ロン・モレリとレコードレーベル「L.I.E.S. Records」の10年―前編―

プロデューサー、DJとしても活躍するロン・モレリは、多角的に長年音楽と関わってきた人物だ。音楽関係者にとって非常に厳しい1年となった2020年も、アルバム『Betting On Death』をHospital Productionsから発表し、今年10周年を迎えた自身のレーベル、「L.I.E.S. (Long Island Electrical Systems)Records」は20作品をリリースした。Delroy EdwardsSvengalisghostBeau WanzerTzusingといったアーティストは、このレーベルによってキャリアを築いたと言っていい。また、すでに活躍していたLegoweltBroken English Club / Oliver Hoといったアーティストを新たなオーディエンスの耳に届けた。NY出身で、現在はパリを拠点とする彼の視点を探りながら、日本の文化や音楽との関わりについても聞いた、本邦初のロングインタビューの前編。

L.I.E.S. Records設立前からの足跡

――これまで日本の媒体でインタビューをしていなかったとは意外です。

ロン・モレリ(以下、ロン):一度、DJとして来日する直前に宣伝用に短いメールインタビューを受けたことがあるけど、それだけだね……。『TOKION』は知ってるよ。1990年代はニューヨークでよくパーティをやっていたし、その頃は確かNYにも事務所があったんじゃないかな?

――そうだったんですね! まずは基本的なところから教えてください。L.I.E.S.は設立から今年でちょうど10年だそうで。最初はどういう動機で始めて、この10年間をご自分ではどう振り返りますか?

ロン:L.I.E.S.を始める以前から、すでに音楽には深く関わっていた。短命に終わったけど1990年代前半にパンクのレーベルと、1990年代後半にはインディペンデント・ヒップホップのレーベルをやっていたことがあったので、どうやってレーベルを運営するかのノウハウは知っていたんだ。でもそれから2000年代後半までは、レーベルをやりたいという気持ちにならなかった。気が変わったのは、その頃自分の周りにいた仲間がみんな音楽を作っていたのに、それを世に出す方法がなかったこと。作った音楽はただその辺に転がっている状態で、ちょうど自分もその頃仕事が変わったりしていて、当時のルームメイトがレーベルを始めたところだった。それで、自分もレーベルをまたやってみるのもおもしろいかもしれないなと思ったんだ。だから、とりあえず小さい規模でリリースを始めて様子を見ようという感じだった。大きな計画はなかったよ。だから有機的に、やっていくうちに人のネットワークが広がって、レーベルも成長していった。それが意図せず、ブルックリン、NYに1つのシーンを形成することになった。

この時期は、NYがものすごく変化していた時期でもあった。それまでに主要なクラブは閉店してしまっていたけど、新しいクラブやバーができ始めて、イリーガルのウェアハウスもたくさんあったから、そういう状況とも相まって僕らのクルーの周りにシーンができ上がっていった。レーベルを始めて3年くらいたったら、国外からの関心も高まって、僕らのクルーもみんな海外をツアーをするようになって、その間に地元の若手もどんどん出てきて、もう4、5年たった頃にはシーンの重鎮みたいになっていたね(笑)。僕は2013年にパリに拠点を移して、そこからはブルックリンの小さいシーンにこだわらず視野を広げていった。レーベルを続けていく上では、その変化も重要だったと思う。当時は「A1 Records」というマンハッタンの中古レコード屋で働いていて、心地のいい生活ペースだったけど、その一方でずっとNYを離れてみたいとも思っていたから、そのタイミングとして最適だった。

質問の後半部分に答えると、レーベルを始めた時は特にゴールは設定していなくて、とにかく自分達の音楽を世に出して、聴いてくれる人のところに届くだけで嬉しかった。でも、やっていくうちに新たな目標とか課題が出てきて、レーベルを存続させていくにはどうするかという挑戦があったね。「新しいもの」としての注目を集めるのは一度だけで、人はすぐに飽きるから。1980年代や、1990年代でさえも、音楽ファンはもっと自分の好きなレーベルやアーティストに忠誠心あって、次の作品が出るまで2年も3年も待ったものだけど、今は違う。どんどん「次」のものを求めて移動してしまうから、飽きさせずにおもしろいものを出し続ける必要がある。僕の場合は消費者の反応に合わせて何かを決めることはなくて、常に自分とアーティストを第一に考えるけどね。そうでなかったら、今頃レーベルはまったく違った方向に行っていたと思う。万人には受けないとわかっている、挑戦的な作品を出してきたのは、僕自身がおもしろいと思えるもので自分に挑戦したいからでもある。

L.I.E.S.は、自分自身の人生の記録

――確かに、これまでの作品を見ていると、(シーンのトレンドなどよりも)あなたの個人的な思い入れやアーティストとの関係性が強く表れているように見受けられます。とてもパーソナルなレーベルですよね。大量に送られてくるデモから売れそうなものを選ぶ、という感じは受けません。

ロン:それは一切ないね。基本的にデモは受け付けていない。それが世界一素晴らしい音楽であっても、僕の場合は人としてのつながりがあって、その音楽がその人にとってなんなのかを知ることが重要。僕にとってこのレーベルは、自分自身の人生の記録みたいなところもあるから。例えば、今年はフランスのアーティストの作品をたまたま多く出すことになったけど、それは自分の今の生活や交友関係も反映してのこと。

――言われて思い出しましたけど、本当に2000年代はNYのダンスミュージック、クラブシーンが停滞していましたよね。それほど影響力のあるクラブやレーベルがなかった。その空白にL.I.E.S.が現れて新しいサウンドを届けた。

ロン:NYにとって変な時期だったと思う。知っている人もいると思うけど、1990年代にジュリアーニ(当時のNY市長)が街の「クリーンアップ」を始めて、アンダーグラウンドのクラブなどが一掃されてしまった。主流のクラブさえもね。そして9.11(2001年)があって、とどめを刺された感じだった。1990年代のようなリアルなNY・ハウス、Strictly RhythmとかMasters At WorkとかFrankie BonesTodd Terry……、といったシーンが亡くなってしまい、同時に音楽のデジタル化の波も来たものだから、レコード屋やディストリビューターもどんどんなくなって、音楽をとりまく環境がすっかり変わった。それまでのやり方は続けられなくなってしまった。

2010年当時のNYでは、ディスコのエディットものがはやっていたけど、現行のアーティストのオリジナルのトラックを出しているレーベルはあまりなかった。だから、場所とタイミングの条件がたまたまそろったということなんだと思う。これまで自分でこういうことを言うのは避けてきたけど、今改めて振り返ってみて思うのは、当時レーベルを始めた時にたくさんの人が支えてくれたし、結果としてそういう人達とともに新たなシーンを築いたと言えると思う。その頃からずっと関係を維持しているアーティストもいるけど、アーティストとしてもレーベルとしても、同じことを繰り返したくはない。同じ場所にとどまってはいけないと思う。だから時間の経過とともに、新しい人や音楽を発見してプッシュしていかないとね、フレッシュさを保つには。残念なことだけど、いくら優れた音楽でも、今は消費されてしまうサイクルが速いから。

――まだ人々が知らない新しい人や音楽を紹介することの楽しさというのもありますよね。私個人もそういう記事を書いたりするほうがやりがいを感じます。

ロン:それもあるね。新たなストーリーを求めているところはあると思う。リスナーも、ただ音を聴くだけでなく、その背景にあるストーリーに共感するかどうかが魅力の半分くらいを占めているように思うし。

――「A1 Records」に勤務していたという話が先ほど出ましたが、中古レコード屋というのはまさにそういうところですよね。もちろん名盤を買いに来る人もいるけど、ほとんどのお客さんは知られざる宝物を探しに来る。

ロン:「特殊な」レコード屋だからね、お客さんは店頭に出ているものより、レジの裏に置いてあるレコードが何か知りたがる(笑)。

――ちなみにL.I.E.S.は1人で運営しているんですか? 何がリリースされるかの判断はすべてあなたの独断?

ロン:一時期はジョンという友人に発送や事務仕事を手伝ってもらっていて、今もNYでそういう雑務をやってくれる人はいるんだけど、運営に関しては僕1人だよ。Eメールやら請求書やら、面倒な仕事も全部やってる(笑)。

――何がレーベルの作品にふさわしいかという判断基準は、自分が好きかどうかがすべてということになると思いますが、それが揺らぐ時はありませんか? それとも「A1 Records」のような一般の市場とは離れた特殊なお店で働いていた経験などから、揺るぎない判断基準みたいなものが確立されているんでしょうか?

ロン:僕はティーンエイジャーになる前から音楽にのめり込んできたから、結局は僕はいろんなタイプの音楽の熱狂的なファンなんだ。だから常に好奇心がある。新しいものを聴いてみたいという。もう僕も40代で、さんざんいろんなものを聴いてきたから、好きになれないものに対してすら好奇心がある。「なぜ僕はこれが好きじゃないんだろう?」って。例えば、かつてヴォーカルハウスを聴いた時に、「こういうのは大げさ過ぎる、あまり好きじゃない」と思ったけど、その3年後くらいに(ヴォーカルハウスの)いいレコードに1枚出会った時、その意味がすべてわかったりする。だから何を判断基準にするかというと、オープンマインドに純粋な好奇心を持つことじゃないかな。とはいえ、まったく好きじゃないものは瞬時にわかるけどね(笑)。でも「なんだこれは? 今まで聴いた中で最高な音楽なのか? それとも最低な音楽なのか?」と引っかかる、つまり好奇心を刺激されるものはおもしろいものだよね。何も引っかかるところがない音楽、リアクションが生まれない音楽は少なくとも僕の中では価値がない。例えば、テクノというスタイルの音楽は形式がかなり決まっているし、リリースされる量も多いからどんどん消費されてしまいがちだ。でも、例えば最近聴いたテレンス・ディクソンの新譜(『From The Far Future Pt.3』(Tresor))は、ジャンル的にはテクノだけれど極めてパーソナルで、彼独特の、誰にもまねできない、彼にしか作れないサウンドを作り上げている。「ただのテクノ・レコード」とは絶対に言えない作品だ。

それと、レコード屋で働いて学んだことは、音楽に対して謙虚でなければならないということ。中古のレコードを見ていると、もう存在しないディストリビューター、レーベル、活動していないアーティストがたくさんある。彼らの時代、特定のタイミングがあって、それが過ぎると消滅してしまう。いとも簡単になくなってしまう。その要因はなんだろうとよく考える。特定の音楽に限定してしまうと、その旬が過ぎた時に生き残れない。「ああ、あれはハウスのレーベルだね」とか「テクノのレーベルだね」と型にはめてしまうよりは、「なんだこれは!? どうしちゃったんだ!?」と首を傾げられるほうが、まだ好奇心が持てると思うんだ。永遠に自分のレーベルをやりたいと思っているわけではないし、いつか潮時だなと思ったらやめると思うけど、常にそのことは意識している。

コロナ禍の影響とこれからの音楽シーン

――今年は……非常に特殊な年でした。とにかくフィジカルな音楽活動がほぼ止まってしまいました。私の場合などは、これまでやっていたことがほぼすべて止まってしまいましたが、そんな中でL.I.E.S.は20枚もリリースしていたんですね! 現在の状況に、どう対応していますか?

ロン:本当はレーベルの10周年だから年間を通してレーベルショーケースのツアーなどを計画していたけど、結局年始にアテネで1回できただけだったね……。もともと毎年かなりの数のリリースはしているし、その計画もあったから、現在の拠点であるフランスのアーティストの作品も多めに出して、ここでいろいろイベントもやろうと考えてた。まあ、困難な年だったよ。ファンがサポートしてくれたおかげで、今のところ損害は出ていないけど、このまま現在の活動が続けられればいいなと思ってる。でも、現実には、向こう5~10年は相当厳しいと思う。来年は少しリリース数を減らして様子を見ようと思っている。いかに音楽産業がもろいものかがよくわかったよね。どれくらいのクラブが存続できるのかもわからない。

――今年の経験から気付いたこと、または学んだこと、これから変えていこうと思っていることなどはありますか?

ロン:前から感じていたことだけど、今年より強く感じたのは、最終的に頼れるのは自分だけだということ。自分の力で築き上げたものを信じること、それを曲げないことだね。エレクトロニックミュージックの世界というのは、簡単にのみ込まれてしまいがちだ。四六時中ツアーをすることに気を取られて、いつの間にか活動が機械的になってしまう。自分を見失ったことはないけれど、自分のパーソナリティを失わないようにすることの重要性に改めて気付いたかな。このシーンは極めて競争が激しいので、常に何かやって目立っていないといけないというプレッシャーがあるけど、実は一歩引いて、自分の時間も持ちながら活動を続けることは可能なはずなんだ。「止まったら終わり」と思い込んでいる人が多いけど、本当はそんなことない。自分はこのシーンの一員であるとは思うけど、ずっと抱えていた違和感もあった。いろんな場所を訪れるのは大好きだけど、自分は裏方にいるほうが向いているタイプだと思う。またツアーが再開されたら、しばらくの間は生活のためにやると思うけど、だんだんと自分なりのペースを確立したいと思っているよ。

※後編へ続く

ロン・モレリ
NYブルックリン出身。2010年にマンハッタンの老舗中古レコードショップ、「A1 Records」に勤務するかたわら、自身のレーベル、L.I.E.S. Recordsを立ち上げ、地元シーンの新たな才能を次々と発掘。“ロウ・ハウス”と呼ばれるスタイルでNYの新たなクラブシーンを牽引する。2013年に拠点をパリに移し、常にレフトフィールドなエレクトロニックミュージックを開拓し続けている。DJとしてNTSのレジデントを務める他、プロデューサーとしては、ノイズ/インダストリアルレーベルのHospital Productionsからアルバムを5枚発表し、2020年1月には「アンダーカバー」のパリのランウェイショーの音楽制作を担った。
https://liesrecords.com
Instagram:@lies_records

author:

浅沼優子

フリーランス音楽ライター/通訳/翻訳家。複数の雑誌、ウェブ媒体に執筆する他、歌詞の対訳や映像作品の字幕制作なども手掛ける。2009年からはベルリンを拠点に、アーティストのマネージメントやブッキングエージェント、音楽イベントの企画・制作も行っている。

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