連載「ぼくの東京」 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/連載「ぼくの東京」/ Fri, 08 Sep 2023 07:28:16 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 連載「ぼくの東京」 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/連載「ぼくの東京」/ 32 32 連載「ぼくの東京」Vol.10 「実は心地よくて、どこかあたたかい」 映写や記憶をテーマに、映像的絵画を制作する加藤崇亮が東京の魅力を語る https://tokion.jp/2023/09/09/my-tokyo-vol10/ Sat, 09 Sep 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=206847 アーティスト等による思い思いの「東京」を紹介する連載。第10回は独創的な世界観が魅力の画家・加藤崇亮が登場。

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ぼく・わたしにとっての「東京」を紹介する本連載。第10回は、加藤崇亮から見た東京のノスタルジー。

加藤崇亮
1985年生まれ、東京都出身。幼少期をドイツで6年過ごしたのち帰国。麻布学園、多摩美術大学造形表現学部デザイン科卒業。2012年からエンライトメントに参加し独立。映像的絵画を目指し、時間・映写・記憶をテーマにした絵画を制作。あえて輪郭や空間への違和感を加えた作品で、絵画という平面の世界に新しい命を吹き込んでいる。

幼少期をドイツ・デュッセルドルフで過ごしたのち、東京へ戻ってきた加藤崇亮。異国の地で過ごした思い出は、彼の作品や趣味に少なからず影響を与えているのかもしれない。

「昔から古い印刷物を集めるのが好きです。日本のものもたくさん持っていますが、やっぱり海外の紙物の方が多いかな。1960年代や1970年代のものが好き。古い印刷物ならではの色味や風景におもしろさを感じます」。

そんな加藤のお気に入りスポットは高円寺にある「ハチマクラ」。古い包装紙や切手、ポストカードなど、紙物をメインに扱っているお店だ。こぢんまりとしたショップに一歩足を踏み入れると、そこは別世界。何十年、いや何百年も前に作られた印刷物が時代を超えて“今”に存在する。加藤にとっては夢中になれる場所であり、ここで販売されている古いマッチラベルにインスピレーションを受け、マッチラベルデザインで自身の世界観を表現したこともある。

加藤の作品は、時間・映写・記憶がテーマ。絵画という平面の世界を映像的な感覚で捉えた彼のアートは、どこかノスタルジックでもあり、既成概念を覆すような驚きがある。最近はポストカードを題材にした作品が多く、その既存イメージを分割し、彼ならではの視点で再構築している。

「ポストカードの構図や色味などをデジタル編集して、さらにデジタルでスケッチを加え、そこにアクリルでペインティングします。または水彩紙をカッターで切ったり破ったりして、それぞれのパーツをアクリルで描いて、もう一度組み合わせてみたり。ポストカードの中の知らない場所や昔の時間をカットして映像的な動きを加えることで生まれる“違和感”や“動き”を表現したいと思っているんです」。

その時にしか出会えない風景やモノが好き

「印刷物の版ズレも好きなんです。1つひとつの表情の違いを感じる。古いポストカードなんかはそこに写っている人物がぼやけていたり、背景が擦れてしまったりして、想像させる部分が多い。見ているだけで知らない場所に移動できるようなこの感覚が好きだから、古い印刷物をたくさん集めているのかもしれないですね」。

加藤にとっては古着もそのイメージに近く、阿佐ヶ谷にある古着店「JUDEE」は足繁く通う場所。今ではこのショップでほとんどの服を購入している。

「昔から古着好きというわけではなかったんですが、友人のイラストレーターに教えてもらったのがきっかけでハマりました。なんだろう、古着は買う理由になるというか…。古い印刷物と同じで、その時にしか出会えないものを偶然見つけるという感覚が楽しいです」。

多くの店が軒を連ねる人気エリアながら、古き良き東京の風景も残す阿佐ヶ谷。少し歩けばのどかな街並みが広がり、時間もゆったりと流れ始める。新しい刺激を求めて東京散策をするタイプではないという加藤にとって、このホッとする感じもお気に入りだ。

「僕の地元である戸越銀座に少し似ているような……。あたたかい感じがありますね。JUDEEのオーナーと他愛ない話をする時間も心地いいです」。

彼の昔と今をつなぐ場所

加藤がドイツ暮らしを経てたどり着いた場所は戸越銀座。今もこの街に自宅とアトリエを持つ彼にとって、ここが東京のホームだ。特に戸越公園は大切な場所で、余裕があれば週に1、2回足を運ぶ。

「東京には自然が少ないからか、自然を感じる場所に惹かれがちです。戸越公園は幼い頃から来ていた場所で、本当にリラックスできる。小さな公園ながら見どころもいろいろあるんですよ」。

この日はいつも彼が通るルートで公園内を散策。古くは武家屋敷だったこともあり、池や川、庭園など、目を喜ばせてくれる風景が続く。園内に並ぶベンチでのんびり日向ぼっこをする人も多く、一瞬で都会の喧騒を忘れてしまう。

「お子さんを連れた家族などを見ていると『武家屋敷の時もこんな空気の流れだったのかな』と感じます。川に浮かぶ小屋と、その後ろに見える緑の雰囲気も好きで、いつもぼんやりと眺めています」。

カメや鯉、カモなど、さまざまな生き物が暮らす池を見ているだけで、東京で失いかけた感覚を思い出す。春には桜、梅雨には紫陽花、夏は蝉の大合唱と、季節ごとに移り変わる景色もまた加藤のお気に入りだ。

「カメはいつも岩の上で休憩しているイメージだったんですが、今日は活発に泳いでますね。こんなに元気な姿を見るのは初めてかも。この池には僕にしか見えない金色の鯉もいるんですよ。発見したら教えます」と少年のように笑う。

そういえば、この夏行われた加藤の個展のテーマは『FRUIT OF MEMORY 記憶の果実』だった。

「記憶って果実っぽいですよね。みずみずしさが一過性のもので、いつかは失われていく」。さてこの日、一緒に見た金の鯉は本当にいたのだろうか? 過去を振り返るように“今”を見る彼のまなざしが生み出す作品の数々は、ノスタルジーと可能性に溢れている。それを見る人の想像が加わることで、ストーリーはきっと変わっていく。東京の景色もまた同じなのだろう。

■ハチマクラ
住所:東京都杉並区高円寺南3-59-4
時間:13:00〜19:00 
休日:月曜、火曜
Instagram:@hachimakura

■JUDEE
住所:東京都杉並区阿佐ヶ谷北3-11-23 SKTハウス1F
時間:14:00〜21:00(不定休)
Instagram:@judee_asagaya

Photography Shin Hamada
Text Akemi Kan
Edit Kana Mizoguchi(Mo-Green)

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連載「ぼくの東京」vol.8 「心地よさの可能性を広げる場所」 海外で長く生活し、自由を謳歌してきたアーティスト門間理子の拠点となる場所 https://tokion.jp/2022/10/22/my-tokyo-vol8/ Sat, 22 Oct 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=150374 アーティスト等による思い思いの「東京」を紹介する連載。第8回はアブストラクト・アーティストの門間理子が登場。

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ぼく・わたしにとっての「東京」を紹介する本連載。第8回は、帰国子女ならではの視点で東京を眺める門間理子。

門間理子
幼少期よりニュージーランドで生活、ロサンゼルスやオーストラリアなどでも暮らし、多彩な感性を身につける。14歳で米国の大学に進学。大学では化学/物理学を専攻し、その後、北海道大学大学院で化学工学を専攻。2018年からアーティスト活動を開始。東京を拠点にアブストラクト・アーティストとして活動を続ける。

カルチャーショックを受けた東京暮らし

北海道で生まれ、7歳から14歳までニュージーランドで過ごした門間理子。その間に合計4学年を飛び級して、15歳からアメリカ・バーモント州の大学へと進む。大学院は日本で通いたい。そう思っていた彼女は、2015年に北海道大学大学院へ入学。現在も両親が暮らしている場所である。

「卒業後に東京で住み始めました。もう7年になります。長く海外で育ったので日本への憧れは強かった。海外生活中に日本のカルチャーに触れる機会も多かったので、その世界を実際に見てみたいという気持ちもあったかもしれません」

大学院を卒業後に、外資系化粧品会社に研究職として入社。大学では化学と物理学を専攻。大学院では化学工学を学んでいた彼女にとってその才能を生かせる会社だった。会社が掲げている理念にも共感した彼女は、新宿のオフィスで働く日々を続けた。

「化粧品会社といえば美白が必須なのに、サーフィン好きの私はどんどん黒くなって(笑)。上司がすてきな方だったので、無理に私を変えるようなことはしなかったのですが、ニュージーランドみたいに自然がいっぱいな場所で自由に育った私にとって、東京は合わないのかもという感覚も生まれて……」。

そして彼女は入社3年後に退社。アーティストとしての活動を始める。そこにネガティブな感情はなく、自分にとって難しいと思える東京で心地よい在り方を追求できれば、世界中のどこに行っても大丈夫なんじゃないかという気持ちがあったからだ。

何でもある街だからこそカスタマイズが楽しい

「退職後はまずニュージーランドのクイーンズタウンに行きました。この街は何か新しいことを始めたいと思う人の背中を押してくれるような場所なんです。アーティスト活動をするうちに、興味を持ってくれるクライアントにもたくさん出会えて、自分にとって楽しい仕事をしながらお金を頂くという暮らしを実現できました」。

同時に、東京でのあわただしい暮らしをスローダウンしたいという気持ちもあった彼女は、最初は友人のカフェで働く。ゆっくりとクッキーを焼きながら、訪れるお客さんと何気ない会話をする日々。研究職時代にはない感覚が楽しく、その後はお気に入りだった洋服屋でも働くことに。

「とても楽しい日々でした。でもこの街ではあまりにもスムーズに物事が進みすぎて、まだ自分には早いと思ったんです。多彩な人が暮らす東京でもう一度チャレンジしたい。そう思って帰国しました」。

東京という都会にいながらも、都会的ではない暮らしをする。なんでも手に入る場所だからこそ、自分でカスタマイズして、東京をより居心地のいい場所にする。大好きなサーフィンができる場所も遠くない。そう思うと東京は今までと違った街に見えてきた。

人との繋がりに身を任せることができる場所

「以前はパーティ等にも顔を出したいと思っていたけど、自分のタイミングで好きな時に。そう思ったらこのカフェにしか来なくなりました」。

そう彼女が話す場所は、3年ほど前にグループ展を開催したことがきっかけで訪れた裏原宿の「SPACE & CAFÉ BANKSIA」。サーファー夫婦が営むこのギャラリーは、東京の中心にありながら心地よい空気が流れる。海も山も好き。ニュージーランドで育った彼女の感性を共有できる人が多く集まってくる。

「東京で初めて心が安らぐ場所を見つけました。日本での展示は初めてに近かったので、最初は緊張したけれど、展示期間中毎日この場所にいたら、どんどん居心地が良くなって。それからは頻繁に通っています。今でも週に3、4日訪れないとなんだか心配になってしまう。空間はもちろん、オーナーの津乗ファミリーがとても好きなんです」。

ふらりと訪れては絵を描いたり、ギターを弾いたり、時にスケートボードで滑ってみたり。友達との待ち合わせや仕事の打ち合わせで訪れることも多く、この場所を拠点に新しい出会いも増えてきた。

「基本的に自然ばかり描いています。自然を人々がどう化学的に、また考古学的な面で捉えているのかというのも興味があります。インスピレーションを受けるのは1850年代の作品。昔の人が想いを込めて作ったものが好きです。時には文献を読んで研究し、結びつくイメージを出していきます」。

絵を描く時には瞬間的なアイデアを深く掘り下げる彼女。アイデアの源流には必ず理由があり、そこを突き詰めることで作品の輪郭が現れてくるという。

「人間が地球に存在する上で、どうすれば環境を崩さずに過ごせるかも伝えていきたい」。そんな気持ちでアートを昇華する彼女は、貝殻や植物で絵の具を作ったり、古いキャンバスを使ったりすることもある。

「化学とアートは違うようで似ていると思います。どちらも“実験”が基本にあって、その結果に何が起こるかが大切。少しでも人の心が安らぐものを描いていきたいと思っています」。


Photography 217
Text Akemi Kan
Edit Kana Mizoguchi(Mo-Green)

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連載「ぼくの東京」Vol.7 「変わりつつある東京と今」 東京で生まれ育った梶雄太が青春時代を過ごした町を再び歩く https://tokion.jp/2022/09/11/my-tokyo-vol7/ Sun, 11 Sep 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=140085 アーティスト等による思い思いの「東京」を紹介する連載。第7回はスタイリストやディレクターとして活躍する梶雄太が登場。

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ぼく・わたしにとっての「東京」を紹介する本連載。第7回は、文章でも独自の世界観で魅せる梶雄太。

東京の中心的スポットは変化し始めている

1998年からスタイリストとして活動を始め、ファッション誌や映画、広告等で活躍する梶雄太。2020年にはメンズブランド「サンセ サンセ(SANSE SANSE)」をディレクション。初の文章での作品展示「YUTAKAJI 203040」で作品を発表し話題を呼んだ。イベントを開催したのは武蔵小山にあるクリエイティブスペース「FLOAT」。ファッションの中心として盛り上がりを見せる渋谷や原宿ではない。都心から少し離れた場所でありながら、多くの業界人が訪れた。

「コロナの影響で会社に行く必要がなくなった人は多いと思う。すると渋谷とか原宿等の中心地に行く意味も変わってきた気がする。自分達が暮らす町の近くに新たな楽しみを見つけているのかもしれない。そんな意識の変化もあってか、最近は都心から離れた町にギャラリーやカフェ、古着屋等ができて盛り上がってきていますね」

彼が生まれたのは東京。幼少期から東急東横線沿いの学芸大学の町で暮らし始めた。多くの業界人も暮らすこの町は渋谷駅から各駅停車でわずか4駅。人気スポットとして連日多くの人が訪れる中目黒からもほど近い。

「僕が知っていた学芸大学は変化し、昔から通っていた飲食店や日用品店も軒並みなくなったりして、この町は新しく変貌を遂げているんだなと感じます。ずっとあたりまえと思っていたものが消えていく。その記憶を残しておきたい。東京はスピードも速く、その価値はたった10年でも大きく変わってしまうんじゃないかと思う」

たくさんの思い出がある商店街

取材当日は学芸大学の駅で待ち合わせ。夏の光がまぶしく輝くほどの快晴ながら、時折吹く心地よい風がふと忘れかけた記憶を思い出させてくれる。少し涼もうと思い向かったのは、梶にとって馴染み深い「やぶそば」という蕎麦屋だった。

「おいしく蕎麦が食べられる季節になったね。年越し蕎麦もよくここで買ってる。この後は商店街を抜けて、いろんな場所に立ち寄りながら目黒通りに行こうと思ってるけどどう? 碑文谷公園も好き。ポニーがいて、幼少の頃よく遊びに来てた。小学生の頃から1人で行ってた中華料理屋の東軒もうまいよ。あと、サンライズというステーキ屋もおすすめ。よく家族で行っていた。確か隣は八百屋だったんだよな」

まるで昨日のことのように次々と思い出を話す彼にとって、学芸大学はちょうどいい町だった。以前は好みの古着屋もあり、不足はなく、とにかく心地いい。今では以前2軒目に愛用していた居酒屋が20時には満席になるほどの人気店となった。

「生まれ育った人にしかわからない町の変化とでも言うのかな。歩くたびにこの町はすごく動いているって実感する」

この町の記憶を今残しておきたい

「僕にとってのシンボルはずっと変わらずこの電波塔。この周辺のいろんな場所から見えるんだよね。小さいけどエッフェル塔みたいな形じゃない?」

商店街を抜ける途中で彼はそう言った。

「あ、学芸大学に来たならマッターホーンにも行こうよ。クッキーの詰め合わせ好きなんだよね。お土産にもいいし」

次々と変化を遂げるこの町を淡々と見続ける駅の構内。その近くに古くからある書店「恭文堂書店」も彼のお気に入りだ。学生時代、ここで雑誌を読みファッションに興味を持った。多くの繋がりが生まれる東京ならではの縁で、スタイリストを目指した彼の原点でもある。

「今年の展示会で文章を書いているのも、この場所がきっかけだったかもしれないよね。本が好きだから、さまざまな町の本屋がなくなりつつあるのは寂しい」

さまざまな彼のストーリーを聞きながら歩く商店街の風景は、いつもと違って見える。目黒通りについた頃には、あのステーキハウス「リベラ」が抜群の存在感で迎えてくれた。

「やっぱりここは半端ないよね。ヤバい! そしてここの肉は最高においしい。東京1じゃないかと思う。こんな近くにアメリカがあったのか、と感動したよ」

なぜか都市伝説的にリベラはおいしくないと植え付けられてきた幼少期。何周もして、やっと30代後半に初めて訪れた場所だという。

さて、再び休憩がてら入った喫茶店でアイスコーヒーを頼む。カランカランと氷をかき回しながら、せっかくなら武蔵小山の「FLOAT」まで行こうという話になった。

「学芸大学で僕の骨組みはできたし、思い出もたくさんある。ただ、今はこういう風が吹いているのか、と実感している」

徒然なるままに歩いた梶の地元。気が付くと、空はあっという間に暗くなり始めていた。

梶雄太
スタイリストのみならず、文章に写真、映像制作等、自身の世界を自由に表現する姿にファンも多数。2020年にメンズブランド「サンセ サンセ(SANSE SANSE)」を立ち上げる。自ら綴るという商品説明にもオリジナリティーがあふれる。

Photography Yuta Kaji
Text Akemi Kan
Edit Kana Mizoguchi(Mo-Green)

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連載「ぼくの東京」vol.6 「カメラを片手に東京を旅する日々」 海外生活も長いE-WAXがその感性で東京を眺めるストーリー https://tokion.jp/2022/07/04/my-tokyo-vol6/ Mon, 04 Jul 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=122583 アーティスト等による思い思いの「東京」を紹介する連載。第6回は独自の視点で日常を切り取るアーティストのE-WAX。

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ぼく・わたしにとっての「東京」を紹介する本連載。第6回は、ロンドンやアメリカでも暮らしてきたE-WAXが東京で感じること。

東京を移動する間に生まれた写真というアート

「Major Force」の創設者であり、サウンドクリエーターのK.U.D.Oを父に持つE-WAXは、3歳から8年間をロンドンで過ごす。その後は日本に戻り、国内を転々とし、22歳で東京へ。「タカヒロミヤシタザソロイスト.(TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.)」(以下、「ソロイスト」)デザイナーの宮下貴裕との出会いがきっかけだ。

「東京へ出てくる前は母の実家である岡山で暮らしていたんですけど、そこで絵を描いていて。作品がたまってきたので誰かに見せたいと思った時、父に相談したら、宮下さんを紹介してくれました。周りで一番写真やアートに詳しい人だからと。『ソロイスト』というブランドをやっている方です。早速作品を持って南青山にある彼の事務所へ行きました。とにかくかっこいい人、そんな印象が強く残っています」。

E-WAXの作品を気に入った宮下との縁があり、22歳から4年ほど彼のショップで働くことに。土地勘もなかったため、不動産屋にすすめられるまま、なんとなく羽根木公園の近くで暮らし始める。そこから青山にあるショップへ自転車で通勤する日々。通勤の間に、自分の感性に響いたものを写真に撮る。そのルーティンがいつの間にかあたりまえになっていた。

「自分のセンサーに反応したものは撮るようにしています。人もモノも。テーマは特に決めているわけではないんです」。

ニューヨーク暮らしで感度はさらに深いものに

取材当日、夏のように暑い東京でE-WAXが最初に暮らし始めた羽根木公園から出発。自転車に乗り、以前働いていた青山のソロイストまでの通勤経路を巡った。雨の日も自転車で通っていたという道のりは4年間ほぼ変わらず。しかし、そこにある風景は日々変化する。代田橋を通って、代々木公園を抜けていく途中で彼は何度もシャッターを切った。信号待ちしていた紳士を交差点でのすれ違いざまにパシャリ。写っているのかどうかもわからないタイミングだ。すぐにカメラをチェックした彼は「よっし、写ってた!」と笑顔を見せる。そこにはとてもおしゃれなネクタイをした紳士の姿があった。

「全部出会いなんで。毎日撮れるものでもなく、ゼロの時ももちろんあるんですよ。でも、できる限り自分の見ている東京をSNSなどで発信していくうちに、周りの知り合いにおもしろいねと言われるようになって。そこからファッションの写真を撮影する仕事も振ってもらえるようになり、今がある感じですね」。

そのうちに、何かを成し遂げたいという気持ちが芽生え、27歳で単身ニューヨークへと向かったE-WAX。

「自分のスタイルを切り開きたいと思い、もっと追求し始めたのはニューヨークに行ってからです。今振り返るとライバルは多かった。結果を出して生きている人ばかりなので。住む世界が違うなと思いながらも負けたくないという気持ちもあった。以前から撮りたいものは変わってないんですが、ニューヨークから帰ってきて、明らかにそのセンサーの感度が高くなったと感じています」。

東京に、日本に恩返しがしたい

「写真を仕事にできているのはもちろん嬉しいですけど、それ以上に日本の写真の風潮に思うことも結構あって。それを変えていきたいという気持ちがあります。もっと頑張らなきゃいけない。今はその気持ちの方が大きいですね」。

現在は自身が撮影した写真をタブロイド紙にし、2号目も発表したE-WAX。依頼を受ければ、自ら自転車で新聞配達をするという独自のスタイル。

「気に入ったページだけ破いて飾れるようになっています。新聞の号外ってありますが、いつ作ってるんだっていうくらい究極のスピード。そんな感覚っておもしろいなと思うんです。入場料払って写真を見るとか、何万円も払って写真集を買うとかじゃなく、自分なりの方法で発信をしていきたいです」。

誰もが見たことがあるだろう日常を印象的に切り取る。その視点は写真を始めた頃からブレてない。だから、4年間通った通勤路で撮影した写真も、今日撮影した写真も同じ時代のように感じさせる。

「誰かを待つ立ち姿とか、足の組み方とか、時代が止まったようなファッションをしている人を思わず撮影してしまうことが多いかも」と語る通り、E-WAXの視点で見る東京はどこかノスタルジックでとてもリアルだ。

E-WAX
フォトグラファー&ペインター。サウンドクリエイターのK.U.D.Oを父に持ち、3歳から8年間ロンドンで暮らす。22歳で上京し、「ソロイスト」のショップマネージャーを勤め、その時に写真とも出会う。27歳からはニューヨークへ。本格的にアーティスト活動を始め、帰国。現在は東京を拠点に活躍中。

Photography E-WAX
Text Akemi Kan
Edit Kana Mizoguchi(Mo-Green)

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連載「ぼくの東京」vol.5 「人生の節目に関係する街」 国内外で活躍する注目のダンサー・アオイヤマダが思い出の詰まった東京駅を歩く https://tokion.jp/2022/04/25/my-tokyo-vol5/ Mon, 25 Apr 2022 05:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=110060 アーティスト等による思い思いの「東京」を紹介する連載。第5回は世界を魅了するパフォーマンスで知られるダンサーのアオイヤマダ。

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ぼく・わたしにとっての「東京」を紹介する本連載。第5回は、アオイヤマダが15歳で初めて足を踏み入れて衝撃を受けたという東京駅を再び歩く。

多くのカルチャーが交差する場所

特定のジャンルにこだわらず、ファッションやメイクも含めて独自の世界観を発信しているダンサーのアオイヤマダ。生まれは長野県で、15歳の時に上京した。そして母と初めて訪れた東京駅に大きな衝撃を受けたという。

「実は長野の実家から電車で東京に出てくる時は、東京駅ではなく、新宿駅に着くんです。だから東京駅はあまり縁がなかった存在なのですが、せっかく母も遊びに来るから東京駅を見に行こうという話になって。初めて見た時に『なんか、すごい』と思いました。無機質なビルの中にヨーロッパというか異国のような建物が大きくドーンとあって、そこにスーツを着た人や外国の人や地方の人がたくさん行き交っている。いろんなものが交差する場所なんだなって思いましたね」。

現在22歳になるアオイヤマダは、ダンサーとして活動する中、大きな仕事のオーディションやムービー撮影などで東京駅の近くに来ることも多かった。そして結婚した夫は、この駅を使って今も毎日通勤している。

「初めて東京に来た時は遠い存在だったのに、実は人生のいろんな節目で関係しているなと思ったんです。15歳で見た東京駅と、今ここに立っている自分が見た東京駅とは全然違う。この場所で大人の階段を上ってきたような気がします」。

東京に変えてもらうのではなく、自分が変える

「15歳の時は東京という存在に頼っていたと思います。東京に行けば何か新しいものが見えるだろうと思っていた。でも実際に住んで、いろいろとやってきた中で、そうではなく、自分がいろんな所に足を延ばしたり、いろんなものを見たりするのが結局は大事なんだと気づきました。東京に変えてもらうのではなく、東京自体を変えられるのも自分。そういう気持ちに変わったのは大きいですね」。

最近はレオタードでパフォーマンスを多く行っているアオイヤマダ。そこにはボディラインを出すこと自体が表現の1つという考えもある。SNSなどの登場で人の目に多く触れられる時代、ボディラインをコンプレックスにして隠す人も多いかもしれない。でも、ありのままの自分をどれだけ笑いに持っていけるかで、誰かの心を救えるのかもしれない。このパフォーマンスにはそんな想いもあるのだ。

「東京では、ジェンダーレスだったり、ドラァグクイーンの方だったり、いろんな文化や多様な人間性に出会ってきて、世界は広いし、人それぞれに個性があって、どういう輝き方をするのかは本当にわからないなと思いました。今までは自分のことで精一杯だったけれど、単純に自分が出て満足して、注目されて拍手をもらえることが本当に自分のやりたいことではない。以前、『アオイヤマダちゃんのパフォーマンスを見ていたら浄化された』という感想をいただきました。それを聞いて、私はアオイヤマダという入れ物を使って、誰かが何かを発散できる時間を届けたい。そのために踊り続けたいと思います」。

東京に、日本に恩返しがしたい

最近では音楽制作にも力を入れている彼女は、音楽と言葉、そしてレオタードとダンスを使って、新しい表現をしていきたいと意気込みを見せる。多彩な表現方法もきっと東京にいたから知ることができること。東京にはいろんな文化があるからこそ、そこに多くの人が集まってくるのだ。

「今までは東京を見上げてきた感覚の方が強かった。この場所で学び、何かを得ている。そんな気持ちでしたね。でも今は見下ろすっていう表現は少し変ですが、この東京にも自分が何かを持ってこれるような気がしている。もっともっと大きくなって、東京に、日本に恩返しできる人になりたい」。

たくさんのインスピレーションを得るためには多くの人に出会うことが大事だ。もしあのまま地元にいれば、外出してもきっと知り合いしかいない。日常の暮らしの中で、吸収できることが無限にある東京はやはり特殊な場所。だからこそ魅力的で、彼女の才能をどんどん引き出す。何気なく通り過ぎる東京駅の存在が、この日は一層眩しく見えた。

アオイヤマダ
ダンサー。自らを表現者と名乗る彼女はダンスのジャンルやパフォーマンス形式にとらわれず、独自の世界観を発信。人気アーティストのMVに出演することで、一躍脚光を浴びることになった彼女は、東京2020オリンピックの閉会式では独創的なパフォーマンスを披露し、世界を魅了した。今後の活躍が期待される注目の人物だ。

Photography Yusuke Abe
Text Akemi Kan
Edit Kana Mizoguchi(Mo-Green)
Cooperation  (marunouchi)HOUSE

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連載「ぼくの東京」vol.4 「私の原点」 多彩なシーンで活躍するアーティスト・堀内結が自身をかたちづくる「古き良き街」を歩く https://tokion.jp/2022/03/08/my-tokyo-vol4/ Tue, 08 Mar 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=100519 アーティストやクリエイター達が、思い思いの「東京」を紹介する連載。第4回は国内外で幅広く活動するアーティスト・堀内結。

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ぼく・わたしにとっての「東京」を紹介する本連載。第4回は、豪徳寺を拠点とする堀内結と、彼女のライフスタイルの一部ともいえる大切な散歩道を巡る。

「東京」は小さな日本の一部

世田谷区・豪徳寺で生まれ、2歳の時に家族でアメリカに移住した堀内結。ワシントンD.C.で4年を過ごした後に東京へ戻り、大学を卒業する22歳の時に再び豪徳寺の町で暮らし始めた。たくさんの公園、きれいに整備された緑道等、自然あふれるこのエリアには、彼女が好きな散歩コースがたくさんある。

「1日5000歩以上歩かないとなんだか調子が悪いんです。天気さえ良ければ毎日散歩をしていますね。それはどこの国に暮らしていても変わらない。先日サンフランシスコを訪れた時も、やっぱり散歩をしている自分がいました」。

アーティストとしてさまざまなイラストを描く堀内だが、植物をモチーフとした作品も多い。日々の日課である散歩が、彼女にとってクリエイティヴのインスピレーションをもたらしているのだ。一度散歩に出掛けると、気がつくと時間を忘れて1時間以上も歩いているという。

「景色を見ながら歩くのが好きです。季節ごとに自然が見せてくれる世界は全然違う。『この花はなんだろう?』と気になったことをいちいち調べたりする時間も楽しいんですよね。新しいお店を発見した時はもちろん嬉しいし、昔ながらの趣きを残している老舗で買い物する時間も愛おしい。仕事柄自宅で作業することが多いのですが、ちょっと外に出てみるだけでいろんな発見があって! 私にとって散歩は大切なリフレッシュ方法なんです。海外の人から見たら、秋葉原や渋谷みたいな街が東京らしいのかもしれないけれど、私にとっては人々のあたりまえの暮らしが息づくこの豪徳寺という町が一番東京らしい。もしかしたら生まれた時から見ている風景だからなのかもしれないですね」。

長く住んでいるからこそ気付くリアルがある

海外の友人も多い堀内は、東京を訪れる外国人の友人を彼女ならではの独特な視点でガイドするという。

「日本でもそうですが、海外では日本料理屋に行くと招き猫が置いてあることが多いんです。実は豪徳寺は招き猫の発祥の地とも言われている場所。だから、とりあえず東京へ遊びに来た友人には『豪徳寺で会おう』と言うことにしています。当然みんな『豪徳寺って何?』となるのですが、この場所で会って、『みんなこの猫の置き物、見たことあるでしょう?』なんて言いながら豪徳寺のストーリーを伝えて、最後は我が家に招いてご飯を食べるのが東京ガイドのルーティン。外国人には馴染みのないめちゃくちゃローカルな場所ですが、渋谷からはバス1本で来られるし意外と便利。何よりガイドブックには載らない、パーソナルで特別な体験をしてもらいたいんです。もしかしたら私が彼らの友人である意味も、そんなところにあるのかもしれないなって思うんですよね」。

長く海外で生活していた堀内は、幼い頃、現地のホームパーティに呼ばれることがとても嬉しかったという。だからこそ、もし日本に友人が来たら、あの時の自分と同じような経験をしてもらいたくて実家に招くのだという。東京タワーに六本木、都庁に浅草、東京らしい場所は他にもたくさんあるけれど、日本のあたりまえの日常を感じられる機会はそうそうない。派手さはないかもしれないけれど、そこには間違いなく東京のリアルな生活がある。

「近くには大好きな銭湯もあるんです。小さいけれどちゃんと露天風呂もあって。そこにも友人を必ず連れて行きます。小田急線が走るガタゴトという音を聞きながら、お風呂に浸かってぼんやりと時間を過ごす。そんな時、しみじみ幸せだなって思うんですよね」

美しいものはそう簡単に変わらない

彼女とは豪徳寺駅で待ち合わせをして、羽根木公園やお気に入りだというコーヒーショップ、近ごろ気になっている雑貨屋を一緒に歩いて回った。散歩の途中で、何度か富士山が話題に上った。

「羽根木公園にある富士見ポイントはわざわざ立ち寄る場所の1つ。春には正面に梅園が広がり、遠くに富士山が見えるんです。他にも、世田谷代田まで歩けば富士見橋がある。そこからも大きく富士山が見えて。あとは富士見356公園の芝生に座って、富士山を眺めながら友達や母とご飯を食べることもあります。小田急線沿線は、富士山が見えるスポットがたくさんあって、線路沿いをずっと歩いているだけで意外な富士見スポットに出会えるんです。ここからだと富士山が夕日の沈む方向に見えるから、そんな時に見えるシルエットは本当に美しいんですよね」

アメリカでの暮らしを終えた後、1年ほど静岡に住んでいたという堀内。のどかな田舎町で、日々ミカン畑でかくれんぼをして遊び回るようなほっこりした生活を送っていたが、その頃の記憶といえば「富士山を見ていたこと」ばかりなのだという。

「日本人だからなのかもしれないけれど、やっぱり富士山を見ると嬉しくなるんです。清々しい気持ちになりますよね、すべてを忘れてしまうような……」。

豪徳寺に生まれ、文化の全く違うアメリカで暮らし、静岡での軽やかな生活を経て、今また生まれた場所に戻って自分だけのクリエイティヴを模索し続けている彼女にとって、どれほど遠くからでもその美しい姿を見せてくれる富士山の存在は、あらゆる意味での「ルーツ」であり、「帰るべき風景」なのかもしれない。目の前の風景や人々の価値観がどれだけめまぐるしく変化したとしても、彼女にとって「美しい東京」と思えるものは何ひとつ変わらないのだ。これまでも、そして、おそらくこの先もずっと。

堀内結
東京を拠点に活動するアーティスト。幼少期をワシントンD.C.で過ごし、現在は雑誌のイラストや大型作品まで幅広く手掛ける。2015年に発表した「FROM BEHIND」は代表作。自然の中にある女性の後ろ姿を水彩画で描いた。自然に存在する美や豊かな色彩を主題にする彼女の作品は海外でも評価されている。

Photography Yui Horiuchi
Text Akemi Kan
Edit Kana Mizoguchi(Mo-Green)

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連載「ぼくの東京」vol.3 「私を繋げてくれた場所へ」 フードディレクターKAORUを飛躍させてくれた町を歩く https://tokion.jp/2021/11/23/my-tokyo-vol3/ Tue, 23 Nov 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=67430 アーティスト等による思い思いの「東京」を紹介する連載。第3回はフードディレクターのKAORU。

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ぼく・わたしにとっての「東京」を紹介する本連載。第3回は、吉祥寺で生まれ、幼少期をアメリカで過ごしたKAORUと活動の1つの原点ともいえるコーヒーショップを訪れる。

「東京」という存在を感じることがなかった青春期

心地よい秋の風を感じる朝、渋谷・道玄坂にKAORUは現れた。渋谷といえば、古くからファッションやカルチャーの発信基地であり、おしゃれな人が多く集う場所。以前OLだったKAORUには、ずいぶんと遠い存在だった。

「東京生まれといっても吉祥寺育ちなので、最近まで都心に来ることはあまりなかったですね。厳しい家庭だったので、大学時代でも門限は19時。学生時代にバイトをすることもなかったので、10代に東京の町で遊んだという記憶がないです。吉祥寺という町が自分にとってのホームだったので、『今、自分は東京にいる』と実感したことは正直なかったかな」

幼稚園の時、家族の都合でアメリカに移り住み、4年半を過ごした。小学校3年の時に日本へ戻ってきたが、生活や文化の違いに違和感を感じた。いわゆる“東京”を訪れても、まるで他人事のように景色を見ているような感覚。アメリカ暮らしを経験したKAORUの10代は、どこかふわふわとしていた。

「中学生の時に初めて原宿に遊びに行きました。ちょっと気合いを入れて行く場所というか、何か理由がないと行ってはいけない場所。私にとって原宿も渋谷もそんなイメージでした」

突然の転機と新たな一歩の始まり

そんな気持ちのまま学生時代を終え、大企業に就職したKAORU。OLとして順調に働いていたが、ある日大きな病気を患ってしまった。半年ほど自宅療養を続ける日々のなか、これからの自分について考えてみた。

「回復後は再び会社に戻ることもできたんです。でも、これは本当に自分がやりたいことなのだろうかと考えて。病が発覚した当初は命の危険もあったので、幸いにも助かった私は、もしかしたら生き直す機会を頂いたのかもしれないと。それなら好きなことを命いっぱいやろうと思って。最初はごく自然に、ずっと好きだった食に関する仕事を始めたんです」

現在の仕事を始めたのは6年ほど前。幼少期から食に関することが大好きだった彼女は、自宅療養の期間に頻繁に料理を作って友人をもてなしていた。毎回季節や会う相手に合わせたテーマで料理と空間作りをし、セッティングされたテーブルは不思議な世界観で、多くの来客に好評だった。

「料理専用のフェイスブックページを作って写真を投稿し始めたら、それを見た編集の方が『フードスタイリストをやってみない?』と声をかけてくれて。突然新しい人生が始まりました。当時の私はその仕事すら知らなかったんです」

コロナ前は年に2回ほどニューヨークを訪れていたKOARU。毎朝いろんなコーヒーショップを訪れて、現地の空気を感じるのが好きだった。ある時、兄と訪れたソーホーの有名コーヒー店「cafe integral」を兄がSNSで投稿したところ、彼の友人がそこのオーナーと友達だから挨拶しておいて、とメッセージをくれて、それをきっかけにオーナーとすぐに仲よくなった。その方が当時働いていたのが渋谷・道玄坂にある「ABOUT LIFE COFFEE BREWERS」だ。

「彼のおかげで現地のコーヒーショップの人とも仲良くなれました。そのお礼を伝えるためにコーヒーショップを訪れた時、『この店で個展をやるといいよ』と声をかけていただいて……」

食に関する仕事を始めてからも、東京にはあまり馴染みのなかったKAORU。日本で多くの時間を過ごすのは変わらず吉祥寺で、都心に来ることも少なかった。そんな彼女にとって、初めて個展をした「ABOUT LIFE COFFEE BREWERS」は、多くの人との繋がりが生まれた場所。初めて他のアーティストや作家などと接することができたという。

「比較的フレンドリーなタイプだとは思うんですが、何かモノづくりをしている方に気軽に声をかけていいとまでは思えてなくて。でも、この場所で個展をさせていただいたことで、人と繋がることが楽しいという気持ちになりました。東京を歩いていればどこかに知り合いがいる。そんな気持ちにもなれたんです。東京が私にとって、関係のある場所になった瞬間ですね」

東京と繋がる。そのおもしろさを知り、これからの未来に想いを馳せる

OL時代には、特別な場所だと思っていた表参道も、食器のリースや食材の買出しで訪れることが増えた。何度も信号待ちをした表参道の交差点に立つと、さまざまな想いが駆け巡る。

「以前は『ああ表参道か』と思ってました。目的がないと来ることはない場所だったし、おしゃれな人が多い町で、みんなどんな仕事をしている人なのかも想像できなかった。でも今は、目にする広告が友人が関わっているものだったり、平日にカフェで打ち合わせしている人の感覚がわかったり。表参道が自分にとって関係のある場所で、仕事の通過点になっている。ここに立つとそれを実感するんです」

コンスタントに訪れていたニューヨークでは、フードスタイリストの仕事をすることもあった。クリエイターの集まりに参加し、いろんな人とフラットに交流を楽しんでいた。世界中の人が集まるこの場所では常に情報が更新し、次々と新しい風が入ってくる。そのフレキシブルな感じが心地よく、いろんなことが積極的にできた。しかし東京に戻ってくるとそれができなかった。

「自分の中で勝手な先入観があるんだと思うんです。またここに来るかもしれないから下手なことはできないとか、知り合いの知り合いだしとか。いろんなことを考えてしまって、思い切った行動ができませんでした。でも今はニューヨークに行けなくなってしまった。やっとこの1、2年で『東京でも自分らしくやろう』という気持ちで動けるようになりましたね」

多くの人が行き交う交差点の前で、KAORUは振り返り笑顔を見せた。

「まだ親しみやすいとまではいってないけど、何かを一緒にやりたいと思える人がいる。東京がそんな町になりました。渋谷での展示がなかったら、モノを作って誰かと繋がったり、誰かとモノを作る楽しみを知らなかったかもしれないですね」

KAORU
CM、広告、雑誌のフードディレクションとスタイリング、企業や飲食店のレシピ考案他、ファッションブランドとのコラボレーション、「The fashion post」での連載など幅広く活躍するフードディレクター。 写真の上に直接食べ物や料理を乗せ、再度撮影する作品シリーズ“Food On A Photograph”が業界内外から評価され、2018年、2019年には東京とニューヨークの2都市で展示を開催。食材の魅力を引き出す表現を得意とする。

Photography Shiori Ikeno
Text Akemi Kan
Edit Kana Mizoguchi(Mo-Green)

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連載「ぼくの東京」vol.2 「僕を導いてくれたあの場所へ」 アートディレクター吉田昌平が青春を過ごした場所を歩く https://tokion.jp/2021/09/13/my-tokyo-vol2/ Mon, 13 Sep 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=56770 アーティスト等による思い思いの「東京」を紹介する連載。第2回はアートディレクターの吉田昌平。

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ぼく・わたしにとっての「東京」を紹介する本連載。第2回は、広島で生まれ育ち上京したアートディレクター吉田昌平と、現在の彼を作った思い出の地を巡る。

初めて暮らした街が「東京」だと思っていた

美しい青空が広がる夏の日、吉田昌平はリラックスした様子でこの地に訪れた。広島県生まれの彼は、グラフィックデザインを学ぶために20歳で上京。渋谷にある桑沢デザイン研究所へ通うために、最初に住んだ川崎市高津のアパートの前でクスッと笑う。

「ここ、東京じゃないですよね(笑)。20歳で初めて東京に足を踏み入れた当時の僕はそんなこと知らなくて。田園都市線を使って1本で渋谷へ行けるから便利だな、なんて。あとになって『あ、ここって神奈川県じゃん』って気付いたけれど、地元へ帰るたびに『東京に住んでる』って、友達にはごまかしていました」

吉田にとっては、簡単に渋谷へアクセスできるこの場所は東京と変わらないのだ。県境を越えたからといって急にカルチャーや人が変わるわけでもなく、ましてや陸続き。のどかな光景が広がるこの街を気に入っていたのだ。

「地方から来た人間にはよくある話かもしれませんが、神奈川も埼玉も千葉も、東京近郊はすべて、僕にとっては東京だったんです」

バイトをしながら桑沢デザイン研究所の夜間へ通う2年間は、高津のこのワンルームマンションで暮らした。「以呂波館」という変わった名前。窓から桜が見える部屋に、友達と同居したこともあった。

「お酒を飲んでいろいろ話したり、一緒に作品を作ったり。夢のために上京したこの場所で、毎日わくわくしながら生活していたのを覚えてます。引っ越す時には同居してた友達とマンション前で写真も撮りました」

東京へ来てもう16年。まだ残っているとは想像していなかった当時のアパートを前に、上京したての気持ちを静かに思い出したという。東京は夢が叶う場所。何かやってやろう! と強い意志を持っていた若き自分。吉田にとってはここが間違いなく「東京」スタートの場所だったのだ。

強い衝撃を受けたDIC川村記念美術館を再び訪れる

「東京らしさってなんだろう、と考えるとやっぱりわからなくて。それでも、上京した僕の思い出に強く残っているのは、この2箇所なんです」と、次に訪れたのはこれもまた「東京都」ではなく千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館だった。「これが東京クオリティなのか!」とクリエイターを目指す者として大きな衝撃を受けた美術館だ。

抽象表現主義を代表するアメリカの画家マーク・ロスコ。彼の作品のみで構成された空間は、世界にたった4箇所しかない。その1つがこのDIC川村記念美術館で、学生の時に初めて訪れたのだという。

「ロスコルームの空間と少し薄暗い光と大きな絵。見た瞬間にのみ込まれるようでした。絵にあそこまで圧倒されたのが初めての体験だったので、今でも強く印象に残っています。当時はあまり美術に詳しくなかったのですが、とにかくここでの体験が僕の中に今でも強い影響を残しています。ロバート・ライマン、フランク・ステラ、イブ・クライン、バーネット・ニューマンなど、好きな作家にたくさん出会えました。僕が「ああいいな」と心から感じることができた最初の美術館です」

美術館を訪れたあとは、友達と佐倉駅にある「餃子の王将」で食事をするのが当時のルーティーン。餃子の王将を初めて見たのが東京だったという吉田にとって、この店も「ザ・東京」である。注文するのは決まって餃子定食。熱々の餃子をつまみながら、友達とビール片手に語り合う時間は最高だった。

「こちらの美術館を初めて訪れてから15年経ちましたが、今も変わらず素敵な場所ですね。ここの池にはいつも白鳥がいて、当時その卵を見つけた日のことも、なぜか印象に残っています。どうしてでしょうね…? 今日はさすがに見つからなかったですね」

この取材日にはこの美術館に長く勤める広報の方にロスコルームの成り立ちや、空間作りに関するさまざまな工夫を聞くこともできた。若き吉田が訪れた当時のことをよく知る人と、あの頃の感動を共有できるのは嬉しい。ミーンミーンと、たくさんのセミが鳴いている大きな美術館の庭を、吉田は少年のような笑みを浮かべて歩いた。

夢の叶う場所。東京はやっぱり想像通りだった

東京でデザイン事務所を持ちたい。上京時からそう思っていた吉田だが、夢をかなえ、千駄ヶ谷に自身の事務所を構えて早6年経った。自宅よりも長い時間を過ごすこの場所は、今の彼にとってとても大切な居場所だ。週末は意外と静かで、何よりも多くの人が気軽に打ち合わせに訪れてくれる。この地でたくさんの人との出会いを繰り返しながら、吉田の夢はどんどん実現し続けている。

「僕にとって東京の印象は学生の頃とあまり変わらなくて。いつもいろいろな人と出会えて、いろんなものを見ることができ、体験できる場所。『何か楽しいことが起こるんじゃないか』とわくわくしてしまう場所です。思い出の場所はたくさんありますが、自分にとっての『東京』と聞かれると『東京都』という場所性よりも、もっと大きなくくりになってしまいます。僕にとっての東京というのは、場所ではなく、気持ちとか感情なんだと思います」

“東京”と呼ばれる場所へと向かう電車を待つ帰り道、吉田はふと空を見上げた。「僕はまだまだ東京で暮らしていたい。そして、今の仕事を続けていけたらうれしいですね」。

吉田昌平
1985年生まれ。広島県出身。桑沢デザイン研究所卒業後、デザイン事務所の株式会社ナカムラグラフを経て、2016年に「白い立体」として独立。雑誌・書籍のデザインや展覧会ビジュアルのアートディレクションなどを中心に活動。その他、アーティストとして紙や本を主な素材としたコラージュ作品を数多く制作発表する。作品集に『KASABUTA』(WALL/2013年)、『Shinjuku(Collage)』(numabooks /2017年)がある。

Photography Eri Kawamura
Text Akemi Kan
Edit Kana Mizoguchi(Mo-Green)

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連載「ぼくの東京」vol.1 「ぼくに繋がる道を散歩したい」 フォトグラファー平野太呂が母の生まれた街を歩く https://tokion.jp/2021/07/19/my-tokyo-vol1/ Mon, 19 Jul 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=42524 アーティスト等による思い思いの「東京」を紹介する連載。第1回はフォトグラファー平野太呂が登場。

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ぼく・わたしにとっての「東京」を紹介する本連載。第1回は、東京で生まれ育ったフォトグラファー平野太呂と、彼のルーツである神田須田町をたどる。

母親が生まれた街、神田須田町

どんな人が訪れ、どんな人が行き交う街なのだろう。

ずっと前からそこにいたような佇まいですっと待ち合わせ場所に現れた平野太呂は、木陰に腰を下ろし、まずはしばらく街を観察しはじめた。老舗のそば屋「神田まつや」前、11時頃だ。店の中から2人の女性が出てきて、入り口の暖簾を設置する。ちょうど開店時間だから、きっと毎日お決まりの風景なのだろう。この店はとてもおもしろい造りで、客が入る入り口と出口が別々に分かれている。当然、暖簾も2枚。だから「勝手がわからず初めて来るお客さんが混乱してしまうんだよね」。

いったいどっちが入り口なのか? 正解は「入り口が右、出口が左」だ。また誰かが左から入ろうとして、お姉さんから注意を受けている。

「そりゃあわからないよね」

平野にとっては見慣れた光景。こんな風に入り口が2つある建物は、昔はよくあったという。お客さんのスムーズな出入りを考えて設計されたはずのそのスタイルに、初めて訪れる人は誰もが迷ってしまうらしい。

平野の母親がここ神田須田町で生まれたのは、終戦の年、1945年の4月だった。東京大空襲が起きていた時に臨月を迎えていた祖母の大きなおなかの中に、母親がいた。うそか本当かはわからないけれど、母親から「このあたりの防空壕で生まれたのよ」と聞いていたという。いったいどの辺りだったのだろうか。今ではすっかり高いビル群に囲まれた神田須田町付近は、奇跡的に空襲をまぬがれたといわれている。だから路地に一歩足を踏み入れると、昭和の時代にタイムスリップしたような古い建物が今も数多く残っているのだ。この街で育った平野の母親の家はどこにあって、毎日この辺りをどんな風に駆け回っていたのだろうか。

「母親がどんな幼少期を過ごしたのかちゃんと聞いたことがないんだ」なるほど、だから当然母親が生まれ育った家がどこにあるかも全然知らないわけだ。

「勝手な解釈なんだけど、きっと母親はその頃のことを話したくないんだろうって思っていた。今になってみれば、どうして僕がそう感じたのかも覚えていないけれど」ずっとそう感じていた平野は、わざわざ自分から母親の小さな頃の話を聞くこともなかったのだという。

そば屋の看板を見つめ、かつての街のにぎわいに思いを馳せる

名店と呼ばれる店が点在するこの街の中で、五差路の中心にあるのが、黄色い看板の「六文そば」だ。平野がずっと気になっている店だが、まだ入ったことがないという。この近所には「神田まつや」や「藪蕎麦」があるし、それ以外にもたくさんのそば屋がある。この付近はそば屋の激戦区なのだ。でも立ち食いそば屋好きの平野さんとしては「六文そば」が一番気になっている。「なんたってこの看板がたまらないよね」うれしそうに話す平野だったが、結局のところ、今日も少しだけ店をのぞいてみるだけなのだった。「値段にビックリするね。たいていのメニューは400円もあれば食べられるんだから。魅力的だよ」。

奥のカウンターのショーケースの中は入り口からはよく見えなかった。そこに並んでいるのが一品メニューなのか、そばのトッピングなのかをずっと気にしながら平野は「今度は常連のような振る舞いで店に入ってみる」と呟く。

五差路から少し離れたところに移動して、改めて街を眺める。あっちから、こっちからと、昔はたくさんの商人達が行き交っていたはずの通りだ。さらに先に進むと、あんこう鍋の「いせ源」、鳥すき焼きの「ぼたん」、甘味店の「竹むら」などが並んでいる。いずれも「都選定歴史的建造物」に認定されている印象的な建物ばかりだ。平野さんは、街そのものの散策を目的に訪れる人でもない限りまず足を止めたり、目を向けたりしないような看板や入り口の造りに注目する。

「この看板はずっと昔から使い続けてきたものかなあ。なんだか藪蕎麦もきれいになっちゃったね。小説家で美食家の池波正太郎はよくまつやに来ていたみたいだし、彼はきっとこの通りをてくてくと歩いてここらの名店をはしごしていたのかもしれないね」と勝手に想像を膨らませるのだった。

看板に「秋口まで休業」と書いてある店が多い。いつもならもっと情緒があるはずの街の風景が今日は少しだけつまらなそうに見えるのは、コロナ禍の影響があるからかもしれない。もうしばらくの間、また人の活気が戻る時を街が静かに待っているようだった。

今の自分につながる街を歩くということ

トントントントン……。

なんの音? 太鼓? 機織り?

 音に引き寄せられるように入っていった路地には、小さな寄席があった。「神田連雀亭」というらしい。

「お、ちょうど始まる時間だよ。ちょっと入ってみるかな」

30分ワンコイン(500円)で楽しめるというその寄席にそそくさと入っていく平野。お客さんのほとんどは、この街に住んでいるおじいさんやおばあさんのようだ。特に女性が多く、その小さな空間はなんとなく温かいムードに満ちていて「みんなの憩いの場」という雰囲気だ。最初の演目は「父親をどう弔うか」というテーマで、父親が自ら「自分をどう弔ってくれるのか」と3人の息子達に問うという噺だった。平野は最近、父を亡くしていた。

「噺を聞きながら、ぼく自身が父をどんなふうに弔うことができただろうって思った。後悔しているのは、もっと父の話を聞いておけば良ったということ。いや、もしかしたらけっこう聞けていたのかな? ちょうどそんなことを考えていた時に、この企画の話があったんだよ。それなら改めてぼく自身のルーツを知りたいと思った。なぜか父じゃなく、母のことが頭に浮かんだんだよね。そうだ、母が育った神田須田町を歩いてみようかなって」

今日久々にこの街を歩いてみたという平野に「この街が好きですか?」と改めて尋ねてみた。

「ビルだらけだし、緑はないし、特別に好きな場所ってわけじゃないかもしれない。それでも、たくさんの人が当たり前のように行き交うこの古い街をいつもよりゆっくり歩いてみたら、どんな小さな街でも誰かにとってのルーツだったり、思い出の場所だったりするんだなあってなんだか感慨深かった。今日こうして改めて、今の自分につながっているはずの街を歩いてみて良かったなと。住んだことも、ゆっくりと過ごした記憶もないけれど、ぼくの祖父母は確かにここで暮らし、母はここで生まれ育ったんだなあって改めて感じたよ」

最後に平野は小さく呟いた。

「母は絶対に嫌がるに違いないけど、今度は母と2人でこの街を歩いてみたいと思う。そして僕がずっと聞きたかったことを、あれこれ聞いてみることにする。『かあさんはどんな子どもだったの?』って」

平野太呂
1973年生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒。2000年からフリーランスとして活動を開始。スケートボードカルチャーを基盤にしながらも、カルチャー誌やファッション誌、広告などで活動。2004年〜2019年までオルタナティヴスペース「NO.12 GALLERY」を主宰。多くのインディペンデントな作家達が展示を行った。主な著書に『POOL』(リトルモア)『ばらばら』(星野源と共著/リトルモア)『東京の仕事場』(マガジンハウス)『ボクと先輩』(晶文社)『Los Angeles Car Club』(私家版)『The Kings』(ELVIS PRESS)『I HAVEN’T SEEN HIM』(Sign)がある。

Photography Taro Hirano
Edit & Text Kana Mizoguchi(mo-green)

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