『まじめな会社員』の冬野梅子が語る「漫画家への転身」と「人生設計」

「へーえ! 経理! ぽいわ〜!」。
見知らぬ男に職業を明かすと、自分の容姿を一瞥され「うん、ぽいわー!」と明るく言われる。やりたい仕事に就くことを諦め、現実を受け入れた33歳の主人公のリアルな描写が共感を呼び、配信サイトで過去最高PVを記録した『普通の人でいいのに!』で鮮烈な印象を与えた漫画家・冬野梅子。

初めての連載『まじめな会社員』でも、何をやっても「ワナビー(何かに憧れ、それになりたがっている人)」どまりで、うだつのあがらない地方出身の30歳の契約社員である主人公・あみ子が恋愛や仕事に奮闘するも実を結ばないドラマが描かれた。冬野は「何をやってもうまくいかない主人公を描きたかった」と語り、だからこそ読む者の自意識に突き刺さる展開を見せた。

これらの作品には冬野自身の経験も反映されているそう。会社員から漫画家へ転身を遂げた彼女にこれまでの経緯とともに『まじめな会社員』で描かれた「尊重されにくい人」について話を聞いた。

冬野梅子(ふゆの・うめこ)
2019年、『マッチングアプリで会った人だろ!』で 「清野とおるエッセイ漫画大賞」期待賞を受賞。その後『普通の人でいいのに!』(モーニング月例賞2020年5月期奨励賞受賞作)が公開されるやいなや、あまりにもリアルな自意識描写がTwitterを中心に話題となり、一大論争を巻き起こした。「コミックDAYS」の連載『まじめな会社員』(全4巻)も話題となる。
Twitter:@umek3o

「修行」みたいだったクラブ通い

——冬野さんの作品に出てくる主人公は、どの子も深夜ラジオや映画など文化的なものを心の支えにしているものの、職場や恋人とのリアルな人間関係ではその趣味が昇華されない印象があります。これはご自身の経験からくるものでしょうか?

冬野梅子(以下、冬野):私の場合は大学が経済系の学部だったこともあって、文化系とは言えないというか。周りにサブカル好きの人もいないし、自分がそういう人間とは思っていませんでした。美大に通っている友達と、たまに映画の話をするぐらい。学生時代はそれで充分というか、承認欲求も文化的なものへの渇望もありませんでした。

ただ、就職したら映画を見ている人自体が珍しい環境になってしまったので……映画と言ったらシネコンでやってる興行収入100億円ぐらいのアニメ映画を見るか見ないか、みたいな。

——就活では、映画業界とか広告業界のようなメディアとかクリエイティブな職種は受けましたか?

冬野:映画や広告業界は恐縮してしまって受けなかったんですが、素材提供の会社や印刷会社など少しデザインやメディア系っぽい会社を受けました。私が就活したのは売り手市場の時期だったのに、全部エントリーシートで落ちてしまって。制作会社のバックオフィスの職種も一応はエントリーしてみましたけど、全くダメで。

みんなが卒業旅行の計画を立てる中、自分だけ内定が決まってないと精神衛生が悪くなるんですよね。なので、「内定をもらえればどこでもいい」という気持ちで、唯一内定をもらえた女性が多い業界の事務にしました。

でも、就職してからは、このまま社会に馴染んでいくと、どんどん世界が縮小していく気がしていたので、無理やりにでも入りづらいクラブやライブハウスに足を運んでいました。「修行」みたいでしたね。そこの空気感や環境をなるべく視界に入れて、細胞に取り込みたくて、「とりあえず、行く」。それでも仕事が嫌すぎて、仕事以外のすべてが楽しく感じました。

——クラブに通う「修行時代」はどのくらい続いたのでしょうか?

冬野:3、4年はやってました。やめたのが2010年代初頭ぐらい。その頃からスマホで面白いウェブ記事をいっぱい読める状況になっていったのが大きかったです。「面白いものを作って集客しよう」という気概があふれるウェブメディアが増えていった時期で、心の底から読みたいものがウェブにあったんだと思います。

しかも好きな文章に出会ったら、その著者のTwitterをフォローできて、その人の近況も知れるし、トークライブにも行ける。「私が求めていたものがある」と思ったのを覚えています。

——「世界が広がっていく」感じでしょうか。

冬野:そうですね。

「自分は将来どうなりたいんだろう?」と真剣に考えて漫画家の道へ

——冬野さんは、どういう流れで漫画を描くに至ったんですか? 文フリやコミティアで作品を発表されていたとか。

冬野:最初は、大学の友達を誘って、グループ展みたいなものを下北沢でやったことだと思います。数人しか入れないような狭い場所で、絵や文章を持ち寄った展示でした。

このグループ展をやろうと思ったのは、昔バイト先の先輩の写真展に行ったことを社会人になって思い出したのがきっかけで。もともと「自分が創作してもいい」という発想もなくて。今は普通になりましたけど、プロでもないのに自己表現するのは恥ずかしい行為だと思っていました。

でも、先輩の写真展を思い出して、そういえばこういう経験すらしてこなかった、と思って。それに感化されて、友達に「グループ展をやってみない?」と誘って。グループで作品を作るので、イラストを描いたり、コラージュしたり、友達の絵に私が文章をあてたり。文化祭のようで本当に楽しかったです。

それからイベントは何度か開催したんですけど、続けていくうちにマンネリ化していく感触があり、複数人でモノづくりする息苦しさも覚えるようになり……。例えば、友達の絵には、ひどい文章をあてがえないじゃないですか。相手に悪いから。

気楽に1人で作れるものを考えた結果、漫画に着地しました。最初は、A4の紙に4コマ漫画を描いてましたね。小学生の時は漫画を描いては友達と見せ合っていたのですが、それ以来15年ぶりにペンで線を引きました(笑)。それでコミティアに申し込んで、とにかく「描かなきゃいけない」状況を作りました。

——イベントの出展には、締め切りがありますからね。

冬野:はい。アナログで描いていると手間も時間もかかるので、ペンタブを導入して締め切りまでに完成を目指すことにしたんですが、最初はペンタブに慣れず……。「無理無理無理、やめよう」とネガティブな気持ちになったり、「ここで頑張らないと全部ダメになる、本当に終わる」と自分を鼓舞したり……で、なんとか完成させました。ペンタブで描けたのは5ページぐらい。あとはそれまで描いていたアナログの作品をPDFにして売ることにしました。

——表現するのは恥ずかしいと思っていた時点と比較すると、すさまじい行動力です。どんな心境の変化があったのでしょうか?

冬野:当時は訪問営業もしていたんです。お客さまの家に伺って、残業してはぐったりして家に帰る。営業は最もやりたくない仕事のはずだったのに、毎日毎日嫌いなことしかやってない。さすがに少しでも好きなことをやりたいと絶望していました。自分は好きでもない仕事に追われて何をやってるんだろうと虚無感に陥っていきました。

そんな自分の社会人生活と漫画を天秤にかけたら、どう考えても売れない漫画を描いているほうがマシ。これに気付いてからは、開き直りました。

さらに、毎日「会社を辞めたい」と思い悩んでいたら、そのタイミングで突発性難聴になりまして。すぐに退職届を出しました。難聴は3日で治ったんですが(笑)。

——思い切りがすごいですね。

冬野:働いているうちに「自分は将来どうなりたいんだろう?」と真剣に考えて、踏ん切りがつきました。「私はこのまま働き続けてもバリキャリにはなれない。じゃあ、結婚して家庭を持って子育てしたいの?」と自問した。そうすると、私はどちらも大して望んでいなくて、「年齢不詳の中年女性」みたいになりそうだな、でもそれも悪くないかもと思いました。

――いますね。外見からして音楽とかに詳しそうな方。

冬野:そうです、そうです。それなりに楽しそうな人。その一歩を踏み出すために、定時で帰れる事務職を探し、定時で帰れて有給が取りやすい環境に身を置くことにしました。漫画を描く時間を確保できるようにしたくて。昨年、この会社も退職したので、今は漫画だけに集中しています。

「30歳で人生を全部決めなきゃいけない」という圧力

——結婚と出産というのも、女性の「将来」を考える上で、なかなか避けては通れない道ですよね。そこから脱した……ということでしょうか? 冬野さんの作品でも、結婚や出産の圧力で「身の丈」を考えてしまう主人公の胸の内が描かれています。

冬野:昔に比べると、いろいろな選択肢を選べるようになったと思いますけど、今でも、女性は20代の頃から30歳ぐらいまでに人生を全部決めなきゃいけなくて、逆算した人生設計を考えがちだと思うんです。

——30歳というと、結婚と出産ですかね。

冬野:そうですね。周りでも32歳くらいで出産してる人が多い。だからなのか32歳から逆算した人生設計をせざるを得ない気がするんですよね。20代の時から。

そうすると、何歳までにこういう人に出会って、何歳までにこういうことして……それができてないとヤバいのかもしれないと思い始め、焦燥感や劣等感にかられる。バリキャリには到底なれない『まじめな会社員』の主人公・あみ子みたいな人は「結婚しないと困るでしょう?」みたいな視線を送られることが多い。

一方で、人生の逆算で思いつめたとしても「誰も32歳までに子どもを産めなんて言ってないでしょう? あなたが1人で勝手に思い悩んで、怒ってるだけでしょう?」と言われたりする。

——寄る辺がない……。

冬野:私自身「もし自分が女性じゃなかったら、逆算して物事を考えなくても良かったのに」と思った時期もありました。

でも、さっきの「どういう風に歳を重ねたいか」と考えた時に、子どもという存在は絶対的に必要ではないかもしれないと気が付き……急に30歳までに全部決めなくていいと思ったんです。人生設計が自由になった。そもそも「30歳で人生を全部決めなきゃいけない」というのは無理なので全否定したいです。

まじめなのに損する人

——『まじめな会社員』では、あみ子は「ここではないどこか」に行きたくて、あがくものの、うまくいかない。一方でほんのり想いを寄せる今村さんが、なんだかんだ人生をうまく進めていてやきもきしました。浮気ばかりするのに、恋人に事欠かないというか。

冬野:確かに今村さんは、あみ子と真逆なタイプの人間です。モテる人って必ずしも常識的な人ではなくて……ただ一緒にいて楽しい素質を持ってるんですよね。モテには、誠実さや真面目さよりも、自分なりの哲学があるってことが重要なのかなと。人間的に問題があっても一緒にいると楽しいからそこに惹かれちゃう。逆に、あみ子のように周りの空気を読みがちで、折り目正しくあろうと無理する人は一緒にいて楽しくない(笑)。

——手厳しい(笑)。何者かになれないあみ子タイプの人間はどうやって厳しい現実をサバイブしていけばいいと思いますか? 損ばかりしてしまう気がしていて。

冬野:「尊重されにくい人」というのかな……あみ子のような周りの意見を真面目に聞きすぎてうまくいかない人って「流されてる」という言い方をされると思うんです。

——自分の哲学がある「尊重される人」とは逆で。

冬野:そうそう。でも、ちょっと流される人のおかげで、自分の融通を聞かせてもらってる人ってすごく多い気がします。フットワーク軽く海外旅行に行っちゃう人のシフトを埋めてるのって、あみ子みたいな真面目な人なんですよね。本当に些細なことでも、例えば会議の準備したり、議事録取ったり、電気つけるとかそのレベルで。

そういう人達のひたむきさがあって、みんながやりたいようにできているのに、いざ「人生どうする」という時だけ「やりたいことをやってこなかったのは自己責任」とされるのは、納得いかない。

あみ子タイプの人間は、無益な我慢を続けることが、努力とないまぜになっていて、損する役回りが多いだけ。そういう人が少しでも現状を楽にするには、苦手だと思いますが、心を鬼にして「これはやりません」って言うのが一歩のような気がします。流されやすくて健康な人って基本的に会社を休まないから、気が付いたら仕事を巻き取ったりしてるんですよね。休むのが悪いんじゃなくて……休んじゃえって思いますね。

——損する役割から脱するために。

冬野:有給取ることは、別に誰にも迷惑かけてないので。「いつも私ばかりやってるかも」と思ったら「体調がちょっと悪いので、他の人にお願いしてもらっていいですか」っていう嘘もついちゃってもいいと思ってます(笑)。「私もやっていいんだ」と思うのが大事です。少し不真面目になった方が世界は広がると思います。

『まじめな会社員』(全4巻)

■『まじめな会社員』(全4巻)
主人公・菊池あみ子、30歳。契約社員。彼氏は5年いない。いろんな生き方が提示される時代とはいえ、結婚せずにいる自分へ向けられる世間の厳しい目を、勝手に意識せずにはいられない。それでもコツコツと自分なりに築いてきた人間関係が、コロナで急に失われたら……!?

著者:冬野梅子
出版社:講談社
https://kc.kodansha.co.jp/title?code=1000041297

author:

嘉島唯

新卒で通信会社に営業として入社、ギズモードを経て、ハフポスト、バズフィード・ジャパンで編集・ライター業に従事。現在はニュースプラットフォームで働きながら、フリーランスのライターとしてインタビュー記事やエッセイ、コラムなどを執筆。Twitter:@yuuuuuiiiii

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