荒波を超えて絶好調でいこう——なかむらみなみが魅せる、ラップ人生

日本のヒップホップシーンは、独自の進化を見せながら、よりオリジナルな道を歩み続けている。それは新型コロナウイルスのパンデミック下で、より加速しているようにも思える。

そのコロナ渦のある日、野外パーティに向かう車中でふと耳に飛び込んできた印象的なフロウ。会場は目の前なのに、思わず車をコンビニの駐車場に停めて、もう一度聴き返したことを覚えている。それからその夜に観た、ラッパーのなかむらみなみのエネルギーが爆発したライヴパフォーマンスは衝撃中の衝撃だった。

カラフルなおかっぱスタイルに、目元をキリッとさせた黒いアイラインと赤い口紅といった、幼少の頃から親しんできたという祭りばやしメイク。ヒップホップかつパンキッシュなスタイルで、首からは生粋の辻堂っ子ならではの「辻堂諏訪睦」と書かれた木札を下げる姿はデビュー当時から変わらない。人気ラップグループの一員として音楽活動を始めた初期は、ホームレスの経験もしたというラッパーは、2019年にソロに転向して以来、本格的にラッパーとしての道を確実に前進させている。

日本のレコードレーベル・プロデューサーチーム、TREKKIE TRAX(トレッキー・トラックス)andrewによるプロデュースでリリースされるなかむらみなみの楽曲は、どれも高い注目を浴び、イギリスのプロデューサーRoska(ロスカ)とのコラボレーション曲では、日本語の枠を超えた語感のおもしろさで、感度の高い海外のリスナーも魅了している。そして、ようやくマイクを握れるようになったコロナ渦の中のライヴでは、自身がやってきた音楽や、フロアにいるリスナーに対して純粋な愛を感じたのは自分だけではないはずだ。

とてつもない魅力にあふれ、これからさらに飛躍していくであろうラッパー、なかむらみなみはどんなラッパーなのだろうか。彼女のプロデューサーでもあるandrewにも同席してもらい、彼女のホームとなる辻堂にてじっくりと話を聞いてみた。

おはやしの経験はラップにつながっているのかな

——なかむらみなみさんは、神奈川県のリゾートエリアである辻堂育ちとのことですが、どのような子ども時代を過ごしてきたのですか?

なかむらみなみ(以下、なかむら):両親とも辻堂の人なんですけど、私が3歳くらいの頃に両親は離婚をして、私は母側に弟とついていきました。それで小学校に入る前くらいにお母さんの実家がある辻堂に引っ越しましたが、お母さんがアルコール依存症だったりとネグレクトのような感じだったので、近所の方が面倒をみてくれたんですよね。それで私は生き残れてこれたんですけど、その世話をしてくれた方達が、町内会でお祭りに関わっていた人達だったんです。
当時で覚えているのは、同級生と公園で遊んでいると17時半になるとみんな町内会館に行っておはやし(=囃子)を練習していたんです。それを何度か観に行っているうちに、正式におはやしをやれることになりました。それまで自分を認めてもらうこともなければ、私自身も目標もなく、なんとなく生きていたので、生きている実感とかがあまりなかったんですけど、おはやしを始めてからは目標みたいなものが出てきたんですよ。「夏のお祭りまでに太鼓を上手くたたけるようになりたい」だったりと。それからは生きるすべてをお祭りにささげてました。今でも役員、指導者として続けています。

——そのような子ども時代を送られたのですね……。でも熱狂するものに出会えて、それが太鼓だったんですね。

なかむら:そうです。辻堂には毎年7月26日に宵宮祭で奉納太鼓というのがあって、町内会ごとに太鼓をたたきます。その翌日の27日に行われる例大祭では、山車が出て辻堂の辻の元になった四つ辻に集まって、みんなでそこで向かい合って太鼓をたたき合い、そこから宮入りをして境内では御神輿も出ていて、さらに太鼓をたたきます。そこで私は、子どもでもどうすれば目立てるのかを考えたりしましたね。そしてとても大事なことがあって、それは自分達が教えてもらった伝統文化を下の世代に継承して保存していくこと。なので、中学生以上になると保存会というのに入って指導していく側に回るんです。こうして子ども達に太鼓を教えるようになってからは、これまで以上にきちんとやらないと、と責任を感じるようにもなりましたね。

——それほどおはやしに夢中になったのですね。ですが、そこからホームレスになったりと、ラップを始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

なかむら:おはやしが生きるすべてでありながら、東京に出てホームレスになったんですよ。私は一時期、親戚の人達やおはやしを通じて家族ぐるみで仲良くなった友達の家だったりと、いろんなところを転々としていた時期があったんですけど、自分の中で大きな問題が起きてしまい、地元を出ることにしたんです。それで自分でちゃんとお金を稼いで生活をしようと、19歳の時に東京に出たんですけど、普通は家を借りたりして1人立ちを始めるところ、私は東京に出て路上から生活をスタートするという……。今考えたら、「知らない人には世話にならない」「友達の家以外はだめ!」みたいな気持ちから、路上生活になったと思うんですけど。

——他人や大人には世話にならないという気持ちが強かったのですね。

なかむら:そうなりますね。だけどそれでも頭の中には、地元で月に2回あるおはやしのことが残っていたので、東京でお金を稼いで、必ず月に2度は辻堂に戻っていたんです。その頃に、以前一緒にやっていたグループのリーダー(TENG GANG STARRのkamui)が、コミュニティみたいなところで、ラップを教えていて、そこでラップを始めたんです。
私は子どもの頃にお母さんが車の中でヒップホップやR&Bを聴いてたり、自分が高校生の頃もヒップホップを聴いていたからなじみはあったんです。でもまさか自分がラップをやるとは思ってはいませんでした。今はこうして自分のエピソードを話せるようになりましたけど、その時はすべて擬音じゃないですけど、言葉を上手く話せなかったんです。だけど言葉を書くようになってから、表現したいことをきちんと言葉にすることってめちゃ大切だなって思えるようになったんです。

——気持ちを文字にしていくことが、なかむらみなみさんにとって良いことだったのですね。そこからマイクを持って自分の言葉を発していったと?

なかむら:はい。ラップすることって楽しいなって感じて、それと音が気持ちよかったんですよね。韻を踏むごとに、「おおお、気持ちいい~、いい~!」って。その時はとにかく言いたいことを言いまくって、発言してはいけないようなことをラップにしていた感じがします(笑)。

——太鼓をたたかれていたので、リズム感も良かったのではないですか?

なかむら:おはやしで自分が習ってきたのは、口伝で伝えられてきたものを紙に楽譜ではなく、「てん」とか「てれつく」といった文字で書いてきました。それって現代の音楽でいうリズムとはまた違うものだと後々気付くのですが、当時「自分は、リズム感いいかも!」と信じていました。もちろんそれでリズム感が培われた方もたくさんいると思うのですが、実はグループのメンバーに「お前めちゃくちゃリズム感ないぞ!」って言われて(笑)。「太鼓習っていたんだろう!」と言われて、その時に「あれ!?」と思って。よく考えたら、私が習ったおはやしは口伝で伝わってきたものだから、西洋のリズムではないんですよね。口伝だと音符ではなくて、言葉で書くと「てん」とか「てれつく」とか、擬音になるんです。なので自分はおはやしによってリズム感がついたということではないかもしれませんが、表現をするということにおいてはラップにつながっていると思います。

なかむらみなみ 「Ride(Prod.andrew)」

ZEN RYDAZ fett. なかむらみなみ「CANCANCAN」では、「CAN(カン)・カン・カン 下駄で鳴らした」と、本人のバックグラウンドとリンクした世界観をフックに乗せて披露。耳に残るリリックが魅力だ

ソロ名義でも、客演する時も、“今”を意識してラップしています

——ラップやパフォーマンスに関しては、どうスキルアップしていったんですか?

なかむら:グループでやっていた時は、自分の作ったラップをリーダーに見てもらっていたんですけど、ソロでやってみたいなと思い始めた頃が転換期になっている感じはします。あとはライヴに呼んでいただくようになってから、どうライヴで見せていくのかを自分でアップデートしていったり。昔は暴れすぎて、「もうこないでください」って言われたこともありました(笑)。

andrew:もともとなかむらみなみは、ノイズやハードコアバンドっぽいこともやっていたので、TENG GANG STARR(以下、TENG)でやっていた初期はまだそのノリが残っていて、そこから徐々にヒップホップっぽくなっていったイメージがありますね。

なかむら:バンドをやっていたんですけど、かなり飛ばしていました。バンド時代は、ライヴで詩を朗読して弾き語りをしたり、ピアニカだけを吹いたりなんかもしていました。ホームレスになったくらいの時に仲間と一緒にやっていたバンドです。

——社会に出ていこうとしたホームレス時代、特に思い出に残るエピソードはありますか?

なかむら:自分にとってはいい話だと思っているんですけど、ホームレス時代に路上で拾った石に名前をつけて売っていたことがあったんですよね。路上で見つけた石に意味をつけたら喜んでもらえるかなって。それから衝撃的な出会いがあって、自分がラップを始めて大きなところでライヴをさせてもらえるようになってからなんですけど、私の石を買ったっていう人がライヴに来ていたんです。「石を買ったものです。応援しています!」ってメッセージがきました。

——!!(笑)。ちなみにその石は、いくらくらいで売ってたんですか?

なかむら:●●●円(笑)。半ば無理やり、「買ったほうがいいと思いますよ!」とか言って売ってました。路上では他に、隣の町の女の子達と4人くらいで「あなたのお話を聞きます!」っていうのもやっていました。ただ話を聞くだけなんですけど、いいなと思ったらお金を払ってくださいみたいな。みんなきちんとやっていたんですけど、電車の音がうるさくて聞こえなかったのか、私は話を聞いていなくて、そのうち「自分が語りかけたほうががいいのかな」と思ったりしていました。

——その結果、それがラップすることにつながってもいるのかもしれませんね。リリックを書く上で、何を一番意識されていますか。

なかむら:TENGの時は自分の過去というか、それまでしてきた生活のサグさをラップしていました。例えば、お母さんが入っていたダルクに面会に行った時に田代まさしさんに会ったエピソードなどを題材にしたりと。でもクラブにめちゃ遊びに行くようになってからは、仲間のステージを観たり、フロアで朝まで踊ったりしていて、そこでずっと踊っていて耳に入ってくる音や気持ちいい言葉だったりに自分なりに反応するようになってきたので、自分がソロになってからは、“今”についてラップするようになっていきました。なので今は、ソロ名義でも、客演する時も、“今”を意識してラップしています。

なかむらみなみ 「Maneater(Prod.andrew)」

Morgan Hislop 「Mirror Mirror feat. Nakamura Minami」

自分が気持ちいいなと思って言葉を入れた曲が、言葉が通じないところを超えても通じ合えるんだなって

——なかむらみなみさんの存在は海外でも注目を集めていますが、そのことはどう感じていますか?

なかむら:嬉しかったことの1つに、ロンドンのプロデューサーのRoskaさんと作った「Pree Me feat. なかむらみなみ」をBoiler Room(世界各地を拠点にするオンライン音楽放送)でかけてくださった海外のDJがいて、リリックがほぼ日本語だったのにもかかわらず、韻を踏んでいるところで外国の人達がめちゃ盛り上がってくれていたことです。自分が気持ちいいなと思って言葉を入れた曲が、言葉が通じないところを超えても通じ合えるんだなって。もちろんそこに、言葉の意味合いも伴うともっとめちゃくちゃ楽しいんですけどね。

——現在、andrewさんはサウンドプロデューサーとして、なかむらみなみさんの曲を担当していらっしゃいますが、このBoiler Roomの件はどう感じていらっしゃいますか?

andrew:最近は英語圏以外のラップや歌もクラブミュージックでは評価されやすい流れになってきていると思っていて、Boiler Roomでなかむらみなみの曲がかかった回は、「Daytimers UK」というインド系~南アジア系イギリス人のパーティコミュニティの特集で、アジアとイギリスの音楽をミックスするスタイルをする人達が多い放送だったんです。向こうでも評判が良かった回でした。その中でも「Pree Me」のプレイされた瞬間はTwitterやInstagramにも切り抜きでアップされて、言語感や聴こえ方がおもしろい日本人のヒップホップやダンスホールという引っ掛かりからピックアップされた感じがしました。みんな何を言っているのかわかっていないと思うんですけど、なかむらみなみが大切にしている言語感覚や、音のおもしろさでアプローチしていたところがちょうどフィットしたんじゃないかなと。

——andrewさんから見た、なかむらみなみさんのラッパーとしての魅力はなんでしょうか。

andrew:なかむらみなみ自身は伝統的なものが好きですごく尊重しているのですが、実はその伝統を壊したい、再構築したいという気持ちも根っこにあるのではと自分は思っていまして。僕からは、「こういうジャンルやシーンがあって、こういうアプローチはどうかな」と提案するんですけど、それとは違う新しいものになって返ってくる部分があるので、それはおもしろいです。しかもわざとらしくないというか、歌詞の内容でも、自分の背丈にあったものになって返ってくるんですよ。もちろん話し合いをしながら調整をしていく部分でもあるんですけど、それはおもしろいですね。

Roska 「Pree Me feat. なかむらみなみ」

——「Pree Me feat. なかむらみなみ」では、海外アーティストのRoskaとコラボレーションされていましたが、いかがでしたか?

なかむら:好評すぎて、Spotifyのアーティスト側が見ることができる「あなたの音楽はこれだけ聴かれてました」みたいな数値が、ギュギュギュギュ~と上がってカンストしてました。

——Roskaとは、どのような経緯で知り合ったんですか。

andrew:RoskaとはTREKKIE TRAXのSeimeiが以前から連絡を取り合っていたんですけど、日本で公演があるから、その時に日本人のアーティストとコラボレーションしたいと連絡がきたんです。それで何人か紹介した中に、なかむらみなみがいたんですけど、「彼女やばいね」ってなって。それまでなかむらみなみは、クラブ系と言いますか、テクノやダンスホールよりな感じでラップすることはほとんどなかったんです。だけど、クラブによく行き始めていたので何かおもしろいものができるんじゃないかと。そこから、なかむらみなみのラップを録音してロスカに送って制作を進めていきました。彼自体かなり早い段階でアジアに注目していましたし、海外、主にロンドンでそういったアジアのシーンがあることも徐々に知られていたので、その相乗効果もあってBoiler Roomでかけてもらえたのかなと思います。

——海外アーティストから、なかむらみなみさんへのオファーは多いですか?

andrew:Roskaとの曲で海外のリスナーが増えたのか、海外プロデューサーからオファーがめちゃくちゃきています。特にリミックスが増えていて、アカペラがほしいとか、書き下ろしでオリジナルを一緒に作りたいというオファーは多いですね。

——コロナ禍が収束したら、海外でのライヴもありそうですね。

なかむら:一緒に曲を作った方々とぜんぜんお会いできていないので、海外には行きたいですね。会いに行って、でかい声で「こんにちは!!!!!!!!!!」ってあいさつしたいです(笑)。

これからもヒップホップとお祭りを両立しながら一生やりたい

——今度、新しく挑戦してみたい目標や展望はありますか?

なかむら:ずっと音楽をやってきてますが、昨年は初めて作詞作曲で楽曲提供をさせていただきました。その経験もすごく楽しかったのですが、それを踏まえてやはり自分で作った曲を自分でライヴをすることに重点を置いて活動していきたいです。あとはやっぱり海外のプロデューサーに会いに行きたいですね。そして毎年7月26日、27日にある辻堂のお祭りには参加することは同じように大事なことです。お祭りは私のライフスタイルだから、これからもヒップホップとお祭りを両立しながら一生やりたいなって思っています。

——andrewさんは、なかむらみなみさんを今後どのようにプロデュースしたいと考えていますか?

andrew:想像しても、そうじゃないところから転がってくる人なので(笑)。これまでもいろいろと曲を作ってきましたけど、全然違う方向から返してくることが多いので、この荒波をもっと楽しもうっていう気持ちが強いですね。その気持ちをベースに、海外の人とのコネクションをもっと作っていきたいです。今はいろいろなところに伏線を張っている状態なので、それが爆発する瞬間をコロナが収束した時にできたらいいなと思います。

なかむらみなみ
1995年9月30日生まれ。神奈川県辻堂出身。幼少の頃から地元である、辻堂の祭りばやしにのめり込む。19歳の頃にはホームレスを経験。2015年にkamuiに見出されヒップホップユニット、TENG GANG STARRで活動する。2019年からはソロ活動へ転向し、ヒップホップだけでなくクラブを中心とした現場へとフィールドを広げ活動中。Roskaとの「Pree Me feat. なかむらみなみ」、アナ・ルノーとの「Ice Cream feat. なかむらみなみ」と、海外プロデューサーとのコラボレーション曲をはじめ、TREKKIE TRAX CREWとの「Ride」「kokodoko」「Reiwa(令和)」「3D Remix」と、数多くの曲をリリースしている。またリミックスに関しても国内外のプロデューサーが多く手掛けている。
Instagram:@namcooooo

Photography Yousai Kumada

author:

Kana Yoshioka

フリーランスエディター/ライター。1990年代前半ニューヨークへの遊学を経て、帰国後クラブカルチャー系の雑誌編集者となる。2003年~2015年までは、ストリートカルチャー誌『warp』マガジンの編集者として活動。現在はストリート、クラブカルチャーを中心に、音楽、アート、ファッションの分野でさまざまなメディアにて、ライター/エディターとして活動中。

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