連載「自由人のたしなみ」Vol.3 ステイの多様化で問われる価値の“奥行き”に対する1つの答え パーク ハイアット 東京−後編−

ニューヨーク五番街のティファニー(『ティファニーで朝食を』)、ローマの真実の口(『ローマの休日』)。映画のロケ地は時として、ファンにとっての聖地となる。パーク ハイアット 東京(以下PHT)が、世界中に広くその名を知られるようになったきっかけといえば、2003年公開の映画『ロスト・イン・トランスレーション』だろう。主人公のビル・マーレイとスカーレット・ヨハンソンが出会うのも、滞在しているのもPHT。監督と脚本のソフィア・コッポラ自身の体験がベースとなっている本作は、その年のアカデミー賞最優秀オリジナル脚本賞を受賞し、作品賞、監督賞、主演男優賞にもノミネートされた。

ロケ地にこのホテルを選んだのもソフィア・コッポラだ。ちなみに彼女は相当なホテル通のようで、2019年公開されたニューヨークの伝説的老舗ホテルのドキュメンタリー映画『カーライル ニューヨークが恋したホテル』で、父フランシス・フォード・コッポラに連れられて幼少の頃から良質のホテル滞在を楽しんでいたことを話している。

『ロスト・イン・トランスレーション』ファン達の聖地のような場所が、PHTの最上階にある「ニューヨーク バー」だ。その吸引力はまだ続いており、コロナウィルスの問題が起こる前は、公開から18年がたっているにも関わらず、あのバーを目指して旅人が世界中からやってきていたという。この「ニューヨーク バー」をはじめ、PHTには前編で触れた「ピーク ラウンジ」や「ジランドール」の他、「ニューヨーク グリル」、「梢」、「ピーク バー」といったレストランやバーがある。

日本料理の世界にインパクトを与えたプレゼンテーションと器のあしらい

シグネチャーレストランである「ニューヨーク グリル」は、高級ホテルで初となるオープンキッチンを採用したインターナショナルキュイジーヌだ。それまでホテルのダイニングといえばフレンチが主流だったところ、ワインセラーにはカリフォルニアワインをメインに据え、若い男性スタッフがサービスを担当する活気ある空間である。隣の「ニューヨーク バー」では毎夜ジャズライブが行われるのも画期的なプレゼンテーションだった。

「ニューヨーク グリル」や「ニューヨーク バー」の出現まで、日本の高級ホテルのダイニングやバーといえば、重厚さや静寂といった言葉で表現されてきた。PHTの最上階にあるシグネチャーレストランとバーは、心地よい喧騒や活気、高揚感や開放感に包まれている。ホテルダイニングやバーに、新しい価値を生み出したと言ったら大げさだろうか。

対して日本料理の「梢」はというと、西側に広く窓が切り取られ、40階から41階まで2層吹き抜けになったダイナミックな空間で、ダイナミックな器のプレゼンテーションがされている。

これらレストランやバーの構成に対して、前例のない空間を作り出したのもインテリア・デザインナーのジョン・モーフォードだ。そして彼のイメージの実現をサポートしたのが、ハイアットやホテルサイドの面々である。

最上階に入るシグネチャーレストランは、当初イタリアンが計画されていたが、「PHTにふさわしいのはインターナショナルキュイジーヌだ」との意見が出され、「ニューヨーク グリル」が誕生することとなる。これはハイアット幹部からの意見だった。「梢」においては、大江憲一郎初代料理長の存在が大きいが、PHTでは開業にあたり日本料理レストランの料理長を「ホテル経験者以外」で「どこの流派にも属していない一匹狼」を合言葉に探したのだそうだ。条件に大江はピタリとはまったわけだが、この指針もハイアットからの提案をもとにしていたという。

大江料理長は、その思いに応えるように、「梢」をホテルのみならず、今までの日本料理店にはないような、大胆で個性あふれるレストランへと仕立て上げる。最初のテーブルセッティングでゲストの前に置かれる器はそれぞれが異なるもの、刺し身は魯山人の写しをはじめ巨大な鉢に盛られてやってきて、その後銘々で取り分けるスタイルだ。器のコレクションは瞬く間に話題になったが、席数も多いホテルのレストランで、ニューヨークのメトロポリタン美術館に作品が収蔵されている辻村史朗や、鯉江良二、赤木明登、高橋禎彦ら人気有名作家の器まで取りそろえているのだ。梢で使用している器の数は1万枚を超えているという。プレゼンテーションも器のあしらいも、日本料理の世界にインパクトと影響を与えている。

足並みをそろえるのではなく、個性的なアーティスト達がジャンルを超えて集結

個人的に忘れられない出来事がある。20年ほど前、初めて「梢」を訪れた時のことだ。コース料理の最終段階である、ごはんものの「食事」になった時、スタッフから伝えられた料理は、牛丼だった。八寸や刺し身、揚げ物に焼き物などをいただいた後の食事には、季節の混ぜご飯や白飯という形が多いが、「まだ、ここにクライマックスがあったのか」という驚きがあり、大江料理長のサービス精神が伝わってきた。洗練された開放感ある空間で、美しい器とともに料理を大胆に、ゴージャスに、そしてサービス精神もたっぷりと。ホテルの日本料理レストランのイメージも変わった体験だった。

PHTは、足並みをそろえて進むことが一般的となっている日本社会において、個性的なソロアーティスト達がジャンルを超えてあちこちから集結し運営されている。ビルの建築はじめマスタープランを担った丹下健三のような世界的建築家のみならず、ジョン・モーフォード然り、大江料理長然りだ。それぞれのやりたいことを大胆に、手加減せずに思い切り行うことで、革新的かつオリジナリティーあふれるホテルは生まれたのだった。

同じような事柄でも、模倣は飽きられるが、オリジナルは残る。このホテルは初期設定の段階からそれを熟知し、見据えたゴールに向かっていったのではないか。だからこそ前例をみない東京のホテルが、ソフィア・コッポラをはじめ世界中の人達を引きつけることとなったのである。

“TIMELESS=時代を超えた”存在であり続けるために

開業当時、ハイアットサイドとしてジョン・モーフォードを常にサポートしてきたのが、日本ハイアットの当時の幹部だ。モーフォードと二人三脚でPHTを作り上げていった人物いわく、彼は自身の意見を曲げることは決してなく、折衷案などもってのほか。自分のデザインが受け入れられないならプロジェクトから降りるまで、といった態度だったらしい。

モーフォードがホテル一棟を手掛けたケースはPHTのみ、というのは前編で述べた。オスカームービーに選ばれた舞台をつくったインテリア・デザイナーには、その後たくさんのオファーがやってきたに違いない。なのになぜ実現しなかったのだろうか。計画段階から歩みをともにした幹部も「一切妥協しない」と彼のキャラクターを語る。確かな美を見極める力はあるが、決して自分の考えを曲げず、すべてを自分でやらないと気がすまないデザイナーは、プロジェクト自体に要する時間も膨大になるし、アクが強いと組む相手も選ぶ。事実彼が途中まで関わったが計画が破綻し、モーフォードの名前を出せない宿泊施設は日本にもある。

またジョン・モーフォードはオリジナリティあるコンテンツたちの数々を、ホテルという施設に散りばめている。〇〇風や〇〇調とは決して表現できないものだ。それらを絶妙なバランスで選び配置する発想力、発見力そしてバランス感覚というのは、口で教えればできるものではないし、代替が簡単に行くわけもないだろう。絶妙なハーモニーの中で成立する内部空間は、1つ計画が変わってしまったら台無しになってしまうことを、モーフォード自身が誰よりも熟知していたのではないだろうか。

前述の「梢」による高級な器の購入も、スタイルを作り上げる大切な要素として認められてきたことといえるだろう。強力な個性派を求めて採用したからには、その特性を十分発揮できるよう、周囲が理解を示すというのは書いてしまえば簡単でも、容易でないことは社会生活を送っていれば誰もが理解できるはず。PHT開業への道には、バブル期の好景気日本の恩恵が大きく影響しているのは事実であろう。けれど、感性や個性豊かな人々が柔軟に、チャレンジングに新しいホテルを作り上げていけたのもまた事実なのである。

ゲストに直接応対するスタッフは、PHTをステージに見立て、業務にあたる自分にスイッチを入れ現場に立つ人もいるという。このホテルでは非日常を味わうのは、ゲストだけでない。双方にハレが成立しているのは、ホテルをマーケティングではなく、何がベストであるか追い求め“創造”していったからに違いない。 他にないホテルの根底に流れるユニークな“イズム”は、今も受け継がれているのだろう。

宿泊施設において、写真や動画がその場の様子を伝えるのに大変有効であるのは疑いのないことだ。しかし、その背景や経験豊かなプロフェッショナル達による試行錯誤や熱意、サービスという目に見えない事柄は、写真では伝わりきらなくても宿泊体験を大きく左右する。バックグラウンドストーリーも然りだろう。年季が入っていることと古びることは違う。開業から27年、いつまでも変わらないPHTというホテルの秘密は、そんな写真には写りきらない事柄に詰まっているのだ。

ちなみにPHTのコンセプトは“TIMELESS=時代を超えた”存在である。

author:

田中 敏惠

編集者、文筆家。ジャーナリストの進化系を標榜する「キミテラス」主宰。著書に『ブータン王室は、なぜこんなに愛されるのか』、編著書に『Kajitsu』、共著書に『未踏 あら輝』。編書に『旅する舌ごころ』(白洲信哉)、企画&編集協力に『アンジュと頭獅王』(吉田修一)などがある。ブータンと日本の橋渡しがライフワーク。 キミテラス(KIMITERASU)

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