「日本の文化にダイブしたい」カールステン・ニコライとコスタス・ムルクディスが考えるカルチャー論

一緒に遊んで仕事もする。アルヴァ・ノト名義でも知られるミュージシャン兼アーティスト、カールステン・ニコライとファッションデザイナーのコスタス・ムルクディスの関係はまさにそれだ。25年来の友人でありコラボレーターの2人は、これまで「コスタス・ムルクディス」のアイテムやインスタレーションをはじめ、数々の作品を生み出してきた名コンビ。そんな彼らの話を聞くべく、対談の場を設けた。よく一緒に作業するというカールステンのスタジオにて、出会いから現在に至るまでのストーリーを紐解く。

――まずは2人の出会いから教えてください。

コスタス・ムルクディス(以下、コスタス):初めて出会ったのは1995年にミュンヘンのギャラリーで開催されたカールステンのオープニング。当時僕はミュンヘンに住んでいて、弟のアンドレアス(Andreas Murkudis)に誘われて行ったんだ。紹介したい人がいるって。

カールステン・ニコライ(以下、カールステン):アンドレアスはベルリンに住んでいたからもともと知ってたんだよ。

コスタス:オープニングのあと、「秘密の作品を見せたいから一緒に来て」と言って僕らを外に連れ出したよね。深夜の通りに停めていた車の中に、こっそりプライベートエキシビションを開催してたのは驚いたよ。

カールステン:あれは特別だったから。大きなドローイングが1枚だったよね?

コスタス:いや、たくさんあったと思うよ(笑)。

カールステン:あ、そうだっけ。覚えてないや。

コスタス:僕のほうがよく覚えてるね(笑)。カールステンはギャラリストに作品を見せることを躊躇してたし、ちょっと自信がなさそうだった。でも君の作品はとても美しくて、僕は大好きだったよ。翌年、自分の1stコレクションのあとにその作品をプレゼントしてくれたのを覚えてる。

――それから親交を深めていくことに。

カールステン:コスタスがベルリンへ移住してからますます仲良くなった。これといった特別なこともなく自然と。

コスタス:2人で会う時はアートや仕事、彼女や友達、政治とか日常の出来事を話す。そんな会話からアイデアが生まれるんだ。

カールステン:仕事仲間じゃなくて本当にプライベートな友達だから。長い付き合いになると毎日会う時期もあれば、仕事や旅行で3ヵ月以上会わない時期もある。でも戻ってきたら会おうってなるし、それまで何があったか近況を話すんだ。

コスタス:これはずっと続くと思うよ。少なくとも僕らが生きているうちはね。

自然な流れで始まった2人のコラボレーション

――コラボレーションはいつから始めたのですか?

コスタス:1997年に僕の2ndコレクションで手掛けたTシャツかな。カールステンとシンボルをデザインしてプリントしたんだ。

カールステン:初期はファッションで使用しないユニークな素材にプリントした作品が多かったよね。ペーパーテキスタイルのドレスとか。このスタジオでシルクスクリーンのテストプリントもしてた。僕にとって抽象的なペインティングを、コスタスは抽象的なデザインピースにする。でもウエアラブル。そんな感じでより実験的なファッションレーベルへと進化したんだ。それからモデルなしで作品をオブジェクトとして撮影したり、ファッションプレゼンテーションやインスタレーションで照明とサウンドを担当するようになった。

コスタス:2015年のミラノコレクションのこと覚えてる?このショーを見たファッションジャーナリストのルーク・リーチ(Luke Leitch)が、”音が大きすぎて会場にいる全員がビビってた。全員の耳がおかしくなった”みたいなこと書いてた。これを読んだときは思わず笑ったよ(笑)。素晴らしかったね。

カールステン:でも正直あれは言うほどラディカルじゃなかった。フランクフルト現代美術館でのインスタレーションのほうがよっぽどラディカルだったよ。普通のショーだとモデルがランウェイを歩いて10分で終わるけど、美術館のスペースは人の動きがなくていい。よりスカルプチュアなオブジェクトとして表現できる。

2人の目に映る日本の情景

――自他ともに認める親日家とのことですが、初めて日本を訪れたのはいつですか?

カールステン:1997年のコンサート。それ以降、最低年に2回は日本に行ってるよ。50回以降はカウントするのをやめたんだ。多いときは年に4~5回行くからね。日本にたくさん友達がいるんだけど、おもしろいことに東京の友達より僕と会ってるほうが多いって言われるんだ。

コスタス:僕も1997年。日本のバイヤーに招待されて秋に初来日したんだ。日本へ行くのは夢だったから、これは行くしかないと思って。イギリス人のCEOが案内してくれて一緒に渋谷へ行ったんだけど、当時はiPhoneもなければ英語のインフォメーションもない時代。地図とコンパスを持って2人でなんとか駅まで行ったのを覚えてる。そういえば、2017年の冬に初めて日本で合流したよね。カナダ大使館のイベントで坂本龍一とライヴパフォーマンスをしてた。イサム・ノグチの石庭があるところ。

カールステン:グレン・グールドのトリビュートコンサートだね。草月会館は素敵な会場だった。

――来日したら必ず訪れる場所はありますか?

カールステン:京都、特に日本庭園は必ず訪れる。いつも必ず行く日本庭園が2つあるんだ。大徳寺の高桐院と正伝寺。正伝寺は他の有名な観光名所と比べるとあまり知られてないんじゃないかな。初めて京都を訪れた時にすべての庭園を制覇しようと散策してて、龍安寺を目指して歩いていたら偶然見つけて。ゴルフコースの横にあるんだよ、もし道を間違えたらゴルフコースへ入ってしまう(笑)。

コスタス:それじゃゴルフクラブとシューズも持っていかないと(笑)。僕も京都は欠かせない。市場やヴィンテージショップでたくさん着物を買って、寺院や庭園を訪れてのんびり過ごすのが好き。

カールステン:東京は中目黒、恵比寿エリアが好きでいつも滞在してる。いい本屋があるし、雰囲気が好き。昔は今ほどファッションエリアじゃなかったし、いくつか好きなバーがあったんだ。名前を忘れたんだけど、もう移転したか閉店したと思う。東京はトリッキーだよ。好きなレストランやバーがあっても、流れが早すぎてすぐになくなってしまう。

コスタス:建物の移り変わりも激しいよね。

カールステン:本当に。あともし時間に余裕があれば、上野に行く。70年代の東京を感じられるんだ。「ワタリウム美術館」も外せない。日本で初めて開催した個展の会場だったし、オーナー達に会いたいからね。

コスタス:前にファッションジャーナリストの平川武治と電車で鎌倉へ行ったんだ。建物から風景、雰囲気までまさに黒澤明の映画のようでね。食事も寿司や刺身だけでなく、文化を感じられる郷土料理を堪能したよ。行ったことのない場所や見たことのないものに出合いたいと常に思っているんだ。そういえば、一度ニボ(カールステンのアシスタント)とマンガストアへ行ったよね。

カールステン:「まんだらけ」だね。

コスタス:そうそれ、素晴らしかった。ニボは中に入りたくなさそうだったけど、一緒に行こうって入ってさ(笑)。ヨーロッパと完全に異なる日本のカルチャー、オルタナティブなシーンが見れてよかったよ。

密かに計画している夢のドキュメンタリープロジェクト

――昨年「ジャム ホーム メイド」でコラボレーションアイテムをリリースしていたことが記憶に新しいです。今後もし日本を舞台にコラボレーションするとしたら、何をしたいですか?

カールステン:実はミュージアムと一緒にプロジェクトをしようとアプローチしてるところなんだ。僕らのアイデアは日本へ行って、伝統工芸などの技術や文化からインスピレーションを得るというもの。同時にドキュメンタリーを撮影するんだけど、単なるクラシックなドキュメンタリーとは違う。エキシビションというより実験的な映画を作るという感覚に近いかな。

コスタス:現場の人と一緒に働いたり会話をしたり、そんな過程を撮影する。文化的な会話のやりとりだね。映画でありパフォーマンスなんだ。

カールステン:日本へ初めて行ったとき、今まで見えなかったことが見えたと思う。アジア、特に日本とヨーロッパの間にはいつも”文化のフィードバックシステム”があるから。例えば日本のアーティストの中にはバウハウスに影響を受けている人もいるだろうし、バウハウスも日本の文化に大きな影響を受けている。この文化的なやりとりはずっと続くんだ。そうなると誰が一番最初だったのか、オリジナルの起源を考え始めると大変だけどね。でもこの”文化のフィードバックシステム”が示していると思う。

コスタス:まさにピンポンだよ。異なる文化を学ぶ、そしてそれを通して新しいものを生み出す。とても興味深いし、ある意味夢のシナリオだね。

カールステン:まだいろいろと考え中だけど、工芸や技術、テクノロジーについて、コスタスとニボがたくさんリサーチしてる。実現するなら長めに日本に滞在することになるだろうね。

コスタス:もちろん実現したいけど、現実的にできるかどうか、日本やドイツから支援してもらえるかどうか、いろいろと課題はある。でも僕らはただ日本へ行きたいだけじゃない。日本の文化にダイブしたいんだ。

カールステン・ニコライ
1965年、旧東ドイツ・カール=マルクス=シュタット(現ケムニッツ)生まれ。90年代後半にベルリンへ移住し、現在はベルリンとケムニッツを拠点としている。アーティストとして、インスタレーションやヴィジュアル作品を発表するほか、アルヴァ・ノト(Alva Noto)名義でミュージシャンとしても活動。池田亮司とのユニットであるCyclo.や坂本龍一とのコラボレーションを通じて、日本での知名度も高い。2016年には映画『レヴェナント:蘇えりし者』のサウンドトラックを手掛け、グラミー賞などにノミネートされた。

コスタス・ムルクディス
1959年、ドイツ・ドレスデン生まれ。ベルリン在住。1986年から1993年まで、「ヘルムート・ラング」のアシスタント・デザイナーを務め、1994年に自身のレーベル「コスタス・ムルクディス」を設立。1996年から2001年までパリでコレクションを発表した。「ニューヨークインダストリー」などファッションブランドのクリエイティヴ・ディレクターやコンサルタントとしても活躍。2016年より自身のレーベルにフォーカスし、革新的なテキスタイルやウエアラブルなアイテムを開発している。

Photography Ina Niehoff

author:

山根裕紀子

エディター、ライター/『RISIKO』編集長 広島県生まれ。2012年よりベルリンへ移住。主にファッションやカルチャー誌を中心に企画、取材、執筆をしている。今年、ドイツのアンダーグラウンドな音楽シーンの”今”を紹介するインディペンデントマガジン『RISIKO(リジコ)』を創刊。「WALL(壁)」をテーマとした創刊号では、クラウトロック、ノイエ・ドイチェ・ヴェレ、ハンブルガー・シューレ、 そして現代を生きるドイツ在住のミュージシャン30組 をピックアップ。彼らの言葉から今のシーンを紐解く。 www.yukikoyamane.com   Instagram:@risikomagazine

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