Netfilx『サンクチュアリ -聖域-』江口カン監督インタビュー前編 世界に通用する作品はどのように作られたのか

江口カン
映画監督。福岡県生まれ。福岡高校卒業。九州芸術工科大学(現・九州大学芸術工学部)卒業。1997年に映像制作会社KOO-KI(くうき)設立。2007~2009年、カンヌ国際広告祭で3年連続受賞。2018年に映画『ガチ星』を企画、初監督。以降、2019年に映画『めんたいぴりり』と映画『ザ・ファブル』、2021年に映画『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』の監督を務める。2023年5月に監督を務めたNetflixドラマ『サンクチュアリ –聖域–』が世界同時配信。日本国内で1位、グローバルで6位を記録。2023年6月に映画『めんたいぴりり パンジーの花』公開。映像以外では、2020年に辛さの単位を統一するアプリ「辛メーター」を発案、プロデュース。現在登録ユーザー数6万人越え。
Twitter:@KanEguchi
https://koo-ki.co.jp/works/kan-eguchi/

2023年5月4日にNetflixにて配信開始されたドラマ『サンクチュアリ -聖域-』。角界に乗り込んだ不良が、大相撲の世界でもまれながら力士としてのし上がっていくさまを全8話で描く本作が、一大ブームを起こしている。日本国内はおろか、Netflixの週間グローバルトップ10(期間:5月1~7日)にランクインするなどロケットスタートを記録し、2ヵ月ほど経った今もその勢いは衰えることがない。

主演を務める一ノ瀬ワタルをはじめとする役者陣の肉体改造、誰も観たことがない相撲シーンの創出、観る者を発奮させる熱量の高さ——その裏には、4年半もの準備と試行錯誤があった。「TOKION」では江口カン監督にロングインタビューを実施。前編、後編の2回に分けて、舞台裏を紐解いていく。

——『サンクチュアリ -聖域-』は、2018年の年末に江口監督の『ガチ星』をご覧になったNetflixのプロデューサーから連絡が届いたことから動き出したそうですね。

江口カン(以下、江口):はい。実は僕と脚本家の金沢知樹くんの他にもう1人人物がいるのですが、本人はあまり表に出たくないため仮にOさんとさせていただいて——そのOさんが、自分が観た面白い映画をいろいろなプロデューサーに教えて回るのが好きな人なんです。「日本の映像業界をもっと活性化させて、国産の映画やドラマをもっと面白くしたい」をモチベーションにしている方ですが、彼が『ガチ星』をNetflixの坂本和隆さんに薦めてくれて、繋いでくれた縁なんです。

——その4人での打ち合わせで、「大相撲」というキーワードが出たと伺いました。江口監督は『ガチ星』の他に「ナイキ(NIKE)」のCM等々も手掛けられていますが、最初から「スポーツ」のようなくくりはあったのでしょうか。

江口:いえ、完全にゼロベースの話し合いでお題の縛りは全くありませんでした。金沢くんがいきなり「大相撲の世界の『白い巨塔』はどうでしょう」と提案して、みんなで「それは面白い!」とその場で盛り上がり「それでいきましょう」となりました。

——素人考えだと「相撲」=「ハードルが高そう」となってしまいそうですが、皆さんはどこに面白さを感じたのでしょう?

江口:まさにそこで、ハードルが高いから誰も作らない=もしやりきれたら新しいものを生み出せるというところです。Netflix=世界同時配信ですし、相撲というテーマもあり世界中の人が楽しんでくれるイメージがパッと湧いたのですが、他の3人も同じでした。4人が4人とも「面白くて誰も観たことがないものを作りたい」という野望を持っていて、誰も「難しいかも」と言わなかったのがすごく良かったです。

すべてにおいて「丁寧に作る」を心掛けた

——そこから配信開始まで約4年半の歳月が費やされました。最初から「これくらいはかかる」という想定はされていたのでしょうか。

江口:いえいえ、最初はもっと早くできあがる予定でした(笑)。ただ、大相撲の世界を舞台にして、身体づくりや稽古から本格的にやりきったものは過去にないでしょうから、やってみて初めてわかる困難がたくさんあったんです。コロナで延びちゃったところもありましたし。

——いまお話しいただいたように、キャストの中には身体づくりに2年以上かけた方もいることも話題になりました。

江口:映画やドラマはまず前提としてできあがったものが面白くなければいけませんが、それに付随するトピックも大切です。身体づくりは取材でもよく聞かれますし、「肉体改造はどうやったんですか?」とみんなが興味を抱くことで作品が話題になりますから。そういう意味では、狙い通りではありました。

僕個人は、ロバート・デ・ニーロやクリスチャン・ベールの例があるのでやってやれないことはないと思っていました。1つだけセンシティブに考えていたのは、キャスト達の健康を害さない形で進めること。専門家の下でキャスト1人1人に合わせた「どこまで体重を増やすか」のプランを考えて、無理のない範囲で時間をかけて取り組んでもらいました。そうすると、どうしても2年くらいはかかりますよね。

——そうした準備に時間をかける覚悟であり座組であり予算であり、いろんなことが担保できていることが素晴らしいですよね。それだけのスパンで作品を作ること自体、国内では異例かと思います。

江口:『ザ・ファブル』でご一緒した岡田准一さんが「映画は準備だ」とよく言っていて、僕も本当にそうだと思います。

準備は、すべて良い本番を迎えるためにある。積み重ねた準備の上に立つからこそ、本番で高く遠くジャンプできる。キャストやスタッフは本来の力を発揮し、監督は思い切った大胆な演出ができる。スポーツに例えるなら、準備=本番で力を発揮するための日々のトレーニングです。

やっぱり、その部分を怠るといいものができないんです。そういった準備に労力をしっかりと費やす作品がもっと増えるといいなと思います。

——『サンクチュアリ -聖域-』がパイオニアになるかもしれませんね。

江口:そうなったら嬉しいですね。もちろん「あれは特別でみんなが真似できるものじゃない」と言う人も一定数いるかとは思います。でも、準備の仕方にもいろいろありますし、大切にする意識自体が広がってほしいです。

Netflixのルールを守りながらしっかりと準備をしていいものを撮ろうと思うと、ここでも当然ながら時間はかかります。でも僕達は、すべてにおいて「丁寧に作る」を心掛けました。良い作品の定義にもいろいろあるかと思いますが、やっぱり「神は細部に宿る」を信じていたいし、実際に視聴者から「丁寧さに感動した」という感想を非常に多くもらえて、ちゃんと伝わるんだなと今回痛感しました。「画面の密度や情報量が違うから、本物感がある」という感想を頂けて、嬉しかったです。

——非常に共感します。例えば第1話の冒頭から、生活感——つまりそこで各キャラクターが生きてきたであろう時間を感じられました。餃子1個とっても、ちゃんとそこに溶け込んでいて。

江口:そうなんです。「餃子はどういうパッケージにする?」と何パターンも準備してもらい、検討を重ねてあの形に行きつきました。準備した餃子の数が足りなくなるくらいこだわっているんです。

僕はTwitterのエゴサーチを頻繁に行うのですが、「韓国のドラマには絶対に勝てないと思っていたけど、世界に通用する作品が日本から出てきて感動した」という内容の投稿が相当数あって、それはオリンピック出場選手を応援する感覚に近いというか、「日本のコンテンツが世界で勝ってほしい!」という気持ちがひしひしと伝わってきました。それを成し遂げるためには何が一番大切かというと、まずは丁寧に時間をかけて作るしかないわけです。勝ち負けじゃないけど、国外の大作はしっかりと時間をかけて作られているわけですから、同じレベルでやらないと世界で通用しない。

——例えばNetflixというプラットフォームの中に絞っても、世界各国の作品が横一線に並ぶわけですもんね。その中でユーザーがクリックするには、作品の強度が必要不可欠かと思います。

江口:そうですね。その時に日本の作品が見劣りしたら、みんな悲しいんじゃないかと思います。

——細かい話ですが、第1話で新幹線が登場しますよね。小瀬(一ノ瀬ワタル)が新幹線に乗って、ホームに父親(きたろう)がいる。それを窓越しに映すあのシーンの撮影も、許可取り含めてかなり大変だったのではないでしょうか。

江口:おっしゃる通り、特定の区間で一発勝負ということでなんとか撮影許可を取ることができました。北九州フィルムコミッションの方々が随分頑張ってくれましたね。そして、僕等は1回で成功させるために、会議室に新幹線と同じ配置で椅子を並べて「この角度から撮ればこうなる」を検証しました。そして1回きりだから、俳優はどこから乗ってスタッフはどこにいて……と練習した上で一発勝負に臨みました。

今はどんどん撮影への風当たりが厳しくなっていて、ロケ場所探しも大変です。本当に撮りにくい時代ですが、そこをなんとかできたら宝が落ちているといいますか、見たことのないものが撮れるんですよね。風当たりが厳しくなったのには、これまでの映画・映像制作者の過失もあります。無断で撮影して問題を起こしたり、建物を傷つけてしまったり……。オーナーからしたら汚されたり雑に扱われたりして傷をつけられたらそりゃあ貸したくなくなりますし、そういう噂って広まって「映画やドラマの撮影には貸さない」となってしまうんです。

——悪循環が……。

江口:先ほど「準備」の大切さをお話ししましたが、1つ1つを丁寧に行うことが大切だと感じます。僕なんか、ハウススタジオで撮影する時も自ら養生テープを貼って回りますから。若いスタッフには自分の仕事で一生懸命すぎて周りが見えていない子もいますから、監督が自ら「絶対に傷つけないで」と言っていくことも大切だと思います。

こだわった“痛み”の表現

——仕上げにも、相当の時間を費やされたのではないでしょうか。

江口:撮影自体がコロナやちょっとしたケガ等で延びてしまったため、そのしわ寄せがきてしまった部分はありました。けがをしないように細心の注意を払いながら慎重に行っても、スポーツものですから「肉離れを起こしました」「筋をひねって痛めました」ということはどうしても出てきてしまう。そういう場合は大事を取って該当者の撮影は延期するわけです。「無理をさせない」が我々のポリシーでしたから。そのため仕上げ期間が圧迫されてしまったのですが、スタッフ達は大変な中で本当に頑張ってくれました。

——例えば肉体と肉体がぶつかり合う際の“音”の迫力も鮮烈でした。

江口:音のリアリティーはすごく研究しました。僕が音効さん(音響効果)に口酸っぱくお願いしたのは、硬い土俵に身体が倒れ込む際の音、身体がぶつかり合う音です。相撲の取組みを生で観ていると、肌と肌がぶつかり合う音の奥に骨と骨がぶつかり合う「ゴツッ」という音が聞こえるんです。これは土俵に倒れ込む時もそうで、決して派手じゃなく、地味なのに痛々しいなんとも言えない音が鳴る。現場でももちろん録りますがそれだけでは足りないので、いろいろ工夫して作っていただきました。満足のいく仕上がりになっています。

——本作の象徴的な演出でいうと、立ち合いの際のスローモーションがありますね。

江口:『ザ・ファブル』含めてこれまでハイスピード撮影をいろいろと試していたのですが、今回は4Kを30倍速で撮影できる「Phantom Flex4K」を使用しています。これで撮影すると、1秒のものを30秒に引き延ばせるので、相撲の短い立ち合いをしっかりとドラマチックに見せることができ、非常に相性が良かったです。

『ザ・ファブル』での経験もあるので自分の中で「大体こういう感じになるだろう」と予測は立てながらやりましたが、相撲となると独特の画が撮れる。例えば肉体同士がぶつかり合った時、衝撃が伝わって肌が波打つんです。そして飛び散る汗のしぶき。肉眼では追えない面白さを収めることができました。

——張り手などは、どのように構築していったのでしょう。

江口:100%の力で本気で当てるとけがをしてしまうので、25%くらいの力でゆっくり当てて、そこからパッと払う。それをハイスピードカメラで撮るんです。そうすると、再生した時にものすごい力で張り手を行ったように見える。なかなか言葉で説明するのは難しいのですが、そうした魅せ方も試行錯誤を重ねていきました。

あと、撮影時は毎カット・テイクごとに汗と砂を足さないといけませんでした。1カット撮ると全部取れてしまうんです。それを全員分繰り返していくのは大変でしたね。でもだからといってちゃんと汚さないと、画面の情報量が少なくて圧が高まらないんです。この部分はいろいろなインタビューを受ける中で初めてお話ししたことなので、ぜひ使ってください(笑)。

——もちろんです。これは私見ですが、例えばサッカーや野球に対して、相撲と自分自身の身体的な感覚はかなり遠いところにあると思っていて。にもかかわらず本作を観て痛みやダメージをリアルなものとして受け取ってしまうのは、そうした細部のこだわりがもたらす説得力のスゴさなのだと感じます。

江口:ありがとうございます。いますごく嬉しいキーワードを言ってくださったのですが、僕は現場で「“痛み”をちゃんと表現したい」と言い続けていました。張り手や血の表現から身体がぶつかる時の音においても、とにかく痛みを感じられるようにしたかったんです。派手じゃなくていいから、とにかくリアルに、ちゃんとその痛みが伝わるように。本作の登場人物達もみんな心に痛みを持っていて、身体的な痛みをきちんと表現できれば精神的な痛みにもつながっていくと考えていました。

映像は視覚情報と聴覚情報でできていますが、上手くやれば触覚情報も擬似的に作ることができると思います。例えば食べ物をおいしそうに撮ったり、ゲロを汚く撮ったりすることで観客の匂いの記憶を呼び起こし、嗅覚情報を擬似的に作ることができますよね。それと同じように、痛覚の情報を視覚と聴覚で作り出せば、まるで自分の身に起こったような触覚が立ち上がる。そういうことを達成できれば、視聴者を一気に作品の中に引き込めると考えながら撮っていました。

“痛み”でいうと、『ブラック・スワン』や『レスラー』のダーレン・アロノフスキー監督は魅せ方がめちゃくちゃ上手いなと思います。

——最近だとアカデミー賞主演男優賞とメイクアップ&ヘアスタイリング賞に輝いた『ザ・ホエール』の痛みの表現も素晴らしかったです。“痛み”は、肉体的な嘘のつけなさにも通じますね。

江口:そういった意味で、セリフはもちろん大切ですがやっぱり映像で見せていくものですから、言葉だけではなくて感覚的なものにしていきたいという想いは常にあります。

——終盤、猿桜(一ノ瀬ワタル)のトレーニングシーンで小指腕立て伏せや懸垂がありますが、あれもまさに“痛み”に満ちていました。どれだけ大変かが自分の肌感覚としてわかるといいますか。

江口:身も蓋もないことを言ってしまうと、映像作品においてワンカットだけでも観た人の記憶に残すことができれば成功と言っていいんじゃないかと思っているところがあって、小指のシーンはまさにそんな想いで作りました。

実はあの小指懸垂のシーンは、すべてのシーンを撮り終わったあとにさらに3ヵ月かけて一ノ瀬くんに背中を中心にトレーニングをしてもらい、最も背中の筋肉ができあがった瞬間を収めさせてもらいました。演技や演出ももちろん頑張りましたが、それだけでは達せない画面の説得力を作れたかと思います。1本の作品を通して彼のメンタルも成長していきますが、肉体そのものを変化させてもらい、その過程を映せたことは贅沢な仕事だったなと思います。

後編へ続く

■「サンクチュアリ -聖域-」

■「サンクチュアリ -聖域-」
借金・暴力・家庭崩壊……と人生崖っぷちで荒くれ者の主人公・小瀬清が、若手力士“猿桜”として大相撲界でのし上がろうとする姿を、痛快かつ骨太に描く人間ドラマ。猿桜を筆頭に、相撲愛に溢れながらも体格に恵まれない清水や、相撲番に左遷された新聞記者・国嶋ら、ドン底でもがく若者達の“番狂わせ”が始まる。

監督:江口カン
出演:一ノ瀬ワタル、染谷将太、忽那汐里、田口トモロヲ、きたろう、毎熊克哉、住洋樹、佳久創、戌井昭人、おむすび、寺本莉緒、安藤聖、金子大地、仙道敦子、澤田賢澄、石川修平、義江和也 、小林圭、めっちゃ、菊池宇晃、余 貴美子、岸谷五朗、中尾彬、笹野高史、松尾スズキ、小雪、ピエール瀧
Netflixで世界独占配信中
https://www.netflix.com/title/81144910

author:

SYO

1987年福井県生まれ。東京学芸大学卒業後、複数のメディアでの勤務を経て2020年に独立。映画・アニメ・ドラマを中心に、インタビューやコラム執筆、トークイベント・映画情報番組への出演を行う。2023年公開『ヴィレッジ』ほか藤井道人監督の作品に特別協力。『シン・仮面ライダー』ほか多数のオフィシャルライターを担当。装苑、CREA、sweet、WOWOW、Hulu等で連載中。Twitter:@SyoCinema、Instagram:@syocinema

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