今年2月から、森美術館で最大規模の回顧展「ハッピースプリング」が開催中のアーティストコレクティブChim↑Pom from Smappa!Group(以下、Chim↑Pom)のメンバー、エリイ。同じ月に自身初となるエッセイ『はい、こんにちは』を発表した。令和という新元号。新型コロナウイルスのパンデミック、東京五輪の延期と開催、自身の出産、そして回顧展の開催……。計算しようと思っても、不可能だろう。これ以上ない絶妙のタイミングで、この2年について改めて振り返ってもらった。
ドラマチックな出来事が過剰ではなく感じられるのは、リアルを捉えようとするエリイの個性
「(版元である)新潮社の編集者からアンケートをお願いされたのがエッセイを連載するきっかけとなりました。その担当の人ありきで始めたようなところもありますが、ずっと前から、体の中を文字や文体が流れているような感覚はありました。書くという行為は初めての経験でしたが、今考えるとこの体の中を流れる言葉が、手まで降りてきて自動筆記のようにアウトプットしてきたような感覚です。こうやって書かなければ、ずっとただ身体の中を流れるだけで終わっていました。それが今回幸運なことに紙に写すことができました」。
本書は、展覧会でも再現がされているマンチェスターでChim↑Pomが発表した作品のエピソードから始まる。2019年の夏のことだ。社会現象を高い解像度により独創的なプロジェクトと昇華させる彼らの現場のリアルな様子を伝えると同時に、新作発表の場がかつてコレラ死亡者が集団埋葬した地であったこと、それがインスピレーションの源にもなっていることが綴られている。産業革命発祥の地で、疫病死者埋葬というのは、資本や消費主義、貧困といった題材を取り上げてきたChim↑Pomらしいといえばそれまでであるが、そんな創作活動をしてきたエリイが、図らずも2022年の今を予見させるような内容からスタートさせていることに、流れているものを手に落としたタイミングの妙を思わずにはいられない。「毎月締切が来る」という初めての経験の中、彼女は疫病が世界を混乱させている最中に、妊娠と出産を経験しその模様も本書に収められている。それは読む者からしたら、非常に稀有だと思われる経験も少なくない。しかし、そのドラマチックな出来事が過剰ではなく感じられるのは、書き手であるエリイのリアルを捉えようとする個性によるものだろう。
「文章を書くことは楽しいというか、なんていうんでしょうか、やらねばならないのだろう、ということですね。身を入れて書いたと思います。この身を入れる、というのが自分にとってはとても大切なことでした。だから、自分の身体と一致しないような感覚がある時は、書いても削っていました。良い感じでかけている時ってはねてるような感じもあるんですよね。その中に没入して書いていました。また出産に関しても、絶対書きたいと思ったので、忘れないうちにと病院でメモをとり(出産から)10日以内に書いて送りました。出産に限らず、本を読み返してみてあぁこんなことあったんだな、と感じることも多いです。妊娠するまではお酒もすごい飲んでましたし、昼夜逆転の生活で朝起きて太陽を見るという生活を20年近くしていませんでした。だから執筆中に生活もガラリと変わりましたね。そういう意味でも、変化のタイミングを捉えていると言えるかも知れません」。
「想像力をふくらませることと嘘は少し違う。だから嘘という勝負をこれからやってみたい」
エリイ含め、6人で構成するChim↑Pom。メンバーからのアイデアは本書にも生かされていて、1冊を通して聖書の文言が出されるのは、エリイが普段から聖書を引用することに、メンバーがおもしろいと伝えたことがきっかけになっているのだという。
「聖書を織り交ぜていこうというのは、2019年に行ったマンチェスターで連載の話をメンバーに話したら(会話での聖書の引用が)おもしろいね、と言われたことが始まりです。文芸誌で文章を書くのは初めてだったので、何か基盤になるようなものが欲しいと思っていました。そう考えていく中で、やはりごく身近なものからそれを見つけようと思い、聖書にしました」。
幼稚園から高校まで14年間、彼女はカトリック系キリスト教の学校に通っている。聖書は物心ついた頃から近くにあり、それが彼女のバックグラウンドとして溶け込んでおり、他にはない文体の確立にもつながっている。また、回顧展では本書を下敷きにしてChim↑Pomの作品も生まれている。
「エッセイを連載すると言った初めは、メンバーは私のことをよく知っているので、“エリイちゃんようやるわぁ”というテンションでしたね。この展覧会では、メンバーに本の中から文章を抜粋してもらい、それを私が朗読したサウンドインスタレーションもあります。コロナ禍で家でも歌えるカラオケマイクにはまって、そのマイクを使ったりして三種類の音声を録音しました。森ビルという企業と一緒にやること、東京の街を形づくっているうちの一つの場所での挑戦は、展覧会を通した社会への介入でもあります。場所性を生かすことも意識しています。そこでしか出来ないことがありますよね」。
2005年の活動開始以来、Chim↑Pomは常に社会の現象や時代の動向と対峙し、そこへさまざまな手法で作品を投げかけてきた。その姿勢は決して変わらないようだ。さらに個人エリイとしては、新たな執筆活動に挑戦中である。
「今度は小説の連載をスタートさせました。最初は、私が男性のことなんか絶対かけないよなぁと思っていたんだけれど、今は老若男女のみならず鼠の気持ちになって書いたりしています。目の前に景色を持っていて色んな角度から眺めて、文章に落とし込んでいく感じです。編集者からアドバイスもらっていますが、“うそをつく練習をしたらいい”と言われた時は“え、マジ新しい!”って思いました。なんかあんまり嘘をつけなかったので、嘘がつけるんだ、と。エッセイでは出来る限りの記憶や写真をたぐり寄せて書いた。けれど小説では嘘をつく練習を勧められて、こんな楽しいことはないと思っています。自分の頭の資産次第でどこまででも自分がいる場所から遠くに行ける。アートで想像力を駆使する鍛錬はやってきましたが、そことは力の使う箇所が違いますね。今はそれに勝負していくのがわくわくする心の箇所。ずっと丁寧にやっていくことに尽きるかなと」。