湯けむりの底に沈んだ別府の歴史をのぞき込む妙術 梅田哲也 イン別府「O滞」

住宅地の古井戸、温泉の源流にある火口……地図で示された場所を巡っていると、時折、声が聞こえてくる。「この穴の奥には何がありますか」「次は地球の裏側で」……ふと、目の前にある“穴”が、地球の裏側まで通じるイメージが湧き起こる。その途端、足がすくむ。が、次の瞬間、愉悦に口角が上がってしまう。

2020年12月12日~2021年3月14日、大分県別府市を中心に、個展形式の芸術祭「梅田哲也 イン 別府『O滞(ぜろたい)』」が開催された。

2つの“妙”の出会い

別府は、人が入れる温泉としては湧出量世界一を誇る温泉地。あちこちから湯煙が立ち上り、それに引き寄せられるように多様な人々が集い、観光客が散見される中、時には路地で共同湯帰りと思しき半裸のご老人に出くわすなんてこともある、“妙”な町である。

そんな別府では、2009年から「混浴温泉世界」なる芸術祭が3年に1度行われ、2016年からは「in BEPPU」として1組のアーティストによる個展形式の芸術祭が開催されてきた。これまでの目、西野達、アニッシュ・カプーア、関口光太郎に続いて「in BEPPU」5回目に招聘されたのは、梅田哲也だ。

梅田は、ある場所の構造や機能、文脈を読み解いて再構築し、そこに居合わせる人や偶然の出来事などをも巻き込んで、見えざるものを可視化するアーティスト。鑑賞者はどこまでが作為なのかわからないような状況に放り込まれ、異次元をさまようかのような体験をすることになる。

例えば、大阪の西成区山王一帯で行われた「O才」(2014年)では、地図をもとに巡る先々で不可解な現象に出会うフィールドパフォーマンスを展開。また、「インターンシップ」(国立アジア文化殿堂、韓国、2016年・神奈川芸術劇場ホール、2018年)では、照明器具の上げ下げやオーケストラのチューニングといった劇場の機構をダイナミックに“上演”した。ちなみに、「in BEPPU」と同じくBEPPU PROJECTが企画した「国東半島芸術祭」のグループ展「希望の原理」(2014年)では、旧役場の金庫などに人の気配を漂わせるインスタレーションを繰り広げていた。いってみれば“妙”な作品を作り出すアーティストなのだ。

別府には縁があり、梅田作品のファンでもある筆者は、そんな2組が大々的に組むとなればおもしろいに違いないと、喜び勇んで出かけた。念のため、新型コロナウイルス感染症の検査をして。

既存の風景に新しい世界を見る手がかり

そう、「O滞」開催には、コロナが少なからず影響していた。会期スタート1年前には大規模なインスタレーション作品を含む展覧会を構想していたというが、コロナの拡大を受け、緊急事態宣言が発令された2020年3月に方向性を見直すことに。代わる案として、「映画」と「地図とラジオ(と呼んでいる、GPSなどを使った受信端末から聞こえる音声)」というかたちが考え出された。

まず「映画」は、ざっくりいうと、役者の森山未來が別府のさまざまな場所をさまよい、随所に満島ひかりが現れ、この土地の歴史や地形などが断片的に語られる約40分の映像。「地図とラジオ」で巡るのはそれらのロケ地というかたちになり、そこで聞こえてくるのはこの映画のセリフのほかリハーサル中やカット後の言葉などだ。いずれも別府を巡る手がかりであり、重要なのはそこに在る風景と、そこでの体験である。「映画」と「地図とラジオ」、どちらが先でも楽しめるだろうが、筆者は映画を先に見た。

ここでまず目を引くのは森山と満島の存在かもしれない。梅田と森山の出会いは、2020年7月にシアターコクーンで行われたライヴ配信のための演劇「プレイタイム」だという。これは、先述の梅田作品「インターンシップ」をベースに、コロナによる眠りから覚めたシアターコクーンを躍動させ、その中で森山と黒木華が岸田國士の戯曲「恋愛恐怖病」を軸に演じるというもの。

その数年前に六本木のスーパーデラックス(現在は閉場)で梅田のパフォーマンスを見た森山は、「一見ガラクタのようなものを積み上げては崩し、有機的なエネルギーを作り上げていて、すごく美しくて」と感心し、その後梅田の「インターンシップ」を知り、シアターコクーンの再開にあたって声をかけられた際、梅田との協働を提案したのだそう。そうして「プレイタイム」の構成・演出を担当することになった梅田は、当時方向転換中だった「O滞」に森山を誘ったという。*1森山と満島は何度も共演している実力派俳優同士だ。

この2人の存在はこの映像を「映画」たらしめる(またその概念をずらす)ことに大きく貢献しているのだが、映画の中には彼ら役者だけでなくカメラマンや録音技師、音楽の演奏を担当する大分県立別府翔青高等学校吹奏楽部など、撮影に関わる全員が写り込んでいる。いわゆる「スタッフ」と括られる、普通は目につきにくいところに配置される人々と「役者」を等価に扱うスタイルは、「インターンシップ」に通じる。

「映画を作ってみたというパフォーマンス」*2だという梅田が、少人数で、さらに10月にロケハン、11月に3日間で撮影、12月に公開というタイトスケジュールで行った撮影は、「台本をばーっと書いて、そのままわーっと撮った」という調子で、普通の映画撮影ではありえない、一風変わった現場だったそう。

映画館の座席に沈み込んで謎めいた映画に没頭していると、突如、客席が画面に映し出される。梅田は言う。「いろんな時代にいろんなことがあったかもしれないけど、今こそ特殊な状況じゃないですか。この状況を無視すると嘘になってしまうと思って」。そこにあるのは、今を象徴する、異様な風景だった。

不思議が湧き出す回遊スポット

受付で地図とラジオを入手したら、いざ、回遊だ。地図に打たれたポイントは、会期スタート時点では、別府の市街地や観光地など20カ所で、このうちラジオを使用するのは、「丸井戸」「中浜筋」「別府スパビーチ」「いちのいで会館」「鶴見園公園」「塚原温泉 火口乃泉」の6カ所。会期途中、「別府ロープウェイ」「明礬池」「ブエノスアイレス沖」(!)もラジオを使用する場所として加わった。

地図の端に記されていた「丸井戸」は、別府温泉発祥の地とされる浜脇の住宅地にあった。1847年に掘られたというこの井戸の水は、現在も生活用水として使用されている。近づくと、ラジオから声が聞こえてくる。「この穴の奥には何がありますか」。映画の冒頭にもあった、満島の声だ。そっと蓋板を外して中を覗き込んでみる——。ところで、浜脇の源泉はほとんど枯渇して、ほかから引湯しているという。浜脇は旧遊郭街として今もその名残をかすかにとどめているのだが、温泉があまり出なくなったために遊郭街になったという説と、遊郭の方が先だったという説があるらしい。江戸時代から枯れていないとされる井戸の底は暗くてよく見えなかったが、見えないものを見ようとする感覚がインストールされる。

一見何の変哲もない舗道「中浜筋」で聞こえてきたのは、かもめの鳴き声や、「寄せては返す波打ち際で、レイチョウセンがゆらりゆらり」「2つの島がありまして、1つは海に沈みます、もう1つ記憶に沈みます」といったフレーズ。調べてみると、かつてこの辺りは海岸線だったという。言われてみれば、ここだけ道が曲がりくねっている。この近く、かつての別府港のすぐそばには1893年に霊潮泉という公衆浴場が建てられ、その湯の温度は潮の満ち引きで変化したとか。また、中浜筋の途中にある中浜地蔵尊は6世紀に創建され、1596年に慶長豊後地震で別府湾に位置していた瓜生島と久光島が沈んだ際には、ここで犠牲者の冥福と無災害が祈られたといわれる。その場でそうした歴史に思いを馳せていると、ふと、砂に足を取られるような錯覚をおぼえる。

かつて砂浜だったところから移動した先は、「別府スパビーチ」。映画で芸者らしき着物姿の女性達が登場した場所だ。ここでは「潮干ぬれば浴するもの多し、塩湯なれば殊に病を治す」といった台詞や銃声がラジオから聞こえる。梅田曰く、芸者の場面は昭和の絵葉書からきており、銃声は戦争特需と関係している。江戸時代まではこの辺りの砂浜にも温泉が湧き、掘れば砂湯になったが、今は埋め立てられ、人工のビーチになっている。また、1945〜1957年には別府に進駐軍の基地が置かれて商機が増え、彼ら向けの文化も発展したという。女性達が笑顔を浮かべて入っていた穴のイメージが防空壕や墓穴にもつながる。

町を一望できる温泉施設を併設した仕出し屋「いちのいで会館」。その裏の湯気立つ洞窟に近づくと、「人知れず役目を終えて人知れず取り残される」「ブエノスアイレス」などと聞こえる。ここは金鉱跡とされており、ここから500mと離れていない遊園地・ラクテンチの周辺は別府鉱山として1903年頃から金銀を産出していたが、温泉が噴出したことにより1916年に掘削を中止したという記録がある。またこの辺りを含む別府温泉一帯は鶴見火山群の噴火によってできた扇状地にあって、その火山岩である安山岩がしばしば見られるのだが、安山岩という和名は、南米のアンデス山脈に見られる同種の火山岩につけられた「アンデス山脈の岩石」を意味する英名andesite(アンデサイト)にちなんでいるという。南米と地中でつながっていることを意識させられるようだ。

さてお次は「鶴見園」。草がぼうぼうと生い茂り、廃墟と化したプールがあるこの場所では、「古戦場」「吉弘統幸」といった言葉が出てくる観光案内らしき口上、「入園料、大人40銭、軍人・子供20銭」といったアナウンスなどが流れている。吉弘統幸は、1600年、“九州の関ケ原”と呼ばれた石垣原の戦いで最期を迎えた戦国武将で、鶴見園がある鶴見地区はその合戦の場だった。そして1925年、この場所には大遊園地、鶴見園が開園。宝塚少女歌劇の影響を受けて発足し、大劇場で演じた鶴見園女優歌劇は“九州の宝塚”といわれ人気を博したという。戦後は進駐軍に米軍キャンプとして接収され、返還後しばらくしてレジャーセンターとして蘇るも7年後の1976年に閉園している。戦争と娯楽、人間の業が渦巻く。

6つ目は、別府市街地から車で30分ほどの、行政区分では由布市湯布院町にある「塚原温泉 火口乃泉」。観光客でにぎわう温泉施設の横を抜け、坂をしばらく上がると、剥き出しの岩肌のあちこちから煙が吹き出し、「ここで2つの断層がぶつかっている」「私とあなたの立っているプレートは違う」「さようなら、次は地球の裏側で」といった声が聞こえる。まず大きな話からすると、別府から西の長崎県・島原にかけての九州を横断するあたりで南のフィリピン海プレートが北のユーラシアプレートの下に沈み込んでいる。それによって溝ができ、ゆえに活断層や活火山​、温泉が集中しているそうだ。そしてここは別府扇状地の頂点にあたる伽藍岳の中腹にある火口。伽藍岳は鉄輪断層と朝見川断層という2つの断層がちょうどぶつかる活火山であり、この地下の熱水が別府八湯すべての温泉源だという。これらのプレートがズルズルとずれていったら、地球の裏側でまた出会うかもしれない。

コントロールできないことで没入感が高まる

どの会場にも展示物はなく、風景が目に入るだけなのだが、その場で意味深な音声を聞くことで、別の世界が立ち上がる。ちなみに端末によって受信する音声の内容やタイミングは微妙に異なり、訪れるタイミングによっても周囲の状況が異なるので、体験の内容は人それぞれ違うし、そこから想像すること、それが身体におよぼすものも当然人それぞれ違うだろう。

音声を使って歴史やイメージを浮かび上がらせる手法は、ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーの「ウォーク」シリーズや、近年では高山明が主宰するPort Bの「ヘテロトピア」シリーズなどにも見られるが、「O滞」のポイントの1つは梅田自身こだわったという(便宜上「ラジオ」と呼んでいる)受信端末の操作性の低さにある。端末にはON・OFFとボリューム調整を兼ねたつまみと、ポイントに近づくと点滅するランプがあるだけで、鑑賞者は自分で再生するわけでもなければチューニングするわけでもない。

はじめはそれに不自由さや不安を感じる。これは梅田による船上のツアー・パフォーマンス「5つの船(夜行編)」(2015年)でも感じたことだが、私達は普段、多くのもの、特に自分が見たいものを手のひらの上でコントロールできる気になっているからだろう。しかし、コントロールできないことで、目の前の状況に集中せざるを得なくなり、何かを見つけようとする力やそこから感じるものが大きくなるのだ。

ラジオといえば、梅田には原体験があったという。「子どもの頃、テレビがなくて、ラジオを聴いてたんですよ。中学ぐらいから、オールナイトニッポンの2部が聴きたくて、夜中に家を抜け出して、アンテナを伸ばして他県の電波を拾いにいってました」。梅田作品に感じられる、能動性と受動性が拮抗し合うような緊張感は、この感覚に近いようにも思われる。

また、梅田は映画館についても幼少期に重要な原体験があったと語る。「当時住んでいた熊本の天草の島に映画館が1つあって、週末に連れていってもらっていて。昔の映画館って足元の明かりとかなくて映画が始まる前は真っ暗で、怖かったし、ドキドキした」。今回映画が上映されたのは、かつて劇場や映画館が多く立ち並んでいた別府で今や唯一となった、1949年に創業の映画館、別府ブルーバード劇場。ビロード張りの椅子に座るところから、「O滞」のトリップは始まっていた。

滞った世界の「O」から見えてくるもの

最後に、「O滞」というタイトルについて考えたい。まず「O」を“ゼロ”と読ませながら“オー”と表記していることからして多義的であることがわかるのだが、1つはその読みの通り、“ゼロ”。これまで梅田作品のタイトルに「O」は何度か使われてきた。先述の「O才」、昨年さいたま国際芸術祭2020で展開された、旧大宮区役所地下の食堂やロッカー室などの用途を読み替えたインスタレーション「O階」もそうだ。これらに共通するのは、一見役割を失ったかのように見えるものに新たな秩序をもたらして生かすこと。また、わかりやすい展示物がないという意味でも“ゼロ”といえるだろう。

そして、「O」はその形から、“穴”や“空洞”でもある。今回の回遊スポットにも井戸、洞窟、火口などがあるし、そもそも別府にはたくさんの温泉という穴がある。梅田は「空洞をつくろうと思った」と話している。コロナ禍でさまざまな展覧会や芸術祭、演劇や音楽イベントなどが中止となったが、1つの理由で一斉に止まってしまうという状況に疑問を感じたという。「中心がなく、散り散りになっていれば、一網打尽にされてしまうような状況は防げると思います」。思えば、「インターンシップ」も演者や演目といった中心とされるものがない世界だ。

「滞」について梅田は、「ラジオって周波数だから帯域の『帯』。だけど別府だからさんずいをつけたくて。『滞』は今の状況とも近いし」という。今回は別府のあちこちに沈滞していた声や音がつなぎ合わされ、鑑賞者はそこに没入することで目の前の世界が違って見えたが、その没入感は、コロナ禍で停滞したこのタイミングだからこそ一層深まったといえる。

さてこの「O滞」、次は新たに「本」が別府を巡る手がかりとして出版される予定。のぼせた勢いで(!?)、長々と意味の推察など書き連ねてしまったが、それをしてやはり思うことは、別府の風景と梅田の作品には、限られた意味に回収されない、“妙”があるということだ。

*1 2021年3月14日に行われたライブ配信イベントでの梅田哲也、森山未來のトークより
*2 2020年12月12日に行った梅田哲也へのインタビューより(以下同)

梅田哲也 イン 別府「O滞」
書籍は8月頃に発売予定

TOKION ARTの最新記事

author:

小林沙友里

ライター・編集者。「BRUTUS」「THE NIKKEI MAGAZINE」「美術手帖」などで執筆。編集者としては「村上隆のスーパーフラット・コレクション」の共同編集など。アートやファッションなどさまざまな事象を通して時代や社会の理を探求。

この記事を共有