「芸術は人間の体にどう効く?」-前編- なぜ、生命に文化が必要なのか 医学界の異端児・稲葉俊郎が読み解く医療と芸術のリアル

新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)による緊急事態宣言以降、多くの文化的イベントが中止に追い込まれた。再開の見通しが不透明な一方で、政府や自治体は直接支援に消極的だ。世界を見るとドイツのモニカ・グリュッタース文化相が、「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」と演説したことも記憶に新しく、芸術や文化がいかに人間の生活に根付いたものであるかを説いた。しかし、芸術や文化がどのように人体にポジティブな影響を与えるのか、具体的な解釈を示している例は少ない。

常に医療と芸術の関係性について言及し続けてきた医師の稲葉俊郎。医学界の異端児と呼ばれ、新型コロナウイルスの問題に対し医療従事者として最先端に立ちながら、自身のライフワークでもある芸術や文化を積極的に医療に取り込んでいる。西洋医学と伝統医療とが調和する世界とは? 芸術は人間の体にどんな効果をもたらすのか。

――今回の新型コロナウイルスの問題で、医療の最先端にいる稲葉さんにとって現在の状況をどう考えますか?

稲葉俊郎(以下、稲葉):まず、新型コロナウイルスに対する感染防御が前提にあり、その次に、無症状感染で知らないうちにウイルスを方々へと運ぶ危険性があります。この二つの段階を踏まえた上で、現代社会をどう維持するかの判断が求められていますよね。そのときの医学判断は感染防御への対応が含まれているのは当然のことですが、わたしたちの精神活動の影響も医学判断の中に入れてしかるべきだと思うんです。心が荒廃すると暴力や差別の問題につながったり、うつ病や自殺へとつながるケースもあります。医学判断の中に心の世界を取り入れるためには想像力が必要です。あらゆるレイヤーにおいて得るものと失われるものがあり、そうした総合的で全体的な判断こそ求められます。緊急時には短期間で多くの選択がされますが、近未来だけではなく遠い未来の視点も重ね合わせる丁寧さが大事ですよね。そもそも医学的にも意見が分かれる点も多いわけですし。全体的な視点が失われることに恐ろしさを感じます。

自分が一番ショックを受けたのは、新型コロナウイルスに感染して亡くなった人に家族が面会できなかった事です。看取りはもちろん、死後に火葬場ですら会えないのは異常ではないでしょうか。志村けんさんの親族もそういう状況だったと報道で聞きましたが、あまりにも過剰な対応で違和感しかありませんでした。そして、そのことが当たり前のように世間で流れていくことにも違和感が残りました。人間において大切なことが、こんなに簡単に失われてしまうものかと、ショックでした。

――人間の尊厳ですね。

稲葉:人間が生まれ生きて死ぬ、という一人一人の人生をどう考えるのか。議論も生まれず医学判断の元に効率的に処理されていく流れがショックでした。現在の社会は死者から渡されたものです。生きているものは必ず死を迎えます。死者への敬意や死の実感を失い過ぎているのではないかと危惧しました。

――文化は人間が生きていく上で何をもたらしますか? 医学的見地における芸術との関係性について教えてください。

稲葉:医療と芸術の一番の共通点は「人間の全体性を取り戻す営みである」ということです。生命の世界は自分の内側にあり、社会活動としての法律、国家などは自分の外側にある世界です。両者は全く異なる原理で動く世界です。世間体や常識、経済活動など、人間の決め事が多いのが自分の外側の世界ですが、わたしたちの感覚器官は、目や鼻、口のように外へ向いて外部世界をサーチし続けているので、意識活動も外界へと引っ張られやすいんです。外側と内側の全体こそが生命活動ですが、生きているだけでも、二つの世界には少しずつ“ズレ”が生じてきます。頭で作る外界と、生命の内界とはバラバラになりやすいんです。意識と無意識の世界です。ちなみに、外界にも人工世界と自然界とがあります。そうした外界と内界の二つが合わさった全体性こそが自分であり、全体として自分がひとつになるために、全体性の場に戻り続けるために、時には医療が必要となり、時には芸術を必要とする。そのことが自分の全体性を取り戻すという意味です。

――どのように一体化するのでしょうか?

稲葉:簡単に言えば、自分の内側の生命世界と、外側の世界とをうまくリンクさせることです。それは芸術の果たす役割とも思うんですね。フィジカルな肉体を治療するのは医療の得意分野ですが、物理的な損傷を“Repair”することだけになりやすいです。“Repair”だけではなく、“Reborn”し、根本から再生して生まれ変わることも必要で、心や魂といった生命の深いレベルでの“ズレ”を戻すのは、文化や芸術が果たしてきた役割だろうとも思います。

――芸術や文化は全体性を保つため、体の内側と外側をリンクさせるための接続装置のようなものだと。

稲葉:人間は毎日、「眠り」により内側と外側のズレを接続し直しているんです。“眠る”行為は自分の内側にある生命の巣に還る象徴的な行為です。地位や名誉、お金、時間や空間からも解放された自由の境地です。日々、生まれてから死ぬまで、欠かすことなく繰り返される「眠り」は、自分という居場所から遭難しないための生命の知恵なんです。そうしたことをしみじみ感じながら眠る人が少ないことが残念です。「眠り」の象徴的な意味を受け取らないと、バランスが崩れ、生命の全体像は失われてしまうのです。

――実際の診療でそう感じることはありますか?

稲葉:インターネットやSNSの発達で、他者の欲望で外部の情報空間が埋め尽くされると、外側の自分が他者の欲望だけで作られていくのです。そこに自分は不在です。外向けの顔を固めることにブレーキがかかりません。外向けの自分と、内側の自分とがうまくリンクしている人は問題が起きにくいのですが、ズレが大きくなると虚像が肥大化して、モンスターのように自分へ復讐する異常事態が起きます。ですから、医療現場では、その人本来の居場所はどこなのだろうと考えます。そして、どういうプロセスでずれたのか、その推進力は何かと、力学やメカニズムをあらゆる角度で考えます。それなりの理屈や筋のようなものを見つけ、その微かな足跡を丁寧に辿ります。芸術が生まれる時、抽象的なプロセスを経ますよね。問題の背後にある抽象的なプロセスをこそ大切にします。それは芸術作品が生まれたプロセスを逆経路で辿るような行為なのです。

実際、僕は芸術や文学から診療のヒントを得ることが多いです。先日相談を受けた時、村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』の世界がイメージとして浮かんできました。亨(とおる)(物語の主人公)が、どういう状況にあるのか、自分もイメージを活性化させて複数の物語を同時進行させながら、相手の物語のプロットを読み解き、深層のプロセスをこそ大切にします。表面的な会話も大事ですが、深層で動く物語の共有こそが、お互いのリンクになります。相手も春樹作品を「理由は分からないが好きだ」と答えました。表面的には見えなくても、無意識の深いレベルでは共有できるものが進行しているんですよ。

東洋と西洋医学のハイブリッドや芸術が体と精神にもたらすもの

――実際に芸術や文化を医療現場に取り入れているんですね。

稲葉:僕の場合は一体化していますね。分けたことはないです。芸術は、創り手が深い無意識レベルを経て、抽象的なレイヤーを何層にも経ているので、深い無意識へとアクセスする回路が多いんですね。だから、芸術の世界に深く入ることは、深い悩みを持つ人の心の世界に入ることと近いです。一方で、エンターテインメントは意識表層の感情が主役なので、感情の世界なのか、感情を生む母体の世界なのか、それぞれが直面する悩みの深さに応じて、アクセスする通路は変わるんです。

――自分自身の無意識な世界というのは気が付きにくいですね。

稲葉:「気付きにくい」という言葉が象徴するように、脳が認識していないだけで、体は分かってるんです。体は無意識そのものです。例えば、体に現れる皮膚症状などのサインを、非言語レベルで読み解くのも医者の仕事です。結局、医療行為は、内界と外界のズレをどうつなげて創造的に発展させていくか、に立ち返るんですね。東洋思想やインド哲学でも、無意識の構造を何層にも腑分けして、身体と共に探求してきた歴史があります。そう考えると、壊れたものを修復する自然治癒力という営みは奇跡的なものなんです。医者ができることは小さいです。自然が与えたプロセスを邪魔しないことも、医療者のわきまえや礼節でもあるんです。

現代社会は、ある意味でお膳立てされたものです。人が成長し成熟する機会が奪わる面もあります。前提が覆る危機的な状況には脆いです。システムに漠然と流されていく危機感や違和感が大切だと思います。

――一見効率的に見える経済システムは、弾力性や多様性に欠けて想定外の混乱に脆かったですね。

稲葉:一方で自然というのはよくできていて、有事の際の強さやしなやかさなど、全体性が保たれています。医療現場で感じるのですが、人間は1人ひとりが独自の生命を持って生まれてきたはずなのに、あまりにも外部世界の場の影響を受けすぎて、自分の生命という個の尊厳を失ってはいないかということです。巧妙に管理・支配されているとは言い過ぎですが、危機感を失うと、生命は病気として発症してバランスを取ろうとすると思います。

――皮肉ですが、この状況下で環境は良くなっているし、フィジカルな面で健康になっている人も多いとよく聞きます。

稲葉:これまでの社会は、わたしたちの健康や生命の一部を供物のように外へと捧げ差し出すことで社会は生命エネルギーを得て回転していたのかもしれません。今、わたしたちが個へと戻り、眠りのように内部世界へと戻った方が社会は健全だったりします。そして、また元へと戻るのかどうかと考えるY字路に立っています。困難な時代を乗り越える知恵は生命の中にすべて備わっていると思います。どんな過酷な環境でも生き延びてきた先人の知恵が、「いのち」としてつながっているのですから。外の世界も大事ですが、まず内側の自分自身を立て直すことが先決です。そのためには哲学や思想も大きな力になると思います。

――医学と芸術がリンクする前提として、東洋と西洋医学のアプローチの違いは思想や哲学も含めて芸術にどんな作用をもたらしますか?

稲葉:例えば東洋医学と聞くと漢方薬などをイメージしやすいですが、それは方法論で、大事なのは考え方なんですね。東洋医学と西洋医学の違いは、方法よりも哲学の違いです。東洋医学では、森羅万象や人体、外界と内界とが全体性をもって存在しているという考え方なんですね。人間界だけに限定せず、ウイルスや細菌を含めた自然や宇宙も含まれた全体です。全体性を忘れないように、ズームインしてズームアウトを繰り返す振り子のような視点が伝統医学に通じる発想です。

一方、西洋医学では脳や心臓、肝臓という風に、臓器別に部分へと切り分ける発想です。注意しないと全体的な発想に戻りにくいのです。優劣ではなく、根本的な発想の違いです。もちろん深めていくと地下水脈ではつながっているとは思いますが。

――芸術や文化に置き換えた時、どんな違いが生まれますか?

稲葉:例えば、日本文化には禅や仏教哲学が根本の考え方に潜んでいます。たとえば華道では、ひとつの花を人間と自然との全体的な関係性の中で捉えます。フラワーアレンジメントと華道、ガーデニングと日本庭園ではそもそもの考え方が違いますよね。考えは目に見えませんが、形に顕在化してきます。自分はその違いに可能性も感じます。東洋と西洋とは、二つの高峰ですが、どこかにリンクがあります。それは隠された通路かもしれません。異なる原理の考え方が同居していることこそが重要で、今はハイブリッドを起こし始めていると感じます。どちらを優先させるかは自由です。今こそ、そうした東洋と西洋の歴史をたどりながら、次の時代を見据えていく時期なのかなと思います。

稲葉俊郎
1979年、熊本県生まれ。医師、医学博士。2014~2020年3月まで東京大学医学部付属病院循環器内科助教を務め、4月から軽井沢病院総合診療科医長。西洋医学だけでなく、東洋医学や伝統医療、代替医療などを広く修得し、芸術や伝統芸能、民俗学、歴史などあらゆる分野と医療の接点を見出している。東北芸術工科大学客員教授を兼任。著書に『いのちを呼びさますもの ひとのこころとからだ』(アノニマ・スタジオ)他。7月に新刊『いのちは のちの いのちへ ―新しい医療のかたち―』(アノニマ・スタジオ)を上梓した。2020年9月にオンライン開催となる『山形ビエンナーレ2020』では芸術監督を務める。https://www.toshiroinaba.com/

Photography Kazuo Yoshida
Special Thanks Kyukaruizawa Café Suzunone

author:

Jun Ashizawa

1981年生まれ。「TOKION」エディトリアルディレクター。大学卒業後、編集プロダクションで出版社のカルチャーコンテンツやファッションカタログの制作に従事。2011年にINFASパブリケーションズに入社。2015年に復刊したカルチャー誌「スタジオ・ボイス」ではマネジングエディターとしてVol.406「YOUTH OF TODAY」~Vol.410「VS」までを担当。その後、「WWDジャパン」「WWD JAPAN.com」のシニアエディターとして主にメンズコレクションを担当し、ロンドンをはじめ、ピッティやミラノ、パリなどの海外コレクションを取材した。2020年7月から現職。

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