「ピュアとは何かを問い直す」 約2年ぶりとなるyahyelのワンマンライヴを通して池貝峻が感じたこと

8月27日に東京・恵比寿リキッドルームでワンマンライヴ「THE CHOIR」を開催したyahyel。このイベントは来場者全員をバンドメンバーとして迎え入れるという異例のスタイルの公演となった。単独公演のライヴとしては約2年ぶりであり、最後のステージは2019年の6月。この2年間、沈黙状態にあったyahyelについてフロントマンである池貝峻は、アーティストとしての表現に対する思考の純度を高める期間と語る。つまり“ピュア”であるというシンプルな行動原理。ライヴ後に語ってくれたそのコメントからyahyelの現在地を探る。

メンバー間の距離が生まれていたコロナ禍以前

――遡ってみても、最後にライヴを行ったのは2019年6月(こだまの森で開催された音楽フェス「FFKT 2019」)ですね。現在に至るまでバンドはどのような状況にあったのですか?

池貝峻(以下、池貝):2019年はツアーやフェスでライヴをしていて中国にも行ったんですが、今振り返るとちょっと不思議な感覚ですね。なんだかリアリティがない。夢だったような気さえしています。実はバンドとしては、昨年末くらいからメンバーそれぞれがどうしたらいいのかわからなくなっちゃっているような状況だったんです。僕個人というよりバンドとして何を描きたいのか、どういう活動をしたいのかが、コロナ禍以前からわかりにくくなっていた感覚がありますね。互いにコミュニケーション自体が難しく感じてしまうほど大変でした。

――それは次回作だったりyahyelのクリエイションに関することだったりが原因ですか?

池貝:いえ。僕ら4人の人間としての話です。もっと言えば、メンバー間におけるコミュニケーションの問題ですね。2019年の後半あたりから各々のムードに変化があって、その期間はこれまでで1番メンバー同士の距離ができていたと思います。

――バンドとして難しい状況を抱えながら2020年に入り、コロナ禍によって世界が一変しました。東京では5月25日に緊急事態宣言が解除され、今では新しい生活様式を取り入れようと動いています。一方で、音楽業界では音楽フェスやツアーの中止や延期が余儀なくされています。新型コロナウイルスのパンデミックからワンマンライヴに至るまでの一連の流れを聞かせてください。

池貝:個人としては社会の分断を見ていると心が落ち込みましたね。特にバンドのことを考えると、苦しく感じることがありました。それが一番身近な分断かもしれない。僕はコミュニケーションにおいて、相手の反応を待つというのが性格的に苦手なんですけど、メンバー各々で考えるペースってあるじゃないですか。ただ、考えようによっては、このタイミングで世の中が強制的にストップしたことによって、メンバーそれぞれが気持ちに整理をつけることができたのはラッキーだったんじゃないかなと思います。それからこの状況に対して今、僕らができるアクションはなんなのか、どんな世の中になってほしいのか、といったことを考える余裕が少しずつ生まれてきたのかな。これは簡単には言葉にはできないな……。とにかくバンドという単位の事柄って個人の意志じゃ動かせない。はっきりと説明できないけど「こういうムードがあるよね」って雰囲気で物事が動いていったりもするんですよ。なのでコロナ云々の話じゃないのかもしれない。去年の終わり頃から生まれていた僕らのモヤモヤや停滞感みたいなものが、1人ひとりの時間を過ごしていく中で、整理できたんじゃないかと思うんです。それが「そろそろ(バンドを)やろうよ」につながっていった。

――それはコミュニケーションが遮断されたことで、メンバー各々が自己解決に向かっていったと?

池貝:ある意味ではそうでしょうね。それに音楽の現場にいるいろんな人がすごく困っているのを見ていて、本当に理不尽だなと思って。音楽って最後の最後まで取り残されちゃうんだなっていう感覚というか。これは多くの人が発言していることでもあるので、僕がわざわざここで説明する必要はないと思うんですけど、改めて音楽を1エンタメみたいな形として捉えた時に、最後まで助けてもらえないものなんだなって。そこですごく苦しんでいる人を見た時に、個人として、演者としてできることはなんだろうってシンプルに考えたんです。そこから「ちょっとずつやってみようか?」というメンバー全体のモチベーションの流れもあり、yahyelとして制作を再開したのですが、その時点ですごくピュアになっていたんです。

究極の理由は“自分がやりたいからやる”ということ

――“ピュア”というのは具体的にどういうことですか?

池貝:僕らは今まで考え過ぎていたのかもしれません。「こんなバンドになりたい!」だとか「自分達のポジショニングはこうあるべき!」といったことをすごく考えて活動してきたので、そこから離れた時に、“表現したいことがある4人の集団”としてシンプルにできるものはなんだろうってことを考えて制作することができたんです。「ミュージシャンとは? アーティストとは?」ということにもつながってくるんですが、僕がやりたいのはもっとシンプルに「自分の言いたいことを言えばいいじゃないか」ということ。僕は昨年末から人間って難しいな、なんてことを考えながらバンドとして待ち、耐え忍ぶ時期を迎えていたわけなんですけど、今思えばそのフェーズを踏んで待ち続けたことでピュアに向き合えるようになったという感じです。ライヴに関しても同じで、音楽ってこうあるべきとかそういうことじゃなくて、個人の集積がカルチャーを作っていくんじゃなかったのかってことを考えました。「じゃあ、なんでライヴをやらないんだっけ?」と考えが巡っていったんです。「自分達がライヴをやりたい」「一表現者として自分達で作ったものをちゃんと演奏して届けたい」というシンプルなところに立ち戻ったというか。それがライヴへのモチベーションにもなりました。ただ、この状況下では多くのリスクがあるし、迷惑をかける可能性もある。本当に最後の最後まで開催するかを迷いました。

――なるほど。シンプルでピュアな気持ちになったと。そして迷いもありましたがライヴを開催されました。

池貝:このタイミングでライヴをやるのって、ただのワガママでしかないんですよね。でもそれって究極のアーティストの本分なんですよ。つまり、自分がやりたいからやるということ。誰かのせいにしない。この情勢だからやるわけでも、政治的な意図があるわけでもない。誰のせいにもせず、言い訳もせず。ただライヴをやりたいけど、本当にやりにくい状況であることはわかっている。その中で誠意のある形は何かなって。ライヴをやることに関する究極の理由はそこだけでいいんじゃないかなと。それが今現在の自分自身の疑問に対して向き合うやり方というか、1つのアウトプットでもあるなという感覚がすごくありました。もっと言えばコロナ禍で過ごす中で感じた違和感に対する怒りのようなものがちょっと出たのかもしれません。

――ライヴは、ミュージシャンとしてあたりまえのことをした感覚に近いものですか?

池貝:そういう言い方をすると、きっと「別にあたりまえじゃないだろ。やらなくていいじゃん」って言われるかもしれない。否定はしませんけど、そんなことを言い出したらアーティストなんかいなくていい。実際にコロナ禍の中でそういうプレッシャーみたいなものをすごく感じました。アーティストの存在自体の必然性についてコロナ禍で議論になりましたよね。そこで自分の存在意義を提示した人もいました。アーティストが社会の中でどういう立ち位置でいるのかを考えてアクションを起こすことは、すごくポジティブで素晴らしいと思います。でもアーティストがアーティストとして存在することに対して、もう一度価値を証明し直さなきゃいけないようなムードに疑問を感じます。もちろん意味や価値を問いただすのは大事なプロセスなんですけど、究極そんなことはどうでもいいじゃないですか。やりたいことをやる。ピュアとは何かを僕なりに今一度問い直したのかもしれないです。

TAO(Live From THE CHOIR in LIQUIDROOM, TOKYO)

――問い直した先にあった答えが今回の新曲も交えたライヴで表現できたと思いますか?

池貝:思います。ただ個人としてはシンプルな表現なんです。自分で書いた曲に対して、1曲ごとに向き合ったというか。でもそこにライヴのおもしろさがあるんですよね。身体的な理由だったり、あるいは感情がたかぶったりすることで、その時のムードが自分の中でわかっていくような感じで。自分でも気が付かなかったムードがいきなり開けたりするんです。「実はこういうことだったのか」という気付きがあって、そこに逐一反応しているだけなので実に普通のことだと思います。それにピュアってそういうことじゃないですか。周囲を気にして自分はこうするって決めるのではなく、個として反応すること。瞬発力のような。ライヴに対してちゃんと準備をして、メンバーそれぞれも納得することをやりきる。とりあえずステージ上ではピュア。振り返ってみるとライヴ自体はシンプルにそれだけでした。

――ライヴを終えた今、またやりたいという感覚はありますか?

池貝:あまり出し惜しみをする理由もないですし、個人的にはいつでもやりたいです。ただバンドはバンドなので。繰り返しになりますけど、バンドは個人の意志では決められないですね。

――個人的な意見も含め、今後どのように活動していきたいか教えていただけますか?

池貝:今ははっきりとはわからないんですよね。何か明確に言えたらいいんですけど……。今どうすべきかなんて明確な回答はないんじゃないですか? メンタルヘルスにも良くないし。この新型コロナウイルスの状況を考えると、自分のピュアな制作物を作ろうという意志以外にはあまり指標はないと思っています。個人として感じているのは、今は何を目指したらいいのかわかんないという感覚なんですよね。日本において、今ミュージシャンが何を目指すべきなのか。ピュアな思い以外のモチベーションってなんだろうなってことも考えるんですけど、みんな困っている感じもするんですよね。真面目に考えれば考えるほど、誰もがわからなくなっちゃうはず。でも別になくてもいいや。

――今の世の中は目指すべき目的や答えが何か不透明に感じますよね。

池貝:ダイバーシティ(=多様性)って言葉を聞いてひさしいですけど、その言葉の実態に矛盾を感じています。ダイバーシティって、多様なものがある状態を目指していたわけで、“多様性”という言葉を大事にする世界を目指していたわけではないですよね。本来、多様性というのは誰のものでもないのが正解だと思うんです。それなのに「みんなで多様性を持とう!」と謳うことに画一性を感じるというか。多様性って言葉が飛び交っているのに、音楽に関して言えば、何か個々人の手触りのようなものが失われているような気もするんですよね。どんなに良心的に正義を語っても、それは結局は両極端のカルトを生み出しているだけな気がする。フォロワーなき表現は、表現じゃないのかい? って、現代を生きる音楽家の僕が言っても矛盾に聞こえるかもですけど、今わりと独りで呟きたい気分です。多様性が目指すゴールとは? と考えてしまうから。ピュアって、もっと人に見えないところにあるものなのではないでしょうか。

池貝峻
バンド、yahyelのヴォーカルでフロントマン。yahyelは、2015年に東京で結成されたバンド。8月27日に恵比寿リキッドルームにてワンマンとしては約2年の沈黙を破って「THE CHOIR」を2部構成、各限定300人で開催。ライヴ後にはメンバーの山田健人監修によるライヴ映像と新作MVを配信するなど、活動を再開させる。現在、新作を制作中。
http://yahyelmusic.com/

Photography Shunsuke Shiga[portrait]
Text Ryo Tajima

author:

相沢修一

宮城県生まれ。ストリートカルチャー誌をメインに書籍やカタログなどの編集を経て、2018年にINFAS パブリケーションズに入社。入社後は『STUDIO VOICE』編集部を経て『TOKION』編集部に所属。

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