「芸術は人間の体にどう効く?」-後編- 伝統芸能から都市計画まで、芸術や自然との共生が自分らしく生きるヒント

かねて医療と芸術の関係性について著書『いのちを呼びさますもの ひとのこころとからだ』でも取り上げていた医師の稲葉俊郎。新型コロナウイルスの問題に対し医療従事者として最先端に立ちながら、医療と芸術との共生を模索し続けている。両者にはどんな因果関係があるのか。そもそも医療に伝統芸能や芸術、文化を取り入れたきっかけは何だったのか?

――著書「いのちを呼びさますもの」では、かつて芸術・医学・宗教は統合されていたと語られていますが具体的に教えてください。

稲葉:「能」を現在の体系へ深化させたのは世阿弥です。能の花伝書『風姿花伝』には、「日本の伝統芸能は寿や福を増やすためのものであり、年齢を重ねることに喜びを深めていくことが、すべての道の極意である」という意味合いの言葉が綴られています。医療も寿や福を増やし幸せに生きることを助けるものなので、医療の向かう先と同じだと驚きました。寿命を全うすることに喜びや楽しみを感じられるために、医療の知恵や技術はあります。医療従事者もそのことに喜びや生きがいを感じます。そうした意味でも、能の奥義は医の道であり、芸の道でもあると思ったんです。

――能に惹かれたきっかけは?

稲葉:最初はただ強烈に惹かれたという感覚だけで、わけがわからないものでした。なぜ能が600年以上も続いているのだろうと。2011年、東日本大震災が起きた直後に医療ボランティアで現地に入ったのですが、目の前で失われていく大勢の命を目の当たりにして、それまでの医療の世界と目の前の現実との折り合いがつかなくなりました。心におさまりませんでした。その時にふと、能楽師の面や謡いの響きが自分の心の奥底から地鳴りのように聞こえてきたんです。自分も鎮魂の意味を求めていたことが、生と死の交わりを題材にした能に惹かれた理由かもしれません。

――東日本大震災以降、医療に「能」の考え方を取り入れたのでしょうか?

稲葉:無意識に別の形で入りこんでいると思います。表面的に“助ける”ことだけでなく、生と死という生命の全体像を深く理解して医療に取り組もうと決意しました。結局、人は深さによって共鳴するのです。当時は、人工世界の歪みが補正されると思っていましたが、大きくは変わりませんでした。地球全体で哲学が更新されないと何も変わらないのかと思ったのが2011年のことです。2020年の新型コロナウイルスの問題は世界が同時に同じ問題を体験し共有していることにこそ、人類史において深い意義があるように思います。

――この状況下で医療と芸術の関係性に変化はあったと思いますか?

稲葉:医療が技術の問題だけでは根本的に解決できないことが顕在化していくだろうと思います。医療崩壊ともいわれましたが、崩壊する医療は、ある意味で“リペア”するファクトリーのような医療の場です。そうではなく、次に目指す新しい医療の場は、「いのち」というフィロソフィーを共有する場です。その形態は、銭湯でもギャラリーでも芸術祭でも何でもいいのです。目に見えないもの、共有する哲学こそが大事です。ネット空間も含めて、場が荒れることがあるのは見えざるフィロソフィーの問題ですね。困難を乗り越えるためにも、命を支える哲学こそが必要な時期です。今後は、芸術が人間の精神生活や社会基盤に不可欠であると、あらゆる無意識の通路を介して顕在化してくると思います。これから、私達はより本質的な生き方を求めるのではないでしょうか。合理的で効率的で打算的な生き方よりも、もっと人間的で気高く美しい生き方へと。そうした危機的な状況でこそ、芸術や文化は、私達の心や魂を深く支えるのです。わたしたちの生命が健康的にどのように育まれているのか、1人ひとりが内側にある生命の世界へと意識を向け、生命と共に深く考える必要があります。結局、経済活動もすべて生命があってこそ、なのですから、人間というシステム全体の原点に立ち返るきっかけであると思うのです。

生活の中で医療は何を共有し取り組むのかが次の課題

――軽井沢に引っ越した理由は?

稲葉:街や暮らしという生活の一部に医療があると思います。軽井沢病院では、町の役場の職員の一環として医師をする、というスタンスですし、その考え方に賛同しました。2019年9月に初めて軽井沢に来て、その瞬間に決めました。直感が先で後は理屈付けです。基本的には、個と社会の幸せのために医療という持ち場を自分は担いたいです。だから、街づくりはどんな些細なことでもすべて医療の基盤作りだと思うんです。神は細部に宿るように。

――全体性を取り戻すという稲葉さんの考える医療の本質はそこにあるんでしょうね。

稲葉:病院に行かなくても、ただそこにいるだけで自然に病気が治ったり、つらい経験も乗り越えられるのが理想の医療の場です。高層の病院を建てたり、最新科学技術を導入するという医療の方向性もあると思いますが、それは自然災害が起きたら全てなくなりますよね。暮らしや街と生活の中で、どういう場を共有するか、そのことを次の医療の課題として取り組みたいのです。

――東京から軽井沢に来てわずかな時間ですが、少し、心が洗われるような気持ちになりました。高い建物がなく、入り組んだ細い道の脇には緑に沿ってモダンな建築が続いています。自然と共生する街並みを見ると、都市計画も医療と結びついているような気がします。

稲葉:暮らしを支える考えや哲学自体が重要なんですよね。軽井沢の街には1880年代に宣教師がやってきて、洋式の建築は作り、北米の気候に似ているという理由で白樺を植え、軽井沢を屋根のない病院と呼びました。軽井沢町の自然保護対策要綱では建ぺい率が20%以下に定められています。例えば、土地を1000坪買ったら家は200坪以下です。塀も建てず生け垣が推奨されます。つまり、人間は後から自然の中に住まわせてもらっているので、その点をわきまえ、人間ではなく自然を中心にした街作りをしようという考えが支えています。要綱は法的な罰則力はないので、町民の倫理に委ねられています。

――町民はその責任を果たしているんでしょうか?

稲葉:人は初期条件が適切であれば、その中で工夫して生きていくものです。すべて自由に委ねられると、エゴが衝突してクレームを言い合う社会になります。だからこそ、人間の欲望が暴走しないような、水路としてのちょっとした制度作りが大事なんです。町づくりが人間の健康や幸福に影響するならば、医療もそこに深く関与するのは当然だと思います。

――自然も含めた全体性ということですね。

稲葉:地球にいる以上、自然を無視することはできません。先日、町の職員の方が庭の草を刈っていたのですが、翌日に家の中に見たこともない虫がたくさんやってきました。その時にふと、新型コロナウイルスの問題もこうしたことが地球規模で起こっただけだと思ったんです。つまり、どんな生き物も居場所を奪われると人間の生活領域に侵入してくるのは仕方のないことです。ウイルスも寄生動物も生活圏を奪ってしまえば、同じことが起きます。彼らは居場所を求め人間そのものを居場所にせざるを得ないのではないかと。

――不謹慎かもしれませんが、人類の因果応報なのかと思います。

稲葉:生き物の居場所を考えることは、人間社会の本質的な問題にも関わります。いじめや暴力も、居場所を巡る問題かもしれません。どんな人にも居場所は必要ですよね。以前、音楽家の大友良英さんと対談した時に、「音楽は居場所を与える」と話していたことに非常に共感しました。今は、居場所のない人が増えています。社会がどう変化しようと、新しいウイルスが蔓延しようと、経済が止まろうと、芸術や文化は人に居場所を与えてくれるものです。誰にでも居場所があることは、人間が生きていくこととイコールなのだと思います。

――全体性を構築していく上で重要なことは何でしょうか?

稲葉:自分自身を知ることです。みんな自分のことを知らなさすぎます。子どもの頃は全体性が保たれていて、飛びたり跳ねたり、1つひとつの動作に混じり気がなくて迷いや葛藤がなくて感動します。大人は成長して社会的な知恵を得る一方で、全体性を失っていきます。そうした自分の人生のプロセスの全体像を、自分史のルーツのようなものを知ったほうがいいです。多くのY字路を経て多くの選択で今があるわけです。家庭の事情含め、不本意に選択した道もあるでしょう。でも、そうした一見バラバラに見えるものも、全体性を理解しながら歩んでいけば、道は最終的に交わると思います。

過去を統合して「今」を生きることで自分の全体性を取り戻す

――一般的には惰性で選択をしてきた人も多いのではないでしょうか。それを追求していく作業は骨が折れると思います。

稲葉:もちろん大変です。でも自分以外の誰もやってくれません。自分の代わりはいないのです。自分史の整理は、自分の人生そのものですよね。たとえば親が言う通りの進路を選んで後悔した、としても人生が間違いではないです。進む力があったので必然性があります。ただ、もしそこに一抹の悔いが今も残るならば、現在の自分が折り合いをつけ、人生の中で統合していくことこそが全体性を取り戻す重要な営みだと思うのです。

――稲葉さんの場合、人生の選択に芸術はどのように関係しているのでしょうか?

稲葉:僕は人生の選択において、芸術を分けないように意識的に気を付けました。医の道と芸術の道とを分けて考えなかったんです。すると、結果的には同じ感覚の人と出会うんですよね。なぜなら、お互いが同じ旅の途中にいる旅人同士だからです。それこそが人生の醍醐味ですよね。自分の根っこと今の場所とがうまくつながっていない人もいます。心と体のズレはアラームを出して、時計を修理するように修復できたようでも、自分の根っこの問題は形を変えて何度でも現れます。そこで元の道へ導くのが医療者の役割だと思うんです。こう言うと異端のように思われがちですが、むしろ医学の本道だと思います。

――一見、対局にある芸術と医療が共生するという意識を持っている人が少ないからでしょうね。

稲葉:医療も見えざる哲学や思想が支えています。人間は“自分”が盲点や死角になりやすいので、自分を知ることは非常に難しいのです。自分はどんな哲学に支えられているのか、無意識をこそ知らないと自分の人生を生きていない気がするのです。自分を支える哲学がある人は、ある種の調和があるんですよね。

――調和とは具体的に何でしょうか?

稲葉:過去を統合して「今」を生きることです。虚像を作っても過去は常に離れませんし、自己否定を続けると、人生の嘘になります。核を失うと、変化に脆く、壊れます。ただ、常に人間は立ち戻れますし、寄り道も含め無駄なものは一つもありません。道が逸れたようでも自分の全体性さえ保ちさえすれば、深刻に考えなくても大丈夫です。それが自分の全体性を取り戻す、ということです。

稲葉俊郎
1979年、熊本県生まれ。医師、医学博士。2014~2020年3月まで東京大学医学部付属病院循環器内科助教を務め、4月から軽井沢病院総合診療科医長。西洋医学だけでなく、東洋医学や伝統医療、代替医療などを広く修得し、芸術や伝統芸能、民俗学、歴史などあらゆる分野と医療の接点を見出している。東北芸術工科大学客員教授を兼任。著書に『いのちを呼びさますもの ひとのこころとからだ』(アノニマ・スタジオ)他。7月に新刊『いのちは のちの いのちへ ―新しい医療のかたち―』(アノニマ・スタジオ)を上梓した。https://www.toshiroinaba.com/

Photography Kazuo Yoshida
Special Thanks Kyukaruizawa Café Suzunone

author:

芦澤純

1981年生まれ。大学卒業後、編集プロダクションで出版社のカルチャーコンテンツやファッションカタログの制作に従事。数年の海外放浪の後、2011年にINFASパブリケーションズに入社。2015年に復刊したカルチャー誌「スタジオ・ボイス」ではマネジングエディターとしてVol.406「YOUTH OF TODAY」~Vol.410「VS」までを担当。その後、「WWDジャパン」「WWD JAPAN.com」のシニアエディターとして主にメンズコレクションを担当し、ロンドンをはじめ、ピッティやミラノ、パリなどの海外コレクションを取材した。2020年7月から「TOKION」エディトリアルディレクター。

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