今年、BMXに乗り始めて20年の節目を迎えた“ウッチー”こと内野洋平。幾度も世界王者を勝ち取ってきた彼のオリジナルトリックはグローバルスタンダードとなり、BMXフラットランドシーンに計り知れないほどの影響を与えてきた。
その内野がプロデュースしたBMXフラットランドとスケートボードの屋内パーク「THE PARK」が、昨年11月にオープン。BMXフラットランドの屋内パークは珍しく、世界基準のスケートボード用レールを構えたことで、ワールドクラスの国内トップスケーター達も集まると話題を集めている。
さらに、ニューヨーク発のバイクカンパニー「ブルックリンマシンワークス」のオフィシャルライダーとしての契約を結び、シグネチャーフレーム“MERIKEN”のローンチを発表。その快挙はストリートシーンのさらなる発展を予感させる。
BMXのトリックでは地面に足を着けない彼が、地に足を着け活動してきたその原点とこれからの展望までを聞く。
世界の壁の高さを痛感したが届かない高さじゃない
——20周年おめでとうございます。振り返ってみていかがですか?
内野洋平(以下、内野):ありがとうございます。本当に一瞬でした。10代、20代、30代と、時代ごとにたくさんの思い出が残っています。
——その中でも、一番のターニングポイントは?
内野:2005年、22歳の時ですかね。大きな出来事がいっぱいありました。まず、湘南乃風の「カラス」のMVに出演しました。その翌日には「ユニクロ」のCM出演が決まりました。それまで全然メディアに出ていなかったんですけど、立て続けにオファーがあったんです。さらにその年の日本選手権では、優勝することもできました。
——本当に大きな転機になった1年でしたね。
内野:そうですね。そしてこの年は世界大会にも挑戦しました。結果は8位。悪くはないけど、日本のBMXシーンはレベルが高かったので、世界トップ3に入賞できると思っていました。だから、納得ができなくて……。でも世界の壁の高さは自分が思っていたより上でしたが、届く高さだなとは思いました。それを理解できたので、ライディングのスタイルをフロント系トリックからリア系トリックに変えたんです。
——なぜまたこれまでのスタイルを変えたのですか?
内野:僕はマーティ・クオッパやビッキー・ゴメス、フランク・ルーカスといった、当時の世界のトップライダー達に敵いませんでした。そこでリア系のほうがオリジナルの技を編み出せるんじゃないかと考えて、リアにチェンジしてみたら、すごくたくさんオリジナルの技を思いついたんです。
——確かに。“ウッチースピン”をはじめ、ウッチーさんが開発したオリジナルトリックは、シーンに大きな影響を与えましたよね。スタイルを変えたばかりの頃、周りの反応はどうでしたか?
内野:スタイルを移行してからは大会にもショーにも出ず、一回業界から身を潜めたんですよ。2年弱、遊ばずお酒も飲まずに毎日10時間くらい練習をしていました。一度死ぬほど練習に打ち込んでみようと思って。当時ネットで、「内野が消えた」と話題になっているのを見ていましたよ(笑)。でも実は、消えたのではなくて超絶練習していました。
——オリジナルトリックが完成するまで披露せずに潜ったのですね。それはキャリア20年の中でも、一番つらい時期なんじゃないですか?
内野:二度とあんなに乗りたくない(笑)。ストレスで血尿も出たし、体がBMXに乗ることに対して拒否反応を起こして家から出られませんでしたからね。
——そこまでストイックに追い詰められるのもすごい。そして貴重な経験だと思います。では完成したトリックを初披露したのはいつ頃ですか?
内野:潜めて2年後の2007年11月に開催された、「KOG(=King of Ground ※BMXフラットランド全日本選手権)」です。オーディエンスを含めて反応はめちゃくちゃよかったです。
——その大会後に世界へ再挑戦を?
内野:はい。改善できる部分をブラッシュアップして、2008年5月にニューオーリンズで開催された「VooDoo Jam」に挑みました。予選は中途半端な10位でした。さらにそのあとは最悪のカードが続いて。1戦目が3年前の世界チャンピオン、2戦目が2007年の世界チャンピオン、そして当時の現世界チャンピオンにも当たって。でも、その歴代チャンピオン達のおかげで思い切って乗ることができて、優勝することができました。
——念願の世界チャンピオンですね!
内野:僕の人生の中でも、とても大きな出来事でした。それ以降、世界戦で予選落ちをしたことはありません。
——改めてこれまでの20年を振り返ってみて、大事にしていることはなんですか?
内野:BMXは1人の競技ですけど、1人では乗れない。一緒に練習するライダー仲間がいて、モチベーションを上げてくれる海外のライバル達がいる。そうして活躍すれば表舞台に立てる仕事が増える。それは世の中的には背負うものって言われますけど、僕は背負っているつもりはありません。僕が勝つことで幸せになれる人をたくさん作ったほうがやりがいになりますし、それが一番大事ですね。
BMXだけじゃなくストリート全体のために
——昨年11月、ウッチーさんがプロデュースしたスケートボードとBMXフラットランドがそろったパーク「THE PARK」が、湘南エリアの寒川町にオープンしました。日本トップクラスのスケーターが通っているそうですね。
内野:おかげさまで日本一レベルが高いパークとも言っていただいています。4月にレールを新しくしたんですよ。(白井)空良の要望で、オリンピックと同じ角度と高さにしました。
——空良さんはオープン時からの設計に携わっているそうで、以前に設置されていたレールも空良さんの要望で世界基準のサイズにしていましたよね?
内野:そうです。実際に街中にある手すりと同じ高さに改良しました。もともと世界基準の高さでしたが、スケートボードのオリンピック種目のストリートでは、この高さ。オリンピックを想定できるし、リアルなストリートでの練習にもなります。
——大会とストリート、その両側面において練習ができるのはいいですね。
内野:オープンしてよかったなと思うのが、世界で戦っているトップスケーターに加えて、街中で滑っているスタイルがかっこいいスケーターも来てくれていること。お互い知っているけど、案外接点がないこともあるので、ここで仲良くなる人も多いんですよ。
——BMXのパークはどうですか?
内野:各地からライダーが足を運んでくれています。一昨年まで寒川には、日本唯一のフラットランドのパークがあったんですよ。そこは世界的に見てもいいパークでした。でも去年、建物の老朽化で取り壊しになってしまって。その理由もあって、「THE PARK」をオープンしました。しかもフラットランドだけじゃなくて、スケボーのパークも併設させて。個人的な思いとしては、BMXだけじゃなくて、スケボーといったストリート全体を盛り上げたいという気持ちが強いんです。
——まさに、オーガナイズされているストリートスポーツの世界大会「ARK LEAGUE」に共通した思いですね。スケーターから刺激を受けることも多いのでは?
内野:スケートのキッズが失敗して1分くらいうずくまっていても、また階段を上がってトライする、その何度もチャンレンジしている姿を見ていると、僕だって怖くてちゅうちょしますけど負けてられないなと思えるんです。いい刺激になっていますよ。
憧れのブランドの一員となりシグネチャーフレームが完成
——そして、ニューヨークのバイクブランド、「ブルックリンマシンワークス」のライダーとなり、シグネチャーフレーム“MERIKEN(メリケン)”のリリースニュースが、世界的にも大ニュースとなりました。
内野:誰もが憧れるブランドなので、本当に嬉しかった。所属しているのは、昔から一緒にやってきたファミリーばかりですし。去年まではニューヨークのナイジェル・シルベスターがサポートされていたのですが、移籍してしまったので、現在サポートされているのは僕だけなんです。
——オファーがあった時はどうでしたか?
内野:信じられませんでした。「ブルックリン(マシンワークス)」からサポートされるのは本当にハードルが高くて、世界一になったからといって声を掛けられるわけじゃないですからね。オファーは、3年前に京都でショーをした際、ブルックリンのオーナーがいて、話していたら僕のシグネチャーフレームを作ってくれるという話になって。でも京都から戻ってすぐに希望するフレームの設計図を送ったのに、一向に話が進まず……。口約束だったし話が流れちゃったのかなって思っていたら、ブルックリンの日本の代理店の「W-BASE」が動いてくれて、去年の夏から本格的にフレーム製作がスタートしたんですよね。
——フレームのモデル名である“メリケン”には、どんな意味があるのでしょう?
内野:僕の地元、神戸にあるメリケンパークからですね。BMXを乗り始めた頃、いつも練習していた場所なんです。
——自身のルーツから命名したんですね。こだわった点はありますか?
内野:細かい話になりますが、ペダルとクランクをフレームとつなぐ部分をBB(ボトムブラケット)と呼ぶんですけど、その位置がそれぞれのフレームによって、地面からの高さが違うんです。フラットランドはBBの位置が重要なので、一番こだわりました。完璧な仕上がりです。
——今後、「ブルックリンマシンワークス」のライダーとして、どのような活動をしていきたいですか?
内野:ブルックリンは、NIGO®︎さんが1990年代にいち早く国内で乗っていたり、今の共同オーナーがファレル・ウィリアムスだったりして、バイクシーンの枠を超えて支持されているブランドなんですよ。だから僕もファッションや音楽も含めて、さらに深くカルチャー全体と関わっていけると思っています。ブルックリンと一緒に頑張っていきたいですね。
——ウッチーさんの今年の動きは、今まで以上に見逃せないですね。
内野:今年もビッグタイトルの世界選手権がコロナの影響で延期になってしまいました。とにかく今はブルックリンに乗って映像を残したいし、もっとストリートで乗りたいと思っています。街で乗るのがBMXやスケートボードの本来の姿ですからね。そうやって自分がやりたいことを発信していくためにも、世界チャンピオンの座を獲り続けたいです。