〈ATAK〉設立20周年に魅せた珠玉のピアニズムを振り返る:連載「MASSIVE LIFE FLOW——渋谷慶一郎がいま考えていること」第10回

領域を横断しながら変化し続け、新しい音を紡ぎ続ける稀代の音楽家、渋谷慶一郎。連載「MASSIVE LIFE FLOW」では、そんな渋谷に密着し、その思考の軌跡や、見据える「この先」を探っていく。

連載第10回では、昨年12月に東京・浜離宮朝日ホールで開催された渋谷のピアノ・ソロ・コンサート「Keiichiro Shibuya Playing Piano In The Raw」を新津保建秀の撮影による写真と共に振り返る。

渋谷慶一郎

渋谷慶一郎
東京藝術大学作曲科卒業、2002 年に音楽レーベル ATAK を設立。作品は先鋭的な電子音楽作品からピアノソロ 、オペラ、映画音楽 、サウンド・インスタレーションまで多岐にわたる。
2012 年、初音ミク主演・人間不在のボーカロイド・オペラ『THE END』を発表。同作品はパリ・シャトレ座公演を皮切りに世界中で巡回。様々なアーティストとのコラボレーションを重ね、パレ・ド・トーキョーやオペラ座などでも公演。2018 年にはAI を搭載した人型アンドロイドがオーケストラを指揮しながら歌うアンドロイド・オペラ®『Scary Beauty』を発表、日本、ヨーロッパ、UAE で公演を行う。2021 年8 月、東京・新国立劇場にて新作オペラ作品『Super Angels』を世界初演。2022 年3 月にはドバイ万博にてアンドロイドと仏教音楽・声明、オーケストラのコラボレーションによる新作アンドロイド・オペラ®『MIRROR』を発表。
また、今までに数多くの映画音楽を手掛け、2020 年9 月には草彅剛主演映画『ミッドナイトスワン』の音楽を担当。本作で第75 回毎日映画コンクール音楽賞、第30 回日本映画批評家大賞、映画音楽賞をダブル受賞。 8 月には「グッチ」のショートフィルム『KAGUYA BY GUCCI』の音楽を担当、アンドロイドと共演。
最近では大阪芸術大学にアンドロイドと音楽を科学するラボラトリー「Android and Music Science Laboratory (AMSL)」を設立、客員教授となる。また、更なるAI と音楽の研究のためにソニーCSL パリとの共同研究を発表。テクノロジー、生と死の境界領域を、作品を通して問いかけている。ATAK:http://atak.jp
Twitter:@keiichiroshibuy
Instagram:@keiichiroshibuy
Photography Ayaka Endo

豊穣なアンビエンスと独創的な映像と共に創り出す、珠玉のピアノ・ソロ・コンサート

ドバイ万博でのアンドロイド・オペラ®『MIRROR』の世界初演や石黒浩と共に主幹を務める「Android and Music Science Laboratory」の開所、「グッチ」のショートフィルム『KAGUYA BY GUCCI』の音楽制作など、渋谷が目を見張る活躍ぶりを見せた2022年。それは、渋谷の主宰レーベル〈ATAK〉の設立20周年という特別な年でもあり、その歩みを記念した2つのアクションが実施された。

まず、同年9月11日に渋谷は新作アルバム『ATAK026 Berlin』を突如リリース。同作は2008年にベルリンのテクノロジーアートの祭典「トランスメディアーレ」で行ったライヴ・パフォーマンスのために制作した楽曲を、現在の視点から再構築&マスタリングした電子音響/ノイズ作品だ。

続いて、12月5日に、コロナ禍を経て実に3年ぶりとなる有観客でのピアノ・ソロ・コンサート「Keiichiro Shibuya Playing Piano In The Raw」が開催となった。本稿では、同公演を新津保建秀の撮影による写真と共に振り返りながら、渋谷のピアニズムと現在地を紐解いていきたい。

特別な一夜の舞台に選ばれたのは、東京・築地の浜離宮朝日ホール。世界的に認められるその美しい響きを最大限に生かしたいという渋谷の意向により、本公演はPAを一切使用しないフルアコースティック体制での実施に。

ホールへと足を踏み入れてみれば、ステージでは渋谷が「最も好きな機種」と語る「ベーゼンドルファー(Bösendorfe)」のグランドピアノが、堂々たる姿で開演の刻を待っている。いよいよ開演時間になると、照明が暗転。会場全体が静寂と緊張感に包まれる中、ステージにあらわれた渋谷は、悠然とした所作でピアノの前に座り、ゆっくりとその指を鍵盤へと下ろしていく。

1曲目を飾ったのは、渋谷にとって初のピアノ・ソロ・アルバムである『for maria』(2009年)収録曲の「erosion」。繊細なタッチによる音の連なり、重なりから織りなされていく詩情が、珠玉のアンビエンスの中で増幅し、その曲名のごとく、オーディエンスを“侵食”していく。今ここでしか、「生(RAW)」でしか堪能し得ない至上の音楽体験がここに幕を開けた。

ホールのアンビエンスに加えて、この夜の体験をより特別なものにしていたのが、これまで渋谷と約10年間に渡り断続的にコラボレーションを行っているフランス人ヴィジュアル・アーティストのジュスティーヌ・エマール(Justine Emard)による映像だ。

渋谷の背後の9×10メートルにも及ぶ巨大スクリーンには、具象/抽象、無機/有機の境界を行き交いながら紡ぎあげられる独創的なイメージが映し出され、視覚面からも没入的な音楽体験をつくり出していた。

『for maria』からもう1曲「Blue Fish」を演奏後、次いで披露されたのは、『ATAK018 Soundtrack for Memories of Origin Hiroshi Sugimoto』(2012年)からの楽曲たち。多重録音やコンピュータのエディット・プロセッシングにより、ピアノの新たな響きの可能性を探求した同作の楽曲を、渋谷は今ここでしか生成し得ない響きを慈しむように、丁寧に1つひとつの音を紡いでいく。その1回性を宿した豊穣なサウンドは、音源とは逆のベクトルでピアノという楽器の可能性と魅力を私たちに伝えてくれる。

楽曲に新たな生命を宿した、ギタリスト・笹久保伸との初共演

続いて、そしてステージにはこの夜1人目のゲストとなる笹久保伸が登場。笹久保は、ペルーに渡り演奏・研究活動を行ってきた経験を持ち、国境を越えた評価を獲得している秩父在住のギタリスト/コンポーザーで、この夜が渋谷との初めての共演となる(そして渋谷がギタリストと2人編成のライヴを披露するのも初めてのことである)。

2人が最初に奏でたのは、『for maria』収録曲の「Open Your eyes」。笹久保のフォルクローレな響きを孕んだギターは、渋谷の演奏・楽曲に新たな表情と奥行きをもたらしており、事前の想像を凌駕する科学反応がそこに生まれていた。

続いて両者は、バレエダンサー・飯島望未が登場するMVやステファン・ポエトリーのヴォーカル参加も話題となった「BORDERLINE」、『ATAK018 Soundtrack for Memories of Origin Hiroshi Sugimoto』収録曲の「Appropriate Proportion」の2曲を共演。卓越した2人の音楽家によるスリリングな音楽的対話をもって第1部は幕を閉じた。

バッハ、シェーンベルクから引き継ぐ「伝統と革新」

休憩をはさみ、渋谷は自身以外の楽曲から第2部を開始。シェーンベルクの「Op19-1」、バッハの「Fuga」と「Largo」の3曲が演奏された。バロック後期に、中世からの伝統や様式を継承しながら対位法と和声法を両立し、西洋音楽の礎を築き上げた音楽の父、バッハ。そしてバッハの音楽について「その独創性たるやわれわれがその音楽を研究すればするほど驚嘆すべきものに思えてくる」と畏敬の念を示し(※)、20世紀前半に、西洋音楽を前進させるべく対位法的技法を極北まで押し拡げ12音技法を確立したシェーンベルク。

※『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』(アーノルト・シェーンベルク著、上田昭訳、筑摩書房)収録の「音楽の様式と思想」より

各々のクリエイションやその関係性において「伝統と革新」という言葉を想起させるそんな両者の楽曲に続けて、渋谷は自身の楽曲からボーカロイド・初音ミクをフィーチャーした人間不在のオペラ『THE END』(初演:2012年)のために制作された「Aria for Time and Space」を奏でる。

『THE END』は、渋谷が初めてオペラという伝統的な芸術様式に挑み、その中にテクノロジーやポップカルチャーという「外部」を導入することにより、新たな表現の可能性を切り拓いた重要作。記念すべき夜において、その楽曲をバッハとシェーンベルクの後に奏でたことに、渋谷の現在地と哲学、「伝統と革新」への想いが象徴されているようにも感じられた。

世界的ソプラノ歌手・田中彩子と描く超越的な音世界

『ATAK024 Midnight Swan』から「BUS」、映画『ホリック xxxHOLiC』のテーマ曲「Holic」の弾き終えると、2人目のゲストとしてウィーンを拠点として活動するソプラノ歌手の田中彩子がステージに姿をあらわす。

2021年12月に行われたライヴ・パフォーマンス「Music of the Beginning -はじまりの音楽-」で初共演を果たして以来、2度目の共演となる2人が最初に披露したのは『for maria』収録曲の「BLUE」。渋谷の抒情的なピアノに続き歌い出した田中の歌声は、生命の煌めきが凝縮したかのような美しさと力強さを湛え、マイクを通さずともホールの隅々まで響き渡り、瞬時にオーディエンスを魅了し引き込んでいく。

続くのは渋谷初のアンドロイド・オペラ『Scary Beauty』(初演:2018年)のメインテーマ曲「Scary Beauty」と「グッチ」のショートフィルム『KAGUYA by GUCCI』(2022年)のために制作された「I come from the Moon」。共にオリジナル・バージョンではアンドロイドのオルタがヴォーカルを担当しており、前者ではミシェル・ウェルベックによる詩が、後者では竹取物語を下敷きとした詞世界が歌われることも相まって、非現実的・超現実的なムードに満ちた楽曲となっている。

そんな両曲を、田中は人間にしかなし得ない、しかし人間離れした圧巻のヴォーカルにより歌い上げ、オルタとは異なるあり方で、超越的な音世界をつくり出すことに、今ここを「ここではないどこか」へ変容させることに、成功していた。

『for maria』以降に拓かれた新たな地平、前に進み続けること

田中との共演を終えると、渋谷は『for maria』の標題曲「for maria」、ドラマ『SPEC』のテーマ曲「Spec」(2010年)、映画『ミッドナイトスワン』のテーマ曲「Midnight Swan」(2020年)の3曲を披露。アーティストとして、またレーベルオーナーとして、実験的・先鋭的な音響作品を主たるアウトプットとしていた渋谷が、「Spec」と「Midnight Swan」を含めて、より多くの人に伝わりその琴線に触れる楽曲を発表するようになったのは、『for maria』 以降のことである。

喪失や悼みを契機として生まれた音楽が新しい始まりへとつながっていったことに、その終わりから始まりへの循環が描く希望に改めて心を動かされる中で、第2部は幕引きとなった。

鳴りやまない拍手の中、渋谷がステージに戻り、アンコールが始まる。初音ミクをヴォーカルにフィーチャーし、哲学者・東浩紀を作詞に迎えた『THE END』期の重要曲「Initiation」(2012年)を弾き終えた渋谷は、この夜の正真正銘のラストソング——そして『for maria』のラスト曲でもある——「Our Music」へと移行。

渋谷とmariaの2人で設立した〈ATAK〉、その記念すべき夜を締め括る音楽としてこれ以上の楽曲はないだろう。曲の始まりから流れ出す、聴く者を捉えて離さない下降を軸とした8小節のメロディライン。前半4小節では長3度と短3度のインターバルが入り混じりながら下降していくその旋律は、後半4小節の頭で再び始まりの音に戻った後、今度は完全4度を軸として、再び繰り返し下降していく。

その差異と反復の中で、さまざまな出来事や感情にあふれた「私たちの日々」が、結晶化した「私たちの音楽」へと昇華されていくかのような感覚が去来する。渋谷とmariaが紡ぎあげた「私たちの音楽」は、そしてこの夜に奏でられたすべての音楽は、オーディエンス1人ひとりすべてにとっての「私たちの音楽」となり、今後も鳴り響き続けていくことだろう。

前回にも述べた通り、渋谷は前に進み続ける音楽家であり、その姿勢は自身の原点であるピアノに向き合う時にも一貫している。

音響への徹底したこだわりや、映像作家との共同により旧来的なピアノ・ソロ・コンサートの枠組みを超えるイマーシブな体験性をつくり出すこと。卓越した表現者たちとの共創により楽曲に新たな生命を宿すことや、オーケストラやエレクトロニクスを用いた楽曲を繊細なピアニズムにおいて再構築すること。

そこに通底しているのは、安易な回帰や過去の再現とは無縁の、前進のアティチュードである。それこそが、渋谷という音楽家を、〈ATAK〉というレーベルをかたちづくってきたものに他ならず、その歩みが今後も続いていくであろうことを、至上の音楽体験と共に確信させてくれる一夜であった。

■渋谷慶一郎ピアノ・ソロ・コンサート「Keiichiro Shibuya Playing Piano In The Raw」
開催日時:2022年12月5日
会場:浜離宮朝日ホール
出演:渋谷慶一郎(ピアノ)
ゲスト:田中彩子(ソプラノ)、笹久保伸(ギター)
映像:Justine Emard

セットリスト:
1st part
01. erosion
02. Blue Fish
03. Lightning Fields
04. Empty Garden
05. Life
06. Memories of Origin
07. Open Your eyes with Shin Sasakubo(Acoustic guitar)
08. BORDERLINE with Shin Sasakubo (Acoustic guitar)
09. Appropriate Proportion with Shin Sasakubo (Acoustic guitar)

2nd part
01. Schoenberg Op19-1
02. Bach Fuga
03. Bach Largo
04. Aria for Time and Space
05. Bus
06. Holic(Piano version)
07. Blue with Ayako Tanaka(Soprano)
08. Scary Beauty with Ayako Tanaka(Soprano)
09. I come from the Moon with Ayako Tanaka(Soprano)
10. for maria
11. Spec
12. Midnight Swan

Encore
13. Initiation
14. Our music



author:

藤川貴弘

1980年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、出版社やCS放送局、広告制作会社などを経て、2017年に独立。各種コンテンツの企画、編集・執筆、制作などを行う。2020年8月から「TOKION」編集部にコントリビューティング・エディターとして参加。

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