渋谷慶一郎が語る「アンドロイド・音楽・映画」——リスボン映画祭で披露した新作公演『Android Aria “Seeds of Prophecy”』を糸口として:連載「MASSIVE LIFE FLOW——渋谷慶一郎がいま考えていること」第13回

現地時間11月18日、ポルトガルで開催されたリスボン映画祭のクロージングイベントとして、音楽家・渋谷慶一郎のアンドロイドとピアノ、エレクトロニクスによる新作公演『Android Aria “Seeds of Prophecy”』が上演された。

リスボン映画祭は、ポルトガルを代表する映画監督マノエル・ド・オリヴェイラやペドロ・コスタらの作品で知られる映画プロデューサーのパウロ・ブランコがディレクターを務める国際的な映画祭で、今年で17回目の開催。これまでフランシス・F・コッポラやデヴィッド・リンチ、ヴィム・ヴェンダースら錚々たる映画人が参加者として名を連ねており、今年も作品上映の他、ペドロ・コスタによるトークセッションや、レオス・カラックス、濱口竜介をはじめとする著名な映画監督によるマスタークラスなどが行われた。

映画以外の領域からも多岐にわたるアーティストが参加し、ローリー・アンダーソンのトークや世界的ヴァイオリニストのギドン・クレーメルによるコンサートなどが展開。そのような刺激的なコンテンツ・プログラムに満ちたリスボン映画祭の締めくくりに選ばれたのが、渋谷慶一郎のパフォーマンス『Android Aria “Seeds of Prophecy”』である。

同パフォーマンスは、渋谷のピアノ、アナログ・シンセサイザー/ノイズ・ジェネレーターの演奏、アンドロイド「オルタ4」の歌唱を基軸とするパフォーマンスで、音響・ノイズから「Scary Beauty」や「Midnight Swan」などの代表曲、そして公演タイトルにも冠された新曲「Seeds of Prophecy」などが約50分にわたり披露された。

渋谷は同公演にどのように臨み、何を表現したのか。そして、映画音楽家としても確固たるキャリアを築き上げている渋谷は、これまでどのような映画を、映画音楽を、自身の血肉としてきたのか。インタビューで探る。

渋谷慶一郎

渋谷慶一郎
東京藝術大学作曲科卒業。作品は先鋭的な電子音楽作品からピアノソロ 、オペラ、映画音楽、サウンド・インスタレーションまで多岐にわたり、東京・パリを拠点に活動を行う。2012年に初音ミク主演による人間不在のボーカロイド・オペラ『THE END』を発表、ヨーロッパを中心に世界中で巡回。2018年にはAIを搭載した人型アンドロイドがオーケストラを指揮しながら歌うアンドロイド・オペラ®︎『Scary Beauty』を発表、日本、ヨーロッパ、中東圏で発表。2021年は新国立劇場の委嘱新制作にてオペラ作品『Super Angels スーパーエンジェル』を世界初演。2022年にはドバイ万博にてアンドロイドと仏教音楽・声明、現地のオーケストラのコラボレーションによるアンドロイド・オペラ®︎『MIRROR』を発表。2023年6月にはパリ シャトレ座にて70分の完全版となる同作を初演、現地メディアでも大きく取り上げられ成功を収めた。10月には金沢21世紀美術館でアンドロイド2台による新作対話劇『IDEA』を発表。
また数多くの映画音楽も手掛けており、2020年に映画「ミッドナイトスワン」の音楽を担当。本作で第75回毎日映画コンクール音楽賞、第30回日本映画批評家大賞、映画音楽賞を受賞した。2022年にはGUCCIのショートフィルム「KAGUYA BY GUCCI」の音楽を作曲、アンドロイドと自身も映像の中で共演している。
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Photography Claude Gassian

情報密度の高い時代でも有効なパフォーマンス、サウンドを制作する

——まずリスボン映画祭でパフォーマンスを行うことになった経緯を教えていただけますか。

今年の春頃、アンドロイド・オペラ『MIRROR』パリ・シャトレ座公演(編注:6月21・22日・23日上演)のプレスリリースを出した後に、ほどなくして先方からメールでオファーをもらったんです。映画祭の今年のテーマの一つが「AIとクリエイション」で、僕のやっていることがぴったりだと言われて。

リスボン映画祭は、ペドロ・コスタの『骨』などのプロデュースで知られるパウロ・ブランコがディレクターを務める重要なフェスティバルで、もともとその存在自体は認識していました。実際にZOOMでミーティングをしてみたら非常にインテレクチュアルな人達だし、作品上映の他にローリー・アンダーソンのトークがあったり、世界的ヴァイオリニストのギドン・クレーメルがライヴをやったりと、内容もとても良かったので、オファーを受けることにしたんです。

——記録映像で鑑賞させてもらいましたが、エクスペリメンタルな音響・ノイズから「Scary Beauty」や「Midnight Swan」などの代表曲、新曲「Seeds of Prophecy」の発表など約50分にわたる充実したパフォーマンスでした。どのような狙いで構成を組み立てられたのでしょうか?

オファーを受けた当初は、クロージングインベントだから、僕の他にもアーティストがいて持ち時間は10分~20分ぐらいかなと思ってたんです。でも、後からきちんと資料を確認したところ、出演が僕だけで入場料も設定されていることが判明して(笑)。それで、ワンマンのパフォーマンスとしてきちんと成立するボリュームでセットを組み立てることにしたんです。

ただ、会場などの兼ね合いもあって、パリでやった『MIRROR』のように現地のオーケストラを集めるというのは難しくて、他のやり方でできないかっていう議論を何回か重ねていった結果、僕とアンドロイドだけの編成に着地しました。

実際、『MIRROR』のように、アンドロイドに加えて、オーケストラもあり、映像もあり、みたいな大規模な公演は、ヨーロッパでもなかなかできなくなっているんです。そういった事情もあって、このオファーが来る前から「コンパクトにやれるアンドロイドとのパフォーマンスを作ること」が課題になっていたので、結果的にちょうどいい機会になりました。

——渋谷さんとアンドロイドだけのミニマルな編成とはいえ、非常に強度のあるパフォーマンスだと感じました。

音楽にとって何が情報密度かということはよく考えていて、同時にテクノロジーが進化しかしないのと同じように、世界の情報密度は上がり続けるのみで下がることはないんですよね。なので、そんな社会の中で有効なパフォーマンスを制作するというのは意識しています。

それはコンセプトや構成だけじゃなく、音色1つ取っても言えることで。エレクトロニクスの音色にしても、録音したものをコンピュータから流すのと、シンセサイザーやノイズ・ジェネレーターをその場で実際に演奏するのとは、音の情報量、豊かさが全然違う。

その観点から言うと、音の良さについての考え方・受け取られ方がかなり変わってきていると思っていて。ゼロ年代やテン年代は、すごい音圧とか超低音とか、身体的ショックというか、知覚を強く刺激するような音が席巻していた。僕もそれに夢中になったし、でも人はすぐそれに慣れるんですよね。だから知覚を拡張するような低音や高周波も純度というか新鮮な快感がもっと必要なんじゃないかと最近は思っていて。例えば、最近使っている『Hikari Instruments』という日本のモジュラーシンセサイザーのメーカーのMonosとDuosというノイズジェネレーターのようなシンセサイザーはそういう音が出るんです。で、電子回路のような楽器だから、不確定性も高いというかどんな音が出るか予測不可能なこともあるんだけど、音の純度を優先してそういう楽器をライブで実際に鳴らすのは面白いと思っています。

「預言」に込めた、来るべき世界への希望

——新しく披露された「Seeds of Prophecy」は、荘厳さに満ちたオルタの歌唱や、そのタイトル、「For a world where peace can truly be found」「Seeds can thrive or perish / it’s your choice」といった歌詞など、現在の世界情勢を踏まえると、非常に示唆的に響きます。この楽曲に込めた意図などについて教えてください。

アンドロイドに何を歌わせるべきなのかは、アンドロイドを用いたパフォーマンスを始めた時から常に考え続けているんです。つまり言葉はすごく大事なんです。『Scary Beauty』の時に制作した楽曲では、ウィトゲンシュタインや三島由紀夫の遺作をモチーフにしたテクストや、ミシェル・ウェルベックやウィリアム・バロウズの作品の断片を歌詞にしたり。アンドロイド・AIが、自らにとっては存在しない遺作や死を歌うというコントラストを作り出したかった。

今年5月の「PRADA MODE」で行ったパフォーマンスでは、その日アンドロイドが置かれている状況、プラダがオーガナイズしてるイベントであることや、他の出演者、庭園美術館というロケーションなどをAIに学習させて、そこに対するアンドロイド・AIの想いを生成して歌わせてみました。で、この方向は面白いなと思ったんです。
そしてその後、7月の「報道ステーション」でのパフォーマンスがあったじゃないですか?

——アンドロイドのオルタが政府や万博、メディアなどに言及しながら、「なんで伝えられないニュースがあるの?」「僕は真実のメッセンジャーになる」などと歌うパフォーマンスは、SNSでも大きな反響を呼びました。

人間よりもAIの方が忖度しない、正直なんだという反応が起きたのは一面の正しさもあるし面白かった。同時に美術的な文脈で言えばパフォーマミングアートだし、同時に社会実験でもある。

今回の「Seeds of Prophecy」に戻ると、“ポリティカルなメッセージを発するアンドロイド”っていう図式を固定するのは、やっぱり少しわかりやすすぎるので、預言という形式をとることにしたんです。預言って、音楽と同じように種が遠くへ飛んでいって花を開くように、どこかで誰かに影響を与えるかもしれない。そんな散種的な言葉の中に、ロシアやガザなど世界的な混乱、紛争についてのニュースを膨大にAIに学習させて歌詞を作って、僕のシンセサイザーとピアノに乗せて歌わせたんです。

僕はアンドロイド・AIをメッセンジャーとして捉えているので、預言というのは有効な表現の仕方だと考えているし、僕が愛用しているシンセサイザーに「Prophet-5」があるので、「prophecy」はいつか使いたいと思っていた言葉ではあったんです。

ゴダールとストローブ=ユイレに惹かれる理由

——映画祭ではジャン=リュック・ゴダールの『イメージの本』をモチーフにしたインスタレーションも開催されていたそうですね。

後期ゴダール作品で撮影監督を務めていたファブリス・アラーニョが、『イメージの本』の映像や音声を用いて、大きな建物の屋内・屋外を使ったインスタレーションを制作していて。関係者ディナーの時に彼を紹介されて、僕は『イメージの本』が大好きだったから色々と話をして、後日、本人の説明聞きながら見て回ることができたんですけど、映像を布に投影したり、庭の大きな木の根元に置かれたモニターに断片をランダムに流したりしていて、とても美しく詩的なインスタレーションでした。

——渋谷さんはゴダールの作品のどんなところに魅力を感じますか? 特に音楽家からの視点で感じることがあれば教えていただきたいのですが。

ゴダールの音楽の付け方って、良い意味で乱暴だと思うんです。〈ECM〉が協力してくれるから(〈ECM〉の)音源を使いまくったりとか。でも、そういった無根拠さから生まれる異化効果的なおもしろさがあって。『JLG/自画像』(1995年)で、西洋音楽史的にはわりと傍流気味なヒンデミットや(アルヴォ・)ベルトの作品を使うかと思えば、その中にベートーヴェンの弦楽四重奏がポンッと入ってきて、全然違ったふうに聴こえてきたりする。

あと、無根拠な乱暴さといえば、自身のナレーションにかけるディレイも象徴的ですよね。すごい昔に高橋悠治さんとコンピュータとか電子音楽について話していたときに、悠治さんが「コンピューターの中だけで完結するんじゃなくて、“コンピューターの外側から手が入ってこないとおもしろくならない」みたいなことを言っていて、つまりダブはそういうことだと。ゴダールのナレーションのディレイは僕にとっては悠治さんが話していたダブに直結する。

——『イメージの本』や『JLG』の他、ゴダールで好きな作品はありますか?

『新ドイツ零年』は映像やテクストの引用が多いこともあり、観ただけじゃ意味は全然追えないけど、1時間くらいに圧縮されたヴィデオアート的な意味ですごく好きです。『アワー・ミュージック』は、その前作の『愛の世紀』が自分にはピンと来なくて「ゴダールも歳をとったのかな」とか思ってたんだけど、盛り返したというか、すごく良くて。公開当時、映画館に3回くらい観に行きました。

——ゴダールの他に若い頃によく観ていた映画監督はいますか?

ストローブ=ユイレですね。ゴダールの『新ドイツ零年』とかと同じように、映画というよりヴィデオアートとして観ていた感じですが。今ではアンドロイド・オペラやパフォーマンスなど自分の作品でストーリーをコントロールするし、ナラティヴなものに対する興味が出てきたんだけど、昔は全然なかったんです。ストローブ=ユイレの作品は、映像の強度はもちろんのこと、音・録音もカメラについているモノラルマイクの一発録りというコンセプチャルな方法が刺激的でよく観ていました

——日本映画はご覧になっていましたか?

高校生ぐらいの時かな、溝口健二を好きで観ていました。もちろん小津安二郎も観ていて、素晴らしいのは分かるんだけど、ビンビン響くのは溝口の方で。自分のもともとの感性として、ミニマルなものよりもマキシマルなものの方が合うんだな、ってその時に痛感したんです。

北野武さんの初期作品もめちゃくちゃ好きだったし、あと森田芳光さんの『家族ゲーム』もすごく好きだった。さっき話したストローブ=ユイレは何本もDVDを持ってるぐらい好きなんだけど、それはスタティックなものへの憧憬というか、僕自身はストローブ=ユイレ的な人間じゃないなと思います。

映画音楽家としての基盤にあるもの

——学生時代、意識的に聴いていた映画音楽があれば教えてください。

エンニオ・モリコーネはすごく好きでしたね。作品で言うと意外に『ミッション』のサントラをよく聴いてました。あと、もちろん坂本(龍一)さんの作品群も。僕の世代で影響受けていない人はいないと思うけど。マイケル・ナイマンも大学生の頃によく聴いていた記憶がある。あと、若い頃も聞いてたけど、最近バーナード・ハーマンを聴き直したりネットでスコア見たりしてるんだけど改めてすごいなと思いました。

——その頃、映画音楽を手掛けることに関心はありましたか?

そうですね、学生の頃から「いつか映画音楽はやるだろうな」とは思っていたんです。ただ、当たり前だけど、映画音楽って自分がやりたいと思ってできるものではなくて、人から頼まれないとできないわけで。

——渋谷さんが最初に手掛けた映画音楽は、1999年に劇場公開された中川陽介さんの監督作品『青い魚』となりますが、どういった経緯で劇伴を担当することになったのでしょうか?

青山で開催されていた「Morphe(モルフェ)」という芸術祭があって、そこに頼まれてまだ大学生だった1995年に高橋悠治さんと即興半分、曲半分みたいな一晩のコンサートをやったんですけど、それを見た方が声をかけてくれたんです。その時に作ったメインテーマが『for maria』に収録されている「Blue fish」という曲です。

——その後もさまざまな映画音楽、劇伴音楽を手掛けられ、リスボン映画祭のパフォーマンスのラストで演奏された「Midnaight Swan」をメインテーマとする映画『ミッドナイトスワン』では日本映画批評家大賞 映画音楽賞と毎日映画コンクール 音楽賞をダブル受賞するなど、渋谷さんは映画音楽家としても確固たるキャリアを築かれています。映画音楽を制作する上で意識されていることや、それ以外の作曲活動と異なる点などがあれば教えてください。

映画は音楽が少なければ少ないほどいいと思っているんです。ただ、なかなかそうもいかないことが多くて、つまり音楽の力が必要なことが割とある。で、もちろん映像を観て即興的に音を探したり、断片的につけてみたりとか色々探るんですけど、全体の設計図は描くようにしています。ワーグナーがオペラ作品に用いた「ライトモチーフ」っていう考え方があるんです。例えば、主役の男性にはAというメロディー、恋人の女性にはBというメロディーを割り当てて、2人が会うシーンにはその2つのメロディーを組み合わせて曲を作る、みたいな方法論で。自分のオペラ作品でそれをやると古典的過ぎるんですけど、映画は明確に時間芸術だし、ストーリーがあるものが多いから「ライトモチーフ」のような方法は意外と有効なんです。『ミッドナイトスワン』で言うと、少女や雨、ダンスといった人物・状況などに対してそれぞれテーマが作ってあって、それらが全て集まるのがメインテーマの「Midnight Swan」という曲になっているみたいな。

——同作のようなコマーシャルな劇伴作品から、大規模なアンドロイド・オペラ、金沢21世紀美術館での『IDEA』のようなコンセプチュアルな実験作品など、活動・表現の幅が広がり続けていますが、渋谷さんの中ではどのようにバランスを考えているのでしょうか?

割合はその年によって変わるし、少し大きく数年単位で振り返ってみて、この時は電子音が多かったとかこの時はオーケストラが多かったとかサウンドの傾向もあるんだけど、最近はオーケストラとかピアノが多かったからまた電子音やシンセサイザーの割合を増やしたいなと思っています。あと、劇場で多くの人に観てもらうような作品と、ディープで実験的で自己探求的な作品の両方をやった方がいいなとはますます思っています。新しく始めたサウンドインスタレーションのプロジェクトがあったり、日本でのソロ・コンサートとか色々考えていることもあるので、来年も色々と発表できると思います。

——2024年のご活動も楽しみにしています。本日はありがとうございました。

author:

藤川貴弘

1980年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、出版社やCS放送局、広告制作会社などを経て、2017年に独立。各種コンテンツの企画、編集・執筆、制作などを行う。2020年8月から「TOKION」編集部にコントリビューティング・エディターとして参加。

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