岡田拓郎の新作『Betsu No Jikan』はいかにして作られたのか 対話からその真相に迫る

フォーク好きの父親を持つ音楽好きの家庭に生まれ、高中正義の名作『ブルー・ラグーン』を聴いて、ギターの道へ。小学生から中学生時代にかけては『ギター・マガジン』の「スライドギター・ギタリスト特集」(2003年8月号)や『轟音、爆音、ノイズギターの世界』(2004年2月号)などに魅せられ、「プレイヤー」としてのさらなる深みへと手を伸ばし、地元・福生のライブ・ハウスでのブルース・ロック・セッションなど研鑽を重ねる。はっぴいえんどの(『風街ろまん』以上に)『Happy End』に感銘を受け、やがては、日本語ポップス史で未だに特異な存在感を放ち続ける名バンド「森は生きている」を結成。その解散後も、シティ・ポップ・リバイバル以降のネオ・サイケデリックなソフィスティ / インディ・ポップから、日本的な環境音楽〜アンビエント、ノイズやドローンなどの前衛的な音楽までも横断したソロ活動、大貫妙子や柴田聡子などの作品へのミュージシャンとしての参加や、吉田ヨウヘイgroupやSouth Penguin作品のプロデュースなど、多角的に活動を展開する1991年生まれのアーティスト=岡田拓郎。1人のミュージシャンとして、プレイヤーとして、そして、無類の「レコード」好きとして、数々の名作品に携わってきたその人物が、2年ぶりの最新アルバムとして発表した『Betsu No Jikan』。

同作はドラマーの石若駿との即興演奏の成果を「素材」としてエディットし、そこにジム・オルークやネルス・クライン、サム・ゲンデル、カルロス・ニーニョ、細野晴臣といった音楽家達に即興的な演奏をするよう指示。そのリモートで収録されたデータを再びエディット、コラージュし、自身と各人の演奏を混ぜ込んでいったという。今作の制作経緯とその思いについて岡田に尋ねた。

『Betsu No Jikan』という表題に込めた思い

——『Betsu No Jikan』という表題に込められた思いやコンセプトは、どのようなものですか。パンデミック下のこの2年で作られ、リモート作業を軸に、ポスト・プロダクションへと重きを置いて制作された本作の経緯を想像してみると、ふとこのタイトルは、「ひとりの / それぞれの時間」とも解釈できると思いました。

岡田拓郎(以下、岡田):タイトル自体は、今回の録音に参加してくれた「森は生きている」の時のドラムの増村(和彦)としゃべってるうちにできたんだけど。彼はこれまでのアルバムにも参加してもらっているし、森は生きているのスピリチュアルアドバイザーでもあって。作品が半分ぐらいできたタイミングで、「今回はどんなタイトルにしようか」と考えていた時に、彼が酔っ払って「『Outro Tempo』(2017年にオランダの〈Music From Memory〉がニューエイジ・リバイバル目線で編纂したブラジルの電子音楽のコンピレーション・アルバム)やな」「すなわち別の時間や」みたいなことを言って。「別の時間」ってどうとでもとれるというか、それがいいなと思って、このタイトルにしました。

——リモートでのポスト・プロダクション、エンジニアリングや編集を主軸に置いたコラージュ的な作品ながら、音像的には、幻惑的なスピリチュアル・ジャズ / フリー・ジャズ的といえる意匠に仕上げられています。ここまで直球にジャズ的なサウンドへと傾倒したことに、どんな経緯や意図がありましたか?

岡田:ジャズをやろうとは思ってはいませんでしたが、ジャズ的なサウンドに仕立てようとは思っていました。ただ、ハード・バップみたいなのを勉強してきたわけではありませんがモーダルなのとかコンテンポラリー、フリーなジャズは昔から好きで熱心に聴いてきたと思います。〈ECM〉レーベル※のジャズとか、フリンジなもの。僕としてはポップスのミュージシャンだし、というところはありつつ、ジャズ的な音ではありながら、レコード屋だったらどこに置くべきか本当に迷うような作品を今回は作りたかった。

※1969年、西ドイツ・ミュンヘンにマンフレート・アイヒャーによって設立されたレコード会社。ジャズを主としたレーベルであり、アメリカやヨーロッパ各国のミュージシャンのアルバムをリリースしている。

——音楽的なスピリットとしては「ポップ」を強く感じますが、ソロ・アルバムとしてここまでアヴァンギャルドなサウンドに挑んだことに何か理由はありますか。

岡田:特にそこに関しては考えていませんでした。ポップス側からすると小難しいし、アヴァンギャルド側からするとポップすぎるみたいな感じの活動をしてきたから平常運転ではあると思います……。

——岡田さんの主要な歌ものなどのディスコグラフィやソロ・アルバムの大々的なセットとして、(『Lonerism Blues』などを除くと)ここまで「ジャズ」やジャズ的なものに傾倒している作品は、『ノスタルジア』(2017年)に収録されていた(ブライアン・ブレイドを意識した)「ブレイド」以来ですよね。

岡田:今作では石若駿さんが(ドラムを)叩いてくれたおかげでジャズ的なフィーリングが色濃くサウンドに反映されたように感じます。レコード・リスナーとしても、フォー・ビートのジャズじゃなくて、ジャズ・ドラマーがいろんなビートを叩く感じが好きで。ラリー・コリエルの後ろでジャック・ディジョネットが叩いてるエイトビートとか、ミルフォード・グレイヴスのアフロっぽい演奏も好きだし、土取利行さんのパーカッションも好き。フォービートを叩かなくてもジャズ・ドラマー特有の自由なビート感っていうのはあると思います。そうしたフィーリングを肉体的に代弁してくれるドラマーというところで、やはり石若さんという存在が大きいです。

『MEDICINE COMPILATION』へのオマージュ

——これまでは、実験的なサウンドを志向しても、それらはポップスとしての音楽的要素やアレンジの一部であり、歌モノを主軸に置いたポップ・フィールドで活動されてきました。本作では大胆にも歌モノを1曲(2曲目の「Moons」)に絞った理由はなんだったのでしょうか。

岡田:もともと歌モノと今回『Betsu No Jikan』でトライしたようなサウンドの作品を分けて作ろうとしていました。ですが、制作を進めていくうちにどちらも自身がリスナーとして慣れ親しんできたスタイルであることに気がつきました。これは、細野さんの『MEDICINE COMPILATION』へのオマージュでもあるかもしれません。あのアルバムで、1曲にポンと出てくる「HONEY MOON」がすごく印象的で。「あれ? 歌モノだったっけ?」と思っているうちに、ポンポンと次の曲が流れてきて、いつの間にかアルバムは終わっている。あれは不思議な構成のレコードですよね。

——個人的に「Moons」は、細野さんの『MEDICINE COMPILATION』の「HONEY MOON」とジョン・ハッセルの第四世界的な音色やフレーズであったり、曲調も詩世界もそっくりで、心象風景的にそっちなんじゃないかと思っていました!

※トランペット奏者 / 現代音楽家のジョン・ハッセルが1970年代に生み出した新しい音楽スタイル。ハッセルはこれを「世界の民族的な様式の特徴と高度な電子技術を組み合わせた、プリミティヴ / フューチャリスティックなサウンドの統合」と定義している。

岡田:鋭いな。だから門脇君がインタビューアーだと怖いんだよね(笑)。でも、「Moons」は「HONEY MOON」とはあまり関係なくて。「Moons」を作ろうとした時に、ブラジルのMoons (ミナスのバンド。岡田は、同バンドの『Dreaming Fully Awake』の国内盤ライナーノーツを執筆している)をちょうど聴いていて、「Moons」ってタイトルをデモのファイル名に付けていて、後になってもしっくりきていたのでそのままタイトルになったんだよね(笑)。僕みたいに「歌い上げない」人間にとって、ボサノバ的なコード感は歌い上げずにメロディの変化を出しやすいのでよく使うんだけど、そのコード感をゼロにしたモーダルな状態でも、ボサノバ的なことができるのかって、考えてこの曲は作り始めて。

——「HONEY MOON」と不思議にリンクしていることについては改めてどう思いますか?

岡田:『MEDICINE COMPILATION』のアルバム自体は意識してたけど、今、門脇君に言われるまで「Moon」が被ってることには気づいてなかった。

——同じ「アルバムの2曲目」で、どちらも夜の恋の歌。始まり方もよく似ています。

岡田:それは考えてなかったから、おもしろいな。特に恋の歌みたいなことはイメージをして書いてはいなくて、ピアノは「エチオピアのエリック・サティ」(『Emahoy Tsege Mariam Gebru』のこと)のイメージでした。

——『Emahoy Tsege Mariam Gebru』は、ジャズでもないし、東洋的っていうにもちょっと違う。でもロウで不思議な広がりのあるサウンドですよね。

岡田:不思議だよね。なんで、エチオピアの音楽ってあんなにオリエンタルに感じるんだろう。

——そうですね、エチオ・ジャズ然り。

岡田:東洋の音楽のスケール感が特殊ってことじゃなくて、ああいうスケール感自体が世界各国にあるんだと思う。東欧だとハンガリーとかも近いような。

——ラースロー・ホルトバージ(László Hortobágyi)なんかも有名ですよね。

岡田:そうそう。第四世界的なフィーリングも感じるよね。

なんか聞きたくなるような作品

——今作では、音楽的に見て、アンビエント・ジャズから、即興演奏、〈ECM〉作品的にも通じる音響美、ドローン、サウンド・コラージュ、非西洋的な旋律に至るまで、多様な音楽的要素が溶け合わさったアヴァンギャルドな意匠に落とし込まれていますが、不思議と親しみやすく、「ポップス」としても強靭な骨格を持つ作品に仕上がっています。本作の着地点として目指した場所はどのようなものでしょうか。また、どのような葛藤があったのでしょうか。

岡田:僕の場合はシンプルにレコードを作ることが好きなんですよね。それと同じくらいレコードを聴くのも好きなんだけど、それこそ、ジョン・コルトレーンの『至上の愛』とかって、誰が聴いても最初はよくわからないってなるアルバムの代名詞じゃないですか。

——僕も最初聴いた時はよくわからなかったです。

岡田:でも普段はジャズを聴かない人でもこのアルバムが好きって人は結構いたりするし、間違いなく録音物としての「ポップ」さは感じますよね。ブライアン・イーノのアンビエント作品自体も、いろんな言説はあるし、本人も語りまくってるけど、そういうのは置いといても、「ポヨヨン」って言ってるだけなのに、なんか「ポップ」というか親しみやすさを感じるし、デレク・ベイリーとかもわかりやすく異質というか、彼のレコードは腕組みして聴かなくても耳を引くサウンド的な楽しさがあるように感じていて、そういう意味では「ポップ」な存在というか。レコードとして通して聴いて楽しめてかつ興味深い作品でありたいなとは音楽を作る時に思っています。

——マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『Loveless』とかピンク・フロイドの『狂気』とか、一発でのみ込めないようなインパクトや違和感のある名盤の音楽体験についてはどう思いますか?

岡田:『Loveless』ってレコードだとノイジーでアヴァンギャルドというよりは、単純に「音が遠いインディロック」みたいな印象があってこれまであまり熱心に聴いてなかったけど、それこそアルバムの制作中にラファエル・トラルを経由して聴き直したら本当にいいレコードだなって思える瞬間があって。だから最初はよくわからないけど、聴いているうちにわかってくるみたいなことはあるよね。

「人生1回だしちょっとやってみよう」

——本作の参加ミュージシャンの多くが、さまざまなスタイルでジャズをルーツやバックボーンに持つミュージシャンでもあり、〈Leaving Records〉や〈International Anthem〉などからの作品で今絶頂なカルロス・ニーニョやサム・ゲンデル、石若駿など、まさに今この人を呼びたいというラインが見事に配されつつ、新たな音楽世界を提示する上での入り口としても絶妙な間口の広さとバランス感がありますが、これらのキュレーションや参加にあたっては、どのような意図や経緯がありましたか。カルロス・ニーニョには以前岡田さん自身がライターとしてインタビューも行っています。

岡田:運よく今回のアルバムの制作を手伝ってくれた友人で大先輩の鹿野洋平さんがLA周辺のミュージシャンと繋がりがあって。ネルス・クラインも彼の紹介で繋げてくれました。好きな音楽自体、アメリカの西海岸のものが多いなって、今回やってみて改めて気づきました。

——確かに自由な気風があるというか。

岡田:でも、こういう人に声をかけまくるのは、失礼になりそうだし、いろいろと考えるところはもちろんあったんですけど。とはいえ、コロナのタイミングで、洋平さんと「暗いムードだけど、楽しいことがしたいよね」って感じのところから、「人生1回だしちょっとやってみようよ」という流れでなんとか実現にこぎ着けられた感じで。個人的にコロナ禍ですごくレコードを聴いていた人達に参加してもらえました。

——それらの作品は音楽的なリファレンス的にはどうだったのでしょうか?

岡田:それについては先日趣味でプレイリストも作ってみたんだけど(笑)。

リファレンスというよりはパンデミックのタイミングで熱心に追いかけていた音楽なのですが。LA、シカゴ周辺の現代ジャズ、つまり〈Leaving〉や〈International Anthem〉あたりの人脈とか。ジムさんとか、オーストラリアのザ・ネックス(The Necks)が、〈Touch〉や〈Editions Mego〉からリリースしていた作品。この辺りだと、オーレン・アンバーチとシロ・バプティスタが一緒にやってるレコードとかは特にお気に入りでした。あと〈ECM〉のジャズは相変わらずよく聴いていた。ラファエル・トラルやスソ・サイスみたいなギター・ドローンとかもお気に入りです。それと土取利行さんとか、冨樫雅彦さんの『Spiritual Nature』、山本邦山さんの『銀界』とかも聴いてました。ある種日本的なものというか。

——どちらかというと鎮静的というか、内省的なものが多いと思うんですけど、コロナ禍というのもあってそういうムードだったんですね。

岡田:そうだね。

集大成的な作品に

——インタビューやブログなどを拝見していると、岡田さんは、「スライドギター特集」や「ノイズギター特集」などに感化されていらっしゃる通り、『ギターマガジン』育ちと発言されているだけでなく、ご自身も実際に連載されていたり、そして、音楽的なルーツには、ご家庭でのフォーク・ギターへの目覚めといったものを挙げられています。岡田さんは、ローレン・コナーズやジョン・フェイヒーなどをはじめ、ミュージシャンの入り口として、直感的なもの以上に、自身の「ギター観」であったり、プレイヤーとしての目線から、コード感や楽曲構造など音楽的な性質にインスピレーションを受けたり、音楽に入っていったという発言が多いと感じていました。極めて音楽的な視点から音楽を見つめているように思います。今作では、プレイヤー的な目線では、また、直感的にはそれぞれのミュージシャンにどのような魅力を感じていますか?

岡田:バンドを組んでた頃からずっとティン・パン・アレイやリトル・フィートのあのギターの感じとか、ピアノはドクター・ジョンのあの感じっていう風にメンバーと話し合ったりしてきて。ただ、今回は「ネルス・クラインみたいなギターを弾いてください」じゃなくて、実際に本人に弾いてもらえるチャンスがあったんで、だったらお願いするしかないと思って。ずっと10代からレコードで聴いてきた人達と作品が作れて、音楽の神様には感謝しています。

——ある意味集大成的という感じでしょうか?

岡田:そうかもしれない。音楽的に次に何をやるかあまり浮かばないしね(笑)。でも、次は1人で作りたいとは思ってる。

——今回の作品はアルバムとしての流れや一体性を重視する作品というより、それぞれ曲が独立した心象風景を描いていて、タイトルのような『Betsu No Jikan』が並行して並んでいるような印象を受けます。それらの曲に宿されたストーリーや意図はどのようなものでしょうか。

岡田:そんなに意識はしてなかったかな。作りながらできるだけ言語的なところから離れて、音の中に没入しながら作っていました。

——コルトレーンの「至上の愛」の演奏に挑んだことにはどのような意味がありますか。『至上の愛』の発表後、コルトレーンはよりアヴァンギャルドなフリー・ジャズにのめり込んでいくことになりますが、同曲を冒頭に配し、「Deep River」という意味深なタイトル名の楽曲で締めくくられることも、今後について、何かしらの声明を意味するものでしょうか。

岡田:すごく興味深い曲ですよね。特に1楽章。改めて聴いてもあれはおかしな次元の音楽と思うし、あとこれ本当にカバーが少ないんです。

——サム・ゲンデルを「至上の愛」のカバーでフィーチャーしたことに理由はありますか?

岡田:もともとは「至上の愛」にしようと思ってなくて。ガムランとトニー・ウィリアムズを足したようなビートの素材を作っていたら、「至上の愛」のメロディが聞こえてきて、この曲を演奏してもらうなら彼しかいないと思いました。

——今作では、ピアノやシンセサイザー、ペダル・スティールなど多彩な楽器での演奏を披露していますが、自身もエンジニアの主役として楽曲を大々的にトリートメントしているなか、すべての楽曲でギターやRoland SY-300などのギターに縁のある楽器を演奏していて、「ギタリスト」として一貫している。本作でのご自身の音楽家としてのロールの位置づけや取り組みの意義はどのようなものでしたか?

岡田:制作中は、すごく自由に音楽を作っていくと自分のアイデンティティが見つかっていくんじゃないかっていうことを少し考えていました。その時は多くのプロダクション仕事とかに関わっていく中で、自分が誰だかわからなくなった状態でもあって、今作を作り始めたんだけど、クレジットを見て改めて自分が何者なのかわからなくなった(笑)。

プレイヤーであることにも、エンジニアであることにも、そこに強いアイデンティティがあるというわけではないように感じます。やっぱり僕自身はレコード作るのが好きな人なんですよね。

——「ギター・マガジン」などの連載で、音楽を聴き始めた経緯などを読んでいると、ギタリストというところに根っこがあるようには見えました。

岡田:確かにギターは常に結びついている。慣れ親しんだ楽器ではあるので、音楽史自体もギター軸で考えると自分は捉えやすくはありますね。

「Reflections / Entering #3」が起点に

——岡田さんの純粋な音楽作品以外での印象的なご活動の1つで、〈ECM〉レーベル作品からニューエイジ的な楽曲を集めた、ニューエイジ・リバイバル視点でも意義深いプレイリストの編集作業がありますが、今作にはそのレーベルメイトであるウィルコのネルス・クラインが参加していますね。彼は弟のアレックス・クラインのアルバムの『The Lamp And The Star』にプロデューサー / ボーカルとして参加するという形で〈ECM〉に在籍しています。

岡田:これすごいおもしろいアルバムだよね。純粋に音量レベルが低いっていうこともあるかも知れないけど〈ECM〉で一番静かなアルバムかも知れないよね。しかも、アレックス・クラインは、静寂的なプレイヤーのイメージも当初はなかったので。

——やっぱりウィルコもお好きなんですか?

岡田:ウィルコはすごい好き。ネルスさんとウィルコに関しては、大学時代のちょっとした思い出話があって。お茶の水のディスクユニオンのジャズ館で、フリー・ジャズ・セール何千枚っていうのがあって(笑)。この時にほんと見たことないローカルのフリージャズいっぱい入ってて、「おもしろそう~」って、何十枚かジャケ買いしたんだけど、その内の1つが12弦ギターとダブル・ベースのデュオのインプロのアルバムで。ラルフ・タウナーとかスティーヴ・チベットみたいなフィーリングのギターを弾いてるおもしろい人だなって思ってました。その後も何度も聴き返したお気に入りのだったのですが。何年後かにDiscogsで持ってるレコードを整理してたら、その時買ったレコードがネルス・クラインの1枚目のレコードであることがわかって。ネルスがエレクトリックなジャズをやっていたのも知っていたし、ウィルコでの活動も知っていたのですが、そのレコードはあまりにイメージとは異なるサウンドで名前がうまくリンクしなかったんですよね。今回、Zoomでネルスさんと少しこんにちはのごあいさつをできて、この話をしようかと思いましたがややこしい話でうまく伝えられるか自信がなくてできませんでした(笑)。

——それは最高すぎるエピソードですね!

岡田:ウィルコ的なアメリカーナのカントリー・ロックみたいな部分と自分が好きだったフリーインプロ、〈ECM〉のジャズの橋渡し的な、「両方やってた人がいたんだ!」っていうのは、当時すごく励みになりました。だからウィルコにはかなり思い入れがあります。

——抽象度の高い即興演奏が繰り広げられる中に、純粋に録音の良さ、音の粒としての心地よさを感じる瞬間が多々あるのですが、どのような音を目指して、音を発したり、録音、編集されていたのでしょうか。

岡田:今回フォーカスしたのが、砂粒が1つ1つ耳の近くで鳴ってるみたいなザラザラした質感だったり、葉っぱのこすれる音が耳元で聞こえてたり、水が流れていったり、そういう、なんだろう、「ザラザラじゃぶじゃぶジョロジョロ」の距離感と解像度は常に気にしながら編集をしていました。砂粒が右左のステレオの中をどう動いていくか、どう反響して、流れていくか、みたいな。

——2015年に録音され、2年前にBandcampで発表していた、現在はBandcampから既に消されている曲で、 「Reflections / Entering #3」というアブストラクトな即興演奏の曲がありましたが、本作では5曲目に再録音されて収録されています。しかも、ジム・オルークやネルス・クライン、サム・ゲンデル、カルロス・ニーニョ、石若駿など、本作中でも最も気合いを感じる布陣です。これらにはどのような想いがあるのでしょうか。長さも10分と本作最長です。

岡田:これがアルバムの起点になっていて。コロナ禍のタイミングで音楽家ならみんなやったと思うんですけど、過去の録音デモとかをひっくり返していて。なんかおもしろいものないかなって探してるタイミングにこれが出てきて。それで2年前にBandcampにアップしたけど、今は買った人はダウンロードしてないと聞けなくなってる。

この曲は、森は生きているが解散したばかりの頃に、「日本語をどうロックにどう乗せるか」みたいなことからは離れて、音楽の音だけにフォーカスして音楽を自由に作ってみようって思って作ったのが2016年録音ヴァージョンでした。実はいつ録音したかは忘れてたんだけど、すごいいいって手応えがあったのは覚えていて、これがパンデミックのタイミングに見つかって、これをもう1回できるかなって考えたのが、始まりでした。

——本作を聴いていると、ジョン・ハッセルの第四世界の影がよぎりますが、本作では岡田さんはどういった眼差しがあったのでしょうか。

岡田:ちょっと関係ない答えかもしれないけど、デヴィッド・トゥープの本でのジョン・ハッセルに関する記述で、ヒップホップが出てきたことによって、音楽自体がサンプリングでも生演奏でも聴き手はどっちでもよくなったというのがあって。でも、ジョン・ハッセル自体は、インド音楽の伝統的な音楽の修業を積んできたじゃないですか。一方で、テクノロジーの音楽を進めた人でもあるし。その中で自分が引き裂かれそうになると話をしていて、改めて彼の音楽に興味を持ちました。とはいえ、彼のサウンド自体はどっちかである必要はなくて、どっちもいいところや好きなところを、自分で選択してトライすればいいんじゃないかなっていうスタンスのようにも感じます。彼の大胆な作品は本当に魅力的です。あとインターネット自体、第四世界っぽいですよね。人智を超えた量の情報が文脈も切断され漂い、関係のなかったものに接続される。インターネット上でのこうした文脈の切断的なものはあまり肯定できたものではないかもしれませんが、子供の頃からネットを扱っている世代としては他人事で済ますこともできません。そういう感覚みたいなところを、「別の時間」の中で考えていました。

Photography Mikako Kozai( L MANAGEMENT)

岡田拓郎
1991年生まれ、東京都出身。2012年に「森は生きている」のギタリストとして活動を開始。2015年にバンドを解散したのち、2017年に『ノスタルジア』でソロ活動を始動させた。現在はソロのほか、プロデューサーとしても多方面で活躍中。
Twitter:@outland_records
Instagram:@okd_tkr

■『Betsu No Jikan』
岡田拓郎 / Takuro Okada 

1. A Love Supreme written by John Coltrane
Takuro Okada – Piano, Synthesizer, Guitar Synthesizer (Roland SY-300) 
Sam Gendel – Alto Sax
Shun Ishiwaka – Drums, Percussion

2. Moons
written by Takuro Okada
Takuro Okada – Vocal, Guitar, Piano, Synthesizer 
Yu Taniguchi – Piano
Shun Ishiwaka – Drums, Percussion
Haruomi Hosono – Log Drum

3. Sand
written by Takuro Okada, Shun Ishiwaka
Takuro Okada – Guitar, Guitar Synthesizer (Roland SY-300), Mbira 
Shun Ishiwaka – Drums, Percussion

4. If Sea Could Sing written by Takuro Okada
Takuro Okada – Guitar, Guitar Synthesizer (Roland SY-300), Pedal Steel 
Junya Ohkubo – Alto Sax
Marty Holoubek – Double Bass
Shun Ishiwaka ‒ Drums

5. Reflections / Entering #3 written by Takuro Okada
Takuro Okada – Guitar
Nels Cline – Guitar
Sam Gendel – Alto Sax
Hikaru Yamada – Alto Sax
Junya Ohkubo – Alto Sax
Jim O’rourke – Double Bass, Synthesizer 
Marty Holoubek – Double Bass
Daniel Kwon – Violin
Yuma Koda – Cello
Shun Ishiwaka – Drums, Percussion 
Carlos Niño – Percussion
Kazuhiko Masumura ‒ Percussion

6. Deep River
written by Takuro Okada, Junya Ohkubo
Takuro Okada – Piano, Guitar 
Junya Ohkubo – Alto Sax 
Yohei Shikano – Lap Steel 
Yuma Koda – Cello
Marty Holoubek – Double Bass 
Shun Ishiwaka – Drums, Percussion 
Carlos Niño – Percussion
Kazuhiko Masumura ‒ Percussion

author:

門脇綱生

1993年生まれ。鳥取県米子市出身。レコード店「Meditations」のスタッフ/バイヤー。2020年に『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』(DU BOOKS)を出版。「ミュージック・マガジン」や「レコード・コレクターズ」「MIKIKI」等各メディアでの音楽記事や、国内盤CDのライナーノーツの執筆なども担当。2022年よりDisk Unionにて音楽レーベルの「Sad Disco」を始動。同レーベルは、現在4作品を発表している。 Twitter:@telepath_yukari   Instagram:@tsunaki_kadowaki

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