「TOKION Song Book」Vol.2 苦境から強い結束力、親和性を生み出したテイラー・スウィフトの「exile」

16歳でデビューを飾り、セカンドアルバム『Fearless』でグラミー賞最優秀アルバム賞を当時最年少の20歳で受賞したテイラー・スウィフト。彼女はカントリーミュージック出身ながらポップス、ロック、R&B、ダンスなどジャンルの垣根を大胆に超えながら、数えきれないほどのヒットソングを生み出してきた。そしてこのコロナ禍の自粛生活の中で、彼女はリモートでアコースティックな音色が幻想的な作品を生み出した。2020年7月23日深夜に予告なしに突如リリースされたテイラーの曲をアメリカ在住作家、新元良一が独自に読み解いていく。

わがことながら、生来のへそ曲がりである。圧倒的な人気を誇り、新作が出るたびにヒットチャートの首位に立つミュージシャンにあまり興味がわかず、“食べず嫌い”のまま聴き逃した曲は少なくない。筆者にとって最近まで、テイラー・スウィフトもそんなミュージシャンだった。彼女の最新作『folklore』も、アーロン・デスナー(ザ・ナショナル)やボン・イヴェールといったインディー・ロックの人間が関わっていなければ、おそらく耳にすることはなかっただろう。
だがファンでないことやリスニングの未経験が、偏見や先入観をとり除き、本作と正面から向き合う機会を与えてくれた。アルバムを通して、テイラーと彼女の音楽への親和性をもたらせてくれたのだ。

ではその“親和性”は何かと言うと、各曲に帯びている内省的な性質からきている。先のボン・イヴェールの『フォー・エマ、フォーエヴァー・アゴー(For Emma, Forever Ago)』(2008)、さらにさかのぼると、ジョン・レノンの『ジョンの魂』(1970)などを初めて聴いた時に得た感覚である。リズムをスローに抑え、凝った演奏は避け、歌唱を前面に打ち出すこれらの作品に共通する音楽は、聴く側がミュージシャンの内面をのぞいているような気分に浸れる。ただ『folklore』と両作品が異なるのは、イヴェールやレノンが自発的にスタジオにこもりアルバムを作ったのに対し、テイラーはその空間に身を置く以外、表現者としての選択肢がなかった点にある。
それは、コロナ禍に翻弄される社会の現状を示している。感染防止のため、ミュージシャン仲間や制作関係者達との交流など行動が制限される中、彼女は収録曲を書き上げ完成させた。
こうした不自由さはもちろん彼女だけでなく、世界中の人々が同じように遭遇している。つまり、誰もが普段の生活や自分を見直すようになった状況にさらされることで、作る側と聴く側との間に固い結束が生まれ、筆者のような長年のファンでなくても感情移入する効果を呼び込むのだ。
先の親和性は、苦境から発生したこうしたつながりを意味するもので、これを色濃く反映したのが収録曲「exile」である。イヴェールとの共演は表面的には男女の恋愛とその破局を語るが、曲の深層部は孤独の世界に突如として投げ出された悲哀を漂わせている。

君が立っているのが見える
君の体に彼が腕を回す
笑い飛ばしても、そんなジョークなどおもしろくもない
君ときたら、たった5分でふたりの関係を清算し出て行った
玄関にありったけの愛を置き去りにし

こんな映画を前に観た記憶がある
結末が好きになれなかった
君はもうぼくの祖国じゃない
それでもぼくは何かを守るというのか?
君はわが町だったが、いまのぼくは流浪の民、君がいなくなるのを見送る
こんな映画を前に観た記憶がある 
(拙訳)

恋人だった人の元から去っていく設定だが、離れてしまった相手に対して、「祖国」や「わが町」という言葉を使っているのが興味深い。残された者にとっては、たとえよそで何をしようとも、どれだけ長く距離をおいていても、帰れる場所であり、かつて太い絆で結ばれた関係だったことを示す。
不動と思えたそんなよりどころが、自分の前から消え去った。あるいは、そんな場所を支える柱のようなものが欠けてしまい、ひとりぼっちになった者は、過去を引きずり戸惑うしかない。

あなたが見つめるのはわかっている
自分の代役はこの男なのかって
わたしを取り戻すなら殴りもするって
2度、3度、いえ何百回ってあったチャンス
折れかかった枝の上で堪えつつ
視線の侮辱が傷を深める

こんな映画を前に観た記憶がある
結末が好きになれなかった
わたしはもうあなたを悩ませはしない
それでもわたしは誰かを困らせているの?
こんな映画を前に観た記憶がある
もう脇のドアから出て行くから  
(拙訳)

ここで目を引くのは、相手が“脇のドアから出て行く”部分。家をイメージさせる表現だが、ともに作ってきた愛の巣は存在しなくなった喪失感が滲みでている。
喪失感はまた、これまで続いていた日常への思いと捉えることもできる。失って初めて「家」のありがたみを覚え、自分がどれほど頼りにしてきたか、愛しい気持ちを抱いてきたかを骨身で知る状況である。
そうした観点から、今われわれがいる状況と相通じるところを感じる。コロナの感染拡大以前の穏やかだった日々はもはや遠くに過ぎ去り、そんな時代を懐かしみ、思い出すことに執着するわれわれの募る寂しさや虚しさが、曲の後半でさらにシンクロしていく。

だったら出て行けばいい、君のためにこぼす涙なんてこれっぽっちもない
いままで
ふたりしてあぶない橋ばかり渡ってきた
君はぼくに耳を貸そうとしなかった(あなたはわたしに耳を貸そうとしなかった)
うまくいっていない素ぶりはなかった(素ぶりなら何度も見せた)
いままで
君の気持ちをくんでやれなかったか(わたしの気持ちをくんでくれなかった)
元どおりにできなかった(元どおりにしてくれなかった)
うまくいっていない素ぶりはなかった(素ぶりなら何度も見せた)
何度も、何度も素ぶりはあった
あなたは目を向けなかった  
(拙訳)

度重なる危険信号を無視してきたツケが、恋愛の破局という結果となり途方に暮れる。それはまるで、科学的データによる世界規模の感染症の警告を受けながら、現実を直視しなかった政治家、そしてそんな政治に無関心だったわれわれの心境を鏡に映すかのようだ。
誰もが知るポップスターであっても、恋愛の破局、さらにはパンデミックがもたらす不自由さ、莫大な数の犠牲者が出る不幸に心が張り裂けそうになる。その気持ちを歌にのせ、人々と横一線のつながりを作るところに、テイラーのあふれる才気とほとばしる感性が見てとれる。

Text Niimoto Ryoichi
Illustration Masatoo Hirano
Edit Sumire Taya

author:

新元良一

1959年神戸市生まれ。作家。1984年に米ニューヨークに渡り、22年間暮らす。帰国後、京都造形芸術大で専任教員を務めたあと、2016年末に再び活動拠点をニューヨークに移した。『WIRED』日本版にて「『ニューヨーカー』を読む」を連載中。主な著作に『あの空を探して』(文藝春秋)。ブルックリン在住。

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