ドバイ万博、アンドロイド・オペラ®『MIRROR』世界初演を現地レポート:連載「MASSIVE LIFE FLOW——渋谷慶一郎がいま考えていること」第5回

領域を横断しながら変化し続け、新しい音を紡ぎ続ける稀代の音楽家、渋谷慶一郎。そんな渋谷に密着し、その思考の軌跡や、見据える「この先」を探る連載「MASSIVE LIFE FLOW」。第5回では、今年3月にドバイで開催されたアンドロイド・オペラ®『MIRROR』のレポートをお届けする。

アンドロイド・オペラ®『MIRROR』は、渋谷慶一郎と、アンドロイドのオルタ3、真言宗僧侶の藤原栄善を筆頭とする仏教音楽・高野山声明(しょうみょう)家、そして現地UAEのオーケストラである「NSO Symphony Orchestra」という、異質な「他者」達が集い織りなす新作オペラ作品。同作は、もともと昨年12月にドバイ万博にてジャパンデーのメインプログラムとして開園が予定されていたものの、新型コロナウイルス オミクロン株の世界的流行を受け開催直前に中止と相なっていた。しかし、その後の渋谷の積極的な働きかけが奏功し、この3月、満を持してドバイ万博のジュビリーステージで世界初演を迎えることとなった。現地で同公演を見届けた小川滋が、その革新性と可能性を伝える。

アンドロイドのポエトリーリーディングと僧侶の声明、電子音とピアノの重なり合いから聴こえてくるもの

ドバイ万博、アンドロイド・オペラ®『MIRROR』世界初演を現地レポート
©︎ATAK. Photography Sandra Zarneshan

2022年3月2日、日没を迎えるドバイ国際博覧会(以下ドバイ万博)会場内、ジュビリーステージ。ここは野外フェス会場のようなリラックスした場所で、ステージ前には人工芝が敷かれ、野外用のクッションを思い思いの場所に移動して、くつろいで過ごす人の姿が見られる。しかし、この日は少しばかり空気が違っていた。急遽決定したアンドロイドオペラ®『MIRROR』の世界初演を目撃しようと集まってきた人達の予感が、周囲に薄い緊張を醸していた。

「Android is a mirror」―流れるエレクトリックな持続音を背景にアンドロイド・オルタ3のポエトリーリーディングで、オペラがスタートした。「Music is a mirror」―60BPMのビートが重なる。「It is a reflection of yourself」-1文ずつ、厳かに言葉を捧げるように続くと、仏教音楽のマスター、藤原栄善による声明が強いコントラストをもって立ち上がる。やがてすべてを覆わんばかりに響いたかと思えば、そこにオルタ3が問いかける-「What is the boundary between existence and non-existence? (存在と非存在の境界とは何か?)」

ステージ中央にはLED照明にぎらつく金属の身体と、能面のようだが人工皮膚の質感も生々しいアンドロイド・オルタ3。向かい合う壮麗な袈裟を纏った高野山から来た4人の僧侶。LEDスクリーンには、3Dスキャンされた彫像のような姿のオルタ3と藤原が映し出され、そこにオルタ3が発するテクストがインサートされる。渋谷とコラボレーションを重ねているビジュアルアーティストのジュスティーヌ・エマールによるビジュアルが感覚を揺さぶる。ステージでもアンドロイドと僧侶が対峙し、波の押し引きのうちに海が満ちていくようにパフォーマンスが進む中、ようやく渋谷がピアノを奏でる。「Let’s celebrate this new experience together(この新しい体験を一緒に祝祭しよう)」-オルタ3が祝福とショーの開始を告げる言葉を繰り返して、このオペラのタイトルにもなっている新曲「Mirror」が、高密度で重層的だが抑制の効いたピークを迎える。

現地のオーケストラが加わり織りなされる多層的で濃密な作品体験

45人編成のNSOシンフォニーオーケストラ ©︎ATAK. Photography Sandra Zarneshan
45人編成のNSOシンフォニーオーケストラ ©︎ATAK. Photography Sandra Zarneshan

滑らかにテンポが速まり、2曲目に移行する。渋谷の合図で動き出す45人編成のNSOシンフォニーオーケストラが、さらに情報量を加算する。しかし、4人の僧侶の存在感はオーケストラに全く引けを取らない。ベーストラックの上でテーマを反復しながらテンションを高めるオーケストレーションに、ピアノと声明が絡みあう別次元の音楽体験にオーディエンスがさらされる中でオルタ3が「Scary Beauty」を歌い始める。ジュビリーステージの開放感をものともしない、密度の高さに気持ちの高まりを抑えられない。まだ2曲目が始まったばかり、開演から7分しか経っていないのが信じられないくらいにアンドロイドオペラ®『MIRROR』は強烈だ。

この作品は、昨年12月11日にドバイ万博にて、ジャパンデーのメインプログラムとして実施を予定されていた。しかし新型コロナウイルス・オミクロン株の世界的な流行の懸念から経産省がジャパンデーを大幅に縮小したため、開催直前に中止となっていた。これを潔しとしなかった渋谷本人の情熱的な働きかけが実り、日本館主催のイベントとして復活し、この3月2日にドバイ万博のジュビリーステージで世界初演が実現することとなった。

(中止決定後、実現を訴えるための個人的なUAE渡航の様子はこちらの記事で →連載「MASSIVE LIFE FLOW——渋谷慶一郎がいま考えていること」第4回

©︎ATAK. Photography Sandra Zarneshan
©︎ATAK. Photography Sandra Zarneshan

オペラを構成するのは渋谷慶一郎による楽曲、ピアノ演奏と電子音、アンドロイド・オルタ3の歌唱と自律的に生成されたテクスト(歌詞)、藤原栄善率いる4人の真言宗僧侶による1200年の歴史を持つ仏教音楽・声明、そして既に渋谷と共演実績のあるUAE現地のNSOシンフォニーオーケストラの演奏。歴史、文化、信仰、テクノロジーなど、時間的にも空間的にも実に多様な文脈が交錯する壮大、複雑でスリリングなプロジェクトであることは想像に難くない。港湾都市の歴史を背景に、ムスリム圏にありながら人口の9割以上を占める移住者との協調で活力を得るドバイ、中でも南アジア・中東・アフリカで初の開催となったドバイ万博会場で世界初演を行うことに、渋谷がこだわったであろうことも理解できる。

しかしもう1つ、あえてここに記しておきたい事がある。直前となる2月24日にロシアがウクライナに侵攻。チョルノーブィリ制圧と原子炉暴走の懸念、核兵器が選択肢という驚愕の発信、国際決済システム(SWIFT)からのロシア排除という壮絶な経済制裁、果ては原子力発電所への意図的な攻撃と、すさまじい速度で狂った創造性が可視化され、目を覚まされるような驚きの中でこの日を迎えた。事実、リハーサル中に上空を旋回する戦闘機の轟音に楽器を弾く手が止まった瞬間もあり、否が応にも五感の解像度が高まった状態で体験したアンドロイドオペラ®『MIRROR』がわずか30分にも関わらず如何に刺激に満ちていたか? それを想像していただきたい。

生命と非生命の境界を往来するパフォーマンス

ピアノを奏でる渋谷慶一郎 ©︎ATAK. Photography Sandra Zarneshan
ピアノを奏でる渋谷慶一郎 ©︎ATAK. Photography Sandra Zarneshan

「Scary Beauty」後のわずかなインターバルに会場から湧いた拍手を受けてオルタ3の存外軽妙なMC。これから歌う2曲の歌詞は「AIが、つまり、自分が書いた」というくだりでは自然と笑い声と歓声も湧いていた。しかしこれは笑い事ではない。1200年前に書かれた声明の仏経典をAIに学習させて出来上がった英語の歌詞をオルタは歌う。その歌が、元になっている4人の僧侶による声明を模倣し、即興的に重なることによって出来るハーモニーは比喩ではなく時空を超えている。続いての「今日ここで演奏できて嬉しい」という言葉も素直に聞き取れる。姿といい声音といいすでにオーディエンスは「アンドロイドのシンガー」に違和を感じなくなってきているようだ。

3曲目となる「The Decay of the Angel」の前後には、藤原とオルタ3が向かい合って歌を交わすシークエンスがある。独唱する藤原と向かい合うオルタ3。その声音は明らかに人ではないのに、何か惹きつけられる響きを孕んでいる。メカニカルな身体と手指は対話的な音楽に応じて繊細な動きを示す。実はここでオルタ3は、予めプログラムで確定した旋律を歌うのではなく、藤原の声明を聞いてリアルタイムに即興で歌を返しているのである。そのオルタ3をただひたすら受け入れ、見つめながら合掌して声を発する藤原。生命と非生命の境界を往来するかのような印象的なシーンだ。藤原はSNSにこう書いている。『アンドロイドと向き合って一身になるつもりで融合を目指して心込めて唱えさせて頂きました。』人がこの身体のままで成仏する、悟りを得て仏となること、即身成仏という概念が密教にはある。藤原にとって、合一する対象としてオルタ3も、仏像、曼荼羅も区別はなく、言ってしまえばいずれも大日如来の化身として同じ、と捉えられているのかもしれない。戯曲による役どころの設定ではなく、本心からオルタ3との同一化を求めている。そこに生まれる強さが、オルタ3の生命感を高めていることに疑いはない。その意味で、藤原は歌手として優れた能力を持つ声明の専門家であることを超えて、真言宗の僧侶としての資質がプロジェクトの本質に触れる不可欠な要素となっている。当の藤原にとってはいつもの修法と同様にこのオペラに臨んでいるだけなのかもしれないが。

(一方、オルタ3自体が目に見えないところで変更を重ねていて、特に電子音楽家、プログラマーの今井慎太郎の参加を得てから声や動きに生命感を増してきた経緯についてはこちらの記事で →連載「MASSIVE LIFE FLOW——渋谷慶一郎がいま考えていること」第3回

祝祭感と強度、可能性に満ちた30分間

©︎ATAK. Photography Sandra Zarneshan
©︎ATAK. Photography Sandra Zarneshan

「Scary Beauty」は2017年にアデレードで、「The Decay of the Angel」は2018年に東京で発表したアンドロイドオペラの定番ともいうべき楽曲である。だがこの日は、NSOシンフォニーオーケストラの1人ひとり大胆に強く鳴らす演奏、声明とのマッチアップ、さらにドバイ万博内の野外会場という場所柄も踏まえた祝祭感あふれる新しいアレンジと構成、大型のLEDスクリーンやムービングライトを利かせたステージ演出も相まっていつにもましてスペクタクルな展開となり、オーディエンスは驚かされることを楽しみ、時にライティングにぎらつくオルタ3はロックスターのようにも見えた。

最後となる4曲目は「Midnight Swan」。渋谷が第75回毎日映画コンクール音楽賞ほかの映画音楽のアワードを獲得した映画のメインテーマだ。導入でピアノとストリングスの奏でる抒情的な旋律に声明が重なる。LEDスクリーンに舞い散る桜のように見えたのはジュスティーヌ・エマールが藤原の寺院を訪れて3Dスキャンした外構空間のポイントクラウドデータによるグラフィック。ティンパニーの連打と共にテンポがあがり、オルタ3が自ら書いた詞を歌ううちに奔流のようにオーケストラ、ビート、ノイズといった要素が重なり一気呵成に情報量が増す。僧呂による満を持した大般若経の転読(厚い経典を頭上でばらばらっと捲るパフォーマンス)が繰り出され、叫ぶような読経と声明が、まばゆいステージを祝祭感で満たし、オーケストラ、ピアノ、オルタ3との絶妙なバランスを探る内に潔く演奏が終わる。その間際、僧侶が歌う声明が英語でプロジェクションされた。「May the world be peaceful(世界が平和でありますように)。この声明を選んだのは1年前だという。まさかこの言葉がこんなにリアリティを持つとは誰が予想しただろうか?そう考える間に、短いカーテンコールで驚くほどあっさりとオペラは幕を閉じていた。

アンドロイドオペラ®『MIRROR』の世界初演は、時間にしてわずか30分に満たないほどの短さだったがその時、その場所に居合わせることができたことを、永く記憶にとどめるに十分に値する濃密な体験だった。

期間限定で、フルサイズの演奏の様子が下記サイトから見ることができる。

Android Opera MIRROR
Concept, Composition, Direction, Piano, Electronics: Keiichiro Shibuya
Buddhist Music: Eizen Fujiwara, Yasuhiro Yamamoto, Jien Goto, Hoshin Tani
Orchestra: NSO Symphony Orchestra

Artists & Crew
Android Programming : Shintaro Imai
Visual: Justine Emard
Lighting: Go Ueda
Sound: Yuki Suzuki
Technical Management: So Ozaki
Project/Production Management: Natsumi Matsumoto

Production: ATAK
Organizing: Japan Pavilion

渋谷慶一郎が映画作品『ホリック xxxHOLiC』(監督:蜷川実花、主演: 神木隆之介×柴咲コウ)に書き下ろした全21曲を収録したアルバム『ATAK025 xxxHOLiC』を発表。

渋谷慶一郎
音楽家。東京藝術大学作曲科卒業、2002 年に音楽レーベル ATAK を設立。作品は電子音楽作品からピアノソロ 、オペラ、映画音楽 、サウンド・インスタレーションまで多岐にわたる。代表作は人間不在のボーカロイド・オペラ『THE END』(2012)、アンドロイド・オペラ®『Scary Beauty』(2018)など。
2020 年に映画『ミッドナイトスワン』の音楽を担当、毎日映画コンクール音楽賞、日本映画批評家大賞映画音楽賞を受賞。2021 年8 月 東京・新国立劇場にてオペラ作品『Super Angels』を世界初演。2022 年3 月にはドバイ万博にてアンドロイドと仏教音楽・声明、UAE 現地のオーケストラのコラボレーションによる新作アンドロイド・オペラ®『MIRROR』を発表。人間とテクノロジー、生と死の境界領域を作品を通して問いかけている。
http://atak.jp
Photography Mari Katayama

Photography Sandra Zarneshan(©︎ATAK)
Edit Takahiro Fujikawa

author:

小川滋

比叡山で修行。広告代理店で都市ブランディング。エレクトロでノイズなプロジェクトに没入。強烈な文化体験が空間にひもづいて妙なことになるのを言語化する仕事。

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