サウンドアーティストの細井美裕の作品は、マルチチャンネル音響を用いた空間のサウンドインスタレーションや舞台公演、多重録音と多岐にわたる。22.2chで制作した『Lenna』はNTT ICC無響室、YCAM、札幌SCARATS、東京芸術劇場コンサートホールで発表。2019年にYCAMで細井美裕+石若駿+YCAM新作コンサート「sound mine」を発表して、昨年は羽田で「MoMA」のキュレーターのパオラ・アントネッリがキュレーションした「Crowd Cloud」(スズキユウリとの共作)を展示した。サウンドアーティストとして世界から支持を受ける彼女に創作の原点や音と空間の関係性について話を聞いた。
声はあくまで素材。サウンドアーティストとしての矜持
――まずはNTT ICC無響室で展示されている22.2chサラウンドシステム『Lenna』の制作の経緯を聞かせてください。
細井美裕(以下、細井):22.2chは音を使って自由な表現ができるサラウンドフォーマットとして、一般公開されているにも関わらず、作り手がアクセスしにくいんですね。アクセスできるのはスタジオを持っているかメジャーなアーティストという、作る環境と聴く環境が整備されていない事実にフラストレーションがあって。限られた人達の流れがないと、22.2chで表現できないのが悔しかった。自作でトライしたのが『Lenna』で、アーティストとしての最初の作品と思っています。
――自分で作ることで表現の制限を拡張していきたい気持ちがあると。
細井:ゼロイチの動機だと、ポジティブな理由で作品を作ることがないんです。世の中が「できない」と思われていることを覆したいというモチベーションはあります。
――その意味で“声”は空間に意識を及ぼすツールという解釈なんですね。
細井:自分の中で“声”は音源の1つのツールみたいな感覚です。ピアノと同じで1人でもできるので。その後は、声を一切使っていない作品もあります。次の新作も横須賀の無人島でやるんですけど、声もスピーカーも使わず、ひたすら音響環境を考える作品になっています。
――音声を使った『Lenna』は、細井さんが元々合唱を経験しているバックグラウンドがあって。表に立つよりは、環境を拡張するために自分の素材としての声を使う考えに至るにはある種の捻じれがある気がします。なぜなのでしょうか?
細井:『Lenna』の作曲は上水樽(力)さんが、私はレコーディングと声を担当しています。他に動きと全体感を作るエンジニアの蓮尾(美沙希)さんと美しさをコントロールするエンジニアの葛西さん(敏彦)、立体音響のシステムエンジニアの久保さん(二朗)のチームがいて「聴く」「作る」「実践する」という3つの視点から考えるので、どちらかというとプロデューサー的な立場で作品を作っている感覚があります。
22.2chはNHKが開発したフォーマットなんですけど、『Lenna』はクリエイティブコモンズで公開されているので、作品の実例として二次利用が許可されて配布されていることは1つの達成かなと。フラストレーションから始まった創作が2年をかけてやっと次のフェーズが見えてきたと考えています。
裏方意識を持つのも空間を楽器として捉えるのもすべて表現強度を増すため
――サウンドアーティストとして、空間に意識が及ぶのはなぜですか?
細井:音響建築の分野にコンサートホール設計という領域があるんです。永田音響設計の豊田泰久さんが「ホールは楽器」と話していたように、音それ自体だけではなく、鳴らす場所も、聞く場所も意識することが自分にとっては重要です。以前、プロジェクトの監修に入っていただいたこともあって、空間に対する思い入れは強くなりましたね。例えば、この会議室は天井が抜けて丸くなっているじゃないですか。手を叩くと変な音の響き方をするんですよ。
パソコンで最終のアウトプットとするものだったら、同じパソコンが制作環境でもあるので、作品を発表する前に気付くと思うんですけど。インスタレーションの場合、例えば美術館のだだっ広い場所なら、どこでも同じ音の反響が起きるかというとまったく違うんです。他にも美術館に対する鑑賞者の距離感も含めて、美術館しかできないイントロダクションがあるじゃないですか。作品展示は音源をつくる先に空間にインストールする作業があり、そこに至るまでの体験みたいなことも含めて設計しないといけないので、表現したい領域が広がっていくんです。
――ソロとしての作品のみならず、コラボレーションワークも増えています。近作の「 (((||| (縦曲線)」や羽田空港で「MoMA」のキュレーターのパオラ・アントネッリがキュレーションした「Crowd Cloud」であったり。個人の制作とコラボレーションの違いを教えてもらえますか?
細井:どこまでを他人に委ねて、どこから自分の責任の範疇とするかが難しいですよね。例えば、自分の抽象的なオーダーから生まれた予定不調和が悪い方に転んだ場合、私の頼み方が悪かったと感じるんです。自分のプライドも含めて、そのこだわりを捨てたくなくて。あとで「やっぱり違う」というのは失礼だなっていう、その狭間にいます。
――作品について裏方として全体を統括して見る部分と、表現する上での揺らぎの話でもあったりして、そこは今やってきたからこそ見える世界の話でもあるのかなと。
細井:確かに、最近は裏方に回るのが好きです。メンタル的にはそっちの方が前に進めている感じがしますし、常にインプットする時間がないとつらくなってしまう。例えば、現場のことを理解していた方が、1人の作業員として動けるから効率いいなと。サウンド・インスタレーションをやっているのに、防音材を打ったことがないのはちょっと恥ずかしいと思ったり(笑)。作家でありながらも、プロデューサー的な視点で見る方が良い場合も多いです。来年の展示は、これまで何度か作品を施工していただいて、かつ今修行させてもらっているチームに入ってもらっています。
――裏方の動きって具体的にどういうことがあるんですか?
細井:羽田の「Crowd Cloud」を設営してくださった「スーパー・ファクトリー」に帯同させてもらって、壁立てからパテの塗り方まで教えてもらいました。作品を通じて、現場のことを理解していた方が、関係値が構築されていくじゃないですか。
――そこまでやり切るんですね。
細井:どんな素材でどの程度の効果があるか、自分も手を動かした方が理解が早い。作家はコンセプトの説明が終わったら、手が空くことも多いので、施工の人達に対してのリスペクトもありますし、作品の説得力も増します。
――作家としての強度の話ですよね。
細井:やっぱり作品を発表する以上、自分の表現について議論ができないといけないと思っています。三上晴子さんもそうですし、ダムタイプもそう。一方で、言葉では説明しきれない部分が残るのも事実ですが、そういう文脈が大事。アーティストが作品でしか言語化できない表現をしているわけですから、適当な説明はできない。憧れている作家のチームの形があるので、自分もそこに近づきたいですね。
――同時にインターネット上に自分の楽曲や作品を発表している。展示会場でしか体験できないサウンドをインターネット上に放流する意味をどう捉えているのでしょうか?
細井:例えば、女子高生がオンラインで偶然22.2chのバイノーラルを聴いて、そこから私の作品にアクセスして展示に来るというきっかけも考えられますよね。その可能性のメリットがインターネット上に作品をアップロードするネガティヴィティを上回っているからです。
――お話を伺っていて、鑑賞者と作家との関係値でいうと作品を世の中に置いていく感覚に近いのかなと思っていて。
細井:そうですね。作品を発表した時点で次のことを考えています。仮に作品に対してネガティブなフィードバックがあったとしても、当時の私に言えることで、今の私には別の問題。昔の自分をフォローする気はないですね。
――これからどのように表現を突き詰めていきたいと考えていますか?
細井:活動領域が特殊だと思うので、マニアックな方が展示に来られたらいいし、きちんと伝わる表現を続けたいです。門戸を広げたとしても、実際に自分がやりたいことがマニアックですから。というのも、期待を裏切りたい気持ちがずっとあるんです。期待されるということは、まだ、その人の想像の中に収まっている感じがして。その意味では、誰かから期待される状況とは、距離を置こうとも考えています。ただ、作品そのものよりも私の考え方、少し異質な方向性に対してという意味で、人としての期待は素直に喜んで受け止めたいです。