対談・渋谷慶一郎 × 長久允 ショートフィルム『Kaguya by Gucci』の制作背景とアンドロイドという存在から見えてくるもの:連載「MASSIVE LIFE FLOW——渋谷慶一郎がいま考えていること」第8回

領域を横断しながら変化し続け、新しい音を紡ぎ続ける稀代の音楽家、渋谷慶一郎。連載「MASSIVE LIFE FLOW」は、そんな渋谷に密着し、その思考の軌跡や、見据える「この先」を探っていく。連載第8回では、渋谷が音楽を書き下ろした「グッチ」のショートフィルム『Kaguya by Gucci』(主演:満島ひかり、アオイヤマダ、永山瑛太)でディレクションを務めた、映画監督・長久允との対談をお届けする。

「グッチ」のバンブーハンドル バッグの生誕75周年を祝し制作された『Kaguya by Gucci』は、日本最古の物語といわれる「竹取物語」を、東京を舞台とした現代劇へと翻案した約6分間の映像作品。独自の視点から再解釈された設定・ストーリー、シュルレアリスティックで美しくポップな映像、アンドロイド・オルタ4がボーカルをとる構築的かつエモーショナルな音楽から織りなされる同作は、8月に公開されるや否や国境を超え大いに話題を巻き起こすこととなった。この類い稀なる物語と音楽は、いかなる想像力と構想力により紡ぎ上げられたのか。初対談となる2人が、その制作背景やプロセス、そしてアンドロイドという存在から見えてくるものについて、言葉を交わす。

構造を捉え、複雑さを愛すること

——まず『Kaguya by Gucci』にお二人が携わることになった経緯を教えてください。

長久允(以下、長久):『Kaguya by Gucci』の企画・プロデュースを担当した田辺(俊彦)さんという方がいまして、渋谷さんと僕にそれぞれ田辺さんからオファーがあり、ご一緒することになったんです。僕はこのプロジェクトが始まるまで渋谷さんとは面識がありませんでしたが、もともと渋谷さんの音楽は聴いていましたし、初音ミクやアンドロイドをフィーチャーしたオペラ作品や『Heavy Requiem』(※編注:2019年のアルスエレクトロニカで披露された真言宗僧侶・藤原栄善とのコラボレーションによるパフォーマンス)にも刺激を受けてきたので、同じ作品に携わることができてとても嬉しかったですね。 

渋谷慶一郎(以下、渋谷):僕も長久さんとご一緒できて楽しかったです。ところで、長久さんって、もともと音楽をやってたんですよね? 『Kaguya by Gucci』の制作中、音楽に対する意見や指示の中に、音楽経験者じゃないと出てこないような言葉や表現があったので、その後、気になって長久さんのことをネットで調べてみたんです(笑)。そしたら、案の定、そういう情報が見つかって。

長久:そうなんです。学生時代にずっとジャズをやっていました。楽器経験としては、バリトンを6年、テナーサックスを3年くらいやっていて。

渋谷:ジャズといっても色々ありますけど、どの辺りが好きなんですか?

長久:幅広く聴くほうなんですけど、「一番好きなの誰か?」と聞かれたら、ギル・エヴァンスですね。エレクトリックギターを入れてジミ・ヘンドリックスの曲をやるなど、ビッグバンドというフォーマットの中でジャズに”異物”を取り込んで拡張していくような彼のやり方に、すごく魅力を感じて。大学時代にコピーもやっていました。

――長久さんが監督を務めた2019年公開の映画『WE ARE LITTLE ZOMBIES』には菊地成孔さんが出演されていましたが、キャスティングは長久さんのご意向によるものだったのでしょうか?

長久:はい。菊地さんもとても好きな音楽家で、DC/PRGのコピーをやったこともあるんです。菊地さんはロジカルなトークも魅力的な方なので、ぜひ出演してもらいたくてオファーしたところ、幸いにも引き受けていただけて。

自分の音楽経験の話に戻ると、20歳の頃にサックスでプロになるのは諦めて、同じ熱量で打ち込めるものをよくよく考えた結果、映画に転向したんですけど、もともと音楽は大好きだったんです。

渋谷:そうだったんですね。長久さんとはとてもやりやすかったので色々と納得しました。僕は、長久さんみたいに、複雑な音楽を好きな映画監督とは相性がいいんです(笑)。そういう方って映像でも音楽でも、作品を構造的に捉えているじゃないですか? 僕もそうだから、共通理解を得やすくて。逆に、歌モノ一発とか3ピースのロックだけが好きみたいな方は音楽の物語性や文学性ばかりにフォーカスして構造への意識が希薄だから、一緒に仕事をするのがちょっと難しいんですよね(苦笑)。

長久:確かに、僕は超密度派というか、ものごとや諸要素の関係性の密度が上がれば上がるほど「いいな」ってタイプなので、複雑なものや、多くの人が「めんどくさい」と感じるものが大好きなんです。

「現代版竹取物語」はいかにして生まれたのか

8月に公開された『Kaguya by Gucci』。日本最古の物語「竹取物語」を、独自の感性と批評眼により現代劇へと翻案した。ディレクションは長久允が、音楽は渋谷慶一郎が担当。

――『Kaguya by Gucci』の大元となるコンセプトはどのように生まれ、育まれていったのでしょうか?

長久:プロジェクトのスタート地点として、プロデューサーの田辺さんから「現代の東京を舞台として、『竹取物語』のかぐや姫、翁、帝という3人の人物が登場する物語をつくってほしい」というオーダーがあったんです。そこでまず、現代の物語作家として、その誕生から10世紀以上経った日本最古の物語にどのように対峙すべきなのか、どのようにそれを描き直すべきなのか、「竹取物語」と向き合うスタンスを明確にしなくてはいけないと思ったんです。そうして考えを煮詰めていった結果、出てきた結論は「物語に抗うこと」でした。

たとえ物語の筋書きや結末が決まっているのだとしても、登場人物の1人ひとりが、それに対して自分の主観や主張をさしはさむ権利が与えられている――。そういった考えに基づき物語を描き直すことで、今だからこそ提示できる意義や価値観を表現したかったんです。だから、『Kaguya by Gucci』の中では、翁はかぐや姫と別れる時に諦めるのではなく反抗するし、たとえ結ばれないという結末がわかっていたとしても、帝は恋をし続けることを諦めない。渋谷さんの音楽でオルタ4が歌っている歌詞もそういう観点から書いていて、「私は決められたことを演じる存在ではない」みたいな内容なんですけど。

――オルタ4は渋谷さんと共に映像にも登場し、メイクアップも相まって強い存在感を示していますね。

渋谷:オルタ4はこの作品がデビューだったのですが、作品の中では狂言回しとして重要な役割を担っているんです。で、そういうふうに説明すると海外の人からは「そう言われるとよくわかる」って言われますね。

長久:確かに能楽など歴史的な文脈を踏まえると、海外の人にとってはより理解しやすいかもしれませんね。

渋谷:海外のカルチャルな人は、日本の伝統文化について日本人よりも詳しかったりしますからね。

あとオルタが歌っている歌詞に関しては、一部、AIに長久さんが書いたテキストを学習させて作った箇所もあるんです。作詞で長久さんと共にクレジットされている「サイファー」というのがAIのことなんですけど、その名前もAI自身が付けたもので。

世間のAIのネーミングって、古代の神や古典の登場人物に因んだものとか、つまらないものが多いじゃないですか(笑)。そういうのは嫌で、じゃあどうしよう?と思ってAIに「みんなが成長を見守りたくなる新進の作詞家の名前は何がいいか」って聞いてみたところ、「サイファー」って答えが返ってきて。0や暗号を意味する言葉で、これはいいなと思って正式名称となりました。

楽曲制作における構造的アプローチ

――今作のために書き下ろした楽曲「I come from the Moon」について、渋谷さんはどのようなアプローチで制作を進めていったのでしょうか?

渋谷:先ほどお話ししたように、僕は音楽でも映画でも、作品を構造的に捉えていきます。それで、構造にこそ人は心を動かされると思っているんです。

その観点から言うと、この作品で一番重要なのは円環構造になっていることです。同時に、登場人物たちやオルタ4の瞳のアップが多かったり、月の存在だったり、作品を通して円という形態が象徴的に登場している。それで、最後に「これはおとぎ話だ」という最初のシーンと同じセリフが翁役のアオイ(ヤマダ)さんから発せられ、作品の円環性が提示される。つまり象徴的にも構造的にも円が重要で、それは当然ながら月の形態でもある。それをどのように音楽で表現したらいいかを考えました。

そしてもう1つ核になると思ったのは、アオイさん演じる翁が、頂上にいる満島(ひかり)さん演じるかぐや姫に向かい東京タワーを駆け上がっていくシーンです。作品に頻出する円という形態は、精神分析的に言えば女性器を象徴するものとして解釈できるわけですが、ここで東京タワーはそれに対をなす男性器の象徴として登場しているとも言えます。言わば、女性同士のラヴストーリーの描写なんだけど、そこに記号として男性的なものも介在している。それは作品を見ている人の無意識に強く働きかけるところがあると思って、ここでは強い欲動性のあるメロディが必要だろうと考えたんです。

――なるほど。渋谷さんが構造や記号的な視点から作品分析を行い、楽曲制作を進めていったということがよくわかります。

渋谷:ただ、その東京タワーのシーンで、メロディも一緒に上昇していくと、単純にオーガズムに達してしまうことになるから(笑)、それでは駄目で。先ほど長久さんがお話ししていたように、今作では「抗うこと」が大切なテーマになっているわけで、それを表現するために上昇するコード進行に対して下降するメロディをつけました。

そしてこの東京タワーを駆け上がるところからBPMが急激に上がっていくんですけど、クライマックスの月を背景に2人が抱擁する頃には、急激にBPMを落として完全に最初のシーンと同じBPMに戻っていて。そのことによって、作品の円環構造を音楽上で表現しているんです。

長久:どのシーンの音楽も素晴らしくて、僕はかぐや姫と翁がガチャガチャの人形になって踊り出すシーンもすごく好きですね。あそこのシーンでは、今まで実写だった映像が急にCGに切り替わるんですけど、音楽のほうでも音色がガラッと切り替わって映像の変化にシンクロしていて。

――音色というところでいうと、渋谷さんの作品ではあまり使われてこなかった生ドラムの音色や、シンセベースではなくエレクトリックベースの音色も聴こえてきます。

渋谷:アンドロイドが語り部、歌い手として重要な役割を担う中で、あえて人間的な感触を持ったサウンドを組み合わせたほうがおもしろくなると思ったんです。今回のプロジェクトは、自分の中で機械的なものと人間的なものとの距離感を考えるいい機会にもなりました。ベースだけではなくて、エレキギターや1950年代の生ドラムのシミュレーションとかも使っていて、アンドロイドが音楽の中心にいるとなぜかこういう音色が欲しくなりますね。

――先ほど長久さんがお話ししていた通り、今作では映像と音楽に強い一体感、シンクロ感を感じます。その辺りは相当こだわられたのでしょうか。

長久:そうですね。例えば細かいところの話でも、音の余韻、残響がカット終わりできっちり切れているのと、次のカットに少しはみ出ているのとでは、受ける印象がめちゃくちゃ変わるじゃないですか? だから、映像と音の調整は1フレーム単位で最後のギリギリまで調整していました。

渋谷:長久さんは、広告もやってきたというのも大きいと思うんですけど、カット割とか、コマのフレームに対する意識は自主映画だけやってきた人よりも厳密ですよね。音についても「ここのシーンの10フレーム目で音のアタックが来ないと感動しないんです!」みたいな感じで。僕は、そういう厳密さって絶対的に正しいと思うんですよ。制作の場では、数字で言えることは数字で言えないと、全く無効というか、話にならない。

アンドロイドという存在を通して見えてくるもの

――長久さんは今作でアンドロイドという存在に対峙し、どのようなことを感じましたか?

長久:僕は、人の生き死にや、感情と表情の乖離・ずれみたいなものをテーマにして作品を制作してきましたが、それはこの先も変わらないと思っていて。アンドロイドは、その存在自体がそういった自分の問題意識に関わってくるので、自分にとって、とても重要な存在だと感じています。今後、アンドロイドがますます普及しその重要性を増していくであろう中で、物語作家としてじっくりと向き合うことができたのは得難い経験でした。

渋谷:アンドロイドは、映画や演技という観点から見てもおもしろい存在だと思います。かつてはエモーションとモーションのつながりをいかに上手く表現できるかということが、いい俳優やいい映画の評価基準だったじゃないですか。それを(ジャン=リュック・)ゴダールが方法論的に切断したことで新しい映画が始まったわけだけど、アンドロイドにおいては、その両者間に最初からそもそもリンクがない。その存在自体が「感情とは何か」と問いかけてくるようなところがある。

長久:本当にそう思います。僕は、人間ってそもそもエモーションとモーションが合致してないとずっと感じているんです。基本的に人は状況に対して、感情ではなく反射でしかものを言っていないというか。そこにある乖離、「ガタガタ性」みたいなものが、僕はとても美しいと思っていて。だから、それを体現しているアンドロイドという存在に惹かれるんです。

渋谷:人は反射や習慣で行動するし、何かを好きという価値判断の背景には必ず社会的要因がある。例えばアイドルという存在は、見た目という基準のみではなく、それを「かわいい」とする社会的な価値観があってこそ成立しているわけで。というか、実際に会うとそんなにかわいくないことも多い(笑)。人間がそこまで感情で動いているわけではないということは、今わりと共有されてきている気はしますね。

――AIやアンドロイドという存在によって、人間という存在や感情というものに対する認識や感覚が改まってきているとも感じます。

渋谷:そうして感情という前提が崩れると、物語の作られ方が変わりますよね。これは、日本にとって結構チャンスだと考えていて。ヨーロッパは基本的に人間中心主義で、人間という存在を疑わないから、「人間には感情があって、ロボットにそれはない」という前提を崩すのが難しかったりするけど、日本はそれとは異なる価値観に基づいた新しい物語を提示できると思うんです。

長久:日本は代々、浄瑠璃を作ってきていますし、めちゃくちゃ基盤がありますよね。

渋谷:そうそう。

長久:人形には感情があるし、人間は人形が表現できる以上の感情はない、みたいな。それは他の国の方は持ってない感覚のような気はします。

渋谷:それを僕は「新しいエスニック」と言っているんだけど。

長久:わかります。僕の映画は日本よりも、アメリカやヨーロッパのほうが評価してくれるんですけど、それは僕の映画で表現されている、直接的な描写やモチーフといったレイヤーではなくて、悲しみを表明しない感じや、諦観に対するドライさなどといった精神性に対して、日本的な特殊性というかある種のエスニック性を感じているからみたいで。それが、おもしろいと。

渋谷:僕もこの10年くらい、作品を通して、「私」という存在に自明性が無いことや、感情の実証不可能性みたいなことを描いてきましたが、そういったトピックは日本よりも日本以外の人との方が議論の対象になるんですよね。

長久:やっぱりそうなんですね。『Kaguya by Gucci』の制作中に田辺さんから、渋谷さんと僕は今の社会や人間に対する考え方に近いところがあると言われたんですけど、いろいろとお話をさせていただいて、改めて実感しました。今日はありがとうございました。

渋谷:こちらこそありがとうございました。ゆっくりとお話ができて楽しかったです。

Photography Tasuku Amada

author:

藤川貴弘

1980年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、出版社やCS放送局、広告制作会社などを経て、2017年に独立。各種コンテンツの企画、編集・執筆、制作などを行う。2020年8月から「TOKION」編集部にコントリビューティング・エディターとして参加。

この記事を共有