『ぬいしゃべ』を通して「対話」を考える 監督・金子由里奈 × 原作・大前粟生 対談—後編

金子由里奈(かねこ・ゆりな)
映画監督。1995年東京都生まれ立命館大学映像学部卒。⼤学映画部に所属中から多くの映像作品を制作。2018年、山戸結希監督プロデュース企画『21世紀の女の子』で唯一の公募枠に選ばれ、『projection』を監督。翌年には自主映画「散歩する植物」がぴあフィルムフェスティバル2019に入選。 その後、ムージックラボ2019に参加、『眠る虫』でグランプリ受賞、自ら配給・宣伝も務めた。 チェンマイのヤンキーというユニットで⾳楽活動も行なっている。
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大前粟生(おおまえ・あお)
小説家。1992年兵庫県生まれ。著書に『回転草』『私と鰐と妹の部屋』『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』『おもろい以外いらんねん』『きみだからさびしい』『死んでいる私と、私みたいな人たちの声』などがある。
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大前粟生による小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が、『21世紀の女の子』、『眠る虫』などで注目される新鋭・金子由里奈監督によって映画化された。ぬいぐるみとしゃべる人達を描いた本作のテーマの1つである、対話。話すことは誰かを傷つけてしまう可能性があり、その暴力性を前に口をつむぐのではなく、「もっと話すこと」を選ぼうとする彼らの姿に自分達が重なる。後編では「対話」という軸で、2人に話を伺った。

話をしたり聞いたりするだけで人は少しずつ楽になるのでは

——映画を拝見しながら、「対話」について考えを巡らせました。七森のセリフにもありましたが、話して誰かを傷つけてしまうのは怖いけれど、話さないと相手のことにも自分のことにも気づけない。日常にある「対話」を多面的に考えるきっかけになりました。

金子由里奈(以下、金子):「ぬいぐるみとしゃべるサークル」というのが画期的ですよね。モノローグとも独り言とも違う、中間にある“吐露”みたいなものがぬいぐるみにしゃべることによって生まれている。そういう場所は現実にも必要ではないかな、と思いました。

大前粟生(以下、大前):そもそも原作は、話をしたり話を聞いたりするだけで人は少しずつ楽になるのではないか、と思いながら書いたものでした。本当は、1人1人に合ったカウンセラーと出会えて、話をしたり聞いたりすることが常態化すればいいけれど、なかなか難しい。なので、自分の言葉を受け取ってくれる存在がいてくれたらいいなと思って、ぬいぐるみを相手にしたんです。

——この映画を拝見してから、何人かに「ぬいぐるみとしゃべったことはある?」と聞いたんです。そうしたら、意外としゃべっている人がいて、驚きました。

大前:意外といますよね。

金子:私も思いました。しゃべっていなくても、ぬいぐるみと共生している人が意外といるんだな、と。ぬいしゃべに取り組んでいた影響で敏感になっていたのかもしれませんが、新宿駅を歩いていたら胸ポケットからぬいぐるみを出している人や、抱えている人を見かけたんです。それは、ちょっと嬉しくなりました。

——私はしゃべったことがなかったので、家でやってみたんです。そうしたら結構難しくて。

金子:私もやってみたんですけど、難しいですよね。返事や相づちが返ってこない感じが気持ちいいけれど、その前提に慣れてくると、言葉がうまく出てこなくなったりして。コツをつかむのが難しかったです。

大前:いざしゃべろうと思うと構えてしまうというか、漫談みたいになってしまいますよね。

金子:そうなんですよ(笑)。独り言なんて家の中でよくしているのに、ぬいぐるみとしゃべろうとするとパフォーマンスのようになって、周囲を意識してしまう。でも、こうやって同じことをする人が集まっていると、安心してしゃべれるんだろうなと思いました。隣の部屋から薄く声が聞こえてくる、そんなイメージで。

大前:(うなずく)

金子:小説の中に出てくる表現で、「イヤホンから聞こえてくる言葉未満の音」っていう表現がすごく好きでした。微妙にニュアンスが違うのに、思っていることや考えていることを言葉にしようとすると枠にはめられてしまう側面もあるじゃないですか。

——思いと言葉がうまく一致していなくて、その“形”に違和感を感じることはよくありますよね。

金子:「形もない声」が存在していいんだな、と。その声がかすかに聞こえてくるけれど放っておくやさしさもあって、「ぬいサー」はすごくいい空間だなと思いました。

「ぬいぐるみによってしゃべる内容って違うの?」というセリフがあるように、ぬいぐるみによってしゃべりたいこと、リズム、パフォーマンスが変わってくるのもおもしろかったです。

大前:キャストさんも、ぬいぐるみによってしゃべりたいことが変わっていましたか?

金子:変わるみたいでした。「今はこの子としゃべりたい」というのがあったり。撮影を始める前に、部室にあった600体くらいからどの子としゃべりたいか選んでもらうようにしていました。

他人の存在をうなずきあって、確かめあって、想像するというのが「対話」ではないか

——映画でも小説でも「わかる」「だけど」など頻繁に相槌が打たれていて、スムーズではない会話というのが印象的でした。そこに、対話というものに関してお2人の考えがあるのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか?

大前:そうですね……会話によって何かを解決する必要性はそんなにないと思っていて、誰かとないしは独り言でも、話すことで思い悩む時間が大事ではないかと思っています。

「弱さ」の吐露、「強さ」の吐露……そうした、カギカッコ付きの世間からの評価やレッテルみたいなものを、「だけど」「けれど」と幾度も反転しながら会話を重ねて、外していく。そうすると「強さ」も「弱さ」もカオスに混在した場所、みたいなものを作れたらいいなと思います。

——大前さんの小説は明確な答えを提示するのではなく、あたりまえとされる言葉をあらゆる角度から見ることで、わからなさとわかりたい気持ちが幾度も往復する感覚があります。

大前:僕にとって小説という表現方法は、映画やドラマに比べて起承転結にそこまでしばられなくていいものです。金子さんが「記号的」と仰っていましたけど、まさに映画は全部伏線になることがありますが、小説は物語を行ったり来たり、揺らし続けられる。だから、答えがない話や評価から外れた話を延々とできるんだと思います。なんというか……わかりやすさの中に、わからなさを混ぜやすいんです。

——映像は目の前に示されてしまうので、力強くて揺らがないものになりがちですが、特に大前さんの小説は迷いや揺らぎといったものが包括されていますよね。

金子:それが、しんどくても読めちゃう理由かもしれないです。

——読めてしまうんですけど、その後の内省がすごく長いですよね。

金子:内省が終わらないですよね。ただ、内省した上で思ったのは……この映画は、何かを解決することはしていないんです。起承転結が起こる前の、対話を大切にしたいと思って作りました。

例えば、性暴力やハラスメントの問題などでも、何かの「証拠」よりも、被害者や加害者、それを取り巻く人々の「語り」を大事にしたい。もちろん現実的には証拠も必要ですが、それだけではなくて……。「語り」や「語り」以前の想いも大切だと思いますし、それをゆっくり時間をかけて見つめられる社会であってほしいです。

なので、「あー」とか「えっと」などフィラーと呼ばれるものを演出によって削ぐことはしませんでした。

——言葉を確かめながら対話をする。

金子:リズミカルな会話を避けていたんです。役者さんが知らないタイミングで水を出して、ちょっと会話のリズムをずらしたり気持ちよく会話できなかったりする状況を作りました。

それは、なんだろう……私は言葉を疑っているというか。自分自身がスムーズな会話が苦手なぶん、日常の会話の速度についていけないこともあるんです。他者の存在をうなずきあって、確かめあって、想像するというのが「対話」の始まりだと思います。自分自身もそんな姿勢を取りたいと思っていて、演出する上で考慮しました。

——人と対峙すると良いことを言おうとしちゃうのかもしれません。名言っぽいものよりも、もっと、つまずきながらでも懸命に会話するほうが伝わるのかもしれない。

金子:ほとばしる感じでもいいと思うんです。それこそ、主演の細田さんと初めてお会いした時、私は「ほとばしり」しか発揮していませんでした(笑)。「どうか、どうか、お願い」という気持ちを言葉ではなく全身で表現して。

次はあなたが話す番ですよ、と観客に手渡す

——金子監督のように、相手に一歩踏み込むのが、対話における難しさだと感じています。麦戸ちゃんが、「いろいろあったんだよ」とはぐらかす七森に向かって「私はナナくんの話が聞きたい」と目を見るシーンがとても好きなのですが、あの踏み込み方は理想だと思いつつ、2人は対話における距離のとり方をどう考えていますか?

金子:麦戸ちゃんのセリフは、自分から傷つく宣言をしたんだと思います。七森はしゃべることの暴力性を自覚していたので、対する麦戸ちゃんも「私はあなたの言葉で傷つきます、それは構わないから話してほしい」と“ファイティングポーズ”をとるような。

——「しゃべろう!」というファイティングポーズ。

金子:ただ自分のことになると、気を遣われるよりも土足で踏み込んでもらったほうがいい時期とそうでない時期があります……距離のとり方って難しいですね。どうやって確認するんでしょう。

大前:僕は、そんなに人としゃべらないので、ものすごく距離を取っています(笑)。ただ、相槌を打つばかりですね。必要に迫られて大人数の飲み会に行っても、周囲の人間の距離の取り方ばかり傍観しています。

金子:私は人としゃべる時に身振り手振りが多いです。もしかしたら、無意識に人と距離を取っているのかもしれないです。心理的な距離が近づきすぎると、「ああー」って手を伸ばしてフィジカルな距離を取り、同時に心理的な距離も近くなりすぎないようにしているのかも。

——こと恋愛になると、距離感がおかしくなりますよね。恋愛要素では、小説と映画では別の展開を迎えます。小説の終着点として大事なシーンをあえて変えたのは、どのような意図だったのでしょうか?

金子:文章で読むと想像でやわらかく昇華できるものが、映像にするとより記号的になってしまいます。七森は男性で、麦戸ちゃんと白城という女性2人がいて、三角関係のような構図に集約されてしまう可能性も。きっと名前のない特別な関係性なのに、そのニュアンスがうまく伝わりづらいなと思いました。

——なるほど。

金子:小説の帰着も素敵でしたが、そこまでの「しゃべる」「聞く」という要素が映画で一番重要だと思いました。なので、そこにクライマックスを持ってきたかったっていうのがあります。

大前:実写の人間が言葉にすると、その言葉に収束してしまいそうですよね。

金子:この作品も映画的な起承転結を作るのではなく、対話がずっと続いて、「次はあなたが話す番ですよ」と観客にバトンを手渡すような、そういう終わらない対話みたいなものが生み出せたらいいなと願っています。

Photography Mikako Kozai(L MANAGEMENT)

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』

■『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』
4月14日から全国公開
出演:細田佳央太、駒井蓮、新谷ゆづみ、細川岳、真魚、上大迫祐希、若杉凩、ほか
原作:大前粟生「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」(河出書房新社)
監督:金子由里奈
脚本:金子鈴幸、金子由里奈
撮影:平見優子 
録音:五十嵐猛吏 
音楽:ジョンのサン
プロデューサー:髭野純 
ラインプロデューサー:田中佐知彦
製作・配給:イハフィルムズ
(2022|109 分|16:9|ステレオ|カラー|日本)
https://nuishabe-movie.com

author:

羽佐田瑶子

1987年生まれ。ライター、編集。映画会社、海外のカルチャーメディアを経てフリーランスに。主に映画や本、女性にまつわるインタビューやコラムを「QuickJapan」「 she is」「 BRUTUS」「 CINRA」「 キネマ旬報」などで執筆。『21世紀の女の子』など映画パンフレットの執筆にも携わる。連載「映画の中の女同士」(PINTSCOPE)など。 https://yokohasada.com Twitter:@yoko_hasada

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