今回より、EXILE MAKIDAI、白濱亜嵐、VERBAL、DJ DARUMAによる音楽クリエイティブユニット、PKCZ®による新連載がスタート。メンバーが注目する、世界中のDJや音楽プロデューサー達に、コロナ禍におけるクラブシーンの現状と今後についてクロストークしていく。フィジカルな現場が激減してしまったクラブミュージックの未来とは。
Vol.1は、ドイツ出身のDJ/音楽プロデューサー、ボーイズ・ノイズ(Boys Noize)とのクロストーク。オンライン越しに登場したボーイズ・ノイズこと、アレックスは良いヴァイブスを放ちすこぶる元気。DJ DARUMAの「ひさしぶり、元気!?」の第一声でスタート。
今、ベルリンじゃなくてポルトガルに住んでいるんだ
Boys Noize(以下、アレックス):元気だよ! 早く日本へ行きたいよ。
DJ DARUMA(以下、DARUMA):TOKION初登場ということで、アレックスのプロフィールを教えもらえるかな?
アレックス:僕の名前はアレックス、ボーイズ・ノイズ。1982年にドイツのハンブルグで生まれて、音楽は6歳の時にピアノから始めたんだ。僕には10歳年上の兄がいて、彼がハウスミュージックのレコードを聴いていたんだ。1987年~1989年くらいの時期の、スティーヴ・シルク・ハーレー、マーシャル・ジェファーソン、ジャングル・ブラザーズといったヒップホップからヒップハウスなどを聴いて、僕は部屋でよく踊っていたよ。11、12歳の時には学校でドラムを始めたんだけど、スケートボードで転んで手を怪我してしまって、ドラムが叩けなくなったからレコードを買いに行くようになったんだ。そこからハンブルグにあるハウス&テクノレコード屋に毎日通うようになり、アルバイトを掛け持ちしてターンテーブルを手に入れたんだ。ハウスのレコードに関しては、兄から教えてもらっていた古い音から新しい音も買っていて、中でも当時はフレンチハウス、ディスコハウスが人気で、ダフト・パンクが1stアルバム『Homework』(1997)を出した時だったんだけど、初めてアルバムのレコードを買ったのはダフト・パンクだったよ。
DARUMA:レコード屋でも働いていたんだよね?
アレックス:そう。レコード屋の人が「君はいつも店にくるけど、なんならここで働く?」って声を掛けてくれて。15歳の頃だったんだけど、他のバイトを辞めてレコード屋で働き始めたんだ。彼は僕がすぐにターンテーブルを買えないことを知っていたから、バイトしながら金を貯めて、レコードは店で聴けばいいって言ってくれたんだ。その彼が16歳の時に、ハンブルグのハウスのクラブへ連れて行ってくれたんだ。ローカルDJのボリス・ドゥルゴッシがハウスミュージックをプレイしていて、彼のDJと目の前に広がる、若者から年配までのひとびとがクレイジーにその場を楽しんでいるその光景にやられてしまったんだ。その時に自分もDJをするようになって、その経験が人生を変えてしまった。初めて経験したギグで「これこそが一番のベストな世界。これが大好きだ!」と感じて、そこからお金をまた貯めてレコード買い漁ることをずっと繰り返していたんだ。
そこから間もなくしてレコード屋に来た人が「スタジオで曲を作るけど来る?」って誘ってくれて。もちろん僕は「YES!」。そのスタジオで初めてテンスネイク(以下、マルコ)に出会ったんだ。マルコに出会ったことがきっかけで、2000年に初めてキッド・アレックス名義でレコードをリリースしたんだ。そこでレコード屋を辞めて、20歳の時にベルリンへ引っ越したんだけど、その時はまだ「テクニクス」のターンテーブルのローン返済を終えていなかったよ。4年も働いていたのに、レコードばかり買ってしまってお金が足りなくてね(笑)。だけどベルリンに引っ越してから、自分のラップトップとドラムマシーンを使って曲を作り始めて、この時から“Boys Noize”と名乗るようになったんだ。その頃の音の特徴は、ヒップホップも好きだったこともあってティンバランドやザ・ネプチューンズのようにドラムの音に力を入れたことや、クラブで鳴っているヒップホップのビートをエレクトロニックなレコードにしたことかな。
それと同時にレコードレーベル「BOYSNOIZE RECORDS」を始めたんだ。だけどBoys Noize名義での最初のリリースは、DJヘルが運営するレーベル「International Deejay Gigolo」から。ベルリンでDJを始めた2003、2004年くらいに、ウエスト・バムやDJヘルと共演したことがあったんだ。1990年代にラブパレードへ行っていた僕にとって、彼らはとにかく大きな存在で、間違いなく10代の頃から憧れていたヒーローだった。それで2人に僕のデモを渡したんだ。そしたら次の日にDJヘルから契約の電話がかかってきて。「International Deejay Gigolo」はとにかくクールなレーベルだし、本当に嬉しかった。そこからドイツだけでなく、イギリスや他の国でもギグを行うようになって、もうすべてがエキサイティングに始まったんだよ。……わあ、話しすぎたね(笑)。
DARUMA:ありがとう! すごく伝わりました(笑)。少し話を変えて、新型コロナウイルスによって世界中のクラブシーンが打撃を受けているけど、現在のベルリンのクラブシーンはどうかな?
アレックス:実は今、ベルリンじゃなくてポルトガルに住んでいるんだ(笑)。
DARUMA:え! ポルトガル!?
アレックス:(笑)。ポルトガルに来て1年半くらいになるんだ。コロナはいろいろなことをめちゃくちゃにしてくれたよね。スケジュールはスライドしたし、ライヴも減って、ヨーロッパのクラブシーンは動けない状況になってしまった。それに対して周りではたくさん論議も起きたし、スローペースになったことに対して苛立っている人も多かったけど、自分はコロナがまん延し始めた頃、ちょうどアルバム『STRICTLY BVNKER』を作り終えていたんだ。それがちょうどリコ・ナスティと作ったシングル「Girl Crush feat Rico Nasty」をリリースした時期で、すべてのライヴがキャンセルになってしまったよ。だったらさらに曲を作ろうと思って、ポルトガルに新しいスタジオを構えたんだ。コロナが長期戦になっているから、今もポルトガルにいるけど、おかげでクラブミュージックではないスタイルの曲も作るようになっているよ。基本的に僕はポシティブガイだから、できる限り状況に応じて、ベストなアウトプットができるよう心掛けているんだけど、早くこの状況から脱出して、とにかくライヴをやりたいね。
DARUMA:なぜまたポルトガルに? 生活してみてどう?
アレックス:最高だよ! 自然があって海も遠くないし、特に子どもを育てるにはすごくいい環境だと思うよ。
DARUMA:子どもが生まれてから生活は変わった?
アレックス:娘は4歳半なんだけど、間違いなく特別なエナジーを持ってる。だからとても幸せで楽しいし、娘のおかげでヘルシーな生活を送れているよ。僕の生活の決定権は娘にあるね(笑)。だからツアーといったスケジュールも彼女を中心に考えたりする。100%アメージング(=素晴らしい)(笑)。
アーティストとの曲作りを通じて常にインスパイアを受けていたい
DARUMA:スクリレックスとBoys Noize、タイ・ダラー・サインで作った「Midnight Hour」がグラミー賞にノミネートされたのは、友達として誇らしかったよ! やっぱりDog Bloodでの活動があの作品のリリースにつながっていったんだよね?
アレックス:ソニー(=スクリレックス)とは長い付き合いなんだけど、2012年にベルリンに来た時に僕の家にステイしていて。その時に一緒にホームスタジオで曲を作ったのがDog Bloodのプロジェクトの始まりなんだ。スタジオで僕の後ろに座ってギアを触りながら、曲を聴くたびに「なんだ、これ~!」って(笑)。それで僕達は一緒に音を録音しだして、「NEXT ORDER」と「LITTLE THING」を「BOYS NOIZE RECORDS」からリリースしたんだ。今やあれから10年経ったけど、クレイジーにやっているよ。「Midnight Hour」に関しては、ソニーの誕生日に、同じ部屋で制作を実際に始めて、タイ・ダラー・サインにヴォーカルで入ってもらった。そうしたらそれがグラミーにノミネートされてしまったんだ。
DARUMA:Dog Bloodの今後の活動予定はある?
アレックス:ちょうど先日、お互いの曲について話をしたばかりだよ。お互い別なプロジェクトを抱えていたから、Dog Bloodに関しては少し距離を置いていたけど、新しいトラックもすでに準備できているから来年には新しいリリースができると思う。
DARUMA:アレックスは、スクリレックスやオアゾ、チリー・ゴンザレスにA.G.クックと、さまざまなタイプのアーティストとセッションしているけど、キャラクターの違うアーティストとのコラボレーションができてしまうマインドは?
アレックス:みんな違うキャラクターを持っている人達で、僕にすごく影響を与えてくれるんだ。それと僕の中ではすべてがつながっているし、自分でも彼らとは違ったスキルを使って何をするのかを考えてる。チリー・ゴンザレスなんかは、本当に信じられないくらい素晴らしいミュージシャンで、僕にとっては夢の中の人だったんだ。だから一緒に曲を作れてこんなに幸せなことはないし、とにかく楽しいよ。僕自身がアーティストとの曲作りを通じて常にインスパイアを受けていたいし、そこで得たことをソロでの曲作りに戻った時にフィードバックさせることもできてる。昔の自分だったらやれていなかったかもしれないけど、今は良いバランスを取りながら制作できているよ。
DARUMA:レディ・ガガとの「RAIN ON ME」を初めて聴いた時、僕達のようなフレンチタッチ世代にとってはカシアスと同じネタ使いだったから超興奮したよ。どんな過程でレコーディングをしたの?
アレックス:ガガとはロサンゼルスにあるスタジオでレコーディングをしたんだけど、会ってすぐに互いにいいヴァイブスを感じることができたと思う。僕達は3曲を3日間で制作したんだ。だけどその後にメインプロデューサーにブラッドポップが入って、さらに彼の元で作られていったから、僕達が最初に作っていたのとはまた違ったものになったんだ。でもそのやり方はおもしろいなって思った。「RAIN ON ME」は自分が最初に書いてガガと作ったんだけど、複雑なプロセスを踏んでいってできあがった曲でもあるんだ。ビッグアーティストと曲を作るといろいろな人達が関与したがるからね。だけど僕はこの曲を書けたことをすごく嬉しく思ってる。
ダフト・パンクが解散してしまったことは本当に悲しいけど、未だに大好きだよ
DARUMA:ハウスの名門「Defected Records」からリリースした楽曲「MVINLINE(MAINLINE)」が大好きなんだけど、「Defected Records」から出すことにになった経緯や、ブラック・アイヴォリーの「Mainline」をネタに選んだ理由などを教えて。
アレックス:「Defected Records」に関しては、レコード屋で働いていた時に一番初めにリリースされたレコードのことやその日のことだって覚えている。もちろんその後もリリースされてきた作品をチェックしていたし。もしも自分がハウスの曲を出すなら世界でもベストなハウスミュージックのレーベルからリリースしたいし、「Defected Records」は僕からすると最高なレコードレーベルだから、サイモン(「Defected Records」を主催するサイモン・ダンモア)に、Instagramからダイレクトメッセージを送ったんだ。それでトラックを送ったら非常に気に入ってくれてね。それで出そうってことになったんだ。サンプリング代の件もクリアになったしね。昨年リリースされた「Defected Records」の作品の中で、「MVINLINE(MAINLINE)」はビッグリリースの1つになったんじゃないかな。お互いハッピーになれたから、今新しいニューシングルのリリースも考えているよ。
DARUMA:僕とJOMMY(※連載に同席)は、B2Bでいつもこの曲をプレイしているんだよ!
アレックス:DARUMAは知ってると思うけど、僕はフレンチハウスやディスコハウスに影響を受けてきているから、毎年、3~4枚のディスコハウスのレコードをリリースしているんだ。ちなみに「MVINLINE(MAINLINE)」は2時間くらいで作ったんだけど、ディスコハウスはサッと作れる感じが良かったりする。それとダフト・パンクのように、サンプリングとビートを良いものにするといい曲ができるんだ。毎月この手の曲を作っているけど楽しいね。
DARUMA:ダフト・パンクの話が出たけど、解散はどう思った? アレックスは彼らのプライベートレーベル「ROULÉ」と「Crydamoure」のファンでもあるよね?
アレックス:僕がポストした投稿を見た?
未だに大好きだから、解散してしまったことは本当に悲しいけど、そこで見えたのがレガシー(遺産)の終わり。
僕にとってダフト・パンクは、間違いなく影響を受けたアーティストのトップ3に入る。音楽的にもミュージックプロダクションにおいても、サンプルの使い方から、音の鳴りから、ただただ素晴らしい。最後のアルバムに関してもこれまでとは異なる新しいアプローチをしていたし。彼らはいろいろな側面でクラブミュージックのレベルを上げたと思っている。ベスト・フィルターディスコ&ハウスを作っただけでなく、ベストポップ、ベストライヴショー……。2007年のライヴは実にクレイジーだった。1993年あたりからずっとリリースをしてきたけど、これまでの経緯をたどってきて「何を次に目指して、ネクストレベルへ行くには何をすればいいんだろう」って考えていたと思うんだ。そこで見えたのが、レガシー(遺産)の終わりだった。クールにスムーズにエンディングに向かってアプローチしていくことは、とてもハードなこと。僕自身もナーバスになったし、できれば彼らには次のアルバムをリリースしてもらいたいと願った。だけど常にベストを尽くしてきた彼らだから、理解できる部分もある。朝5時にパーティのフロアから帰りたくない、この場所から離れたくないと思うことがあるでしょう? 素晴らしいことだけど、その日のパーティはそこで一旦終わるんだ。トーマ(ダフト・パンクのトーマ・バンガルテル)がレーベルを作って、彼ら自身も自分のレーベルから曲をリリースして、僕にとってベストすぎるクラブミュージックだったから、ものすごくレーベルのファンでもあった。解散してしまったことは本当に悲しいけど、未だに大好きだよ。
DARUMA:めっちゃくちゃ理解できる意見です。5月に開催されたポーター・ロビンソン氏のオンラインフェス「SECRET SKY MUSIC FESTIVAL 2021」に出演していたけど、ポーター・ロビンソン氏との関係はどのように始まったの?
アレックス:ポーターとは数年前にソニー(スクリレックス)を介してアメリカで出会ったんだけど、その後何度かバーチャル・フェスティバルに誘われていたんだ。彼はすごくナイスガイで、僕とは異なるサウンドを作るけどそれが好きだったんだ。他にも彼の素晴らしいところは、新しいことを恐れずにやる人だっていうことかな。ポーターの最初の曲は、ソニーのレーベルからリリースされていると思うけど、本当に素晴らしい。だから「SECRET SKY MUSIC FESTIVAL」でプレイできたことは嬉しかったよ。とてもクールな世界観を作ってくれたし、僕は気に入っている。
DARUMA:VRのフェスはすごく画期的だったと思うけど、どう感じた? 実は僕達PKCZ®も今、VRの中でライヴパフォーマンスをしたり、クラブを作ったりしているんだけど、ぜひ今度フェスが開催される時には一緒に出てほしいな。
アレックス:それはいいね! 僕は「SECRET SKY MUSIC FESTIVAL」で初めてVRフェスに挑戦したんだよ。自分で自分の姿を観ることはできなかったけど、すべてにおいてテクノロジーを感じられる新しい体験だったんじゃないかな。参加した人達もエキサイティングを感じたと思うし、自分にとってもこれまでにない感覚の体験だったよ。ファン同士がバーチャルで出会うとか、すごいことだよね(笑)。
DARUMA:最近の「BOYS NOIZE RECORDS」はどう? こないだリリースされたBoys Noize & Kelsey Luの「Ride Or Die feat. Chilly Gonzales」も大好き。まるでビョークの「Hyperballad」の現代版的な感じで、唯一無二の楽曲だと思ったよ。
アレックス:「Hyperballad」に近いっていうのは嬉しいな。この曲はとてもオーガニックに制作できたんだよ。基本的な部分をチリー・ゴンザレスが弾いて、ケルシーと僕とでアイデアを出し合って、彼女が歌って、僕がそれをモジュラーシステムでレコーディングしてって。これから別のバージョンの曲のリリースを予定しているけど、レーベルではクールで新しいアーティスト達とも契約をしているから、他にも期待していてほしいリリースはいくつかある。まずリリースを控えているのはBASECK。彼はエイフェックス・ツインのハードコアヴァージョンのようなんだけど、彼のモジュラーのスタイルで曲を録音、構築ししていることに影響を受けているよ。モジュラーはD.I.Y.だし、制作のプロセスはもちろん、ディストーション(ゆがみ、ねじれ)、フィルター、フレンジャー、これらのエフェクトを使えることが楽しいよね。それと先日、アナ・ランという女性アーティストのEPをリリースしたんだけど、彼女も素晴らしい。アナ・ランとはベルリンのパーティで知り合ったんだけど、僕の前に彼女がプレイしていて、それがすごくよかったんだ。それで彼女が曲を送ってくれたんだけど、コンテンポラリーアートとでもいうか、もうぶっとんだよ。彼女はイスラエル出身で、インスタレーションやライヴパフォーマンスもするし、DJで作る曲も良くて、もうすべてが素晴らしい(笑)。ぜひチェックしてほしい。
DARUMA:では今後の予定を教えてください。
アレックス:いくつかのギグがあるので、そろそろツアーに出掛けられそうな予感はしている。たぶん秋にはアメリカやイギリスでもプレイできそうかな。ノーマルな生活に戻れたら、日本にもすごく行きたい。来年の春には行けるんじゃないかな。
DARUMA:ぜひ、アフターコロナには来てほしいよ。最後に日本のファンにメッセージを!
アレックス:いつもサポートしてくれてありがとう。日本が恋しいよ。日本の僕のすべての友達とまた会えることを楽しみにしている。それまで僕の曲や、リリースされるものをチェックして待ってて!
DARUMA:今日はありがとう!