コロッケは芸術である

コロッケさんは芸術である。芸術をやっている私が言うのだから、たぶんこれは正しい、はずである。

ことわっておくが、今私は、コロッケさんは“芸術家”であるとは言わなかった。そう、コロッケさんは正真正銘の芸能人である。でもやっていることはとても“芸術”に近いと、芸術家の私はあたりをつけている。

そもそもの話をするなら、芸能と芸術とでは、世間様に対するお役目が違っている。

まず芸能のほうだが、こちらはともかくウケなければいけない。ウケない芸人はたちどころに干されてしまう。なかなか過酷な商売である。だからみんな必死でウケをねらってくる。ウケてパッと盛り上がりブームに火がつく。芸能とは、世の中を短期間で一気に活性化させる、元気回復の即効薬である。

これに対し芸術のほうはどうか。こちらはだいぶん様子が違う。やるべきだと思いたったら、もうやり続けるほかはない。たとえウケなくてもやるべきことはやる、これが芸術家気質というものであろう。あのゴッホだってそうだった。生前は、弟のテオとかそういう一握りの人だけにしかウケなかった。でも俺がやらなきゃ誰がやるとばかり、37年の短い生涯で、売れない油絵を1000枚近くも描き続けた。そしてそれらが、やがてボディブローのように効き始める。今になってやっと世の中はその大きな効能に気付くことになったのである。効きめは遅いが、心身の奥からじわりとくる。まるで漢方薬のようである。

芸能は即効薬。芸術は漢方薬。この両輪によって世の中の元気が作られる。文化の成り立ちとは、そういったものである。

コロッケさんは、四六時中どうやったらウケるかをマジで考えている。正真正銘の芸能人である。ところが最初に述べたように、そのプロの芸には、本来芸能とは対極に位置するはずの芸術と、不思議に思えるくらい多くの共通点が見出せる。
 
例えば芸術の業界筋でよく取りざたされる、「オリジナルとコピー」というテーマがある。昔は、やっぱり本物は素晴らしいとみんな考えていた。コピーすなわちモノマネなんて、本物よりもワンランク劣ったまがいものにすぎないという、いわゆるオリジナル神話がまかり通っていた。

これを覆したのが、アンディ・ウォーホルだった。このポップアート界のスターが1962年に制作した<マリリン>という作品がある。女優マリリン・モンローのモノクロ写真をカラフルなシルクスクリーン印刷に置き換えただけの、こう言ってよければコピー作品だった。でも私達は、ウォーホルの<マリリン>を観て、「これこそがポップだ」とか、なんだかんだと大騒ぎして、そのかなりあとになり、やっと元絵となったオリジナル写真の存在を知るにいたる。つまりここでは、コピーのほうが本物扱いされ、オリジナル写真のほうは、「ウォーホルさんにマネしていただいたものです」的な遠慮深げな態度で、おずおずと後発的に登場してくることになる。
以上のようなオリジナルとコピーをめぐる芸術的エピソードは、そのまま芸能界のコロッケさんにもあてはまる。

コロッケさんのお得意芸に、美川憲一さんの声帯&形態模写がある。美川さんは言うまでもなく、めっぽう歌のうまいプロ歌手である。ところがコロッケさんは、歌手美川憲一の付加価値とでも言うべき、その独特のキャラのほうに注目する。歌唱時の流し目やひねるような口の使い方、美川節のオネエトーク。そんな歌唱力以外のところで発散している美川さんのエンターテインメント性に反応し、そこを念入りに研究して、その成果をモノマネ芸として披露する。
 
すると、コロッケさんがマネするところの美川憲一キャラがウケているのを察知して、今度は御本家の美川さんが、これをさらにマネて人気を博す。どちらがオリジナルで、どちらがコピーかなどという詮索自体がどうでもよくなるこの不思議なダブルのブレイク現象は、ウォーホルの<マリリン>におけるオリジナル神話への異議申立てと、なんだかとてもよく似ている。

もう1つ例をあげてみよう。芸術業界でよく使われる“デペイズマン”という専門用語がある。あれもコロッケさんのモノマネ手法にぴったりあてはまる。
 
デペイズマンとは、シュルレアリスム芸術の表現テクニックの代表格で、それはこんなキャッチフレーズによって説明される。

「解剖台の上で、ミシンとコウモリ傘が、偶然出会ったように美しい」
ロートレアモンの詩<マルドロールの歌>からの一節で、シュルレアリスム的手法の好例として、よく引用される。意外な組み合わせが、斬新な驚きを与えるというような意味合いである。

これをコロッケさんにあてはめるなら、さしずめ、こんな文言になるかと思う。
「コロッケさんの身体上で、歌手の五木ひろしと、ターミネーター風のロボットが、思いがけず出会ったようにおもしろい」

五木ひろしさんの歌マネや顔マネと、ロボットのメカニカルな動作が奇妙に絡まって、シュールな光景がステージ上に展開する。そう、コロッケさんは、モノマネ業界の超現実主義者に他ならない。

もちろんコロッケさんには、芸能と芸術を結びつけようなんていう野心はさらさらないだろう。芸術家ぶった芸能人や、芸能人ノリの芸術家がはびこる中で、コロッケさんはそのどちらにも属さず、ひたすらモノマネ芸を進化させてゆく。
思うにコロッケさんは芸能人も芸術家も飛び越えている。「超・芸人」である。私は彼のことを勝手にそう呼ばせてもらっている。

まねるという行為には、“一歩を踏み出す”ことと“自分のなかに受け入れる”こと、このふたつの勇気があります。あえて言えば、ふたつの勇気とともに、素直になれる「潔さ」も大事かもしれません。大人になればなるほど、恥ずかしい気持ちやプライドが邪魔をして、何かを受け入れることを拒んでしまいがち。でも、そこで“勇気”を持って、観て、観察して、受け入れることができたとしたら、間違いなく自分は変わります。

周りを見渡していると、一人として同じ人はいません。カッコいい人、歌がうまい人、話の楽しい人、おっかない人……。私からすれば、どんな人も面白がる対象です。少なくともそう考えているから、いろいろな人の影響を受けたいし、その人柄を感じてみたいと思ってしまいます。そうやって人の観察を続けていくうちに“インスピレーションの芽”が生まれれば、ものすごく興奮します。何となく観察しているだけのつもりが、自分の脳内に新たなイメージ、考え、思索が巡ってくることになるのですから。だから「観察」は面白いし、やめられない。生きていく中で、人間を観察する以上に楽しい“遊び”はないと思います。それが仕事にもなり、生活の糧にもなる。だから私は、続けている。ただ、それだけなんです。

コロッケ
1980年8月、NTV系「お笑いスター誕生!!」でデビュー。TV・ラジオなどに出演するかたわら、全国各地でのものまねコンサートを定期的に開催。現在のものまねレパートリーは300種類以上となり、ロボットバージョンやヒップホップダンスとの融合、落語にものまねを取り入れた「爆笑ものまね楽語会」、さらにはオペラやオーケストラとのコラボなどエンターテイナーとして常に新境地を開拓している。長年にわたり、ものまねタレントとして芸術文化の振興に貢献した功績が認められ、2014年文化庁長官表彰を受彰。そして、2016年2月「ものまねタレントの代名詞的な存在になり、唯一の特徴をデフォルメする独特のパフォーマンスはピカソの領域にまで達した」と日本芸能大賞を受賞した。

Text Yasumasa Morimura
Photography TAKAY
Edit Takuhito Kawashima(kontakt)

author:

森村泰昌

1951年大阪府大阪市生まれ、大阪市在住。1985年にチェ・ゲバラの自画像に扮するセルフポートレート写真を発表して以来、一貫して時代や人種、性別を超えたさまざまな“他者”に自らが成り代わる“自画像的作品”の発表を行う。

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