学生芸人を経験したからできるラジオの作り方 『オールナイトニッポン』ディレクター野上大貴インタビュー後編

スタートから55周年を迎えた深夜の人気ラジオ番組『オールナイトニッポン』。放送時には各番組の話題がTwitterのトレンドの上位になることも珍しくない。そうした好調の『オールナイトニッポン』で、『星野源のオールナイトニッポン』『霜降り明星のオールナイトニッポン』『フワちゃんのオールナイトニッポン0(ZERO)』を担当するのが、期待のディレクター・野上大貴だ。

インタビュー後編では、学生芸人の活動からラジオディレクターとしてのやりがい、ラジオの今後について話を聞いた。

インタビュー前編はこちら

——野上さんはそもそもいつからお笑いに興味を持ったんですか?

野上大貴(以下、野上):2003年ぐらいから『M-1グランプリ』はずっと意識して見ていて、ちょうど小学6年生になったタイミングで、オリエンタルラジオさんが『エンタの神様』などでブレイクしたんですけど、それも追いかけてました。中学に入ってからよりお笑いを見るようになって。私立の中学に入って、最初は友達ができなかったので、お笑いに救われた部分がありました。中学2年生の頃、はんにゃさんがとても好きになって。金田(哲)さんが雑誌の『マンスリーよしもと』で「自分は『ナインティナインのオールナイトニッポン(ANN)』を聴いて、お笑いを学んだ」みたいに書いていて、それをきっかけでラジオを聴き始めたんです。

——ヨシモト∞ホールにも足しげく通っていたとか。

野上:「AGE AGE LIVE」とかにはメチャメチャ行ってました。周りは中高生や20代の女性ばかりだったので、男性はかなり浮いてましたけど。出待ちはちょっと怖くて参加できず、したいなあと思いながら、遠目に見て帰ってました(笑)。

——『ナインティナインのANN』を聴いた時にどんな風に感じました?

野上:その頃からすでに『めちゃ×2イケてるッ!』は好きだったので、ナインティナインさんお2人のこんなに濃い面白い話が聴けるんだと驚きました。こんなぜいたくな時間があるんだって。純粋に面白かったですし、岡村(隆史)さんみたいにしゃべりたいなと思って、当時の自分は口調をちょっと意識していた感じになっていたかもしれません(笑)。

——とはいえ、“ラジオっ子”みたいにはならなかったんですよね?

野上:「毎週この番組は絶対に聴く!」という感じではなくて。入社する前にニッポン放送の番組で習慣的に聴いていたのは、ナインティナインさんとオードリーさんの『ANN』ぐらい。それ以外は多少芸人さんの番組を聴いたことがあったものの、朝や昼、夕方の番組は一切触れたことがないぐらいでした。

ありえないぐらいスベって芸人を諦めた

——高校生の時からすでに1人でお笑いの舞台に立っていたらしいですね。

野上:本当は相方と一緒に漫才をやりたかったんですけど、高校全体を探しても見つからなくて。1人で出られるようなわけのわからない地下お笑いライブに出てました。30~40代の地下で頑張ってらっしゃる方々と一緒に、高校生の僕が出て、メチャクチャスベってましたよ。エントリー料を払えば誰でも参加できるライブで、中野の「(Studio)twl」だったり、新宿だったり、いくつかのライブに出ました。

——どんなスベり方をしたんですか?

野上:本当にありえないぐらい……。あんな怖いことはもう人生で二度とないです(苦笑)。あれを経験したら怖いことないですね。その後の人生に影響を与えるぐらいスベりました。もちろん中学ぐらいからお笑いは好きだったので、芸人さんへの憧れはあったんですけど、高校生時代の数回の地獄スベりで、プロの芸人さんへの道はもうないなと。

——当時やっていたのはどんなネタだったんですか?

野上:1人2役のコントをやっていたんですけど、基礎的な演技ができてないから、演じ分けもできてないし、声も小さいし、何やっているのかわからなかったんだと思います。スベりすぎて、あんまり記憶にないんです(笑)。

——大学でお笑いやる時点で、プロになろうという気持ちはほとんどなかった?

野上:そうなんですが、高校時代から裏方を含めたお笑いへの憧れがずっとあって。あと、漫画の『べしゃり暮らし』(作・森田まさのり)を読んでいたんですが、子安(蒼太)という放送作家を目指すキャラクターがいたんです。芸人さんをサポートして、ブレーンとしてお笑いコンビの“第3のメンバー”みたいにやっている姿がカッコいいなと思って、そういう風になりたいなと。ただ、さすがに舞台で1回もウケたことないヤツだったら説得力がないだろうなと思ったんですよね。大学に行ったらさすがに相方は見つかるだろうと思い、大学お笑いに挑戦しました。

——野上さん自身の大学お笑いでの芸風はどんな感じだったんでしょう? 以前お聞きした時は「尖っていた」「タブーに挑戦していた」と言っていましたが。

野上:最初の頃は丁寧な漫才もやっていたんですけど、学生の大会で勝っている人達は、プロの世界には遠く及ばないにしても、なんとなくみんな個性を発揮していたんです。だから、僕も2年生、3年生となっていくにつれて、徐々にブラックユーモアを取り入れていきました。

——エッジの利いた芸風になっていったと。

野上:ただ、大学生活の終わりが近づくと、学生独自の感覚として、絶対にプロには行かない人達が5人以上の集団コントをやるという習わしがあって。コンセプトを合わせてやったんですけど、時事や歴史をネタにしたザ・ニュースペーパーの学生版……みたいな感じで。「どこまでできるのか」という攻めた内容でしたし、小道具も相当作り込んで、仮装大賞みたいな感じで全員の衣装をそろえてやってました。それがウケて。誰もそんなことやってなかったのも大きいですし、大学生だったら受験を経ているので、歴史の用語も面白おかしく笑えるから反応がよかったんだと思いますが。

——そこでやりきった感があったんですか?

野上:今は規模がより大きくなっているんですけど、毎年3月に団体戦の「NOROSHI」という大会があって。決勝まで進めて手応えはあったんですけど、審査員の1人から「これはお笑いじゃない」とメチャクチャ酷評されまして(笑)。100点満点で50点をつけられて敗退しました。その時点で、自分は学生お笑いをやりきって、お笑いじゃなくなってしまったんだなと。漫才論争なんて話じゃなく「もはやお笑いじゃない」と言われちゃったんで。

放送作家を目指していた大学時代

——放送作家志望として、大学時代にすでに活動をされていたそうですね。

野上:大学1~2年生の時に、短期で養成所の作家コースに通いつつ、実際にテレビをやられている作家さんの手伝いをしていました。弟子というほどではないですけど、業務を一緒にやりながら勉強する人を募集していたのでそれに応募して。実際に2年弱ぐらいやっていたんですけど、その時に作家さんとして必要な能力……もちろん考える力もそうですし、それ以前に必要な忍耐力や気の遣い方、先輩とのコミュニケーション力など全てが圧倒的に欠けていたので、自分の中で壁にぶつかって「どうしたもんかな?」と。ちょうどその時に就職活動がスタートしたので、広いテーマとしてマスコミを目指そうと考えてました。ラジオだったら好きだったニッポン放送が募集していたので、当時活躍されていたディレクターの宗岡芳樹さんのことも調べて、ディレクターという仕事を再認識し、それで試験を受けた感じですね。

——先ほど挙げた作家として必要な能力は、社会人やディレクターにも必要な能力なのでは……(笑)。

野上:そうですね(苦笑)。あまりその辺りが上手な人間ではないんですけど、でも結果的には自分の選択はよかったんじゃないかと思っています。ディレクター的なアプローチのほうが自分には向いているのかなって。

——ディレクター的なアプローチというのは?

野上:作家さんは頭を使ってひねり出して、“0を1にする”のが仕事ですけど、今のようにディレクターとして“1を2や3に増やしていく”ほうが自分には合っているのかなって。深いところまでやっていないですけど、それでも作家さんの発想力のすごさはわかりますから、自分はディレクターの道を選択できてよかったなと思います。

——ディレクターの仕事内容はリスナーとしてもつかめない部分がありますが、具体的にどんなことをやっているんでしょう?

野上:大前提として、番組の1年間ぐらいのスケジュールを定めて、「この時期にこんな企画をやろう」という部分を固めます。毎週の放送では、事務所やパーソナリティとの事前連絡からゲストさんのブッキングはもちろん、SNSでの告知関係もまとめますし、作家さんと番組内容の打ち合わせもしています。ディレクターがキューシート(タイムテーブル)を作って、それを元に作家さんに台本を書いてもらうんですが、番組が開始する3~4時間前から準備を始めて、台本を手直しして。パーソナリティが来たら打ち合わせをします。で、本番中は「ここが盛り上がったら次はカットしよう」みたいにCMを含めてスムーズな進行をやっていくと。終わったらまた翌週に向けて動き出して、毎週番組がいい形で回転していくように考えていく。基本的には番組を監督する立場ですね。

——ラジオ界に入るまではそういう業務があると理解していましたか?

野上:肌感覚的には理解していたんですけど、1人でこれだけ裁量権があるなんて正直驚きました。テレビだとディレクターが何人もいて、さらにその上の役職にも何人かいて、みんなで作り上げるじゃないですか。もちろんラジオ番組も少人数ながらみんなで作り上げるものなんですけど、最後はディレクターの判断になるので、そこは想像できてなかったです。

「放送を邪魔しない変なディレクターでいきたい(笑)」

——今までのディレクター生活で一番苦労された部分はどこですか?

野上:連絡1つを取っても上手にやれる人は「この日まででブッキングを終わらせる」みたいにスケジュールを組んでいるんですけど、最初の頃はそれがヘタクソで、次のスペシャルウィークにやる内容が自分の担当する番組だけ決まってないということもありました。ディレクターとして放送を毎週きちんとやり遂げていけば、それだけで積み上げられる部分があるんですけど、番組としては、その週に生まれたアイデアの種を翌週に持っていき、さらに盛り上げていくことが大事なんですよね。その辺がよくわかっていなくて、最初は毎週の放送で手一杯でした。そこはこの1年ぐらいでやっとわかってきた部分というか。単発の番組をやる時にもその経験が活きていて、1回きりでどう盛り上げるか、どれだけ詰め込めるかを考えています。日々の放送で何が面白いかを探す意識が結果的につながってきたと思いますね。

——石井さんにインタビューした際には「本人(野上)は僕みたいなタイプになりたいと悩んでますけど。人ってないものねだりなんですよね。僕は宗岡さんに憧れて、そうなりたいと思っていたけどなれなくて。野上も僕の後ろについてやっていたから、僕みたいな感じでやりたいけど、タイプ的にはセンスでやるタイプだから」とおっしゃっていました。ご自分としてはどういうディレクター像を目指していたんでしょう?

野上:『ANN』のADとして見れたディレクターは、ほぼ石井ディレクター1人でした。何でもそつなくこなしてスムーズに進行するという意味では、トップレベルの方で、本当にすごいなあと思っています。僕はパーソナリティと一緒にお笑いを作っていくことに憧れていたので、石井ディレクターもそうですし、入社した時から数ヵ月しか一緒じゃなかったですけど、宗岡ディレクターもいらっしゃったので、憧れた部分はありましたね。

——ご自分の中にあった理想と、実際の向き不向きはあったんでしょうか?

野上:末端ですけど、自分は演者として一通りの地獄を経験したから、パーソナリティの方々は本当にどれだけ大変なんだろうと想像してしまうんです。本業がいろいろあって、そのあとに2時間しゃべるってどれだけ大変なんだろうと。だから、番組的にディレクターがあえて上からものを言って面白くするみたいなことが僕は苦手で。だから、そういうこともできる人はいいなとも思いますけど、逆に自分はそれができないからこそ、別の方法があるんだなって考えてます。今は番組にプラスになるのであれば、放送を邪魔しない変なディレクターでいきたいと思ってます(笑)。

——ディレクターという仕事において、「こういうことがあったからいい回だった」「こういう感覚になったらいい放送だった」と感じる基準はありますか?

野上:抽象的に言うと、心を動かされる回というか。メチャクチャ笑える回もいいんですけど、それにプラスしてちょっと泣ける感じがあったり、喜怒哀楽が全部詰まっているような回は終わったあとも忘れられないですね。しばらく高揚感が続いて、アドレナリンが出ているなって実感する時があります。でも、そういう回ってなかなか珍しくて。大きなニュースや大きなトラブルがあった時の放送がそうなりやすいのはありますが、そういう場合でも期待値に負けないぐらいパーソナリティが頑張ってくれたからこそいい放送になっていると思います。

——漠然とした質問なんですが、『ANN』らしさって意識していますか?

野上:もちろんいろんな年代の方が聴いてくださっていると思うんですが、「10代のリスナーにワクワクして聴いてもらえたら」というのはベースとして考えている部分ですね。あとは、『ANN』のブランドとして、どれを聴いても面白い“宝箱感”を意識しています。自分が担当しているのはその内の3番組なんで、そこは「今週も聴いてよかった」と思ってもらえるようにしようと。それだけは死守しよう、盛り上げようという思いはあります。それぞれディレクターがそういう意識を持って、今の『ANN』ができているんじゃないかなと。

——パーソナリティとのコミュニケーションの取り方で意識されている部分はありますか?

野上:僕はパーソナリティとのコミュニケーションがそんなにたくさんあるほうじゃないんですが、特にタイミングは自分の中で意識しています。「今は違うだろう」という時は絶対に話しかけないようにしていて、逆に「今は話したい感じなのかな?」と感じたら声をかけにいきます。それがちゃんとできているか、正解かはわからないんですけど。これから2時間話すわけで、その前にしゃべるのってしんどいだろうと思うんですよ。だから、番組に集中できるようにしてあげたいなって。

——大島育宙(XXCLUB)さんが配信番組で、野上さんが以前より自分の話をせず、話を聞くのがうまくなっていたと言っていました。

野上:放送中にパーソナリティの話を聞く意識はありますね。他のディレクターさんもみんなやっていると思うんですけど、人によっては放送中にあまり反応しない場合もあるんですよ。でも、僕は本番中も楽しんで、前のめりにパーソナリティの話を聞きたいと思っていて。手を叩いて笑ったり、無意識にやっているんですけど、ビックリするぐらいあいづちが多いかもしれません。

「まだまだAMラジオが生き残る術はある」

——今や『ANN』のスタッフにもいろんな活躍の仕方があります。野上さん自身も『星野源のANN』では出演する立場ですし、先輩の石井さんは書籍を出されました。今後やってみたいことってありますか?

野上:自分が経験できてないことで言ったら、日本武道館ぐらい大きな会場でイベントをやるのは憧れとしてあって。数万人規模のイベントはやってみたいですね。地上波の番組はありがたいことにいろいろやらせてもらっているんで。あとは、ポッドキャストの番組を立ち上げるのは楽しそうだなと思っていて、今は自分でやるチャンスはないですけど、いつかはやってみたいです。

——具体的なアイデアはあるんですか?

野上:芸人さんで、なおかつまだメジャーになってない人とやってみたいです。再生数がほぼ0に近いところからどのぐらい増やせるか、みたいなことは夢があるなって。人となりは全然わからないんですけど、えびしゃという「NOROSHI」で優勝しているトリオが、最近、すごく面白かったです。1人が僕のサークルの後輩なんですけど、大企業の内定を断ってまで芸人の道を選んだらしくて。ネタが圧倒的に面白くて、風貌も個性的で興味があるので、番組とかできたらいいですね。もちろんすでに大学お笑いのコアなファンはついていると思いますが、ラジオはゼロからのスタートだと思うんで、やってみたいです。

——『ANN』のスタッフも常に新陳代謝が早いですから、今後はいろんなことに挑戦できる立場になるんじゃないでしょうか。

野上:そうですね。僕も29歳になって、本当に深夜3時からは体が動かなくなってきましたから(笑)。

——いや、パーソナリティの皆さんは年上ですし、それはいくらなんでも早すぎるんじゃないですか?(笑)

野上:昨年度はMAXで深夜3時までだったんですけど、今年度は深夜3時からの放送があるので、本番前にどうすればいいんだろうって。事前にどこかで目をつぶれるタイミングがあればと思うんですけど、もちろんそんな時間があるわけもなく。僕よりもお忙しいパーソナリティの方は尊敬しますね。体力的に僕もできてあと数年だと思います。

——今後のラジオ界はどうなっていくと思いますか? ブームだと言われる一方で、聴取率や広告費は厳しい状況が続いています。

野上:個人的にはAMラジオ……特に『ANN』や『JUNK』は強いと思っていて。FMらしい音楽番組も面白いし、選曲も含めて素敵だと思うんですけど、Apple MusicやSpotifyで独自の音楽番組が始まっていますよね。でも、AMラジオの面白さや馬鹿らしさを、プロが大きな規模で形にする番組ってまだインターネットや他のメディアにはないのかなと。現在の『ANN』のバラエティ的要素はさらに独自に進化していったら、真似できないものになるんじゃないかなって。ラジオとしては生き残りのチャンスになるし、さらに盛り上がりを生んでいけると思います。

——最近はイベントやグッズ展開も活発になってきました。

野上:「ラジオはお金がない」といろんな方が言い続けてきたからか、前よりもリスナーの皆さんがリアクションしてくれるようになって、グッズやイベントに対価を払って見てくださる方も増えてきました。もちろんお金を払うことが全てじゃないですけど、そういう意識で支えてくださっているのは本当にありがたいなって。そう考えると、まだまだAMラジオが生き残る術はあるのかなと個人的には思ってます。

野上大貴(のがみ・だいき)

野上大貴(のがみ・だいき)
1993年4月5日生まれ。東京都出身。慶應義塾大学卒業。在学中は、学生芸人として活動。2016年ニッポン放送に入社し、『菅田将暉のオールナイトニッポン』『星野源のオールナイトニッポン』、『霜降り明星のオールナイトニッポン』『フワちゃんのオールナイトニッポン0(ZERO)』などの番組ディレクターを担当する。
https://www.allnightnippon.com
Twitter:@daikikeio

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発売日:6月8日
価格:¥5,500
https://jvcmusic.lnk.to/hoshinogen_ANN

Photography Masashi Ura

author:

村上謙三久

1978年生まれ、東京都出身。プロレス、ラジオを中心にライター・編集者として活動。『芸人ラジオ』『声優ラジオの時間』シリーズ編集長。著書に『深夜のラジオっ子』(筑摩書房)、『声優ラジオ“愛”史』(辰巳出版)がある。 Twitter:@kensaku999

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