ありふれた恋愛、変わりゆく街、成長しない主人公――『街の上で』からひもとく、今泉力哉の映画作り

今泉力哉監督は、『愛がなんだ』や『his』などで恋愛映画の名手と称される一方で、今年2月に公開された『あの頃。』では男子の青春映画に挑戦した。コロナ禍により公開が延期されていた『街の上で』は、再開発により激変する東京・下北沢を舞台に、恋人に振られた青年・荒川青(若葉竜也)の日常を描く群像劇。この映画を入り口に、“恋愛映画”“下北沢”“役者”“監督自身の恋愛観”の4つのキーワードから今泉監督の映画作りをひもといていく。

「そこらへんに転がっていそうな」恋愛を描く

――今泉監督は数々の恋愛映画を作ってきましたが、作品毎に「今回は恋愛のこんな側面を描きたい」というテーマを持って臨むものですか?

今泉力哉(以下、今泉):毎回同じものを作っても仕方がないよね、というくらいです。『街の上で』は「下北沢で撮る」というベースがあったので、変わっていく街と、変わらない気持ちや思いを対比させたいという意図がありました。浮気した恋人に振られた主人公が、下北沢でいろいろな女性に出会うけれど、元恋人を思い続ける。そこで、彼女の浮気相手が誰なのかを突き止めるような能動的な話ではなく、変わらない思いを引きずりながら日常を過ごす主人公を撮りたいと思いました。

――『街の上で』では特に「恋愛の滑稽さ」みたいなものが際立って見えました。

今泉:自分で脚本を書いているものでは、“笑い”はずっとやっている意識があって。今回は恋愛面も含め、笑いのウエイトが上がっていた気がします。主人公の青が若葉竜也さんに決まる前は、アキ・カウリスマキ作品の主人公のように、寡黙というか、ほぼせりふをなくそうと思っていたんです。不器用で、恋愛がうまくできない受け身の主人公が、周りにいる変な人達に動かされる、オフビートな空気感のコメディを作りたかった。だから『街の上で』では、主人公が変なカップルや警察官と遭遇した時の困惑や気まずさを重点にした、笑いのシーンを増やしていきました。笑いの部分って、狙っているように見えたりコントっぽくなりそうになったりしたところは、今までは脚本に書いても削ったりしてたんです。でも今回は、共同脚本に入ってくれた大橋裕之さんにジャッジしてもらって、「ここはおもしろいから大丈夫だよ」と言われたところは残しました。

――恋愛映画を作る際に、大事にしていることはありますか?

今泉:いろんな映画があっていいと思うんですけど、俺がオリジナルでやる時は美男美女が現実味のない恋愛をする映画ではなく、極力そこらへんに転がっていそうな、「自分の話」になる恋愛にしたいという思いはあります。だからせりふは、普段言わない言葉は書かずに、今こうして喋っているような言葉をベースに作るようにしています。そうすることで、逆に決めぜりふっぽい言葉もより効果的に響いたりするので。

――『街の上で』には、微妙な距離感の男女が何組も登場します。付き合っているのか、引かれあっているのか、異性の友達なのか、ただの知り合いなのか、といったような。

今泉:恋愛関係ではない男女が、お互いの昔の彼氏や彼女の話だけをする時間っていうのには以前から興味がありました。そこに恋愛感情があるのかどうか、みたいな曖昧な距離や時間というものを描いてみたかったんですよね。

――青が城定イハ(中田青渚)の部屋で夜通し話すシーンですね。お互いに恋愛に発展する予感はないけれど、客観的に見るとそうなるかもしれないという可能性を孕んだ時間を楽しんでいる。

今泉:学生映画の監督の高橋町子(萩原みのり)から映画に出てほしいと言われた青が、友達から「それは告白だ」と言われて、その気になってしまう。青は女性に対して下心はゼロではないけれど、恋愛に進展せず、女性がバトンタッチしていく脚本のイメージはありました。通底しているのは、元恋人をずっと引きずっていることですね。

――導入は青が恋人に振られるシーンです。青の部屋での会話劇に、今泉監督らしさを感じました。

今泉:別れを拒否する青に、川瀬雪(穂志もえか)が「じゃあ付き合ってるって言い続けていいよ。私は別れたと思って過ごすけど」というせりふは、自分で書きながら「何を言ってるんだこいつは」と思いました(笑)。こういうせりふが書けた時は、とても嬉しくなりますね。ただ、けっこうシリアスな別れ話のシーンだから、笑っていいのかどうか判断が難しいみたいで、今までの先行上映や試写でのお客さんの反応はさまざまです。その後の青が働く古着屋での謎のカップルのやりとりから、明らかに笑いが起き始めました。

変わりゆく下北沢にいる、変わらない主人公

――監督にとって、下北沢はどんな街ですか?

今泉:福島県出身で、大学は名古屋、その後も大阪に住んだりとウロウロしてたんで、東京に来るまでは単純に憧れの街でした。下北沢トリウッドという映画館にも憧れていましたね。東京では(下北沢近くの)笹塚に住んでいたこともあって、ちょこちょこライヴとかを観に行きましたけど、行きつけの店ができることはずっとなくて。今は都内から離れて遠くに住んでいるのですが、逆に離れてからのほうが、都内で仕事がある時に下北沢付近に住む知人宅に泊まる機会が増えて、下北沢に入り浸るようになりました。劇中に出てきたバー「水蓮」や居酒屋「にしんば」など、決まった店によく行くようになってやっと深く関わるようになった感じです。

――下北沢が再開発で変化することに対してはどう思っていましたか?

今泉:昔のほうが絶対に良いとは思わないけれど、やっぱりきれいになった南口は、昔を知っている自分からするとダサいと思っちゃいます。でも、これから下北沢に触れる若い人は、いつかまた街の風景が変わることがあったら、今の下北沢を懐かしむのかもしれない。劇中でも話していますが、それぞれに懐かしむ時代が違うのはいいのかなと思いますし、漫画や小説、映画など、いろいろな作品の中にその時々の下北沢が残るのはやっぱりおもしろいと思います。そういう意味で、この映画はちょっとメタ構造になってるんですよね。『ざわざわ下北沢』や、劇中でも触れた魚喃キリコさんの漫画とか、下北沢を舞台にした素晴らしい作品がいくつもあるので、「変なものを作れない」というプレッシャーもありました。

――カルチャーの聖地ですもんね。

今泉:そんなところで自分が作るのはめちゃくちゃ怖かったですし、どちらかというと部屋の中で喋る人物を撮ってきたので、「下北沢で撮ってください」と言われた時は「え? 街とか撮ったことない……」という不安や葛藤がありました。でもだからこそ、街全体を網羅しようとせずに、自分が知っている場所だけで撮ると決めて、自分の中で整理をつけていきました。音楽の使い方も、下北沢で撮るということが影響していると思います。青がライヴを見るシーンは、自分が何度も行ったことのあるTHREEで、自分が好きなマヒトゥさん(GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポー)に出てもらいました。結果、自分でも気に入った映画が撮れましたし、『ざわざわ下北沢』と比較している人の感想を読んで、安心したりもしています。

――青は、恋人との関係にしても、学生映画へ参加した時の状況にしても、居場所がなくあまりうまく立ち回れない人に見えました。しかし、その場には確かにいた。自分語りで恐縮ですが、この青の立ち位置に、下北沢における自分自身が重なったんです。私も学生時代からちょくちょく古着屋やライヴハウスに行っていたけれど、行きつけの店ができないまま疎遠になりました。下北沢という街の年表を作るなら、私はモブであり、よそ者であり、いなくても成り立つ存在です。『街の上で』からは、「街にいたけれどいなかったことになっている人」の存在が感じられて、下北沢の登場人物になれなかった自分も疎外感なしに観ることができました。

今泉:俺も普段、どこにも属せない側の人間なので、わかります。『愛がなんだ』という映画は、主人公が成長する話ではなくて、うまくいかないまま行き着くところまで行っちゃう話でした。そういうふうに主人公が成長しない物語って、ある場所に馴染めない人や、自分の恋愛がうまくいってない人がその物語に触れた時に、自分自身がそのまま肯定される時間になると思うんです。つまり、そのお客さん自身が主人公たりえるというか。そのことには、作っている時から意識的でした。だから今回も、青という人を、普段だったら日が当たらない、どこにでもいる人にしようという意識はありました。青は俳優もミュージシャンも何も目指していない、ただ古着屋で働いて、本を読んでいる人。それって本来は主人公の周りにいる人なんですけど、そういう人が主人公たり得る映画は、今後も意識的に作っていくつもりです。

撮影現場における役者との関係性

――青が関わる4人の女性が、それぞれに個性的でとにかくかわいくて、きれいに映っています。どうやって女優を選んでいるんですか?

今泉:単純に好みですよね(笑)。男性もですけど、女性に関しては特に。すごく有名な役者でも俺が苦手な人は、俺が撮っても魅力的にならないので、その方を魅力的に撮れる人とやったほうがいいと思います。俺が撮れば、すべての人が魅力的に撮れるってわけではないですよ。

――きれいに撮る監督なりのセオリーはありますか?

今泉:あまり演出はしないってことですかね。ただでさえ魅力のある人を選んでいるから、本人がなるべく好き勝手にやったほうが、魅力が出るのではないかと。方法としては、演じる時に1回任せます。女優に限らず、俺の映画で俳優が魅力的に映っているのだとしたら、本人の考えややろうとしていることを、なるべく受け入れようとしているからだと思います。

――言われたことをなぞろうとする人よりも、自主性のある人のほうがいい?

今泉:そうですね。まあ、言われたことっていうか、俺、何も言わないので(笑)。だからといって「自分が、自分が」となる役者が一番苦手なんですけど(笑)。自分を押し出すのではなく、作品に対するお芝居のアイデアを持っていることが大事なんですよね。現場ではシーンごとに段取りをして、カメラマンとカット割りを決めて、テスト、本番という流れがあるんですけど、段取りの時は基本的に何も言いません。「1回やってみましょうか」で「よーい、スタート」。例えば、2人で芝居するシーンの場合、座る位置とかも極端な話、本人達で決めてほしい。魅力的な俳優って、「ここ、立ってていいですかね?」「じゃあ俺は座ろうかな」と、自分でやってくれるんですよ。そのアイデアが俺の考えと一致していればそのまま撮りますし、俺の発想よりもおもしろければもう最高ですよね。先に指示して、おもしろくなる可能性をつぶしたくないのです。

――そういう作り方にカメラマンが対応してくれる。

今泉:そうですね。あと、今回もご一緒した、今まで自分の映画を一番多く撮影している岩永さんは人物との距離感が近くないんですよね。俯瞰までとはいわないけど、ワンショットを心地よく見られる。俺、レンズがどうこうとか全然わかんないんですけど、その感覚が自分に合ってると思います。

――若葉さんを筆頭に、何度も起用される役者さんが増えつつありますね。

今泉:安心感があるので、知らない人でどうなるかわからないよりは同じ人で、というのはあります。ジョン・カサヴェテスなど、自分の好きな映画監督が同じ人を繰り返し起用していることに影響を受けているのかもしれないです。

恋愛そのものをどう見るか?

――最後の質問です。監督は恋愛を美しいものと捉えていますか? それとも?

今泉:美しいものだと思ったことはあんまりないですねえ。基本的につらいものですよね。俺は全然モテたりもしなかったし、付き合ってもうまくいかなくて、奥さん以外の人と1年間もったことがないんです。彼女と2人で過ごした楽しい時間の記憶がほぼない(笑)。1人でいる時間のほうが精神が安定してるんですけど、やっぱり寂しいから彼女が欲しくなって、つらい片思いをして。彼女ができたらできたで、今度は精神が不安定になり、1人に戻りたくなって別れを切り出して……の繰り返しでした。熱量をもって夢中になれたらいいんですけど、付き合い始めると、「これはおもしろいことになってるなあ」と俯瞰してしまう自分がいたりして。最低ですよね。最低ついでに言うと、付き合って振られたことがないんですよね。付き合った相手は全員振ってます。ただ、恋愛はつらくてきついけれど、それが嫌だというよりは、その時間へのいとおしさがあるので、映画にしたくなるんだろうなと思います。

今泉力哉
1981年生まれ、福島県出身。2010年『たまの映画』で長編映画監督デビュー。2013年『こっぴどい猫』がトランシルヴァニア国際映画祭にて最優秀監督賞受賞。翌年には『サッドティー』が公開され、話題に。その他の長編映画に『パンとバスと2度目のハツコイ』(2018)、『愛がなんだ』(2019)、『アイネクライネナハトムジーク』(2019)、『mellow』(2020)、『his』(2020)、『あの頃。』(2021年)など。

Photography Kazuhei Kimura

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author:

須永貴子

ライター。映画、ドラマ、お笑いなどエンタメジャンルをメインに、インタビューや作品レビューを執筆。『キネマ旬報』の星取表レビューで修行中。仕事以外で好きなものは食、酒、旅、犬。Twitter: @sunagatakako

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