ロン・モレリとレコードレーベル「L.I.E.S. Records」の10年―後編―

プロデューサー、DJとしても活躍するロン・モレリは、多角的に長年音楽と関わってきた人物だ。音楽関係者にとって非常に厳しい1年となった2020年も、アルバム『Betting On Death』をHospital Productionsから発表し、今年10周年を迎えた自身のレーベル、「L.I.E.S. (Long Island Electrical Systems) Records」は20作品をリリースした。Delroy EdwardsSvengalisghostBeau WanzerTzusingといったアーティストは、このレーベルによってキャリアを築いたと言っていい。また、すでに活躍していたLegoweltBroken English Club / Oliver Hoといったアーティストを新たなオーディエンスの耳に届けた。NY出身で、現在はパリを拠点とする彼の視点を探りながら、日本の文化や音楽との関わりについても聞いた、本邦初のロングインタビューの後編(※前編はこちらより)。

「C.E」とのつながりから実現した初来日

――日本との接点という話題に移りたいと思いますが、初来日は「C.E」主催のパーティだったんですよね?

ロン:そう。初来日が「C.E」で、その1年後に2度目の来日をした。「C.E」のディレクターのトビー(・フェルトウェル)は、僕が仲のいいThe Trilogy Tapesのウィル・バンクヘッドの親友なんだ。それまで来日の誘いがなかったわけではないんだけど、長距離の移動は避けていた時期があって、2017年にトビーが声をかけてくれたからやっと行くことにした。行ってみたら夢のように最高だった(笑)。本当にぶっ飛ばされたね。だから2回目の来日は長めに滞在したんだ。トビーとはその時が初対面だったけど、他にもレーベルのアーティストなど共通の友人はたくさんいた。初来日した時に、Nozakiにも初めて直接会った。Nozakiは確か、レーベルアーティストのSamo DJの紹介で、連絡を取り始めたんだったと思う。彼はシカゴハウスとイタロディスコにめちゃくちゃ詳しいからね。オタク話で盛り上がった(笑)。それで、彼のレコードも出すことになったんだ(DJ NozakiはZZZ名義でL.I.E.S.から2018年にEPをリリースしている)。ちょうど最近、彼に頼まれたリミックスを作っているところだよ。NozakiとBonobo(オーナーの)Seiが一緒にやっているという謎のプロジェクトの曲(笑)。

――そういえば、あなたは(ANTIBODIES Collective、「ヒト族レコード」の)カジワラトシオさんaka Bingさんともお友達ですよね? 彼もかつて「A1 Records」に勤務していましたが、同僚だったんですか?

ロン:いや、一緒に働いたことはないんだ。僕は彼が日本に帰国してしばらくしてから入ったから。彼が働いていた頃は、僕はただの客だった。彼は、オリジナルA1クルーの1人だった。1990年代後半、トシオ以外はいかついフランス人ばかりで、みんな店の中でタバコ吸ってて、坊主頭で首にはチェーンって感じで、まあ威圧的だった(笑)。はっきり言って、店に入るのに勇気がいったよ。店の人と初めて会話したのは、5年くらい通ってからだったと思う。

――そんなに(笑)!!

ロン:本当だよ、それくらい怖かった。でも、トシオは僕を含むたくさんの人間にとって教祖のような存在だった。彼があの店にアヴァンギャルドの要素を持ち込んだ。あの店に深みを与えたと思う。彼以外はヒップホップを軸にしていて、レアなヒップホップ盤や、ソウル、ファンクのドラムブレイクがない盤は、全部1ドル箱に放り込まれていた。よそでは200ドルで売られているノイズレコードも、彼らにはどうでもよかった。でもトシオはそういうレコードを全部知っていたから、彼が入ってレフトフィールドな音楽もそろっている店ということになった。トシオは、アンダーグラウンドなハウスやテクノにもすごく詳しかった。だから、何年も通って話すようになって、いろいろ教えてもらったんだ。僕はトシオがあの店の評価を大きく変えたと思う。それに、NYがもっともカラフルだった、あの時代を経験できて良かったと思う。店には本当におかしな客がたくさん来ていたからね……(笑)。客としてそうやって通っていて、2009年から自分も働くようになった。

――その頃の「A1 Records」には通えませんでしたが、自分も1990年代前半はもっともレコード屋に通いつめていましたね。

ロン:レコード屋はマジカルな場所だったよね。僕の場合は、毎週土曜日に電車で街に出て、コーヒーを飲んでから10軒くらい回って、最後はバーに行ってグデングデンに酔っ払って帰ってくるというのが習慣だった。懐かしいよ。

――来日した際にBingさんの「ヒト族レコード」にも行ったんですか?

ロン:いや、それはできなかったんだけど、神戸の「Troop Cafe」のイベントに彼もDJで出てもらって、素晴らしいセットをプレイしてくれたよ。その時10年ぶりくらいに会って、とてもいい時間を一緒に過ごせた。彼は今ダンスカンパニーで音楽を作っているのを知っているから、ぜひ音楽を送ってくれって言ってるんだけどね。ミステリアスな人だからわからない(笑)。いつか一緒に何かできるといいな。次日本に行った時にはお店にも行きたいよ。

「アンダーカバー」のランウェイショーの音楽制作

――そして2020年のはじめには、「アンダーカバー」のパリでのランウェイショーの音楽を制作していますが、それはどういう経緯で?

ロン:ジュン(・タカハシ)は、音楽コレクターとしても有名だけど、どういうわけか、僕が2015年にHospital Productionsから出した、かなりノイジーなアルバムをとても気に入ってくれていたらしくて。あまりこれを好きだと言う人はいないんだけど(笑)。友人のLow Jackがすでにジュンとつながっていて、その話を聞いて紹介してくれた。何度かEメールのやりとりをして、「何か一緒にプロジェクトをやろう」と言ってくれたので、「もちろん」と返事したけど、Tシャツかミックステープか何かかと思っていた。そしたら、「2020年の1月はパリにいるか」と聞かれて、「ちょうどその頃はいます」と言ったら「ランウェイショーがあるから、その音楽を作らないか」と言ってくれて。ビックリしたよ。それはまったく想像していなかったから。「とても光栄ですけど、そんなことは今までやったことがありません。もしそれでも信じて託してくれるというなら、精一杯やります」って返事したんだ。

引き受けたはいいけど、そこからさらに予想していなかった展開で、ただのショーではなくて有名な振付師も参加するシアターパフォーマンスだという。ダミアン・ジャレという人で、マドンナなんかの振付をしている(笑)。振付師と仕事をするのも初めてだったから、まったく未知の世界だったけど、まず僕が音楽を作って、それをダミアンが聴くところから始まった。その間僕はツアーがあったから、友人でレーベルアーティストでもある、Krikor Kouchianに手伝ってもらって、彼がダミアンと相談しながら最終のミックスダウンとエディットをしてくれた。リハーサルは2日間だけだった。それにもショックを受けた(笑)。でも心底感心したんだけど、ダンサーの人達が素晴らしくて、2日間練習をしただけなのに当日見事なパフォーマンスしてくれた。コレクション自体が、黒澤明の映画『蜘蛛巣城』をベースにしていたので、映画のサウンドトラックからサンプリングしてほしいと言われていた。だからサンプルが多いんだけど、それをさらにだいぶヘビーな音に仕上げた。決して踊りやすい音楽ではなかったんだけど、僕の予想を遥かに超える完成度のショーだった。その音楽のレコードが1月16日にリリースされた。そのタイミングに合わせて、一緒に服も少し作ったので、それも同時期に発売されたよ。「アンダーカバー」も設立30周年で、L.I.E.S.も10周年だったから、一緒に東京やNYでも何かやろうと話していたけど、それは残念ながらかなわないね……。

L.I.E.S.からリリースした日本人アーティスト

――つい最近では、Manisdronという日本のアーティストの作品をL.I.E.S.からリリースしましたね。goatというバンドのドラマーのソロプロジェクトですが、日本ですらほとんどまだ知られていないと思います。これはどういう経緯があったのでしょうか?

ロン:これは、非常に珍しいケースで、僕が直接知らなかった人の作品。アムステルダムの「Rush Hour」というレコード屋兼ディストリビューターに勤務するマーク・クレミンスという友人が紹介してくれたんだ。彼との付き合いはレーベルが始まった頃からだからもう10年で、彼の素晴らしい仕事ぶりのおかげでレーベルがここまでになったと言ってもいい。それくらい世話になっている人で、レーベルのことをよく理解しているし、今ではとても良い友人でもある。彼から、プロジェクトの提案があったのはこれが初めてだった。このタカフミ・オカダ(Manisdron)の楽曲を聴かせてくれた時、これはL.I.E.S.にぴったりな、まさに僕が求めている音楽だと思った。さまざまなジャンルの間にあるような音楽。普通のクラブレコードではないけれど、ビートはちゃんとあり、ロックでもないしノイズでもないし、どこにも収まらないグレーゾーンの音楽だ。しかも彼自身で歌も歌っている。一度聴いてすぐに引き込まれたよ。リリースまでのやりとりもとてもスムーズで、本当にこの作品が出せて良かったと思っている。反応もとてもいいよ。(オランダ、ハーグのカルトDJ)I-Fが即気に入ってプレイしている。

『Manisdron』 Manisdron

――当初は「日本の音楽や文化から受けた影響」を聞こうかと思っていたんですが、これまでの話を聞くと、特に何か日本的な要素に引かれているわけではなく、個人的なつながりや自分のアンテナに引っかかったものがたまたま日本のものや人だった、という感じですね。

ロン:オカダの音楽に関して言えば、先程言ったように、さまざまなジャンルが交差しているところがおもしろいと思った。僕もなんと形容したらいいのかわからない。こういう、5つくらいのジャンルを融合するようなことを試みる人は他にもいるけど、大抵は失敗する(笑)。でも彼の場合は実にいろんな音楽からの要素が聴き取れるけれど、それが完璧に組み合わさっている。これは珍しいことだ。彼の実際の音楽遍歴は知らないけど、テクノ、オブスキュアなノーウェイヴ、クラウトロック……それらすべてが入っている。日本の人をひとくくりに一般化するつもりはないけれど、日本の文化的な特徴は、何かをやるとなったらとことんエクストリームに突き詰めるところだよね。極めようとする。例えば、おそらく東京の職人の作るピザのほうが、イタリアのナポリよりうまい。オカダもそういう人なんじゃないかと想像するよ。長年いろんな音楽を聴いて、クールな音楽は全部知っていて、その上でやっているんだと想像できる。トシオ・カジワラもそういう人だしね。Nozakiのシカゴハウスとイタロへの執着の度合いもすごい。突き詰めているからこその洗練がある。

例えば日本のノイズシーンは、世界でももっともエクストリームなものの1つだよ。インキャパシタンツという有名なグループがいるけど、彼らが福島の崖っぷちで何かいろんな工具を使ってパフォーマンスしてる映像がYouTubeにあるんだけど、むちゃくちゃぶっ飛んでる! あと、もう1つ有名なのはボアダムスのEYEがハナタラシ時代にブルドーザーでライヴ会場に突っ込むやつとかね! 西洋音楽でもエクストリームなものはあるけれど、日本の度合いは振り切れていると思う。こういうエクストリームなエネルギーが僕は大好きなんだ。

ロン・モレリ
NYブルックリン出身。2010年にマンハッタンの老舗中古レコードショップ、「A1 Records」に勤務するかたわら、自身のレーベル、L.I.E.S. Recordsを立ち上げ、地元シーンの新たな才能を次々と発掘。“ロウ・ハウス”と呼ばれるスタイルでNYの新たなクラブシーンを牽引する。2013年に拠点をパリに移し、常にレフトフィールドなエレクトロニックミュージックを開拓し続けている。DJとしてNTSのレジデントを務める他、プロデューサーとしては、ノイズ/インダストリアルレーベルのHospital Productionsからアルバムを5枚発表し、2020年1月には「アンダーカバー」のパリのランウェイショーの音楽制作を担った。
https://liesrecords.com
Instagram:@lies_records

author:

浅沼優子

フリーランス音楽ライター/通訳/翻訳家。複数の雑誌、ウェブ媒体に執筆する他、歌詞の対訳や映像作品の字幕制作なども手掛ける。2009年からはベルリンを拠点に、アーティストのマネージメントやブッキングエージェント、音楽イベントの企画・制作も行っている。

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