ぼく・わたしにとっての「東京」を紹介する本連載。第2回は、広島で生まれ育ち上京したアートディレクター吉田昌平と、現在の彼を作った思い出の地を巡る。
初めて暮らした街が「東京」だと思っていた
美しい青空が広がる夏の日、吉田昌平はリラックスした様子でこの地に訪れた。広島県生まれの彼は、グラフィックデザインを学ぶために20歳で上京。渋谷にある桑沢デザイン研究所へ通うために、最初に住んだ川崎市高津のアパートの前でクスッと笑う。
「ここ、東京じゃないですよね(笑)。20歳で初めて東京に足を踏み入れた当時の僕はそんなこと知らなくて。田園都市線を使って1本で渋谷へ行けるから便利だな、なんて。あとになって『あ、ここって神奈川県じゃん』って気付いたけれど、地元へ帰るたびに『東京に住んでる』って、友達にはごまかしていました」
吉田にとっては、簡単に渋谷へアクセスできるこの場所は東京と変わらないのだ。県境を越えたからといって急にカルチャーや人が変わるわけでもなく、ましてや陸続き。のどかな光景が広がるこの街を気に入っていたのだ。
「地方から来た人間にはよくある話かもしれませんが、神奈川も埼玉も千葉も、東京近郊はすべて、僕にとっては東京だったんです」
バイトをしながら桑沢デザイン研究所の夜間へ通う2年間は、高津のこのワンルームマンションで暮らした。「以呂波館」という変わった名前。窓から桜が見える部屋に、友達と同居したこともあった。
「お酒を飲んでいろいろ話したり、一緒に作品を作ったり。夢のために上京したこの場所で、毎日わくわくしながら生活していたのを覚えてます。引っ越す時には同居してた友達とマンション前で写真も撮りました」
東京へ来てもう16年。まだ残っているとは想像していなかった当時のアパートを前に、上京したての気持ちを静かに思い出したという。東京は夢が叶う場所。何かやってやろう! と強い意志を持っていた若き自分。吉田にとってはここが間違いなく「東京」スタートの場所だったのだ。
強い衝撃を受けたDIC川村記念美術館を再び訪れる
「東京らしさってなんだろう、と考えるとやっぱりわからなくて。それでも、上京した僕の思い出に強く残っているのは、この2箇所なんです」と、次に訪れたのはこれもまた「東京都」ではなく千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館だった。「これが東京クオリティなのか!」とクリエイターを目指す者として大きな衝撃を受けた美術館だ。
抽象表現主義を代表するアメリカの画家マーク・ロスコ。彼の作品のみで構成された空間は、世界にたった4箇所しかない。その1つがこのDIC川村記念美術館で、学生の時に初めて訪れたのだという。
「ロスコルームの空間と少し薄暗い光と大きな絵。見た瞬間にのみ込まれるようでした。絵にあそこまで圧倒されたのが初めての体験だったので、今でも強く印象に残っています。当時はあまり美術に詳しくなかったのですが、とにかくここでの体験が僕の中に今でも強い影響を残しています。ロバート・ライマン、フランク・ステラ、イブ・クライン、バーネット・ニューマンなど、好きな作家にたくさん出会えました。僕が「ああいいな」と心から感じることができた最初の美術館です」
美術館を訪れたあとは、友達と佐倉駅にある「餃子の王将」で食事をするのが当時のルーティーン。餃子の王将を初めて見たのが東京だったという吉田にとって、この店も「ザ・東京」である。注文するのは決まって餃子定食。熱々の餃子をつまみながら、友達とビール片手に語り合う時間は最高だった。
「こちらの美術館を初めて訪れてから15年経ちましたが、今も変わらず素敵な場所ですね。ここの池にはいつも白鳥がいて、当時その卵を見つけた日のことも、なぜか印象に残っています。どうしてでしょうね…? 今日はさすがに見つからなかったですね」
この取材日にはこの美術館に長く勤める広報の方にロスコルームの成り立ちや、空間作りに関するさまざまな工夫を聞くこともできた。若き吉田が訪れた当時のことをよく知る人と、あの頃の感動を共有できるのは嬉しい。ミーンミーンと、たくさんのセミが鳴いている大きな美術館の庭を、吉田は少年のような笑みを浮かべて歩いた。
夢の叶う場所。東京はやっぱり想像通りだった
東京でデザイン事務所を持ちたい。上京時からそう思っていた吉田だが、夢をかなえ、千駄ヶ谷に自身の事務所を構えて早6年経った。自宅よりも長い時間を過ごすこの場所は、今の彼にとってとても大切な居場所だ。週末は意外と静かで、何よりも多くの人が気軽に打ち合わせに訪れてくれる。この地でたくさんの人との出会いを繰り返しながら、吉田の夢はどんどん実現し続けている。
「僕にとって東京の印象は学生の頃とあまり変わらなくて。いつもいろいろな人と出会えて、いろんなものを見ることができ、体験できる場所。『何か楽しいことが起こるんじゃないか』とわくわくしてしまう場所です。思い出の場所はたくさんありますが、自分にとっての『東京』と聞かれると『東京都』という場所性よりも、もっと大きなくくりになってしまいます。僕にとっての東京というのは、場所ではなく、気持ちとか感情なんだと思います」
“東京”と呼ばれる場所へと向かう電車を待つ帰り道、吉田はふと空を見上げた。「僕はまだまだ東京で暮らしていたい。そして、今の仕事を続けていけたらうれしいですね」。