や、アーティスト・イン・レジデンスをもとにした作品展示を行った。

京丹後で2018年から滞在制作を続けてきたSIDE COREは、織物工場跡で《岬のサイクロプス2021》を展示。全国で減りつつある灯台に着目した連作の集大成となる本作。会場に置かれたベンチには、丹後半島の海岸線で目にする安山岩の写真が貼られ、漂着物が置かれていた。

福知山では山中suplexが新約聖書にある「汝らは地の塩、世の光である」を出発点に展覧会「余の光」を開催。堤拓也等のキュレーションのもと、旧パチンコ店で、藤倉麻子、後藤拓郎ほか若手作家達が主に絵画など正面性の高い作品を並べた。

京都市の南に隣接し、自動車のスクラップや廃棄物のリサイクルを行う業者が散見される八幡のテーマには「放生」(功徳を積むために捕らえられた魚や鳥などの生物を放すこと)と「往還」(行ったり来たりすること)という言葉が。島袋道浩は石清水八幡宮でがれきによる石庭を作り上げた。

また、会期末の11月5日〜7日には国立京都国際会館でアートフェア「Art Collaboration Kyoto」を開催。日本国内のギャラリー22軒がホストとなり、海外に本拠地のあるギャラリーをゲストとして迎え、ブースを共有して出展するという新たな試みを実施。例えば、東京のANOMALYとロサンゼルスに本拠地を置くBlum & Poeは、Chim↑Pom、潘逸舟等の社会に問題提起するような作品を、東京のTARO NASUとベルリンのEsther Schipperは、ライアン・ガンダー、サイモン・フジワラなどのコンセプチュアルな作品を展示した。

MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館

2021年10月9日~11月28日、奈良県吉野町、天川村、曽爾村で開催。2020年にコロナ禍で企画され、2回目となる今回も3つのエリアそれぞれに森(吉野)、水(天川)、地(曽爾)とテーマを設定。それぞれのエリアを3時間~5時間かけて歩きながら、計26組の作家による作品を鑑賞する。

プロデューサーは齋藤精一(株式会社アブストラクトエンジン 代表取締役)。キュレーターは、吉野エリアは西尾美也(美術家/奈良県立大学准教授)、天川エリアは菊池宏子(アーティスト)、曽爾エリアは西岡潔(写真家/アーティスト)が務め、エリア横断キュレーターとして指出一正(『ソトコト』編集長)がエリアをまたいだイベントを開催した。

高慢な行いによって大鷲に連れ去られ、断崖絶壁に放置された男。それを哀れんだ高僧が男をカエルの姿に変えて救い、さらに読経によって人の姿に戻した──修験道の中心寺院とされる吉野の金峯山寺の行事にも残る民話を題材に、中﨑透が作品を展示。おごれる者を戒めるような伝説をライトボックスで鮮やかに提示した。

修験道の発祥地とされ現在も女人禁制の領域がある天川。映像作家の上野千蔵は、清流「天ノ川」が流れるこの地で、水をスクリーンと捉えたインスタレーションを展開。部屋の中心の器に張った水に鑑賞者が水滴を垂らすと、水面が風景を改めて美しく映し出す。

ストリーミング・ヘリテージ|台地と海のあいだ(秋会期)

2021年11月12日〜28日の金土日祝に、名古屋城エリア(名古屋能楽堂・四間道)、納屋橋エリア、熱田・宮の渡しエリアで開催。名古屋城から名古屋港に至る堀川の流れに光を当て、名古屋の歴史・文化遺産(heritage)をリアルタイムに再生(streaming)するという試み。ディレクターを秋庭史典、江坂恵里子、河村陽介、伏木啓、山田亘が務めた。3月12日〜28日に行われた春会期に続く秋会期には、市原えつこ、篠田千明、softpad、中山晃子、フォルマント兄弟、堀尾寛太の6組が参加。

もとは江戸時代の旅籠だったという丹羽家住宅では堀尾寛太が鑑賞者参加型のインスタレーションを制作。細長い通路にぶら下がる吊り革をつかんで歩いていくと、傍らの部屋でテーブルが回転したり、ドアが開いた先の中庭でペットボトルが上下したりしている。破風付の玄関は立派な旅籠の面影を残しているが裏側は昭和のアパートのようになっていて、度重なる改修によって残されてきた建物の不思議さを巧妙な仕掛けによって増幅させていた。

伊藤家住宅では市原えつこが目に見えない存在をモチーフにテクノロジーを融合させた作品を展示。本作は家庭用ロボット「Pepper」に故人を憑依させ49日を過ぎると自動消滅するプログラムを組み合わせたというもので、今回は自らそこに“憑依”して「現代の観音」になりきり、疫病の時代における祈りの在り方を模索した。

中之条ビエンナーレ2021

2021年10月15日〜11月14日、群馬県中之条町の温泉が点在する広大な里山を主会場として開催。2007年に始まり8回目となる今回のテーマは「パラパーセプション―知覚の向こうから」。コロナ禍によって変わった日常やそこでの感覚などを伝え、考えていくきっかけにしようというものだ。総合ディレクターは山重徹夫。125組のアーティストが滞在制作による作品展示やオンライン展示、パフォーマンスを行った。

六合エリアの奥に位置し、都市に電気を供給する発電用のダム湖に想を得た鉾井喬は、築約200年の旧湯本家の内と外にそれぞれやじろべえのように揺れる造形物を設置。外にあるものは自然の風で動き、内にあるものは電気で動くように作られているのだが、双方を糸でつなぐことによって、自然のエネルギーと人工のエネルギーが関わり合い、人間がその間の曖昧なところで生かされていることを感じさせる。

廃業した旧廣盛酒蔵を訪れ、不在、忘却、眠りという言葉が思い浮かんだという中村壮志は映像インスタレーションを制作。飲むという行為にギリシャ神話の忘却の象徴であるレーテーを重ね、この地に残る忍びの伝承を交差させ、わずかな人の記憶に存在する日本酒の味をたどった。

いちはらアート×ミックス2020+

2021年11月19日〜12月26日、千葉県市原市の里山や閉校した学校、小湊鉄道の駅舎などを舞台に開催。2014年に始まり3回目となる今回は2020年春の開催を予定していたが、コロナ禍で約1年半の延期となった。総合ディレクターを北川フラム、アートディレクターを豊福亮が務めた。「房総の里山から世界を覗く」をテーマに、68組のアーティストが参加。

無人駅ではあるが現役の駅として機能している上総久保駅には、西野達による「ホテル」が出現。ホームにあった待合室をテラスに見立て、駅舎の裏に客室を設置。公衆トイレは最新の洋式トイレと温水シャワー室に。状況が変わると、駅前に広がる田んぼの風景も一味違って見える。

月崎の小さな集落にある、かつて有力者が住んでいたという屋敷では、アイシャ・エルクメンが屋内にあった大量の品々を庭の通路沿いに陳列。元々さまざまな石像が立っていた庭に、絵画や動物の剥製、「五箇条の御誓文」が入った額などが並べられ、元家主の人物像を想像させられる。

廣川玉枝 in BEPPU

国内有数の温泉地である大分県別府市に毎年1組のアーティストを招聘し、地域性を生かしたアートプロジェクトを展開する個展形式の芸術祭「in BEPPU」。6回目となる今回は服飾デザイナーとして活躍する廣川玉枝を招聘し、2021年12月18日〜2022年2月13日、大分県別府市内各所およびオンラインで開催。総合プロデューサーは山出淳也。

日常生活が大きく変化し、先行きを予測できないこの時代に必要とされるものとして廣川が見出したテーマは「祭」。別府で高温の蒸気や熱湯が噴出する「地嶽」に感銘を受けたという彼女は特にそれがよく見られる鉄輪温泉をメインに、山から町、町から海へと温泉の水脈をたどるように3つの神事を行い、新たな祭をつくりあげた。

会期初日の12月18日には「地嶽祭神事奉納」を開催。火男火賣神社を起点に、ダンサーの湯浅永麻や大宮大奨、市民等が、廣川がデザインした衣裳を纏うことで神の依り代となり、「まれびと」としておはらいをしながら練り歩いた。最終地点の鉄輪むし湯前広場では観衆とともに輪になって踊り、大地を踏み鳴らす舞を披露。鉄輪むし湯の建物は、廣川の代表作「Skin Series」でできた魔除け提灯や暖簾で装飾され、普段とは様相を異にした。

かつて共同洗濯場として利用された洗濯場跡では映像作品を公開。その他、公園での衣裳展示等も行われた。コロナ禍で日本全国の多くの祭が中止や延期を余儀なくされたが、大地のエネルギーを直接肌で感じられる別府での祭とそこに集う人々の活気から、その重要性を再認識する機会となった。

Sense Island -感覚の島- 暗闇の美術島 2021

2022年1月22日~3月6日の金土日祝(と2月10日)の日が暮れた時間帯に、神奈川県横須賀市にある無人島、猿島を会場に開催。「暗闇の中で感覚を研ぎ澄ませて猿島の自然とアート作品の数々に触れる」をコンセプトに2019年にスタートし、コロナ禍による延期を経た2回目の今回は「音」をテーマに13組が作品を展示。プロデューサーは齋藤精一。

猿島は弥生時代の生活がうかがえる洞穴があり、江戸時代後期には台場の建設が行われ、明治時代には要塞がつくられ東京湾防衛の拠点の拠点となり、昭和時代前期には防空砲台として使用された場所で、島内にはその遺構が残っている。現在はレジャーに適した島として親しまれているが、普段は立ち入り制限されている夜間の猿島を、携帯電話を封印して巡る。

100メートルほどの長さがあるトンネルでは、毛利悠子がサウンドインスタレーションを展開。トンネルの両端に置かれたスピーカーから音声がズレて発せられ、進んでいくと不明瞭だった音がクリアになり「I canʼt hear you very well」と聞こえる。タイトルの言葉は仏教学者の鈴木大拙がテレビ番組に出演した際、国際電話がうまく通じず繰り返した言葉から引用されていて、彼は平和主義を主張することも戦争を是認することもあり、その観点は揺れていたという。国防のためにつくられた島でその揺れについて思う。

円形の砲台跡地では細井美裕が、鑑賞者が自分を引き出すための劇場をつくっていた。吸音パネルが設置された弾薬庫の中にかがんで入ってみると、聞こえる音が制限され、視界が四角く切り取られる。しばらくすると孤独なコロナ禍の自粛生活を想起し、そこから出た時に人の声や木々の音などを聞いて安堵した。

2022年の主な芸術祭

日本の地域芸術祭の双璧をなす「瀬戸内国際芸術祭」と「大地の芸術祭」はこれまで同じ年に行われることはなかったが、コロナ禍の影響で大地の芸術祭が延期され、今年は同年開催に。あいちトリエンナーレを前身とし比較的都市色が強い「あいち2022」も質、量ともに見応えあるものとなりそうだ。芸術祭開催地域では周辺の芸術関連施設で特別な企画が行われることもあり、イベントなどの時期をチェックして、計画的に巡りたい。

■瀬戸内国際芸術祭2022
会期:4月14日~5月18日、8月5日~9月4日、9月29日~11月6日
会場:香川県、岡山県|直島、豊島、女木島、男木島、小豆島など12の島と2つの港
公式サイト:setouchi-artfest.jp
「海の復権」をスローガンに、5回目の開催となる国内最大級の芸術祭。マナル・アルドワイヤン、木ノ下歌舞伎等、新作で100組以上の作家が参加予定。総合ディレクターは北川フラム。

■道後オンセナート2022
会期:4月28日~2023年2月26日
会場:愛媛県・松山市 道後温泉地区
公式サイト:dogoonsenart.com/
3回目となる今回は2021年に作品を公開した大竹伸朗、蜷川実花等に加え、市原えつこ、髙橋匡太など30組が参加。総合ディレクターは松田朋春(スパイラル / ワコールアートセンター)。

■越後妻有 大地の芸術祭 2022
会期:4月29日〜11月13日
会場:新潟県・越後妻有地域(十日町市、津南町)
公式サイト:echigo-tsumari.jp
2021年に8回目を予定していたがコロナ禍で延期となった国内最大級の芸術祭。中谷芙二子、目[mé]等、新作で90組以上が参加予定。常設作品とあわせ300点以上の作品を見ることができる。総合ディレクターは北川フラム。

■あいち2022
会期:7月30日~10月10日
会場:愛知県・愛知芸術文化センター、一宮市、常滑市、有松地区(名古屋市)
公式サイト:aichitriennale.jp
「あいちトリエンナーレ」を前身とし、今年初回を迎える国際芸術祭。芸術監督に森美術館館長の片岡真実を迎え、ガブリエル・オロスコ、塩田千春等77組以上が参加予定。

■Reborn-Art Festival 2021-22(後期)
会期:8月20日〜10月2日
会場:宮城県・石巻地域
公式サイト:www.reborn-art-fes.jp
前述の前期に続く後期のキュレーターは本祭立ち上げから関わるワタリウム美術館の和多利恵津子・浩一。川俣正、加藤泉を始め21組が参加予定。

■六甲ミーツ・アート芸術散歩2022
会期:8月27日~11月23日
会場:兵庫県・神戸市 六甲山上施設
公式サイト:rokkosan.com/art2022/
9月23日から土日祝限定で夜間限定作品を楽しめる「ひかりの森~夜の芸術散歩~」を開催。

■山形ビエンナーレ2022
会期:9月3日〜25日の金、土、日、祝(一部の会場を除く)
会場:山形県山形市中心市街地
公式サイト:biennale.tuad.ac.jp/

■岡山芸術交流2022
会期:9月30日~11月27日
会場:岡山県・旧内山下小学校、岡山県天神山文化プラザ、岡山市立オリエント美術館、林原美術館他
公式サイト:okayamaartsummit.jp/
アーティスティックディレクターにリクリット・ティラヴァーニャを迎え、イ・ブル、荒川医等24組が参加予定。総合プロデューサーは石川康晴、総合ディレクターは那須太郎。

■ストリーミング・ヘリテージ|台地と海のあいだ(2022)
会期:11月3日〜11月20日の金、土、日、祝(予定)
会場:愛知県・名古屋市
公式サイト:streamingheritage.jp/

■BIWAKOビエンナーレ 2022
会期:10月8日~11月27日
会場:滋賀県・近江八幡旧市街、彦根市街他
公式サイト:energyfield.org/biwakobiennale
10回目となる今回のテーマは「起源〜ORIGEN」。琵琶湖に浮かぶ沖島や中山道の旧宿場町である鳥居本も会場に。米谷健+ジュリア、江頭誠など60組以上が参加。総合ディレクターは中田洋子。

■MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館
会期:2022年秋(予定)
会場:奈良県・吉野町、天川村、曽爾村
公式サイト:mindtrail.okuyamato.jp/

■Sense Island -感覚の島- 暗闇の美術島 2022
会期:2022年秋(予定)
会場:神奈川県・横須賀市猿島
公式サイト:senseisland.com/

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湯けむりの底に沈んだ別府の歴史をのぞき込む妙術 梅田哲也 イン別府「O滞」 https://tokion.jp/2021/05/15/tetsuya-umeda-in-beppu-zero-tai/ Sat, 15 May 2021 06:00:40 +0000 https://tokion.jp/?p=32502 昨冬、「映画」と「地図とラジオ」という形で公開された異色のアートプロジェクト「O滞」。新たな手がかりとして「本」の刊行も予定されている本作を、アーティストの梅田哲也に話を聞き、探る。

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住宅地の古井戸、温泉の源流にある火口……地図で示された場所を巡っていると、時折、声が聞こえてくる。「この穴の奥には何がありますか」「次は地球の裏側で」……ふと、目の前にある“穴”が、地球の裏側まで通じるイメージが湧き起こる。その途端、足がすくむ。が、次の瞬間、愉悦に口角が上がってしまう。

2020年12月12日~2021年3月14日、大分県別府市を中心に、個展形式の芸術祭「梅田哲也 イン 別府『O滞(ぜろたい)』」が開催された。

2つの“妙”の出会い

別府は、人が入れる温泉としては湧出量世界一を誇る温泉地。あちこちから湯煙が立ち上り、それに引き寄せられるように多様な人々が集い、観光客が散見される中、時には路地で共同湯帰りと思しき半裸のご老人に出くわすなんてこともある、“妙”な町である。

そんな別府では、2009年から「混浴温泉世界」なる芸術祭が3年に1度行われ、2016年からは「in BEPPU」として1組のアーティストによる個展形式の芸術祭が開催されてきた。これまでの目、西野達、アニッシュ・カプーア、関口光太郎に続いて「in BEPPU」5回目に招聘されたのは、梅田哲也だ。

梅田は、ある場所の構造や機能、文脈を読み解いて再構築し、そこに居合わせる人や偶然の出来事などをも巻き込んで、見えざるものを可視化するアーティスト。鑑賞者はどこまでが作為なのかわからないような状況に放り込まれ、異次元をさまようかのような体験をすることになる。

例えば、大阪の西成区山王一帯で行われた「O才」(2014年)では、地図をもとに巡る先々で不可解な現象に出会うフィールドパフォーマンスを展開。また、「インターンシップ」(国立アジア文化殿堂、韓国、2016年・神奈川芸術劇場ホール、2018年)では、照明器具の上げ下げやオーケストラのチューニングといった劇場の機構をダイナミックに“上演”した。ちなみに、「in BEPPU」と同じくBEPPU PROJECTが企画した「国東半島芸術祭」のグループ展「希望の原理」(2014年)では、旧役場の金庫などに人の気配を漂わせるインスタレーションを繰り広げていた。いってみれば“妙”な作品を作り出すアーティストなのだ。

別府には縁があり、梅田作品のファンでもある筆者は、そんな2組が大々的に組むとなればおもしろいに違いないと、喜び勇んで出かけた。念のため、新型コロナウイルス感染症の検査をして。

既存の風景に新しい世界を見る手がかり

そう、「O滞」開催には、コロナが少なからず影響していた。会期スタート1年前には大規模なインスタレーション作品を含む展覧会を構想していたというが、コロナの拡大を受け、緊急事態宣言が発令された2020年3月に方向性を見直すことに。代わる案として、「映画」と「地図とラジオ(と呼んでいる、GPSなどを使った受信端末から聞こえる音声)」というかたちが考え出された。

まず「映画」は、ざっくりいうと、役者の森山未來が別府のさまざまな場所をさまよい、随所に満島ひかりが現れ、この土地の歴史や地形などが断片的に語られる約40分の映像。「地図とラジオ」で巡るのはそれらのロケ地というかたちになり、そこで聞こえてくるのはこの映画のセリフのほかリハーサル中やカット後の言葉などだ。いずれも別府を巡る手がかりであり、重要なのはそこに在る風景と、そこでの体験である。「映画」と「地図とラジオ」、どちらが先でも楽しめるだろうが、筆者は映画を先に見た。

ここでまず目を引くのは森山と満島の存在かもしれない。梅田と森山の出会いは、2020年7月にシアターコクーンで行われたライヴ配信のための演劇「プレイタイム」だという。これは、先述の梅田作品「インターンシップ」をベースに、コロナによる眠りから覚めたシアターコクーンを躍動させ、その中で森山と黒木華が岸田國士の戯曲「恋愛恐怖病」を軸に演じるというもの。

その数年前に六本木のスーパーデラックス(現在は閉場)で梅田のパフォーマンスを見た森山は、「一見ガラクタのようなものを積み上げては崩し、有機的なエネルギーを作り上げていて、すごく美しくて」と感心し、その後梅田の「インターンシップ」を知り、シアターコクーンの再開にあたって声をかけられた際、梅田との協働を提案したのだそう。そうして「プレイタイム」の構成・演出を担当することになった梅田は、当時方向転換中だった「O滞」に森山を誘ったという。*1森山と満島は何度も共演している実力派俳優同士だ。

この2人の存在はこの映像を「映画」たらしめる(またその概念をずらす)ことに大きく貢献しているのだが、映画の中には彼ら役者だけでなくカメラマンや録音技師、音楽の演奏を担当する大分県立別府翔青高等学校吹奏楽部など、撮影に関わる全員が写り込んでいる。いわゆる「スタッフ」と括られる、普通は目につきにくいところに配置される人々と「役者」を等価に扱うスタイルは、「インターンシップ」に通じる。

「映画を作ってみたというパフォーマンス」*2だという梅田が、少人数で、さらに10月にロケハン、11月に3日間で撮影、12月に公開というタイトスケジュールで行った撮影は、「台本をばーっと書いて、そのままわーっと撮った」という調子で、普通の映画撮影ではありえない、一風変わった現場だったそう。

映画館の座席に沈み込んで謎めいた映画に没頭していると、突如、客席が画面に映し出される。梅田は言う。「いろんな時代にいろんなことがあったかもしれないけど、今こそ特殊な状況じゃないですか。この状況を無視すると嘘になってしまうと思って」。そこにあるのは、今を象徴する、異様な風景だった。

不思議が湧き出す回遊スポット

受付で地図とラジオを入手したら、いざ、回遊だ。地図に打たれたポイントは、会期スタート時点では、別府の市街地や観光地など20カ所で、このうちラジオを使用するのは、「丸井戸」「中浜筋」「別府スパビーチ」「いちのいで会館」「鶴見園公園」「塚原温泉 火口乃泉」の6カ所。会期途中、「別府ロープウェイ」「明礬池」「ブエノスアイレス沖」(!)もラジオを使用する場所として加わった。

地図の端に記されていた「丸井戸」は、別府温泉発祥の地とされる浜脇の住宅地にあった。1847年に掘られたというこの井戸の水は、現在も生活用水として使用されている。近づくと、ラジオから声が聞こえてくる。「この穴の奥には何がありますか」。映画の冒頭にもあった、満島の声だ。そっと蓋板を外して中を覗き込んでみる——。ところで、浜脇の源泉はほとんど枯渇して、ほかから引湯しているという。浜脇は旧遊郭街として今もその名残をかすかにとどめているのだが、温泉があまり出なくなったために遊郭街になったという説と、遊郭の方が先だったという説があるらしい。江戸時代から枯れていないとされる井戸の底は暗くてよく見えなかったが、見えないものを見ようとする感覚がインストールされる。

一見何の変哲もない舗道「中浜筋」で聞こえてきたのは、かもめの鳴き声や、「寄せては返す波打ち際で、レイチョウセンがゆらりゆらり」「2つの島がありまして、1つは海に沈みます、もう1つ記憶に沈みます」といったフレーズ。調べてみると、かつてこの辺りは海岸線だったという。言われてみれば、ここだけ道が曲がりくねっている。この近く、かつての別府港のすぐそばには1893年に霊潮泉という公衆浴場が建てられ、その湯の温度は潮の満ち引きで変化したとか。また、中浜筋の途中にある中浜地蔵尊は6世紀に創建され、1596年に慶長豊後地震で別府湾に位置していた瓜生島と久光島が沈んだ際には、ここで犠牲者の冥福と無災害が祈られたといわれる。その場でそうした歴史に思いを馳せていると、ふと、砂に足を取られるような錯覚をおぼえる。

かつて砂浜だったところから移動した先は、「別府スパビーチ」。映画で芸者らしき着物姿の女性達が登場した場所だ。ここでは「潮干ぬれば浴するもの多し、塩湯なれば殊に病を治す」といった台詞や銃声がラジオから聞こえる。梅田曰く、芸者の場面は昭和の絵葉書からきており、銃声は戦争特需と関係している。江戸時代まではこの辺りの砂浜にも温泉が湧き、掘れば砂湯になったが、今は埋め立てられ、人工のビーチになっている。また、1945〜1957年には別府に進駐軍の基地が置かれて商機が増え、彼ら向けの文化も発展したという。女性達が笑顔を浮かべて入っていた穴のイメージが防空壕や墓穴にもつながる。

町を一望できる温泉施設を併設した仕出し屋「いちのいで会館」。その裏の湯気立つ洞窟に近づくと、「人知れず役目を終えて人知れず取り残される」「ブエノスアイレス」などと聞こえる。ここは金鉱跡とされており、ここから500mと離れていない遊園地・ラクテンチの周辺は別府鉱山として1903年頃から金銀を産出していたが、温泉が噴出したことにより1916年に掘削を中止したという記録がある。またこの辺りを含む別府温泉一帯は鶴見火山群の噴火によってできた扇状地にあって、その火山岩である安山岩がしばしば見られるのだが、安山岩という和名は、南米のアンデス山脈に見られる同種の火山岩につけられた「アンデス山脈の岩石」を意味する英名andesite(アンデサイト)にちなんでいるという。南米と地中でつながっていることを意識させられるようだ。

さてお次は「鶴見園」。草がぼうぼうと生い茂り、廃墟と化したプールがあるこの場所では、「古戦場」「吉弘統幸」といった言葉が出てくる観光案内らしき口上、「入園料、大人40銭、軍人・子供20銭」といったアナウンスなどが流れている。吉弘統幸は、1600年、“九州の関ケ原”と呼ばれた石垣原の戦いで最期を迎えた戦国武将で、鶴見園がある鶴見地区はその合戦の場だった。そして1925年、この場所には大遊園地、鶴見園が開園。宝塚少女歌劇の影響を受けて発足し、大劇場で演じた鶴見園女優歌劇は“九州の宝塚”といわれ人気を博したという。戦後は進駐軍に米軍キャンプとして接収され、返還後しばらくしてレジャーセンターとして蘇るも7年後の1976年に閉園している。戦争と娯楽、人間の業が渦巻く。

6つ目は、別府市街地から車で30分ほどの、行政区分では由布市湯布院町にある「塚原温泉 火口乃泉」。観光客でにぎわう温泉施設の横を抜け、坂をしばらく上がると、剥き出しの岩肌のあちこちから煙が吹き出し、「ここで2つの断層がぶつかっている」「私とあなたの立っているプレートは違う」「さようなら、次は地球の裏側で」といった声が聞こえる。まず大きな話からすると、別府から西の長崎県・島原にかけての九州を横断するあたりで南のフィリピン海プレートが北のユーラシアプレートの下に沈み込んでいる。それによって溝ができ、ゆえに活断層や活火山​、温泉が集中しているそうだ。そしてここは別府扇状地の頂点にあたる伽藍岳の中腹にある火口。伽藍岳は鉄輪断層と朝見川断層という2つの断層がちょうどぶつかる活火山であり、この地下の熱水が別府八湯すべての温泉源だという。これらのプレートがズルズルとずれていったら、地球の裏側でまた出会うかもしれない。

コントロールできないことで没入感が高まる

どの会場にも展示物はなく、風景が目に入るだけなのだが、その場で意味深な音声を聞くことで、別の世界が立ち上がる。ちなみに端末によって受信する音声の内容やタイミングは微妙に異なり、訪れるタイミングによっても周囲の状況が異なるので、体験の内容は人それぞれ違うし、そこから想像すること、それが身体におよぼすものも当然人それぞれ違うだろう。

音声を使って歴史やイメージを浮かび上がらせる手法は、ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーの「ウォーク」シリーズや、近年では高山明が主宰するPort Bの「ヘテロトピア」シリーズなどにも見られるが、「O滞」のポイントの1つは梅田自身こだわったという(便宜上「ラジオ」と呼んでいる)受信端末の操作性の低さにある。端末にはON・OFFとボリューム調整を兼ねたつまみと、ポイントに近づくと点滅するランプがあるだけで、鑑賞者は自分で再生するわけでもなければチューニングするわけでもない。

はじめはそれに不自由さや不安を感じる。これは梅田による船上のツアー・パフォーマンス「5つの船(夜行編)」(2015年)でも感じたことだが、私達は普段、多くのもの、特に自分が見たいものを手のひらの上でコントロールできる気になっているからだろう。しかし、コントロールできないことで、目の前の状況に集中せざるを得なくなり、何かを見つけようとする力やそこから感じるものが大きくなるのだ。

ラジオといえば、梅田には原体験があったという。「子どもの頃、テレビがなくて、ラジオを聴いてたんですよ。中学ぐらいから、オールナイトニッポンの2部が聴きたくて、夜中に家を抜け出して、アンテナを伸ばして他県の電波を拾いにいってました」。梅田作品に感じられる、能動性と受動性が拮抗し合うような緊張感は、この感覚に近いようにも思われる。

また、梅田は映画館についても幼少期に重要な原体験があったと語る。「当時住んでいた熊本の天草の島に映画館が1つあって、週末に連れていってもらっていて。昔の映画館って足元の明かりとかなくて映画が始まる前は真っ暗で、怖かったし、ドキドキした」。今回映画が上映されたのは、かつて劇場や映画館が多く立ち並んでいた別府で今や唯一となった、1949年に創業の映画館、別府ブルーバード劇場。ビロード張りの椅子に座るところから、「O滞」のトリップは始まっていた。

滞った世界の「O」から見えてくるもの

最後に、「O滞」というタイトルについて考えたい。まず「O」を“ゼロ”と読ませながら“オー”と表記していることからして多義的であることがわかるのだが、1つはその読みの通り、“ゼロ”。これまで梅田作品のタイトルに「O」は何度か使われてきた。先述の「O才」、昨年さいたま国際芸術祭2020で展開された、旧大宮区役所地下の食堂やロッカー室などの用途を読み替えたインスタレーション「O階」もそうだ。これらに共通するのは、一見役割を失ったかのように見えるものに新たな秩序をもたらして生かすこと。また、わかりやすい展示物がないという意味でも“ゼロ”といえるだろう。

そして、「O」はその形から、“穴”や“空洞”でもある。今回の回遊スポットにも井戸、洞窟、火口などがあるし、そもそも別府にはたくさんの温泉という穴がある。梅田は「空洞をつくろうと思った」と話している。コロナ禍でさまざまな展覧会や芸術祭、演劇や音楽イベントなどが中止となったが、1つの理由で一斉に止まってしまうという状況に疑問を感じたという。「中心がなく、散り散りになっていれば、一網打尽にされてしまうような状況は防げると思います」。思えば、「インターンシップ」も演者や演目といった中心とされるものがない世界だ。

「滞」について梅田は、「ラジオって周波数だから帯域の『帯』。だけど別府だからさんずいをつけたくて。『滞』は今の状況とも近いし」という。今回は別府のあちこちに沈滞していた声や音がつなぎ合わされ、鑑賞者はそこに没入することで目の前の世界が違って見えたが、その没入感は、コロナ禍で停滞したこのタイミングだからこそ一層深まったといえる。

さてこの「O滞」、次は新たに「本」が別府を巡る手がかりとして出版される予定。のぼせた勢いで(!?)、長々と意味の推察など書き連ねてしまったが、それをしてやはり思うことは、別府の風景と梅田の作品には、限られた意味に回収されない、“妙”があるということだ。

*1 2021年3月14日に行われたライブ配信イベントでの梅田哲也、森山未來のトークより
*2 2020年12月12日に行った梅田哲也へのインタビューより(以下同)

梅田哲也 イン 別府「O滞」
書籍は8月頃に発売予定

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惜しまれつつ閉館した原美術館 その知られざる歴史とこれから https://tokion.jp/2021/02/13/hara-museum-unknown-history-and-future/ Sat, 13 Feb 2021 06:00:54 +0000 https://tokion.jp/?p=19969 大実業家が妻のために建てた私邸が米軍将校宿舎、大使館を経て、なぜ美術館に? 品川最後の展覧会がつなぐもの。

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JR品川駅から徒歩15分ほどの住宅街にある、瀟洒な洋風邸宅を舞台にした原美術館。現代美術専門の草分け的存在として40年歩んできた美術館は、今年1月11日に幕を下ろした。春には群馬県渋川市に別館としてあった「ハラ ミュージアム アーク」が「原美術館ARC」としてリニューアルするという。

特徴的だった常設作品も大部分が移設されるということで、悲嘆に暮れることはないのだが、あの居心地のいい建物自体に愛着を感じていたという人は少なくないだろう。ここでは意外と知られていないあの建物および原美術館の歴史、またそこで行われた最後の展覧会、そして今後について見ていきたい。

元は大実業家が妻のリクエストで建てた私邸

品川の原美術館の建物は、美術館としてオープンする1979年の41年前、1938年に建てられるが、そもそもこの一帯は代々、原家の邸宅があった土地。幕末の志士にして、明治〜大正時代に活躍した大実業家である原六郎が1892年、西郷隆盛の弟である西郷従道からこの土地を譲り受けたという。

六郎は、第百国立銀行(のちに三菱銀行と合併)頭取や東武鉄道取締役などを務め、東京電燈(現・東京電力)、帝国ホテルなどの設立に貢献した人物。渋沢栄一、安田善次郎、大倉喜八郎、古河市兵衛とともに「日本財界の5人男」と称される一方、美術品収集家としても知られ、雪村「列子御風図」、狩野永徳「虎図」、円山応挙「淀川両岸図巻」などをコレクションしている。

六郎の養子となって家督を継いだのが原邦造。東京ガス会長、日本航空会長、帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)総裁などを歴任し、大正〜昭和中期に活躍した大実業家だ。邦造がこの土地を引き継いだ時、敷地には日本家屋があるだけだったが、妻・たき(六郎の長女)の要望をきっかけに、1938年に洋風の私邸を建設。のちに原美術館となる建物だ。

米軍将校宿舎、外務省公館、大使館を経て

設計は、東京帝室博物館(現・東京国立博物館本館)や服部時計店(現・銀座和光)などを手掛け、当時を代表する建築家であった渡辺仁。バウハウスやアール・デコのエッセンスを取り入れたモダニズム建築として出来上がった原邸だが、1941年には太平洋戦争が始まり、一家は疎開を余儀なくされる。そして終戦後はGHQに接収され、米軍将校の宿舎として使用された。余談だが、渡辺が設計した建物は他も軒並み進駐軍に接収されている。例えば、先述の服部時計店は将校専用の売店となり、日比谷の第一生命館にはGHQの本部が置かれ、横浜のホテルニューグランドも米軍将校宿舎となりマッカーサーも滞在した。

さて、1951年のサンフランシスコ講和条約締結後、外務省公館、フィリピン大使館、セイロン(現・スリランカ)大使館として使われた原邸。その後10年以上空き家状態で、マンションを建設するために解体の危機を迎えるが、コンクリートがあまりにも頑丈であったため、解体は中止に。邦造の孫にあたる当代・原俊夫が1970年代に現代美術館の創設を思い立った際も、廃墟同然となったこの建物を利用するつもりはなかったという。しかし、俊夫がデンマークのルイジアナ近代美術館を訪れ、1856年に建てられた私邸が心地よい美術館へと生まれ変わった様に感銘を受けたことをきっかけに、原邸は美術館へと転用されることとなる。

かくして1979年12月に原美術館が開館。その後、磯崎新の監修でカフェ、事務所棟とホールが増築されたほかは、外観にはほとんど手が加えられていない。2003年にはDOCOMOMO(モダン・ムーブメントに関わる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織)にも認定されるなど、数奇な運命をたどってきたこの建物は、建築としても高評価を受けている。

建物や常設作品だけじゃない、原美術館の魅力

元邸宅という特徴は多くのアーティストを引きつけ、さまざまな展示に生かされてきたが、とりわけそれが顕著で、また常に見られる作品として観客を楽しませたのが、常設展示室だ。その皮切りは1981年、元温室を白いタイルで覆ったジャン=ピエール・レイノーの「ゼロの空間」。その後、元男性用トイレが宮島達男「時の連鎖」、元来館者用トイレが森村泰昌「輪舞」、元暗室が須田悦弘「此レハ飲水ニ非ズ」、元浴室が奈良美智「My Drawing Room」に生まれ変わった。

原美術館のすごさはもちろん建物にまつわるところだけではない。俊夫は開館2年前の1977年にアルカンシエール美術財団を設立。開館までに200点ほどの作品を購入し、その後もコレクション活動に力を注いできた。今や1000 点以上に及ぶコレクションには、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、ロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、アンディ・ウォーホル、ロイ・ リキテンシュタイン、ジャン・デュビュッフェ、河原温、草間彌生、篠原有司男、ナム・ジュン・パイク、アイ・ウェイウェイ、荒木経惟、ヤン・ファーブル、加藤泉、ウィリアム・ケントリッジ、名和晃平などの作品も並ぶ。

また、開館翌年の1980年から若手作家を紹介する企画展「ハラアニュアル」がスタート。1990年代になると、「倉俣史朗の世界展」など、同館の企画した展覧会が海外に巡回するようになり、原美術館は日本を代表する現代美術の拠点の1つとして海外からも認知された。

個展を開催したアーティストには、ソフィ・カル、やなぎみわ、カミーユ・アンロ、束芋、アドリアナ・ヴァレジョン、ピピロッティ・リスト、米田知子、ジム・ランビー、杉本博司、ミヒャエル・ボレマンス、ニコラ・ビュフ、サイ・トゥオンブリー、篠山紀信らが名を連ねる。日本において「現代アートは画廊に行かないと見られない」という時代に始まった原美術館は、アートシーンを牽引し、スタンダードを築いてきたといえるだろう。

そんな原美術館が閉館することになった最大の理由は、竣工して80年経った建物の老朽化。度々補修を行ってきたが、東日本大震災によるダメージは大きかった。また、エレベーターはなく、階段の手すりも低く、バリアフリーやユニバーサルデザインには対応できていない。さらに、間口が狭い現状では対応が難しい大型の作品も増えてきた。集客施設としての条件が厳密に設定されている東京都の条例の規制上、美術館として建て替えることは非現実的。そういうわけで、開館40年をめどに閉館することになったという。

これからのために記憶する、品川最後の展覧会

2020年9月19日〜2021年1月11日、原美術館で最後の展覧会「光―呼吸 時をすくう5人」が行われた。慌ただしさのなかで視界から外れてしまうものに眼差しを注ぎ、心に留め置くためのものとして、今井智己、城戸保、佐藤時啓の写真を中心とした作品に加え、同館のコレクションから佐藤雅晴のアニメーションとリー・キットのインスタレーションが展示された。

台湾出身で、台北を拠点に活動するリー・キットのインスタレーションは、2018年の原美術館での個展「僕らはもっと繊細だった。」で展示され、コレクションに加わったもの。キャンバスのように見せた段ボールには「Selection of flowers of branches」(花か枝かの選択)という文字が。

「突然の無意味」として、日常の風景の中で本来の役割や用途からずれたものを捉え、「見えることやあることの不思議」を考察している城戸保は、大小46点の写真を展示。人工物の穴から頭をのぞかせている牛、ブルーシートがかけられた廃車など、ビビッドにユーモラスに、現代社会の主流から遠いところにあるさまざまなものを写し出している。

2019年春に40代半ばで早世した佐藤雅晴の展示作品は、2016年に原美術館で行われた個展「ハラドキュメンツ10 佐藤雅晴—東京尾行」で発表した「東京尾行」。五輪へと向かう東京の姿を撮影、その一部をトレースした映像は、実写とアニメーションのわずかな差異によって虚実を曖昧にする。展示室奥のサンルームでは音のトレースとして自動演奏ピアノがドビュッシーの「月の光」を奏でていた。

今井智己は、福島第一原発から30km圏内の数カ所の山頂から原発建屋の方向にカメラを向けて撮影した「Semicircle Law」シリーズを展開。今回新たに原美術館から同方角を捉えた新作も加わり、あの事故が今現在も続くものであることに思いを至らせる。

佐藤時啓は、ペンライトや鏡を持ってカメラの前で動き回り、長時間露光でその光の痕跡や空間を捉える「光―呼吸」シリーズの新作を展示。原美術館とハラ ミュージアム アークで撮影された写真には、そこに確かに存在した時間、空間、光、身体が定着している。

そこにある時間や空間に光を当てる彼らの作品を通してみると、原美術館と、それが幕を閉じる今を深く記憶し、これからにつないでいくことができそうだ。

高原リゾート地でリニューアルオープン

ハラ ミュージアム アークは、1988年、群馬県渋川市、伊香保温泉のほど近くに原美術館の別館として開館。伊香保グリーン牧場に隣接し、豊かな自然に磯崎新が設計した黒くシャープな建築が映える。自然光が降り注ぐ3つの展示室のほか、書院造をモチーフにした特別展示室「觀海庵」があり、屋外にはアンディ・ウォーホルやオラファー・エリアソンをはじめ、国内外のアーティストによる常設作品が点在する、こちらも居心地のいい場所だ。

コレクションの収蔵庫があり、これまでコレクションを中心に展覧会を構成してきたが、現在はリニューアルのため閉館中で、今年春には「原美術館ARC」としてオープンする予定。品川の原美術館にあった常設作品もできる限りこちらに移設されることになっている(須田悦弘「此レハ飲水ニ非ズ」は再現性の問題で移設はされないが、彫刻作品は保管される)。都心からも日帰り圏内の高原リゾート地で、その新たな歴史を記憶に刻んでいきたい。

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連載「時の音」Vol.9 杉本博司が4半世紀以上にわたり取り組む江之浦測候所 運命とも因縁ともいえる数々の “奇譚” https://tokion.jp/2021/01/12/series-tokinooto-vol9-hiroshi-sugimoto/ Tue, 12 Jan 2021 06:00:37 +0000 https://tokion.jp/?p=15171 2017年10月に神奈川県小田原市江之浦に「遺作」と言う「江之浦測候所」をオープン。2020年10月には彼の数寄を凝らした集大成的著作『江之浦奇譚』を上梓。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に、今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回は現代美術作家、杉本博司。視覚が現実と虚像の間を往来する《ジオラマ》や、映画1本分の長時間露光による《劇場》、世界中の水平線を撮り続ける《海景》など、大型カメラを使った精緻な写真表現で国際的に高い評価を得ている。のみならず、古美術収集、建築設計、近年は文楽やバレエなどの総合監督など、その多彩な活躍ぶりに、かえって正体がつかみにくいともいえる人物だ。

2017年10月には、神奈川県小田原市江之浦に自ら「遺作」と言う「江之浦測候所」なる施設をオープン。構想に10年、工事に10年の年月をかけてつくられたというその場所は、日本文化の精髄を発信する場であり、人類とアートの起源に立ち返りうる場であり、彼の数寄を凝らした集大成的作品でもある。2020年10月にはこの地に引き寄せられた物たちとの因縁を記した『江之浦奇譚』を上梓。コロナ禍によって日本長期滞在を余儀なくされているという杉本御大に、都内のアトリエで話を聞いた。

——江之浦測候所の元になっているのは、5〜6歳の頃、江之浦で見た原風景と語られていますよね。旧東海道線を走る湘南電車の列車がトンネルを抜けると大海原が広がっていて、「自分はいるんだ」と気がついたと。

杉本博司(以下、杉本):現実的なビジュアルとしてはそれが初めての記憶ですね。ずっと心の中にある。

——それを聞いて思い出されるのは江之浦測候所にも展示されている杉本さんの〈海景〉で、このシリーズ作品は「古代人が見ていた風景を、現代人も見ることは可能なのだろうか」という問いから始まっているとのことですが、その幼少期に、時空を超えて自分の存在を認識するような感覚があったんでしょうか。

杉本:幼少期の認識としてはそんなにはっきりしたものではないけれど、なんとなく、血の記憶っていうのは自分の生前の記憶までさかのぼれるんじゃないかという気がする。その海を見ていた縄文時代の人の記憶や、それ以前に猿が人間になった頃の記憶とか。で、なんで人間は意識っていうものをもってこういうふうに社会を形成してきたのかとか、「人間って何?」っていうことをずっと考えてきた、というか思い出したいと思ってる。それが人生における1つのテーマでもあると思うのでね。

——5〜6歳の頃はどういう子どもだったんですか。

杉本:部屋にこもってよく鉄道模型づくりなんかをしていましたね。家にはお手伝いさんがいて、母親は仕事でいなくて。1人で遊ぶことが多かったからか、妄想癖があって、なんか普通の人と僕はちょっと違うかもしれないって思ってた。Hallucinogenic vision(幻影)が見えて。あれは小学校2年の時かな、母親が教育方針としてキリスト教がいいと思っていたらしくて、近くの日曜学校(教会が日曜日に児童を集めて行う教育活動)に行ってたんだけれども、ある日、牧師さんの頭に光の輪みたいなのがぼわーっと見えた。こんなの普通ありえないよなと思いながらも、何かのサインかなとか思ってね。すごくよく覚えているんだけど。そういう神秘体験みたいなことがいくつかありました。

——そういう幻影が、その後の作品に結びついていくんですかね。

杉本:だから作家になろうと思った。自分の内的な幻影を具体的に撮って、「証拠写真」として見せるために写真を使うっていう方向になった。アーティストになろうとしてニューヨークに行って、自分の表現手段としてはなにがあるだろうって考えたときに、「写真があるじゃないか」と思いついて。誰もまだやってなさそうだし、売れるか売れないかは別として、現代アートっていう世界に一矢報いることができるようなものがつくれるなと。で、やってみたら意外と上手くいったかなと(笑)。

——江之浦測候所は5000年後をイメージして設計しているということですが、その時、世界はどうなっていると思いますか?

杉本:人類が死滅して文明が滅んで、誰も見ることができない遺跡になっているっていうのが1つのビジョンとしてある。

——人はいないんですね。

杉本:多分そうなるかなと。でも明日をも知れぬ今の世界だから仮想でと。やっぱり2000年ぐらい前、キリストが生まれた頃に2000年後どうなりますかと聞いたってこんなことになるとは誰も想像できなかった。むしろ14世紀に始まって数百年続いたペストの流行で、我々は神に罰せられているんだとみんな思ったからね。もしかしたら人類は滅亡してしまうかもしれないと本当に思っていた。

——今回は対症療法があってそうならない可能性もあるけども、また新たに制御不能なものが出てくるかもしれない。

杉本:どんな生物でも一定の環境の中で個体数を維持できる限界の数っていうのがあると思う。アメーバがシャーレの中で爆発的に増えても、一定数以上は増えなくなるように。だから人間っていう生物がこの地球環境上にこれ以上増えたら困るという自然界の大きな摂理があって、それを自動的に止めるような力が働いているんじゃないかなと僕は思う。環境としては産業革命以前ぐらいまでが限界だったんじゃないかと思っています。

——地球規模で考えると、そうかもしれないですね。

杉本:なぜ人類が生まれてきたかっていうことはまだよくわからない。なぜ動物界の中でこれだけ意識を発展させて、言語を発明して、文字をもって、コミュニケーションの手段を異様に発達させてきたか。貨幣をつくったっていうのもすごい。信用でこの資本主義社会が高度になって、ここ100年でとんでもない規模の拡大が続いていて、何かが制御しないと全滅するっていう自滅スパイラルに入りつつある。そこでコロナがきてる。ポジティブに考えると、我々が生き延びるためにそういう指示が出されているということじゃないですか。

——その制御によって、場合によっては5000年後に生き延びている可能性もありますかね。

杉本:細々と生き延びているかもしれない。核戦争が起こって急に10分の1ぐらいになってしまうというシナリオもあるかもしれない。まぁそれも昔は神の見えざる手が全体をコントロールしてるっていうふうに言われていたけど、近代化の中で宗教心が揺らいでしまってほとんど神も仏もなくても済むという状況になったことがやっぱり近頃の人間の意識の変化としては大きいかなと。人間って神秘がないと詩も生み出せないし、アートも生み出せないんじゃないかと思う。また宗教が復活するんじゃないかとも思います。

——江之浦測候所の「冬至光遥拝隧道」は、冬至の朝にこの隧道を太陽光が真っすぐ貫くということですが、それを見た瞬間はどういう気持ちですか。

杉本:それは神秘的ですよ。開館一年前の朝日が一番素晴らしかった。西高東低の冬型の気圧配置になるとものすごく空気が澄んできれいに見える。開館した年から冬型になるのが1月にずれこむようになっちゃったから、12月の冬至の頃はまだ秋の終わりの秋雨前線みたいなものが残っていて、暖かくて、曇ったり雨が降ったりする。地球の環境は本当に変わってしまったと思いますね。

——奇しくも気候変動を測ることになったわけですね。江之浦測候所を開いて数年経って、気付いたことは他にもありますか。

杉本:まぁいろいろと集めてきて、やはり人間がどうやってアートと関わってきたか、その劣化の歴史が見えます。

——劣化ですか。

杉本:飛鳥時代の法隆寺の礎石のほうが、天平時代の元興寺の礎石より形も良くて存在感が強くて素晴らしい。鎌倉、室町時代になると、どんどん楽しよう、短時間でつくろうというような意識が芽生えてきて、技術も高くなるから簡単につくれるようになるんだけど、そうなればなるほど神秘的な形っていうのは失われていく。で、今の世の中になってしまった。だから大谷石なんかもわざわざ機械を使わないではがした面を出すってことで古代風に見せている。その代わり何万人という人間が石を切って運ぶということをしなくても、ブルドーザーやユンボができて、一作家の貧しい利益でもあれぐらいできるようになったっていうのは、良いような悪いような。

——江之浦測候所はこれからも変化していくんですか。

杉本:まぁいつも現場にいたいという気持ちはあります。次から次にいろんなものが集まってきてるし。石とか物とかが集まってくるんです。だから自分で計画しているっていうよりもそれを整理している感じに近い。今、古美術棟というのもつくろうと計画中です。だいたい設計は終わったので、2022年ぐらいには着工したいです。

——歩いていて突然古美術品に出会う感じもおもしろいですけど、そういう場ができるんですね。

——江之浦測候所の茶室「雨聴天(うちょうてん)」もそうですが、駄洒落がよく出てきて、抜け感があるというか、おもしろいですよね。駄洒落は杉本さんにとってどういうものなんでしょうか。

杉本:出てくるときはコロコロ出てくるものなんでしょうね(笑)。

——どんどん結びついていくかんじですか。

杉本:うん。韻を踏むという感じですね。

——和歌にも通じるんですかね。『江之浦奇譚』は章ごとに和歌が入っていて、しかもあとがきは下の句が「どこからきたん江之浦奇譚」という駄洒落の和歌で締めくくられていて(笑)。

杉本:最後にガクンとくる(笑)。『江之浦奇譚』の歌は、文章を書き終わってからもうひと味加えたくなって、写真と文章と、歌を入れたら三位一体になって良いかなと。1週間くらいで書きましたね。そもそも歌は2016年、NHKの「俳句」っていう番組のオファーや、当時ちょうど東京都写真美術館の「杉本博司 ロスト・ヒューマン」展という展覧会で俳句を詠んだことがきっかけで。「呆気羅漢(あっけらかん)」という号で(笑)。

——そこにも駄洒落が!

杉本:どっちかというと俳句っていうより狂歌に近いものが多いんで、狂歌詠みにはまた別の「素遁卿(すっとんきょう)」という号をつけました。一応平安時代の書なんかもいろいろ持ってるし、そういう世界をなんとなく体感できるようになってきたのかもしれない。やはり古美術の影響は絶対、圧倒的にあるんだよね。そういう思ってもみない因縁でもって、いきなり俳人としてデビューしたり。書家としてもデビューします。

取材時、アトリエに置かれていた大きな木片には、「青天を衝け」と書かれていた。後日発表された、大河ドラマの題字だ。その主人公は、「日本資本主義の父」として知られ、新しい万札の顔となる渋沢栄一。渋沢の革新性と日本の資本主義経済の発展を表しているかのような右上がりの見事な書。これを書き上げた杉本御大によるコメントのタイトルはこうだった。「大事な題字」。

Edit Jun Ashizawa(TOKION)

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あなたの心に美術館はあるか? withコロナ時代の芸術祭「MIND TRAIL」 https://tokion.jp/2020/11/13/mind-trail/ Fri, 13 Nov 2020 01:00:22 +0000 https://tokion.jp/?p=11669 山岳信仰の聖地であり、女人禁制の修験場も残る奈良の奥大和で、アート作品に導かれ、歩く。そこで出遭う、その存在を見失うほど途方もなく大きなもの、そして「心のなかの美術館」。

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京都から南へ車で約2時間、古くは『古事記』や『日本書紀』にも登場し、春には山岳信仰の信徒らが献じたことで3万本にもなった桜が咲き誇る吉野町。さらに南、修験道発祥の地である大峯山を擁し清流が流れる天川村。そして東、1000メートル級の山に囲まれた曽爾村。この奈良県南東部「奥大和」の3つのエリアで、11 月 15 日(日)まで、「MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館」なる芸術祭が開催されている。

聞けば、コロナ禍で観光業が苦境に立たされた奈良県の職員から相談をもちかけられたプロデューサーの齋藤精一(ライゾマティクス・アーキテクチャー)が通常は1〜2年かける準備を7月から始め、約3ヵ月でオープンにこぎつけたというこの芸術祭。キュレーターは昨年、齋藤と共に東京湾の無人島・猿島で「Sense Island -感覚の島- 暗闇の美術島」を行った林曉甫。期待できる布陣だ。

山岳信仰の歴史に触発された作家による、身体や思考を揺さぶる作品

各エリアの山道や舗装道を3〜5時間かけて歩くということでトレイルランニングシューズで訪れてみると、まず自然の景観が圧倒的。「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されているというのも頷ける。そして修験道の聖地として長い歴史に裏打ちされた文化に触れると、さらにその景色が深みを帯びて見える。その中に設えられたアート作品は、一見すると大きなインパクトはないが、地霊と戯れるようにして鑑賞者を誘い、ミニマムな情報量で、またQRコードで飛んだ先のウェブサイトで、身体感覚の変化や思考を促すものが多く見られた。

起点となる吉野エリアのスタート地点で駐車場を降りた鑑賞者を迎えるのは、菊池宏子と林敬庸による《千本のひげ根》。修験道の歴史に想を得て、奥大和のヒノキの間伐材の枝を1本ずつ磨いてつくった1000本の杖を3エリアに分けて置いている。持ち出して使った後、戻して次の人に託してもいいし、持ち帰ってもいい。最終的には燃やして土に還すという。これが山歩きの際、思いのほか心強い伴侶となってくれる。

菊池宏子+林敬庸《千本のひげ根》(吉野)

7世紀に修験道の開祖である役行者・役小角が修行を通じて感得したという蔵王権現を祀る金峯山寺。11月末まで本尊が特別公開されており、熱烈な太鼓と読経を聴きながら拝む巨大なそれはまぁ圧巻なのだが、打って変わって静まりかえった夜、お堂の前から発せられるレーザー光もなかなか異様だ。これは齋藤精一が土地の軸を浮かび上がらせるJIKUシリーズの吉野バージョン(ほか2エリアにもある)。その光の先に、役小角が同じ蔵王権現を祀ったとされる山上ケ岳の大峯山寺を見る時、ぞわりと心身に迫りくるものがある。

水の配分を司る天之水分大神を主神とする吉野水分神社は、源義経が金峯山寺の僧兵に追われ逃げ延びた場所といわれ、また豊臣秀吉が子授け祈願をした場所とされており、現在の社殿はその申し子である秀頼が再建したもの。ここには、上野千蔵が奥大和各地で水を撮影した映像作品《水面 -minamo-》が展示されている。「美しい水を水分神社に奉納する気持ちで撮ってきました」という上野。水はどこにでもあるが、霊験あらたかなこの場所でこそ生まれた作品だ。

決まったものと思っている暮らしを、世界を、拡張するもの

森の中を歩いていると、カラフルなものが目に飛び込んでくる。ニットアーティスト力石咲による山暮らしの場、《力石咲のワイルドライフ》だ。吉野杉や処分される予定だった傘などを毛糸を交えて編み上げたポストには、経度と緯度をもとにAmazonから食品などが届く。都市から持ち込まれたゴミを収集して切り刻み、ヒノキや杉の削り節を入れてつくったポプリをメルカリに出品、Amazonの空き箱に入れて発送する。木を剥いでつくったスーツはソーシャルディスタンスを保てるだけでなく、杉の葉を詰めれば抗菌作用をもつマスク付き。「山でのひとり暮らしは不安」ということから顔の形をしたニットを地蔵のようにあちこちに置き、吉野葛でつくった「葛器」で食事をとる。withコロナ時代に大切なのは、こうした遊び心の延長線上にあるオルタナティブな生活様式なのかもしれない。

力石咲《力石咲のワイルドライフ》(吉野)

言葉とQRコードが掲示されたバス停のような看板は、ポエトリーコレクティブ「oblaat」による《distance》。QRコードを読み込むと、地域に伝わる史実や伝説をもとに書き下ろした詩を詩人自身が朗読する動画が見られる。3エリアそれぞれに4章ずつの詩があり、エリアごとに詩人が異なる。天川エリアの詩人は覚和歌子で、女人禁制の修験場へ入っていく男と残された女が登場する。清流沿いの岩屋でそれを聴いていると、現実世界が拡張されるかのように、その光景が思い浮かぶ。

その存在を見失うほど途方もなく大きなものに、ひたすら歩くことで出会い直す

倒木や岩に苔がむした『風の谷のナウシカ』の腐海を彷彿させる森に現れたのは、佐野文彦の《関係—気配》。舞台のようだが、そこにはやはり苔むした岩が鎮座している。そもそもここにあったというその岩を取り囲むようにして吉野杉を土台に枠をつくり、その上に枯れ落ちた杉の枝葉をのせたという。自然界ではあり得ない直線や異質なミラーシートが際立つが、不思議とこの場に馴染んでいるようにも見える。手前の切り株のようなものには幾つかの硬貨が置かれている。古神道の磐座(岩石信仰)のようでもあり、信仰の原初を思わせる作品だ。

MIND TRAILのコース内数ヵ所に設置されたポストには、「森の中の図書館」として出展アーティストをはじめとする参加者が芸術祭のコンセプトに合わせて選んだ本が入っていた。そこに先述の『ナウシカ』(コミック版)が入っていることは想像に難くないのだが、興味深いのはその選者が3人もいたこと。注目すべき作品をつくっていた力石咲が1巻、佐野文彦が6巻、また奈良を拠点とする中川政七商店の十三代目・中川政七が7巻を選んでいた。

生物学者の福岡伸一もコロナウイルスと『ナウシカ』を関連づけて論じているが、すべての生物は、細菌、ウイルスとはじめから共生し、人間も途中から自然の一部として共に循環してきた。それは言葉にすると当たり前のようで、特に最近聞き飽きたことかもしれないが、途方もなく壮大でおそるべき自然にフィジカルに出会い直すことでこそ、腑に落ちるものがある。

MIND TRAILは多くの芸術祭がコロナの影響で中止となるなか、広大な地域で「三密を避けて」「withコロナで開催される芸術祭」とうたっていた。地域芸術祭において、三密にならないことはさほど珍しいことではないが、アート作品によってひたすら歩くきっかけをつくり、その出会い直しの機会を提供している点で、withコロナ時代の芸術祭といえるだろう。そしてその出会い直しによって更新される美意識が浮かび上がらせるものが「心のなかの美術館」なのかもしれない。

■MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館
会期:~11月15日(日)
会場:奈良県 吉野町、天川村、曽爾村
入場料:無料
主催:奥大和地域誘客促進事業実行委員会、奈良県
協力:株式会社ヤマップ
プロデューサー:齋藤精一(ライゾマティクス・アーキテクチャー代表)
キュレーター:林曉甫(特定非営利活動法人 インビジブル 理事長)
参加アーティスト:井口皓太、上野千蔵、oblaat(覚和歌子、カニエ・ナハ、谷川俊太郎、永方佑樹、則武弥、松田朋春)、菊池宏子+林敬庸、木村充伯、毛原大樹、齋藤精一、佐野文彦、力石咲、中﨑透、ニシジマ・アツシ、細井美裕 ほか
URL:https://mindtrail.okuyamato.jp


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