韓国生まれLA育ちのエレクトロニックアーティスト、CIFIKAと、コロナ禍で誕生した1stフルアルバム『HANA』

世界的にも注目される韓国の音楽シーンにおいて、着実に地位を築いているエレクトロニックアーティスト、CIFIKA。英語と韓国語で紡がれるリリックが、時に強く時に囁くように、浮遊感のあるサウンドと混ざり合って独特な世界観を形成する。その革新的な音楽性は『DAZED』や『i-D』などの海外メディアにも取り上げられ、2018年には約1ヵ月のUSロングツアーを成功させたことも記憶に新しい。そんな彼女が待望の1stフルアルバム『HANA』をリリース。コロナ禍での制作期間を経て完成した作品について。そして彼女が今、何を思っているのかを聞いた。

――デビューフルアルバムの題名は、韓国語で“1”を意味する『HANA』。これには、自身にとっての新たな出発点である以外にも、込められた想いはあるのでしょうか?

CIFIKA:文字通り“自分の音楽の第1章”という意味で、特に他意はありません。今までにEPを2枚リリースしてきましたが、『HANA』で自分が目指すべき音楽性がより明確になりました。私が今の気持ちを忘れないために“1”と名付けられたのはよかったと思いますし、自分のスタイルを作り上げていくための大きな一歩にもなりました。

――『HANA』は、日本語で“花”を意味する言葉と同じです。ジャケットのアートワークも相まって、私達日本人は花をイメージしますが、それはただの偶然でしょうか?

CIFIKA:まったくの偶然ですね……。『HANA』が日本語で“花”を意味することは知っていましたが、ジャケットのアートワークが花を連想させるとまでは考えてもいませんでした。大型ハドロン衝突型加速器と曼荼羅から着想を得たデザインなんです。でも花に似ているっていうのも素敵ですね!

――本作についての説明に“土、水、火、風”といった、自然を構成する4つの要素を挙げられていました。では、現在のあなた自身を構成する、大きな要素を4つ挙げるなら、何になりますか?

CIFIKA:忍耐、静寂、しなやかな強さ、結束。

――あなたが作品を構成するヴィジュアルに対して、とても強い意思とこだわりを感じています。ヴィジュアルに関するご自身の哲学を教えてください。

CIFIKA:歴史を振り返ってみても、芸術のあらゆる分野はそれぞれが常に隣り合っています。詩人と画家、作家と音楽家など、それぞれが呼応し合い、そのときどきの社会や現実を反映した作品を作っているように。同様に、私も科学や哲学など、さまざまな分野からインスピレーションを受けたいし、本作のアートワークの最先端テクノロジーの1つである、ハドロン衝突型加速器と神秘的な歴史ある曼荼羅を掛け合わせもずっとやってみたかった。このアイデアが浮かんでから、韓国の3Dアーティスト集団のYNRとコラボしたいと思っていて、実際に彼らは私のアイデアをさらに膨らませて、(アルバム収録曲の)「Reborn」に反応する幾何学的な形をした生物を作ってくれました。何度も話し合って意見を交換しましたし、彼らは参考のためにガストン・バシュラールの『空と夢–運動の想像力にかんする試論』や『蝋燭の焔』など自然に関する本も貸してくれたんですよね。

――新型コロナウイルスのパンデミックの渦中での作品制作は、経験されたことのないものだったかと思います。いかがでしたか?

CIFIKA:最初は落ち着いた生活や静まり返った街を楽しんでいました。でもソウル市内の感染者が増えてきて、ミュージシャンやDJ、クラブを経営している友達の活動にまで影響が出るようになってからは悲しくなったし落ち込みましたね……。今もみんな思うように活動できていないし、音楽業界は自粛せざるを得ない状況です。私もこの苦しい状況を生き抜くために、新しい音楽をより多くの人に届けたり、ファンと会う方法をなんとか画策しています。出演イベントの準備を私はしなくていいので、楽曲制作の時間こそありますが、新譜をリリースしてから単独ライヴもできていなのでつらいですね。

――日本では、大規模な音楽祭の中止やアーティストのツアー延期などがありましたが、韓国ではどうでしょうか? 現在の韓国の音楽シーン、そしてあなたを取り巻く環境の変化について聞かせてください。

CIFIKA:韓国も同じ状況ですね。今年の3月、私はサウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)でのライヴのためにテキサスに滞在して準備していたのだけれど、その頃に新型コロナウイルスが流行り始めて、結局本番6日前に中止になって韓国に帰国したんです。その後もソウルでいくつかライヴの予定があったけど、すべてが延期、もしくは中止になったわ。現在は少しずつクラブの営業が再開しているけど、50~150人以上のキャパのライヴは規制が厳しいし、政府からの警告もあります。正直、韓国の音楽シーンもかなり厳しい状況が続いていますね。

――2018年には2度、来日されていますが、その時の日本の印象はいかがでした? そして現在の日本の音楽シーンについてどう感じていますか?

CIFIKA:ライヴ会場の入り口前にいた観客のクレイジーな格好には目を見張ったわ。髪を青く染めた若い男の子がパンキッシュなジャケットを着ていたり、近くをうろついていたスケーター達が白いゴスの格好をしていたり、アヴァンギャルドな服を着たグループがいたり……。とにかく多様で、何よりみんな生き生きしていましたね。もちろんお寿司も最高でした。もう1つ、ライヴの会場がWWWX(渋谷)だったんだけど、とにかく音響がクリスタルみたいに澄んでいて驚きました。イヤーモニターをつけたなくてもいいくらい。ライヴをしていてとても楽しかったし、スタッフも最高でしたね。それにOKAMOTO’Sのオカモトレイジや、ラッパーのHiyadamとも仲良くなったわ。またすぐにでも日本でライヴしたいです。

――今後、どのようなことに挑戦したいですか?

CIFIKA:もっと規律正しく過ごしたいですね。タイムスケジュールもそうだし。新型コロナウイルスが流行ってからは仕事は思うようにできていないし、ライヴもできなくて気力もモチベーションも下がってしまったけれど、だからこそ時間を有意義に使って、次のアルバムに向けてデモを作りたいし、楽曲制作のスキルやヴォーカルも鍛えていきたい。そのためにタイムスケジュールを徹底して規律正しくしながら、長期戦を覚悟しています。コロナが収束するまでの一番の挑戦ね。

――最後に、このインタビューで初めてあなたを知り、そしてもっとあなたのことを知りたくなった読者達に、メッセージをお願いします。

CIFIKA:こんにちは、CIFIKAです。音楽を作ったり、歌ったりしています。私は自然が大好きで、特に水や深海生物は最高。すぐにでも日本でライヴがしたいんだけど、コロナのせいで行けなくなってしまったわ。できることなら、みんなに直接会って声を聞かせてあげたいけど、事態が収束するまではデジタル音源を楽しんでほしい! そして、日本のつけ麺が大好きで、前に日本でライヴした時に食べことが忘れられないけど、当分はお預け。きっと今夜もつけ麺の夢をみるわ。とにかく、CIFIKAって名前を忘れないでね!

CIFIKA
元グラフィックデザイナーという、異色の経歴を持つエレクトロニックアーティスト。自身がプロデュースとボーカリストの両方を担う。1990年に韓国・ソウルで生まれ、中学時代にアメリカに渡り、10年以上を LAで過ごす。音楽を作り始めたのは大学時代。サウンドクラウドにアップした作品が注目を浴びたことをきっかけに、2016年にホームグラウンドを韓国に移してデビュー。同年、韓国大衆音楽賞の候補にノミネートされると、海外メディアでも紹介され、国内外のエレクトロニックミュージックシーンで一気にその名を知られる存在となる。2018年には2度の来日も果たしている。
Instagram:@cifika_

Text:Tommy

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相沢修一

宮城県生まれ。ストリートカルチャー誌をメインに書籍やカタログなどの編集を経て、2018年にINFAS パブリケーションズに入社。入社後は『STUDIO VOICE』編集部を経て『TOKION』編集部に所属。

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