『猿楽町で会いましょう』はいかにして生まれたか? 制作背景と構造 児山隆・監督インタビュー

堤幸彦や大根仁が所属する映像制作会社、オフィスクレッシェンドが、次代を担うクリエイターの発掘・育成を目指して創設した映像コンテスト「未完成映画予告編大賞 MI-CAN」。応募のルールは、「3分以内の予告編映像」と「作品の舞台となる地域名をタイトルに入れる」こと。グランプリ作品には、3000万円の本編制作費が与えられる。第2回グランプリを獲得したのは、児山隆監督の『猿楽町で会いましょう』。東京・渋谷、猿楽町を舞台に、駆け出しのフォトグラファー・小山田修司と、芸能界を夢見る田中ユカの、夢と欲望がスリリングに交錯する本作で、長編映画監督デビューを果たした新しい才能に迫る。

※文中に物語の内容に触れる箇所がありますのでご注意ください。

コンテストに向けた予告編作りの裏側

ーー普通の映画の予告編と異なり、本編が存在しない状態からどのように予告編を作ったのですか?

児山隆(以下、児山):既存の映画予告編をトレースするのではなく、観た人に「この人にお願いしたら、3000万円という制作費でおもしろい映画を作ってもらえるかも」という期待感を持ってもらうにはどうしたらいいだろう? という発想で作りました。そのために、作り手の技術や演出をしっかりと伝えながら、ひっかかってもらうためのフックを考えました。

ーーそのフックとは?

児山:入り口こそラブストーリーではあるけれど、そうではない展開がありますよ、ということが伝わる作りを意識しました。あと、何よりこれが映画初出演となる石川瑠華さんが演じたヒロインのユカの存在感だと思います。

ーーそもそも、入り口をラブストーリーにしたのはなぜですか?

本編の制作費が3000万円だったので、そこにフィットする作品を考えました。サイコスリラーやサスペンス映画だと、例えばパトカーを1台レンタルしただけでだいぶお金がかかってしまいます。人間ドラマにしても、群像劇だと人数に応じて衣装やロケーションが増えていく。でも、ラブストーリーは恋敵などが登場しても、軸となる2人の話以外にかかるお金はある程度節約ができるので、勝ち目があると思いました。僕は年齢がだいぶいっていたので、あれしたいこれしたいと夢みたいなことは言えなかったです。『セブン』みたいなことがやりたいと思っても、「壁に血で文字を描いたらどうやって消そう……」とすぐに現実的になってしまいました(笑)。

ーー(笑)。舞台を猿楽町にしたのはなぜでしょう?

児山:理由はいくつかあります。このコンテストでは、地方を舞台にしたほうが引きがあるし、コンセプチュアルなので審査に通りやすそうでしたが、地方ロケは体力が消耗してしまうので、東京を舞台にしようと思いました。でも、「東京」や「渋谷」など多くの人が知っている手あかのついた地名だと勝ち目がないので、地方の人はまず知らなくて、東京の人でも住む場所としてあまり認知していなさそうな、どミクロな猿楽町にしました。フォトグラファーの小山田が都内を自転車移動する拠点としてもいい場所ですし、家賃が10万円程度のアパートもあるので、リアリティーもある。特別な思い入れはないですが、たまに通ると、都心なのに静かで不思議な場所だなと思っていました。猿楽町という文字面も好きです。

うそをつかざるを得ないユカと、仕事の手応えを感じられない小山田

ーー予告編を作る際に、長編用の脚本は作りましたか?

児山:ユカといううそをついている主人公がいて、フォトグラファーの小山田が彼女と付き合ったと思ったら裏があり、そのほころびからもっと大きな何かが露呈して……というアウトラインだけがありました。最初から、“うその上に成り立つアイデンティティー(=もっと大きな何か)”が作品のテーマでした。

ーーグランプリを獲得後、2分12秒の予告編を、どのように121分の長編映画へと再構築しましたか?

児山:ほとんどのラブストーリーは、誰かと誰かが出会い、うまくいくかどうかがお話のピークになります。その横並びから抜け出すために何が決め手になるかというと、観客の共感を呼ぶディテールだと思うんです。でも、ディテールを追求したラブストーリーの名手はすでにたくさんいらっしゃるし、到底太刀打ちできない。なので、今作においてはディテールではなく全体の構造で見せていくことが、最初から大きなテーマでした。そこで、2人が出会ってから小山田がユカの秘密を知るまでのストーリーをまず描いてから、小山田に出会う前のユカを描く構造にしました。とはいえ、ディティールに全くこだわっていないというわけではないです。

ーー予告編では“うそ”を強調した編集になっていましたが、本編は“欲望”や“人間の本質”にフォーカスした作品になっていました。

児山:この構造で脚本を作っていくうちに、うそに対して何が本当なのかというどんでん返しで驚かせたり、うそをついたユカを断罪するような話ではなく、「なぜユカはうそをつくのか?」という本質を描くことが重要になっていったんです。

ーーだからこの映画には、ユカがどんなうそをついていたのかをネタバレされたとしても、揺るがない見応えがあります。何よりユカの人物造形がリアルでした。女優志望の読者モデルで、自分のことを「ユカ」と呼び、「◯◯したいな〜」という願望をSNSで発信する。彼女のキャラクターをどう作っていったのですか?

児山:最初にあったアイデアが、フォトグラファーと読者モデルみたいな女の子の恋愛でした。Instagramを見ていると、読者モデルのような女の子達と美容師の作品撮りの写真が、その子をフォローしていなくてもおすすめで表示されることが過去にあったんです。そういう写真を見るうちに、彼等がどうやって出会うのかが気になったんです。僕の学生時代は、美容師が「サロンモデルやってください」と路上で女の人に声をかけていた。多分今は、インフルエンサーになりたい子が検索されやすいハッシュタグをつけて、それに美容師やフォトグラファーが反応してつながって、中には付き合う子もいると思うんです。これが先ほどのディテールの話なんですけど、すごく今の時代っぽいなと思うし、そういう出会いから始まる恋愛映画を僕は観たことがなかったので、いいなと思った。そこからユカを作っていきました。

ーーもしも自分のルックスがユカのようにかわいかったら、こうなっていなかったとは言い切れないリアリティがありました。

児山:見た目が可愛いからユカがああなってしまったというのはそのとおりで、結局はルッキズムの話だと思うんです。ユカは自分がかわいいからげたを履かせてもらっていることも、そのげたがいつか履かせてもらえなくなることも、本能的に感じている。ユカが重そうに荷物を持てば小山田が持ってくれるし、スナック菓子の袋を代わりに開けてくれるんです。ユカは自分の魅力を前提とした優しさみたいなものを、相手がどこまで与えてくれるのかを、常にリトマス試験紙のように判定しながら生きている。彼女がそういう処世術を使う人間に形成されたのは、環境や社会の状況にも要因があるので、そこが興味深いなと思いました。

ーー予告編のユカは赤い口紅をして「うそをつく悪女」という強めの印象を受けましたが、映画のユカは淡い色の服にナチュラルメイクで、自身のスタイルが感じられない。そこに彼女のからっぽさがよく出ていたと思います。

児山:服装に関して言うと、ユカはあんまり考えて買ってないんです。いつも背負ってる「コム デ ギャルソン」のリュックと、小山田から歩道橋の上で告白される時に着ている青いシャツは、人からもらったものです。サブライム(Sublime、主に1990年代に活動したアメリカのバンド)のTシャツも、それがなんなのかをわからずに着ています。彼女なりのTPOがあるので、一張羅のシャツワンピをどんな時に着ているかに注目してもらうと、ユカという人間がわかると思います。

ーー一方の小山田は、ユカを撮った写真が賞を獲ったこともあり、徐々に仕事が軌道に乗っていくのに「手応えがない」と不満そうです。

児山:小山田は、自分がやりたいことを追求したいタイプなので、人気YouTuberの撮影では手応えを感じられないんですよね。世の中って、「そこそこのクオリティーで期日までに納品してくれればいいから」みたいなことが時としてあると思うんです。でも、ものを作る人間は常に120点、なんだったら5億点取りたいと思っているのに、「そんなにやらなくていいから」ということが往々にしてどの業界にもある。なまじユカの写真で賞を獲ってしまって、自分のアイデンティティーみたいなものがユカにあると感じてしまったから、小山田は余計に苦しかったんだと思います。

「一過性のものとして消費される映画ではなく、5年、10年残るデビュー作を作りたかった」

ーー小山田が撮ったユカの写真は、写真家の草野庸子さんによるものです。起用した理由は?

児山:草野さんは、5〜6年前にウェブの企画で、東京で活躍している20人のクリエイターのドキュメンタリーを撮った時に存在を知って、フィルムで人物をすてきに撮ってらっしゃる方だなと思っていました。今回草野さんにお願いしたのは、小山田が絶対に撮れなそうな写真を撮る人だから。なぜかというと、ユカの写真に“まぐれ感”を出したかったんです。あと、「この写真なら賞を獲れるよね」と観客を納得させる力も必要でした。映画を観た時に、劇中に出てくる賞を獲った写真や絵画を見て、「これじゃ賞は獲れないでしょ」とがっかりすることがわりと多いので。草野さんは快諾して、素晴らしい写真を撮ってくれました。

ーー児山監督は今作の撮影の松石洪介さんと照明の佐伯琢磨さんと一緒に、CMのお仕事をいくつもされてきたそうですが、この作品には広告出身の監督にありがちな広告臭がなくてすごく良かったです。

児山:そういうのって感じるものですか?

ーー人物やストーリーそっちのけで、意味ありげで意味のない広告的なショットをインサートしたり、やたら映像のギミックに走ったりする作品に感じます。今作は何よりもストーリーを大切にしていましたし、すべてのカットに意味や理由を感じました。

児山:ありがとうございます。予算的にシンプルに撮るしかなかったので、すごく考えて撮りました。誰をどのサイズで撮るか、編集で何をどの順番で見せていくか、それが演出だと思うんです。例えば、小山田が自然光の入る白いスタジオでユカのポートレートを撮影するシーン。「私って◯◯なのかな」と、わりと芯を食ったことを言うユカには顔に寄っているんですが、小山田を腰上の画角で返します。本来なら同じサイズで返したいのですが、ユカが大切なことを言っていることに小山田が気付いていない、2人の心の距離をサイズで表現しました。そういうシンプルな映像ロジックを自分なりに考えてやっていました。あとはフィルターワークですね。小山田がユカのうそを知るまでの第1部は、トーンが柔らかくなるフィルターをレンズに入れています。小山田に出会う前のユカを描く第2部では、そのフィルターを外してシャープに撮っています。そういう細かい違いで、観客が感じるものが無意識に変わってくると信じています。

ーーユカと小山田は地方からの上京組ですが、監督も23歳で大阪から東京に出てきているそうですね。東京で夢に向かっている彼等に、ご自身の経験を投影していますか?

児山:すべてのキャラクターに、自分自身だけでなく、自分が見てきたものを投影していると思います。小山田にとっての写真と一緒で、僕は「映画をやりたい」という明確な目的をもってずっとやってきましたし、結果はどうあれ、目標ややる気を持つことは、1つの才能だと思っています。小山田とユカは「東京で夢に向かっている」と表現されるけれど、ユカには最終到達点が見えていないので、僕からするとユカのそれは夢ではないと思います。ユカみたいな人はフォーカスされないだけで、東京にめちゃくちゃいると思うんです。どちらが良い悪いの話ではないので、小山田にもユカにも、男にも女にも、すべてのキャラクターに対して肩入れせずに、等距離かつフェアでいるよう心掛けました。脚本も演出も、小山田が特段かわいそうにならないように、うそをついたユカを否定しないようにしました。

ーーそれはなぜですか?

児山:ストーリーが何より大事ということと、観た人が登場人物の1人に共感して、一緒に泣くような映画にしたくなかったからです。泣けるんだけど、泣けるというだけの映画にはしたくなかったという表現が正しいのかな。一過性のものとして消費される映画ではなく、5年、10年残るデビュー作を作りたかった。18歳の人が30歳になってもう一度観た時に、「あの時はめちゃくちゃムカついたけど、こういうことだったのか」と新しい発見があるような映画になってほしいです。

児山隆
1979年、大阪府出身。大学卒業後、映画監督の林海象に師事。助監督、オフラインエディターとして活動後、2014年に独立。広告を中心に映像ディレクターとして数々のCMを手掛ける。最近の主な仕事にTOYOTA、LINE、Google、マクドナルドなど。『猿楽町で会いましょう』が初長編監督作品となる。
https://www.nosidefilm.com

author:

須永貴子

ライター。映画、ドラマ、お笑いなどエンタメジャンルをメインに、インタビューや作品レビューを執筆。『キネマ旬報』の星取表レビューで修行中。仕事以外で好きなものは食、酒、旅、犬。Twitter: @sunagatakako

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