2022年の私的「ベストミュージック」 CYK・Kotsuが選んだ年間ベスト

終息に至らないコロナや大国による軍事侵攻、歴史的な円安などなど。2022年に刻まれたさまざまな出来事は、私達の日常の在り方・感覚に少なくない変化をもたらした。しかし、そんな変動の時代の最中においても、音楽は変わらず鳴り続け、今年も素晴らしい作品がいくつも生まれた。そんな2022年に生まれた数多の作品群から、「TOKION」執筆陣・ゆかりのクリエイターの方々に、ベストアルバム・EPを選出してもらう。

今回は、DJとして日本各地で現場をわかせたハウスミュージックコレクティブ、CYKのKotsuに、今年1年を振り返ってもらいながら選曲いただいた。

「2022年の私的ベストミュージック」セレクター:Kotsu

Kotsu(コツ)
1995年千葉県市川市生まれ。ハウスミュージックコレクティブ。CYKのメンバーであり、ソロにおいても国内外で多くのギグを重ねている。2020年9月に1人、京都へ拠点を移して以降もより活動範囲を広げ、ダンスミュージックおよびクラビングにおけるピュアエナジーを全国規模で放出し続けている。DJ以外の活動でも、グラフィックデザインやZINEの製作を行うなど、あらゆるフォーマットでアウトプットを行っている。DJという肩書きに依拠せず活動する彼は、この時代に投下された一種の吸収体による純粋な反応にすぎないのかもしれない。
https://soundcloud.com/kotsu0830
Instagram:@kotsu0830

DJとしてもっとも忙しない12月を迎え、振り返ろうにも振り返り切れないこの時期を毎年のように確認する。それでも絞り出すように浮かべた2022年の思い出は、師走の冷えた体を少しずつ温めてくれるような淡くすてきな記憶群だ。

今年は多くの街に降り立った。数でいうと約17の都道府県にあるクラブやDJバー、フェスティバルなどでDJをさせていただいた。繰り返し足を運ぶ都市もいくつかあった。今は京都を拠点にしながらも年の30%くらいは東京に滞在している。自分にとってのその淡き記憶群はまさに日本中にちりばめられていて、その記憶の回収は“都市”という記号をもってして行われる。

僕は小学生の頃、2年ほど広島に住んでいたことがあり、昨年に当時以来となる広島の地に降り立った。その際に訪れた小学校の通学路は、ずうっと脳の奥にしまわれていた記憶の再起装置でもあった。帰り道が一緒で仲が良かった友達の表情さえもが脳裏に浮かび上がり、その頃の子どもながらの感情が思い返された。それはまるで夢想状態のようにも思えたと同時に、当時の自分からの背丈の変化によって相対的に生まれる、小学校のグラウンドを囲うフェンスの低さへの認識は、十数年という長いブランクのリアリティを明確に描き出していた。その街での物語がまた再び動き出したような実感とエモーショナルな感情があふれ出した。

そんな夢想と現実の狭間に揺らめいたこのエピソードを代表するような曲を紹介したい。それは今年、広島の「BAR EDGE」という場所でDJの瀧見憲司さんと共演した際に、瀧見さんがフロアに投下した1曲だ。

Tornado Wallace 「Sea Translation」

Tornado Wallace 「Sea Translation」

耽美的かつ郷愁を誘うあるバレアリックなメロディが襲う一方で、重心の低めなブレイクビートがむち打ち続ける。アンビエンスの海に揺らぎトランスさせるような夢想さと、低音という体に作用する現実との同居バランスが素晴らしい作品だ。聴いた場所が場所だったこともあり、その追憶のエピソードを再び思い返す瞬間だった。この曲もまた僕の記憶を再起させる装置にもなっている。

“(広義の)ハウスミュージック”を主たる選曲コンセプトとしてDJ活動を行う僕としては、ダンスミュージックを挙げたいところだが、同時に思い出のある曲が多すぎて選べないよ! という気持ちにもなる。とにかく今年も多くのダンスミュージックに出会い、多くの素晴らしい瞬間に立ち会った。今年らしい話でいえばやはり、海外アーティストの往来が再開したことに尽きる。ひさびさの海外アーティストのプレイはやはりグッとくるものがある。音楽そのものの良し悪しはもちろんのこと、音楽以外の人間の性格的な余剰の部分も含めてDJという表現形態に接していることを再確認した。

また、自分がメンバーであるコレクティブ、CYKにおいて過去に招聘したアーティストとの再会も今年あった嬉しいトピックの1つだった。ミュージシャンの小袋成彬くんと、今年7月に全国で行われたUKのリイシュー作品を世に送り出すレーベル「Melodies International」の合同ツアーで訪れた京都では、そのレーベルメンバーとして来日したセオ・テレビ(Theo Terev)との再会でもあった。彼は以前別のLa Mamie’s(ラ・マミーズ)クルーの一員として、CYKと共演してくれたアーティストであり、コロナ禍を経たお互いの表情は勇ましかった。

僕もこのパーティにDJとして参加させてもらったが、過去への追憶と未来への希望的な視点が線となり非常に記憶に残るひと晩になった。そんな「Melodies International」よりリリースされ、今回のツアー企画のテーマソング的な曲でもあるAged In Harmony(エイジド・イン・ハーモニー)の「You’re A Melody」をピックしたい。ダンスフロアにおいてのドラマは、そこにいる人の数だけあり、すべてを計り知れずにまた朝を迎えてゆく。その複雑さの結晶がメロディとなりフロアを構築している。その計り知れなさが好きでまた足を運ぶのかもしれない。そんな気持ちを祝福するような優しいナンバーだ。

Aged in Harmony 「You’re a Melody (Extended Disco Version)」

Aged in Harmony 「You’re a Melody (Extended Disco Version)」

そして今年は、CYKとしても重要な1年だった。制限された夜が本格的に解放され、再びクラブカルチャーが大きく息を吹き返す中で、われわれのセーフスペース観をまたみなで作り上げ直していく1年だったと思う。6周年を迎えたわれわれが12月に渋谷O-EASTにて行ったCYK4人によるB2Bセットでのパーティは、総勢550人ほどのダンサーに囲まれ、まさに今年の総決算のようなひと晩だった。規模がどうであれ、われわれのハウスミュージック パーティへのスタンスは不変であることを強くレプリゼントすることができたと思っている。

そのわれわれにはメンバー内で共有するクラシックな楽曲がいくつも存在する。それらを聴くとCYKとしてたどった道のりが走馬灯のように立ち現れる、まさに追憶装置のようなものでもある。その中でも今年の大事なタイミングでよく1人で聴き込んだ楽曲がFusion Groove Orchestra(フュージョン・グルーヴ・オーケストラ)の 「If only I could (Liem Remix)」だ。これは昨年に、今はなき「Contact Tokyo」にておいて行われたCYKのパーティで、Nariが朝方投下したディープハウスナンバーである。この曲はCYKが発足した2016年頃、よく小さなパーティで聴いていた曲だった。うだつの上がらない日々を過ごしていたぼやけた思い出。

あの頃は何かを強く信じることができなかった。ただそれでも踊っていた。そんな思い出深い曲を、まさかContactの規模感の場所でひさしぶりに聴くことになるとは思っていなかった。この楽曲の歌詞は、人によってはその実直さに目を背けたくなるかもしれない。当時の自分もそうだった。でも、今CYKとして歩みを進める中で、この実直さへのピントが合ってきたように思える。激動の時代を迎えている現在において、あらゆることへのため息が年々多くなる一方で、小さくとも手の届く範囲の世界から愛をもってやれることをやり続けたいと思っている。

日々積み重ねた愛の蓄積が、その延長線上に存在するパーティに収れんし、結晶となった時ハウスは魔力を持ち得ると信じて疑っていない。

こうして日々クラブミュージックカルチャーに接近していると、一般に非日常的な体験とたとえられがちなクラビングが、僕にとっては日常として存在している。日常的に摂取しているダンスミュージックとは異なりダンスフロア以外ではフロア志向ではない音楽をたしなむことも多い。その中でも先述の通り今年は移動が多く、音楽を聴く時といえば新幹線やバスの中での時間が特に多かった。もしくは拠点にしている京都の街中を散歩している時。喧騒から離れ、時には癒やしとなる音楽に心を委ねている。そんな中で今年、個人プロジェクトとして行った企画に「UNTITLED -Light Edition-」がある。まさに社会の抑圧からの反動として解放的なムード=ハードなグルーブが世界的にもダンスフロアにて散見されるようになった一方で、ソフトで軽やかな音楽を主に扱いながらリラクシングなムードを演出し、おのおのの日常的な輪郭を浮かびあがらせるような企画だ。名もなき感覚をすくい、それぞれのありのままの感覚をゆすぎ出すこと。

その企画で出演したアーティストの中に、松永拓馬という人がいる。彼は2022年の3月に初のアルバムとなる『ちがうなにか』をリリースした。9曲からなるこの作品は、アートワークからも想起されるような幽玄的なアンビエンスが漂ったトラックに、彼の内面性が表出したポエトリーな感覚を持ち合わせたようなリリックがのせられている。今年はアルバムを通してこの作品を聴くことが多かった。中でも「Vou Pegar」がお気に入りだ。

松永拓馬 「Vou Pegar」

言語化は難しいけれど、“ここに居続けたいわけでもなければ、今すぐ飛び去りたいわけでもなく、ただ軽やかにいたい”みたいな感覚がコロナ禍以降特に強まった自分を救ってくれるような作品だったと思える。個人的には2020年にリリースされたLe Makeup(ル・メイクアップ)の「微熱」やAnthony Naples(アンソニー・ネイプルズ)の「Take Me With You」、2021年にリリースされたKazumichi Komatsu(カズミチ・コマツ)の「Emboss Star」にも感じたような気持ちだなと今さらながら思っている。 

世界の眺め方というか、確かにCYKとしての活動の規模は大きくなりはしているが、「より多くの人に影響を与えたい!」だとか「社会を直接大きく変えたい!」だとかは欲求としてそこまで思っていなくて……。ただ先述の通り、そこが小さな世界であれど、自分の信じるスタンスや美学的なものが“ある”ってこと自体に価値を感じている。そして“居る”こと。

結果誰かがそれに触れ、何かが良い方向にシフトして行ったらおもしろいなと思っている。それを僕は“作用”と呼んでいて関心がある。その表現の仕方はそれぞれあるわけで、それが作品として自然ににじみ出たかのような、そしてそのようなセンシティブなムードに触れることで自分も次に進めるような……。そんなことをこの作品を聴きながら思いふける。

そろそろまとめに入ろうかと思う。とにもかくにも今年も常に刺激的でさまざまな作用があった。作用の話で考えると、ハウスミュージックのパーティはひと晩という区切りの中で、多くの人が相互に作用していった結果醸成される独特のオーラが存在する。もっといえば、音楽と人間が相互包摂的になり音楽と人間という2つの関係性が瓦解した瞬間が、DJによって引き出される時、まさにトランスした感覚を得る。そして、トランスした多数の人間がある種の1つの個体としてカウントされた時に立ち現れるオーラは、パーティが終わると同時に分散し、それぞれの生活におけるパワー源として蓄積されてゆくような感覚がある。

それこそが個人的には希望でありゆすぎであり、DJとしての活動が来年以降も続いていく理由のような気がしている。ここに居続けたいわけじゃないと思いながら来年もしきりに都市を転々とする。それは点ではなく線としての物語であると体が実証する。もはや自分にとっては移動することが生き生きとしているための必要条件になっているのかもしれない。まるで人間の体の内部にある動脈をたどるかのように移動する。であれば心臓は音楽そのものなのかもしれない。そうして体を新しく循環させてゆく。各器官にスタックされた記憶の続きを紡ぐ。どの部分も生きるためには必要不可欠だ。

息を吸い、息を吐いて歩みを進める。また来年も素晴らしい音楽にたくさん触れられますように。最後によく聴いたこちらの曲を紹介して終わりにさせていただきます。

Atarashi Karada 「Dove」

Atarashi Karada 「Dove」


author:

相沢修一

宮城県生まれ。ストリートカルチャー誌をメインに書籍やカタログなどの編集を経て、2018年にINFAS パブリケーションズに入社。入社後は『STUDIO VOICE』編集部を経て『TOKION』編集部に所属。

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